梅津 和時(うめづ かずとき、1949年10月17日 - )… 梅津 和時(うめづ かずとき、1949年10月17日 - )は、日本のミュージシャン、サックス、クラリネット奏者、作曲家。フリー・ジャズを中心に、ロックやクレズマー等、幅広い分野で活動。埼玉県在住。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第三高等学校、国立音楽大学卒。大学在学中にジャズの世界でプロ活動を始め、ニューヨークでフリー・ジャズに目覚める。帰国後は生活向上委員会、生向委(せいこうい)で活動。同バンドは、生活向上委員会大管弦楽団と改名して1980年にメジャー・デビューした。梅津を筆頭に篠田昌已、片山広明、早川岳晴等の重要人物を擁していたことで伝説になっているバンドだが、2枚のアルバムを残して解散。 1980年代は、RCサクセションのサポート・メンバーとしても有名になる。
伊藤 康志(いとう やすし、1949年(昭和24年)9月29… 伊藤 康志(いとう やすし、1949年(昭和24年)9月29日 - )は、日本の政治家。宮城県大崎市長(5期)。宮城県議会議員(5期)、宮城県議会議長(第33代)などを歴任した。 宮城県遠田郡涌谷町出身。1968年3月、宮城県小牛田農林高等学校卒業。1987年4月、青年団活動宮城県議選・古川選挙区(定数2)に無所属で立候補し、トップ当選。当選後に自民党入り。(以後、5期連続でトップ当選)。1995年、自民党宮城県青年議員連盟会長。 1997年、自民党県民会議(宮城県議会会派)会長1999年、自民党宮城県連幹事長、宮城県議会大崎地方議員会(大崎地方の超党派県議団)会長。2004年、自民党宮城県連会長代理。
岩渕 明(いわぶち あきら、1949年9月18日 - )は、… 岩渕 明(いわぶち あきら、1949年9月18日 - )は、日本の機械工学者。岩手大学学長や、日本機械学会副会長を務めた。
高橋 芳郎(たかはし よしろう、1949年8月31日 - 2… 高橋 芳郎(たかはし よしろう、1949年8月31日 - 2009年3月22日)は、日本の中国史学者。 宮城県栗原郡一迫町(現・栗原市)出身。宮城県築館高等学校卒、1972年東北大学文学部東洋史学科卒、1975年同大学院文学研究科博士課程中退、北海道大学文学部助手、1983年名古屋大学教養部講師、同助教授、1989年北海道大学文学部助教授、同教授、文学研究科教授。2002年「宋-清身分法の研究」で東北大学文学博士。
三浦 正規(みうら まさき、1949年7月18日 - )は、… 三浦 正規(みうら まさき、1949年7月18日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(捕手)。 気仙沼高から大京観光を経て、1968年にドラフト外で近鉄バファローズへテスト入団。 主にブルペン捕手を務めて一軍出場は偵察メンバーとしての1試合だけに留まり、1971年に現役を引退した。
佐々木 哲夫(ささき てつお、1949年7月11日 - )は… 佐々木 哲夫(ささき てつお、1949年7月11日 - )は、宮城県仙台市出身の日本の神学者、牧師(日本基督教団正教師)。東北学院大学名誉教授。学校法人東北学院元院長。学校法人宮城学院学院長。
長野 哲(ながの さとし、1949年7月5日 - )は、宮城… 長野 哲(ながの さとし、1949年7月5日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 佐沼高校では1966年、2年生の時に夏の甲子園県予選3回戦で、宮城水産高を相手に2四球、1失策のノーヒットノーランを達成し勝利。県予選を勝ち抜き東北大会準決勝に進むが、福島商に0-1で敗退し、甲子園出場を逸する。翌年夏は県予選で敗れた。 1967年ドラフト会議でサンケイアトムズから8位指名を受けるが拒否し、熊谷組へ入社。藤津靖雄、大櫃照彦など好投手が多く、なかなか大舞台は踏めなかったが、1968年の明治維新百年記念明治神宮野球大会では、全東京選抜の抑えとして登板、全神奈川選抜に快勝した。 1968年ドラフト会議で大洋ホエールズから5位指名を受け入団。
東 孝(あずま たかし、1949年5月22日 - 2021年… 東 孝(あずま たかし、1949年5月22日 - 2021年4月3日)は、日本の武道家(柔道・極真空手)。打撃系総合武道・空道の創始者。大道塾創立者・代表師範・塾長。NPO法人国際空道連盟・一般社団法人全日本空道連盟理事長、2008年北京武術トーナメント散手日本代表監督。みなと気仙沼大使。大道塾空道九段、極真武道会八段の他、講道館柔道参段を允許されている。 宮城県気仙沼市出身。 宮城県気仙沼高等学校時代に柔道を習得。卒業後、陸上自衛隊を経て、早稲田大学第二文学部在学中1971年(昭和46年)に極真会館に入門し空手道に取り組む。 早稲田大学極真空手部(早大極真会)創設・初代主将。山崎照朝・佐藤勝昭らに指導を受ける。
渡辺 勉(わたなべ つとむ、1949年4月25日 - 202… 渡辺 勉(わたなべ つとむ、1949年4月25日 - 2023年5月29日)は、宮城県出身のプロ野球選手(内野手)。 仙台育英高校では1967年、遊撃手、三番打者として夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東北大会決勝に進出するが、八重樫幸雄一塁手のいた仙台商に敗退、甲子園出場はならなかった。 同年のドラフト会議で阪急ブレーブスから5位指名を受け入団。 1968年のジュニアオールスターゲームに選出される。 1971年には控え内野手として一軍に定着、内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして、70年代の阪急で活躍した。1975年には二塁手、遊撃手、三塁手として5月から20試合に先発出場。同年の広島カープとの日本シリーズでは全6試合に三塁の守備固め、代走として起用されている。
佐佐木 邦子(ささき くにこ、1949年4月6日 - 201… 佐佐木 邦子(ささき くにこ、1949年4月6日 - 2016年9月20日)は、日本の小説家。宮城県仙台市出身。宮城教育大学卒業。 1985年、『卵』で芥川賞候補、第11回中央公論新人賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
野家 啓一(のえ けいいち、1949年2月21日 - )は、… 野家 啓一(のえ けいいち、1949年2月21日 - )は、日本の哲学者。専攻は科学哲学。東北大学名誉教授。東北大学総長特命教授、元日本哲学会会長。 1949年、宮城県仙台市生まれ。宮城県仙台第一高等学校卒業。東北大学理学部に入学し、1971年3月に東北大学理学部物理学科を卒業。物理学科在学中に廣松渉の論文「マッハの哲学と相対性理論」を読んだことが「物理学から哲学へ変わるきっかけ」となり、大学院は東京大学大学院理学系研究科科学史・科学基礎理論に進学した。大森荘蔵に師事。1974年3月、東京大学大学院理学系研究科科学史・科学基礎理論専門課程修士課程修了。1976年3月、東京大学大学院理学系研究科科学史・科学基礎論専門課程博士課程を中退。
大沼 安史(おおぬま やすし、1949年2月14日 - 20… 大沼 安史(おおぬま やすし、1949年2月14日 - 2020年6月22日)は、日本のフリージャーナリスト。宮城県仙台市出身。東北大学法学部卒業。福島原発事故による影響、教育問題、国際問題等を専門とする。生前より電磁波攻撃を受けていると主張し、2020年の死去後も夫人が同様の電磁波被害を受けていると主張している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江刺 正喜(えさし まさよし、1949年1月30日 - )は… 江刺 正喜(えさし まさよし、1949年1月30日 - )は、日本の工学者。MEMSの研究家である。 宮城県仙台市出身。東北大学大学院工学研究科教授を2013年3月を以て定年退官したが、同年4月以降も同大学で原子分子材料科学高等研究機構教授(兼)マイクロシステム融合研究開発センター長を務める。
氏家 和男(うじいえ かずお、1949年 - )は、日本の弁… 氏家 和男(うじいえ かずお、1949年 - )は、日本の弁護士。仙台弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。仙台弁護士会所属。 昭和24年10月、宮城県栗原市に生まれる。昭和44年に宮城県築館高等学校卒業、昭和48年3月に東北大学教育学部を卒業し、昭和52年10月に司法試験合格する。昭和55年4月に弁護士登録し、仙台弁護士会に入会する。仙台弁護士会会長、日本弁護士連合会理事を経て平成19年4月から平成20年3月まで日本弁護士連合会副会長を務める。平成20年4月から日本弁護士連合会・民事裁判手続きに関する委員会委員、仙台弁護士会・偏在対策拠点事務所支援委員会委員長などを務めている
井沢 洋二(いざわ ようじ、1949年 - )は、日本のイラ… 井沢 洋二(いざわ ようじ、1949年 - )は、日本のイラストレーター。宮城県仙台市出身。武蔵野美術大学商業デザイン学科卒業。1976年、CBSソニーに入社し、1979年退社後、フリーのイラストレーターとなり絵本、挿絵、広告で活動。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
末永 史(すえなが あや、1949年 - 2018年1月1日… 末永 史(すえなが あや、1949年 - 2018年1月1日)は、日本の元漫画家、イラストレーター、エッセイスト、精神保健福祉士。宮城県仙台市出身。漫画家としては特に1970年代に活動していた。東京都立南多摩高等学校を経て武蔵野美術大学、中央大学中退後、「ヤングコミック」や「りぼん」に連載していた。その後は医療に従事するかたわら、イラストやエッセイの活動が中心になっていた。 別のペンネームに末永あや子、いとう絢子がある。 (上記全て、末永あや子または末永あやこ名義作品)
跡部 昌洋(あとべ まさひろ、1948年12月13日 - )… 跡部 昌洋(あとべ まさひろ、1948年12月13日 - )は、日本の政治家。宮城県黒川郡大衡村村長(5期)、同村議会議員(2期)を歴任した。 祖父と父親も村長をやっていた政治家一家。 企業の誘致に取り組んでおり、2011年にトヨタ自動車グループの小型車生産会社「セントラル自動車」の本社工場の移転に成功している。 2011年9月に大衡村の水道事業担当の元職員による公金着服事件が発覚。2012年6月に元職員は懲戒免職となり、2013年3月に詐欺などで逮捕、起訴。2013年5月に仙台地裁は、都市整備課主査だった元職員は2011年2〜3月に「給水承認通知書」と「水道加入金等請求書」を偽造して村内にアパートを建設する業者から計約415万円をだまし取った詐欺などの罪で懲役2年、執行猶予4年の判決を言い渡した。
青葉城 幸雄(あおばじょう ゆきお、1948年11月14日 … 青葉城 幸雄(あおばじょう ゆきお、1948年11月14日 - )は、宮城県仙台市太白区出身で押尾川部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した元大相撲力士。本名は庄司 幸雄(しょうじ ゆきお)。現役時代の体格は181cm、152kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。最高位は西関脇(1983年7月場所)。愛称は「土俵の鉄人」。初土俵(序ノ口)以来1630回の連続出場記録保持者であった。 中学時代はサッカー部に所属していた一方で、小学5年生の頃から自転車やサッカースパイクを買うために新聞配達を行っていた。この新聞配達を冬の雪の中でもひたすら行ったことが、健康面や精神面の修養に効果をもたらした。相撲経験は皆無であったが、横綱・大鵬のような力士になりたいと卒業直前に力士を志し、アルバイトで貯めた金で上京して大鵬が所属する二所ノ関部屋に出向き入門を許可された。
荒川 秀之助(あらかわ しゅうのすけ、1948年11月4日-… 荒川 秀之助(あらかわ しゅうのすけ、1948年11月4日- )は、宮城県名取市出身で、日本競輪選手会・宮城支部に所属していた元競輪選手。25期。 東北高等学校を経て日本競輪学校第25期生となる。同期には谷津田陽一や、1964年東京オリンピックに出場した山藤浩三や伊藤富士夫らがいる。また、実弟の荒川玄太(31期)も元競輪選手であった。 デビュー戦は1967年9月17日の準地元・いわき平競輪場で迎え6着。初勝利は同年同月18日の同場。 1970年。この年は競輪界のこれまでの図式が大きく変わった年となった。高原永伍時代の終焉が訪れると同時に、高原に加え、伊藤繁、吉川多喜夫らが形成していた「神奈川王国」にも終焉の時代が訪れた。
石川 幹子(いしかわ みきこ、1948年10月27日 - )… 石川 幹子(いしかわ みきこ、1948年10月27日 - )は、日本のランドスケープ・アーキテクト。中央大学研究開発機構グリーンインフラ研究室機構・機構教授、東京大学名誉教授。農学博士、技術士(都市及び地方計画)、元日本学術会議会員。宮城県岩沼市出身。 専攻は環境デザイン、都市環境計画。 世界文化的景観科学者会議日本代表、日本イコモス文化的景観国内委員会主査。日本都市計画学会、日本造園学会、土木学会、各会員。元日本学術会議環境学委員会委員長、元東京都自然環境保全審議会委員、元東京都都市計画地方審議会委員、元東京都公園審議会委員、元新宿区都市計画審議会委員、元川崎市環境審議会委員、元鎌倉市緑政審議会委員、元宮城県岩沼市震災復興会議議長。
菅野 哲雄(かんの てつお、旧姓:小山(おやま)、1948年… 菅野 哲雄(かんの てつお、旧姓:小山(おやま)、1948年10月22日- )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、気仙沼市議会議員(4期)、社会民主党宮城県連代表などを務めた。ニックネームは「かんてつ」。 宮城県気仙沼市生まれ。1969年、一関工業高等専門学校卒業。1973年に気仙沼市役所に就職。 1985年、気仙沼市議会議員選挙に出馬し、初当選。市議を4期務める。4期目の任期途中の2000年、自由民主党の小野寺五典の議員辞職に伴う衆議院宮城6区補欠選挙に社会民主党公認で出馬するが、民主党の大石正光に敗れ落選した。同年の第42回衆議院議員総選挙に再出馬し、宮城6区では再度落選したが、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し、当選。
坂井 道郎(さかい みちろう、1948年(昭和23年)10月… 坂井 道郎(さかい みちろう、1948年(昭和23年)10月1日 - )は、の日本の実業家。マルハニチロ顧問。元取締役会長。元マルハニチロ食品代表取締役社長。宮城県塩竈市出身。 旧ニチロプロパーで、再編の末に旧ニチロの法人格を継承したマルハニチロ食品の最初で最後の社長に就任。その後、久代敏男マルハニチロホールディングス副社長(マルハ出身)の社長昇格に伴い、旧マルハプロパーでマルハニチロ水産の社長・伊藤滋とともに、マルハニチロホールディングスの代表権のある副社長を併任。 会社再編に伴い、2014年、マルハニチロ食品など5社がマルハニチロ水産に吸収合併され、消滅したため、合併会社マルハニチロの代表権のない会長に就任。
山崎 彰三(やまざき しょうぞう、1948年9月12日 - … 山崎 彰三(やまざき しょうぞう、1948年9月12日 - 2024年8月30日)は、日本の公認会計士。監査法人トーマツ代表社員や、日本公認会計士協会会長、東北大学大学院教授等を歴任した。 宮城県仙台市生まれ。宮城県仙台第一高等学校を経て、東北大学経済学部に進学。1970年公認会計士第二次試験合格、等松・青木監査法人仙台事務所入所。1972年東北大学経済学部卒業。1974年公認会計士登録。1983年ペンシルベニア大学ウォートン・スクール・ウォートン・インターナショナル・アドバンスト・マネジメント・プログラム修了。1984年等松・青木監査法人社員。1991年監査法人トーマツ代表社員。日本公認会計士協会会長。
和光 晴生(わこう はるお、1948年6月12日 - 202… 和光 晴生(わこう はるお、1948年6月12日 - 2023年11月4日)は、日本のテロリスト・新左翼活動家。革命家。日本赤軍元メンバー。 宮城県仙台市出身。仙台第三高校卒業後、1968年に慶應義塾大学文学部に入学。[要出典] 映画少年だったが、医学部が米軍から研究資金を受けていたことが報道されたことを契機に起きた学内の抗議運動がきっかけで学生運動に参加、マルクス主義戦線派に近いノンセクトグループで活動していた。一方で新宿の映画館「アンダーグラウンド蠍座」でアルバイトをしており、三島由紀夫、寺山修司、若松孝二といった文化人の知遇を得る機会を持った。大学中退後、若松孝二の下で働き始め、1971年から1972年にかけて、若松と足立正生の映画「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の『赤バス隊』と呼ばれた上映隊で全国を巡った。
千葉 剛(ちば つよし、1948年4月25日- )は、宮城県… 千葉 剛(ちば つよし、1948年4月25日- )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高では末永幸士投手(国士舘大学)と同期だったが、甲子園には出場できなかった。 1966年のプロ野球第1次ドラフト会議で東映フライヤーズから5位指名を受けたが、入団を拒否し社会人野球の日本鉱業日立へ入団する。 1968年の都市対抗野球に出場し、1回戦でリリーフとして登板するが日本新薬に敗れる。翌1969年の都市対抗野球にはエースとして出場するが、同じく1回戦で三菱重工名古屋に敗退した。 1969年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受け入団。 シュート、カーブが武器の本格派で、スライダーをプロ入り後に習得する。
本川 達雄(もとかわ たつお、1948年4月9日 - )は、… 本川 達雄(もとかわ たつお、1948年4月9日 - )は、日本の生物学者、シンガーソングライター。東京工業大学名誉教授。専攻は動物生理学。 1948年、宮城県仙台市で生理学者の本川弘一(後に東北大学総長)の息子として生まれる。宮城県仙台第一高等学校を経て、1971年、東京大学理学部生物学科(動物学)卒業。東京大学助手、琉球大学助教授、デューク大学客員助教授を経て、1991年より2014年まで東京工業大学教授。 研究対象は、キャッチ結合組織や、ホヤを題材にしたサイズの生物学(アロメトリー)など。キャッチ結合組織とは硬さが素早く変わる結合組織で、棘皮動物にのみ見られるもの。この組織が棘皮動物5つの綱すべてで働いていることを示し、硬さ変化の機構や変化の神経制御など、この分野を切り開いて行ったことで、世界の棘皮動物学者の間で名高い。
佐藤 義和(さとう よしかず、1948年4月6日 - 202… 佐藤 義和(さとう よしかず、1948年4月6日 - 2020年10月28日)は、日本のテレビプロデューサー。 元フジテレビプロデューサー。宮城県塩竈市出身。フジテレビ退社後は沖縄県中頭郡北谷町に在住していた。 1971年、東北学院大学法学部法律学科卒業。元青森放送の鈴木伸夫と女優の篠ひろ子は同大学の1年先輩である。 当初は地元である仙台地区の民放に就職を希望していたが、新卒の募集がなかったため上京し、フジテレビの制作系子会社「フジポニー」に、2年間のアルバイトを経て、正社員として入社。 その後フジ制作を経て、1980年に行われた機構改革でフジテレビに転籍。横澤彪の下でディレクターやプロデューサーとして数々のバラエティ番組を手掛ける。
竹鼻 純(たけはな じゅん、1948年3月24日 - )は、… 竹鼻 純(たけはな じゅん、1948年3月24日 - )は、元ミヤギテレビアナウンサー・解説委員。岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。 宮城県仙台第三高等学校、武蔵大学を卒業し、大学卒業後は茨城放送(現在のLuckyFM茨城放送)に入社した。1972年にミヤギテレビに入社した。スポーツ観戦を趣味としており、宮城県サッカー協会理事、ベガルタ仙台市民後援会の顧問を務める。また、地域スポーツ文化講座のコーディネーターを務めたこともある。 お酒がまったく飲めない。宮城学院女子大学の情報処理の講師も務めている。 定年により、2008年3月28日をもって「OH!バンデス」のニュースコーナー「NEWSリアルタイムミヤギ」のキャスターを卒業し、4月以降は解説委員として出演した。
吉川 団十郎(きっかわ だんじゅうろう、1948年3月10日… 吉川 団十郎(きっかわ だんじゅうろう、1948年3月10日 - )は、宮城県名取郡増田町(現:名取市)出身の日本のシンガーソングライター、陶芸家、ラジオパーソナリティである。本名:吉川 昇(きっかわ のぼる)。芸名は市川團十郎から引用したもの。 代表曲は『ああ宮城県』。
篠 ひろ子(しの ひろこ、1948年〈昭和23年〉3月8日 … 篠 ひろ子(しの ひろこ、1948年〈昭和23年〉3月8日 - )は、日本の女優である。本名:西山 博子(にしやま ひろこ)。旧姓:沼澤(ぬまさわ)。宮城県仙台市出身、在住。東北学院大学法学部中退。血液型O型。所属事務所は芸映プロダクションであった。身長166 cm(1975年7月)。体重は48kg、スリーサイズはB83 cm、W58 cm、H88 cm(いずれも1974年)。 三男二女の長女で、父は電機会社の専務。兄にプロゴルファーの沼沢聖一、弟にゴルフクラブ設計家の沼沢雄二、甥に元プロサッカー選手で俳優の青山隼がいる。少女期はNHK仙台少年少女合唱隊(後輩に遊佐未森がいる)に所属していた。聖ウルスラ学院小学校・中学校・高等学校(現在の聖ウルスラ学院英智小学校・中学校・高等学校)卒業。
中野 正志(なかの まさし、1948年2月29日 - )は、… 中野 正志(なかの まさし、1948年2月29日 - )は、日本の政治家。「自由民主党宮城県ふるさと振興支部」支部長。 宮城県議会議員(3期)、衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、国土交通大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、経済産業副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、日本のこころ幹事長、同代表などを歴任。 宮城県塩竈市生まれ。父親は消防士であった。東北学院中学校・高等学校を経て、東北学院大学法学部卒業。中学校、高校時代には土木作業のアルバイトに励んだ。大学1年生時に学内の弁論大会で優勝した。 大学卒業後には、約15年間に渡って三塚博の秘書を務めた。1983年、宮城県議会議員に当選。
二階堂 正宏(にかいどう まさひろ、1948年2月10日 -… 二階堂 正宏(にかいどう まさひろ、1948年2月10日 - )は、日本の漫画家。 宮城県栗原郡若柳町(現在の栗原市)出身。宮城県若柳高等学校(現在の宮城県迫桜高等学校)、東京デザインカレッジ漫画科卒。「東京デザインカレッジ」の「漫画科」は、大人漫画の大家である近藤日出造が設立した日本初の漫画の学校で、1コママンガ・ナンセンスマンガの正統な系譜を継いでいる。 双葉社に入社後、日本初の週刊青年漫画誌である『漫画アクション』の創刊に編集者として参画する。『アクション』で3年務めた後、担当した漫画家である石森章太郎の勧めによりプロ漫画家へと転身する。 1970年代より『スーパースター・ババ』など極めて過激かつ下品な漫画を主に手掛けたが、各誌で掲載された「兵隊もの」の連作を集めて1977年にサイレントマンガ『アイアムソルジャー』を自費出版した。
小野寺 正(おのでら ただし、1948年(昭和23年)2月3… 小野寺 正(おのでら ただし、1948年(昭和23年)2月3日 - )は、日本の実業家。KDDI代表取締役社長、同社代表取締役会長、電気通信事業者協会会長、映像情報メディア学会会長、大和証券グループ本社取締役、京セラ取締役を歴任した。 宮城県仙台市角五郎の宮城県庁職員の家に生まれる。東北大学教育学部附属幼稚園、東北大学教育学部附属小学校、東北大学教育学部附属中学校、宮城県仙台第二高等学校を経て、東北大学工学部電気工学科卒業(音響学城戸健一に師事)。 高校の理系クラスの同級生に中鉢良治(のちにソニー社長)がいた。高校卒業後は、東北大学工学部に進学し、東北大学電気通信研究所の城戸健一に師事。卒業研究ではスピーカーの振動研究を行った。
加藤 俊夫(かとう としお、1948年1月20日 - )は、… 加藤 俊夫(かとう としお、1948年1月20日 - )は、宮城県仙台市宮城野区出身の元プロ野球選手(捕手)・解説者。ニックネームは「ドン」。 仙台育英では2年次の1964年に夏の甲子園へ出場するが、1回戦で滝川高の芝池博明に0-1で完封負けを喫した。チームメイトでは1期上のエース・倉橋寛、遊撃手の佐藤博廸(南海)、同期の三塁手・石崎一夫がプロ入りしている。3年次の1965年夏は東北大会準決勝で磐城高に惜敗し、2年連続で甲子園には出場できなかった。高校時代から「大物」とうたわれ、通算打率.380をマークした。強肩と強打にプロ球界も目を付け、小さい頃からファンであった巨人から指名の話が来た時は有頂天になったが、同年のドラフトでは巨人の前に大洋から2位で指名されているが、入団を拒否。
阿部 道(あべ とおる、1948年1月19日 - )は、宮城… 阿部 道(あべ とおる、1948年1月19日 - )は、宮城県仙台市出身の元競輪選手。日本競輪学校第23期卒業。現役時は日本競輪選手会宮城支部所属。初出走は1966年9月16日の函館競輪場で初勝利も同日。ホームバンクは宮城自転車競技場。 仙台市立仙台商業高等学校出身。4人兄弟の長男で、弟3人も元競輪選手だった。 阿部はデビュー当時から、平間誠記の練習仲間として一緒に練習していたが、実際のところ、平間が阿部ら若手に対して「指導」を行うために練習に付き合わせたという側面が強かった。ロードワーク中に周囲が田んぼに囲まれた場所へとさしかかると平間は突然、「おい!これから競りの練習だ!」といって阿部らの横にピッタリと車を寄せ、ゴリゴリと競りを行い、最後は決まって田んぼの中へ阿部らを突き落としたという。
岩下 正(いわした ただし、1948年1月1日 - )は、日… 岩下 正(いわした ただし、1948年1月1日 - )は、日本の財務官僚、企業経営者。ローソン銀行代表取締役会長。 宮城県仙台市出身。血液型はB型。宮城県仙台第一高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1970年に大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1971年に大臣官房秘書課調査係長心得。1974年にイェール大学で経営学修士号を修得。同年7月 銀行局総務課企画係長。1975年7月 福知山税務署長。1993年6月 大臣官房調査企画課長兼財政金融研究所次長。1994年4月から1995年5月まで羽田孜、村山富市の下で内閣総理大臣秘書官(事務担当)。1999年7月8日に国際局次長、2002年7月9日に財務総合政策研究所長となる。
長谷川 雄一(はせがわ ゆういち、1948年 - )は、日本… 長谷川 雄一(はせがわ ゆういち、1948年 - )は、日本の政治学者。東北福祉大学教授。 1948年、宮城県仙台市生まれ。1973年、上智大学法学部法律学科を卒業。1978年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。 卒業後は八千代国際大学政治経済学部助教授、駒沢女子大学人文学部国際文化学科教授などを経て、2005年より東北福祉大学教授。
佐々木 宗實(ささき もとみ、1948年 - )は、日本生ま… 佐々木 宗實(ささき もとみ、1948年 - )は、日本生まれの画家であり、新制作協会の絵画部会員として活動する人物である。宮城県古川市(現:大崎市古川)出身で、1966年に宮城県古川高等学校を卒業し、1969年に日本美術学校油絵科を修了した。 佐々木が生まれた1948年は、第二次世界大戦終戦後の混乱期にあたる。日本は戦後復興の途上にあり、美術界もまた大きな変革の時代を迎えていた。戦前の伝統的な日本画・洋画に加え、戦後は前衛芸術や抽象表現が台頭し、美術界は多様化していった。1950年代~60年代にかけて、日本では具体美術協会などが登場し、新しい表現が模索された。1970年代に入ると、高度経済成長期を背景に日本の美術界も安定し、写実表現や抽象画など多様な作品が発表されるようになった。
松田 咲實(まつだ さくみ、1948年 - )は、日本の元声… 松田 咲實(まつだ さくみ、1948年 - )は、日本の元声優事務所・声優養成所経営者、マネージャー、芸能プロモーター。 元日本芸能マネージメント事業者協会副理事長。宮城県栗原市出身。 詩人を目指し上京、電話番のアルバイトとして東京俳優生活協同組合(俳協)に入社、マネージャー生活を送り、俳協とNHKプロモートサービス(現NHKプロモーション)との業務提携により設立された声優プロダクション「NPSテアトル」のマネージメント総責任者として兼務出向、1984年出向終了とともに俳協を退社し、アーツビジョン(アーツ)を設立。その後、1990年に付属養成所を日本ナレーション演技研究所とし、1997年には新たにグループ事務所としてアイムエンタープライズ(アイム)を設立した。
小山 靖(おやま やすし、1948年 - )は、宮城県を登録… 小山 靖(おやま やすし、1948年 - )は、宮城県を登録地としていた元競輪選手。日本競輪学校第27期生。 東北高等学校時代の1966年に青森競輪場で行われた全国高等学校総合体育大会自転車競技大会のスクラッチレース(現在のスプリント)で優勝。 その後、競輪学校に入校。同校在校競走成績は124戦99勝で第1位。さらに卒業記念レースでも、オール1着の完全優勝を果たした。 競輪選手となってからは、特別競輪(GI)の決勝戦に3回進出。この内、1977年の競輪祭・全日本競輪王戦では3位に入った。また、記念競輪(GIII)は通算5回優勝。 1988年6月6日、選手登録削除。
今野 東(こんの あずま、本名:今野 東吾(こんの とうご)… 今野 東(こんの あずま、本名:今野 東吾(こんの とうご)、1947年12月17日 - 2013年4月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)、復興副大臣兼内閣府副大臣(野田第3次改造内閣)などを歴任。位階は従四位。 宮城県塩竈市出身。宮城県農業高等学校、明治学院大学社会学部第二部社会学科を卒業。 東北放送の関連会社でアナウンス業務を務めた後、フリーアナウンサーに転向。東日本放送の『トーホク独立TV』や仙台放送の『CATCH』のキャスター等を務めた。1997年には「東方落語」を発足させ、家元として活動。 1992年6月、エスエル出版より小説『相澤村れんげ条例』を出版し、日本文芸大賞現代文学新人賞受賞。
川添 良幸(かわぞえ よしゆき、1947年12月16日 - … 川添 良幸(かわぞえ よしゆき、1947年12月16日 - )は、日本の工学者、東北大学名誉教授。スーパーコンピュータによる計算材料学研究者。名誉教授ドットコム代表取締役。 東北大学金属材料研究所教授、同情報シナジーセンター長、同金属材料研究所計算材料学センター長、NPO法人科学協力学際センター長、中国復旦大学顧問教授、アジア計算材料科学コンソーシアム組織委員長、ナノ学会会長など歴任。 宮城県仙台市生まれ。東北大学理学部卒業、東北大学大学院博士課程修了、理学博士。 材料設計専用のスーパーコンピューターを多くの利用者に使いやすく設定する、という業務に取り組む。同大客員教授のビジェイ・クマールとは共同で、第一原理シミュレーション計算により、フラーレン型シリコン(シリコンフラーレン)の実在を予言。
庄子 哲雄(しょうじ てつお、1947年11月16日 - )… 庄子 哲雄(しょうじ てつお、1947年11月16日 - ) は、日本の材料工学者。東北大学名誉教授。東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー。マサチューセッツ工科大学客員教授、国立応用科学院客員教授、日本学術会議会員等を歴任。 1966年宮城県仙台第一高等学校卒業。1970年東北大学工学部機械工学科卒業。1972年東北大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1975年東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了、工学博士、東北大学工学部一般工学教室助手。1982年ニューカッスル大学金属及び材料科学科博士研究員。1983年東北大学工学部附属材料強度研究施設助教授。 1988年東北大学工学部機械工学第二学科材料計測・評価学研究室教授。
岡本 勝(おかもと まさる、1947年11月11日 - )は… 岡本 勝(おかもと まさる、1947年11月11日 - )は、日本の法学者、歌人。東北大学名誉教授。専攻は、刑法、近代ドイツ刑法史、犯罪論と刑法哲学。宮城県出身。 宮城県中新田町(現・加美町)で建設業を営む家に生まれ、小中学時代を鳴子町川渡(現・大崎市)で送る。その後、宮城県仙台第一高等学校、東北大学法学部卒業(指導教官は荘子邦雄)。卒業後、助手、助教授、教授を経て大学院法学研究科・法学部教授。2012年定年退官、名誉教授。 伊達政宗に仕えた初代岡本久兵衛義成を始祖とする仙台藩士岡本家の16代目当主。文学にも造詣が深く、東北大学短歌会の顧問をしていた。島田修二(青藍・草木)に師事していたが、現在は「まひる野」に所属。
小山 正(おやま ただし、1947年10月26日 - )は、… 小山 正(おやま ただし、1947年10月26日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 気仙沼高校では、1965年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、古川工に敗れ東北大会には進めなかった。同年のドラフト会議で大洋ホエールズから8位指名を受け入団。 1970年には二軍で打点王になるが、一軍出場はなく、1971年に現役引退した。
小野寺 重之(おのでら しげゆき、1947年10月24日 -… 小野寺 重之(おのでら しげゆき、1947年10月24日 - )は、日本の社会人野球選手(外野手)、元Jリーグ・柏レイソル社長。宮城県生まれ。 気仙沼市出身。宮城県気仙沼高等学校では1965年、夏の東北大会県予選準決勝に進むが古川工業に敗退。甲子園には出場できなかった。卒業後は明治大学に進学。名将島岡吉郎監督の指導を受ける。東京六大学野球リーグでは、1967年春季リーグから四番打者に抜擢され、1969年春季リーグで8年振りに優勝。直後の全日本大学野球選手権大会では東海大の上田二郎投手に抑えられ、2回戦敗退。同年の第8回アジア野球選手権大会日本代表に選出される。外野手としてベストナインに2回選出。
伊東 総一郎(いとう そういちろう、1947年10月21日 … 伊東 総一郎(いとう そういちろう、1947年10月21日 - )は、宮城県大崎市出身の射撃選手。宮城県築館高等学校卒業。バルセロナ五輪、アトランタ五輪代表。宮城県クレー射撃協会会長。
黒田 玲子(くろだ れいこ、1947年10月7日 - )は、… 黒田 玲子(くろだ れいこ、1947年10月7日 - )は、日本の生物物理学者。東京理科大学総合研究機構教授。日本化学会有機結晶部会部会長。東京大学名誉教授。
清野 智(せいの さとし、1947年9月30日 - )は、日… 清野 智(せいの さとし、1947年9月30日 - )は、日本の実業家、経営者。東日本旅客鉄道(JR東日本)顧問。東京都新宿区在住。勲等は旭日大綬章。
渥美 巌(あつみ いわお、1947年(昭和22年)9月8日 … 渥美 巌(あつみ いわお、1947年(昭和22年)9月8日 - )は、日本の政治家、行政書士。宮城県東松島市長(3期)。元・宮城県議会議員(6期)。 宮城県桃生郡矢本町赤井(現・東松島市)出身。生家は農家。1966年(昭和41年)3月、宮城県石巻商業高等学校卒業。なお高校時代は軟式野球部主将として全国大会に出場している。矢本町役場に入庁し、学校給食センター所長、議会事務局長などを務めた。 1995年(平成7年)1月、退職。同年4月の宮城県議会議員選挙に立候補し初当選した。県議時代は自由民主党に所属した。 2017年(平成29年)2月27日、次期東松島市長選挙への出馬を表明。同年4月23日に行われた市長選挙に自民党・民進党・公明党の推薦を受けて立候補し、元市議の木村清一、元市議の五野井敏夫らを破り初当選した。