千葉 和彦(ちば かずひこ、1985年6月21日 - )は、… 千葉 和彦(ちば かずひこ、1985年6月21日 - )は、北海道釧路郡釧路町出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはDF(センターバック)。
北海道:172人
千葉 和彦(ちば かずひこ、1985年6月21日 - )は、… 千葉 和彦(ちば かずひこ、1985年6月21日 - )は、北海道釧路郡釧路町出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはDF(センターバック)。
斉川 雄介(さいかわ ゆうすけ、1985年6月10日 - )… 斉川 雄介(さいかわ ゆうすけ、1985年6月10日 - )は、北海道出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 札幌第一高校を卒業後、2004年にJ2リーグのコンサドーレ札幌に入団。8月29日、ヴァンフォーレ甲府戦で途中出場でデビューした。しかし、出場機会はこの1試合のみで、シーズン終了後に退団した。
鈴木 智樹(すずき ともき、1985年6月8日 - )は、北… 鈴木 智樹(すずき ともき、1985年6月8日 - )は、北海道岩見沢市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはMFで主にボランチとしてプレー。ミドルレンジからのシュートを得意とした。 コンサドーレ札幌ユース時代に世代別代表に選出されるなど頭角を現す。2003年の天皇杯全日本サッカー選手権大会ではユース選手ながらトップチームに帯同し3試合に出場、1得点を挙げる活躍を見せた。翌2004年にトップチームに昇格。ルーキーイヤーから出場機会を掴み、レギュラー定着とまではいかなかったものの、2006年までは毎年、20試合以上に出場。特に2006年は30試合以上に出場し2得点を挙げるなど中心選手の一人としてチームを支えた。
菅原 康太(すがわら こうた、1985年5月22日 - )は… 菅原 康太(すがわら こうた、1985年5月22日 - )は、北海道室蘭市出身 のサッカー選手。ポジションはFW。 北海道のサッカー強豪校、室蘭大谷高等学校で1年時からレギュラーとなり、2年時では全国高校選手権にも出場。3年時は北海道予選決勝で敗れたものの、準決勝ではハットトリック、決勝でも1得点を挙げるなどチームを牽引した。高校卒業後は国士舘大学へ進学。2004年には1年生ながらJFLで18試合に出場し6得点を挙げるなど活躍。シーズン終了間際にサッカー部の起こした不祥事により最終節は中止、その年を最後にJFLを脱退するというトラブルもあったが、菅原はその後も躍進を続け、2007年には関東大学1部リーグで4位となる11得点をあげるなど活躍。
三澤 純一(みさわ じゅんいち、1985年5月21日 - )… 三澤 純一(みさわ じゅんいち、1985年5月21日 - )は、北海道出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 2008年、筑波大学からベガルタ仙台に入団。出場機会を得られず、2010年に戦力外となる。翌年FC琉球に移籍するが、同年限りで引退。
市村 篤司(いちむら あつし、1984年11月18日 - )… 市村 篤司(いちむら あつし、1984年11月18日 - )は、北海道恵庭市出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。2019年に、17年間の現役生活に終止符を打ち、現在は熊本にセリオサッカースクールを立ち上げ、子供たちを指導している。 2005年、コンサドーレ札幌から九州サッカーリーグに所属しているロッソ熊本(現 ロアッソ熊本)の誕生と共に移籍。 熊本では不動の右サイドバックとして活躍。しかし、2010年シーズンはワールドカップ南アフリカ大会による中断直前に腸脛靭帯炎を発症したため11月中旬まで試合には出られず、17試合の出場に留まった。常に移籍の噂はあったが、ロアッソ熊本に8年在籍した。
千葉 貴仁(ちば たかひと、1984年11月7日 - )は、… 千葉 貴仁(ちば たかひと、1984年11月7日 - )は、北海道紋別市出身の元プロサッカー選手。DF。サッカー指導者。現在は母校青森山田高校でコーチを務める。公認C級コーチ。 青森山田高等学校卒業後、2003年にセレッソ大阪に入団し、1対1に強さを見せるセンターバックであった。2年目の2004年にレギュラーポジションを獲得し、初得点もマークした。しかし2005年は出場機会がなく、2006年はコンサドーレ札幌にレンタル移籍し、2007年はセレッソ大阪に復帰したが2008年シーズン終了後戦力外となり、退団。 2010年3月母校の青森山田高校サッカー部のコーチとして青森へ異動し、同年4月に東北社会人リーグ2部北ブロックのラインメール青森FCに加入。
武藤 崇志(むとう たかゆき、1984年8月25日 - )は… 武藤 崇志(むとう たかゆき、1984年8月25日 - )は、北海道出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 2015- 北海道小樽市 北照高等学校 顧問
矢野 哲也(やの てつや、1984年5月21日 - )は、北… 矢野 哲也(やの てつや、1984年5月21日 - )は、北海道出身の元サッカー選手、経営者。現役時代のポジションは、DF。 札幌サッカースクールでサッカーを始める。同期生に山瀬幸宏がいる。北海高校に進学。高校の同級生には、市村篤司がいる。北海道選抜として柏レイソルへ練習に行ったのがきっかけとなり、高校卒業と同時に柏レイソルに加入。 柏レイソルでは出場機会が無く、2005年に当時JFLの愛媛FCにレンタル移籍。愛媛FCのJ2昇格に貢献するが、シーズンオフに柏レイソルから解雇。Jリーグ合同トライアウトに参加するが、所属チームが見つからず、現役を引退した。 2022年1月、この年からJリーグ加盟を目指す地元北海道のBTOPサンクくりやまの社長に就任した。
山瀬 幸宏(やませ ゆきひろ、1984年4月22日 - )は… 山瀬 幸宏(やませ ゆきひろ、1984年4月22日 - )は、北海道札幌市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 実兄の山瀬功治もプロサッカー選手(レノファ山口FC所属)。父はサラエボ冬季五輪にバイアスロンで出場した山瀬功。 札幌SSS、札幌SSSジュニアユースに所属していた。同期生に矢野哲也がいた。その後横浜F・マリノスユースを経て、2003年から横浜F・マリノスに入団。2007年はリーグ戦第4節からスタメンに定着。第7節の大分戦では、前半11分に自らの23歳の誕生日を祝うプロ入り初ゴール。さらに後半43分には幸宏のアシストで兄もゴールを決め、Jリーグ史上2組目となる同一試合兄弟アベック弾というおまけがついた。
新居 辰基(あらい たつのり、1983年12月22日 - )… 新居 辰基(あらい たつのり、1983年12月22日 - )は、北海道出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 サッカーを始めたのは小学校1年生の時。野球をやっていたが、サッカーもやってみたいと思ったのがきっかけで、地元の当別サッカー少年団に入った。中学生の時はユニオンジュニアユースチームFC(江別市)でプレー。高校生になる時、ユニオンのユース (U-18) ができるならユニオンでプレーを続けようと考えていたが、結局ユニオンでは高校生年代のチームができなかったため、クラブチームの方が性に合うというコーチの勧めにより設立3年目のコンサドーレ札幌ユースに入団した。 札幌ユース時代は、年代別日本代表には無縁だったが、1年生の秋頃から試合に出るようになり、2年生でレギュラーポジションを掴む。
北本 綾子(きたもと あやこ、1983年6月22日 - )は… 北本 綾子(きたもと あやこ、1983年6月22日 - )は北海道札幌市出身の元女子サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。
高田 健太郎(たかだ けんたろう、1983年4月13日 - … 高田 健太郎(たかだ けんたろう、1983年4月13日 - )は、北海道出身のサッカー選手。ナショナルプレミアサッカーリーグ・アトランタシルバーバックス所属。 北海道教育大学函館校時代には北海道学生リーグで2002年に新人王、2005年にMVPを獲得。全日本インカレには2003年、2004年の2大会に出場。 2006年、ザスパ草津U-23に入団。2007年にはトップ登録もされたが、同年で退団。 2009年、アメリカに渡り、USLプレミアデベロップメントリーグ(4部相当)所属のロチェスター・サンダーに入団。オーバーエイジ枠の選手として1年間プレーした。 2010年、USSF2部プロリーグ所属のNSCミネソタ・スターズと契約。
田島 翔(たじま しょう、1983年4月7日 - )は、北海… 田島 翔(たじま しょう、1983年4月7日 - )は、北海道北斗市(旧・上磯町)出身のサッカー選手、プロ競技麻雀団体・RMU所属のプロ雀士。 ポジションはミッドフィールダーで、サイドハーフやボランチでプレーすることが多い。 小学生の頃は野球部でピッチャーを務め、サッカーは5年生の時にサッカーチームができ並行してプレー。中学生からはサッカーに専念するが、北海道函館工業高等学校では実績を残せなかった。 卒業後はサッカー留学でシンガポールへ渡る。帰国後、2003年にラモス瑠偉を中心に立ち上げたFC琉球の入団テストを受け、合格。2005年の九州サッカーリーグ開幕前の練習試合で相手選手のタックルを受け、開放骨折の大怪我を負う。
北野 貴之(きたの たかし、1982年10月4日 - )は、… 北野 貴之(きたの たかし、1982年10月4日 - )は、北海道札幌市豊平区出身 の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 北海高校出身で、山瀬功治は高校の1年先輩にあたる。高校1年次の終わり頃にフィールドプレーヤーからGKに転向。 2003年に札幌大学を中退しアルビレックス新潟(当時J2)に加入。野澤洋輔・木寺浩一に次ぐ第3GKであったが、2006年のJリーグカップ予選リーグ第3節・清水戦(4月26日)で公式戦デビュー。この試合で勝利に貢献すると、続く4月30日のJ1第10節・G大阪戦にも抜擢されJ1デビュー戦を勝利で飾った。以降、負傷欠場したJ1第23節ジュビロ磐田戦を除く全ての公式戦でフル出場し、クラブの「顔」であった野澤から正GKの座を奪取した。
斉藤 勇志(さいとう たけし、1982年5月6日 - )は、… 斉藤 勇志(さいとう たけし、1982年5月6日 - )は、北海道石狩郡出身のサッカー選手。ポジションはMF。主にトップ下と右サイドを務める。
木村 博之(きむら ひろゆき、英:KIMURA Hiroyu… 木村 博之(きむら ひろゆき、英:KIMURA Hiroyuki、1982年1月30日 - )は、日本のサッカー審判員。北海道サッカー協会所属。 1982年1月30日、千葉県出身。札幌市立前田中学校、北海道札幌稲雲高等学校を卒業後、北海学園大学に進学したが、本当にしたい勉強では無かった上に、在学中にサッカー審判員を目指すことにした為、2005年に中退し、日本郵便株式会社(当時は郵便事業株式会社)にバイクで郵便配達を担当する契約社員として入社、2年ほど勤務した後、本格的にJリーグ審判員を目指すため、原則土日祝が休みになる支店の事務担当に配置転換され、プロフェッショナルレフェリーに登録される2012年まで石狩支店に勤務する。
河端 和哉(かわばた かずや、1981年10月22日 - )… 河端 和哉(かわばた かずや、1981年10月22日 - )は、北海道苫小牧市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。 札幌大学在学中はサッカー部に所属し、2003年夏季ユニバーシアードの日本代表にも選ばれた。また、コンサドーレ札幌の特別指定選手として登録され1試合に出場。同クラブにおいて特別指定選手として公式戦出場を果たす最初の選手となった。2004年に札幌へ正式に入団したが出場機会に恵まれず、わずか1年で戦力外通告を受け退団。 2005年より九州リーグ・ロッソ熊本に入団した。その後、チームはJFLおよびJ2へ昇格。ロアッソ熊本とチーム名も改めた2008年および2009年には主将も勤めた。
山瀬 功治(やませ こうじ、1981年9月22日 - )は、… 山瀬 功治(やませ こうじ、1981年9月22日 - )は、北海道札幌市南区出身 の元プロサッカー選手。元日本代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 小学校時代はSSS札幌サッカースクールに所属し、同級生に赤井秀一と畠山昌人がいる。SSS札幌で頭角を現したのち、中学時代には単身ブラジルへサッカー留学をする。その後、北海高校へ進学した。1学年後輩には北野貴之がいる。1999年には強化指定選手としてコンサドーレ札幌に登録された(トップでの試合出場はなし)。2000年、札幌に入団。同年、北海高校から系列の北海学園大学経済学部に進学。二足の草鞋を履く生活。2000年3月にはユース代表に初選出される。
赤井 秀一(あかい しゅういち、1981年9月2日 - )は… 赤井 秀一(あかい しゅういち、1981年9月2日 - )は、北海道岩見沢市出身の日本の元サッカー選手、現サッカー指導者である。 仙台大学から2004年に愛媛FCに入団。加入初年度から中核を担うMFとして活躍。2008年はチーム最多となるリーグ戦41試合に出場し、最多アシストも記録した。 2011年シーズン現在、現役選手ではチーム最古参。一部のサポーターからは「Mr.愛媛FC」との呼び声も高い。2013年をもって契約満了となり、10年間JFLからJリーグに至るまで活動した愛媛を退団した。2014年、四国リーグ所属のFC今治に選手兼下部組織の指導者として入団。2015年シーズンを以て退団し、2016年より愛媛FCレディースのヘッドコーチに就任。
上野 秀章(うえの ひであき、1981年5月31日 - )は… 上野 秀章(うえの ひであき、1981年5月31日 - )は、北海道室蘭市出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 室蘭大谷高等学校3年の時に出場した第78回全国高等学校サッカー選手権大会では4失点で初戦敗退したにもかかわらずその年の最優秀GKに選ばれるほど、当時の高校レベルのGKでは群を抜いた実力を持っていた。 2000年に京都パープルサンガへ入団。京都では元日本代表の松永成立と平井直人の前になかなか出場機会に恵まれず、2004年に林卓人の怪我でGKの選手層の薄くなったサンフレッチェ広島へレンタル移籍し、2005年まで在籍。しかしここでも下田崇の前に出場機会はなく2006年に京都へ復帰。
藤田 聖吾(ふじた せいご、1981年5月9日 - )は、北… 藤田 聖吾(ふじた せいご、1981年5月9日 - )は、北海道出身のサッカー指導者。 大学まで選手としてプレー。卒業後は指導者の道へ進み、2年間筑波大学蹴球部でスタッフを務めた。 2012年、アビスパ福岡のテクニカルスタッフに就任し、2014年より分析担当のコーチを務める。 2015年シーズンからジュビロ磐田の分析担当テクニカルスタッフに就任。2016年シーズン限りで磐田との契約を満了。
遠国 信也(とおくに しんや、1981年4月8日 - )は、… 遠国 信也(とおくに しんや、1981年4月8日 - )は、北海道千歳市出身の元サッカー選手。かつてJリーグ・コンサドーレ札幌に所属していた。現役時代のポジションはフォワード。 コンサドーレ札幌ユース時代にスピードを活かしたプレーで活躍し、2000年にトップ昇格。コンサドーレ札幌ユース初のトップチーム昇格選手となった。プロ初年度の2000年は天皇杯1試合に出場。2001年は出場機会を増やすべく、FWの他、両サイドやトップ下へとプレーの幅を広げたが公式戦出場の機会は得られず、シーズン終了後に戦力外通告を受け、退団。佐川急便北海道支社に就職し、同社サッカー部に入部した。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。
竹原 靖和(たけはら やすかず、1981年3月12日 - )… 竹原 靖和(たけはら やすかず、1981年3月12日 - )は、北海道石狩市出身のサッカー指導者。
下村 東美(しもむら とうみ、1980年12月18日 - )… 下村 東美(しもむら とうみ、1980年12月18日 - )は、北海道札幌市南区出身のサッカー選手、サッカー指導者。父親はオーストリア出身で元サッカー選手、母は日本人。 SSS札幌サッカースクールでサッカーを始める。同期生に吉野智行がいた。札幌第一ジュニアユースを経て、札幌第一高等学校から大阪体育大学に進み、在学時にはデンソーカップサッカーの関西選抜に選ばれ、キャプテンも務める。 同大学卒業後の2003年、セレッソ大阪に入団。2004年はセンターバックとして試合経験を積み、2005年からは本来のポジションであるボランチとして頭角を現し、優勝争いに貢献する。 2006年にC大阪がJ2に降格すると、2007年1月にジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍。
石田 祐樹(いしだ ゆうき、1980年11月4日 - )は、… 石田 祐樹(いしだ ゆうき、1980年11月4日 - )は、北海道出身の元サッカー選手。サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード。 出身の札幌市立清田中学校陸上部は、在学当時北海道内でも有数の名門校であったが、足の速さでは遜色ない非凡な運動能力を発揮していた。小さい頃の夢は大工。 2012年限りで現役引退。 2013年より藤枝MYFCコーチに就任。 2017年9月5日、おこしやす京都AC(旧称:アミティエSC京都)の監督に就任したが、2020年3月6日に監督を退任して、同クラブの副社長兼GMに就任した。
鈴木 健太郎(すずき けんたろう、1980年6月2日 - )… 鈴木 健太郎(すずき けんたろう、1980年6月2日 - )は、日本の元サッカー選手。 旭川実業高校から1999年ベルマーレ平塚(現-湘南ベルマーレ)に入団。しかし出場機会を得られず、2001年に左利きのサイドバックを探していた柱谷幸一監督率いるモンテディオ山形に移籍。ここでレギュラーポジションを獲得し、同クラブの上位進出に貢献したことで注目される。 2003年東京ヴェルディ1969に移り、さらに同年8月からアルビレックス新潟に期限付き移籍、2004年に完全移籍。2006年、新潟を契約満了により退団したが、ヴァンフォーレ甲府のセレクションに合格し、入団した。甲府ではFWにコンバートされ、出場時は3トップの左を主に担当した。
佐賀 一平(さが いっぺい、1980年5月20日 - )は、… 佐賀 一平(さが いっぺい、1980年5月20日 - )は、日本のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィルダー。北海道出身。 藤枝東高等学校から1999年にコンサドーレ札幌に入団。その後、モンテディオ山形、沖縄かりゆしFCを経て、2004年に現役を引退しコンサドーレ札幌ユースU-18・U-12コーチを務めた。その後、コンサドーレ札幌時代のチームメイトの野々村芳和が代表を務める株式会社クラッキにて、黄川田賢司、大森健作らと共に元Jリーガーが教えるサッカースクール「エスコーラ・ジ・クラッキ」のコーチとしてサッカースクールでの指導・普及活動を行う。2012年春から母校である藤枝東高等学校のヘッドコーチを務める。
松島 仁(まつしま ひとし、1980年4月30日 - )は、… 松島 仁(まつしま ひとし、1980年4月30日 - )は、北海道帯広市出身のサッカー選手。ポジションはFW。 札幌市立羊丘中学校、静岡県の東海大一高を経て1999年に清水エスパルスに加入。帯広市初のJリーガーであったが清水ではリーグ戦4試合の出場に留まる。 2001年にヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍、翌年完全移籍。甲府では主にスーパーサブとして活躍。2年間で51試合に出場し、4得点を挙げている。 その後甲府を退団しJリーグ合同トライアウトに参加するも獲得するチームは現れず現役から遠ざかっていたが、2006年より地元のとかちフェアスカイFC(現・十勝フェアスカイFC)へ加入。また、同じ帯広にある帯広FCのジュニア・ジュニアユース・ユースチームでコーチを担当している。
甲本 偉嗣(こうもと たけし、1979年10月3日 - )は… 甲本 偉嗣(こうもと たけし、1979年10月3日 - )は、北海道出身のサッカー指導者。 東海大学在学中の1998年から2001年はサッカー部ではなく、社会人登録(神奈川県社会人サッカーリーグ所属)のサークル・東海FC.WINGSで選手としてプレー。その後は指導者の道へ進み、京都サンガF.C.、湘南ベルマーレなどでコーチを務めた。 2011年、徳島ヴォルティスのコーチに就任。美濃部直彦、小林伸二、長島裕明、リカルド・ロドリゲスと監督が替わる中でもチームを支えた。J1に昇格した2021年シーズンは新監督に就任したダニエル・ポヤトスが新型コロナウイルス感染症に伴う検疫措置の影響で日本への入国が困難になったことから、ポヤトスが来日し指揮可能になるまでの間、S級ライセンスを持たない甲本が暫定指揮を執ることがJリーグより特例として認められ、4月14日までの10試合で指揮を執り、前回徳島がJ1で戦った2014年の成績を上回る4勝2分4敗の成績でポヤトスに引き継いだ。
齋藤 竜(さいとう りゅう、1979年9月18日-)は、北海… 齋藤 竜(さいとう りゅう、1979年9月18日-)は、北海道出身の元サッカー選手。現役時のポジションはDF。 室蘭大谷高等学校から国士舘大学に進み、2002年、セレッソ大阪に加入。 2005年4月27日、ザスパ草津に期限付き移籍。同年4月30日のJ2第9節・対サガン鳥栖戦にてデビューするも、前半に負傷交代。その後6月11日に行われたJ2第16節・対サガン鳥栖戦で復帰。DFラインをまとめ、勝利に貢献し、その後はディフェンスの中核を担う。シーズン終盤にはゲームキャプテンを務め、チームの中心となる。翌年、完全移籍。2006年9月30日の対ベガルタ仙台戦にて、J2初ゴールを記録。 2006年シーズンをもって契約満了に伴いザスパ草津を離れ、2007年シーズンはFC岐阜へ移籍。
田澤 勇気(たざわ ゆうき、1979年7月16日 - )は、… 田澤 勇気(たざわ ゆうき、1979年7月16日 - )は、静岡県出身のサッカー選手。アンフィニVANKEI.FC所属。 2001年度北海道大学リーグの得点王及びベストイレブン。コンサドーレ札幌には練習生契約で加入。 プレーは豪快でアフリカの選手を思わせるような身体能力が特徴。本人曰く、その日の「ノリ」により、好調時と不調時の波が大きい。シュートも「ノリ」で打ったら入ることがよくあるらしい。 現在は、道央ブロックリーグのアンフィニVANKEI.FCに所属。 また、愛称の「液晶テレビ」はサッカー選手の中では極めて、体が細く薄いことから由来している。
鍋島 將起(なべしま まさき、1978年10月19日 - )… 鍋島 將起(なべしま まさき、1978年10月19日 - )は、北海道紋別市出身の元サッカー審判員。 特にJ2担当初期はカードを多く出す傾向にあり、1試合平均で5枚を超えるイエローカードを出した年もあった(これに伴って、退場者も多く出していた)。 東京Vが獲得したPKを仙台GK高桑大二朗が「キッカーが蹴る前に動いた」という副審の判定を受けて、3回目に東京Vが成功するまで蹴り直しを命じた。加えて、PKの際に右足首を負傷した仙台DF白井博幸をピッチ外に出すことを仙台控えGK小針清允が要求すると、これを抗議と受け取り退場処分とするなどこのPKやり直しの判定に絡み4枚のカードを仙台側の選手に出した。なお、これ等の判定に怒ったベガルタ仙台のサポーターがアウェー側の改修ゾーンの椅子を破壊する事件が起きた。
川口 卓哉(かわぐち たくや、1978年10月11日 - )… 川口 卓哉(かわぐち たくや、1978年10月11日 - )は北海道出身の元プロサッカー選手。 高校時代は小野伸二、高原直泰、稲本潤一ら錚々たるメンバーが揃ったU-16日本代表の主将として1994年のAFC U-17選手権で優勝。翌1995年のFIFA U-17世界選手権にも出場した。 高校卒業とともにベルマーレ平塚へ入団するが、二年目の1998年4月、紅白戦でチームメートの中田英寿と接触し、靱帯断裂で長期離脱。長く腰痛なども併発し、レギュラーへの定着はかなわなかった。2002年の開幕直前、栗原圭介のベルマーレ完全移籍に伴い、人的補償の形で[要出典]東京ヴェルディ1969へ電撃移籍。さらに翌年、故郷北海道のコンサドーレ札幌へ移籍して再起を期したが、怪我には勝てずその年の暮れに引退した。
北出 勉(きたで つとむ、1978年9月18日 - )は日本… 北出 勉(きたで つとむ、1978年9月18日 - )は日本のサッカー指導者、元サッカー選手、ディフェンダー。 北海道旭川市生まれ.札幌市立月寒小学校でサッカーを始め、室蘭大谷高等学校時代に高校選手権に出場。道都大学に進み、1999年・2000年に大学選抜メンバーとなり、2000年のユニバーシアードには道内関係者としては初の代表に選出され、全試合に出場した。運動力の豊富なボランチとして注目を集め、J1の7チームから勧誘されるが、2001年にジュビロ磐田に入団。道北地方出身者では鈴木健太郎(ベルマーレ平塚他、士別市出身)以来2人目、旭川市出身者としては初のJリーガーとなった。2003年に湘南ベルマーレに期限付き移籍、翌年に完全移籍、2006年栃木SCに移籍し、翌年引退。
曽田 雄志(そだ ゆうし、1978年7月5日 - )は、北海… 曽田 雄志(そだ ゆうし、1978年7月5日 - )は、北海道札幌市生まれの元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード、後ディフェンダー。Jリーグ・北海道コンサドーレ札幌職員。 大学卒業後に加入して以来9年間に渡って一貫して同クラブに在籍し、特に2002年以降のチームの波瀾万丈の中に常に身を置き続けたことから「ミスター札幌」「ミスターコンサドーレ」 と呼ばれたほか、時折見せる(良くも悪くも)神憑り的なプレーからサポーターからは「ソダン」(ジネディーヌ・ジダンにちなむ)、「ネ申」(神)の愛称でも親しまれた。 小学校4年生のときにもみじ台西小学校でサッカーを始める。北海道札幌南高等学校卒業後、1997年に一般入試で筑波大学体育専門学群へ入学。
池内 友彦(いけうち ともひこ、1977年11月1日 - )… 池内 友彦(いけうち ともひこ、1977年11月1日 - )は、北海道石狩郡当別町出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDFでセンターバックとサイドバックを務めた。 室蘭大谷高3年時に全国高等学校サッカー選手権大会でベスト8。[要出典] 1996年に鹿島アントラーズに入団。同期に柳沢敦、平瀬智行がいる。入団当初は右サイドバックでプレーする入団当初は右サイドバックでプレーする[要出典]が、選手層が厚く出番を与えられなかった。当時の鹿島は、鈴木隆行や平瀬に見られるように期待の若手で試合に出られない選手をブラジルに留学させる習慣があり、池内も平瀬と共に留学した。 1998年に一旦鹿島に戻ったもののまたもや出番を得られず、1999年にコンサドーレ札幌にレンタル移籍。
大西 昌之(おおにし まさゆき、1977年7月5日 - )は… 大西 昌之(おおにし まさゆき、1977年7月5日 - )は、北海道出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはFW。 室蘭大谷高等学校から愛知学院大学に進学。2000年にJ1リーグの横浜F・マリノスに加入するも出番がなく1年で退団した。翌年にJ2リーグのアルビレックス新潟に加入し、リーグ13試合に出場したが1年で引退した。 現役引退後は奥大介が監督に就任した多摩大学目黒中学校・高等学校サッカー部で塩川岳人とともにコーチを務め、永田羽竜を指導した。その後、同校で保健体育の教師をしながら、男子サッカー部監督を経て女子サッカー部監督に就任した。
大塚 慶輔(おおつか けいすけ、1977年6月2日 - )は… 大塚 慶輔(おおつか けいすけ、1977年6月2日 - )は、北海道出身のサッカー指導者。 2000年に日本体育協会公認アスレティックトレーナー、2007年にJFA公認B級コーチライセンスの資格を取得。 アルビレックス新潟、ジェフユナイテッド千葉でフィジカルコーチを歴任し、2013年はモンテディオ山形のフィジカルコーチに務めた。 2014年より、FC町田ゼルビアのフィジカルコーチに就任。
財前 宣之(ざいぜん のぶゆき、1976年10月19日 - … 財前 宣之(ざいぜん のぶゆき、1976年10月19日 - )は、北海道出身の元プロサッカー選手・サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。実兄は元サッカー選手の財前恵一。 中田英寿も認めた才能の持ち主(運動量なら中田、パスセンスなら財前と言われていた)だったが、度重なる膝の怪我に苦しんだ(靭帯断裂を3度)。戸塚哲也、菊原志郎、山口貴之と続く「ヨミウリ天才少年」の系譜を受け継ぐ。1993年のU-17世界選手権U-17日本代表のチームメイトからは中田を含め4人が後の日本代表に選出されたが、彼らはまず如何にして財前に認められるかを考えていたという。 中学時代から読売ユースに所属。読売への入団テストでは、当時の小見幸隆コーチをして「ボールをもった瞬間に合格」と言わしめ、サッカーファンは「まだ見ぬ財前」に期待を高めた。
菅原 智(すがわら とも、1976年6月3日 - )は、北海… 菅原 智(すがわら とも、1976年6月3日 - )は、北海道出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはミッドフィールダー。 小学時代に所属していた「川崎YMCA」は地元の強豪チームで、同期には薮田光教、高田保則の兄、歌手の森山直太朗らがいた。生前の松田直樹とは同年代の仲良しで、自身のブログに度々登場していた。 2011年限りで現役を引退し、育成部門のコーチに就任。2012年4月30日の山形戦の試合終了後に引退セレモニーを行った。 2021年、ヴィッセル神戸のアシスタントコーチに就任した。 2026年、監督に就任する吉田孝行と共に清水エスパルスのコーチに就任。
伊藤 壇(いとう だん、1975年11月3日 - )は、北海… 伊藤 壇(いとう だん、1975年11月3日 - )は、北海道札幌市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、クラーク記念国際高等学校サッカー部監督。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 日本、シンガポール、オーストラリア、ベトナム、香港、タイ、マレーシア、ブルネイ、モルディブ、マカオ、インド、ミャンマー、ネパール、カンボジア、フィリピン、モンゴル、ラオス、ブータン、スリランカ、東ティモール、グアム、サイパンの22の国・地域のリーグでプレーした。 登別大谷高等学校3年時に第72回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。葛野昌宏は高校の同級生に当たる。仙台大学を経て、1998年にブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)に入団。
宮下 真洋(みやした まさひろ、1975年10月10日 - … 宮下 真洋(みやした まさひろ、1975年10月10日 - )は、北海道出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 北海道出身、札幌第一高校、国士舘大学を卒業後、ジャパンフットボールリーグの大宮アルディージャに入団。1999年にJ2リーグに昇格。主にミッドフィールダーとしてプレー、J2リーグで45試合に出場した。プロ引退後は平本大介とともに埼玉サッカークラブでもプレーした。
城 彰二(じょう しょうじ、1975年6月17日 - )は、… 城 彰二(じょう しょうじ、1975年6月17日 - )は、北海道室蘭市生まれ、鹿児島県姶良郡加治木町(現:姶良市)育ちの元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。元日本代表。 1998年ワールドカップフランス大会日本代表メンバー。 北海道に生まれる。小学生時代にサッカーのビデオを借りてフランク・オルデネビッツ(後にチームメイトとなる)のプレーに熱中していた。中学生の時に名古屋市立日比野中学校を経て両親の出身地である鹿児島県へ引っ越す。 姶良市立加治木中学校、鹿児島実業高等学校卒業。 鹿児島実業高校サッカー部では松澤隆司監督の指導を受け、2年先輩に前園真聖や藤山竜仁や遠藤拓哉(遠藤彰弘・遠藤保仁の兄)、同学年に遠藤彰弘や横山博敏、2年後輩に平瀬智行などがいた。
佐藤 尽(さとう じん、1974年9月27日 - )は北海道… 佐藤 尽(さとう じん、1974年9月27日 - )は北海道室蘭市出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。日本サッカー協会指導者ライセンス(公認S級)を保有している。 2016年より京都サンガF.C.のトップチームコーチに就任した。2020年には、JFA 公認S級コーチ資格を取得。 2021年よりモンテディオ山形トップチームコーチに就任、同年4月22日、成績不振により監督の石丸清隆が解任されたことを受け、後任決定までの間監督となることが発表された。2022年8月31日、前半11分から再開試合となるJ2・第8節の岡山戦の1試合限定で監督代行を務めた。
井幡 博康(いばた ひろやす、1974年6月25日 - )は… 井幡 博康(いばた ひろやす、1974年6月25日 - )は、北海道札幌市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 札幌市立羊丘中学校を卒業後に単身ブラジルへ渡りサッカー留学。帰国後に室蘭大谷高校へ入学。1年時より抜群のテクニックで10番を背負い、冬の選手権では準々決勝の市立船橋高校戦で芸術的なループシュートで先制点を決めるも1-2で敗れる。その大会の優秀選手に選出される。2年時も1学年上で日本ユース代表の佐藤尽とともに道内では敵なしの強さをほこるが選手権では1回戦敗退。3年時には予選決勝で姉妹校の登別大谷高校に涙をのむ形となった。 注目をあびながらも大きな大会で結果を残せなかったが、その実力から1994年に名古屋グランパスエイトへ入団。
萩野 英明(はぎの ひであき、1973年1月20日 - )は… 萩野 英明(はぎの ひであき、1973年1月20日 - )は、北海道出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 現在は北海高等学校サッカー部コーチ。 やわらかなボールタッチと、スピード・運動量ともに十分といった特徴をもったミッドフィールダーであった。 札幌大学時代に天皇杯出場経験がある。 1995年にサンフレッチェ広島に入団。同期に久保竜彦、大木勉、山根巌、吉村光示、西田吉洋がいる。 退団後1997年にコンサドーレ札幌の入団テストを受けたが、入団にいたらなかった。その後、札幌大学サッカー部OBに所属、主力として全国地域リーグ決勝大会などで活躍した。 2008年現在は母校の北海高等学校でサッカー部コーチとして活躍、同年には3年ぶりに高校選手権出場を果たした。
鈴木 貴浩(すずき たかひろ、1973年1月5日 - )は、… 鈴木 貴浩(すずき たかひろ、1973年1月5日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ONE HOKKAIDO FC総監督、NPO法人サンクスポーツクラブ の代表として総合型地域スポーツクラブの運営を手掛ける。JFA公認S級コーチライセンスを有する。北海道室蘭市出身。
深川 友貴(ふかがわ ともたか、1972年7月24日 - )… 深川 友貴(ふかがわ ともたか、1972年7月24日 - )は、北海道室蘭市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代は主にフォワードを務めた。 室蘭市出身。小学校から中学校まで室蘭市で育ち、体格の良さなどサッカーにおいても数々の記録を残し、室蘭に深川ありと有名になる。しかし中学3年に大工だった父の仕事の都合で神奈川県に引っ越すが、その際北海道のサッカー強豪校、室蘭大谷高等学校の監督だった高橋正弘氏の計らいで当時室蘭大谷高校と親交のあった日産自動車サッカー部の監督だった加茂周氏を通じて日産FCジュニアユースに入る。中学卒業後単身で室蘭に戻り室蘭大谷高校へ入学し、サッカー部で1年時よりレギュラーをつかみ、1学年上の京谷和幸と道内敵無しの時代を築いた。
山橋 貴史(やまはし たかし、1972年5月31日 - )は… 山橋 貴史(やまはし たかし、1972年5月31日 - )は北海道札幌市出身の元サッカー選手。ポジションはFW、MF。 札幌第一高等学校から1991年に日本サッカーリーグ(当時)のヤンマーに入部。チームがセレッソ大阪となった1994年シーズンにレギュラーポジションを獲得し、森島寛晃、マルキーニョス、モウラらとともに、攻撃の中心として活躍。同年のJFL優勝・Jリーグ昇格に貢献した。 Jリーグデビューとなった1995年シーズンは、バルデスらの加入もあって先発出場は減るが、開幕戦の対広島戦では途中出場ながらVゴールを決めるなど、スーパーサブとして活躍した。その後1997年にコンサドーレ札幌、1999年に夕張ベアフット(現ベアフット北海道)に移籍した。