今野 裕結(こんの ひろむ、1993年(平成5年)4月11日… 今野 裕結(こんの ひろむ、1993年(平成5年)4月11日 - )は、日本の現代美術家、画家、モデル。元中学校美術教員、特別支援学校教員。学位は修士(美術)(宮城教育大学大学院教育学研究科教科教育専攻美術教育専修)。活動場所はイタリア、スペイン、台湾、日本、韓国。 宮城県岩沼市出身。宮城教育大学 中等教育教員養成課程美術教育専攻を卒業後、宮城教育大学大学院教育学研究科修士課程教科教育専攻美術教育専修へと進学。在学中は画家、モデルとして活動しながら、地方公務員として中学校美術の非常勤講師として宮城県内の中学校にて勤務。同大学院修了後は宮城県内の特別支援学校教諭として勤務した。2022年に教員を退職し画家として独立。
武藤 順九(むとう じゅんきゅう、1950年2月18日- )… 武藤 順九(むとう じゅんきゅう、1950年2月18日- )は、日本の男性彫刻家・画家。宮城県仙台市出身。 1973年に東京芸術大学を卒業し、ヨーロッパに渡る。イタリアのローマと彫刻の町ピエトラサンタにアトリエを構えて、大理石の彫刻を中心に抽象的なテーマの彫刻を制作している。1997年にピエトラサンタでヴェルシリア賞国際グランプリを受賞した作品「風の環(わ)・PAX 2000」は、2000年7月25日にカステル・ガンドルフォにあるローマ教皇の避暑用の離宮に永久設置された。その後、「風の環」と題した彫刻作品を世界各地に設置している。2019年6月9日には昭島市の昭和の森内に大理石彫刻園を開園させた。
佐々木 宗實(ささき もとみ、1948年 - )は、日本生ま… 佐々木 宗實(ささき もとみ、1948年 - )は、日本生まれの画家であり、新制作協会の絵画部会員として活動する人物である。宮城県古川市(現:大崎市古川)出身で、1966年に宮城県古川高等学校を卒業し、1969年に日本美術学校油絵科を修了した。 佐々木が生まれた1948年は、第二次世界大戦終戦後の混乱期にあたる。日本は戦後復興の途上にあり、美術界もまた大きな変革の時代を迎えていた。戦前の伝統的な日本画・洋画に加え、戦後は前衛芸術や抽象表現が台頭し、美術界は多様化していった。1950年代~60年代にかけて、日本では具体美術協会などが登場し、新しい表現が模索された。1970年代に入ると、高度経済成長期を背景に日本の美術界も安定し、写実表現や抽象画など多様な作品が発表されるようになった。
妹尾 一朗(せのお いちろう、1947年6月11日 - 20… 妹尾 一朗(せのお いちろう、1947年6月11日 - 2015年6月26日)は、日本の洋画家。生命と宇宙の神秘をテーマに、動植物をモチーフとした幻想絵画の世界観を描く。作品の主な表現技法として、油彩・テンペラを用いている。宮城県塩竈市出身。 1971年 上智大学文学部社会学科卒業。 1972年 東京芸術学園卒業。 1973年 独立展入選。 1975年 ブロードウェイ新人展新人賞第一席受賞、同ギャラリーと契約。太陽美術展銅賞受賞。 1976年 フランス国際展国際賞受賞。ル・サロン交流展選抜。ブロードウェイギャラリーにて個展。太陽美術展銀賞受賞。太陽美術協会会員。 1977年 第一回日洋展入選。ル・サロン展銅賞受賞。
佐藤 一郎(さとう いちろう、1946年8月26日 - )は… 佐藤 一郎(さとう いちろう、1946年8月26日 - )は、日本の男性画家であり、絵画材料学、絵画技術学の研究者である。1999年から2014年に東京芸術大学教授を務め、定年退職後、2014年から2019年まで金沢美術工芸大学大学院専任教授、2019年から2025年まで東北生活文化大学学長。。 マックス・デルナーの『絵画技術体系』の訳者にしてウィーン幻想派の画家ルドルフ・ハウズナーに師事した画家にふさわしい、混合技法による数々の絵画を描いている。それは、グレーズ (彩色技術)(英語版)やインプリマトューラといった技法を巧みに用い、強い光沢を備えているものもそれでいてくどくない、油絵具の透明性や物体性を活かした霊妙な作品である。
伊藤 卓美(いとうたくみ、1946年1月15日 - )は、… 伊藤 卓美(いとうたくみ、1946年1月15日 - )は、日本の版画家。 母の実家である宮城県登米郡登米町(現・登米市)で、洋画家である伊藤悌三の三男として生まれる。高校2年の時、版画家の馬淵聖が版画で作成した父宛の年賀状と出会い、自身も本格的に版画制作を始める。秋田の版画家勝平得之の影響を受けた民俗芸能をテーマにした作品で、1967年に初の個展を開く。 1979年に日版会版画展に『群鹿』を出品、新人賞を獲得して会友に推挙される。以後日版会賞や文部大臣賞を受賞した。2004年に日版会会長となるが、自作の版画制作を優先すべく2014年に退会した。 2024年に、岩手県花巻市の第34回イーハトーブ賞を受賞した。
サトル・サトウ(佐藤 達〈さとう さとる〉、1945年11月… サトル・サトウ(佐藤 達〈さとう さとる〉、1945年11月14日 - )は、フランスを拠点に活動する画家、造形作家。宮城県登米市出身。宮城県佐沼高等学校卒。フランス・パリ在住。 1969年、パリでデビュー。1979年、「鉛直主義」を世界に向けて宣言し国際的抽象画家となったサトルは、幾何学構成的絵画から立体作品、環境造形作家として、パリを拠点に多くの制作、発表を各国で行っている。 これまで、個展70回、グループ展380回、環境造型作品制作設置は40点を数え、30か国で発表している。
能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )… 能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )は、日本の画家。東京都出身。 東京都浅草に5人兄弟の長男として生まれる。戦争のため母の実家のあった宮城県栗原郡築館町(現栗原市)に疎開し、そのまま移住した。父である能島康明は日展で活躍した日本画家であり、幼少の頃から日本画に触れる機会は多かった。少年時代から絵の才能を見出されており、当時の学校の先生から嫉妬を受け、筆を折るように言われたという話もある。 宮城県築館高等学校を卒業すると、東京に戻り多摩美術大学で日本画を学ぶ、奥田元宋に師事。大学在学中に日展に初入選、なおこれは最年少での入選記録となる。以降、日展特選を2回、日展会員賞、日展文部科学大臣賞、宮城県教育文化功労者、日本芸術院賞などを受賞した。
白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年1… 白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年10月22日)は、日本生まれの画家であり、独立美術協会の審査員を務めた経歴を持つ。宮城県古川市(現:大崎市古川)出身。戦後の日本美術界において独自の画風を確立し、数々の展覧会で評価された。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)の出身、宮城県古川高等学校を卒業後東京芸術大学(旧東京美術学校)に進学。大学では日本画と洋画の基礎を学びながら、美術史に関心を深めた。在学中に樋口加六、海老原喜之助ら日本の美術界の著名な画家に師事。これにより白鳥は、フランスの巨匠アンリ・ルソーや藤田嗣治(レオナール・フジタ)の影響を受けた芸術潮流を間接的に受け継ぐこととなった。
新国 誠一(にいくに せいいち、1925年12月7日 - 1… 新国 誠一(にいくに せいいち、1925年12月7日 - 1977年8月23日)は、日本の詩人、画家。旧字体で新國誠一とも表記され、新国自身は晩年旧字体での表記にこだわっていたとされる。1960年代の国際的な前衛詩運動であるコンクリート・ポエトリーの運動に関わり、象形詩や視覚詩、音声詩などの実験的な作品を制作した。世界的には重要な詩人の一人として位置づけられており、日本やドイツの教科書などにも作品が掲載されている。 1925年12月7日、宮城県仙台市で生まれる。仙台工業学校(現:仙台工業高等学校)に進学し、建築を学ぶ。高校卒業後、1948年に東北学院大学文経学部英文学科に入学、1951年に卒業。
新妻 元春(にいつま もとはる、1923年(大正12年)3月… 新妻 元春(にいつま もとはる、1923年(大正12年)3月23日 - 2007年(平成19年)6月12日)は、日本の洋画家。 宮城県栗原郡志波姫町に生まれる。 18歳から25歳まで軍属・軍人として過ごす。 1961年38歳の時、家族を宮城に残して単身千葉に住む。昼は土木作業、夜は絵を描く生活を続け、1965年家族を千葉に迎えて画業に専念。 師は奈良岡正夫(示現会会長・日展参与)で、1970年にテレビ出演していた奈良岡正夫の芸術に対する信念に感動して1971年に弟子入りした。 1972年第25回示現会展で「現場にて」が初入選、以後入選を重ね1975年第28回展では「閑日」が佳作賞を受賞。 1978年に会員となる。
千葉 衛(ちば まもる、1911年 - 1973年)は、日本… 千葉 衛(ちば まもる、1911年 - 1973年)は、日本の画家、美術教育者。現在の宮城県大崎市出身。 宮城県大崎市に生まれる。幼少期から絵画に興味を持ち、地元の小学校・中学校で才能を発揮した。旧制古川中学校(現在の宮城県古川高等学校)を卒業後東京美術学校(現在の東京芸術大学)に進学し、洋画を学ぶ。在学中から光風会や東光会に作品を出品し、頭角を現した。1930年代には帝展(帝国美術展覧会)に初入選し、画家としての将来が期待されるようになる。しかし、当時の日本は戦争の時代に突入し、画家としての活動が制限される状況となる。 東京美術学校研究科に進学したものの、戦時下の影響もあり研究科を中退した。その後台湾に渡り、現地で美術教育に携わる。
佐藤 章(さとう あきら、1911年 - 1985年)は、日… 佐藤 章(さとう あきら、1911年 - 1985年)は、日本の素描画家。drawings Artist。素描画 エッチング画 スケッチ 元日本山林美術協会会員。 宮城県栗原郡高清水町(現・栗原市)に生まれる。 太平洋美術学校卒業。鶴田吾郎に師事。「素描は米の飯というべきもので、ぜいたくな料理がないときほど、日本人には飯の味がよくわかるものである」という鶴田の言葉に励まされ、戦前戦後を通じ素描画専門の制作を貫く。素描のもつ素朴さと、その直截的な表現力に惹かれ、20数年、日本の民家をモノクロームの世界で描き続けた。 発表は主に個展で戦前「川向う 素描展」など6回。戦中は「工場地帯」「裏街」等、工場地帯で働く少年工を描く。
菅原文哉 (すがわらぶんや、1906年-1977年4月) は… 菅原文哉 (すがわらぶんや、1906年-1977年4月) は、日本の都市計画家で、旧東京府や旧満州国で各地都市の都邑計画立案や改正都邑計画法起草に携わる。戦後は乞われて全国各地の総合都市計画立案に関わり、戦後日本の近代都市の基盤確立に従事していく。 宮城県栗原郡金田村生まれ。1923年に上京して東京府庁に入る。東京府では土木部建設事務所、都市計画課及び整地課に勤務。整地課時代は府下各地の土地区画整理基本調査と駒沢や上馬、下馬、練馬などの広範囲に及ぶ土地区画整理組合設立参画で事業実施の指導にあたる。その傍らで攻玉社工学校に進学し1927年に卒業後に東京府土木部に勤務を継続して帝都復興事業に従事しながら攻玉社高等工学校土木工学科に進学し、1931年に同校を卒業。
八巻 芳夫(やまき よしお、1899年11月10日 - 19… 八巻 芳夫(やまき よしお、1899年11月10日 - 1990年)は、日本の土木技術者、都市計画家。仙台市の戦災復興都市計画に従事・尽力。 青葉通り、定禅寺通りのケヤキ並木道の設計者。丸森町出身。 東北帝国大学附属工学専門部/旧制仙台高等工業学校土木工学科卒業後、朝鮮総督府に勤務。総督府で地方出先の土木課長などを歴任。朝鮮時代に乱伐された山林をみて緑のない地方道は次々に並木を整備していったという。 1946年に帰国し、仙台市に勤務。仙台市戦災復興局建設部公営課長から後に建設局復興部長、建設局長を歴任。1959年からは仙台市技監。1966年に退職。その後土地区画整理審議会全国連合会などに関わる。
菅野 廉(かんの れん、1889年(明治22年)7月12日 … 菅野 廉(かんの れん、1889年(明治22年)7月12日 - 1988年(昭和63年)7月8日)は、日本の洋画家。宮城県黒川郡大衡村生まれ。東京美術学校を卒業し、戦前は二科で、戦後は河北美術展などで活躍した。「蔵王の画家」と呼ばれる。 昭和万葉の森の敷地内にある「大衡村ふるさと美術館」は、作品の一部を常設展示している。 1889年(明治22年)7月12日、宮城県黒川郡大衡村に生まれる。1910年(明治43年) 宮城県師範学校卒業。1911年(明治44年) 東京美術学校に入学。1915年(大正4年) 東京美術学校卒業。 1925年(大正14年) 二科展に入選。1931年(昭和6年) パリに留学。
高橋 芝山(たかはし しざん、万延元年(1860年) - 大… 高橋 芝山(たかはし しざん、万延元年(1860年) - 大正6年(1917年))は、明治時代の洋画家。本名は高橋勝蔵(たかはし かつぞう)。芝山と号した。 陸奥国亘理郡(現・宮城県亘理郡亘理町)出身。明治4年(1871年)、亘理伊達氏の開拓団と共に北海道に移住。明治8年(1875年)から明治10年(1877年)にかけて、電信技術修業のため上京。日本画家を志したが、その後、明治18年(1885年)に渡米し、アメリカのサンフランシスコ美術学校で西洋画を学び、明治24年(1891年)に首席で卒業。明治26年(1893年)にシカゴ万国博覧会で一等賞を獲得し、帰国。芝に芝山研究所を設立して徒に教えた。 明治30年(1897年)頃、小林清親に入門した。
かゆら ゆか(女性、3月11日 - )は、日本のゲーム原画家… かゆら ゆか(女性、3月11日 - )は、日本のゲーム原画家、イラストレーター、漫画家。宮城県仙台市に生まれ、石巻市で育つ。インクルード・インク所属。同人サークル「kurousagi」を主宰している。血液型はB型。 原画家としてよりも漫画家としてのデビューの方が早かった。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。