守屋 武昌(もりや たけまさ、1944年〈昭和19年〉9月2… 守屋 武昌(もりや たけまさ、1944年〈昭和19年〉9月23日 - )は、日本の防衛官僚。宮城県塩竈市出身。東北大学法学部卒。1971年(昭和46年)、防衛庁入庁。1996年(平成8年)、内閣審議官として普天間問題に係わる。長官官房長・防衛局長を務めた後、2003年(平成15年)、防衛事務次官。2007年(平成19年)8月に防衛省を退職。のち、在任中の収賄などによって逮捕・起訴され、有罪判決(懲役2年6月の実刑・追徴金約1250万円)が確定した。 1944年(昭和19年)、宮城県塩竈市に生まれた。父親は戦前、帝国議会(戦後の国会)の衆院議員を務めた後、同市の初代市長に就いた守屋栄夫。武昌は父の栄夫が59歳のときの子で、親子ほども歳の離れた兄がいる。
小野 勝美(おの かつみ、1944年9月14日 -2021年… 小野 勝美(おの かつみ、1944年9月14日 -2021年8月13日)は、日本の作家、評論家。宮城県白石市生まれ。 山形大学を経て、立教大学大学院日本文学修士課程修了[要出典]。歌人についての伝記などを書いているが、久和数美の別名で釣りをテーマにした小説も執筆する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
西澤 敬一(にしざわ けいいち、1944年(昭和19年)6月… 西澤 敬一(にしざわ けいいち、1944年(昭和19年)6月6日 - 2014年(平成26年)10月18日)は、日本のオペラ演出家。西沢敬一という表記も見られる。 宮城県仙台市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業と同時に二期会オペラの制作部に所属。演出家としてのデビューは1967年(昭和42年)7月の東京声専音楽学校研究科第一回オペラ公演フロトー『マルタ』である。1968年(昭和43年)9月には日本オペラ研究会創立10周年記念創作オペラシリーズNo.4 林光『あまんじゃくとうりこひめ』菅野浩和『イソップの森』において林三好のもとで舞台監督助手。1968年(昭和43年)10月の東京声専音楽学校オペラ科第10回公演グルック『タウリスのイフィゲニア』(日本語上演)では歌詞の日本語訳と舞台監督を担当している。
今野 栄(こんの さかえ、1944年5月9日 - )は、日本… 今野 栄(こんの さかえ、1944年5月9日 - )は、日本の女子陸上競技短距離選手。後に自転車に転向し、自転車競技選手となる。旧姓:石川。 宮城県桃生郡桃生町新田(現、宮城県石巻市桃生町新田)出身。身長155cm。 中津山中学校(現 石巻市立桃生中学校)では、陸上部に所属。 この年行われた日独対抗陸上競技小田原大会のリレー第1走者として走る。 東京オリンピック強化指定選手となる。当時、100m走日本記録保持者だった吉岡隆徳コーチの指導を受ける。この頃から国体に出場。(高校1年生で、秋田国体に出場して以来、100m競技の宮城県代表として11回出場、うち入賞4回。) など、出場する大会を総なめにする。
千葉 仁(ちば まさし、1944年(昭和19年)4月20日 … 千葉 仁(ちば まさし、1944年(昭和19年)4月20日 - 2016年(平成28年)9月28日)は、日本の剣道家。段位は範士八段。元警視庁警察官。 上段の名手で、全日本剣道選手権大会で3回優勝した。この記録は史上2位タイである。得意技は上段から振り下ろす片手小手。 宮城県小牛田農林高等学校剣道部で乳井義博、高橋要に師事。上段の構えを始めたのは、高校3年生の6月頃である。小牛田農林では生徒に上段を許していなかったが、先生がいないときに上段の真似事をしていたところを高橋に見つかり、乳井が上段の跡継ぎをほしがっていたことや、千葉が左利きであったことから、上段を許され指南を受けた。 国士舘大学教授大野操一郎からスカウトされ、乳井も賛成して国士舘大学への進学が決まりかけたが、3年生のインターハイ終了後に乳井が「大学は金がかかるし親も大変だから警視庁を受けろ」と言い、急遽警視庁に就職した。
剣持宣揚(けんもち のぶあき、1944年2月11日 - )は… 剣持宣揚(けんもち のぶあき、1944年2月11日 - )は日本の大蔵官僚。 東京都港区出身(父は群馬県、母は福島県)。宮城県仙台第一高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類(私法コース)在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。1966年 大蔵省入省(主計局総務課)。1967年4月 国際金融局国際機構課。1968年4月 国際金融局付(留学)。1970年7月 国際金融局総務課企画調整係長。1971年7月 高山税務署長。1988年6月 造幣局東京支局長。1989年6月 派遣職員(国際復興開発銀行)。1992年6月 国税不服審判所次長。1993年9月 大臣官房審議官(大臣官房担当)。
能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )… 能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )は、日本の画家。東京都出身。 東京都浅草に5人兄弟の長男として生まれる。戦争のため母の実家のあった宮城県栗原郡築館町(現栗原市)に疎開し、そのまま移住した。父である能島康明は日展で活躍した日本画家であり、幼少の頃から日本画に触れる機会は多かった。少年時代から絵の才能を見出されており、当時の学校の先生から嫉妬を受け、筆を折るように言われたという話もある。 宮城県築館高等学校を卒業すると、東京に戻り多摩美術大学で日本画を学ぶ、奥田元宋に師事。大学在学中に日展に初入選、なおこれは最年少での入選記録となる。以降、日展特選を2回、日展会員賞、日展文部科学大臣賞、宮城県教育文化功労者、日本芸術院賞などを受賞した。
菅井 秀郎(すがい ひでお、1944年 - )は、日本の工学… 菅井 秀郎(すがい ひでお、1944年 - )は、日本の工学者、名古屋大学大学院工学研究科教授、中部大学客員教授。 宮城県に生まれる。宮城県古川高等学校卒業。東北大学工学部卒業。東北大学大学院工学研究科修士課程修了。
橋浦 方人(はしうら ほうじん、1944年 - )は、日本の… 橋浦 方人(はしうら ほうじん、1944年 - )は、日本の映画監督。宮城県仙台第二高等学校、早稲田大学政経学部卒業。 早稲田大学在学中、アルバイトとして伊勢長之助編集室に入り映画の世界へ。シブイ・フィルムス、岩波映画製作所で助監督を務め、1970年、岩波映画の20代契約者グループが作った自主映画『黒神』(大重潤一郎監督)の製作を担当。1973年、金沢の漁網会社のPR映画『網をつくる』を初監督。1975年に自主製作の16ミリ『青春散歌・置けない日々』で注目される。1976年、大森一樹・藤沢勇夫・伴睦人らと自主映画作家集団「コンコルド・ジャイアンツ」結成。1977年にはATGで『星空のマリオネット』を監督し、日本映画監督協会新人賞受賞。
阿羅 健一(あら けんいち、 1944年〈昭和19年〉 - … 阿羅 健一(あら けんいち、 1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の文筆家・近現代史研究家。 「百人斬り訴訟を支援する会」会長を経て、「中国の抗日記念館の不当な写真の撤去を求める国民の会」会長、主権回復を目指す会顧問、「田母神論文と自衛官の名誉を考える会」顧問を務める。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第二高等学校、東北大学文学部卒業。1966年からキングレコードに勤務し、1984年にフリーとなる。 主に『正論』『諸君!』などにおいて論文を発表している。その一方で『全貌』『月曜評論』『旬刊 世界と日本』などでは著述の際に畠中秀夫というペンネームも使っていたことが後から判明し、秦郁彦は同一テーマについて本名とペンネームを使って書き分けていたことについて意図を図りかねている。 『正論』1986年(昭和60年)5月号から翌年5月号までの13回の連載をまとめたものが、『聞き書 南京事件 日本人の見た南京虐殺事件』(図書出版社)として出版された。
勝又 進(かつまた すすむ、1943年12月27日 - 20… 勝又 進(かつまた すすむ、1943年12月27日 - 2007年12月3日[要出典])は、日本の漫画家、イラストレーター。宮城県桃生郡河北町(現:石巻市)出身。 1943年、宮城県百生郡河北町(現:石巻市)に生まれる。父親は生まれてすぐ亡くなったと聞かされて少年時代を過ごす。 1949年8月、母きしえ病死。家を継いだ姉の重子、義兄の栄夫婦に育てられる。 1962年3月、大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川工業高等学校電気科卒業。卒業後は東京の専門商社・日製産業株式会社で電子顕微鏡や理化学機器を研究者に売り込む営業マンとして3年間働いていたが、1965年3月に退職。 1965年4月、東京教育大学物理学科に入学。
天江 喜七郎(あまえ きしちろう、1943年12月26日 -… 天江 喜七郎(あまえ きしちろう、1943年12月26日 - )は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長、在ウクライナ特命全権大使、外務省参与、国立京都国際会館館長等を歴任。 宮城県仙台市出身。生家は日本酒の蔵元だった「天賞酒造」で、喜七郎は8代目天江勘兵衛の7男である。 宮城県仙台第二高等学校を経て、1967年に一橋大学法学部を卒業した。学生時代、仲小路彰に指導を受ける。卒業後に外務省に入省した。イギリス陸軍語学学校でロシア語研修を受けた後、モスクワに在勤となる。1979年イラン革命時に在イラン日本大使館一等書記官を務める。 1984年に外務省大臣官房国際報道課長となり、翌年外務省国際連合局国連政策課長に異動した。
石川 力山(いしかわ りきざん、1943年11月4日-199… 石川 力山(いしかわ りきざん、1943年11月4日-1997年8月4日)は、日本の仏教学者、曹洞宗僧侶。 宮城県加美郡中新田町(現、加美町)生まれ。加美町立中新田中学校、宮城県古川高等学校卒業。1974年駒澤大学大学院仏教学専攻博士課程満期退学。1981年駒澤大学専任講師。1982年日本印度学仏教学会賞受賞。1991年駒澤大学仏教学部教授。1997年、在任中に急逝。享年53歳。
畠山 重篤(はたけやま しげあつ、1943年10月7日 - … 畠山 重篤(はたけやま しげあつ、1943年10月7日 - 2025年4月3日)は、日本の養殖漁業家、エッセイスト、京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授。「牡蠣の森を慕う会」」(現「特定非営利活動法人森は海の恋人」)の代表を務めた。 中国・上海に生まれる。父親は会社員だったが、第二次世界大戦終戦後、故郷の舞根()(宮城県唐桑町)へ戻り牡蠣養殖を始めた。周辺に子供が少なく、重篤は海川でハゼ釣りや小エビ捕り、山でキジを追う少年時代を送った。1962年、宮城県気仙沼水産高等学校卒業。家業である牡蠣養殖を継ぎ、北海道から種貝を取り寄せて、宮城県では初めて帆立の養殖に成功した。 日本は高度経済成長期を迎えていた1964年頃から、舞根を含む気仙沼湾沿岸では生活排水で海が汚染されて赤潮が発生するようになり、それに染まって売り物にならない「血ガキ」が相次ぎ、廃業する漁師が続出するようになった。
土井 喜美夫(どい きみお、1943年〈昭和18年〉9月28… 土井 喜美夫(どい きみお、1943年〈昭和18年〉9月28日 - 2011年〈平成23年〉3月11日)は、日本の政治家。宮城県石巻市長。 石巻市出身。石巻高等学校、中央大学経済学部卒業。 1974年から内海英男衆議院議員の第一秘書を務め、内海が政界を引退した第40回衆議院議員総選挙(1993年)に内海の事実上の後継として旧宮城2区に無所属で出馬するも次点で落選(当選は菊池福治郎、日野市朗、大石正光)。次の第41回衆議院議員総選挙(1996年)には新進党公認として宮城5区から出馬したが旧民主党の安住淳に敗れた。 その後、市川一朗の宮城県知事選出馬に伴う議員辞職で行われた参議院議員補欠選挙(1997年)に出馬したが前衆議院議員岡崎トミ子に敗れた。
佐々木 健(ささき けん、1943年9月14日 - 1991… 佐々木 健(ささき けん、1943年9月14日 - 1991年8月10日)は、日本のピアニスト。パリを拠点に、ヨーロッパで活躍した。 宮城県仙台市出身。1966年に東京芸術大学を卒業し、ポーランド文化省の奨学金を得てショパン音楽アカデミーに2年間留学。ズビグニェフ・ジェヴィエツキおよびDanuta Lewandowska(ポーランド語版)に師事。その後フランスに移り、ヴラド・ペルルミュテールに師事。 パリ4区に居を構え、フランス、ポーランド、オランダ、スイス、オーストリア、ドイツ、アメリカなどで演奏活動を行なった。1972年には、ロンドンのウィグモア・ホールで公演。1984年には、優れたショパンの演奏家に送られるStefania Niekrasz Prizeを受賞している。
庄司 捷彦(しょうじ かつひこ、1943年8月30日 - )… 庄司 捷彦(しょうじ かつひこ、1943年8月30日 - )は、日本の弁護士・詩人。仙台弁護士会所属。自由法曹団所属。
熊谷 龍子 (くまがい りゅうこ、1943年7月7日 - … 熊谷 龍子 (くまがい りゅうこ、1943年7月7日 - )は、日本の歌人。宮城県生まれ。 気仙沼市出身。宮城県鼎が浦高等学校、宮城学院女子大学日本文学科卒業。歌人の熊谷武雄は祖父。気仙沼市在住。 1967年「詩歌」に参加し前田透に師事。「詩歌」廃刊後は「青天」を経て「礁」に参加。祖父・武雄が師事したのは透の父・前田夕暮であった。 国語教科書に「森は海の恋人」という植林活動を行う漁師・畠山重篤の話が載っており、そのタイトルの由来となったのは熊谷の歌である。「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」が生まれ、地元室根山の森に木を植える活動が始った、と畠山は語っている。1999年 現代歌人協会の選者をつとめる。
栂 善夫(とが よしお、1943年5月31日 - )は、日本… 栂 善夫(とが よしお、1943年5月31日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。早稲田大学法学学術院名誉教授。東京生まれ。
佐藤 博俊(さとう ひろとし、1943年(昭和18年)5月1… 佐藤 博俊(さとう ひろとし、1943年(昭和18年)5月12日 - )は、宮城県仙台市出身の実業家、レスリング選手。株式会社橋本店元代表取締役社長、元会長。宮城県建設業協会元会長。宮城県レスリング協会元会長。 宮城県仙台市出身。東北学院中学校・高等学校、中央大学商学部卒業。 高校時代にレスリングを始め、中央大学進学後もレスリング部に所属。1964年の全日本学生選手権を制覇し、東京オリンピックの代表候補として期待されたが、最終選考で敗れ出場を逃した。この時の「あと一歩で夢を逃した」悔しさが、その後の人生における「不撓不屈の精神」の原動力になったと語っている。 大学卒業後、東京の建設関連会社での勤務を経て、1971年(昭和46年)に株式会社橋本店に入社。
大宮 健資(おおみや けんじ、1943年4月3日 - )は、… 大宮 健資(おおみや けんじ、1943年4月3日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。
鈴木 建夫(すずき たてお、1943年 - )は、日本の農林… 鈴木 建夫(すずき たてお、1943年 - )は、日本の農林水産技官、農学博士。農林水産省食品総合研究所所長や、独立行政法人食品総合研究所理事長を務めた。 宮城県仙台市生まれ。宮城県仙台第二高等学校を経て、東北大学大学院農学研究科食糧化学専攻修士課程修了、東北大学農学部食糧化学科食品分析学講座助手。1973年東北大学農学博士。1976年アメリカ国立衛生研究所心肺血液研究所客員研究員。1986年農林水産省研究開発課長。農林水産省食品総合研究所所長、独立行政法人食品総合研究所理事長を経て、2004年宮城大学教授。2009年宮城大学大学院食産業研究科長。2011年公立大学法人宮城大学退官。
中名生 隆(なかのみょう たかし、1943年〈昭和18年〉 … 中名生 隆(なかのみょう たかし、1943年〈昭和18年〉 - )は、日本の経企官僚。元国民生活センター理事長、元経済企画事務次官。宮城県出身。 東京大学経済学部卒業後、経済企画庁に入庁。物価局審議官、国民生活局審議官を経て、1996年(平成8年)調査局長、1997年(平成9年)総合計画局長。1999年(平成11年)経済企画事務次官に就任。 2001年(平成13年)に退官し、連合総合生活開発研究所所長等を経て、2007年(平成19年)から国民生活センター理事長を務め、2010年に退任した。2020年より消費者教育支援センター理事長に就任した。 中名生の経済企画庁総合計画局計画官時代の部下に、日本専売公社から出向していた森永卓郎(現:経済アナリスト)がいた。
北原 耕也(きたはら こうや、1943年 - )は、日本の作… 北原 耕也(きたはら こうや、1943年 - )は、日本の作家。宮城県牡鹿郡蛇田村(現石巻市)出身。仙台市在住。 大学を中退して演劇の世界に身を投ずる。その間、十指に余る職業を経験。この体験から、長く労働組合運動に関わる。のちに一線を退き、作家。小説のほか、ノンフィクション、文芸評論など幅広い分野で執筆活動をおこなっている。 日本民主主義文学会会員。 2011年3月11日、仙台市若林区にいて東日本大震災に遭遇。その体験と大勢の児童・教師が犠牲になった郷里石巻市の市立大川小学校の惨事から、管理下にあった児童・生徒全員が助かった釜石市への取材を思い立ち、ルポルタージュ『津波の町に生きる』を執筆、出版する。
長井 鞠子(ながい まりこ、1943年 - )は、日本の通訳… 長井 鞠子(ながい まりこ、1943年 - )は、日本の通訳者、会議通訳者。株式会社サイマル・インターナショナルの顧問。主要国首脳会議(サミット)をはじめとする、多くの国際会議やシンポジウムの同時通訳で活躍している。 宮城県仙台市生まれ。宮城学院中学校・高等学校卒業。国際基督教大学卒業。 小学1年の時、音楽教室のスズキ・メソードで、ヴァイオリンを始める。高校在学中、AFS生として奨学金でアメリカ合衆国に留学している。 大学2年生だった1964年、東京オリンピックで通訳を経験する。1967年、日本初の同時通訳エージェントであったサイマル・インターナショナルの専属通訳者になる。以降、日本の会議通訳者の草分け的存在として活躍する。
大木 英夫(おおき ひでお、1943年 - 2010年3月2… 大木 英夫(おおき ひでお、1943年 - 2010年3月25日)は、日本の歌手。 宮城県石巻市出身。 本名:佐藤政穐(さとう まさあき)。
齋藤 武雄(さいとう たけお、1942年11月18日 - )… 齋藤 武雄(さいとう たけお、1942年11月18日 - )は、日本の環境・エネルギー科学者、機械工学研究者。東北大学名誉教授。株式会社ハービマンエネルギー戦略研究所 代表取締役所長。 エネルギー機関として熱効率を劇的に改善するとされるShinla(シンラ)タービンの発明者である。 宮城県出身。宮城県仙台第二高等学校を経て、[要出典]東北大学工学部機械工学第二学科を卒業後、1971年3月に同大学院工学研究科機械工学専攻博士課程を修了した。同年に論文題目「非定常対向流拡散炎に関する研究」で東北大学より工学博士号を授与される。 大学院修了後は、相模工業大学(現・湘南工科大学)で講師、助教授(1972年から)を務める。
亀山 紘(かめやま ひろし、1942年(昭和17年)10月2… 亀山 紘(かめやま ひろし、1942年(昭和17年)10月26日 - )は、日本の政治家、元大学教授。元宮城県石巻市長(3期)。工学博士(東北大学)。 宮城県石巻市出身。石巻市立住吉小学校、石巻市立住吉中学校、宮城県石巻高等学校、神奈川大学工学部応用化学科卒業。 2012年(平成24年)、市教育委員会が開いた、児童23人が津波の犠牲になった石巻市立大川小学校の保護者への説明会で「もし自分の子どもが亡くなったら、思いを償っていくという、自分自身に問うということしかない。これが自然災害における宿命だと思っております」と述べ、遺族から批判を受けた。 2016年(平成28年)10月26日、大川小津波訴訟で仙台地裁が宮城県と石巻市に対し損害賠償の支払いを命じる。
三井 精一(みつい せいいち、1942年(昭和17年)7月1… 三井 精一(みつい せいいち、1942年(昭和17年)7月11日 - )は、日本の銀行家、実業家。仙台銀行相談役。カメイ社外取締役。 宮城県出身。宮城県仙台第二高等学校、東北学院大学文経学部経済学科卒業後、当時の振興相互銀行に入行。 枢要店での勤務を担うなど、営業の第一線を歩んだ。 在任が約8年に及んだ、日下睦男の後任として末席常務より抜擢され、2001年頭取に就任する。 頭取在任時にはきらやか銀行との経営統合に手腕を発揮したほか、東日本大震災後もいち早く公的資金の注入を受け入れた上、勘定系システムのリプレースも完了させるなど、業績回復の道筋を付け、2013年6月、じもとHD会長・仙銀頭取を退任。
小山 金七(こやま きんしち、1942年7月5日 - 200… 小山 金七(こやま きんしち、1942年7月5日 - 2000年3月31日)は、日本の警察官。「落とし」の名刑事といわれる。 宮城県石巻市生まれ。宮城県立飯野川高等学校定時制(現宮城県石巻北高等学校飯野川校)卒業。 1962年警視庁巡査。1963年上野警察署警ら係、1967年同署刑事課捜査係。1973年警視庁巡査部長、尾久警察署刑事課捜査係。1976年刑事部捜査第一課。 以後、丸の内警察署刑事課捜査係長、刑事部捜査第一課主任、小松川警察署刑事課長代理、刑事部捜査第一課係長、八王子警察署刑事課長、刑事部捜査第一課管理官を歴任。 巡査部長、警部補、警部、警視の各階級で通算17年間にわたり刑事部捜査第一課に所属し、ロス疑惑、坂本弁護士一家殺人事件、トリカブト殺人事件、地下鉄サリン事件、警察庁長官狙撃事件、南長崎6丁目警察官殺害事件などを担当した。
佐藤 昭(さとう あきら、1942年〈昭和17年〉5月28日… 佐藤 昭(さとう あきら、1942年〈昭和17年〉5月28日 - )は、日本の政治家。元宮城県塩竈市長(4期)。 塩竈市立第一小学校、塩竈市立第一中学校、宮城県仙台第一高等学校卒業。1966年(昭和41年)3月、日本大学理工学部土木工学科卒業。同年4月、宮城県庁へ入庁。2002年(平成14年)10月、同庁を退職。 2003年(平成15年)4月27日に行われた塩竈市長選挙に無所属で出馬し初当選。5月1日、市長就任。 2007年(平成19年)4月22日に行われた市長選で2期目の当選。 東日本大震災の影響で実施日が約5か月延期された2011年(平成23年)9月11日の市長選(2期目の任期は選挙の前日まで延長)で3期目の当選。
齋藤 貞(さいとう ただし、1942年5月21日 - )は、… 齋藤 貞(さいとう ただし、1942年5月21日 - )は、日本の政治家。元宮城県亘理町長(1期)。 宮城県亘理町生まれ。1961年(昭和36年)3月、宮城県仙台第一高等学校卒業。同年4月、日興證券に就職。1965年(昭和40年)10月、仙台中央青果卸売株式会社に転職。1993年(平成5年)5月、同社の取締役に就任。 2002年(平成14年)7月、亘理町助役に就任。2007年(平成19年)4月、地方自治法一部改正により副町長となる。2014年(平成26年)3月、副町長を退任。 2014年(平成26年)5月、亘理町長選挙に立候補し初当選を果たした。5月28日、町長就任。 2016年(平成28年)10月19日、東日本大震災の復旧工事の入札で不正を行ったとして、官製談合防止法違反(入札妨害)などの疑いで町職員、建設会社社長ら3名が逮捕される。
伊藤 勲(いとう いさお、1942年5月14日 - 2007… 伊藤 勲(いとう いさお、1942年5月14日 - 2007年5月26日)は、宮城県仙台市出身(岩手県生まれ)のプロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。愛称は「キートン」。 父親の転勤で幼少期を各地で過ごし、中学時代に仙台市に移る。東北高校では3年次の1960年に夏の甲子園に出場したが、1回戦で青森高に敗退。強肩強打の捕手として大洋や巨人なども注目したが、1959年に同校の先輩である波山次郎が大洋に入団していたこともあって、1961年に大洋ホエールズへ入団。契約金は170万円で、年俸は36万円であった。 1年目の同年から一軍でマスクを被り、7月30日の中日戦(川崎)の9回裏に蓜島久美に代わって初出場を果たす。
入間田 宣夫(いるまだ のぶお、1942年3月31日 - )… 入間田 宣夫(いるまだ のぶお、1942年3月31日 - )は、日本の歴史学者、東北大学名誉教授。専門は、日本中世史。
菅原 邦城(すがわら くにしろ、1942年3月1日 - 20… 菅原 邦城(すがわら くにしろ、1942年3月1日 - 2019年2月8日)は、日本の文学者、言語学者。大阪外国語大学名誉教授。北欧語・北欧文学の、日本では有数の専門家である。
大沼 直紀(おおぬま なおき、1942年1月12日 - )は… 大沼 直紀(おおぬま なおき、1942年1月12日 - )は日本の教育学者。博士(医学)、国立大学法人筑波技術大学名誉教授・元学長、東京大学先端科学技術研究センター元客員教授 聴覚障害学の第一人者、宮城県出身。
針生 承一(はりゅう しょういち、1942年- )は、日本の… 針生 承一(はりゅう しょういち、1942年- )は、日本の建築家。
板橋 秀一(いたばし しゅういち、1942年 - )は、日本… 板橋 秀一(いたばし しゅういち、1942年 - )は、日本の音声工学者。筑波大学名誉教授。言語資源協会会長。 音声信号処理、音声認識、音声合成といった分野の研究者で、特に音声通信技術や音声処理技術の発展に貢献してきた。 1942年(昭和17年)宮城県に生まれる。1960年(昭和35年)に宮城県古川高等学校卒業、1964年東北大学工学部卒業、1970年東北大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学、東北大学電気通信研究所助手。1972年工業技術院電子技術総合研究所技官。1974年同主任研究官。 1977年からストックホルム王立工科大学客員研究員。1982年から筑波大学電子情報工学系助教授に就任。1987年に教授就任。
三浦 信行(みうら のぶゆき、1942年 - )は、日本の政… 三浦 信行(みうら のぶゆき、1942年 - )は、日本の政治学者。国士舘大学名誉教授、1994年-2003年、2012年-2015年に国士舘大学学長を歴任。専門は政治思想史、国際政治。 宮城県石巻市(旧河北町)出身。南カリフォルニア大学留学を経て、1972年 国士舘大学大学院政治学研究科博士課程修了。博士(政治学)。博士論文審査の主査は、田村幸策、神川彦松。1994年より2002年までと、2012年より2015年まで、通算4期12年、学長を務める。現在は同大学教学顧問。初回在任中の2002年に「21世紀アジア学部」(2022年現在、国士舘大学にしかない)を開設した。みやぎ絆大使、石巻・川の上プロジェクト理事長を務める。
佐々木 敦(ささき あつし、1942年 - 2007年5月1… 佐々木 敦(ささき あつし、1942年 - 2007年5月17日)は、元NHKアナウンサー。 宮城県古川高等学校、東北大学卒業後、1967年にNHK入局(同期に松平定知など)。番組での軽快なトークから『トンちゃん』のあだ名で知られた。退局後は地元の校歌作詞などを手掛けた。
名取 四郎(なとり しろう、1942年 - 2005年10月… 名取 四郎(なとり しろう、1942年 - 2005年10月5日)は、日本の宗教学者、美術史家。立教大学名誉教授。特にキリスト教美術を中心とした学術研究で知られる。立教大学で長年にわたり教鞭を執り学問的な業績だけでなく教育活動も高く評価されている。 1942年(昭和17年)宮城県大崎市に生まれる。大崎市立岩出山中学校を経て、1960年(昭和年)に宮城県古川高等学校卒業後、早稲田大学文学部に進学した。大学では文学を学び、特に宗教と美術に関心を持ち、1969年に早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。宗教学および美術史を深めた。1960年代後半、日本では戦後復興が進む中、文化的にも新しい潮流が生まれていた。
石井 彦壽(いしい ひこなが、1941年11月26日 - )… 石井 彦壽(いしい ひこなが、1941年11月26日 - )は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所調査官や、仙台地方裁判所長、仙台高等裁判所部総括判事、東北大学大学院法学研究科教授等を経て、東北大学名誉教授。宮城県仙台市出身。 宮城県仙台第二高等学校を経て、1966年東北大学法学部卒業、東北大学大学院法学研究科私法学専攻修士課程進学。1967年大学院中退、司法修習生。1969年福島地方裁判所判事補。1972年大阪地方裁判所判事補。1975年鹿児島地方裁判所名瀬支部長。1976年東京高等裁判所判事職務代行。 1979年盛岡地方裁判所一関支部長。1981年最高裁判所調査官。1986年仙台高等裁判所判事。
黒川 豊久(くろかわ とよひさ、1941年10月29日 - … 黒川 豊久(くろかわ とよひさ、1941年10月29日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 東北高校時代は1958年、1959年と2年連続で夏の甲子園に出場。 1960年に西鉄ライオンズへ入団。1961年9月27日に平和台野球場で行われたウエスタン・リーグ対広島東洋カープ戦では満塁ホームランを2本打ち10打点を記録した。
鈴木 征夫(すずき ゆきお、1941年10月16日 - 20… 鈴木 征夫(すずき ゆきお、1941年10月16日 - 2009年4月10日)は、宮城県出身のプロ野球選手。 東北高校から1960年に西鉄ライオンズへ入団。1962年引退。
安倍 吉輝(あべ よしてる、1941年9月28日 - 200… 安倍 吉輝(あべ よしてる、1941年9月28日 - 2009年10月25日)は、日本棋院に所属する囲碁の棋士(東京本院所属、九段)。門下に金川正明、釼持丈。女流棋士の岡田結美子は実娘、イラストレーターの安倍吉俊は息子。 宮城県石巻市出身。1954年に院生。1960年入段。1962年、藤沢朋斎の門下となる。 1986年九段へ昇段。この間藤沢秀行の主宰する研究会(通称「秀行塾」)で薫陶を受ける。低段時代はよく一次・二次予選突破を果たし、「枠抜けのアベちゃん」の異名を取った。大手合の第二部で、三等に三回連続入賞。1965年、梶原武雄を団長、林裕を副団長とする囲碁使節団の一員として工藤紀夫とともに、1ヶ月中国を訪問。
小栗宏夫(おぐり ひろお、1941年(昭和16年)8月24日… 小栗宏夫(おぐり ひろお、1941年(昭和16年)8月24日 - )は、日本の銀行家。肥後銀行顧問。 父が南満洲鉄道に勤務していたため、満洲国奉天市で生まれる。終戦により引揚者として帰国。その後父が国鉄に入社したこともあり、転勤のため日本各地を転居して暮らした。 東大法学部卒業後、当時預金残高日本一であった富士銀行に入行した。 同行時代においては、各店支店長を務め営業の第一線を歩んだほか、審査部門を長らく担当した。 1998年(平成10年)、当時の稲垣精一頭取が富士銀出身だったことや、山本惠朗富士銀頭取の勧めもあり、肥後銀行に入行。2001年(平成13年)、頭取に就任した。 2013年(平成25年)には、会長を経て顧問退いた。
市川 昭男(いちかわ あきお、1941年(昭和16年)8月1… 市川 昭男(いちかわ あきお、1941年(昭和16年)8月10日 - )は、日本の政治家。元山形市長(第17代、3期)。旭日小綬章。 宮城県仙台市生まれ。山形市立第四小学校、山形市立第一中学校、山形市立商業高等学校を卒業後、一旦就職するも新潟大学人文学部に入学。大学卒業後、山形市役所に就職した。金澤忠雄山形市長の下では東北芸術工科大学の設置を推進し、同大の開学に尽力した。その後、山形市土地開発公社理事長や山形市総務部長、水道事業管理者を歴任。吉村和夫市長の下で山形市助役に就任。 2003年、吉村和夫市長が在職のまま多臓器不全により病死。吉村の死去に伴って実施された山形市長選に、吉村が推進してきた「環境先進都市の建設」の継承を掲げて立候補した。
熊谷 満(くまがい みつる、1941年7月25日 - )は、… 熊谷 満(くまがい みつる、1941年7月25日 - )は、日本の実業家。東北電力副社長、ユアテック社長、相談役。 宮城県気仙沼市出身。宮城県気仙沼高等学校、東北大学法学部卒業。1965年 東北電力に入社。2003年に同社副社長。 2005年 ユアテック社長に就任。その後、同社会長、相談役を歴任。 東北日本カナダ協会副会長、みなと気仙沼大使をつとめる。
日出 英輔(ひので えいすけ、1941年(昭和16年)7月1… 日出 英輔(ひので えいすけ、1941年(昭和16年)7月19日 - 2012年(平成24年)1月15日)は、日本の政治家。正四位。参議院議員(1期)。宮城県生まれ。 気仙沼市出身。宮城県気仙沼高等学校、東北大学法学部卒。1964年 農林省に入省。1994年 農林水産省農蚕園芸局長に就任。農林漁業金融公庫理事を経て、1998年 参議院議員に立候補し、当選。2002年 外務大臣政務官に就任。しかし2004年の参議院議員選挙で落選。2012年1月15日に胆嚢がんのため死去。
藤 公之介(ふじ こうのすけ、本名:工藤 喜美夫〈くどう き… 藤 公之介(ふじ こうのすけ、本名:工藤 喜美夫〈くどう きみお〉、1941年〈昭和16年〉5月17日 - )は、日本の作詞家、詩人、放送作家。 宮城県塩竈市出身。東北学院中学校・高等学校を経て、日本大学芸術学部卒業。アイドルから、大人の歌まで幅広い作詞活動をしている。