布川 弘(ぬのかわ ひろし、1958年2月5日 - 2019… 布川 弘(ぬのかわ ひろし、1958年2月5日 - 2019年9月27日)は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史。 山形県寒河江市生まれ。山形県立寒河江高等学校卒業、1980年金沢大学法文学部卒。1982年同大学院文学研究科修士課程修了、1990年神戸大学大学院文化学研究科博士後期課程単位取得退学。1996年広島大学総合科学部助教授、2006年同大学院総合科学研究科教授。 2019年9月27日、頭頸部癌により神戸市中央区の病院で死去、61歳没。
棚橋 光男(たなはし みつお、1947年9月11日 - 19… 棚橋 光男(たなはし みつお、1947年9月11日 - 1994年12月1日)は、日本の歴史学者。元金沢大学文学部助教授。文学博士。 山形県山形市出身。1966年、山形県立山形東高等学校卒業。1970年、京都大学文学部国史学科卒業、1976年同大学院博士課程満期退学。岸俊男・大山喬平に師事。卒業論文は『国衙領の研究』だった。1976年、香川大学教育学部助手、1978年、同助教授。1981年、金沢大学文学部助教授。 1987年、学位請求論文『中世成立期の法と国家』により、京都大学から文学博士の学位を授与される。 日本中世史を専門とし、中世成立期の公家政権について成果を上げるが、47歳で早世。 京大紛争で反全学共闘会議の活動家として活躍。
佐藤 彰一(さとう しょういち、1945年7月28日 - )… 佐藤 彰一(さとう しょういち、1945年7月28日 - )は、日本の歴史学者。フランク王国史を中心とする西洋中世史の研究で世界的に著名。名古屋大学名誉教授、日本学士院会員、フランス学士院碑文・美文アカデミー外国人連携会員。 名古屋大学大学院教授、フランス社会科学高等研究院客員教授、コレージュ・ド・フランス招聘教授、パリ第1大学招聘教授、西洋中世学会会長などを歴任。日本学士院賞受賞。 山形県東田川郡余目町(現・庄内町)出身。1964年山形県立酒田東高等学校卒業、1968年中央大学法学部法律学科卒業。1973年早稲田大学大学院文学研究科西洋史専修修士課程修了、1976年同博士課程単位取得退学。1969年から1971年 カーン大学人文学部留学。
武田 幸男(たけだ ゆきお、1934年8月18日[要出典] … 武田 幸男(たけだ ゆきお、1934年8月18日[要出典] - 2021年8月4日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。文学博士。東方学会評議員・東洋文庫研究員・朝鮮学会幹事・史学会会員。専門は朝鮮史、東アジア交渉史。山形県上山市出身。 専攻は朝鮮史(おもに朝鮮古代、高句麗史、古代日朝関係史)。末松保和の研究を継承。広開土王碑の研究で知られ、数多くの拓本を収集。その分析から1970年代に李進熙らの提唱した広開土王碑についての仮説(好太王碑改竄説)や解釈がすべて成り立たないことを論証した学者である。また中国正史に見られる「倭の五王」遣使記事を検討し、当時の倭国の大王が中国王朝に対して「倭」という姓を名乗っていたことを指摘し、古田武彦らの九州王朝説を批判した。
深沢 宏(ふかざわ ひろし、1931年10月9日 - 198… 深沢 宏(ふかざわ ひろし、1931年10月9日 - 1986年8月26日)は、日本の歴史学者・経済学者。専攻は南アジア史。学位は、博士(ラクナウ大学)。元一橋大学教授。日経・経済図書文化賞受賞。 山形県酒田市生まれ。大連市富士小学校、大連市上葭国民学校、大連中学校、広島陸軍幼年学校、横手中学校(現秋田県立横手高等学校)を経て、1948年熊本県立中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)専門部入学。1953年一橋大学経済学部卒業、1955年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。1956年からインド政府給費留学生としてラクナウ大学大学院経済学研究科博士課程に留学。
横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2… 横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2022年11月30日)は、日本の歴史学者、山形大学名誉教授。日本近世史(藩政史・交通史)専攻。 山形県北村山郡大石田町生まれ。1960年東北大学大学院文学研究科修士課程修了。山形大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。1981年「近世河川水運史の研究 最上川水運の歴史的展開を中心として」で東北大学より文学博士。 2022年11月30日、老衰のため山形市の病院で死去、92歳。
石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 20… 石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 2010年2月12日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授、神田外語大学名誉教授。文化功労者。専門は東南アジア史、特にタイ王国研究。 1929年、東京生まれ。1945年3月、山形県飽海郡高瀬村(元遊佐町)に疎開。疎開先の酒田中学校で学びつつ、帝国石油の油田で勤労動員に応じた。戦後の1947年東京に戻り、旧制早稲田第一高等学院(1949年学制改革後、早稲田大学に移行)に入学するも、東京工業大学の言語学者小林英夫の言語学講義にのめり込み、その中でその後に学び続けることになるタイ語やラテン語など言語研究やタイ語学者松山納など研究者と出会うことになった。
佐藤 三郎(さとう さぶろう、1912年1月14日 - 20… 佐藤 三郎(さとう さぶろう、1912年1月14日 - 2006年1月30日)は、日本の歴史学者。山形大学名誉教授。国士舘大学教授。山形県出身。 1912年(明治45年)1月14日、山形県川西町小松に生れる。旧米沢興譲館中学、1931年(昭和6年)福岡高等学校文科乙類卒業、を経て、1934年(昭和9年)、東京帝国大学文学部国史学科卒業、同大学院に進学。日本史学の重鎮であった黒板勝美博士の下で研鑽。1936年4月人文科学資料研究科助手、1938年(昭和13年)から1942年まで、北京近代科学図書館勤務。これをきっかけとして、近代日中関係史に関心を持つ。 1942年山形高等学校教授、1949年山形大学文理学部助教授、1952年山形大学補導課長、1967年山形大学人文学部教授・山形大学評議員、1969年山形大学人文学部長、1973年山形大学学生部長、1977年退官に際して名誉教授。
竹岡 勝也(たけおか かつや、1893年11月10日 - 1… 竹岡 勝也(たけおか かつや、1893年11月10日 - 1958年9月30日)は、国学研究を中心に、日本思想史を専門とする日本の歴史学者で、九州帝国大学教授などを歴任した。 阿部 勝也として、山形県飽海郡上郷村山寺(後の松山町→酒田市)に生まれる。阿部一郎(阿部襄の父)、阿部次郎、堀三也、阿部余四男は兄、阿部六郎は弟である。 地元の山寺尋常高等小学校から、1907年に山形県立山形中学校(山形県立山形東高等学校の前身)に進み、さらに1912年には仙台の旧制・第二高等学校第一部乙類に入学した。二高では、土井晩翠、登張竹風らの薫陶を受けた。 1915年7月には東京帝国大学に進み、1918年に文科大学史学科を卒業した。