竹田 直樹(たけだ なおき、1961年 - )は、日本の景観… 竹田 直樹(たけだ なおき、1961年 - )は、日本の景観学者、ランドスケープアーキテクト、画家、美術作家。兵庫県立大学大学院緑環境景観マネジメント研究科准教授(ランドスケープデザイン研究室)。兵庫県立淡路景観園芸学校主任景観園芸専門員。 兵庫県姫路市生まれ。東京育ち。 パブリックアート研究、景観研究、美術批評、ランドスケープデザイン、美術作品制作など多岐に渡る業績をもつ。1990年代に日本のパブリックアートについて、その分野の研究基盤となる一連の研究を行い、並行して日本の景観に関する研究と実務を行った。2002年から08年頃にかけて、ソトコト、美術手帖、ランドスケープデザイン、ビオシティなどの雑誌で日本の現代美術に関する一連の連載をした。
登坂 誠(のぼりさか まこと、1960年5月26日 - )は… 登坂 誠(のぼりさか まこと、1960年5月26日 - )は、日本のランドスケープアーキテクト, 都市計画・デザイナー, 建築家。Blue Ocean Designを主宰。日建設計でプロジェクト開発部門主管ランドスケープアーキテクトや都市デザイナーとして活動。茨城県生まれ。 Profile/Blue Ocean Design参照。1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。1990年ハーバード大学デザイン大学院ランドスケープアーキテクチュア修士修了。1990年ピーター・ウォーカー&パートナーズ+日建設計。2015年からBlue Ocean Design。その間、東京大学まちづくり大学院・慶應義塾大学環境情報学部にて非常勤講師。
三谷 徹(みたに とおる、1960年 - )は、日本のランド… 三谷 徹(みたに とおる、1960年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト、環境デザイナー。東京大学教授。博士(工学)。 静岡県沼津市出身。1983年、東京大学工学部建築学科(香山壽夫研究室)を卒業。1985年、東京大学大学院工学系研究科(建築学専攻)修士課程修了後、渡米しハーバード大学デザイン大学院ランドスケープ学科修士課程に進学。ランドスケープ・アーキテクチュアを専攻して1987年、その課程を修了しMLA (Master of landscape Architecture) を取得した。 ハーバード大大学院修了後はピーター・ウォーカー&マーサ・シュワルツデザイン事務所を経てササキエンバイロメントデザインオフィスに勤務。
河合 嗣生(かわい つぐお、1959年[要出典] - )は、… 河合 嗣生(かわい つぐお、1959年[要出典] - )は、日本の造園家で、登録ランドスケープアーキテクト。 座談会において「実家は京都」と発言している。 1982年に南九州大学園芸学部造園学科を卒業し、環境事業計画研究所に入所する。1986年からはマレーシア・サバ州都市計画局で勤務した。その後日本に戻り、1989年より景観設計研究所勤務を経て、1997年にランドスケープデザイン・アトリエ風を創立する。1999年には、環境省の環境カウンセラーに登録された。 2007年から[要出典]近江兄弟社小学校社会人講師をつとめる。このほかにも、環境教育に関わる活動に携わっている。
宮城 俊作(みやぎしゅんさく、1957年 - )は、日本のラ… 宮城 俊作(みやぎしゅんさく、1957年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。奈良女子大学大学院教授、東京大学大学院教授を経てハーバード大学デザイン大学院ランドスケープ学科客員教授。東京芸術大学美術学部デザイン科非常勤講師。農学博士。 1992年より吉村純一とランドスケープデザイン設計組織PLACEMEDIA(プレイスメディア)を設立。パートナーを経て、現在はファンディングフェロー。日本造園学会会長を歴任。要職は宇治市観光案内サイン整備計画策定委員会委員ほか。実家は最勝院(宇治平等院の塔頭)で住職の一人。京都府宇治市生まれ。 平等院を担う最勝院住職の家に長男として生まれる。父親は大学文学部教授で、祖父は法学部の教授であった。
吉村 純一(よしむら じゅんいち、1956年 - )は、ラン… 吉村 純一(よしむら じゅんいち、1956年 - )は、ランドスケープアーキテクト。現在、多摩美術大学美術学部環境デザイン学科教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、教育に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育)。
平嶋 孝(ひらしま たかし、1953年生まれ)は日本のランド… 平嶋 孝(ひらしま たかし、1953年生まれ)は日本のランドスケープアーキテクト。 (株)大揮環境計画事務所を主宰。 熊本市生まれ。B型.水瓶座。1975年東京農業大学農学部造園学科卒業。1975年 積水化学工業に入社し、緑化技術開発を担当。 1976年 神奈川県の茅ヶ崎市役所技術吏員に転職。1979年 公栄整備工業取締役。 1983年に熊本で大揮環境施設計画事務所を設立。同年うるおいのある街づくり作品特選入選。1985年 県民提案入賞(郷土景観)。1986年 県民提案入賞(高齢化社会)。 1995年 大揮環境計画事務所に組織変更。 熊本の造園コンサルタントの草分け的存在で、熊本県立大学総合管理学部及び九州測量専門学校で非常勤講師も務めている。
塚原 道夫(つかはら みちお、1951年 - )は、日本のラ… 塚原 道夫(つかはら みちお、1951年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。 株式会社塚原緑地研究所 代表取締役、技術士、造園施工管理技士、公園管理運営士、市民農園コーディネーター、樹木医、環境カウンセラー、みどりの計画・設計のほかに、市民活動のコーディネート、多くの公共施設の指定管理者等として活躍。一般社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会 広報委員長や日本道路公団、国土交通省、千葉県などの諸委員会委員など歴任。NPO法人樹の生命を守る会理事。 栃木県鹿沼市出身。東京農工大学農学部出身。 千葉ポートタワー指定管理などの「千葉港地区における公園からの賑わいづくり」で、2017年CLA賞マネジメント部門奨励賞受賞。
鄭 雄男 (チョン・ウンナム、朝: 정웅남, 1951年 -… 鄭 雄男 (チョン・ウンナム、朝: 정웅남, 1951年 - ) は、日本のランドスケープアーキテクト。 神戸市生まれ。関西大学中退。 大学在学中 当時激しい学生運動の大学ではロックアウトで授業もなく、幼年期から神戸六甲の裏山に遊び、自然を描くのが大好きだったこともあり、インテリアデザインの専門学校にも通っていたので、ランドスケープの世界に進む。 姉たちはファッションモデル、おじは韓国三大財閥のひとつの社長という華やかな家庭にあって、太宰治の作品を愛読、同人誌『声(ソリ) 七·四会』に文学評論を載せ、ベ平連 (1965-74) にも参加する社会正義に純粋な文学青年であったという。 宮本環境設計事務所を経て、東急グループの高村造園に入社。
森山 雅幸(もりやま まさゆき、1949年 - )は、ランド… 森山 雅幸(もりやま まさゆき、1949年 - )は、ランドスケープアーキテクトおよび宮城大学名誉教授。第37回日本公園緑地協会北村賞受賞。 1949年に福岡県で誕生。南九州大学園芸学部造園学科を卒業し、鹿児島大学大学院農学研究科修士課程、オレゴン大学建築・総合芸術学部大学院造園学科修士課程を修了(M.L.A)を修了する。その後、サンフランシスコ(アメリカ)近郊の設計事務所に勤務する。日本に帰国してからは仙台で設計事務所森山アソシエイツを設立。 食産業学部教授、宮城大学副学長を歴任し、東北地方の文化的景観や三陸沿岸部オープンスペースに関する敷地分析、スキー場の夏期利用のための敷地計画等の研究を行ってきた。
清家 省二 (Shoji Seike 1949年 - ) は… 清家 省二 (Shoji Seike 1949年 - ) は日本のランドスケープアーキテクト。株式会社LAU都市施設研究所取締役。1級造園施工管理技士、1級建築施工管理技士。 1971年に南九州大学園芸学部造園学科を卒業。 主な作品にアクアフォレスト・ルネ稲毛、ガーデンシンフォニー新越谷(設計協力)、上野動物園ホッキョクグマとアザラシの海、明海の丘公園など。
伊藤 精美(いとう きよみ、1948年 - )は、日本の地方… 伊藤 精美(いとう きよみ、1948年 - )は、日本の地方公務員、ランドスケープアーキテクト。愛知県出身。 1971年、千葉大学園芸学部卒業。大学卒業後、東京都庁に勤務し、文京区土木部に出向して同区公園緑地課課長(1991 年当時)時代には元町公園復原工事を担当した。 その後東京都公園協会管理部施設課長、東部公園緑地事務所長、環境局参事、建設局公園緑地部長財団法人東京都公園協会 理事 東京都建設局参事(公園計画担当)などを歴任し、東京都退職後は株式会社石勝エクステリアや東京都建設防災ボランティア協会勤務していた。 2013年、第35回日本公園緑地協会北村賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
佐々木 葉二(ささき ようじ、1947年 - )は、日本のラ… 佐々木 葉二(ささき ようじ、1947年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。佐々木デザイン・アトリエ代表。 鳳コンサルタント環境デザイン研究所を設立し、同所長や、京都造形芸術大学教授、立命館大学特別招聘教授等を歴任した。 奈良県生まれ。父・佐々木節雄は画家。詩人の佐々木幹郎は双子の兄。 大阪府立住吉高等学校を経て、1967年神戸大学農学部生産工学科入学。在学中、集中講義で久保貞の「造園概論」の授業を受けたのをきっかけに、1971年に神戸大学卒業後、大阪府立大学大学院農学研究科緑地計画工学専攻修士課程に進学。1973年に修了し、建設会社の鴻池組に入社。会社の留学制度で留学し、1988年からカリフォルニア大学バークレー校環境計画部客員研究員を、1989年からハーバード大学デザイン大学院客員研究員を務めた。
三谷康彦(みたにやすひこ、1947年 - )は日本のランドス… 三谷康彦(みたにやすひこ、1947年 - )は日本のランドスケープアーキテクト。現在、ランドスケープの計画・設計事務所、株式会社MLS(三谷 ランドスケープスタジオ)を主宰、代表兼チーフデザイナーとして活躍する。日本の登録ランドスケープアーキテクト (RLA)、アメリカ合衆国メリーランド州登録ランドスケープ・アーキテクト。1級造園施工管理技士・2級土木施工管理技士。東京都市大学非常勤講師。IFLA Japanの代表、アメリカ造園協会ASLA正会員。 信州大学農学部林学科で造園学を専攻し、1971年に卒業。同年、環境事業計画研究所へ入社の傍ら、京都大学農学部林学科造園学研究室研修生。1972年、研修生を修了。
細谷 恒夫(ほそや つねお、1944年 - )は、日本のラン… 細谷 恒夫(ほそや つねお、1944年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。 株式会社あい造園設計事務所代表取締役会長。緑地計画・都市公園設計に従事した。 1964年に千葉大学園芸学部農業別科を卒業。近代造園研究所、京央造園設計事務所を経て、1973年にあい造園設計事務所を設立した。 2011年、第33回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 企業外では、国土建設学院講師を務めたほか、以下の役職を歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
井上 忠佳(いのうえ ただよし、1944年- )は、日本のラ… 井上 忠佳(いのうえ ただよし、1944年- )は、日本のランドスケープアーキテクト・都市計画家。愛知県名古屋市生まれ。技術士、登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。建設省でインハウスランドスケープアーキテクトとして行政・研究に従事した後、CLA(ランドスケープコンサルタンツ協会)専務理事、株式会社創建取締役副社長を歴任。 蓑茂寿太郎らと1971年に「Design With Nature」を刊行したイアン・マクハーグらの取り組みを扱った同人誌を発行し、ランドスケープアーキテクチュアの一つであるエコロジカル・プランニングの理念を紹介した人物。 このほか、花と緑と健康のまちづくりフォーラム理事。
高野 文彰(たかの ふみあき、1944年 - )は、日本の造… 高野 文彰(たかの ふみあき、1944年 - )は、日本の造園家、ランドスケープアーキテクト。中国天津生まれ。 1966年、北海道大学農学部農学科卒業後、日本技術開発に勤務。1971年、ジョージア大学環境デザイン学大学院修了。修了にあたりアメリカ合衆国造園学会から最優秀表彰。1973年から1975年まで、ピッツバーグのランドスケープデザインの設計事務所シモンズアンドシモンズピッツバーグUSAなどで修業。 1975年帰国し、高野ランドスケープ・プランニング設立。1980年、国営沖縄海洋博覧会記念公園ちびっことりでの設計で、日本造園学会デザイン部門賞受賞。その他代表作に国営滝野すずらん丘陵公園こどもの谷、国営木曽三川公園大江川エリア、国営越後丘陵公園躍動の広場区、国営海の中道海浜公園サイクリングセンター、国営昭和記念公園子供の森、マレーシア・シャーアラム中央公園タウンセンター、横浜市新田緑道、フランス・ユーロアジアセンター日本庭園、気仙沼みなとのみえる丘公園、幕別町明野ヶ丘公園、十勝エコロジーパーク、帯広の森、丹後リゾート公園などがある。
大橋 鎬志(おおはし こうし、1943年 - )は、日本のラ… 大橋 鎬志(おおはし こうし、1943年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。静岡県浜松市生まれ。ランドスケープコンサルタントのM&N環境計画研究所代表取締役。 父はオート三輪の製造販売、エンジンの設計、車体のデザイン、水冷エンジンバイク、オート三輪への丸ハンドル、ツインのヘッドライト、セルモーターの導入などの凄腕の技術者。浜松はバイクのメッカ、若き本田宗一郎 も父の工場によく来ていたという。縞志は4人兄弟の長男でエンジン音だけで車種さえ当てられる少年だった。母は教室を構えて教えるほど手芸が得意。庭には花がいっぱい育てられていた。 静岡県立浜松北高等学校時代は陸上部で三段跳びの選手。1965年千葉大学園芸学部造園学科卒業。
大塚 守康(おおつか もりやす、1942年 - )は、日本の… 大塚 守康(おおつか もりやす、1942年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。ヘッズ代表取締役会長。東京都江東区生まれ。 1965年千葉大学園芸学部旧造園学科卒業。卒業後に近代造園研究所に入所。ランドスケープコンサルタンツ協会会長、IFLAJapan 会長などを歴任。大阪芸術大学や立命館大学で非常勤講師。賞歴は日本造園学会賞や建設大臣表彰、黄綬褒章受章、第19回日本公園緑地協会佐藤国際交流賞ほか。主な著書に造園実務必携(2018、朝倉書店)都市環境デザインの仕事(鳴海邦碩+都市環境デザイン会議関西ブロック編、2001、学芸出版会)ほか。
山本 紀久(やまもと のりひさ、1940年 - )は、日本の… 山本 紀久(やまもと のりひさ、1940年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。社団法人 ランドスケープコンサルタンツ協会 参与、株式会社愛植物設計事務所 会長。栃木県生まれ。 1963年、東京農業大学農学部造園学科卒業。卒業後は、第一園芸株式会社造園部に、1970年からは東洋造園土木部に勤務し、個人庭園、別荘地、超高層ビル周り、工場緑化、埋立地緑化など現場を体験。1973年、愛植物設計事務所設立、代表として経営にあたる傍ら、1987年東京理科大学工学部建築学科非常勤講師、1990年東京農業大学非常勤講師、同客員教授、日本工業大学非常勤講師などを歴任。 主な作品は、東京ディズニーランド、ダイキン工業アレス青谷、沖縄海洋博ドリームセンター、らんの里堂ヶ島及び沖縄ビオスの丘、八景島シーパラダイス、国営ひたち海浜公園砂丘ガーデン、多摩昆虫生態園、立川根川緑道、国営滝野すずらん丘陵公園、広島西部丘陵都市開発法面緑化沖縄県総合運動公園植栽設計と管理マニュアル作成(1977、1990年)、沖縄県観光修景緑化計画、赤城自然観察園基本設計と監理(1984から1986年)、日本住宅公団花と香りの植栽シート作成、パークシティ浜田山植栽設計・監理、アサヒビール茨城工場造園設計、東京ベイヒルトン・インターナショナル、アーベインビオ川崎他、数多くの植栽設計を手がける。
三宅 宣哉(みやけ のぶや、1938年 - ?)は、日本のラ… 三宅 宣哉(みやけ のぶや、1938年 - ?)は、日本のランドスケープアーキテクト。 大阪工業大学建築学科を卒業。近代造園研究所、西川環境設計研究所を経て、緑地設計研究所を設立した。 主なランドスケープ作品に、 高槻市森林観光センター、水戸市植物公園、愛知県緑化センター、 古今伝授の里フィールドミュージアム、国際花と緑の博覧会などがある。
上野 泰(うえの やすし、1938年 - )は、日本の造園家… 上野 泰(うえの やすし、1938年 - )は、日本の造園家、ランドスケープアーキテクト。おもに日本の公団団地計画・ニュータウン計画における土地利用や公園緑地設計などに関わった実績を持つ。1960年代末、住宅地に対する“量から質へ”という社会的ニーズの中で、横浜市が掲げた3つの基本理念を基に港北ニュータウンは造られた。オープンスペース計画であるグリーンマトリックスシステムは、最重要な基幹的システムとして位置づけられていた。 グリーンマトリックスの実現には、当時の公団設計グループに加えて、ランドスケープアーキテクトである上野が大きな役割を果たしている。上野は、港北N.T.のオープンスペース計画でチーフプロデューサー的役割を務めあげた人物である。
小林 治人(こばやし はると、1937年 - )は、日本のラ… 小林 治人(こばやし はると、1937年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。長野県松本市出身。英国ラントスケープ学会名誉会員。東京ランドスケープ研究所創設者。 1960年に「国家公務員試験上級造園職に合格。1961年、東京農業大学農学部造園学科卒業。同年から1963年まで建設省に属し都市局人事で新潟県に出向、土木部技術吏員として、三条と長岡においての災害復旧直江津港背後地の土地区画整理事業に従事後、東京コンサルタントに籍をおきながら友人ら三人でLA規格制作事務所を創設。1968年に株式会社東京ランドスケープ研究所を設立し代表取締役社長就任。2016年、株式会社東京ランドスケープ研究所の代表取締役会長、2018年、株式会社東京ランドスケープ研究所会長(founder)。
杉尾邦江(すぎお くにえ、1936年-2023年)は、日本の… 杉尾邦江(すぎお くにえ、1936年-2023年)は、日本の女性ランドスケープアーキテクト。ランドスケープコンサルタント協会登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。技術士。都市計画コンサルタント協会マスター都市プランナー。ランドスケープコンサルタントのプレック研究所代表取締役会長。自然環境共生技術協会自然環境共生技術フォーラム理事。文化庁文化審議会専門委員、歴史的砂防施設の保存活用調査委員会委員。武蔵工業大学講師を歴任 東京都新宿区牛込出身。。 都市計画コンサルタント協会の紹介 参照。東京都立新宿高等学校を経て東京農業大学を1960年に卒業。 在学中の1959年 国家公務員上級職試験(造園職)に合格。
鈴木 昌道(すずき まさみち(しょうどう)、1935年 - … 鈴木 昌道(すずき まさみち(しょうどう)、1935年 - 2016年)は、日本の造園家、書家、ランドスケープアーキテクト、墨象家。栃木県生まれ。 1960年、千葉大学園芸学部を卒業後、東京工業大学工学部建築学科清家清研究室を経て1961年に東京オリンピック大会組織委員会に入会。1964年、芦原義信の建築設計事務所に入所し、芦原作品の外部空間設計をサポート。その後独立。1974年鈴木昌道研究所設立。以降、栃木県まちづくりアドバイザーも歴任。 1970年、日本工業大学建築学科 非常勤講師(~1985年)1982年、千葉大学造園学科 非常勤講師(~1989年)1993年、東京芸術大学美術学部非常勤講師。
川名 孝一(かわな こういち Kawana Kohichi、… 川名 孝一(かわな こういち Kawana Kohichi、1930年 - 1990年)は、アメリカ合衆国で活動した造園家・作庭家・ランドスケープアーキテクト。カリフォルニア大学教授を務めるとともに、アメリカ合衆国各地に日本庭園を作庭した。『ナショナルジオグラフィック』誌は、死の直前1990年8月号で彼の作品を特集した。 北海道生まれ。1971年に米国に帰化している(日系アメリカ人)。 1951年、横浜市立大学卒業。1959年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で建築の、1964年には農学の修士課程修了。1979年、パシフィック・ウエスタン大学で博士号。その後24年間に渡り母校UCLAの講師・教授として教鞭を執り、日本の庭園芸術をベースにした庭園制作、環境デザインを実践する。
今川 正彦(いまがわ まさひこ、1911年(明治44年)1月… 今川 正彦(いまがわ まさひこ、1911年(明治44年)1月4日 - 1996年(平成8年)12月7日)は、日本の官僚、都市計画家・ランドスケープアーキテクト、政治家。1981年から2期8年にわたり京都府京都市長も務める。 山口県防府市出身。岡山県第二岡山中学校(岡山県立岡山操山中学校・高等学校の前身)から再興旧制山口高等学校(山口大学の前身)を経て、1935年(昭和10年)東京帝国大学農学部(東京大学農学部の前身)を卒業。折下吉延に師事。卒業後内務省に入り都市計画千葉地方委員会技師。戦前は中国勤務、1939年に北京の華北政務委員会建設総省に派遣となるがそこで終戦を迎える。都市計画の専門家として暫くは北京に残り、1946年の夏に引き揚げ、翌1947年1月に戦災復興院の施設課長に就任する。
戸野 琢磨(との たくま、1891年 - 1985年5月10… 戸野 琢磨(との たくま、1891年 - 1985年5月10日)は、日本の造園家、作庭家、ランドスケープアーキテクト。造園分野では日本人で初めてアメリカの大学で学位を取得し、帰国後日本ではじめての造園設計事務所・ランドスケープコンサルタントを設立して設計活動した。 戦後はアメリカで日本庭園の作庭活動や講演などをとおして日米間のランドスケープアーキテクチェア分野での国際交流にも貢献した。 1959年に造園家アメリカ協会 (ASLA) メンバー・名誉会員に推挙され、米国の庭園デザイン界でも広く名を知られていた。米国大使館などの外国大使館庭園の作品も多く、日本とアメリカ両国でかなりの数の作品を残している。
応地 丘子(おうじ たかこ)は、日本のランドスケープアーキテ… 応地 丘子(おうじ たかこ)は、日本のランドスケープアーキテクト。Sasaki Assooiates In. Executive Officer Sasaki japan所属。同社エグゼクティブオフィサー/シニアランドスケープアーキテクト。 福岡市生まれ。福岡県立修猷館高等学校を経て九州芸術工科大学芸術工学部環境設計学科入学。1984年日本建築学会設計競技入選。大学卒業後マニトバ州マニトバ大学大学院国費留学生を経てハーバード大学デザイン大学院を修了しランドスケープアーキテクチャー修士。1990年ササキアソシエイツ(米国)入社。インディアナポリスの都市計画マスタープラン中心デザイナーとして活躍。このほかに公共空間設計をはじめ、集合住宅、大学キャンパスのランドスケープアーキテクトとして国際的なビックプロジェクトを手がけた他、2008年北京オリンピック会場国際コンペティションで1等受賞。
上山良子(うえやま りょうこ)は、日本のランドスケープアーキ… 上山良子(うえやま りょうこ)は、日本のランドスケープアーキテクト。ランドスケープコンサルタント・上山良子ランドスケープデザイン研究所主宰。長岡造形大学名誉教授。長崎県アーバンデザイン会議アドバイザー。 先祖は織田家の御殿医で、祖父良吉は慶應義塾で福澤諭吉に学んで通信省を経て王子製紙を含む多くの会社の経営の参画。父も銀行マンで実業家、母は芸術系で絵を描き染め物から革細工、刺繍まですべてを手がけた趣味人という家庭に育つ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、スカンジナビア航空を経て1968年に、日本万国博覧会電気通信館の設計に参加。 おもなプロジェクトは、1986 100 HILLS 企画,基本設計、1987 芝浦シーバンスLD(建築業協会賞(BCS賞)、1987 日立科学館屋上庭園基本/実施設計,監理、1988 Yes'89横浜博覧会 SK駅舎、バス停他、1988 日本ビソー長崎本社LD (環境緑化会長賞)、1988 玉川高島屋ショッビングセンター20周年記念改装、1990 JR 東日本T地区開発計画-LD 基本構想、(仮称)平塚湘南カルチャーパーク基本構想、1994 ホテルアクシオングアム1995 核融合科学研究所施設、東京都臨海道路換気所立坑基本計画基本設計、1996 関川村大石東保彫刻公園彫刻 幕張新都心住宅H-1: 幕張ベイタウングランパティオス公園東の街、1997 芝三丁目東地区再開発事業基本計画デザインガイドライン、2004 MOMOA美術館 2005 プラザノース(PF) 他。
白砂 伸夫 (しらすな のぶお、1953年- )は、日本のラ… 白砂 伸夫 (しらすな のぶお、1953年- )は、日本のランドスケープアーキテクト。ARTFUSION主宰。 神戸国際大学経済学部教授、倉敷芸術科学大学学長補佐。博士(環境共生学)(東京農業大学)。 1976年: 信州大学農学部卒業。 1976~83年 :京都大学工学部建築学教室 増田友也教授に師事 1991年〜現在、株式会社ARTFUSIONを設立、同代表取締役就任 2008年〜現在:神戸国際大学経済学部教授 2021年~現在:倉敷芸術科学大学学長補佐 2018年:日本造園学会賞(日本造園学会) 2018年:Literary Award : World Federation of Rose Societies 2015年:Award of Garden Excellence:World Federation of Rose Societies 2015年:摂津市立コミュニティプラザ:大阪市都市景観賞: 2014年:六甲アイランドCity Rose Garden:花のまちづくり国土交通大臣賞および兵庫県知事賞 2004年:熱海市出展庭園 浜名湖花博優秀賞 1998年:ゲントフローラリー(ベルギー):デザイン特別賞および国際庭園コンテスト2位 1987年::清水屋呉服店:煌めき大津賞(滋賀県)
青島 利浩(あおしま としひろ)は、東京ランドスケープ研究所… 青島 利浩(あおしま としひろ)は、東京ランドスケープ研究所に所属する日本のランドスケープアーキテクト。現在[いつ?]は同社埼玉事務所所長を務める。 1965年に東京農業大学農学部農業工学科を卒業した。 代表作に岐阜市清水緑地、都市緑化いしかわフェア会場などがある。 参加作品では、「笠間芸術の森公園(陶の杜)」が平成14年度都市公園等コンクール国土交通大臣賞、「大理石門関水晶園」が2015年CLA賞調査・計画部門特別賞を、それぞれ受賞している。 2007年に、第29回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
枝吉 茂種(えだよし しげたね)は、日本の造園家で、登録ラン… 枝吉 茂種(えだよし しげたね)は、日本の造園家で、登録ランドスケープアーキテクト。 1966年に東京農業大学農学部造園学科を卒業した。 グラック取締役会長を務めるほか、ランドスケープコンサルタンツ協会会長を務めた。 「藤沢市ビオトープ管理者養成講座(上級編)運営における技術的支援」で2013年CLA賞マネジメント部門奨励賞を、また2009年に第31回日本公園緑地協会北村賞を、それぞれ受賞している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
黛 卓郎(まゆずみ たくろう)は、日本の造園系都市計画家で、… 黛 卓郎(まゆずみ たくろう)は、日本の造園系都市計画家で、登録ランドスケープアーキテクト。 1967年に東京農業大学農学部造園学科を卒業した。 プレック研究所企画担当参事を務めた。 また、日本造園学会関東支部長(平成9年 - 10年度)も務める。 2013年に、第35回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 代表作に、横浜みなとみらい21中央地区水際公園(高島水際線公園、2014年ランドスケープコンサルタンツ協会CLA賞設計部門優秀賞)、習志野緑地・谷津干潟公園自然観察センター、牛久自然観察の森、国営吉野ヶ里歴史公園「北墳丘墓」などがある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
栗栖 宝一(くりす ほういち)は、アメリカ合衆国で活動する日… 栗栖 宝一(くりす ほういち)は、アメリカ合衆国で活動する日本庭園のデザイナー・ランドスケープアーキテクトである。米国オレゴン州ポートランド在住。 広島県生まれ。早稲田大学文学部卒業。東京で小形研三の元でランドスケープデザインを学ぶ。 その後渡米し、ポートランド日本庭園建設ディレクターを務める。同庭園の初代ディレクター戸野琢磨の推薦で、1968年から1972年まで第2代ディレクターを務めていた。 1972年に栗栖インターナショナル株式会社を設立、数々の庭園を築いてきた。同社はポートランドとフロリダ州デルレイビーチにオフィスを持つ。 ポートランド日本庭園のディレクターを務めていた。以来、癒しの庭園で複数の才能と専門知識を持つ庭園デザイナーとなった。