坂本 長利(さかもと ながとし、1929年10月14日 - … 坂本 長利(さかもと ながとし、1929年10月14日 - 2024年3月20日)は、日本の俳優。島根県出雲市出身。身長163cm、体重54kg。かつてはオフィスPSCに所属していた。 1967年、新宿の幕間狂言として当時38歳にて初演。以後55年に渡り演じ続け、ライフワークと言える坂本の代表作となった。1985年、紀伊国屋演劇賞特別賞、2000年、旅の文化賞を受賞。1996年1月、広島・因島公演で1000回を突破し、2012年3月の福島県昭和村公演で1150回となり、最終的には令和5年7月2日、栃木県佐野市での公演にて1223回を数えている。
青木 義朗(あおき よしろう、1929年〈昭和4年〉9月20… 青木 義朗(あおき よしろう、1929年〈昭和4年〉9月20日 - 2000年〈平成12年〉9月3日)は、日本の俳優。東京府荏原郡世田ヶ谷町出身。本名は青木 義郎(読みは同じ)。 1946年、目黒工業高等学校卒業。映画演劇研究所の一期生を経て1959年(昭和34年)にデビュー。その渋いキャラクターで幾多のテレビドラマや映画で脇役ながらも重厚な演技で存在感を示した。特に『特別機動捜査隊』では、波島進に代わる番組の顔、三船剛主任刑事として8年間にわたり出演、青木の代表作となった。杉良太郎からの信頼が厚く、杉の舞台、テレビ作品には共演者としてコンスタントに出演し続けた。 2000年(平成12年)9月3日午前1時、食道静脈瘤破裂のため死去(70歳没)。
草薙 幸二郎(くさなぎ こうじろう、1929年〈昭和4年〉9… 草薙 幸二郎(くさなぎ こうじろう、1929年〈昭和4年〉9月19日 - 2007年〈平成19年〉11月11日)は、日本の俳優。 東京市北豊島郡王子町(現:東京都北区)出身。日本大学文学部哲学科中退。劇団民藝を経て、アクターズカンパニーに所属していた。 長男の草薙仁は俳優で、長女の草薙かおりも元女優。 1941年、巣鴨商業に入学したものの、戦災により、津市立励精商業へ転校して卒業。 戦後、日本大学文学部哲学科へ進学するも中退。 定職もなく過ごすうち、1951年に土方与志の人民演劇集団の移動隊に加わって農漁村を巡回。翌年から本格的に新劇俳優を志して劇団民芸の勉強会に研究生として入団。 1956年から1971年に退団するまで民芸の一員として『郡上の立百姓』『イルクーツク物語』ほかの舞台に立つ。
大塚 国夫(おおつか くにお、1929年〈昭和8年〉8月15… 大塚 国夫(おおつか くにお、1929年〈昭和8年〉8月15日 - 1989年〈平成元年〉6月9日)は、日本の男性俳優、声優。劇団青年座に所属していた。本名は大塚 国男(読み同じ)。 新潟県南魚沼郡石打村(現在の同県南魚沼市)出身。実家は印刷業を経営していた。幼少期から東京で育ち、東京都立九段高等学校卒業後、1953年に俳優座養成所5期生として入り、1956年、養成所卒業とともに劇団青年座に入団。 同年、東宝の稲垣浩監督映画『囚人船』の新人募集に合格し映画デビュー。完成後の同年9月、東宝に入社したため一時問題となったが、そのままの形で多数の作品に出演した。1962年、東宝を退社した後も映画、テレビドラマに多数出演していたが、後年になると青年座を拠点とした舞台活動を中心に活躍するようになり、多数の作品で主演を務めた。
和田 文夫(わだ あやお、1929年7月16日 - 2010… 和田 文夫(わだ あやお、1929年7月16日 - 2010年9月6日)は、日本の男性俳優、声優、舞台制作者。元テアトル・エコー代表取締役社長。 旧芸名は、和田 文雄(読みは同じ)。東京府出身。 東京農工大学農学部卒業。 1946年11月、薔薇座に入団。 『東京哀詩』の浮浪児収容所係員役が初舞台。1948年5月に薔薇座を退団。1954年9月、劇団東芸に入団し、1956年8月まで所属、同年9月にテアトル・エコー入団。1967年から1992年までテアトル・エコー社長。 2010年9月6日、肺炎のため東京都板橋区の病院で死去。81歳没。 和田の死後、持ち役を引き継いだのは以下の通り。 太字はメインキャラクター。
杉 裕之(すぎ ひろゆき、1929年7月1日 - )は、日本… 杉 裕之(すぎ ひろゆき、1929年7月1日 - )は、日本の元俳優。本名同じ。東京都中野区出身。 父は俳優の杉狂児、兄も同じく俳優の杉義一、弟は、元俳優の杉幸彦、甥(義一の息子)は、元俳優の杉欣也。 明星学園高等学校卒業、その後立命館大学に進学。文学座を経て、1963年に劇団雲を設立、同劇団に所属していた。 立命館大学の後輩である長門裕之からは日頃から尊敬され、そのこともあって長門の芸名「裕之」は杉の名に由来している。
加藤 武(かとう たけし、1929年〈昭和4年〉5月24日 … 加藤 武(かとう たけし、1929年〈昭和4年〉5月24日 - 2015年〈平成27年〉7月31日)は、日本の男性俳優、声優。文学座前代表。東京市京橋区(現:東京都中央区)出身。早稲田大学英文科卒業。俳号は「阿吽」。 築地で仲卸業を営む家に生まれる。祖母は十五代目市村羽左衛門の贔屓、両親共に清元節を嗜み、姉は舞踊をやっていた。中央区立泰明小学校、麻布中学校、早稲田大学高等学院卒業。小沢昭一・フランキー堺・仲谷昇・大西信行・なだいなだ・内藤法美は麻布中学校の同級生だった。幼少期より歌舞伎を愛好し、学校を早退してまで歌舞伎座に通っており俳優に憧れていた。 早稲田大学では演劇研究会に入り、ここで映画監督の今村昌平・俳優の北村和夫らと知り合う。
福岡 正剛(ふくおか せいごう、1929年5月16日 - 1… 福岡 正剛(ふくおか せいごう、1929年5月16日 - 1996年2月4日)は、日本の俳優。本名は福岡 正剛(ふくおか まさたけ)。 東京市下谷区(現:東京都台東区)出身。旧制錦城中学校(現:錦城学園高等学校)、鎌倉アカデミア映画科卒業。東映、松竹を経て、清野事務所、さとう事務所に所属していた。 母は女優の福岡君子。妻は福岡幸子(ゆきこ)。 太泉映画、東映、松竹に所属後、クラブを経営。 1996年2月4日、急性心不全のため死去。66歳没。
仲谷 昇(なかや のぼる、本名;仲谷 昇流<なかや の… 仲谷 昇(なかや のぼる、本名;仲谷 昇流<なかや のぼる>、1929年5月4日 - 2006年11月16日)は、日本の俳優である。東京府(現東京都)出身。
小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)… 小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。
武田 国久(たけだ くにひさ、1929年3月26日 - 20… 武田 国久(たけだ くにひさ、1929年3月26日 - 2001年9月21日)は、日本の俳優、声優。東京放送劇団4期生。明治学院大学卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:芸能人)。
犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日… 犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日 - 2023年〈令和5年〉10月26日)は、日本の俳優、ベーシスト。東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区大森)出身。本名は犬塚 弘(いぬづか ひろむ)。 コミックバンド『ハナ肇とクレージーキャッツ』で最後まで存命だった人物であり、昭和・平成・令和と3つの時代にわたって存命していた唯一のメンバーだった。最終所属は境事務所。 生家は代々裁判官の家系であり、江戸っ子の16代目にあたるという。また、元は徳川家康と共に三河から江戸へ出てきた直参の旗本の家柄で、祖父の代まで十数代にわたり現在の第一ホテル東京本館の一帯に居を構えていた大地主だったともいう。
北原 義郎(きたはら よしろう、1929年3月11日 - 2… 北原 義郎(きたはら よしろう、1929年3月11日 - 2022年6月3日)は、日本の俳優、声優である。本名は中野 義雄(なかの よしお)。 北海道室蘭市出身。オーティ企画、西村事務所に所属していた。 日本大学旧工学部(現・日本大学理工学部)卒業。 大学在学中に大映第4期ニューフェイスに合格。1953年『血闘』でデビュー。アクション作品『豹の眼』の主役など二枚目役で活躍した後、渋いバイプレイヤーに転向。実生活では山本富士子の恋人であった。 大映倒産後の1970年代からはテレビドラマに活躍の場を移し、時代劇の悪代官や刑事ドラマの悪徳社長や悪徳弁護士など、主に悪役を演じる。特に、卑屈で狭量な権力者役に持ち味を発揮した。
ロイ・ジェームス(Roy James、1929年3月9日 -… ロイ・ジェームス(Roy James、1929年3月9日 - 1982年12月29日)は、日本のタレント、俳優、コメンテーターである。出生名はハンナン・サファ(タタール語: Габделхәннан Сафа)。1971年に日本国籍を取得し、六条 祐道に改名。1975年に結婚し湯浅姓となる。 1929年3月9日、東京市下谷区(現・東京都台東区)に生まれる。 出自は、ロシア革命後にロシアから日本へと亡命してきたいわゆるカザン・タタール人(カザン・トルコ人)である。父親のアイナン・ムハンマド・サファ(Ainan Muhammad Safa、1898年12月23日 - 1984年1月9日)は、ウラル山脈の西にある都市ペルミ出身で、戦後、東京回教寺院(現在の東京ジャーミイ)の導師イマームを勤めた経験もある人物。
西原 儀一(にしはら ぎいち、1929年2月28日 - 20… 西原 儀一(にしはら ぎいち、1929年2月28日 - 2009年8月16日)は、日本の映画監督、脚本家、プロデューサー、俳優。別名義に関谷四郎、千葉隆志などがある。 1960年代から1970年代にかけて制作された、葵映画での低予算、扇情主義のピンク映画で知られる。「日本で最も低俗な映画作家」、「ヤクザ映画ファンの間でカルト的人気者」と呼ばれた。 1929年2月28日大阪府大阪市に生まれ、愛媛県新居浜市で育つ。1945年に野口拳闘クラブに入門。プロボクサーとして活躍し、1946年には日本フェザー級西日本チャンピオンになる。1947年の佐伯幸三監督の大映映画『鉄拳の街』でボクサー役を演じたこのことがきっかけで1949年大映東京撮影所の助監督試験を受けて合格。
早崎 文司(はやさき ぶんじ、1929年2月13日 - 19… 早崎 文司(はやさき ぶんじ、1929年2月13日 - 1996年3月28日)は、広島県出身の俳優。 1954年、宝塚新芸座に入る。星野事務所所属。 1950年代から関西の映画、舞台、テレビに出演していた。古くから交流のあった夢路いとし・喜味こいしには「あごなし」とあだ名を付けられていた。 1979年に放送がスタートした『3年B組金八先生』では神経質で事なかれ主義の管理職として野村孝一郎教頭役(第4シリーズでは校長)で当たり役を得る。金八先生に小言を言うシーンはドラマの名シーンとなり、実生活でタクシーに乗った際に運転手から「あんまり金八さんをいじめないでよ」と言われた。 第4シリーズ放送時には体調を崩しており、病気がちという設定で補聴器をつけながら出演した。
フランキー堺(、1929年〈昭和4年〉2月13日 - 199… フランキー堺(、1929年〈昭和4年〉2月13日 - 1996年〈平成8年〉6月10日)は、日本のコメディアン、俳優、ジャズドラマー、司会者。 鹿児島県鹿児島市出身。本名は堺 正俊()。慶應義塾大学法学部卒業。 鹿児島市車町(現在の上本町の一部)出身。父親は鹿児島の士族の家系の出身。明治・大正時代に活躍し、映画『ノンキナトウサン』の主役としても知られる曾我廼家五九郎とは親戚に当たる。 小学校在学中はボーイソプラノの歌い手として注目され、合唱団としてNHK鹿児島放送局のラジオ番組に出演した。 一家で東京市大森区池上へ引越し、池上第二小学校、私立麻布中学校を経て、慶應義塾大学法学部卒業。中学時代の同級生には小沢昭一、加藤武が、他の同級生にはなだいなだ、内藤法美、仲谷昇、大西信行らがいた。
福山 象三(ふくやま しょうぞう、1929年2月3日 - 1… 福山 象三(ふくやま しょうぞう、1929年2月3日 - 1996年10月2日)は、日本の俳優、演出家。本名及び別名義は福山 博寿(1954年から1966年頃まで使用)。別名義は福山 升三(1986年から1995年頃まで使用)、日本俳優連合理事。 鹿児島県出身。関西工業専門学校(後の関西大学工学部)卒業。生前は松竹芸能、東京アーチストプロを経て、芸峰制作、中里事務所に所属していた。 NHK大阪放送劇団出身。 数々の刑事ドラマ、時代劇、特撮作品で、主に悪役を演じた。 1996年10月2日4時13分、胸腹部大動脈瘤破裂のため、死去。67歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
菅沼 赫(すがぬま かく、1929年1月24日 - )は、日… 菅沼 赫(すがぬま かく、1929年1月24日 - )は、日本の俳優。東京都北区出身。旧芸名菅沼 赫二、本名は滝口角治。
村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月1… 村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月17日 - 2002年(平成14年)6月13日)は、日本の演歌歌手、俳優。佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)である。本名:梶山 勇。血液型はAB型。新栄プロダクションに所属していた。愛称は、ムッチー。 浪曲で鍛え上げた歌声と男らしい風貌、世界観を持ち味に、戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を代表する歌手の一人である。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)に、二代目広沢虎吉の弟子であった実父・広沢仙遊(本名・近藤官七)、やはり浪曲師であった実母・矢野ツタ子の子として生まれる。生後まもなくツタ子の姉弟子である出利葉スミ子の養子となる。
神山 繁(こうやま しげる、1929年1月16日 - 201… 神山 繁(こうやま しげる、1929年1月16日 - 2017年1月3日 )は、日本の俳優。広島県呉市出身。オフィス佐々木所属。海軍経理学校卒業。元妻は女優の文野朋子(1987年に死別)。晩年は京都府に在住していた。
中島 春雄(なかじま はるお、1929年〈昭和4年〉1月1日… 中島 春雄(なかじま はるお、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 2017年〈平成29年〉8月7日)は、日本の俳優、スーツアクター、スタントマン。愛称は春ちゃん。山形県酒田市出身。趣味・特技は水泳、潜水、スキューバ・ダイビング、柔道。 実家は食堂を兼ねた肉屋で、5人兄弟の三男(末子)だった。水泳・素潜りが得意で、のちのゴジラ役では大いにこれが役立った。三男坊で家業は継げず、父親の死去や中学受験に失敗したことなども重なり、小学校卒業後に横須賀へ移る。 1943年(昭和18年)、14歳で横須賀の海軍航空技術廠の養成所に入る。 1944年(昭和19年)、養成員(予科錬)となり、航空母艦信濃の発着機部(カタパルト担当)配属となる。
村上 允俊(むらかみ まさとし、1929年 - )は、俳優、… 村上 允俊(むらかみ まさとし、1929年 - )は、俳優、レポーター。
吉沢 京夫(よしざわ たかお、1929年 - 1999年10… 吉沢 京夫(よしざわ たかお、1929年 - 1999年10月27日)は、日本の演出家、俳優、映画プロデューサーである[4][5][6][7][8][9][10][11]。旧漢字表記吉澤 京夫。劇団京の創立者・初代代表(1988年 - 1999年)[12]。大島渚監督の『日本の夜と霧』への出演、若松孝二監督の『壁の中の秘事』での共同脚本・主演で知られる[4][5][6][7][8][9][10]。
佐藤 慶(さとう けい、1928年〈昭和3年〉12月21日 … 佐藤 慶(さとう けい、1928年〈昭和3年〉12月21日 - 2010年〈平成22年〉5月2日)は、日本の俳優、ナレーター。福島県会津若松市生まれ。本名:佐藤 慶之助(さとう けいのすけ)。 佐藤家は先祖代々会津藩士で、戊辰戦争に敗れて以降は漆器材料の卸商を営んでいた。また、二・二六事件に参加し刑死した渋川善助の妻絹子は叔母。 福島県立会津工業学校(現・福島県立会津工業高等学校)染織科卒業後、会津若松市役所戸籍係に勤務するかたわら、地元で結成した新劇愛好会で演劇に打ち込んでいたが、会の発表会の日に無断欠勤をして役所を免職されたという「根っからの新劇人」。 その後1951年に上京し、俳優の小沢栄太郎の芝居を見て、「ふてぶてしいまでに人間の暗い面を表現している」と憧れた。
下川 辰平(しもかわ たっぺい、本名;下川 辰典<しも… 下川 辰平(しもかわ たっぺい、本名;下川 辰典<しもかわ ときふみ>、1928年12月11日 - 2004年3月25日)は、日本の俳優。福岡県福岡市出身。武蔵野美術大学中退。
伊吹 聰太朗(いぶき そうたろう、1928年12月5日 - … 伊吹 聰太朗(いぶき そうたろう、1928年12月5日 - 1998年8月5日)は、東京都新宿区生まれ、北海道夕張市育ちの俳優。本名は、羽島 真佐典(はじま まさのり)。別芸名は伊吹 聡太朗・伊吹 総太朗・伊吹 聡吾朗。他に伊吹 聡太郎・伊吹 総太郎・伊吹 聰太郎・伊吹總太朗などの別表記あり。 北海道立夕張高等学校卒。劇団新国劇の島田正吾に師事し同劇団に入団。俳優・殺陣師として37年間在籍。後に松竹新喜劇に7年在籍の後、フリーとなる。時代劇では得意の居合いを生かし、凄腕の剣客・刺客・悪徳商人などの役を数多く演じた。1998年8月5日、肝臓癌により死去。69歳没。 俳優・殺陣師の伊吹謙太朗(いぶき けんたろう、1960年11月22日〜)は長男。
ダーク大和(ダークやまと、1928年11月1日 - 1991… ダーク大和(ダークやまと、1928年11月1日 - 1991年8月10日、本名:長谷川 卓三)は日本の奇術師、司会者、役者。「奇術界の玉三郎」のニックネームで知られる。日本奇術協会副会長。 島根県鹿足郡六日市町(現・吉賀町)生まれ。その後広島に移住し、父の仕事(鍛冶屋)を手伝う最中、原爆投下により被爆者となる。芸能好きの一家に育った大和は父の勧めで芸人となり、戦後は大衆演劇の大部屋俳優として辛酸を舐める。 1949年、師と慕う漫才師大和家八千代、酒井儀二郎を追って上京。この時「長谷川とんぷく」という芸名を名乗っていたが、師匠のアドバイスにより「ダーク大和」と改名。「ダーク」は暗い世相を反映して、大和は師匠に当たる大和家の屋号の一部を取って付けられたものであった。
牟田 悌三(むた ていぞう、1928年10月3日 - 200… 牟田 悌三(むた ていぞう、1928年10月3日 - 2009年1月8日)は、日本の俳優、社会福祉活動家である。東京都出身。麻布高校、北海道大学農学部卒業。村上事務所所属。劇団テアトル・エコーの創設メンバー。
横森 久(よこもり ひさし、1928年9月10日 - 198… 横森 久(よこもり ひさし、1928年9月10日 - 1981年4月18日)は、日本の俳優、声優。妻は女優の川口敦子。 東京府豊多摩郡杉並町(現東京都杉並区)出身。劇団俳優座に所属していた。 早稲田大学第一文学部卒業後、劇団俳優座養成所に第2期生として入団。同期には小林昭二、滝田裕介などがいる。1953年の卒業と同時に正式に俳優座に入団。舞台の傍ら映画、テレビにも出演するようになり、インテリタイプの悪役として注目され、悪役を演じる機会が多くなっていった。また、アニメ、洋画吹き替えなど声優としても活動した。ジェームズ・メイソンの声を吹き替えることが多かった。 川口敦子とは1957年に結婚し、一女がいた。
田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31… 田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31日 - 2006年〈平成18年〉5月16日)は、日本の俳優、田村高広と表記されることもある。阪東妻三郎の長男。弟は田村俊磨(元マネージャー、株式会社タムサプライヤ元社長)、俳優の田村正和、田村亮、田村兄弟の長男である。夫人は日本舞踊家の花柳駒。異母弟に俳優の水上保広がいる。京都府京都市出身。身長170cm。後年は世田谷区三宿に住んでいた。 京都府京都市出生、東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。京都府立京都第三中学校(現・京都府立山城高等学校)、同志社大学経済学部卒業。京都三中在学中に、動員学徒として愛知県の中島飛行機半田製作所で働いた経歴を持つ。
安井 昌二(やすい しょうじ、1928年8月16日 - 20… 安井 昌二(やすい しょうじ、1928年8月16日 - 2014年3月3日)は、日本の俳優。本名:四方 正雄(よも まさお)。旧芸名は四方正夫。「劇団新派」所属。 東京府出身。日本大学法文学部中退。長谷川一夫主宰の劇団・新演伎座、俳優座養成所(3期)を経て、活動再開まもない日活映画の専属俳優となり『月は上りぬ』(1955年、田中絹代監督)で映画デビューを果たす。これを機に芸名を四方正夫から、役名の「安井昌二」へと改名した。1956年に市川崑監督の映画『ビルマの竪琴』の主役・水島上等兵を演じたことで一躍人気を得る。1960年代以降はテレビや舞台へと活動拠点を移し、妻・小田切みきと二人の娘四方正美、四方晴美と夫婦親子役で出演した『パパの育児手帳』『チャコちゃん』などでお茶の間においても人気者となった。
荒井 注(あらい ちゅう、1928年〈昭和3年〉7月30日 … 荒井 注(あらい ちゅう、1928年〈昭和3年〉7月30日 - 2000年〈平成12年〉2月9日)は、日本のコメディアン、俳優。ザ・ドリフターズ元メンバー。東京都出身。本名は荒井 安雄(あらい やすお)。 四谷にて生まれる。家は料亭を営んでいた。旧制日本学園中学校を経て、立教大学文学部宗教学科を中退後、二松學舍大学文学部国文学科卒業。 大学卒業後は脚本家を目指しながら、音楽バンドグループ『クレージーウエスト』のバンドマンを務めていた。なお、二松學舍大学在学中に中学と高校の教員免許(高校の科目は国語)を取得したことから、同大学卒業後に教師を務めたことがあるとの文献もあるが、真偽は不明である。芥川龍之介や太宰治を愛読する文学青年という一面もあった。
日恵野 晃(ひえの あきら、1928年7月20日 - 没年不… 日恵野 晃(ひえの あきら、1928年7月20日 - 没年不詳[要出典])は、日本の俳優。本名は同じ。 東京府東京市(現:東京都)出身。学習院大学卒業。新倉事務所に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
沖 竜太(おき りゅうた、1928年7月12日 - )は、日… 沖 竜太(おき りゅうた、1928年7月12日 - )は、日本の俳優。東京府東京市淀橋区西大久保で生まれる。旧漢字表記は沖 龍太。 鎌倉アカデミア演劇科卒業。東京俳優学校ラジオ科卒業。1949年、ムーランルージュ新宿座にて初舞台。1954年に浅草ロック座に移り、ストリップ劇のオカマ役や三枚目役を主に演じていた。1955年にラジオ東京放送劇団の4期生となり、テレビ劇団員となる。1960年にフリーランスとなり、全音プロに所属していた。 三枚目的な役柄から子供のファンが多かったとされる。特徴的な声をしていたことから、声優としても活動していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
梅津 栄(うめづ さかえ、1928年〈昭和3年〉7月5日 -… 梅津 栄(うめづ さかえ、1928年〈昭和3年〉7月5日 - 2016年〈平成28年〉8月6日)は、日本の俳優。富山県下新川郡泊町(現・朝日町)出身。身長167cm、体重80kg。本名:梅津 榮(うめづ しげる)。元同人会ミヤプロ、ヒトメディア所属、晩年は芸能事務所DualProduction所属であった。 富山県下新川郡泊町(現・朝日町)出身。 富山県立富山工業学校(現在の富山県立富山工業高等学校)機械科を卒業。 父を亡くし、紡績工場に勤めるが、1951年に俳優を志して上京、舞台芸術学院入学(2期生)。その後、木村功の付き人になる。俳優を目指した動機は「桂木洋子に憧れ、ひょっとしたら共演できるんじゃないかと思ったため」と述べている。
加藤 春哉(、1928年〈昭和3年〉6月22日 - 2015… 加藤 春哉(、1928年〈昭和3年〉6月22日 - 2015年あるいは2016年)は、日本の子役、俳優、声優。 東京市麻布区(現:東京都港区)出身。1946年3月 旧制鎌倉中学校(現鎌倉学園)卒業。築地小劇場、劇団東童、東宝、新東宝(現:国際放映)、東京映画の専属俳優として活動していた。1950年『雪夫人絵図』でデビュー。気弱な人物の役を得意としていた。また、コミカルな役柄も多い。 晩年は俳優活動を引退していたが、2009年に神奈川県川崎市麻生区にある「シネマバー ザ・グリソム ギャング」で行われた『ゴジラ』×『地球防衛軍』の上映会およびトークショーに中島春雄と共に出席した。
金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 -… 金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 - 2009年3月31日)は、日本の俳優。本名は同じ。1970年頃までは異体字で表記された金田竜之介名義の作品もある。血液型はA型。三男は俳優の金田拓三。過去の出演作品については、金田 龍之介権利継承者である満里子夫人から、オフィス天童に委任されている。
村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2… 村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2023年11月29日)は、日本の俳優・タレントである。本名は深浦 不二夫。 旧芸名は三村 恭二、三村 俊夫。 東京都出身。旧制日大三中・明治大学商学部卒。新東宝に入社後、1954年に映画『月の光』で俳優デビュー。『遊星王子』(1958年、NTV) の遊星王子 / ワクさん役で有名。 大映を経て、テレビ朝日『アフタヌーンショー』などワイドショー・情報番組のレポーターとして活躍。 1992年7月から9月までテレビ朝日『お昼の独占!女の60分』のメイン司会を担当した。 その後も情報番組のコメンテーター、講演や執筆活動などで活躍している。 2020年2月21日放送のテレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』日本の景気を考えるのコーナーで当時84歳の干しイモ製造の男性が出演。
臼井 正明(うすい まさあき、1928年5月8日 - 201… 臼井 正明(うすい まさあき、1928年5月8日 - 2016年11月23日)は、日本の俳優、声優。 東京市大森区出身。芝区赤羽小学校(現港区立赤羽小学校)で児童文学作家の中村博と同級生になり、東京府立第五中学校では、澁澤龍彥、脚本家の松木ひろしと同級生になった。なお、澁澤龍彦とは大人になってからも交遊があった。 1946年に東京放送劇団2期生になる。ラジオドラマ全盛期に活躍し、『君の名は』などに出演した。同作が縁となり、1954年に東京放送劇団1期生の七尾伶子と結婚。『君の名は』の作者の菊田一夫が仲人となった。この当時、雑誌等では「声優界の池部良」と称されていた。1956年、息子が生まれる。 その後1959年に東京放送劇団を退団し、劇団手織座に入団。
立川 恵三(たちかわ けいぞう、1928年5月1日 - )は… 立川 恵三(たちかわ けいぞう、1928年5月1日 - )は、日本の男性俳優、声優。劇団東童、東京芸術座に所属していた。東京都立京橋商業高等学校卒業。
今泉 洋(いまいずみ ひろし、1928年4月30日 - 20… 今泉 洋(いまいずみ ひろし、1928年4月30日 - 2002年7月)は、日本の俳優である。中部日本放送(現在のCBCラジオおよびCBCテレビ)の元アナウンサーから中部日本放送放送劇団1期生を経て、映画俳優に転身した。本名は池田 典雄(いけだ のりお)。 1928年(昭和3年)4月30日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。 東京市滝野川区(現在の北区中里)にあった旧制中学校・聖学院中学校(現在の聖学院高等学校)に進学したが、在学中の1944年(昭和19年)前後の満16歳前後の時期に少年航空兵を志願し、日本統治時代の朝鮮に渡った。1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦の終戦を迎えた後は翌春に青山学院大学に入学した。
砂川 繁視(すながわ しげみ、1928年〈昭和3年〉4月29… 砂川 繁視(すながわ しげみ、1928年〈昭和3年〉4月29日 - )は、日本の元俳優である。島根県那賀郡出身。 中学校卒業後、1950年(昭和25年)4月に演技協社に入り、後に東宝へ入社する。以後、東宝特撮を中心に多くの作品に出演したが、あまり目立たない役が多く、クレジットされることも少なかった。彫りの深い顔立ちが特徴。 1971年以降、映画出演の記録がない。
石垣 守一(いしがき もりいち、1928年4月8日 - 没年… 石垣 守一(いしがき もりいち、1928年4月8日 - 没年不明)は、日本の俳優。北海道和寒町出身。本名は中塩 幸雄。 1935年、和寒町立和寒小学校に入学し、6年生時に歌志内市に転居。 1951年、東洋大学経済学部経済科に入学。大学在学中から演劇サークルで活動しながら演劇学校で演技を学ぶ。大学卒業後の1956年4月、劇団手織座に入団。1962年12月、『どん底』のクレーシチ役で劇団演技賞を受賞した。 劇団では総務と制作を担当し幹部俳優として活躍した。
宮川 洋一(みやがわ よういち、1928年3月28日 - 2… 宮川 洋一(みやがわ よういち、1928年3月28日 - 2001年3月19日)は、日本の俳優、声優。北海道釧路市出身。 北海道釧路湖陵高等学校卒業、早稲田工手学校中退。 緑ヶ丘音楽舞踊学校、劇団言葉座、劇団新作座、衣笠プロ、テレビ8プロ、グループりんどうを経て、1964年、劇団東芸に入団。その後は演劇舎燦、エー・アンド・イーなどに所属していた。 洋画の吹き替えで知られ、ウィルフォード・ブリムリーやリチャード・アッテンボローなどを担当したほか、『ウルトラセブン』のマナベ参謀役など特撮ドラマの実写作品にも出演。東宝や石原プロモーション製作の刑事ドラマへの出演も数多い。 2001年3月19日死去。72歳没。
関 敬六(せき けいろく、本名:関谷 敬二(せきや けいじ)… 関 敬六(せき けいろく、本名:関谷 敬二(せきや けいじ)、1928年3月25日 - 2006年8月23日)は、日本のコメディアン、俳優、声優。栃木県足利市出身。 1945年3月旧制栃木町立栃木商業学校(現・栃木県立栃木商業高等学校)を卒業して、陸軍特別幹部候補生として入隊するも、終戦で除隊。その後、法政大学政治経済学部に入学、1951年最後の旧制大学専門部を卒業した。 浅草の税務署に勤務していたが、出征中に演じた素人芝居が忘れられずに仕事をさぼって度々喜劇の舞台に出演するようになる。榎本健一のエノケン劇団を経て、浅草フランス座に所属した。当時は渥美清や谷幹一と出会い、三人で下積み時代を支えあった。
渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 … 渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 - 1996年〈平成8年〉8月4日)は、日本のコメディアン、俳優、歌手。本名:田所 康雄(たどころ やすお)。 代表作『男はつらいよ』シリーズで、柴又育ちのテキ屋で風来坊の主人公「車 寅次郎」を演じ、「寅さん」として広く国民的人気を博した昭和の名優。 没後に国民栄誉賞を受賞している。 1928年3月10日、東京府東京市下谷区(現:台東区下谷)で、地方新聞の記者をしていた父・友次郎と、元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母・タツとの間に次男として生まれる。兄・健一郎がいる。 1934年11月、板橋尋常小学校に入学。1936年、一家で板橋区志村清水町に転居し、志村第一尋常小学校へ転入。
土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 … 土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 - 1986年〈昭和61年〉1月21日)は、日本の舞踊家、振付家、演出家、俳優。暗黒舞踏の創始者として、国際的に知名度の高い舞踊家である。 『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』土方巽 著、吉増剛造 筆録(書肆山田、1992年) あんま(1963年・2007年、白黒、20分) バラ色ダンス(1965年・2007年、白黒、13分)
榎木 兵衛(えのき ひょうえ、1928年3月1日 - 201… 榎木 兵衛(えのき ひょうえ、1928年3月1日 - 2012年12月29日)は、日本の俳優。本名は榎本 兵衛。三重県出身。 1951年に東映京都に入社し、本名の榎本兵衛名義で若干のキャリアを積む。1956年より日活に所属し、1970年代まで脇役・端役として膨大な数の映画に出演。その本数は計り知れず、日活映画では最多出演を誇る俳優といわれる。アクション系作品では個性的な悪役として活躍し、石原裕次郎ら大スターを相手に数々の演技を残した。 1974年に日活を退社し、以降はテレビドラマや舞台に活動の場を広げつつ、東映を中心に他社の映画にも出演。 1971年秋の日活ロマンポルノ誕生後は一時期、木夏 衛(きなつ まもる)名義での出演作もある。
大屋 満(おおや みつる、1928年3月1日 - )は、日本… 大屋 満(おおや みつる、1928年3月1日 - )は、日本の俳優。神奈川県鎌倉市出身。松竹、東宝、日劇ミュージックホール、川上事務所に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。