日向 敏文(ひなた としふみ、1955年2月23日 - )は… 日向 敏文(ひなた としふみ、1955年2月23日 - )は、東京都大田区出身の作曲家、ピアニスト。 弟は音楽プロデューサー、作曲家、キーボーディストの日向大介。 幼稚園からヤマハオルガン教室に通ったのち、ピアノ教室に移行し高校を卒業するまでレッスンを受けていた。ピアノを習っていた一方、高校生の頃にローリング・ストーンズなどの洋楽ロックに没入し、デルタ・ブルースも聴いていた影響で、ブルースにも関心を持つようにもなったという。 学習院高等科卒業後に渡英。ユースホステルに滞在しながらオートバイ会社でアルバイトするも帰国。その後、アメリカのノースランド大学に環境学を勉強するために留学する。 ウィスコンシン州のバーでバークリー音楽大学にトランペットを演奏しているミュージシャンとブルースバンドを結成し、キーボードを担当した。
奥村 優之(おくむら まさゆき、1955年2月23日 - )… 奥村 優之(おくむら まさゆき、1955年2月23日 - )は、福岡県北九州市出身の元教諭、サッカー指導者。 アンジュヴィオレ広島ゼネラルマネージャー 兼 監督を務めた。その後、ディアヴォロッソ広島の2023シーズンGM。 北九州市出身。幼いころは野球少年だったが転校した先では野球部がなかったため、サッカー部へ入り以降サッカーを続ける。 北九州市立大学卒業後、今後サッカーを指導していこうと教員を志し、以降は広島県の公立高校英語教諭(地方公務員)一筋で勤務した。まず広島県立佐伯高等学校に赴任し、同校サッカー部(男子)を創設する。 女子サッカー指導は、広島県立廿日市高等学校に赴任して以降のことで、同校にあった女子サッカー同好会を広島県内で初となる高校女子サッカー部として正式に立ち上げた。
長尾 章(ながお あきら、1955年2月23日 - )は、日… 長尾 章(ながお あきら、1955年2月23日 - )は、日本の実業家。株式会社ソルクシーズ共同創業者・代表取締役社長、株式会社エクスモーション取締役会長。 東京都出身。1978年青山学院大学理工学部物理学科卒業、中央コンピュータ入社。1983年中村正とシステムインテグレータのトータルシステムコンサルタント設立、取締役。1997年トータルシステムコンサルタント常務取締役。1998年エポックシステムと合併して誕生したソルクシーズの専務取締役に就任。2000年ソルクシーズ専務取締役事業本部長。2004年ソルクシーズ代表取締役専務。2005年ソルクシーズ代表取締役副社長。2006年からはソルクシーズ代表取締役社長として、M&Aやストックビジネスの強化などを進め、2008年からはエクスモーション代表取締役社長も兼務。
大石 哲史(おおいし さとし、1955年2月23日 - )は… 大石 哲史(おおいし さとし、1955年2月23日 - )は、日本の歌手、俳優、演出家。オペラシアターこんにゃく座副代表。 古刹勧修寺の中にある一寺、仏光院に生まれ育つ。祖母は尼僧の大石順教。幼少の頃より畠山みどりの歌に魅せられ、歌謡曲を歌うようになる。中学の頃には親戚に買ってもらったギターに夢中になり、高校では合唱部に入ったことで林光の合唱曲「蹄鉄屋の歌」に出会う。この合唱部の指導をしていた林浅子の勧めで、本格的に歌を勉強することになる。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのレコードに衝撃を受け、バリトン歌手になることを強く目指し始める。京都市立芸術大学を卒業後は一旦教職に就くが、関西二期会や京都オペラグループに所属しながら演奏活動を続ける。
大石 一雄(おおいし かずお、1955年2月23日 - )は… 大石 一雄(おおいし かずお、1955年2月23日 - )は、日本の玩具工業デザイナー。 東京都出身。プレックスに所属し、超合金をはじめとする男児キャラクター商品デザインに数多く携わった。 少年時代から車や飛行機を描くのを好み、『サンダーバード』や映画『2001年宇宙の旅』を見て、宇宙船の設計に憧れを持ち、工業デザインにも目覚める。少年時代から居住している世田谷区周辺には円谷プロ、東宝ビルト、栄スタジオ、エキスプロなど特撮関連のプロダクションが数多く存在し放課後によく見学に訪れ特撮製作の現場にも親しんだ。高校時代から工業デザイナーを志望し、大学は日本大学芸術学部美術学科工業デザインコースに入学する。
石田 芳雄(いしだ よしお、1955年2月23日 - )は、… 石田 芳雄(いしだ よしお、1955年2月23日 - )は、日本の元プロ野球選手である。群馬県利根郡川場村出身。 上武大一高(現在は廃校)ではエースとして活躍。1年夏の県大会ベスト4、1971年の2年夏は県大会準決勝に勝って北関東大会も決勝へ進むが同県の高崎商に敗れた。秋季県大会は準決勝に進むが、高崎商に惜敗。翌1972年夏の県大会は準々決勝で河原井正雄を擁する桐生高に敗退、北関東大会には進めなかった。 甲子園出場はならなかったが、アンダースローからのその小気味良いいピッチングがスカウトの目にとまり、1972年のドラフト会議で阪急ブレーブスから3位指名を受け入団。1974年にはチームが前期優勝を決めた後の6月25日、南海ホークス戦で高卒同期入団の石田真が先発した後を受けて3回1失点で石田真にプロ入り初勝利を捧げるとともに自身も初セーブを記録。
内田 貴(うちだ たかし、1954年2月23日 - )は、日… 内田 貴(うちだ たかし、1954年2月23日 - )は、日本の法学者。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1986年)。東京大学名誉教授。早稲田大学特命教授。法務省経済関係民刑基本法整備推進本部参与、民法(債権法)改正検討委員会事務局長。公益財団法人日本交通公社理事(非常勤)。星野英一門下。弟子に新堂明子、吉川吉樹、瀧本哲史など。 大阪府出身。民法、英米法を研究対象とし、特に契約法、電子取引法の分野において有名である。『民法I~IV』(東京大学出版会)は従来の体系書の形式ではなく、教科書として執筆されており前から順に読んでいけば民法が理解できるように工夫したとのことである。同じ東大教授であった平井宜雄と論争を繰り広げ平井・内田論争とよばれた。
惠 隆之介(めぐみ りゅうのすけ、1954年2月23日 - … 惠 隆之介(めぐみ りゅうのすけ、1954年2月23日 - )は、日本の評論家、ジャーナリスト。 元海上自衛官で、現在は軍事分野の評論を中心に活動している。 奄美出身の家系で中頭郡越來村(現:沖縄市)に生まれる。 1978年、防衛大学校管理学専攻コースを卒業(第22期)、海上自衛隊に入隊。海上自衛隊幹部候補生学校、世界一周遠洋航海を経て護衛艦隊に勤務した。四年後の1982年に二等海尉で退官。琉球銀行に勤務。その後、米軍基地就職学校「グロリア・ビジネススクール」校長、拓殖大学日本文化研究所客員教授、シンクタンク「沖縄と尖閣を守る会」代表などを務めている。 2012年(平成24年) から八重山日報論説委員長を務めていた が、2013年(平成25年)3月、わずか1年で辞任している。
佐藤 孝之(さとう たかゆき、1954年2月23日 - )は… 佐藤 孝之(さとう たかゆき、1954年2月23日 - )は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。神奈川大学日本常民文化研究所客員研究員。日本近世史専攻。 群馬県生まれ。1976年國學院大學文学部史学科卒業。81年同大学院文学研究科博士課程満期退学。94年「近世前期の幕領支配と村落」で國學院大学より博士(文学)の学位を取得。1984年東京大学史料編纂所助手、95年助教授、2001年教授。2019年定年退職、名誉教授。
苫米地 司(とまべち つかさ、1953年2月23日 - )は… 苫米地 司(とまべち つかさ、1953年2月23日 - )は、日本の工学者。学校法人北海道科学大学理事長兼北海道科学大学高等学校校長。日本雪工学会副会長、日本雪氷学会北海道支部理事、雪センター技術検討委員会副委員長。青森県六戸町出身。 建築物および工作物で発生する雪氷問題の発生メカニズムおよびその対策に関する研究。特に、積雪荷重の評価、屋根雪処理方法、着氷雪防止工法、雪氷利用に関する研究。
中嶋 悟(なかじま さとる、1953年2月23日 - )は、… 中嶋 悟(なかじま さとる、1953年2月23日 - )は、愛知県岡崎市出身の元レーシングドライバーで、有限会社中嶋企画代表取締役社長。身長165cm、体重60kg。血液型B型。 日本人初のF1フルタイムドライバーで、株式会社日本レースプロモーション(JRP)の取締役会長も歴任した。 愛知県岡崎市に、4人兄姉の末っ子として生まれる。生家は約300年続く農家。父親は航空母艦「雲鷹」で艦載機の整備兵をしていた軍人で、兄たちが戦死した後に農業を継いだ。 岡崎市立梅園小学校、岡崎市立葵中学校を経て、名城大学附属高等学校に進学。 高校在学中にレーシングカートを始め、数戦のレースに参加し優勝も経験。高校在学中に自動車運転免許を取得し、アルバイト先だったガソリンスタンドに就職。
福島 保(ふくしま たもつ、1953年2月23日 - )は、… 福島 保(ふくしま たもつ、1953年2月23日 - )は、日本の経営者。ベネッセコーポレーション社長を務めた。 岡山県出身。1971年に林野高等学校を卒業し、同年に福武書店(のちのベネッセコーポレーション)に入社。入社と同時に岡山大学にも通っていたが、2年で中退。2000年に取締役に就任し、2003年に専務を経て、2007年4月に社長に就任し、2013年4月までに務めた。2009年10月にはベネッセホールディングス社長にも就任し、2014年3月には副会長に就任。
村上 英三(むらかみ えいぞう、1953年2月23日 - 2… 村上 英三(むらかみ えいぞう、1953年2月23日 - 2024年8月1日)は、日本の海事実業家。川崎汽船代表取締役社長を経て、同社取締役会長、日本船主協会副会長。 兵庫県神戸市生まれ。1975年関西学院大学経済学部卒業、川崎汽船入社。2004年コンテナ船事業グループ長。2005年取締役コンテナ船事業グループ長に昇格。2007年常務執行役員。2009年代表取締役専務執行役員。2014年代表取締役副社長執行役員。朝倉次郎代表取締役社長とともに、経営危機にあった川崎汽船の再建にあたり、2015年からは朝倉の後任として代表取締役社長を務め、船舶契約の見直しなどを進めた。2019年取締役会長。日本船主協会副会長も務めた。
小澤 敬也(おざわ けいや、1953年2月23日 - )は、… 小澤 敬也(おざわ けいや、1953年2月23日 - )は、日本の血液内科医、医学者。専門は血液内科学、遺伝子治療、細胞治療。自治医科大学名誉教授・客員教授、難治性疾患遺伝子細胞治療開発講座責任者。元東京大学医科学研究所附属病院院長、元同遺伝子・細胞治療センター長。日本内科学会名誉会員(元理事)、日本血液学会名誉会員(元副理事長、第74回学術集会会長)。日本における遺伝子治療研究の先駆者の一人として知られる。 現在は首都医校校長、テルモ株式会社社外取締役、日本医療研究開発機構(AMED)再生医療関連事業のプログラムスーパーバイザー・プログラムオフィサーなども務める。 白血病コロニー研究から出発し、造血幹細胞への遺伝子導入、アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターを用いた遺伝子治療、選択的増幅遺伝子(SAG)システム、CAR-T細胞療法、間葉系幹細胞治療などの分野で先駆的な業績を残した。
守田優(もりた まさる、1953年2月23日 - )は、日… 守田優(もりた まさる、1953年2月23日 - )は、日本の水文学者、芝浦工業大学名誉教授。 熊本県熊本市に生まれる。熊本県立熊本高等学校を経て、1976年東京大学工学部土木工学科卒業。1978年同大学大学院修士課程修了、1986年7月「線形応答系としての被圧地下水位変動の解析とその地下水管理への応用に関する基礎的研究」で工学博士(東京大学)。 1978年東京都土木技術研究所にて地盤沈下、地下水、都市河川の研究に従事する。1987年芝浦工業大学講師、1990年同助教授、1996年同教授。芝浦工業大学副学長を務め、2021年退任。
高橋 淳之(たかはし あつゆき、1952年2月23日 - )… 高橋 淳之(たかはし あつゆき、1952年2月23日 - )は、NHKの元アナウンサー。 東京都立明正高等学校、電気通信大学卒業後、1975年入局。富山、北九州、浦和、福島、東京、広島、東京と勤務し情報番組のリポーターや、広島局アナウンス担当部長(現:専任部長)や東京アナウンス室次長などを歴任。 後にNHK放送研修センター・日本語センターへ出向となり、エグゼクティブアナウンサーから専門委員として主にアナウンスや朗読などの研修講師を行っている。 2011年、松本和也アナの休養で、徳田章アナが『NHKのど自慢』の司会に復帰した事情から、明石勇アンカーが第2・4日曜から第1・3・5日曜に移った後を受け、同年8月に『ラジオ深夜便』アンカーに就任。
梅田 智子(、1952年〈昭和27年〉2月23日 - )は、… 梅田 智子(、1952年〈昭和27年〉2月23日 - )は、日本の女優。ギャラクシーオーシャン所属。1970年代の中頃には、梅田 智美(うめだ ともみ)名義で芸能活動していた期間もある。東京都豊島区駒込[要出典]出身。 兄と妹がいる。富士見高等学校卒業。中学・高校時代は水泳、バスケットボールでも活動。 1967年、東宝ニュータレント8期生として東宝へ入社。同期生は、徳永礼子、牧とし子、木村由貴子、鈴木ひとみ、成川哲夫、関口昭子、斉藤宣丈。 1968年、竜雷太主演の『でっかい青春』(日本テレビ)で、シリーズ後半、竜の役どころが市役所職員から高校の代用教員へ変更となり、その際、菊容子、大谷直、中沢治夫らと一緒にレギュラーの生徒役としてデビュー。
藤原 崇起(ふじわら たかおき、1952年2月23日 - )… 藤原 崇起(ふじわら たかおき、1952年2月23日 - )は、日本の実業家。阪神電気鉄道代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、阪急阪神ホールディングス代表取締役、阪神タイガース取締役会長兼オーナー。 兵庫県明石市の公務員の家に生まれる。1975年に大阪府立大学経済学部卒業後、公共的な仕事を志し、阪神電気鉄道入社。鉄道部門に配属され、以降長く鉄道事業に従事し、車掌や運転士見習なども経験した。阪神タクシー出向や、鉄道事業本部運輸部長を経て、2005年取締役に昇格。2007年常務取締役鉄道事業本部長。2009年神戸高速鉄道代表取締役社長。 2011年から阪神電気鉄道代表取締役社長兼阪急阪神ホールディングス取締役を務めた。
井上 稔朗(いのうえ としお、1952年〈昭和27年〉2月2… 井上 稔朗(いのうえ としお、1952年〈昭和27年〉2月23日 - )は、日本の政治家、元岡山県赤磐市長 岡山県赤磐市出身。神戸大学経営学部卒。赤磐郡吉井町で建設会社を営む。2005年、吉井町は合併により、赤磐市が発足。合併後の赤磐市議会議員選挙に立候補し、当選。赤磐市議を1期務め、2009年の市長選挙に立候補し、現職の荒嶋龍一を破って当選した。赤磐市長を1期務め、2013年の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、元岡山市職員の友實武則に敗れた。その後、2015年の岡山県議会議員選挙に無所属で立候補しが、落選した。落選後は美作東備森林組合代表理事組合長を務め、2021年の赤磐市長選挙に再び立候補したが、現職の友實武則に敗れた。
川村 湊(かわむら みなと、1951年2月23日 - )は、… 川村 湊(かわむら みなと、1951年2月23日 - )は、日本の文芸評論家。法政大学国際文化学部名誉教授。 北海道網走市生まれ。北海道砂川南高等学校を経て、1974年法政大学法学部政治学科を卒業、株式会社大中入社。大学在学中に柄谷行人の教えを受けた。1978年株式会社水産社入社。1980年、「異様(ことよう)なるものをめぐって─徒然草論」が群像新人文学賞の優秀作に選ばれ、文芸評論家として活動を開始。 1982年韓国・東亜大学校文科大学日本語日本文学科専任講師、1985年同助教授、1990年法政大学第一教養部助教授を経て1994年教授、1999年法政大学国際文化学部教授。国際文化学部学部長。2017年退任し、名誉教授。
北村 邦夫(きたむら くにお、1951年(昭和26年)2月2… 北村 邦夫(きたむら くにお、1951年(昭和26年)2月23日 - )は、日本の産婦人科医、作家。一般社団法人日本家族計画協会会長。経口避妊薬(ピル)や緊急避妊法の普及、思春期の性教育と性感染症予防に関する啓発活動で知られる。 群馬県渋川市生まれ。母子家庭で6人兄弟の困窮家庭に育つ。群馬県立渋川高等学校を卒業後、地域医療に従事すれば授業料が免除される自治医科大学医学部に、1972年に第1期生として入学した。卒業後は群馬県庁に在籍しながら、群馬大学医学部産科婦人科学教室で臨床を学んだ。 1988年4月、日本家族計画協会クリニック所長に就任。その後、同協会理事長、家族計画研究センター所長などを経て会長に就任した。
芥 真木(あくた まき、1951年2月23日)は、東京都文京… 芥 真木(あくた まき、1951年2月23日)は、東京都文京区出身のコミック原作者、作家である。 東京都立荻窪高校卒、阿佐ヶ谷美術専門学校卒。武蔵野美術大学グラフィックデザイン科中退。15歳、中学時代に『毎日中学生新聞』で4コマ作品デビュー。17歳、高校時代より『蛍雪時代(旺文社)』や『近代映画(近代映画社)』でコミックの連載を開始。20歳のときに手塚治虫主宰のコミック雑誌『COM』で『COM新人賞』を受賞。審査員は手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、ちばてつや、つのだじろうなど。この時に賞を争った相手は、後に伝奇漫画家としてメジャーになった諸星大二郎。 1973年、漫画家つのだじろうプロダクションのマネージャーとして4年間在籍。
府川 充男(ふかわ みつお、1951年2月23日 - )は、… 府川 充男(ふかわ みつお、1951年2月23日 - )は、日本の印刷史研究者、タイポグラファー。『印刷史研究』(印刷史研究会)編輯委員。 横浜市に生まれる。桐朋中学校・高等学校卒業、早稲田大学教育学部教育学科教育学専攻抹籍。1970年代中葉に雑誌編集者となり、校正、割付、デザイン、広告営業、書店営業も手掛けるようになった。当時は写研の黄金時代だが既製の写植書体にあきたらず、版面設計の材料をふやす目的で、活字の清刷などを基にした仮名文字盤を自作し始める。1980年代に制作された築地体や秀英体を中心とする、活字書体によるおのおの一点ものの仮名文字盤は数十種類に及ぶ。活字書体の探求が近代印刷史を渉猟するきっかけとなって、分析書誌学というあくまで印刷版面を基点とする方法を援用しつつ、組版、印刷とその周辺技術、文化事象の歴史的解明をはかる。
石橋 幸治(いしばし こうじ、1951年2月23日 - )は… 石橋 幸治(いしばし こうじ、1951年2月23日 - )は、テレビ朝日の元アナウンサー。神奈川県横浜市出身。 聖光学院高校、立教大学を卒業。1974年4月1日、テレビ朝日(当時は日本教育テレビ(NET))に入社。主にスポーツ中継を担当し、アナウンス部デスクを歴任。 2004年、テレビ朝日に新設されたお客様フロント局に異動。「はい!テレビ朝日です」という名前の視聴者センターの長を務め、テレビ朝日ミュージックの取締役を務めた。
立石 博高(たていし ひろたか、1951年2月23日 - )… 立石 博高(たていし ひろたか、1951年2月23日 - )は、日本の歴史学者。専門は、スペイン近現代史。スペイン近代史・スペイン地域研究の先導的研究者である。東京外国語大学名誉教授、元同大学学長。一橋大学経営協議会委員。神奈川大学非常勤講師。 神奈川県出身。1969年、鎌倉学園高等学校卒業。1976年、東京外国語大学外国語学部卒業。1978年、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1980年、同大学大学院人文科学研究科博士課程中退、同大学人文学部助手。 1984年、同志社大学商学部講師、1987年同助教授を経て、1992年、東京外国語大学外国語学部助教授に就任。1995年、同教授。2009年、大学院重点化に伴い、東京外国語大学総合国際学研究院(国際社会部門・地域研究系)教授へ所属変更。
森 重文(もり しげふみ、1951年〈昭和26年〉2月23日… 森 重文(もり しげふみ、1951年〈昭和26年〉2月23日 - )は、日本の数学者。京都大学名誉教授。学位は理学博士(京都大学・1978年)。 京都大学理学部助手、ハーバード大学助教授、名古屋大学理学部教授、京都大学数理解析研究所教授、京都大学数理解析研究所所長、京都大学高等研究院研究院長などを歴任した。 愛知県名古屋市出身の数学者である。代数幾何学における双有理幾何学を専攻する。代数幾何学での業績により、1990年にフィールズ賞を受賞した。名古屋大学教授、京都大学数理解析研究所教授・所長、名古屋大学特別教授、京都大学高等研究院特別教授・研究院長を歴任した。ハーバード大学、プリンストン高等研究所、マックス・プランク研究所、コロンビア大学など、日本国外での研究経験も豊富であった。
山本 泰(やまもと やすし、1951年2月23日 - )は、… 山本 泰(やまもと やすし、1951年2月23日 - )は、日本の社会学者、東京大学名誉教授。社会調査、現代社会論が専門。
野口 実(のぐち みのる、1951年2月23日- )は、日本… 野口 実(のぐち みのる、1951年2月23日- )は、日本の歴史学者。日本中世政治史・社会史専攻。京都女子大学名誉教授。 千葉市出身。1973年青山学院大学文学部史学科卒、1981年同大学院文学研究科史学専攻博士課程修了。「坂東八カ国における武士団の成立と発展」で青山学院大学文学博士。1979年千葉県公立高等学校教諭、1986年古代学協会平安博物館専任講師、同年京都文化財団歴史研究室主任研究員、1988年京都府京都文化博物館学芸第二課主任学芸員、1989年鹿児島経済大学社会学部助教授、93年教授、1994年聖徳大学人文学部日本文化学科教授、2000年京都女子大学宗教・文化研究所教授。2021年定年退職、名誉教授。
竹田 博(たけだ ひろし、1951年2月23日 - )は、日… 竹田 博(たけだ ひろし、1951年2月23日 - )は、日本の経営者。東京都出身。 1973年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に日綿実業(後のニチメン、現在の双日)に入社。 2001年6月に取締役に就任し、2002年6月に専務を経て、2003年4月に社長に就任した。しかし、体調不良により、同年12月に社長を辞任。
山本 泰(やまもと やすし、1951年2月23日 -2023… 山本 泰(やまもと やすし、1951年2月23日 -2023年6月7日)は、日本の社会学者。専門は社会学理論、社会調査、現代社会論。東京大学名誉教授。 東京都生まれ。大阪府立北野高等学校卒。1974年東京大学文学部社会学科卒。1978年同博士課程中退、助手。指導教官は高橋徹。 1982年東京大学教養学部助教授。1996年同教授を経て、同大学院総合文化研究科教授(相関社会科学)。2016年に定年退任となり、同大学名誉教授。 妻は文化人類学者の山本真鳥。門下生に砂原庸介(神戸大学大学院法学研究科教授)、鶴見太郎(東京大学大学院総合文化研究科准教授)、森川美絵(津田塾大学教授)、堀田真吾(外務省)など。
日野 正輝(ひの まさてる、1951年2月23日 - )は、… 日野 正輝(ひの まさてる、1951年2月23日 - )は、人文地理学を専門とする日本の地理学者、東北大学名誉教授、中国学園大学名誉教授。 おもに都市システムや企業の支店立地に関する研究など、都市地理学と経済地理学の接点となる領域で業績を残した。 1974年に名古屋大学文学部史学科を卒業して、大学院に進み、1976年に大学院文学研究科博士前期課程を修了し、1979年に博士後期課程を単位取得退学した。 当時の名古屋大学の地理学教室では、学生たちの間に計量地理学への関心が高かったといい、日野の学部時代の先輩や大学院生には、久保幸夫、杉浦芳夫、林上、阿部和俊らがいた。 1982年に東北大学理学部助手となった。
中野 光雄(なかの みつお、1951年2月23日 - )は、… 中野 光雄(なかの みつお、1951年2月23日 - )は、日本の繊維技術者、実業家。元富士紡ホールディングス株式会社代表取締役会長兼社長。元日本紡績協会会長。 福島県田村郡小野町出身。1973年山形大学工学部繊維工学科卒業、富士紡績入社。1998年富士紡績機能資材部長。2002年富士紡績機能品事業部長兼機能品部長。 2004年富士紡績取締役機能品事業部長。2005年柳井化学工業代表取締役社長。2006年富士紡ホールディングス代表取締役社長。2011年日本紡績協会会長。2017年富士紡ホールディングス代表取締役会長兼社長。2019年日本紡績協会会長。同年山形大学学長選考会議代理として、相澤益男議長の下、玉手英利の学長選出にあたった。
池田 敏春(いけだ としはる、1951年2月23日 - 20… 池田 敏春(いけだ としはる、1951年2月23日 - 2010年12月24日)は、日本の映画監督。山形県出身。 1974年、早稲田大学第一文学部卒業。在学中から石原プロモーションにて助監督を務める。卒業後日活に入社。曽根中生などの助監督をしながら脚本を執筆する。同期入社には根岸吉太郎がいる。 1980年、『スケバンマフィア・肉刑・リンチ』にて監督デビューを果たし、1982年『天使のはらわた 赤い淫画』がきっかけで日活を退社しディレクターズ・カンパニーに参加する。『人魚伝説』はディレクターズカンパニーの第一作の作品で監督たちの手によって思いどおりの作品を作るという理想の作品として、当時の日本映画界を震撼させた。
原田 猛(はらだ たけし、1950年2月23日 - )は、日… 原田 猛(はらだ たけし、1950年2月23日 - )は、日本の実業家。株式会社ダイハツディーゼル代表取締役会長。兵庫県篠山市(現・丹波篠山市)出身。 篠山市今田町木津生まれ。三田学園出身。大阪経済大学経済学部を卒業し、1972年にダイハツディーゼルに入社、三菱重工長崎造船所を担当。取締役、常務取締役を経て、1992年に代表取締役社長就任。2016年に会長となった。
蓑茂 寿太郎(みのも としたろう、1950年2月23日 - … 蓑茂 寿太郎(みのも としたろう、1950年2月23日 - )は、日本の造園学者、農学者、熊本県立大学理事長(初代)。農学博士。造園学・都市農村計画・環境計画・公園計画を専門としている。東京農業大学名誉教授、熊本県立大学名誉フェロ―、公園財団理事長、熊本市都市政策研究所所長、熊本県立大学客員教授。日本造園学会名誉会員、日本都市計画学会名誉会員 東京農業大学を卒業し、東京農業大学地域環境科学部教授、造園科学科長、大学院農学研究科造園学専攻主任教授、副学長、学校法人東京農業大学理事を歴任。その他に(社)日本造園学会会会長、(社)日本都市計画学会副会長、農村計画学会副会長を歴任。建設省都市計画中央審議会専門委員、国土交通省国家試験委員等を歴任。
宗像 衣子(むなかた きぬこ、1950年2月23日 - 20… 宗像 衣子(むなかた きぬこ、1950年2月23日 - 2019年3月7日)は、日本のフランス文学者。 1950年に京都市に生まれる。1973年京都大学文学部フランス文学専攻卒業、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学, 新ソルボンヌ・パリ第3大学文学博士。神戸松蔭女子学院大学文学部総合文芸学科助教授、教授。 2019年3月7日、膵臓癌のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
藤井 淑禎(ふじい ひでただ、1950年2月23日 - )は… 藤井 淑禎(ふじい ひでただ、1950年2月23日 - )は、日本近代文学の研究者。立教大学名誉教授。 愛知県豊橋市生まれ。1974年慶應義塾大学文学部卒業、1979年立教大学大学院博士課程満期退学、同年東海学園女子短期大学専任講師、1985年助教授、1990年立教大学文学部助教授、1992年教授。立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター長。2015年定年退任、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
石塚 博昭(いしづか ひろあき、1950年〈昭和25年〉2月… 石塚 博昭(いしづか ひろあき、1950年〈昭和25年〉2月23日 - )は、日本の実業家。 兵庫県明石市出身。1972年(昭和47年)3月、東京大学理学部化学科を卒業。同年4月、三菱化成工業に入社。 太洋尼龍股份有限公司取締役副社長、三菱化成東京支店樹脂部門主席、三菱エンジニアリングプラスチックス東京支店営業第一部長、同社取締役海外営業部長、同社常務取締役営業本部長、三菱化学執行役員化学品本部長、同社常務執行役員ポリマー本部長、同社石化企画管理部門長、同社代表取締役専務取締役員石化基盤本部長などを歴任。 1994年から2007年までの13年間、三菱エンジニアリングプラスチックスで海外営業を担当し、2007年4月に三菱化学執行役員ポリマー本部長に就任。
篠崎 一雄(しのざき かずお、1949年2月23日 - )は… 篠崎 一雄(しのざき かずお、1949年2月23日 - )は、日本の分子生物学者。学位は、理学博士。栃木県宇都宮市出身。妻は植物学者で東京大学名誉教授の篠崎和子。 理化学研究所機能開発研究グループグループディレクター。米国科学アカデミー外国人会員に選出。植物の環境ストレス応答と耐性獲得機構を先駆的に解明。 植物ゲノム機能情報研究グループ プロジェクトディレクター 宇都宮大学バイオサイエンス研究センター特別顧問就任。
岩沢 二弓(いわさわ ふゆみ、1949年2月23日 - )は… 岩沢 二弓(いわさわ ふゆみ、1949年2月23日 - )は日本のシンガーソングライター。神奈川県茅ヶ崎市出身、血液型はAB型。本名は岩澤 二弓。 実の兄・岩沢幸矢と共に、ブレッド&バターとして1969年10月シングル「傷だらけの軽井沢」でメジャー・デビュー。 娘はミュージシャンの岩沢シーマ(Seema)。2000年に父娘ユニット「mondayz」名義で、アルバム「monday beach」をリリース。 1997年 ソロ・アルバムの発売を機に作詞・作曲名のクレジット表記を「岩沢二弓」から「岩澤二弓」へ変更。ブレッド&バターとしての活動と並行し、ソロ・バンド・別ユニット等でのライブ活動も行う。 2009年2月23日 還暦を迎え、ソロでのライブ活動を再開する。
杉本 博司(すぎもと ひろし、1948年2月23日 - )は… 杉本 博司(すぎもと ひろし、1948年2月23日 - )は、日本の写真家、現代美術作家、建築家、演出家、文化功労者、日本芸術院会員。東京都台東区(旧・御徒町)出身。1970年渡米、1974年よりニューヨーク在住。東京およびニューヨークを活動の拠点としている。 銀座美容商事という美容院専門商品の卸売商店の長男として、東京都御徒町で生まれる。立教高等学校(現:立教新座高等学校)、立教大学経済学部を卒業。夏は家族で伊豆の海に行くことが多く、その途中の真鶴付近の東海道線の車内から初めて海を見た際に水平線の鋭さに衝撃を受け、この水平線を数万年前の人と同じように見ていることに思いを馳せたという。立教中学では鉄道模型に熱中し、鉄道写真を通じて写真との関わりを始めた。
月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年〈昭和23年〉2月… 月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年〈昭和23年〉2月23日 - )は、上方の落語家。上方落語協会顧問。出囃子は『夫婦萬歳』。大阪府大阪市福島区出身、大阪市福島区在住。吉本興業所属。浪商高等学校(現:大阪体育大学浪商高等学校)出身。関西学院大学経済学部オープンカレッジコース(1年)修了。弟子の月亭八光は長男。 子供の頃は病気がちだった。父親は銀行員、母は大衆演劇のファンで、八方が売れてからは地元福島区でお好み焼き屋を営んでいた。妻は大衆演劇出身で、九州にいた頃には吉本新喜劇の木村進と共演経験もあった。 八方自身の子供の頃の夢は、プロ野球選手と漫才師であった。まずはプロ野球選手を目指そうと浪商高校に進学するものの、周りのレベルの高さから夢を断念(2学年上には主将の高田繁がいる)。
山口 進(やまぐち すすむ、1948年〈昭和23年〉2月23… 山口 進(やまぐち すすむ、1948年〈昭和23年〉2月23日 - 2022年〈令和4年〉12月23日)は、日本の昆虫植物写真家、自然ジャーナリスト。自然科学写真家協会会員、日本鱗翅学会会員。 1948年、三重県に生まれる。小学校3年時から長崎県長崎市に移り、長崎市立西町小学校、長崎市立緑が丘中学校を経て長崎県立長崎西高等学校卒業まで長崎で過ごした。海洋研究者だった父親の影響を受けて、子どもの頃は昆虫図鑑や冒険小説などの本を読むことや自然が大好きだったという。高校2年の時に長崎の古書店で眺めた高山蝶の写真集に感銘を受け、自身の目で国外の虫や花を見たくなり、翌年には台湾へ60日間の一人旅に出かけた。
水島 藤一郎(みずしま とういちろう、1947年2月23日 … 水島 藤一郎(みずしま とういちろう、1947年2月23日 - )は日本の実業家。過去に、三井住友銀行副頭取を経て、初代独立行政法人年金・健康保険福祉施設整理機構理事長、日本年金機構理事長を務めた。現在はTMI総合法律事務所顧問、(独)地域医療機能推進機構顧問、シップヘルスケアホールディングス㈱監査役等に就任している。 神奈川県出身。神奈川県立平塚江南高等学校を経て、1969年一橋大学法学部を卒業し、三井銀行に入行する。1997年さくら銀行取締役法人部長、2000年さくら銀行常務執行役員、2001年三井住友銀行常務取締役兼常務執行役員、2004年三井住友銀行副頭取をそれぞれ務める。信賞必罰の人事采配で「鬼軍曹」と称された。
奥野 俊一(おくの しゅんいち、1947年2月23日 - )… 奥野 俊一(おくの しゅんいち、1947年2月23日 - )は、宮崎県出身のバスケットボール指導者、解説者。 福岡市立多々良中学校でバスケを始め、長崎西高校、東京教育大学でポイントガードとして活躍。大学では主将も務めた。 卒業後、長崎東高校のコーチや大学院でコーチ学を学び、修了後は東芝男子、第一勧銀女子などで指揮を執る。 1989年にはケンタッキー大学へコーチ留学。一方で、全日本男子のコーチも務め、1990年にはヤングメンアジア選手権優勝に導く。 現在はNHKのNBA解説と普及活動を務めている。 2011年にプロバスケットボールチーム「ライジング福岡」のオーナー代行兼GM、2012年からは社長に就任したがその後退任した。
新田 信昭(にった のぶあき、1947年2月23日 - )は… 新田 信昭(にった のぶあき、1947年2月23日 - )は、日本の経営者。阪急百貨店社長、阪急阪神百貨店社長を務めた。大阪府出身。 1970年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年に阪急百貨店に入社。1999年に取締役に就任し、2003年に専務執行役員を経て、2005年4月に社長に就任した。阪神百貨店との経営統合に伴い、2007年10月から2012年3月までに阪急阪神百貨店社長を務めた。
井上 晴夫(いのうえ はるお、1947年2月23日 - )は… 井上 晴夫(いのうえ はるお、1947年2月23日 - )は、日本の化学者。東京都立大学大学院都市環境科学研究科教授、特別先導教授、東京都立大学名誉教授。工学博士。専門は光化学、人工光合成、光機能物質、化学反応エネルギー共役。 滋賀県野洲郡守山町(現:守山市)生まれ。大阪府立豊中高等学校卒業。同級生に数学者の柏原正樹、音楽家の加古隆など。東京大学工学部工業化学科卒業。1982年に論文名“Photochemistry of Anthraquinone Derivatives by Visible Light”で工学博士の学位を取得。主査は本多健一。学部3年次に牧島象二の最終講義を受け学問への姿勢に深く感銘し光化学分野に進む。
本多 晃(ほんだ あきら、1947年(昭和22年)2月23日… 本多 晃(ほんだ あきら、1947年(昭和22年)2月23日 - 2019年(令和元年)5月27日)は、日本の政治家、国土交通官僚。元千葉県柏市長(第5代・4期)。 兵庫県出身。兵庫県立神戸高等学校、東京大学工学部都市工学科を卒業。 1971年、建設省(現国土交通省)入省。 1980年、建設省計画局国際課海外協力官としてインドネシアに派遣。 1989年、建設省都市局都市再開発課建設専門官就任。 1991年、柏市助役就任。 1993年10月、柏市助役を退任し、第5代柏市長に就任。 2009年8月、家族の健康の理由で5期目は立候補しないことを表明。 2019年5月、肺炎のため逝去。72歳没。
芦川 羊子(あしかわ ようこ、1947年2月23日 - )は… 芦川 羊子(あしかわ ようこ、1947年2月23日 - )は舞踏家。千葉県出身。武蔵野美術大学卒。本名は洋子。 1967年、石井満隆に誘われて土方巽のアスベスト館に入る。美大生でそれまでダンス経験はなかったが、1968年8月3日、第1回リサイタルを草月会館ホールで開催した。構成・演出・振付は土方巽。きわめて短い訓練期間でソロ・リサイタルを開いたことになる。 土方はそれまで、男性の舞踏家を中心に舞台をつくっていたが、この頃からアスベスト館に女性が入るようになる。こののちアスベスト館の中核的ダンサーとなり、土方巽の舞踏に欠かせない舞踏家へと成長することとなった。 1968年、澁澤龍彦責任編集の『血と薔薇』(第2号)で土井典製作の「鍵のかかる女」の貞操帯を着用して立木義浩撮影で表紙を飾った。
宇崎 竜童(うざき りゅうどう、1946年2月23日 - )… 宇崎 竜童(うざき りゅうどう、1946年2月23日 - )は、日本の歌手、作曲家、俳優、映画監督。京都府京都市伏見区生まれ。東京育ち。妻は作詞家の阿木燿子。 1970年代中期から1980年初頭にダウン・タウン・ブギウギ・バンド、1980年代中期から1990年代初頭に竜童組、1990年代中期から後期に宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之を率い、バンドの活動の合間にソロとしても活動する。妻は作詞家の阿木燿子。「作詞・阿木、作曲・宇崎」のコンビで商業主義的な歌謡曲界においても、数多くの楽曲をヒットさせると共に山口百恵の全盛期を支えた。 母親の出身地で疎開先だった京都市伏見区に生まれる。