福井 豊治(ふくい とよはる、1943年 - 1994年7月… 福井 豊治(ふくい とよはる、1943年 - 1994年7月12日)は、日本のフリーアナウンサー。岡山県出身。 東京経済大学経済学部卒業後、1967年に中部日本放送入社。同局では主に中日ドラゴンズ戦中継の実況を担当していた。 1983年にテレビ愛知が開局したその翌年、東海ラジオのアナウンサーだった亀関開とともにアナウンサーユニオン(現社名は株式会社エイ・ユウ)を設立し、テレビ愛知の契約アナウンサーとなってドラゴンズ戦ナイターの実況を担当した。その後、テレビ東京『スポーツTODAY』のキャスターに就任。降板後もフリーアナウンサーとして、プロ野球や競輪などの中継で活躍した。 1994年7月12日23時(午後11時)頃、高校野球の実況のために和歌山県へ出張していた際に、脳出血により県内のホテルで急死した。
行宗 蒼一(ゆきむね そういち、1943年 - )は、マルチ… 行宗 蒼一(ゆきむね そういち、1943年 - )は、マルチジャーナリスト、元NHKアナウンサー。1980年代にNHKを退職し内部告発した著作『NHKはもういらない!』を出版したことで知られる。 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、1966年に日本放送協会(NHK)へ入局。 NHKではアナウンサーとして、初任地の下関放送局(現:下関支局)を皮切りに、釧路局を経て前橋局に赴任。前橋局ではNHK-FMのローカル番組『TPリクエストアワー』でディスクジョッキーを務め、NHKらしからぬDJぶりを披露して話題となった。1981年、山形局に転勤。 翌1982年8月にNHKを退職してフリーとなる。同年10月1日に『NHKはもういらない!』を刊行、1984年4月22日に雑誌『話の特集』臨時増刊『さよなら さんかく NHK』を編集し、NHK批判を展開する。
内藤 勝人(ないとう かつと、1942年12月8日 - 20… 内藤 勝人(ないとう かつと、1942年12月8日 - 2019年12月8日)は、元NHKアナウンサー。 詳細は基礎情報を参照。東京都立九段高等学校を経て東京大学卒業後入局。入局後は初任地以外は主に大相撲開催地での勤務が多かった。1976年頃よりテレビの幕内実況を担当するようになった。また、年齢が非常に近かった山田康夫が1990年に急逝して以降は、ベテランアナウンサーが相次いで引退したり、実況機会が減少したことに伴い、大相撲の看板アナウンサーの一人となる。特に1990年から2002年九州場所にかけては、石橋省三や藤井康生、緒方喜治らと共に、初日や中日、千秋楽をほぼ全ての場所で担当していた。 現役時代はスポーツアナウンサーとして活躍したが、特に大相撲担当として親しまれた。
大林 宏(おおばやし ひろし、1942年(昭和17年)11月… 大林 宏(おおばやし ひろし、1942年(昭和17年)11月16日 - )はフジテレビの元アナウンサー・元解説委員。岡山県出身。 小篠菊雄1962 / 鳥居滋夫1963-1973 / 大林宏1974、1976 / 盛山毅1975、1977-1984 / 大川和彦1985-1987 / 堺正幸1988-1993、1998 / 三宅正治1994-1997、1999 / 塩原恒夫2000-2005 / 青嶋達也2006-2012、2019-2021 / 吉田伸男2013-2015 / 福永一茂2016-2017 / 倉田大誠2018、2022、2026-現在 / 谷岡慎一2023 / 立本信吾2024-2025 小篠菊雄1962 / 鳥居滋夫1963-1971、1973 / 盛山毅1972、1975、1980-1982 / 大林宏1974、1976-1979 / 大川和彦1983-1984 / 堺正幸1985-1988 / 三宅正治1989-1995 / 塩原恒夫1996-2003 / 青嶋達也2004、2006-2007 / 吉田伸男2005、2008-2012、2015 / 福原直英2013-2014、2016-2017 / 倉田大誠2018、2020 / 立本信吾2019、2021-2023 / 谷岡慎一2024-2025 / 酒主義久2026-現在 鳥居滋夫1963-1969、1971 / 盛山毅1970、1972-1973、1976、1980-1981 / 大林宏1974-1975、1977-1979 / 大川和彦1982-1984 / 堺正幸1985、1987-1990 / 向坂樹興1986 / 三宅正治1991-1994、1996-1997 / 塩原恒夫1995、1998-2005、2015 / 青嶋達也2006、2008-2011 / 吉田伸男2007、2012-2014 / 倉田大誠2016-2017、2019-2020 / 立本信吾2018、2022-2024 / 福原直英2021 / 谷岡慎一2025 /
門田 洋子(かどた ようこ、1942年(昭和17年)10月5… 門田 洋子(かどた ようこ、1942年(昭和17年)10月5日 - )は、日本のアナウンサー。元徳島文理大学音楽学部教授。 愛媛県松山市。高知女子大学文学部英文学科卒業。 愛媛県北条市(現:松山市)で生まれ、学生時代から高知放送劇団員として活動、これを続けていくうちにアナウンサーに憧れて目指すようになる。 高知女子大学(現・高知県立大学)文学部英文学科を卒業し、大学卒業後の1965年(昭和40年)に南海放送に入社。 南海放送でテレビやラジオのアナウンサーを務め、1974年(昭和49年)に退社。その後、BS21ブライダルサービス取締役に就任し、南海放送ではラジオプレゼンターを務めた。また2013年(平成25年)からはエンディングカウンセラーとして活動を行う。
大澤 宏一(おおさわ こういち、1942年9月28日 - )… 大澤 宏一(おおさわ こういち、1942年9月28日 - )は、北海道釧路市生まれの元札幌テレビ放送(STV)、現・フリーアナウンサー、ラジオパーソナリティ。北海道アナウンス学院特別講師。
阪本 時彦(さかもと ときひこ、1942年〈昭和17年〉9月… 阪本 時彦(さかもと ときひこ、1942年〈昭和17年〉9月22日 - 2020年〈令和2年〉)は、元毎日放送アナウンサー・フリーアナウンサー。愛称は「時さん」。 東京府東京市浅草区(現・東京都台東区)出身。1965年に日本大学卒業後、毎日放送へ入社。同期入社に吉田智子がいる。また道上洋三は大学の同期に当たる。 MBSラジオの生ワイド番組でパーソナリティを担当したアナウンサーの草分け的存在。特に、ABCラジオの『おはようパーソナリティ中村鋭一です』に対抗する目的で平日の早朝に開始した『おはようリスナー阪本時彦です』では、中村のように阪本の主張や個性を押し出そうとした。しかし、この路線にはMBSの局内で議論があったばかりか、阪本本人も「ふっきれない部分を抱えたまま船出した」という。
中根 幹夫(なかね みきお、1942年9月14日 - )は、… 中根 幹夫(なかね みきお、1942年9月14日 - )は、日本のアナウンサー。 東京都大田区出身。1965年に日本大学卒業後、山形放送へ入社した。1967年11月に日本短波放送(現在の日経ラジオ社、愛称はラジオNIKKEI)へ入社した。白川次郎は大学の3年後輩にあたる。1968年に長岡一也と入れ替わりで大阪支社へ異動したが、1974年3月をもって同じく白川と入れ替わりに東京本社へ復帰した。アナウンサーとして主に中央競馬実況中継を担当し、シンボリルドルフの有馬記念やタマモクロスの天皇賞(秋)など数々のGIレースを実況した。競馬マスコミに携わる傍らで、プロ野球・サッカー・モータースポーツ・競艇などの実況を担当した。
遠藤 卓(1942年9月 - )は、元福島テレビアナウンサー… 遠藤 卓(1942年9月 - )は、元福島テレビアナウンサー。 青山学院大学卒業後、1967年に入社。 制作部長、事業部長、関連会社出向などを経て、2002年9月で定年退職。
桐本 幸子(きりもと さちこ、1942年7月9日 - )は、… 桐本 幸子(きりもと さちこ、1942年7月9日 - )は、日本のアナウンサー。 東京都出身。慶應義塾大学文学部卒業。血液型A型。 1965年4月、TBSに第10期生アナウンサーとして入社(同期には今村稔・小川哲哉・車尾具昭・五味陸仁・多田護・奈良陽・手塚俊子・本田綾子)。組織変更に伴いラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部に勤務(1966年1月28日)、アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部に勤務(1967年11月15日)。その後、1968年6月、ラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付、1969年3月、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付、1970年7月、ラジオ本部アナウンス室、1989年1月、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ラジオワイド部、1991年5月、アナウンスセンターにそれぞれ在籍し、ラジオ番組に『全国こども電話相談室』や『ラジオ図書館』を、テレビ番組に『CBSイブニングニュース』等の出演を務めていた。
斎藤 努(さいとう つとむ、1942年6月26日 - )は、… 斎藤 努(さいとう つとむ、1942年6月26日 - )は、毎日放送の元アナウンサー・テレビプロデューサー、フリーアナウンサー。 羽衣国際大学名誉教授[要出典]。ブラザーナイト初期提唱者。「平松邦夫の公共政策ラボ」PPL-100人委員会呼びかけ人。 東京都出身。東京都立千歳高等学校から日本大学芸術学部へ進学。大学卒業後の1966年に、アナウンサーとして毎日放送へ入社した。同期のアナウンサーには、水谷勝海がいる。また、アナウンサー時代に、『アップダウンクイズ』(MBSテレビ)の出題役として知られた佐々木美絵(出演当時は毎日放送アナウンサー、現在はフリーアナウンサー・羽衣国際大学教授)と結婚している。
吉田 智子(よしだ ともこ、1942年5月25日 - 200… 吉田 智子(よしだ ともこ、1942年5月25日 - 2009年9月2日)は、毎日放送(MBS)出身のフリーアナウンサー、ナレーターである。囲碁界に一門を成す木谷実九段の四女である。MBS定年退職後は、個人事務所の吉田智子事務所所属。 神奈川県平塚市出身。神奈川県立平塚江南高等学校を経て、慶應義塾大学文学部を卒業後、1965年に毎日放送(MBS)入社。同期に阪本時彦、志風洋子(旧姓・阿部)がいる。 先輩の小堀豊子と同様テレビでの露出は非常に少なく(『あどりぶランド』に出演する程度)、主にナレーションを中心に担当。MBSの用語委員を長年に渡り務める傍らチーフアナウンサーとして後進の教育に携わり、若手アナウンサーから「お母ちゃん」的な存在として親しまれた[要出典]。
高嶋 秀武(たかしま ひでたけ、1942年〈昭和17年〉4月… 高嶋 秀武(たかしま ひでたけ、1942年〈昭和17年〉4月17日 - )は、フリーアナウンサー、ラジオパーソナリティー。 神奈川県横須賀市出身。小学5年の時、父が事故死した。1961年3月、神奈川県立横須賀高等学校卒業。 1965年3月、明治大学政治経済学部政治学科卒業後の同年4月、ニッポン放送に入社。入社同期は梶幹雄。元々はスポーツアナウンサー志望だったが、編成制作部に配属。1966年1月、志望していたスポーツ部に異動し、主にスポーツ番組を担当。東京オリオンズ、東映フライヤーズ、大洋ホエールズ、読売ジャイアンツの担当として取材活動もしていた。その他に1972年札幌オリンピックの実況も担当した。
宇野 淑子(うの よしこ、1942年3月18日 - )は、日… 宇野 淑子(うの よしこ、1942年3月18日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、女優。 東京都立川市出身。戦争疎開で岡山県に移住し、高校卒業まで岡山市(旧都窪郡吉備町)で送る。東京教育大学卒業後、1964年4月、TBSにアナウンサー9期生として入社(同期に石川顯、大沢悠里、小島康臣、平原晋太郎、桝井論平、高階玲子、二村義子、山田照子、吉野好子)。1966年1月、ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部。1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴いラジオ局第一制作部勤務者兼アナウンサー研修室付に。1969年3月、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付、1970年7月、ラジオ本部アナウンス室、1989年1月、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ニュース・情報センター部、1991年5月、アナウンスセンター兼ラジオ制作局にそれぞれ配属。
小川 哲哉(おがわ てつや、1942年2月24日 - )は、… 小川 哲哉(おがわ てつや、1942年2月24日 - )は、日本のアナウンサー、司会者、ナレーター。 東京府(現東京都)出身。早稲田大学政経学部卒業。声質は重厚感のあるバリトン。 1965年4月、TBSにアナウンサー第10期生として入社(同期には今村稔・車尾具昭・五味陸仁・多田護・奈良陽・桐本幸子・手塚俊子・本田綾子)。また、一年先輩の石川顕・宇野淑子は同学年の同僚。ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部兼報道局ニュース取材部に勤務(1966年1月)。アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部に勤務(1967年11月15日)。その後、ラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付(1968年6月)、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付(1969年3月)、ラジオ本部アナウンス室(1970年7月)にそれぞれ在籍。
牧港 襄一(まきみなと じょういち、1942年2月20日 -… 牧港 襄一(まきみなと じょういち、1942年2月20日 - )は、沖縄放送協会(OHK)、NHKの元アナウンサー。 沖縄県立那覇高等学校、東京経済大学出身。1972年5月15日、沖縄返還に伴うNHKへの事業継承により、NHK所属となった。 50歳過ぎに沖縄局に戻り、2002年に嘱託職、2007年4月以降も與那嶺紗希子の退職などで沖縄県出身のアナウンサー不在に伴い、2010年3月まで専属。 父親の牧港篤三は、第二次世界大戦中、戦後の新聞人として活躍。その遺志を継ぎ、沖縄戦の経験を語り継ぐ活動に取り組んでいる。またNHKの仕事を終えた後、NHK時代の経験から「モノレールはがおじい・おばあにとってはホームへの上がり降りが大変なので沖縄にも路面電車が必要だ」との考えに至り、「トラムで未来をつくる会」の活動に参加、その副会長に就任。
飛鳥井 雅和(あすかい まさかず、1942年〈昭和17年〉2… 飛鳥井 雅和(あすかい まさかず、1942年〈昭和17年〉2月12日 - )は、KBS京都の元アナウンサー。血液型はB型。ニュース・スポーツ・情報番組などを幅広く担当していた。 現在はフリーアナウンサーとして活動している。 旧公家にして伯爵を叙された飛鳥井一族の一人として誕生する。出身地は横浜市。 1945年(昭和20年)、母方の親戚があった岐阜県に疎開し、少年時代を過ごす。 1960年(昭和35年)4月、立命館大学法学部に入学する。立命館大学放送局(RBC)に入り、その後局長に就いた。 1964年(昭和39年)3月、大学を卒業する。同年4月、京都放送のアナウンサーとして入社する。 2002年(平成14年)2月28日、定年退職。
永島 信道(ながしま のぶみち、1942年2月9日 - )は… 永島 信道(ながしま のぶみち、1942年2月9日 - )は、共同テレビジョン所属のフリーアナウンサー兼アナウンス講師。東京都出身。星座は水瓶座。血液型はB型。趣味・特技はゴルフ、旅行、音楽鑑賞。
福留 功男(ふくとめ のりお、1942年(昭和17年)1月2… 福留 功男(ふくとめ のりお、1942年(昭和17年)1月28日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ニュースキャスター、エグゼクティブ・プロデューサー。元日本テレビ エグゼクティブアナウンサー。 高知県香美郡香北町(現:香美市)生まれ。大阪市育ち。愛称は「トメさん」。「トメじじい」と自称したこともある。 大阪市立五条小学校、大阪市立天王寺中学校卒業。中学生時代の部活は最初は演劇部だったが、後に自分で放送部を作って転部。また、同じ頃アイスホッケーにも力を入れていた。 追手門学院高等学校卒業後、医師を目指して大阪大学医学部など何度も医大受験をするも失敗し、2浪の末入った明治大学文学部演劇学科を卒業。
松野 輝洋(まつの てるひろ、1942年〈昭和17年〉1月2… 松野 輝洋(まつの てるひろ、1942年〈昭和17年〉1月27日 - )は、日本の元アナウンサー、政治家。元静岡県藤枝市長(2期)。 1964年(昭和39年)、日本大学芸術学部卒業し、静岡新聞に入社し記者となる。1967年(昭和42年)、静岡放送へ出向・移動し、アナウンサー、記者を歴任。主としてSBSテレビ夕刊等報道・スポーツ中継に出演した。1997年(平成9年)、静岡新聞・SBSグループのシティエフエム静岡に出向し、代表取締役専務となる。 藤枝市長選挙に立候補して、前の市助役や元市議など新人3人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:63.01%(前回比:-pts) 6月20日に就任した。
奈良 陽(なら よう、1942年(昭和17年)1月2日 ‐ … 奈良 陽(なら よう、1942年(昭和17年)1月2日 ‐ 2007年(平成19年)8月8日)は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト。TBSで一貫して報道アナウンサーを担い、プロデューサーも務めた。 東京都文京区出身。東京都立板橋高等学校、立教大学法学部卒業。身長180cm。 1965年4月にTBSに入社。1966年報道ニュースアナウンサーとして配属され、一貫して報道アナウンサーを務める。日本航空機ハイジャック、東大闘争、成田空港建設反対闘争、あさま山荘事件など大事件を扱う。朝の情報番組『おはよう700』メインキャスター(1977年 - 1980年)、政治部総理大臣官邸記者クラブ担当記者(1980年 - 1981年)、『テレポートTBS6』メインキャスター、『スーパーワイド』ニュースコーナーキャスター、『おはようクジラ』プロデューサーなども務めた。
因田 宏紀(いんでん ひろき、1942年 - )は、日本のア… 因田 宏紀(いんでん ひろき、1942年 - )は、日本のアナウンサー、テレビプロデューサー、実業家。朝日放送(ABC)アナウンサー、ABCゴルフ倶楽部代表取締役社長・支配人。樺太出生、三重県育ち。 1942年、樺太に生まれ、第二次世界大戦の終戦さ中に北海道へ引き揚げ船で辿り着き、父親の故郷である三重県鈴鹿の麓に移る。四日市市の中学・三重県立四日市高等学校に進学し、テニスと出合う(黒松秀三郎や九鬼潤らと同世代)。高校では、陸上競技でインターハイ、スキーで国体に出場した。大学は新聞記者を目指して中央大学法学部に入学し、放送研究会に所属。 1965年、中央大学法学部を卒業後、朝日放送へ入社(同期に道上洋三や辻豊人らがいる)。
佐々木 敦(ささき あつし、1942年 - 2007年5月1… 佐々木 敦(ささき あつし、1942年 - 2007年5月17日)は、元NHKアナウンサー。 宮城県古川高等学校、東北大学卒業後、1967年にNHK入局(同期に松平定知など)。番組での軽快なトークから『トンちゃん』のあだ名で知られた。退局後は地元の校歌作詞などを手掛けた。
辻 豊人(つじ とよひと、1942年-2019年3月31日)… 辻 豊人(つじ とよひと、1942年-2019年3月31日)は、フリーアナウンサー。 天理高等学校から、大阪大学卒業後、1965年に朝日放送へ入社。同期の道上洋三・因田宏紀と共に「ABCヤングリクエスト」(ABCラジオ)を担当したが、その後はテレビ神奈川へ移籍。スポーツ実況等を担当する傍ら、アナウンス部長を歴任。退職後は東京MXテレビ等でアメリカンフットボール中継を担当したほか、Xリーグの場内放送も担当。1990年代には競輪中継の司会・実況、雑誌「月刊競輪」のコラム連載など、競輪関係の活動も行っていた。2019年3月31日逝去。享年77歳。 植田廉之助1972-1981 / 辻豊人1981-1985 / 中山和夫1985-1990 / 田代昌史1990-1992.7 / 岡村光芳1992.8-1997.6 / 森田浩康1997.7-2008 / 吉井祥博2008-現在
菅原 哲夫(すがわら てつお、1941年12月20日 - )… 菅原 哲夫(すがわら てつお、1941年12月20日 - )は、元中京テレビ放送のアナウンサー。愛知県名古屋市出身。愛知学院大学卒業。血液型B型。 大学卒業後、岐阜放送に入社。同局で7年間アナウンサーを務めた後、1971年に当時まだ開局から2年が過ぎたばかりの中京テレビへ移籍した。 2001年12月に定年を迎えて退職したが、定年退職後も一部の番組でナレーターを務めていた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。 Category:中京テレビのアナウンサー
上野 隆紘(うえの たかひろ、1941年〈昭和16年〉12月… 上野 隆紘(うえの たかひろ、1941年〈昭和16年〉12月18日 - )は、日本のアナウンサー。元中国放送(RCC)アナウンサー。忠犬ハチ公の飼い主である上野英三郎の親戚にあたる。血液型はA型。 三重県津市(旧:久居市)出身。日本大学芸術学部放送学科卒。ラジオ三重(かつて存在した三重県の放送局。現在の東海ラジオ放送の前身)で局アナを務めた後、1965年中国放送(当時はラジオ中国)に入社。現場にこだわり約30年間にわたって広島市民球場から広島東洋カープの模様をラジオ・テレビの視聴者に届けた。ラジオ・テレビの実況の回数はRCC最多記録であり、1975年、カープが初優勝した時のラジオ実況も務めた。広島市民球場は昔はグラウンドの水はけが悪く、大雨の日に実況席の入口まで浸水することもあり、解説を務めたカープ初代監督・石本秀一をおんぶして浸水してないところまで運んだこともある。
半谷 進彦(はんや のぶひこ、1941年12月10日 - )… 半谷 進彦(はんや のぶひこ、1941年12月10日 - )は、元NHKアナウンサー。 愛知県出身。愛知県立明和高校、名古屋大学文学部卒業、1965年入局。初任地は函館。以後、東京アナウンス室、名古屋、広島、長崎、松山などで勤務した。その後、1993年日本語センター専属となる。1998年、日本語センターエグゼクティブアナウンサー。2006年日本語センター専門委員。NHK職員研修、企業・団体研修等の講師等を務める。
明石 勇(あかし いさむ、1941年〈昭和16年〉11月28… 明石 勇(あかし いさむ、1941年〈昭和16年〉11月28日 - )は、元NHKエグゼクティブアナウンサー。65歳を過ぎたこともあり、現在は「番組出演契約」という形でNHKのラジオ番組キャスターを務める。 慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学経済学部卒業後、1964年入局。 正職員在職中は、主に報道担当のアナウンサーとして活躍。これまで、ラジオ『午後のロータリー』や『NHKニュースワイド』土曜日キャスターなどを歴任した。定年退職後は『ラジオ深夜便』日曜のアンカーを担当した。 大のジャズファンであり、ラジオ深夜便の担当日には、ジャズを中心にしたコーナーがあった。作曲家、アレンジャー、ジャズピアニストとして知られる大野雄二は、高校、大学時代の同級生であり、高校時代にジャズ・バンドを組んでいた間柄でもある。
宮田 統樹(みやた のぶき、1941年11月21日 - )は… 宮田 統樹(みやた のぶき、1941年11月21日 - )は、日本のアナウンサー。現在の東京都出身。 東京府東京市渋谷区の出身で、生家が明治神宮外苑に近かったことから、「外苑の樹々のように真っ直ぐに伸びよ」との願いを込めて「統樹」と名付けられた。太平洋戦争中に群馬県高崎市への疎開を経験。終戦後に東京都中野区へ転居した。 國學院高等学校の12期生で、卒業後に國學院大學へ進学。明治神宮外苑内の明治神宮野球場を本拠地に使用していた国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)のファンで、NHKラジオ第1放送のプロ野球中継も熱心に聴いていたことから、ラジオ局の実況アナウンサーを志すようになったという。実際には、國學院大學卒業後の1964年に、アナウンサーとしてニッポン放送に入社。
蓮井 孝夫 (はすい たかお、1941年〈昭和16年〉10月… 蓮井 孝夫 (はすい たかお、1941年〈昭和16年〉10月24日 - )は、RNC西日本放送の元男性アナウンサー。 香川県高松市(旧・香川郡塩江町)出身。高知大学卒業後、1964年に西日本放送アナウンス部入社。RNC在籍中からボランティア活動を行う。現在はラオスの教育支援の香川国際ボランティアセンター会長(理事)、高松市民活動応援団副代表を務める。その他、高松朗読会顧問(35年)、自殺予防活動(36年)継続中。あわせて平成10年から香川医科大学、香川大学、香川看護専門学校等の非常勤講師を行う。平成23年高松市市政功労表彰受賞、 第31回高松キワニス社会公益賞受賞、「瑞宝双光章」平成24年11月3日「瑞宝双光章」受賞等の受賞。
横舘 英雄(よこだて ひでお、1941年〈昭和16年〉9月2… 横舘 英雄(よこだて ひでお、1941年〈昭和16年〉9月29日 - 2024年〈令和6年〉5月27日)は、元テレビ朝日アナウンサー。岩手県二戸市出身。
今村 稔(いまむら みのる、1941年9月18日 - )は、… 今村 稔(いまむら みのる、1941年9月18日 - )は、日本のアナウンサー、ニュースキャスター。東京都出身。明治大学政治経済学部卒業。 1965年4月にTBS(東京放送)へアナウンサー10期生として入社。同期に小川哲哉・桐本幸子・車尾具昭・五味陸仁・多田護・手塚俊子・奈良陽・本田綾子がいる。1966年1月ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部へ配属。1967年11月15日より、アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部の配属となった。 1968年6月に報道局運動部兼アナウンサー研修室付となって以降は、主にスポーツ番組を担当していた(その間、1970年7月にラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道局運動部配属となる)。
柳亭 金車(りゅうてい きんしゃ、1941年9月14日 - … 柳亭 金車(りゅうてい きんしゃ、1941年9月14日 - )は、東京都江東区亀戸出身の落語家、キックボクシングリングアナウンサー。落語協会所属。本名∶宮崎 悦男。出囃子は『鶴亀』。 法政大学経済学部卒業。 1964年6月に五代目柳家小さんに入門、前座名は「小丸」。 1968年5月、柳家とんぼ、桂楽之助と共に二ツ目昇進。 1978年3月、初代三遊亭圓丈と共に真打に昇進し、「金車」に改名。 古典落語だけではなく、「安全落語」「経営落語」なども演じている。 寄席には基本出演していない。 以下の興行のリングアナウンサーを務める。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
渡辺 誠弥(わたなべ のぶや、1941年9月10日 - 20… 渡辺 誠弥(わたなべ のぶや、1941年9月10日 - 2024年3月13日)は、元NHKアナウンサー。 武蔵大学経済学部卒業後、NHKに入局。NHK札幌放送局、NHK松江放送局、NHK東京放送局でアナウンサーとして主に報道番組を担当。48歳のとき退局、その後、奈良県高市郡明日香村に住み奥飛鳥古社の宮守となる。古民家と里山に囲まれた、棚田風景の美しい飛鳥の村里の美「さとび」文化を守る目的で、1995年「飛鳥藍染織館」を開館。 2024年3月13日、奈良県桜井市の自宅で急性心臓死のため死去。82歳没。 渡辺 誠弥のプロフィール・誕生日 あなたの街の有名人 日本の有名人データバンク この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
小堀 豊子(こぼり とよこ、1941年8月22日 - )は元… 小堀 豊子(こぼり とよこ、1941年8月22日 - )は元毎日放送アナウンサー・大阪芸術大学教授。愛称は「小堀のおばちゃま」。 東京都出身。1964年に早稲田大学教育学部を卒業後、毎日放送(MBS)に入社。入社後は、テレビ・ラジオのニュース番組や、『MBSイブニングレーダー』(MBSラジオ)などの報道番組を主に担当していた。 アナウンサー時代には、後輩の吉田智子と同じく、ニュースや『あどりぶランド』(MBSテレビで放送されていた同局アナウンサー総出演の深夜番組)以外にテレビ番組で露出する機会は非常に少なかった。その一方で、テレビ番組のナレーションや(全国ネット番組を中心に)提供クレジットの読み上げを数多く担当。
小山 乃里子(こやま のりこ、1941年〈昭和16年〉8月1… 小山 乃里子(こやま のりこ、1941年〈昭和16年〉8月16日 - 2024年〈令和6年〉1月20日)は、日本のフリーアナウンサー。政治家。元神戸市会議員。 兵庫県神戸市東灘区・六甲アイランド在住。ニックネームは「ノコさん」「小山上等兵殿」。 北海道小樽市生まれ、小学校4年生の時に大阪府枚方市に転居。関西学院大学文学部を卒業後の1965年、ラジオ関西にアナウンサーとして入社。1971年にフリーとなり、晩年まで関西のテレビ・ラジオ各局で活動していた。ラジオ関西の情報番組『ビバ!タカラジェンヌ』は1980年の放送開始から長年担当していた。 1995年1月17日、居住する六甲アイランドのマンションで阪神・淡路大震災に遭遇。
伊丹 賢太郎(いたみ けんたろう、1941年〈昭和16年〉8… 伊丹 賢太郎(いたみ けんたろう、1941年〈昭和16年〉8月15日 - 2024年〈令和6年〉7月13日)は、NHKの元アナウンサー。 東京都出身。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学卒業後、1965年入局。 初任地は山形放送局。入局後は主にニュース番組を担当。後期はラジオ番組の出演が中心であった。 NHKを定年退職後も『ラジオあさいちばん』に出演していたが、2006年3月に降板。以降はアナウンサー業を引退している。
依本 悟(よりもと さとし、1941年8月7日 - )は、秋… 依本 悟(よりもと さとし、1941年8月7日 - )は、秋田放送の元アナウンサー。 北海道上川郡下川町生まれ。明治大学文学部文学科演劇専攻卒業。1964年の日活ニューフェイスに最終選考まで残っていたが、落選。その後友人にアナウンサーを勧められて「声のスターになるのも悪くない」と思い直し、1965年2月に秋田放送へ入社。後にアナウンス部長、報道局次長・報道部長を経て、2002年に定年退職。以後は秋田・市民メディア研究会」代表として、メディアリテラシーとコミュニケーション・人間関係を軸に生涯学習を展開。 アナウンサーになったあたりの頃から、ネギの研究を続けている。ネギを見ただけで産地を必ず当てたり、ラーメンを丼の中で一本にするという特技も持っていた。
石川 顯(いしかわ あきら、1941年8月3日 - )は、日… 石川 顯(いしかわ あきら、1941年8月3日 - )は、日本のアナウンサー、スポーツ評論家。石川 顕とも表記。 神奈川県横須賀市出身。TBSアナウンサーを経て、フリーアナウンサーとなる。キックボクシング選手の沢村忠の決め技「真空とびひざげり」の命名者。 横須賀市立田浦小学校卒業。鎌倉学園高等学校卒業。元々は教員志望だったが、早稲田大学教育学部卒業後、1964年4月にTBSにアナウンサー第9期生として入社(同期には大沢悠里・小島康臣・平原晋太郎・桝井貞之・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。ラジオ編成局放送実施部(1964年5月)、報道局ニュース部(1965年6月)、ニュース取材部(1965年12月)、報道局運動部兼ニュース取材部(1966年7月)、報道局運動部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、ラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道局運動部(1970年7月)、アナウンス室兼テレビ本部第二制作局スポーツ部(1979年12月)、アナウンスセンター兼スポーツ局(1991年5月)に配属される。
長谷川 勝彦(はせがわ・かつひこ、1941年7月15日 - … 長谷川 勝彦(はせがわ・かつひこ、1941年7月15日 - )は、フリーのナレーターで、元NHKエグゼクティブアナウンサー、のちアナウンス室専門委員。 都立小石川高等学校を経て、早稲田大学卒業。1966年入局。現役時代は徳島、長崎、京都、山口、鳥取、東京アナウンス室などで勤務。主にラジオ第1を中心にニュースやナレーションで活躍し、朗読の第一人者と言われた。NHKを定年退職後も番組のナレーションを行っているほか、各地の講演会や朗読教室などで活躍している。2009年、ドキュメンタリーのナレーションで放送文化基金賞受賞。
中村 基樹(なかむら もとき、1941年7月10日 - )は… 中村 基樹(なかむら もとき、1941年7月10日 - )は福岡県を拠点に活躍するフリーアナウンサー。RKB毎日放送・元アナウンサー・写真家。 西南学院大学商学部卒業後の1964年にRKB毎日放送に入社した。大学時代は、グリークラブに所属していた。NHKアナウンサーだった志村正順を憧れの存在として、アナウンサーを志望したという。 RKBアナウンサー時代には、1967年にスタートした、九州初の深夜ワイドラジオ番組『You&Me』のパーソナリティを担当。1975年には、アナウンサーでありながら、地元プロ野球チーム太平洋クラブライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の球団歌『惚れたぜライオンズ』を歌いレコードを販売している。
鈴木 正勝(すずき まさかつ、1941年7月 - )は、関西… 鈴木 正勝(すずき まさかつ、1941年7月 - )は、関西テレビ放送の元アナウンサー。現在は関西民放クラブ理事長。 戦時中に父が仕事で中国・北京に派遣されていたため北京で生まれ4歳まで過ごし、戦後父の故郷の愛知県豊橋市に引き揚げる。 中央大学法学部法律学科卒業。1964年、関西テレビにアナウンサーとして入社。フジテレビやTBSも受けたが落ちたという。 『シャボン玉アワー』などの歌番組・寄席番組を担当し、1984年から夕方のニュース番組『アタック600』の初代メインキャスターを担当。48歳頃から咳き込むようになり、また老眼でプロンプターが読めなくなったことからキャスターを辞めている。 報道管理部長を1年務めた後、1993年に報道部長に就任。
島村 俊治(しまむら としはる、1941年6月25日 - )… 島村 俊治(しまむら としはる、1941年6月25日 - )は、スポーツジャーナリスト、フリーアナウンサー。 個人事務所である有限会社「ニューヴォイス嶋村プロ」所属で、代表取締役。元NHKエグゼクティブアナウンサー。 東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業後、1964年にNHKにアナウンサーとして入局。 音楽好きであることや高校・大学時代に合唱をしていた経験もあって、NHK入局時にもアナウンサーではなくミュージカルを担当する音楽ディレクターを志望していたが、米子支局(現在は鳥取放送局のエリア)在籍時代に、高校野球秋季中国大会での岡山東商・平松政次と関西・森安敏明の投手戦の実況を務めて感動し、スポーツアナウンサーを目指すことになった。
鈴木 敏郎(すずき としお、1941年4月17日 - )は、… 鈴木 敏郎(すずき としお、1941年4月17日 - )は、愛知県出身の元アナウンサー。 愛知教育大学卒業後の1964年に関西テレビ (KTV) へ入社し、アナウンサー時代には主に報道番組を担当した。その傍らで1980年代中頃までは、松本暢章と杉本清しか当時はレギュラーの競馬実況者がいなかった競馬中継の実況に松本に代わる形でサブ実況としても担当したが、競馬は当時殆どのレースを杉本が担当していたこともあり、年間数レース程度に留まっていたが、杉本がゴルフ中継で不在であった際の宝塚記念を2度実況した実績があった。 競馬実況は、杉本と後のアナウンス部長であった松本暢章から指導を受け、後に鈴木も松本とともに馬場鉄志に実況を指導している。
中村 昇(なかむら のぼる、1941年3月31日 - )は、… 中村 昇(なかむら のぼる、1941年3月31日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。 富山県出身。1963年に入局。松山放送局や東京アナウンス室などで勤務していた。1976年7月27日、ロッキード事件の第1報を伝えた。
徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年3月3日〈戸籍上は3… 徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年3月3日〈戸籍上は3月10日〉 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、ニュースキャスター。日本ドッジボール協会顧問、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ顧問、日本司会芸能協会顧問、海原会(学校法人海城学園OB会)会長。オフィス ラ・メール所属。マネジメントはソニー・ミュージックアーティスツと業務提携。元日本テレビアナウンサー。
多田 護(ただ まもる、1941年2月23日 - 2017年… 多田 護(ただ まもる、1941年2月23日 - 2017年6月13日)は、日本のアナウンサー。北海道出身(幕別町明野生まれ)。身長172cm、体重76kg。血液型O型。 北海道帯広三条高等学校→明治大学政経学部卒業後、1965年4月にTBSへアナウンサー第10期生として入社。1966年1月にラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部兼報道局ニュース取材部、1967年11月にアナウンサー研修室付兼報道局ラジオニュース部へそれぞれ配属。 1968年6月に報道局運動部兼アナウンサー研修室付の配属となって以降は、主にスポーツアナウンサーとして中継・情報番組で活動した。主な中継担当競技は、野球・テニス・ゴルフ・フィギュアスケート・陸上競技。
山田 康夫(やまだ やすお、1941年2月15日 - 199… 山田 康夫(やまだ やすお、1941年2月15日 - 1990年3月5日)は元NHKチーフアナウンサー。 山梨県甲府市出身。中央大学法学部を卒業後、1963年に入局。同期に森本毅郎(のちにフリー)、加賀美幸子などがいる。佐世保、北九州、名古屋などの支局を転任し、1964年11月場所から大相撲の実況中継を晩年まで担当した。 当時のNHKアナウンサーとしてはややテンションが高いアナウンスであったが、念入りな下調べに基づいて実況に差し挟まれる情報の正確さや、放送中の機転や気配りで、大相撲実況中継の名アナウンサーとして角界からの信頼も厚かった。昭和最後の場所となった1988年11月場所千秋楽、千代の富士が大乃国に敗れ、連勝が53でストップした取組も実況していた。
大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月1… 大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月11日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー。 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)の出身で、1964年(昭和39年)4月1日にTBSアナウンサー第9期生として入社。1991年2月に50歳でTBSを退社してからは、個人事務所「大沢企画」を拠点に活動している。 ※TBSラジオでのCMをメインに担当している。 第二次世界大戦の最中に浅草で出生すると、4歳の頃まで浅草で暮らした。当時からラジオ番組を聴いていた影響で、ラジオから流れる「東部軍管区情報」(大本営発表)を真似ながら実家の近所を触れ回っていたことから、「大本営」との異名を取ったという。
吉川 精一(よしかわ せいいち、1941年1月30日 - )… 吉川 精一(よしかわ せいいち、1941年1月30日 - )は、日本の演歌歌手、エッセイスト、アナウンサー、司会者。東京都大田区出身。クオレ・ア・ドマーニ所属。