黒澤 信彦(くろさわ のぶひこ、1964年11月16日 - … 黒澤 信彦(くろさわ のぶひこ、1964年11月16日 - )は、日本の篤農家。農業生産法人株式会社黒澤ファーム代表取締役。『やまがた有機 農業の匠』。山形県農業法人協会理事。南陽市体育協会理事。おきたま七福会メンバー。家訓である「生きている土作りと息づく稲作り」を信条として、夕鶴郷米の地域ブランド化に尽力している。 1958年11月16日、山形県南陽市池黒の戦国時代(永禄4年:1561年 - )から、500年続く農家の21代目に生まれる。山形県立置賜農業高等学校を卒業。航空自衛隊入間基地に入隊。 1986年に就農。1995年、「こめ工房南陽アスク」(青木・鈴木・黒澤の頭文字)を結成。1998年、低温倉庫を建設。
佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)… 佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)10月26日 - )は、日本の農家、農業問題評論家、著作家、詩人。 無着成恭の『山びこ学校』の卒業生。上山市の青年学級主事、教育委員、農業協同組合理事などを務める。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山元村立山元中学校在学時に無着成恭の教えをうけ、1951年、文集『山びこ学校』に生活記録がのる。 山形県立上山農業高等学校定時制在学中に農民詩を発表。1955年、同校を卒業してからは家業の農業のかたわら、著作活動を続けている。 木村迪夫に影響を与え、詩の道へ進ませるきっかけを作った。
土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 200… 土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 2009年8月28日)は、日本の政治家・酪農家。満洲出身。酪農学園短期大学通信課程卒。青森県六ヶ所村村長(1989年-1997年)。 山形県立酒田東高等学校卒業後、18歳で青森県上北郡六ヶ所村の「庄内地区」に入植。酪農業を手がけ、青森県酪農協会連合会会長や庄内酪農協同組合理事長も務めた。1975年から六ヶ所村村議会議員を連続4期務め、1989年に核燃料サイクル施設の工事凍結を公約に六ヶ所村長選挙に無所属で出馬し六ヶ所村長に初当選。以後連続2期8年を務めた。村長就任後は、使用済み核燃料再処理工場など核燃料サイクル事業推進へ方針転換し、ITER(国際熱核融合実験炉)の誘致にも関わった。
松浦 東介(まつうら とうすけ、1907年(明治40年)4月… 松浦 東介(まつうら とうすけ、1907年(明治40年)4月18日 - 1964年(昭和39年)3月6日)は、日本の農業関係者、政治家。衆議院議員。 山形県東村山郡成生村(現在の天童市)大字大清水に生まれる。1926年、山形県立寒河江中学校を卒業。山形県会議員、同参事会員を務めた。1942年の翼賛選挙では山形1区(当時)から大政翼賛会の推薦を受けずに立候補したため落選した。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で山形選挙区から出馬して当選。以後、23回、24回、25回、27回、29回、第30回総選挙で当選し、衆議院議員を通算7期務めた。 この間、日本自由党、民主自由党、自由党、日本民主党、自由民主党に所属。
石井 梅蔵(いしい うめぞう、1896年 - 1976年)は… 石井 梅蔵(いしい うめぞう、1896年 - 1976年)は、日本の篤農家・発明家・実業家・工芸家。株式会社石井製作所創業者。酒田市局惣田に石井梅蔵記念館がある。 1896年(明治29年)石井梅蔵は石井家5代目として酒田市に生れる。農機具の発明家・事業家で、立ったまま除草ができる人力用水田中耕除草機を作り、農民の重労働と危険を解消。人・動力兼用のフライホイル式カッターとして1928年(昭和3年)に特許を取得。世界最初のバインダー(稲麦刈取収束機)を1958年(昭和33年)に特許申請(1960年(昭和35年)に登録)。酒田発明協会長などを務める。1949年(昭和24年)、籾が目にささり負傷。角膜移植を受けるが、1958年(昭和33年)全盲を宣告される。
白田 省吾(しらた せいご、1852年3月19日(嘉永5年2… 白田 省吾(しらた せいご、1852年3月19日(嘉永5年2月29日)- 1915年(大正4年)6月7日)は、明治から大正初期の農業指導者、政治家。衆議院議員、山形県会議長、山形県東村山郡蔵増村長。 出羽国村山郡、のちの山形県東村山郡蔵増村(蔵増村大字蔵増、天童町を経て現天童市大字塚野目)で、白田弥右衛門の長男として生れた。年少の頃、館林藩漆山陣屋の藩士から漢学、剣術を学び、その後、天童藩士、剣術指南役・大武平蔵につき一刀流の修行を行い、父弥右衛門から珠算を学んだ。 1879年(明治12年)1月、北蔵増村用掛に就任。以後、同戸長、蔵増村長、同村会議員、東村山郡会議員、同参事会員、同議長などを務めた。