時乃平 亜睦(ときのひら あむ、1999年4月8日 - )は… 時乃平 亜睦(ときのひら あむ、1999年4月8日 - )は、岩手県八幡平市出身で、時津風部屋所属の現役大相撲力士。本名は津志田 亜睦(つしだ あむ)。身長180.1cm、体重160.0kg、血液型はA型。最高位は東幕下32枚目(2019年11月場所)。 小学校2年生の時に、八幡平市にある岩手県立平舘高等学校の相撲道場を拠点に活動している寺田道場で相撲を始めた。4年次から6年次にわんぱく相撲全国大会に出場し、6年次は8強入りしている。八幡平市立西根第一中学校在学中は、2年次に全国中学校相撲選手権大会で団体準優勝を経験している。中学校卒業後は平舘高校に進学し、3年次に高校総体で8強入りしている。高校卒業後は実業団の道を選んで三研ソイルに入社したが、「自分の力を試したい」という理由から大相撲入門を決意したため入社から1か月で会社を退職し、時津風部屋に入門した。
四ツ車 大八(よつぐるま だいはち、1980年7月24日 -… 四ツ車 大八(よつぐるま だいはち、1980年7月24日 - )は、岩手県花巻市出身で伊勢ノ海部屋所属の元大相撲力士。本名は山影 誠(やまかげ まこと)。身長184cm、体重154kg、血液型はO型。得意手は右四つ、寄り、投げ。最高位は西十両8枚目(2008年11月場所)。
栃乃花 仁(とちのはな ひとし、1973年2月28日 - )… 栃乃花 仁(とちのはな ひとし、1973年2月28日 - )は、岩手県九戸郡山形村(現在の久慈市)出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は谷地 仁(やち ひとし)。身長184cm、体重148kg。得意手は右四つ、寄り、おっつけ。最高位は東小結(2000年11月場所)。現在は年寄・二十山、血液型はB型。 林業会社の長男で、一卵性双生児の弟がいる。中学は弟と共に柔道部で、本格的に相撲を始めたのは岩手県立浄法寺高等学校に入ってからである。明治大学相撲部では副主将を務め、全国大会などで活躍して入門を希望したものの、左膝の靱帯を損傷し幕下付出の資格を失ってしまい、前相撲からスタートし1995年3月場所に初土俵を踏んだ。
外ヶ濱 浪五郎(そとがはま なみごろう、1968年7月8日 … 外ヶ濱 浪五郎(そとがはま なみごろう、1968年7月8日 - )は、岩手県二戸市出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は欠端 信行(かけはた のぶゆき)。身長182cm、体重130kg。最高位は西幕下10枚目(1990年7月場所)。 1968年、岩手県二戸郡福岡町(現・二戸市)に生まれた。ロッテオリオンズ・横浜大洋ホエールズで投手としてプレーした欠端光則を兄に持つ。 1984年に伊勢ノ海部屋に入門。本名の「欠端」の四股名で同年5月場所に初土俵を踏んだ。当時現役プロ野球選手だった兄・光則の実弟であることから、各スポーツ新聞の星取表の「幕下以下の注目力士」の欄でしばしば「大洋欠端投手の弟」として採り上げられ、注目を集めた。
木村 晃之助(きむら こうのすけ、本名:小島 俊明(こじま … 木村 晃之助(きむら こうのすけ、本名:小島 俊明(こじま としあき)、1965年4月21日 - )は大相撲の三役格行司である。岩手県一関市出身。九重部屋所属。血液型はO型。 1981年3月場所、木村俊明の名で初土俵。その後、晃之助に改名。 歴代の行司と比べても三本の指に入るほど、立合いには滅法厳しく、手をつかない力士に何度も手つきを促す様子が窺える。 時間いっぱいでの立合い前の姿勢は、他の行司と違い左足を前に出し、右足を後ろにして構えるという独特の所作を持っている。甲高く、リズミカルでテンポのよい、鋭い掛け声が特徴であるが、一時期はゆっくりとした掛け声もあった。十両格の時は高い声も出していて、独特の印象であった。
岩手富士 祐一(いわてふじ ゆういち、1963年8月9日 -… 岩手富士 祐一(いわてふじ ゆういち、1963年8月9日 - 2020年12月18日)は、朝日山部屋に所属した元力士。本名は鈴木 祐一(すずき ゆういち)、岩手県江刺市(現・奥州市)出身、神奈川県川崎市育ち。身長185cm、体重133kg。最高位は東十両6枚目(1988年11月場所)。得意手は左四つ、寄り。 川崎市内の中学校を卒業後、朝日山部屋へ入門し、1979年3月場所で初土俵。初土俵から2年程で幕下へ昇進するが、幕下上位で壁に当たり苦戦した。1985年3月場所から四股名を「岩手富士」へ改名してからは順調に番付を上げ、1986年1月場所で十両に昇進する。なお、17代朝日山(元小結・若二瀬)が朝日山部屋を継承してから、初めて誕生した関取であった。
福ノ里 邦男(ふくのさと くにお、1961年6月4日 - )… 福ノ里 邦男(ふくのさと くにお、1961年6月4日 - )は、岩手県九戸郡軽米町出身で立田川部屋に所属した元大相撲力士。本名は福田 邦男(ふくだ くにお)。身長180cm、体重107kg。得意手は右廻し、上手投げ、寄り。最高位は東十両13枚目(1989年9月場所)。現在は音羽山部屋所属の若者頭、血液型はB型。 陸奥部屋の公式サイトによると、趣味はゴルフ、好きな食べ物は魚。2023年時点の体重は94kg。 中学から高校まで野球部に所属していたが、上級生との不仲もあり2年の途中で退部した。直後に、二十山親方(元関脇・青ノ里)を紹介され、岩手県立軽米高等学校を中退し立田川部屋に入門。1978年7月場所に初土俵を踏み、翌9月場所に序ノ口優勝を果たす。
若ノ海 正照(わかのうみ まさてる、1945年10月25日 … 若ノ海 正照(わかのうみ まさてる、1945年10月25日 - 1995年3月31日)は、岩手県稗貫郡内川目村(のち大迫町、現在の花巻市)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は松田 秋夫(まつだ あきお)。現役時代は身長175cm・体重126kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭2枚目(1973年1月場所)。 内川目中学校を卒業後、元前頭3枚目・大ノ海が率いる花籠部屋に入門し、1961年(昭和36年)5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の関脇・藤ノ川、小結・羽黒岩らがいる。出世は遅く、初土俵から約10年、57場所かかって1971年(昭和46年)1月場所で十両昇進。そして、1972年(昭和47年)7月場所での新入幕は初土俵から11年2ヶ月、67場所を要した。
柏梁 勝雄(はくりょう かつお、1942年12月10日 - … 柏梁 勝雄(はくりょう かつお、1942年12月10日 - 2019年1月16日)は、岩手県気仙郡三陸町(現大船渡市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は中村 勝男(なかむら かつお)。188cm、110kg。得意技は左四つ、寄り。最高位は西十両3枚目。 子供の時は相撲と野球が好きだったが、1対1で力をぶつけ合う相撲の方に魅力を感じ、高校の担任に相談すると入門を勧められたので、柏戸を慕って伊勢ノ海部屋に手紙を書いてもらって入門を願った。部屋からは「学校を中途退学して上京しろ、1日も早い方が良い」と返事が来たので両親と相談したが、母には「中退するなんていけない事だ」と反対されたが説得し、高校を中途退学して上京した。
花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没… 花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没年不明)は、岩手県岩手郡松尾村(現在の同県八幡平市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は遠藤 節夫(えんどう せつお)。身長178cm、体重130kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1968年1月場所)。 父、兄とも松尾鉱山の採鉱夫で、松尾鉱山中学校、松尾鉱山高校(定時制)時代は相撲部に所属して岩手県大会などに出場するなど活躍した。 高校時代に岩手県大会定時制の部で優勝したことにより大相撲にスカウトされ、高校を3年生で中退して花籠部屋に入門し、1958年(昭和33年)5月場所で初土俵を踏んだ。 1962年(昭和37年)9月場所で新十両に昇進し、その後19場所を要したが1965年(昭和40年)9月場所にて12勝3敗という好成績を収めて十両優勝を果たし、翌11月場所で新入幕を決めた。
前田川 克郎(まえだがわ かつろう、1939年2月9日 - … 前田川 克郎(まえだがわ かつろう、1939年2月9日 - 1998年11月4日)は、岩手県江刺市稲瀬(現役当時、現・同県奥州市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は高橋 勝郎(たかはし かつろう)。最高位は西関脇(1961年7月場所・1962年7月場所)。現役当時の体格は170cm、117kg。得意手は左四つ、寄り、突き、押し。大相撲の黄金時代の一つである、「柏鵬時代」に活躍した力士の1人である。 実家は農家。地元の草相撲で活躍していたが、中学2年生の時上京して高砂部屋に入門し、1952年9月場所にて13歳で初土俵を踏んだ。1954年春までは、中学に通いながら相撲を取っている。走るのは非常に苦手であったようであり、本人曰く「みんなが行くのの半分」との事であった。
及川 煌久(おいかわ てるひさ、1936年12月16日 - … 及川 煌久(おいかわ てるひさ、1936年12月16日 - 没年不明)は、岩手県胆沢郡前沢町(現役当時、現在の同県奥州市)出身で高砂部屋(入門時は尾上部屋)に所属した大相撲力士。本名は及川 耕貢(おいかわ こうぐ)。現役時代は、身長176cm、体重120kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭10枚目(1960年9月場所)。 中学在学中に尾上部屋へ入門し、1952年1月場所にて、15歳で初土俵。 初土俵の場所では途中から新序に昇格して相撲を取り、1勝2敗と負け越した。だが、次の場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 なお、初めて番付に付いた時より、本名でもある「及川」を名乗った(下の四股名は途中で「太郎」から「煌久」に変えたが、上の名は廃業まで「及川」で通している)。
大海 竹郎(たいかい たけろう、1933年8月8日 - 没年… 大海 竹郎(たいかい たけろう、1933年8月8日 - 没年不明 )は、現在の岩手県八幡平市出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 竹郎(さとう たけろう)。176cm、86kg。最高位は東十両10枚目。得意技は左四つ、寄り。 1954年1月場所に初土俵。1958年7月場所に十両昇進。腕力を活かした左四つの相撲が得意であったが、押し相撲の力士を苦手にしていた。幕下で2場所連続で負け越した1960年3月場所で26歳で廃業した。
宮錦 浩(みやにしき ひろし、1927年5月30日 - 19… 宮錦 浩(みやにしき ひろし、1927年5月30日 - 1992年7月6日)は、岩手県宮古市出身で高砂部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した大相撲力士。本名は野澤 浩(のざわ ひろし)。最高位は西小結(1955年1月場所)。得意手は左四つ、寄り。現役時代の体格は171cm、119kg。 実家は、酒や米を売る商店を営んでいた。 1942年(昭和17年)5月、元横綱・宮城山福松が率いる芝田山部屋に入門した(同年1月場所初土俵説もある)が、程なく親方が逝去。それにより宮城山の師匠・早瀬川(元関脇)の高田川部屋に預けられ、その後、彼の死去に伴って高砂部屋に移った。 序ノ口に付いた時の四股名は、出身地・岩手県の名峰(早池峰山)に因んだ「早地峯」。
柏戸秀剛(かしわど ひでたけ、1918年5月3日-1982年… 柏戸秀剛(かしわど ひでたけ、1918年5月3日-1982年12月11日)は、春日山部屋に所属していた岩手県九戸郡種市町(現洋野町)出身の元大相撲力士である。本名は佐々木秀剛。最高位は東前頭筆頭(1947年6月場所)。現役時代の体格は186cm、96kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。
高田山 惠助(たかだやま けいすけ、1917年3月25日 -… 高田山 惠助(たかだやま けいすけ、1917年3月25日 - 1983年12月7日)は、岩手県東磐井郡千厩町(現・一関市)出身の昭和時代の元大相撲力士。白玉部屋→芝田山部屋→高田川部屋→高砂部屋所属。本名は金野 恵助。最高位は東十両8枚目。得意技は右四つ、寄り。 同郷の横綱宮城山が引退直後に部屋を興した白玉部屋(のち芝田山部屋)に入門。1931年5月場所に初土俵を踏んだ。当初の四股名は師匠が以前名乗った「岩手川」。幕下時代の1940年1月場所に「高田山」と改名した。1941年5月場所に十両に昇進。この場所8勝7敗と勝ち越した。翌1942年1月場所には東十両8枚目まで番付を上げたが、右膝を捻挫して途中休場。
照錦 富治(てるにしき とみじ、1911年6月15日 - 1… 照錦 富治(てるにしき とみじ、1911年6月15日 - 1971年3月9日)は、伊勢ノ海部屋、花籠部屋に所属した元力士。また11、13代放駒、10代花籠。本名は照井 富治(てるい とみじ)。現在の岩手県花巻市出身。164cm、105kg。最高位は西十両4枚目。得意技は右四つ、寄り、下手投げ。 1926年5月場所に初土俵。1932年5月場所に十両昇進。1937年に右腕の関節を痛め、更に右大腿部を脱臼して一時は三段目まで陥落したが、そこから奮起して1940年1月場所に十両に復帰した。その後は入幕を果たせぬまま1943年1月場所に引退。その後は11代放駒を襲名、以後10代花籠、そして放駒を再襲名した。
宮城山 福松(みやぎやま ふくまつ、1895年2月27日 -… 宮城山 福松(みやぎやま ふくまつ、1895年2月27日 - 1943年11月19日)は、岩手県西磐井郡(現:岩手県一関市)山目町出身で出羽ノ海部屋、高田川部屋(大坂)に所属した大相撲力士。第29代横綱。本名は佐藤 福松(さとう ふくまつ)。大阪相撲最後の横綱でもある。 1895年2月27日に岩手県西磐井郡(現:岩手県一関市)山目町五代で生まれる。幼少期から大きな体格で、馬車が溝に落ちて動かなくなると、やすやすと持ち上げて父を助けたという。家業だった乗合馬車と農業を手伝いながら村相撲で活躍していたところ、1909年に常陸山谷右エ門の一行が岩手へ巡業に来た際に力士に憧れ、志願して入門した。 同年6月場所において、故郷・岩手県に因んだ「岩手川」の四股名で初土俵を踏んだ。
8代 式守 伊之助(はちだい しきもり いのすけ、天保14年… 8代 式守 伊之助(はちだい しきもり いのすけ、天保14年5月14日(1843年6月11日) - 明治30年(1897年)12月18日)は、大相撲の立行司。本名は後藤文次郎(与太夫)。出身地は現在の岩手県北上市。 6代式守伊之助の弟子。初代の式守錦太夫で、安政3年(1856年)11月に初めて番付に載る。明治4年(1871年)3月に3代式守与太夫を襲名し、地道に昇進していった。明治17年(1884年)5月に8代式守伊之助を襲名。1年後に次席となった。堅実な軍配裁きに定評があった。明治30年(1897年)12月18日死去した。享年54。墓所は東京都江東区の万徳院。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。
錦木 塚右エ門(にしきぎ つかえもん、1822年〈文政5年〉… 錦木 塚右エ門(にしきぎ つかえもん、1822年〈文政5年〉 - 1861年12月27日〈文久元年11月26日〉)は、現在の岩手県北上市(旧・陸奥国和賀郡)出身で二所ノ関部屋に所属した力士。本名は工藤とのみ伝わっている。身長、体重ともに不明。最高位は西前頭筆頭。南部藩の抱えであった。 最初は南部相撲で相撲人生をスタートさせた。1845年3月に初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1852年11月西二段目8枚目にあがり、現在でいう十枚目昇進を果たす。この場所、6勝3敗1預の優勝次点という好成績を挙げた。1856年11月場所で新入幕を果たした。幕内では目立った成績を残せず、勝ち越しも一度きり(西前頭4枚目だった1859年11月場所)と芳しくなかった。
二所ノ関 軍右エ門(にしょのせき ぐんえもん、1760年〈宝… 二所ノ関 軍右エ門(にしょのせき ぐんえもん、1760年〈宝暦10年〉 - 1823年3月17日〈文政6年2月5日〉)は、伊勢ノ海部屋及び柏戸部屋に所属した元力士。四賀峰東吉(元大関)は甥、娘婿に当たる。 本名は小田島 音藏。身長184cm、体重109kg。出身地は現在の岩手県北上市(旧・陸奥国和賀郡)。最高位は西大関。南部藩の抱えであった。 最初は南部相撲で相撲人生をスタートさせた。1783年3月に初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1786年3月東二段目6枚目にあがり、現在でいう十枚目昇進を果たす。1789年11月場所、西十両筆頭で7勝1敗2分の優勝相当成績を挙げ、翌1790年3月場所で新入幕を果たした。
宮城野 錦之助(みやぎの にしきのすけ、延享元年(1744年… 宮城野 錦之助(みやぎの にしきのすけ、延享元年(1744年) - 寛政10年6月5日(1798年7月18日))は、陸奥国江刺郡(現在の岩手県奥州市)出身で佐野山部屋に所属した江戸時代の大相撲力士。本名は小島 大八(こじま だいはち)。体格は身長182cm、体重116kg。最高位は関脇。 最初は江戸相撲関ノ戸億右衛門の弟子となり、江刺川大八と名乗り明和3年(1766年)に初土俵を踏んだ。のちに仙台出身の宮城野丈助の門に移り宮城野大八と改名し、安永10年(1781年)3月に38歳で初入幕した。天明3年(1783年)3月小結になり名を錦之助と改名した。 初土俵は明和3年(1766年)10月場所だが、安永10年(1781年)3月になって新入幕。
関ノ戸 億右エ門(せきのと おくえもん、元文元年〈1736年… 関ノ戸 億右エ門(せきのと おくえもん、元文元年〈1736年〉 - 天明2年4月17日〈1782年5月28日〉)は、陸奥国(現在の岩手県)出身の大相撲力士。 現在の岩手県一関市花泉町永井出身。 初代伊勢ノ海(幕内・伊勢ノ海五太夫)が開いた伊勢ノ海部屋に入門。頭書は「仙台」。宝暦7年(1757年)10月場所にいきなり前頭筆頭に附け出される形で初土俵を踏む。その後小結から関脇を務め、三役力士としての貫禄を示した。 安永3年(1774年)、初代伊勢ノ海が没すると、2代伊勢ノ海を襲名し、二枚鑑札で現役のまま部屋を経営。安永6年(1777年)10月場所限りで現役を引退、年寄専務となり、初代同様仙台藩の後ろ盾を得て勢力を維持する。
錦木 塚五郎(にしきぎ つかごろう、生年不明 - 1821年… 錦木 塚五郎(にしきぎ つかごろう、生年不明 - 1821年8月26日〈文政4年7月29日〉)は、現在の岩手県花巻市(旧・陸奥国稗貫郡)大迫出身で二所ノ関部屋に所属した力士。 本名は藤原とのみ伝わっている。身長は五尺八寸(175cm)、肩幅三尺(90cm)の巨漢だった。体重は不明。 最高位は西小結。盛岡藩の抱えであった。 1805年10月初土俵(三段目)。翌1806年2月より西幕下尻より四枚目付け出しとなる。1806年10月西二段目9枚目にあがり、現在でいう十枚目昇進を果たす。1809年10月新入幕。怪力で知られ、10貫文銭と鉄砲 2挺を載せた碁盤を膳持ちにして広座敷を3回も歩いて回り、右手で碁盤を持ち直して元の所へ置き直したという伝説が残っている。
錦木 塚五郎(にしきぎ つかごろう、生年不明 - 1842年… 錦木 塚五郎(にしきぎ つかごろう、生年不明 - 1842年8月16日〈天保13年7月11日〉)は、現在の岩手県花巻市(旧・陸奥国稗貫郡)出身で四賀峰部屋(同郷の四賀峰東吉が運営した部屋)→二所ノ関部屋に所属した力士。 本名は八木とのみ伝わっている。身長、体重は不明。 最高位は西小結。盛岡藩の抱えであった。 1831年11月初土俵(二段目〈現在の幕下〉)。1835年11月東二段目8枚目に上がり、現在でいう十枚目昇進を果たす。その場所、8勝0敗1預の無敗の好成績で、優勝相当成績を挙げた。その後二段目でもたつくも、1839年3月場所で6勝2敗2休の成績を挙げ、二段目10枚目以内(現在でいう十両)で2度目の優勝相当成績を挙げた。