江渡華子(えと はなこ、1984年12月2日 - )は、日本… 江渡華子(えと はなこ、1984年12月2日 - )は、日本の俳人。青森県八戸市生まれ、十和田市育ち。現代俳句協会青年部所属。 青森県立三本木高等学校、立命館大学文学部卒業。 2002年、高校在学中に第4回神奈川大学青春俳句大賞・最優秀賞を受賞する。 2011年に神野紗季、野口る理とともに俳句ウェブマガジン「スピカ」を立ち上げる。 2012年、俳人で新聞記者の山口優夢と結婚した。出産後は育児に関する作品も発表している。
佐藤 羽美(さとう うみ、1980年3月25日 - )は、歌… 佐藤 羽美(さとう うみ、1980年3月25日 - )は、歌人、社交ダンス指導員。青森県青森市出身・在住。 弘前大学人文学部(社会学専攻)卒業。2002年に作歌を始める。2003年、短歌サイト『ヒナウタ』を開設。2004年、「甘い日々」で第47回短歌研究新人賞候補に選ばれる。2005年に未来短歌会に入会し、加藤治郎に師事。2009年、2008年度未来賞次席に選ばれる。同年、作品「ここは夏月夏曜日」で第20回歌壇賞を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
梅内 美華子(うめない みかこ、1970年4月28日 - )… 梅内 美華子(うめない みかこ、1970年4月28日 - )は、歌人。短歌結社「かりん」所属。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校、同志社大学文学部文化学科卒業。 小学生の頃より作歌を開始し、1988年、高校生の時に「歌林の会」入会、馬場あき子に師事。同年、作品「放物線」50首で第34回角川短歌賞最終候補となる。大学生時代は京都大学短歌会に所属。吉川宏志、島田幸典、林和清らとともに京大短歌黄金時代のひとつを彩った。 1991年、作品「横断歩道(ゼブラ・ゾーン)」50首で第37回角川短歌賞を受賞する。2001年、『若月祭』で第1回現代短歌新人賞を受賞。NHK歌壇の司会もつとめる。2008年より角川短歌賞選考委員。
京武 久美(きょうぶ ひさよし、1936年2月4日 - 20… 京武 久美(きょうぶ ひさよし、1936年2月4日 - 2023年7月6日)は俳人。青森県出身。 青森市立野脇中学校2年のとき同級だった寺山修司と友人となり、青森県立青森高等学校時代は文芸部にて共に活動し俳句・短歌に熱中した。高校1年のとき、京武の俳句が地方新聞の俳壇に掲載されたことへの競争意識が寺山の句作の原点であり、ライバルであった。 1954年、第1回全国高校生俳句コンクール1位。ちなみに2位は寺山。10代の若者のための全国的俳誌『牧羊神』を寺山とともに始めたことで名を知られている。 1954年、青森高校卒業後、東北海運局職員。金子兜太の「海程」で活躍。2009年に第一句集『二月四日』を発表した。
寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12… 寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本の歌人・劇作家。演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。 「言葉の錬金術師」「アングラ演劇・四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。 1935年(昭和10年)12月10日、父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。八郎は東奥義塾弁論部OBで当時弘前警察署勤務の特高警察刑事を務めていた。父の転勤のため、県内各所を転々とする。本人は出生について「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」などと記していたが、ハツと元妻の九條今日子によると、青森県弘前市紺屋町生まれとされ、戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。
成田 千空(なりた せんくう、1921年3月31日 - 20… 成田 千空(なりた せんくう、1921年3月31日 - 2007年11月17日)は、日本の俳人。青森県青森市出身。本名は力(ちから)。 青森工業学校(現・青森県立青森工業高等学校)卒業。上京して富士航空計器株式会社に就職するが、肺結核に罹患し帰郷。療養中に文学への関心を深めるなかで俳句に傾倒していく。郷土俳句を提唱する高松玉麗(たかまつぎょくれい)主宰の俳句結社「松濤社」(しょうとうしゃ)に入会するも1年余りで退会。1943年、幹事の吹田孤蓬(すいたこほう)に誘われ青森俳句会に参加する[要出典]。超結社の同人組織である青森俳句会は「俳句論から必ず文学論や芸術論になる」楽しい句会で、若い千空は自由闊達な空気を感じながら養分を吸収した。
赤木 健介(あかぎ けんすけ、1907年3月2日 - 198… 赤木 健介(あかぎ けんすけ、1907年3月2日 - 1989年11月7日)は、日本の詩人、歌人、編集者、歴史家。本名・赤羽 寿(あかばね ひさし)、別名・伊豆 公夫(いず きみお)。 青森市生まれ。九州帝国大学法文学部中退。姫路高等学校時代から『アララギ』に投稿、1928年の三・一五事件以来、左翼運動に挺身。1933年、検挙投獄。1935年、出獄ののち、渡辺順三らの『短歌評論』に参加。1932年、唯物論研究会に属し、日本共産党に入党するが、1938年、一斉検挙にあい、1944年に判決が下って下獄。この間、1940年に「在りし日の東洋詩人たち」で第4回透谷文学賞を受賞した。敗戦後、1945年10月に連合軍により解放される。
横山 武夫(よこやま たけお、1901年12月15日 - 1… 横山 武夫(よこやま たけお、1901年12月15日 - 1989年8月22日)は昭和時代日本の歌人、作詞家。元青森県副知事、青森県立図書館館長。 1901年(明治34年)、青森市で日本鉄道(のち鉄道院→鉄道省を経て国鉄)職員の家庭に生まれる。1915年(大正6年)に有志で短歌誌『樹焔』を創刊し若山牧水、太田水穂らの寄稿・指導を受けた。旧制青森中学校を経て1924年(大正13年)に慶應義塾大学経済学部を卒業。青森へ帰郷後、県内の旧制中学校各校で教員を務める傍ら1928年(昭和3年)に短歌誌『羅漢柏』(アスナロ)を創刊、自ら主宰する。 1946年(昭和21年)に旧制青森中学校校長を退職後、県教育次長を経て津島文治知事に請われ、副知事に就任する。
佐藤 一村(さとう いっそん、明治32年(1899年)10月… 佐藤 一村(さとう いっそん、明治32年(1899年)10月18日 - 1991年11月、本名: 佐藤 武市(さとう たけいち))は、日本の銀行員、大学教員、俳人である。ホトトギスの同人であった。 明治32年、青森市に生まれる。弘前中学校に通う。大正9年に小樽高等商業学校を卒業した後、太平洋戦争終結による解体まで台湾銀行に勤める。台南勤務、スラバヤへの駐在を経て、蘇州支店長、漢口支店長を歴任する。佐藤は武漢での勤務は「文字どうりの滅私奉公の四年であった」と振り返っている。戦後は日本に引き揚げ、GHQ大阪軍政部の技術顧問となった。後に大阪工業高等専門学校および大阪工業大学短期大学部で講師を務めた。
岩谷 山梔子(いわや くちなし、1883年(明治16年)1月… 岩谷 山梔子(いわや くちなし、1883年(明治16年)1月30日 - 1944年(昭和19年)1月4日)は、日本の俳人、俳画家、編集者。別号に木丹亭、黙堂など。本名は健治。青森県出身。 1883年(明治16年)に青森県青森町(現・青森市)に生まれる。10代でカリエスに罹り療養する中で俳句を始め、地元の俳句会「不来会」に参加、20歳で高浜虚子の「ホトトギス」に入会、河東碧梧桐が選者をしていた新聞「日本」にも投句する。碧梧桐の行脚(第一次「三千里」)の際に碧梧桐と会い傾倒。碧梧桐は後に山梔子の句集『山梔子第一句集』の序文で「其の時分の山梔子は世間苦も人間苦も知らないやうなウブな、さうして田舎者の山だしな本質を丸出しにした言はば荒削りな書生だつた。
佐藤 紅緑(さとう こうろく、1874年〈明治7年〉7月6日… 佐藤 紅緑(さとう こうろく、1874年〈明治7年〉7月6日 - 1949年〈昭和24年〉6月3日)は、日本の劇作家・小説家・俳人。本名:洽六 1874年(明治7年)、現在の青森県弘前市親方町に、旧弘前藩士の父・弥六、母・支那(しな)の次男として出生。 父の佐藤弥六(1842年 - 1923年)は、幕末に福沢諭吉の塾(慶應義塾)で学び、帰郷して県会議員となり産業振興に尽力、また『林檎図解』『陸奥評話』『津軽のしるべ』などの著書も著し、森鷗外の作品「渋江抽斎」にも郷土史家として登場する、弘前を代表する人物だった。 1890年東奥義塾を中退、青森県尋常中学校(後の青森県立弘前中学校 現・弘前高校)に入学。