白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日… 白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日本の技術者、実業家。日野自動車代表取締役社長や、豊田通商代表取締役副会長を務めた。藍綬褒章受章。 長野県小諸市で出生後、北海道旭川市に移住。北海道旭川北高等学校を経て、1973年北海道大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。技術畑で商品開発部門を担当し、1997年第2ボデー設計部長に就任。2001年取締役第2開発センター長に昇格。2002年士別車両実験部長。2003年常務役員第1トヨタセンター長。2005年専務取締役技術管理本部長兼商品開発本部長。2007年顧問、日野自動車取締役副社長。2008年から日野自動車代表取締役社長を務め、リーマン・ショック後の世界金融危機下での不況への対応を行った。
奥平 克治(おくだいら よしはる、1948年4月15日- )… 奥平 克治(おくだいら よしはる、1948年4月15日- )は、日本の技術者。山陽電気鉄道元常務取締役・顧問。 1972年 大阪工業大学工学部土木工学科(現在の都市デザイン工学科)卒業後、山陽電気鉄道入社。1993年 開発室部長。1997年 開発事業本部部長。2003年 取締役 開発事業本部長。2005年 常務取締役 開発事業本部長。2009年 系列グループの須磨浦遊園 代表取締役社長。2015年 常務取締役退任、顧問。
古川 修(ふるかわ よしみ、1948年〈昭和23年〉3月23… 古川 修(ふるかわ よしみ、1948年〈昭和23年〉3月23日 - )は、日本の技術者。学位は博士(工学)(東京大学・1998年)。電動モビリティシステム専門職大学学長上席補佐・電気自動車システム工学部教授、公益財団法人本田財団理事、芝浦工業大学名誉教授。 株式会社本田技術研究所での勤務を経て、芝浦工業大学システム工学部教授などを歴任した。 東京都生まれ。成城学園初等学校・中学・高校を経て、1967年(昭和42年)に東京大学に入学。工学部産業機械工学科へ進む。1971年、東京大学大学院工学系研究科修士課程舶用機械工学専攻へ進学(1977年3月に単位取得退学)。なお、後年に「非線形四輪操舵及び直接ヨーモーメント制御による車両運動性能向上の研究」と題した博士論文を執筆しており、1998年1月に東京大学から博士(工学)の学位が授与された。
飯塚 久夫(いいづか ひさお、1948年2月18日 - )は… 飯塚 久夫(いいづか ひさお、1948年2月18日 - )は、日本の技術者、実業家。 NTTコミュニケーションズ常務取締役、NTTラーニングシステムズ代表取締役社長、NECビッグローブ代表取締役社長、国立大学法人東京工業大学理事・副学長、東京工業大学博物館館長等を歴任した。 群馬県前橋市生まれ。 1970年、東北大学工学部卒業。 1972年、東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了、日本電信電話公社入社。 1991年、技術調査部技術評価部門長。 1997年、資材調達部長兼国際調達室長。 1999年、(株)NTTコミュニケーションズ取締役ビジネスユーザ事業部長。 2002年、(株)NTTコミュニケーションズ常務取締役先端IPアーキテクチャセンタ所長。
増田 譲二(ますだ じょうじ、1948年(昭和23年)2月1… 増田 譲二(ますだ じょうじ、1948年(昭和23年)2月12日 - 2026年(令和8年)3月22日[要出典])は、日本の技術者・経営コンサルタント・大学講師。元日産自動車株式会社 VP(Vice President)(兼)コスト エンジニアリング本部長(兼)車両品質推進部を歴任し、自動車業界における原価管理や品質改善の実務において高い評価を受けている。 日産自動車に入社後、シャシーおよび車体設計に従事。欧州開発拠点であるNETC(Nissan European Technology Centre)への出向経験を経て、TQM(Total Quality Management)推進本部にてマネジメント改革を推進。
吉村 寛範(よしむら ひろのり、1948年2月3日 - )は… 吉村 寛範(よしむら ひろのり、1948年2月3日 - )は、日本の技術者、実業家。三菱マテリアル代表取締役副社長を経て、三菱アルミニウム代表取締役社長や、超硬工具協会理事長を務めた。全国発明表彰発明賞受賞。 1971年横浜国立大学工学部金属工学科卒業、三菱金属鉱業(現三菱マテリアル)入社。切削工具用サーメットの発明により1990年度全国発明表彰発明賞受賞。2006年常務執行役員。2007年加工事業カンパニープレジデント。2008年常務取締役。2009年代表取締役副社長営業・マーケティング・CSR・物流資材・生産技術関係担当。2010年から三菱アルミニウム代表取締役社長を務めた。2013年三菱アルミニウム取締役相談役。
吉野 彰(よしの あきら、1948年(昭和23年)1月30日… 吉野 彰(よしの あきら、1948年(昭和23年)1月30日 - )は、電気化学を専門とする日本のエンジニア。学位は博士(工学)(大阪大学・論文博士・2005年)。旭化成株式会社名誉フェロー。名城大学大学院理工学研究科教授。携帯電話やパソコンなどに用いられるリチウムイオン二次電池の発明者の一人。2019年10月、ノーベル化学賞受賞が決定し、2019年12月10日に受賞。同じ2019年の11月には文化勲章も受章した。福井謙一の孫弟子に当たる。 エイ・ティーバッテリー技術開発担当部長、旭化成 イオン二次電池事業推進室長、同 吉野研究室・室長、リチウムイオン電池材料評価研究センター・理事長などを歴任し、2020年現在名城大学大学院理工学研究科・教授、九州大学エネルギー基盤技術国際教育研究センター客員教授。
柳楽 幸雄(なぎら ゆきお、1948年1月28日 - )は日… 柳楽 幸雄(なぎら ゆきお、1948年1月28日 - )は日本の技術者、実業家。日東電工代表取締役社長や、同社代表取締役会長、花王取締役等を務めた。 島根県出身。1971年鳥取大学工学部工業化学科卒業、日東電工入社。電子材事業部門オプティカル材事業ユニット長等を経て、1998年取締役光学事業部門オプティカル事業部長に昇格。2000年取締役オプティカル事業部門長。2001年常務取締役。2004年取締役兼副COO。2007年取締役兼専務執行役員オプティカル事業本部長。 2008年から日東電工代表取締役社長を務め、偏光板の用途転換によりシェアトップを維持するとともに、M&Aを進め海外事業の強化にあたった。
河合 満(かわい みつる、1948年〈昭和23年〉1月2日 … 河合 満(かわい みつる、1948年〈昭和23年〉1月2日 - )は、日本の技術者・会社役員。トヨタ自動車株式会社アドバイザー、日本ソフトボール協会長、日本プラントメンテナンス協会会長。 トヨタ自動車株式会社副社長、執行役員CMO、Executive Fellow、日本経営協会副会長、愛知県公安委員会委員長などを歴任した。藍綬褒章受章。愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)出身。 1948年1月2日に愛知県豊田市で生まれる。 小学4年時に父親が死去したため、中学校を卒業後、お金を貰いながら学べるトヨタ技能者養成所(現・トヨタ工業学園)に入社。1966年に卒業し、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)に入社、鍛造部に配属される。
吉野 金次 (よしの きんじ、1948年 - )は、日本のレ… 吉野 金次 (よしの きんじ、1948年 - )は、日本のレコーディング・エンジニア、編曲家。 東京都出身。東京都立葛西工業高等学校電子科卒業。 1967年に東芝音楽工業の録音部に入社。ザ・ランチャーズの喜多嶋修と共に匿名ユニット「ジャスティン・ヒースクリフ(Justin Heathcliff)」を結成。同名アルバムを発表するも不発に終わる。 1970年、仕事をめぐり上司と衝突し、録音部からの配転を命ぜられ、クビに近い形で退社する。その後、かつての仕事仲間である細野晴臣に誘われてはっぴいえんどの『風街ろまん』にミキサーとして参加。以降、日本では初となるフリーのエンジニアとして活動。 松本隆に対して専業作詞家になることを勧めたのも吉野で、1974年に当時自らが担当していたアグネス・チャンのオリジナル・アルバム『アグネスの小さな日記』の収録曲の作詞を松本に依頼した。
山下 弘(やました ひろし、1947年(昭和22年)10月2… 山下 弘(やました ひろし、1947年(昭和22年)10月2日 - )は日本の経営者、ウイスキー製造者、技術者。ニッカウヰスキーの代表取締役社長、会長を務めた。北海道函館市出身。 5人兄弟の末っ子として北海道函館市に生まれる。函館市立柏野小学校、函館市立的場中学校、函館ラ・サール高等学校を経て、1970年、北海道大学農学部卒業。 同年、ニッカウヰスキー入社。生産部長、西宮工場長、アサヒビール酒類事業本部副本部長などを歴任、2002年、アサヒビール執行役員、2005年3月25日、ニッカウヰスキー株式会社代表取締役社長。2010年3月24日、同社代表取締役会長。同年4月1日、第4代マスターブレンダー就任。
長谷川 聰(はせがわ さとし、1947年8月16日 - )は… 長谷川 聰(はせがわ さとし、1947年8月16日 - )は、日本の航空技術者、工学者(工学修士)。川崎重工業代表取締役社長を務めていた。 愛知県春日井市出身。1972年慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程修了後、川崎重工業へ入社し、航空宇宙事業本部・ジェットエンジン事業部第一技術部長、ガスタービン事業部航空エンジン技術部長などを歴任した技術畑出身の人物である。2005年執行役員。2007年常務取締役兼執行役員。2009年4月代表取締役副社長を経て、同年6月代表取締役社長。 WEBメディアのビジネスジャーナルは「大庭浩会長、大橋忠晴社長当時、ビジネスチャンスを求めて中華人民共和国(中国)への新幹線売り込みのグランドデザインを描いたのが長谷川としている。
川田 武司(かわた たけし、1947年8月6日 - )は日本… 川田 武司(かわた たけし、1947年8月6日 - )は日本の技術者、実業家。アイシン精機取締役副社長や、アドヴィックス代表取締役社長を務めた。 大阪府出身。1972年名古屋工業大学工学部第一部経営工学科卒業後、プラントメーカーでエンジニアを務めたのち、1973年アイシン精機に入社。品質保証部に配属されたのち、情報システム部在籍中に過労で休職し、経営企画に異動となる。1999年取締役に昇格。2005年取締役副社長。2009年からアドヴィックス代表取締役社長を務め、トヨタグループ内のブレーキ事業のアドヴィックスへの集約を進めるなどした。参議院少子高齢化・共生社会に関する調査会参考人なども務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
新美 篤志(にいみ あつし、1947年7月30日 - )は、… 新美 篤志(にいみ あつし、1947年7月30日 - )は、日本の技術者、実業家。トヨタ自動車代表取締役副社長や、ジェイテクト代表取締役会長、中部経済同友会代表幹事などを務めた。藍綬褒章受章。息子はHOME MADE 家族のMICRO。 1971年名古屋大学工学部航空学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。生産技術部を希望し堤工場に配属される。インドでの合弁事業を経て、1987年からアメリカ合衆国ケンタッキー州で工場開設プロジェクトのコーディーネーターを務める。1995年生産管理部新車進行管理室長。1997年生産管理部長。1999年生技管理部長。2000年取締役元町工場工場長兼堤工場工場長。
佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 … 佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 - 2012年(平成24年)10月26日)は、日本のシンガーソングライター、ピアニスト、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、作曲家、編曲家、レコーディング & ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、音楽プロデューサー。鹿児島県川辺郡知覧町(現南九州市)生まれ。京都府育ち。日本のトップ・キーボーディストとして知られる。 1947年6月3日、真宗大谷派の寺の長男として鹿児島県の知覧にて生を受け、2年後の1949年に京都の寺に移住する。中学時代の14歳の頃になると「寺の住職になるという家業を継ぐしかなく、職業選択の自由も許されないのか」と自問し、世の中への怒りや人間社会の偽善性や生きることへの希望も見失う精神的ブラックホールの真っ只中にいた。
山田 藤男(やまだ ふじお、1947年5月30日 - )は、… 山田 藤男(やまだ ふじお、1947年5月30日 - )は、日本の技術者、実業家。カルピス代表取締役社長を務めた。 神奈川県出身。神奈川県立横須賀高等学校を経て、1971年東京工業大学工学部卒業、カルピス食品工業(現カルピス)入社。1995年技術部長。1998年生産システム部長。1999年取締役生産システム部長に昇格。2001年常務取締役。2005年取締役専務執行役員。2007年代表取締役副社長。2009年から代表取締役社長を務め、カルピスのアサヒグループ入りにあたり、同グループとの共同開発を進めた。
浜田 義史(はまだ よしふみ、1947年5月14日 - )は… 浜田 義史(はまだ よしふみ、1947年5月14日 - )は、日本のマーケティングエンジニア、クリエーター、ビジネスマン、特許保有ビジネス、服飾コンサルタント、食ガイド。 日本のパーソナルコンピューター黎明期に活躍した企業「アスキー」の創業者・西和彦の右腕として知られる。 東京都目黒区生まれ。サレジオ高等学院卒業。獨協大学法学部中退。青年期には学生運動に参加し、逮捕・投獄を経験。さらに重い病を患い、精神的にも過酷な青春時代を送った。 1982年2月、アスキーの関連会社「ASCII Consumer Products(ACP)」に入社。当時アスキーマイクロソフト部門事業部長だった古川享(のちのMicrosoft日本法人初代社長)は、浜田の会社でアルバイトをしていた縁があり、京都セラミック(現・京セラ)社長稲盛和夫からの支援を受ける。
郡司 明郎(ぐんじ あきお、1947年(昭和22年)5月8日… 郡司 明郎(ぐんじ あきお、1947年(昭和22年)5月8日 - )は、日本のコンピュータエンジニア・経営者・実業家。アスキー元社長・会長。東京都生まれ。千葉工業大学卒業。 大学卒業後、コンピュータ アプリケーションズ(CAC)で、コンピュータエンジニアとして勤務していたが、1976年(昭和51年)に雑誌『I/O』の創刊に参加し、翌1977年(昭和52年)には西和彦、塚本慶一郎と共に、日本におけるベンチャー企業の元祖と言われていることになる株式会社アスキー出版を設立し、コンピュータ関連の専門書籍の出版活動を開始する。 西によれば、元々は西が郡司の実家に下宿していたことが知り合うきっかけで、夜毎コンピュータ関連の話題について語り合う仲だった。
今川 憲英(いまがわ のりひで、1947年4月1日 - )は… 今川 憲英(いまがわ のりひで、1947年4月1日 - )は、日本の外科医的建築家、日本を代表する構造家の一人、構造エンジニア、構造デザイナー、構造設計家、構造的建築家。 広島県尾道市生まれ。1962年に三原工業高等学校付属中学校、1965年に三原工業高等学校機械科を卒業し1969年日本大学理工学部建築学科を卒業。大学時代は坪井善勝研究室に所属。その後東京大学生産技術研究所川股研究室、渡辺邦夫擁する構造設計集団(S.D.G)を経て1978年に構造設計事務所T.I.S. & PARTNERSを設立。 職業能力開発大学校(現・職業能力開発総合大学校)、武蔵野美術大学、女子美術大学、明治大学、東海大学、近畿大学、京都工芸繊維大学非常勤講師を経て、2000年から東京電機大学工学部建築学科教授。
中川 彰(なかがわ あきら、1947年3月18日 - )は、… 中川 彰(なかがわ あきら、1947年3月18日 - )は、日本の鉄道技術者、実業家。JR東海代表取締役副社長や、日本車輌製造代表取締役社長を務めた。 愛知県豊橋市出身。1965年、静岡県立静岡高等学校卒業。1969年、東北大学工学部卒業、日本国有鉄道入社。1987年、東海旅客鉄道入社。技術を担当し、1997年、東海旅客鉄道取締役新幹線鉄道事業本部浜松工場長に昇格。2002年、東海旅客鉄道常務取締役総合技術本部技術企画部長。2006年、東海旅客鉄道代表取締役副社長。2008年、日本車輌製造代表取締役副社長。2010年から日本車輌製造代表取締役社長を務め、JR依存からの脱却を進めるなどした。趣味は鉄道模型。
南雲 忠信(なぐも ただのぶ、1947年2月12日 - )は… 南雲 忠信(なぐも ただのぶ、1947年2月12日 - )は日本のエンジニア、実業家。横浜ゴム代表取締役会長、日本ゴム工業会会長、渋沢栄一記念財団名誉顧問。タイヤ開発に長年携わり主に技術畑を歩んだ。新潟県生まれ。
舘内 端(たてうち ただし、1947年〈昭和22年〉 - )… 舘内 端(たてうち ただし、1947年〈昭和22年〉 - )は、日本の自動車評論家、レーシングエンジニア。電動モビリティシステム専門職大学電気自動車システム工学部准教授。 東京大学宇宙航空研究所、株式会社ベルコでの勤務を経て、フリーランスとなった。 群馬県出身の自動車評論家、レーシングエンジニアである。日本EVクラブ代表や日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務めた。初期の著作は、レース活動にまつわる内容のものだが、1990年代ごろからは、自動車にまつわる環境問題を技術的側面から捉えたものが多い。 群馬県桐生市出身。群馬県立桐生高等学校、日本大学理工学部機械工学科卒業。 東京大学宇宙航空研究所(現・文部科学省宇宙科学研究所)勤務の後、ベルコ入社。
長谷川 伸一(はせがわ しんいち、1947年 - )は、大阪… 長谷川 伸一(はせがわ しんいち、1947年 - )は、大阪府出身の日本の土木技術者・経営者、パシフィックコンサルタンツ会長。一般社団法人建設コンサルタンツ協会(JCCA)会長。土木学会フェロー。旭日小綬章受章者。 大阪工業大学土木工学科(現在の都市デザイン工学科)卒業。1966年パシフィックコンサルタンツ入社。2000年同社取締役九州本社長。2004年常務取締役大阪本社長。2006年専務取締役事業管掌。2008年代表取締役社長。2014年代表取締役会長就任。2015年6月建設コンサルタンツ協会会長就任。また、日本道路協会理事、海外環境協力センター理事、日本プロジェクト産業協議会理事、土木研究センター理事、建設業適正取引推進機構理事なども歴任。
山川 理(やまかわ おさむ、1947年 - )は、日本の農業… 山川 理(やまかわ おさむ、1947年 - )は、日本の農業技術者。専門はさつまいもといちごの品種改良、育種。元九州沖縄農業研究センター所長。べにはるか開発。農学博士。静岡市出身。 1965年、静岡県立静岡高等学校卒業。1969年、京都大学農学部卒業(育種学)。1969年〜1982年、農林省九州農業試験場勤務。さつまいもの品種改良に従事。途中、26歳の時に名古屋大学に半年間留学(生化学 瓜谷郁三研究室)、生化学の理論と実験手法を学んだ。次いでノースカロライナ大学遺伝学部に留学、とうもろこしの研究室(チャールズ・スチューバー教授)に1年間。帰国後、およそ半年の後に、行政部門に異動。1982年〜1985年、農林水産省農林水産技術会議事務局で3年半、研究行政に携わる。
明智 憲三郎(あけち けんざぶろう、1947年 - )は、日… 明智 憲三郎(あけち けんざぶろう、1947年 - )は、日本の作家、歴史研究家、情報処理技術者である。 本能寺の変について家康黒幕説を主張することで知られるが、この説については複数の歴史学者からまったく成立する余地がないと批判されている。 先祖は明智光秀の側室の子於隺丸(おづるまる)で、於隺丸は山崎の戦い後、京都山城に匿われ、神官の子として育てられたと主張している。明治まで一族は明田(あけた)の姓を名乗っていて、1887年(明治10年)頃、曽祖父にあたる明智潔が系図などの証拠の品を添えて政府に明智姓への復姓を願い出て認められた。復姓の理由は「将来愚昧な子孫が明智光秀より連綿と続いた家系を認識せず、明田を本姓と誤ることがあれば祖先の霊に相済まない」。
小河 保之(おがわ やすゆき、1947年 - )は、日本の地… 小河 保之(おがわ やすゆき、1947年 - )は、日本の地方公務員、土木技術者。元大阪府副知事。 大阪府出身。大阪府立高津高等学校卒業、1969年京都大学工学部交通土木工学科卒業。1969年、大阪府庁入庁。 土木技術者として主に土木畑(道路畑)を歩む。鳳土木事務所、土木部街路課、都市整備局総合計画課勤務を経て、1980年富田林土木事務所長野工区長、1983年企画部企画室主査、1984年企業局空港対策部計画課主査、1985年土木部都市整備局交通政策課街路係長、1987年土木監理課主幹、1988年岸和田土木事務所主幹、1989年空港関連道路建設事務所主幹、1990年土木部道路課主幹、1991年奈良県土木部道路建設課長、1994年兵庫県土木部参事兼道路建設課長、1997年大阪府土木部道路課参事、1998年茨木土木事務所長、1999年土木部副理事兼道路課長、2001年土木部技監、2003年土木部長、2005年危機管理監、2007年大阪府退職。
大下 孝裕(おおした たかひろ、1947年 - 2016年1… 大下 孝裕(おおした たかひろ、1947年 - 2016年11月26日)は、日本の環境技術者。元荏原製作所取締役・荏原総合研究所代表取締役社長。日本機械学会フェロー。技術士(衛生工学)、工学博士。廃棄物の焼却処理の技術開発で知られる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
佐々木 眞一(ささき しんいち、1946年12月18日 - … 佐々木 眞一(ささき しんいち、1946年12月18日 - )は、日本の技術者、実業家。トヨタ自動車代表取締役副社長や、トヨタ東京自動車大学校理事長、名古屋グランパスエイト代表取締役社長を経て、首都高速道路取締役会長、日本科学技術連盟理事長、道路新産業開発機構会長。 秋田県秋田市千秋中島町生まれ。秋田県立秋田工業高等学校ラグビー部出身の父眞平が、トヨタ自動車ラグビー部の選手となったため、小学校入学前に一家で愛知県豊田市に移住した。 1965年、愛知県立岡崎高等学校卒業。1970年に北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。長く品質管理を担当し、トヨタモーターマニュファクチャリングUK品質管理部長、堤工場品質管理部長等を経て、2001年に小野博信、金田新、白井芳夫、井川正治、高田坦史らとともに取締役昇格。
大沼 邦彦(おおぬま くにひこ、1946年12月4日- )は… 大沼 邦彦(おおぬま くにひこ、1946年12月4日- )は、日本の技術者、実業家。日立ビルシステム代表取締役社長、日立製作所代表執行役副社長、日立オートモティブシステムズ代表取締役社長、日本品質管理学会会長などを歴任した。デミング賞本賞受賞。 茨城県出身。1971年千葉大学工学部電気工学科卒業後大学院に進学し修士課程修了。日立製作所入社。1990年日立製作所大みか工場電子制御装置設計部長。1995年日立製作所水戸工場副工場長。1999年日立製作所昇降機グループ水戸昇降機本部長。2000年日立製作所ビルシステムグループ水戸ビルシステム本部長。2001年日立ビルシステム代表取締役取締役社長。2005年日立製作所執行役常務都市開発システムグループ長&CEO。
竹中 恭二(たけなか きょうじ、1946年11月28日 - … 竹中 恭二(たけなか きょうじ、1946年11月28日 - )は、日本の技術者、実業家。初の生え抜き社長として第9代富士重工業株式会社(現株式会社SUBARU)代表取締役社長を務めた。 大阪府生まれ。1969年大阪市立大学工学部卒業、富士重工業(現SUBARU)入社。1988年商品企画室担当部長。1995年スバル開発本部主管。1999年執行役員スバル開発本部商品企画室副室長兼主管兼SV開発部長。2000年執行役員総合企画本部副本部長兼アライアンス推進室長。 2001年から富士重工業代表取締役社長兼COOを、2003年からは代表取締役社長兼CEOを務め、2006年にはゼネラルモーターズとの提携解消を行い、同年取締役相談役に退いた。
竹内 浄(たけうち きよし、1946年11月15日 - )は… 竹内 浄(たけうち きよし、1946年11月15日 - )は、日本の技術者、実業家。元・自動車検査独立行政法人理事長。 ファイテルUSA最高経営責任者、OFS会長、フルカワエレクトリックノースアメリカ社長、古河電気工業株式会社最高技術責任者などを歴任した。 1946年に生まれ、兵庫県にて育つ。京都大学に入学し、工学部機械工学科にて学んだ。1969年、京都大学を卒業し、古河電気工業に入社した。 1995年、古河電気工業の設備部にて設備開発部長を務め、1998年には同部の生産技術開発センターのセンター長を務めた。1999年より取締役として、設備部の部長や経営企画室の室長など要職を歴任した。2003年には、取締役と執行役員を兼務する常務として、米国光事業推進室の室長にも就いた。
宮池 克人(みやいけ よしひと、1946年9月5日 - )は… 宮池 克人(みやいけ よしひと、1946年9月5日 - )は、日本の土木技術者、実業家、工学博士。中部電力代表取締役副社長を経て、2022年6月まで中日本高速道路代表取締役社長CEO。 愛知県出身。1971年名古屋大学大学院工学研究科土木工学専攻修了、中部電力入社。1989年名古屋大学工学博士。2001年取締役土木建築部長。2002年土木学会認定特別上級土木技術者(施工・マネジメント)取得。2003年取締役発電本部土木建築部長。2005年常務取締役執行役員環境・立地本部長。2007年代表取締役副社長執行役員。2013年顧問。 2014年から中日本高速道路代表取締役社長CEOを務め、笹子トンネル天井板落下事故を受け安全対策を進めた。
小野木 聖二(おのき せいじ、1946年8月21日 - 20… 小野木 聖二(おのき せいじ、1946年8月21日 - 2019年10月21日) は、日本の技術者、実業家。アズビル代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本電気制御機器工業会会長、日本電気計測器工業会会長などを歴任した。藍綬褒章受章。 北海道帯広市生まれ。1970年北海道大学工学部応用物理学科卒業、山武ハネウエル入社。 1988年山武ハネウエルアドバンステクノロジーセンター所長。1994年山武ハネウエル工業システム事業部システム開発統括部長。1996年山武ハネウエルア取締役。2000年山武産業システム代表取締役社長。2003年執行役員常務アドバンスオートメーションカンパニー社長。 2004年から代表取締役社長兼執行役員社長を務め、社名をazbilに変更した。
内山田 竹志(うちやまだ たけし、1946年〈昭和21年〉8… 内山田 竹志(うちやまだ たけし、1946年〈昭和21年〉8月17日 - )は、日本の技術者・実業家。トヨタ自動車相談役、元トヨタコンポン研究所代表取締役、元トヨタ自動車Executive Fellow、同社元代表取締役会長。 その他にも豊田鞍ヶ池開発代表取締役社長、一般社団法人日本自動車会議所会長、公益財団法人科学技術交流財団会長、社団法人日・タイ経済協力協会会長、一般社団法人産業競争力懇談会理事長、社団法人日本自動車教育振興財団理事長などを歴任した。愛知県岡崎市出身。栄典は藍綬褒章。 愛知県岡崎市出身。父の亀男もトヨタマンで、3代目クラウンの開発責任者(チーフエンジニア)を務めた。愛知県立旭丘高等学校を経て、1969年(昭和44年)3月に名古屋大学工学部応用物理学科を卒業し、同年4月にトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)に入社。
森脇 基恭(もりわき もとやす、1946年4月27日 - )… 森脇 基恭(もりわき もとやす、1946年4月27日 - )は、日本の自動車技術者、レーシングカーデザイナー、モータースポーツ解説者、ノバ・エンジニアリング技術部長および取締役副社長。東京都出身。成蹊大学工学部卒業。 1968年に成蹊大学工学部を卒業し、ホンダに入社、本田技術研究所に配属され四輪車の車体・サスペンションの設計を担当。上司は第1期ホンダF1の車体設計者として知られる佐野彰一。同期には元ホンダ社長の福井威夫、第2期ホンダF1のプロジェクトリーダーからマクラーレン・フェラーリ・ザウバーのエンジニアに転身した後藤治らがいる。 1973年にホンダを退社して渡英。イギリスのレーシングカーコンストラクターであるGroup Racing Development(英語版) (GRD) 社に入社。
新谷 勝利(しんたに かつとし、1946年 - )は、日本の… 新谷 勝利(しんたに かつとし、1946年 - )は、日本の情報技術者である。 1969年京都大学卒、同年日本IBM入社。入社以来一貫してソフトウェアエンジニアリングに関連する調査、研究、実践をしてきた。 1998年 - 2003年 AFS_(交換留学)日本支部事務局長 2004年9月より(独)情報処理推進機構、ソフトウェア・エンジニアリング・センター勤務 2017年4月より早稲田大学卯ローバルソフトウェアエンジニアリング研究所招聘研究員2017年4月より慶應義塾大学システムズデザイン・マネジメント研究所研究員 2020年4月からは、早稲田大学招聘研究員 上記勤務のかたわら、ISO/IEC 33004 editorを務めた。
伏見 諭(ふしみ さとし、1946年生まれ)は、日本の経営者… 伏見 諭(ふしみ さとし、1946年生まれ)は、日本の経営者・技術者。 1946年兵庫県生まれ。 東京大学理学部および東京大学経済学部を卒業し、東京大学大学院理学系研究科修了、理学修士の学位を取得。 父は物理学者で名古屋大学名誉教授・大阪大学名誉教授の伏見康治、兄は埼玉大学名誉教授の伏見譲。父・伏見康治、母・伏見満江 著作の「折り紙の幾何学」があり、姉と譲・諭兄弟が登場している。化学者の槌田龍太郎の子供、槌田敦・槌田劭兄弟の話も出てくる。 株式会社情報数理研究所取締役、株式会社 情報数理バイオ技術顧問のかたわら、ISO/IEC 15504 part1 editorを務めた。 国際規格、日本産業規格の制定に、情報処理学会情報規格調査会SC7/WG24主査, JISA技術委員会標準化委員会委員長,などとして貢献した。
田中 隆治(たなか たかはる、1946年 - )は、青森県… 田中 隆治(たなか たかはる、1946年 - )は、青森県出身の日本のバイオ技術者。サントリー顧問・元取締役基礎研究所長、「青いバラ (サントリーフラワーズ)」の開発チームリーダー。元星薬科大学学長。理学博士(大阪大学)。 青森県青森市生まれ。桃山学院高等学校卒、金沢大学理学部生物学科卒、神戸大学大学院理学研究科修士課程修了。サントリー入社後、酵母菌の研究に携わり、サントリーの医薬品分野を開拓していく。ポリフェノールの研究成果を応用し、10年の歳月を経て、世界で初めて青いバラ (サントリーフラワーズ)の開発に成功した。 2005年より東京大学大学院農業生命科学研究科特任教授、2008年より金沢大学理事。
原口 證(はらぐち あきら、1945年11月27日 –)は日… 原口 證(はらぐち あきら、1945年11月27日 –)は日本の元技術者(現在は退職)である。円周率の暗記で知られている。 宮城県古川市(現・大崎市古川)の寺院で生まれ育つ。宮城県古川工業高等学校卒業後、東北沖電気工業、日立製作所茂原工場に30年余年勤務した。退職後、円周率の暗記を始め、2004年に当時の世界記録である54,000桁を達成する。その後、同年に記録を68,000桁に伸ばし、2005年に83,431桁、2006年に100,000桁の暗記を達成した。トイレにまでカメラでついていくなど、不正が無いことを証明するため徹底的に記録された。しかし、この記録はギネス・ワールド・レコーズに申請中の段階であり、2017年時点でも正式に認定されていない(インド人のスレシュ・クマール・シャルマの70,030桁が、ギネス世界記録公認の世界記録である)。
中本 晃(なかもと あきら、1945年11月25日- )は、… 中本 晃(なかもと あきら、1945年11月25日- )は、日本の技術者、実業家。島津製作所代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、京都工業会元会長。 鳥取県生まれ。鳥取県立米子東高等学校を経て、1969年大阪府立大学工学部卒業、島津製作所入社。品質保証部長、LC部長等を経て、2000年執行役員。2001年取締役。2007年専務取締役。2009年から代表取締役社長を務め、自己資本利益率の向上にあたった。2015年代表取締役会長。2018年京都工業会会長。日本産業機械工業会常任幹事、日本機械輸出組合理事、日本計量機器工業連合会会長等も歴任した。 2023年4月旭日重光章受章。
山本 忠人(やまもと ただひと、1945年10月17日 - … 山本 忠人(やまもと ただひと、1945年10月17日 - )は、日本の技術者、実業家。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 神奈川県出身。神奈川県立小田原高等学校を経て、1968年山梨大学工学部卒業、富士ゼロックス入社。1994取締役に昇格。1996年常務執行役員。2000年専務執行役員。2007年から技術系初の代表取締役社長を務め、「複写機卒業宣言」をし、サービス事業の強化を進めた。2010年ビジネス機械・情報システム産業協会会長。2015年空席になっていた代表取締役会長に就任。
八重樫 正彦(やえがし まさひこ、1945年9月9日 - )… 八重樫 正彦(やえがし まさひこ、1945年9月9日 - )は日本の技術者、実業家。日揮株式会社代表取締役社長や、同社取締役副会長を務めた。 高知県出身、本籍は岩手県北上市。八重樫義雄・寿の長男。1964年東京都立青山高等学校を経て、1969年東北大学工学部土木工学科卒業、日揮入社。国際事業本部プロジェクト部長を経て、2000年取締役に昇格。2002年常務取締役。2004年専務取締役。2006年取締役副社長。2008年代表取締役副社長兼プロジェクト統括担当役員(CPO)。2009年から代表取締役社長兼最高執行責任者(COO)を務め、プラント建設事業以外の事業の開拓にあたった。2011年取締役副会長。
熊谷 勝弘(くまがい かつひろ、青森県弘前市出身 1945年… 熊谷 勝弘(くまがい かつひろ、青森県弘前市出身 1945年8月9日 - )は、日本の総理府技官、工学博士、技術士、土木学会認定特別上級土木技術者(総合)。北海道開発庁北海道開発局長や、伊藤組土建代表取締役副社長を務めた。 1970年北海道大学大学院修了。1973年北海道開発庁北海道開発局札幌開建道路建設課橋梁係長。1976年北海道開発庁北海道開発局土木試験所舗装研究室副室長。1977年建設省計画局国際課長補佐。1978年外務省在ケニア日本国大使館一等書記官(ウガンダ・セイシェルズ・マラウイ兼轄)。1981年北海道開発庁北海道開発局道路計画課付。1981年北海道開発庁北海道開発局室蘭開発建設部道路第一課長。
桂田 昌生(かつらだ まさみち、1945年7月20日 - )… 桂田 昌生(かつらだ まさみち、1945年7月20日 - )は、日本の技術者、実業家。東芝メディカルシステムズ代表取締役社長や、日本医療機器産業連合会副会長、保健医療福祉情報システム工業会会長、日本画像医療システム工業会会長などを歴任した。 北海道出身。1968年東北大学工学部卒業、東京芝浦電気入社。1990年東芝メディカルシステムズ・ヨーロッパ社副社長。1996年東芝アメリカメディカルシステム社社長。1999年東芝医用システム社社長。2001年東芝常務(医用システム社社長)、日本画像医療システム工業会会長。2003年東芝執行役常務(医用システム社社長)。同年東芝医用システム社を分社化して新設された東芝メディカルシステムズの代表取締役社長に就任。
林 みのる(はやし みのる、1945年7月16日 - )は、… 林 みのる(はやし みのる、1945年7月16日 - )は、日本の実業家、自動車技術者。京都府京都市出身。レーシングカーコンストラクター・童夢の創業者。また日本自動車レース工業会(JMIA)会長なども務めた。大阪産業大学自動車工学部中退。 本名は林穂(読みは同じ)だが、一般的には下の名前をひらがな表記した林みのるの表記が使われる。一部の書籍等では林ミノルと表記されていることもある。 太平洋戦争の終戦直前、洋画家の長男として疎開先の広島で生まれる。幼少期よりオーディオ機器の自作に没頭していたが、同志社中学校の同級生だった鮒子田寛からスーパーカブを借りたことで、乗り物を作ることへと興味が移る。鮒子田や横山靖史(後のホンダ・ファクトリー・ドライバー)と共に通いつめていた鈴鹿サーキットで浮谷東次郎に出会い、親しい付き合いが始まる。
小川富太郎(おがわ とみたろう、1945年4月16日 - )… 小川富太郎(おがわ とみたろう、1945年4月16日 - )は、日本の技術者、実業家。岡山県笠岡市出身。住友ベークライト代表取締役社長、代表取締役会長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
津田 紘(つだ ひろし、1945年〈昭和20年〉2月5日 -… 津田 紘(つだ ひろし、1945年〈昭和20年〉2月5日 - 2022年〈令和4年〉2月28日)は、日本の自動車技術者、実業家。スズキ株式会社代表取締役社長を務めた。学位は室蘭工業大学工学博士。 北海道出身。北海道札幌南高等学校を経て、1967年(昭和42年)3月、室蘭工業大学工学部産業機械工学科卒業。 1969年(昭和44年)3月、北海道大学大学院工学研究科衛生工学専攻修了、鈴木自動車工業(のちのスズキ)入社。 2003年(平成15年)4月から代表取締役社長を務めた。 2006年(平成18年)室蘭工業大学博士(工学)の学位を取得。博士論文は「自動車用高強度鋼板の溶接継手における疲労強度および衝撃変形強度に関する研究」。
亀井 剛(かめい つよし、1945年〈昭和20年〉1月17日… 亀井 剛(かめい つよし、1945年〈昭和20年〉1月17日 - )は、日本の伝統工芸技術者であり、時代裂用綜絖製作の選定保存技術保持者。亀井綜絖株式会社代表取締役。国宝・重要文化財をはじめとする多数の文化財の表具裂製作に携わる、日本有数の綜絖製作技術者として知られる。正倉院裂、観世流片山家能装束、祇園祭懸装品、中国湖南省長沙市馬王堆一号墓出土紋羅の復元など、古代から現代に至る多様な時代裂の綜絖製作において卓越した技術を有する。 文化財修理・国宝復元・教育指導に携わる一方、公益財団法人京都YMCAの理事長としても地域社会や国際交流活動に貢献している。 京都・西陣に生まれ、父が創業した亀井綜絖株式会社において綜絖製作技術を習得。
段上 守(だんがみ まもる、1944年12月4日- )は、日… 段上 守(だんがみ まもる、1944年12月4日- )は、日本の技術者、実業家。九州電力副社長を経て大分共同火力代表取締役社長。 福岡県出身。九州大学工学部機械工学科卒業。1967年、九州電力入社。1987年原子力建設部原子力工事課長。1991年玄海原子力発電所次長(蒸気発生器管理担当)。1997年玄海原子力発電所第一所長。2001年6月川内原子力発電所長。同年7月執行役員川内原子力発電所長。2007年6月、常務執行役員原子力発電本部長。2009年、副社長。 九電社内で原子力のエキスパートと言われ、2009年11月玄海原発3号機での日本初のプルサーマル発電開始を前に、「図らずも国内9電力会社の先頭を切る形になり、責任も感じているが、粛々と進めていきたい」と淡々と語った。
杉野 正博(すぎの まさひろ、1944年11月18日 - )… 杉野 正博(すぎの まさひろ、1944年11月18日 - )は、日本の技術者、実業家。INAX代表取締役社長、LIXILグループ代表取締役社長などを務めた。 愛知県出身。愛知県立刈谷高等学校を経て、1967年に名古屋工業大学工学部窯業工学科を卒業し、伊奈製陶(INAXを経て、現在のLIXIL)に入社した。1990年に営業本部商品企画統括部商品第1部長、1992年に取締役新建材事業部長、1994年に取締役建材事業本部タイル事業部長、1996年に常務取締役建材事業本部長、1999年に常務取締役経営管理統括部長、2000年に専務取締役にそれぞれ就任した。 2001年、代表取締役社長に就任した。2007年から住生活グループ(現在のLIXILグループ)代表取締役社長及びINAX代表取締役会長を務め、2011年にはトステム、INAX、新日軽、東洋エクステリア、LIXILの統合を行い、同年トステムを商号変更したLIXILの代表取締役社長兼COOに就任した。