山猿(やまざる、英語: YAMAZARU、1984年3月20… 山猿(やまざる、英語: YAMAZARU、1984年3月20日 - )は、日本の男性シンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、俳優、実業家。ソロプロジェクト・LGMonkeesの元メンバー。本名は遠藤 竜治(えんどう りゅうじ)。福島県会津若松市出身。所属芸能事務所兼レコード会社、レーベルは自身が設立したPAC DA RECORDZ。血液型はO型。公式ファンクラブは「あいことBARルビー」。 LGMonkees名義では打ち込み主体によるポップス寄りのヒップホップを基調としていたが、山猿名義以降はヒップホップのみならず、ロック、EDM、コンテンポラリーR&Bなどを含んだ広義の意味でのポップスである。
面川 倫一(おもかわ のりかず、1983年10月14日 - … 面川 倫一(おもかわ のりかず、1983年10月14日 - )は日本の作曲家。合唱、歌曲、器楽の分野を中心に活動し、桐朋学園大学、洗足学園音楽大学などで講師を務める。パリ・エコールノルマル音楽院作曲科修了。 幼少よりピアノを始め、福島県立磐城高等学校在学中は若松紀志子に師事した。桐朋学園大学作曲科卒業。第38回ピティナ・ピアノコンペティション新曲課題曲作品賞。第27回朝日作曲賞。混声合唱とピアノのための組曲《自戒》より第1曲〈まぶしい朝〉が2017年全日本合唱コンクール課題曲。第3回東京国際合唱コンクール課題曲委嘱作曲家。管弦楽、室内楽、合唱、歌曲などの作品があり、合唱作品は全音楽譜出版社、カワイ出版、音楽之友社、ブレーン、パナムジカの各社から出版されている。
鈴木 秋則 (すずきあきのり、1974年7月2日 - )は、… 鈴木 秋則 (すずきあきのり、1974年7月2日 - )は、日本の音楽プロデューサー、キーボーディスト、作曲家、編曲家。自主レーベル「ひらつかレコード」代表。エキセントリックなライブ・パフォーマンスで知られる。 福島県会津若松市生まれ(母の実家近くの病院)、神奈川県平塚市育ち。中学時代にユニコーンの奥田民生に憧れて音楽活動を始める。バンドではキーボードを担当。神奈川県立大原高等学校時代にコンピュータ・プログラミングに傾倒し、自宅録音を始める。音楽専門学校卒業後、キーボーディスト、マニピュレーターとして活動。 1996年、専門学校時代の同級生赤羽奈津代らとバンド「タオルズ」を結成。1997年、中学時代からの音楽仲間である中村公紀と自宅録音専門レーベル「ひらつかレコード」を旗揚げし、代表の座に就く。
歌川 和彦(うたがわ かずひこ、1961年5月1日 - )は… 歌川 和彦(うたがわ かずひこ、1961年5月1日 - )は、日本の作曲家、作詞家、編曲家、音楽プロデューサー、シンガーソングライター、著作家、ボイストレーナーである。血液型A型。福島県福島市出身。サムガイズ・ミュージック所属。 10代の頃からバンドを始め、東京都内各ライブハウス特にShibuya eggmanを中心に活動。その頃やっていたバンド活動が認められたのと1989年リクルート社のCMソングオーディションでグランプリを獲得したのをきっかけにソニー・ミュージックと契約。同時に作詞・作曲の依頼も受け近藤真彦・吉田栄作・SAY'S・マルシア・KIX-S・鈴里真帆・中川進などに曲を提供。また、シンガーとしてもプロレス団体SWSのテーマ曲、アーティストの仮歌入れ・コーラス(近藤真彦「アンダルシアに憧れて」など)の歌のスタジオ・ミュージシャンとしても活動。
つのだ☆ひろ(つのだ ひろ 、1949年〈昭和24年〉8月1… つのだ☆ひろ(つのだ ひろ 、1949年〈昭和24年〉8月1日 - )は、日本の歌手、ドラマー、作詞家・作曲家、ラジオパーソナリティ。本名:角田 博民(つのだ ひろたみ)。有限会社角田兄弟社代表取締役。名前の「☆」は発音しない。 両親の疎開先・福島県東白川郡塙町で生まれる。兄4人と姉3人を持つ8人兄弟の末っ子。生後1歳4ヵ月で東京に戻り、以降は新宿十二社で育った。次兄に漫画家のつのだじろう、末兄(四兄)にリュート奏者のつのだたかしがいる。実家では両親が理髪店を営んでおり、両親は子供たちを食いっぱぐれのない理容師にする教育方針だったが、次兄のつのだじろうが漫画家として売れっ子となったため「食べていける職業ならいい」と方針を変更したという。
小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年… 小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年)4月9日 - )は、日本の作曲家、指揮者。愛称は「(炎の)コバケン」、通称「炎のマエストロ」。 福島県石城郡小名浜町(合併により磐城市、いわき市へと変遷)生まれ。高校の体育教諭の父・正毅と小学校教諭の母・喜代子の長男として生まれる。父親は若い日に音楽家になることを目指したが挫折、家には多くの楽譜や音楽書籍があった。小学校3、4年生の頃、ラジオから流れてきたベートーヴェンの交響曲第9番を聴いて感動し、父親の持っている楽譜を見ながら独学で楽典の勉強を開始。小学5年生の時には、石川啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」によるピアノ伴奏付きの歌曲を作曲するほどの腕前になる。
須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、… 須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、福島県福島市渡利地区在住の合唱指揮者、作曲家。代表作に混声合唱組曲「安積野」や「日本楽器の為の四重奏」、福島大学学生歌「今日の世紀に」等がある。 福島県立福島商業高等学校卒業。古関裕而の後輩に当たる。東京で下総皖一に作曲を師事。 福島アカデミー音楽学院を経営するかたわら、飯野中学校の客演講師や福島市の第九のためのコール・フロイデなどで、福島県の合唱の発展に尽くす。山形交響楽団もブラームスやモーツァルト等のレパートリーの指揮者陣に属する。
猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、193… 猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、1938年4月11日 - 1993年6月10日)は、日本の作曲家、作詞家。
岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2… 岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2018年12月6日)は、日本の作曲家・指揮者。日本作曲家協議会会員、日本電子音楽協会理事、仙台電子音楽協会代表、仙台作曲家集団所属、宮城県芸術協会参事、NHK仙台放送局合唱団音楽監督。常盤木学園高等学校音楽科講師。
市川 昭介(いちかわ しょうすけ、1933年(昭和8年)1月… 市川 昭介(いちかわ しょうすけ、1933年(昭和8年)1月4日 - 2006年(平成18年)9月26日)は、日本の作曲家。 福島県郡山市出身。福島県立郡山工業高等学校(現・福島県立郡山北工業高等学校)を卒業した18歳の頃、ハワイアンバンドでの歌手デビューを目指し上京。歌手の高倉敏、鶴田六郎らの付き人(かばん持ち)をする傍ら、作曲とピアノを独学で学ぶ。 1961年(昭和36年)、島倉千代子が歌い第3回日本レコード大賞作曲奨励賞を受賞した『恋しているんだもん』でデビュー。 1962年(昭和37年)、畠山みどりの『恋は神代の昔から』がミリオンセラーとなり、翌年の『出世街道』も連続のミリオンセラーを記録。
星 和男(ほし かずお、1930年9月28日 - 2004年… 星 和男(ほし かずお、1930年9月28日 - 2004年2月3日)は日本の作曲家、声楽家、音楽教諭。福島県出身。 声楽家で東京音楽大学准教授の星洋二は長男。 1930年(昭和5年)、福島県若松市(現在の会津若松市)馬場町に生まれる。旧制会津中学校(現在の福島県立会津高等学校)を経て国立音楽学校(現在の国立音楽大学)声楽科へ進学するが、1年で中退する。1949年(昭和24年)、藤原歌劇団合唱部に入部。 帰郷後に中学校の音楽教諭となり、会津若松市立河東第一中学校在職中の1967年(昭和42年)に県が募集していた「福島県県民の歌」の作曲部門で応募作が入選する。その後も南会津郡下郷町の町民歌「飛躍の明日へ」や会津若松市立松長小学校、喜多方市立姥堂小学校など会津地方の公立学校の校歌で作曲を手掛けた。
湯浅 譲二(ゆあさ じょうじ、1929年8月12日 - 20… 湯浅 譲二(ゆあさ じょうじ、1929年8月12日 - 2024年7月21日)は、日本の現代音楽の作曲家。 1929年、福島県郡山市にて開業医、寿泉堂病院(現:寿泉堂綜合病院)二代目院長湯浅大太郎(医学博士)の次男として生まれる。芸術愛好家だった父の影響で幼時より音楽に親しむ。郡山市金透尋常小学校の3年生頃からブラスバンドに入り、トランペットを担当した。 旧制福島県立安積中学校を卒業したのち上京し、慶應義塾大学医学部に進む。当時は外科医志望であり作曲は趣味として行うつもりだったが東京で日本の現代音楽の状況を知るうちに「このぐらいなら自分でもできる」と思うようになり1951年、「10年間は面倒みてやるから」との父親の合意のもとに医学部教養課程を中退して作曲の道に進む。
石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016… 石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016年6月22日)は、日本の合唱指揮者・合唱指導者・合唱曲の作曲家。合唱王国福島を築く。[要出典]福島県合唱連盟名誉理事長。福島県いわき市生まれ。
古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年(明治42年)8月1… 古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年(明治42年)8月11日 - 1989年(平成元年)8月18日)は、日本の作曲家。本名は古關 勇治。1969年(昭和44年)、紫綬褒章受章、1979年(昭和54年)、勲三等瑞宝章を受章。
佐々木 俊一(ささき しゅんいち、1907年9月27日 - … 佐々木 俊一(ささき しゅんいち、1907年9月27日 - 1957年1月27日)は戦前から戦後にかけて活躍した作曲家。 福島県双葉郡浪江町出身。本名は佐々木駿一(読みは同じ)。東洋音楽学校(現:東京音楽大学)でチェロを学ぶ。同期生に万城目正がいた。卒業後は万城目と共に浅草の映画館のオーケストラ・ボックスで働く。その後、レコードに興味を持ってからは、作曲家を目指す。レコード会社に就職するためにドラムを稽古し、日本ビクターにドラムとして入社。バンドの仕事の合間に作曲をしていた。 そして1932年、作曲家第1作となった「涙の渡り鳥」が大ヒット。同年、小唄勝太郎が歌った「島の娘」が大ヒットし、うぐいす芸者黄金時代を築くきっかけになった等、たちまち佐々木はビクターのヒットメーカーとなった。
石川 義一(いしかわ よしかず、1887年4月13日 - 1… 石川 義一(いしかわ よしかず、1887年4月13日 - 1962年1月17日)は、日本の作曲家。日本にレオ・オーンスタインのピアノ曲を紹介した。 福島県相馬郡長塚村(現在の双葉町)出身。1906年、19歳のとき相馬中学を卒業後、半年ほど代用教員を勤めた。その年の9月にアメリカに渡った。カリフォルニア州サクラメントで女性音楽家のベリングスにピアノと英語を学び、サンノゼ市のパシフィック大学音楽部に入学、ピアノと作曲を学んで1918年卒業。 1920年帰国後、朝鮮総督府社会課長として平安南道に赴任。この時李王家から依頼されて朝鮮雅楽の研究も行い、15年をかけて五線譜に書き写し、計283曲、五千ページに及ぶ業績を遺す。
中潟 憲雄(なかがた のりお)は、ゲームミュージックの作曲家… 中潟 憲雄(なかがた のりお)は、ゲームミュージックの作曲家・ゲームクリエイター。元 有限会社デジフロイド代表取締役。福島県福島市出身。福島県立福島高等学校、早稲田大学卒業。 学生時代よりプログレッシブ・ロックバンド「AQUA POLIS(アクアポリス)」を率い、音楽活動を行っていた。大友良英は高校の同級生でJAZZ研仲間。 1983年、株式会社ナムコに入社。ロボットバンド「ピクパク」のシナリオや音楽を担当、慶野由利子の産休に伴い、ゲーム開発・制作部署に移り、『モトス』『源平討魔伝』などの音楽を手掛ける。 1989年、ナムコを退社。その後メルダックや株式会社KAZeに入社、1990年に発売された『暴れん坊天狗』にディレクター(兼サウンドコンポーザー)として開発に携わったことでも知られる。
米田 佳奈(よねだ かな)は、日本の作曲家、ピアニスト。奏音… 米田 佳奈(よねだ かな)は、日本の作曲家、ピアニスト。奏音(かなで)名義での活動期間あり。福島県福島市出身。東京都在住。 3歳からピアノを、6歳から作曲を始める。福島県立福島女子高等学校卒業。東京音楽大学卒業。同大学の卒業演奏会出演。現在、オリジナル曲の制作の他、親子向けコンサートなどのライブ活動を行っており、介護施設訪問コンサートは年に数十回に及んでいたがコロナ禍の影響で休止中。2016年、詩人・和合亮一の詩の朗読会にてBGM演奏を務める。2017年に福島出身の音楽家3人によるユニット「福島三人娘」を結成し、「音楽に福島の魅力を乗せて、福島を好きになってもらいたい」との理念の下、積極的に活動を進めていた(現在は解散。