泉谷 閑示(いずみや かんじ、1962年 - )は、日本の医… 泉谷 閑示(いずみや かんじ、1962年 - )は、日本の医学者、精神科医。専門は精神療法。音楽家、評論家でもある。 1962年に秋田県平鹿郡十文字町(現・横手市)に生まれる。東北大学医学部卒業。精神科医。大学時代に音楽理論や作曲法の個人教授を受ける。東京医科歯科大学医学部附属病院、財団法人神経研究所附属晴和病院等に勤務したのち渡仏、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。同時に、パリ日本人学校教育相談員を務めた。帰国後、新宿サザンスクエアクリニック院長等を経て、現在、精神療法を専門とする泉谷クリニック(東京・広尾)院長。また、舞台演出や作曲家としての活動も行っており、「横手市民歌」等の作品がある 。
工藤進英(くどう しんえい、1947年(昭和22年)7月6日… 工藤進英(くどう しんえい、1947年(昭和22年)7月6日 - )は、日本の外科医。専門は消化器外科、大腸内視鏡。 1947年(昭和22年)秋田県仙北郡西仙北町(現・大仙市)生まれ。1966年(昭和41年)秋田県立秋田高等学校卒業。1973年(昭和48年)新潟大学医学部卒業。同外科に入局し助手を務める。1985年(昭和60年)秋田赤十字病院外科部長。1992年(平成4年)同病院胃腸センター長。2000年(平成12年)昭和大学教授、昭和大学横浜市北部病院消化器センター長。2001年(平成13年)同病院副院長兼務。 1980年代後半、それまでの「大腸癌はポリープから発生する」という定説を覆し、既に日本で数例発見されていたが特殊な事例であるとされていた陥凹型大腸癌を臨床で次々と見出だし、またその治療法としての内視鏡による粘膜切除術の手技と有用性を報告し、大腸癌の初期病変として陥凹型早期大腸癌が重要であることを日本国内の医学界に周知せしめた。
本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001… 本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001年5月31日)は、日本の医学者、内科医。慶應義塾大学医学部名誉教授・元JT医薬基礎研究所所長。秋田県出身。 1977年にベルツ賞2等賞を受賞し、1992年に紫綬褒章、1998年に勲三等瑞宝章を受章。2001年5月31日、腎不全のため死去。
高橋 晄正(たかはし こうせい、1918年6月20日 - 2… 高橋 晄正(たかはし こうせい、1918年6月20日 - 2004年11月3日)は、日本の医師。 秋田県仙北郡西木村(現仙北市)生まれ。1936年(昭和11年)旧制秋田県立角舘中學校を卒業し1941年(昭和16年)東京帝國大學医学部を卒業する。その後物療内科に入局し増山元三郎に推計学を紹介される。 漢方医学(鍼、経絡など伝統中国医学全般)を研究し、1966年(昭和41年)『漢方の認識』(NHKブックス)を出版。その後 論文「西洋医学と東洋医学-科学論の立場から-」(『保健の科学』 37(1):4-、1995年(平成7年))や著作『漢方薬Q&A』(1990年、『漢方薬は危ない』、『漢方薬は効かない』などで伝統中国医学及び漢方薬(副作用)を批判した。
草皆 五沼(くさかい ごしょう、1891年6月2日 - 1… 草皆 五沼(くさかい ごしょう、1891年6月2日 - 1964年11月11日)は、日本の俳人、医師である。俳句結社「黛吟社」を興した。 秋田県山本郡浅内村(後の能代市浅内)の小川末蔵の四男として生まれる。本名は■太(ちょうた ■はウ冠に甾丁)。後、「茂作」に改名している。 旧制・秋田県立大館中学校1年生のときに地元の俳人・山崎五風から俳句の手ほどきを受け、すぐに才能を現す。のちに秋田を代表する俳誌となる『俳星』に参加し、生涯『俳星』に所属した。 中学校4年のときに脚気を患い自宅療養し、家の近くの沼の周りを散策しながら句作を続けた。沼の数が五つあったことから、このころから号を五沼と名乗り、のちに秋田県南秋田郡馬場目村(現在の五城目町馬場目)の草皆家に養子に入ったことから、後半生は草皆五沼と名乗った。
安倍 仲雄(あべ なかお、1877年(明治10年)8月1日 … 安倍 仲雄(あべ なかお、1877年(明治10年)8月1日 - 1942年(昭和17年)2月5日)は日本の内科医。医学博士。 秋田県北秋田郡阿仁前田村出身。医師安倍全庵の長男として生まれる。 秋田師範学校附属小学校、秋田尋常中学校、第四高等学校を出た後、1902年(明治35年)京都帝国大学医科大学を卒業。そのまま大学院で学び、同大学助手、助教授を務めた。 京都市衛生技師を経て1909年(明治42年)には満洲に渡り南満州鉄道医長に就任。数々の論文を著し、1910年(明治43年)医学博士の学位を得、1911年(明治44年)南満医学堂教授となる。 1912年(明治45年)から1914年(大正3年)までアメリカ、イギリス、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、スイス、イタリア、オーストリア等の欧米諸国に遊学し、医療・衛生事情を巡察。
藤井 新八郎(ふじい しんぱちろう、1875年(明治8年) … 藤井 新八郎(ふじい しんぱちろう、1875年(明治8年) - 1948年(昭和23年))は、日本の医師。秋田県仙北郡六郷町(現・美郷町)六郷字本道町出身。六郷町長も務めた。 本道町の角に住み、「ゲンジ」さんと呼ばれていた町医者である藤井玄瑞の長男。六郷町における医者が3代続く家系だった。1891年(明治24年)、秋田中学(現・秋田県立秋田高等学校)を卒業し、第一高等学校へ進学。1896年(明治29年)には、帝国大学医科大学(大学名は1897年に東京帝国大学に改称)へ入学し、1901年(明治34年)に卒業した。卒業当初は同大学病院の副手、のち松江市の病院へ赴任する。 その後、郷里へ帰り、六郷町において、初めて開業した帝大卒の医学士となる。