大栄 利哉(おおさかえ としや、2007年4月23日 - )… 大栄 利哉(おおさかえ としや、2007年4月23日 - )は、福島県いわき市出身のプロ野球選手。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 いわき市立永崎小学校時代から軟式チームで野球を始め、石川義塾中学校では軟式野球部に所属。 学法石川高等学校では捕手兼投手としてプレー。 3年時夏の県大会は4強で敗退。日本代表としては2025 WBSC U-18野球ワールドカップに出場し準優勝を達成。1学年先輩に福尾遥真がいる。 2025年のドラフト会議において、東北楽天ゴールデンイーグルスから4位指名を受けた。 高校通算13本塁打、振り切るスイングで広角に弾き返す左打者。 遠投115m&最速143km/hの強肩が持ち味。
草野 陽斗(くさの はると、2004年6月7日 - )は、福… 草野 陽斗(くさの はると、2004年6月7日 - )は、福島県いわき市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 いわき市立内郷第一中学校では、軟式野球部に所属。 高校は、地元いわき市の東日本国際大学附属昌平高等学校に進学。1年秋からベンチ入りし、3年夏の福島県大会では、3試合に先発。準々決勝までに登板した2試合では、失点2、奪三振25個と存在感を示したが、準決勝の聖光学院高等学校戦では打ち込まれ、途中で降板し敗戦した。 2022年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議において、横浜DeNAベイスターズから育成ドラフトで5巡目指名を受けた。11月17日に支度金280万円、年俸340万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
佐久間 拓斗(さくま たくと、2003年7月17日 - )は… 佐久間 拓斗(さくま たくと、2003年7月17日 - )は、福島県田村市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学2年生から「船引スポーツ少年団」で軟式野球を始め、田村市立船引中学校では同校の軟式野球部に所属した。 高校は福島県立田村高校に進学、2年生の秋には正捕手となった。甲子園の出場はなく、3年生の夏の第103回全国高等学校野球選手権福島大会において4番・捕手として出場するも、3回戦で敗退した。 2021年10月11日に行われたプロ野球ドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成選手ドラフト8巡目指名され、同月24日、支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)で契約合意に達し、12月11日、PayPayドームで開催された「ファンフェスティバル2021」の中で入団発表会見が行われた。
伊藤 茉央(いとう まお、2000年11月19日 - )は、… 伊藤 茉央(いとう まお、2000年11月19日 - )は、福島県喜多方市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 喜多方市立塩川小学校3年生の時に、塩川ブルーファイヤーズで野球を始める。喜多方市立塩川中学校では同校の軟式野球部に所属。 地元の福島県立喜多方高等学校に進学すると、2年秋の時に当時の監督の勧めでサイドスローに転向。最後の夏は、福島県立郡山高等学校に敗れて3回戦敗退。 その後、東京農業大学硬式野球部のセレクションに参加したが声がかからず、投球を見ていた東京農業大学北海道オホーツク硬式野球部助監督の嶋田達郎の勧めで、北海道網走市にある東京農業大学生物産業学部への進学を決意。
松本 京志郎(まつもと きょうしろう、1999年9月21日 … 松本 京志郎(まつもと きょうしろう、1999年9月21日 - )は、福島県西郷村出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 小田倉小3年時にソフトボールを始める。西郷第二中では軟式野球部に所属し、県の全南選抜に選ばれた。光南高では1年秋から中軸打者として活躍し、3年春に福島大会優勝。甲子園出場はなく、「4番・遊撃」で出場した3年夏は福島大会準々決勝で敗退。 2017年10月26日、プロ野球ドラフト会議において東北楽天ゴールデンイーグルスから育成ドラフト2巡目で指名され、支度金200万円、年俸250万円で合意、入団。楽天での背番号は133。 楽天入団後、支配下登録を勝ち取ることはできず、3年目の2020年の11月5日、戦力外通告を受けた。
園部 佳太(そのべ けいた、1999年8月24日 - )は、… 園部 佳太(そのべ けいた、1999年8月24日 - )は、福島県いわき市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ所属。 いわき市立豊間小1年時にソフトボールを始め、6年生までソフトボールを続けた。いわき市立豊間中では軟式野球部に所属し、いわき市の中学軟式野球選抜チームである「いわき松風クラブ」でもプレーした。 福島県立いわき光洋高等学校では1年秋から遊撃手でベンチ入りし、2年秋から主将を務めた。3年夏(2017年)の福島県大会は主砲として打率.550を記録してチームを牽引し同校初の決勝進出を果たしたが、決勝で聖光学院にサヨナラ負けを喫し甲子園出場はならなかった。
大竹 風雅(おおたけ ふうが、1999年8月22日 - )は… 大竹 風雅(おおたけ ふうが、1999年8月22日 - )は、福島県白河市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 白河市立五箇小学校1年から五箇イーグルスでソフトボールをはじめ、白河市立五箇中学校では軟式野球部に所属。 福島県立光南高等学校では1年秋からベンチ入りし、2年秋からはレギュラー二塁手と控え投手を兼任。入学時は体重60kgと線が細くブルペンで少し投げただけで右肘が張るほどだったため、監督の方針で投手としては無理をさせず野手メインで育成された。3年夏は県大会ベスト8に終わり甲子園出場経験はなかった。高校時代の同期に松本京志郎。 進学した東北福祉大学では投手に専念したが、仙台六大学野球リーグでの登板は1年秋と2年春(各1試合)の計2試合にとどまった。
尾形 崇斗(おがた しゅうと、1999年5月15日 - )は… 尾形 崇斗(おがた しゅうと、1999年5月15日 - )は、宮城県黒川郡富谷町(現:富谷市)出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 富谷町立富ケ丘小学校3年生から「富谷スーパーキッズ」で軟式野球を始め、富谷町立あけの平小学校6年生から富谷町立富谷第二中学校時代は「仙台広瀬ボーイズ」に所属。同ボーイズでは東北選抜に選ばれ、東日本報知オールスター戦で優勝を果たした。 福島県の学校法人石川高等学校に進学後は1年生の夏からベンチ入りし、2年生の秋にはエースとなった。甲子園出場経験は無いが、1年生秋には秋季東北大会において準々決勝に進出。3年生の春の春季福島大会では、最速147km/hを計測し注目を集めた。
西巻 賢二(にしまき けんじ、1999年4月22日 - )は… 西巻 賢二(にしまき けんじ、1999年4月22日 - )は、福島県会津若松市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 会津若松市立小金井小学校2年時から小金井ブレーブスで野球を始め、4年時から小名浜少年野球教室、6年時には東北楽天ゴールデンイーグルスのジュニアチームに所属した。 小学校を卒業した後に、宮城県仙台市の秀光中等教育学校へ進学。軟式野球部で3年時に全国制覇を達成した。前期課程の3年間を修了した後に、系列校の仙台育英高校へ進学した。 仙台育英高校では、1年時春からベンチ入りを果たすと、夏には2学年先輩の佐藤世那、平沢大河、郡司裕也などと共に第97回全国高等学校野球選手権大会で準優勝。
鈴木 駿輔(すずき しゅんすけ、1998年6月12日 - )… 鈴木 駿輔(すずき しゅんすけ、1998年6月12日 - )は、東京都練馬区出身のプロ野球選手(投手)。CPBLの富邦ガーディアンズ所属。 練馬区立中村小学校2年の時に野球を始め、練馬区立中村中学校在学時はボーイズリーグの麻生ジャイアンツボーイズに所属。 中学卒業後は、福島県にある聖光学院高等学校に進学。2年秋から外野手としてベンチ入りし、冬からは投手を兼任するようになる。3年夏には第98回全国高等学校野球選手権大会に出場し、4番打者としてベスト8入りに貢献。3回戦の東邦戦ではぶっつけ本番で投手として先発し、藤嶋健人と投げ合い、9回2失点で完投勝利をおさめた。 高校卒業後は青山学院大学に進学し、同校硬式野球部に入部。
箭内 翔太(やうち しょうた、1998年3月29日 - )は… 箭内 翔太(やうち しょうた、1998年3月29日 - )は、日本の野球選手(投手)。ゴリラクリニックベースボールに所属している。 小学生から野球を始め、ポジションは内野手であった。東日本国際昌平高校に進学し、高校1年生で、スタメン入りを果たした。3年生の時の練習試合で、初めて投手として登板した(この試合では140km/h を越える球速を出したとされる)。 東京国際大学に進学後、突然粉砕骨折が発生し、野球ができない状態となっていたが、ケガから2か月後に登板した草野球(千葉マリンスタジアムで開催)において、149km/h の球速を記録する。これを機に野球選手を続行する一方、大学は中退した。 2017年に、主に野球をジャンルとした動画を投稿するYouTuberのクーニンが運営する草野球チーム「クーニンズ」に、親友である関口裕貴(現高知FD所属)とともに入団。
佐藤 都志也(さとう としや、1998年1月27日 - )は… 佐藤 都志也(さとう としや、1998年1月27日 - )は、福島県いわき市出身のプロ野球選手(捕手、内野手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 いわき市立平第六小学校3年時に、地域の子ども会でソフトボールを始め、5年時からは「みまやスポーツ少年団」で本格的にプレーし始めた。いわき市立平第二中学校で軟式野球部に所属。最初は遊撃手だったが、東日本大震災の影響で5人ほど転校してきたためメンバーを外れ、2年時から捕手となる。 聖光学院高等学校では2年、3年時に夏の甲子園に出場。プロ志望届を提出し、ドラフト会議当日には地元のテレビ局が生中継を行うなど、注目を集めていたが指名球団はなかった。2学年先輩に園部聡、1学年先輩に船迫大雅と八百板卓丸、2学年後輩に湯浅京己がいた。
八百板 卓丸(やおいた たくまる、1997年1月17日 - … 八百板 卓丸(やおいた たくまる、1997年1月17日 - )は、福島県福島市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。2019年のみ登録名を卓丸としていた。 福島市立鎌田小学校1年生の時に野球を始めた。福島第三中学校在学中は投手、内野手として「のだまクラブ」でプレーし、3年生時には全国大会に出場した。 聖光学院高校では、2年秋にベンチ入り。3年生時の夏の甲子園では全4試合に「1番・左翼手」として出場、計15打数8安打、打率.533を記録した。敗退した準々決勝・日本文理高校戦では飯塚悟史から3安打を放った。高校時代の2学年上に岡野祐一郎、1学年上に園部聡、同期に船迫大雅、1学年下に佐藤都志也がいる。
園部 聡(そのべ さとし、1995年11月10日 - )は、… 園部 聡(そのべ さとし、1995年11月10日 - )は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)。 いわき市立勿来第一小学校5年生の時にソフトボールを始めると、いわき市立勿来第一中学校では軟式野球部の「いわき松風クラブ」に所属。全国大会では、準々決勝への進出を経験した。内田靖人は同クラブでチームメイトだった。 聖光学院高等学校への進学後は、1年時から4番打者に起用。2年時の春から3年時の夏までは、4季連続で阪神甲子園球場の全国大会へ出場した。2年春の第84回選抜大会では、「4番・一塁手」として2試合に出場すると、通算打率.429(7打数3安打)、1打点を記録。夏の第94回選手権全国大会でも、「4番・一塁手」として2試合に出場すると、通算打率.500(6打数3安打)、1本塁打、4打点という成績を残した。
内田 靖人(うちだ やすひと、1995年5月30日 - )は… 内田 靖人(うちだ やすひと、1995年5月30日 - )は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 小学校2年時に、常磐軟式野球スポーツ少年団で野球を始めた。中学生時代に所属していたいわき松風クラブでは、4番打者として、園部聡とともにクリーンアップを任されていた。 中学校卒業後に、茨城県の常総学院高校へ進学。捕手として硬式野球部へ入部したが、1年時の春からベンチ入りを果たすと、打撃を買われて対外試合に三塁手として出場することが多かった。2年時の夏に、「3番・三塁手」として第94回全国高等学校野球選手権大会に出場。桐光学園高校との2回戦で松井裕樹から2安打を放ったが、チームは松井から19三振を奪われた末に敗れた。
古長 拓(こちょう たく、1994年8月5日 - )は、福島… 古長 拓(こちょう たく、1994年8月5日 - )は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 いわき市立泉北小1年時に小名浜少年野球教室で野球を始める。いわき市立泉中3年時には主将として第3回GIANTS杯福島県中学野球大会で優勝し、いわき市中学選抜の松風クラブにも選出された。 福岡県の九州国際大学付属高等学校に進学。1年時からベンチ入りを経験し、2年時に当高校は甲子園に春・夏連続出場。試合出場はなかったが背番号14番でベンチ入りし、三塁コーチを務めた。2学年上に榎本葵、1学年上に三好匠、髙城俊人、児玉龍也が在籍していた。 高校卒業後は九州共立大学に進学したが、リーグ戦に出場することなく中退した。
遠藤 雅洋(えんどう まさひろ、1993年9月27日 - )… 遠藤 雅洋(えんどう まさひろ、1993年9月27日 - )は、神奈川県出身の元社会人野球選手(内野手)。 東海大学付属相模中学校(現在の東海大学付属相模高等学校中等部)時代は横浜瀬谷ボーイズでプレー。 高校は福島県の聖光学院高等学校に進学。同級生には歳内宏明がいる。自身は4番・一塁として歳内らとともに過去最高のベスト8に貢献した。高校在学時には東日本大震災を経験している。 高校卒業後は東都大学野球連盟の亜細亜大学に進学。2015年秋季リーグではMVPを獲得。東都大学通算本塁打は11本。 大学卒業後は社会人野球のHondaに入社。レギュラーとして活躍。2019年シーズンをもって現役を引退した。
渡邉 啓太(わたなべ けいた、1993年9月13日 - )は… 渡邉 啓太(わたなべ けいた、1993年9月13日 - )は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校から常磐軟式野球スポーツ少年団で軟式野球を始め、4年生の時に捕手から投手に転向した。中学校ではいわき東ボーイズに所属した。 福島県立いわき光洋高等学校では1年秋から控え投手としてベンチ入り。2011年に発生した東日本大震災で被災し、1カ月以上にわたり高校に通えず、その後も放射能の問題で練習時間が限られるなど苦労を強いられる。厳しい環境を乗り越え、3年夏の福島大会ではエース兼二塁手としてチームの中心を担いベスト4入りに貢献したが、甲子園出場はならなかった。 神奈川工科大学創造工学部ロボット・メカトロニクス学科に一般受験で入学し、1年春から神奈川大学リーグ戦に出場。
菊池 拓斗(きくち たくと、1993年1月16日 - )は、… 菊池 拓斗(きくち たくと、1993年1月16日 - )は、福島県矢吹町出身の元野球選手(捕手)、元教師、YouTuber、プロ野球コーチ。右投右打。 プロ野球での選手経験はないが、2025年より福岡ソフトバンクホークスでスタッフ・コーチを務めている。 小学校時代にソフトボールを始め、中学校時代に軟式野球をプレー。福島県立光南高等学校時代は1年夏からベンチ入りを果たし、その後は捕手でレギュラーを獲得。3年時には「4番・捕手」として県大会準優勝。2学年後輩に佐藤勇がいた。その後は富士大学に進学し、野球は大学まで続けた。大学時代は主に控えで、更に肩を痛めたことで一塁手や指名打者でのプレーが多かった。
横山 貴明(よこやま たかあき、1991年4月10日 - )… 横山 貴明(よこやま たかあき、1991年4月10日 - )は、福島県双葉郡浪江町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 浪江町立大堀小学校2年生の時に野球をスタート。当初のポジションは内野手であったが、相双中央シニアに所属していた中学生時代に投手へ転向した。相双中央シニア時代のチームメイトに、赤間謙(浪江町と同じ双葉郡内の楢葉町出身)がいる。 中学卒業後に聖光学院高等学校へ進学。野球部の2学年後輩に、歳内宏明がいる。在学中には、2年の春・夏および、3年夏に甲子園球場の全国大会へ出場。2年春の選抜大会では、東浜巨・嶺井博希を擁する沖縄尚学高校との初戦に代打で出場しただけで、チームも敗退した。2年夏の選手権大会では、藤井宏政がいた兵庫県立加古川北高等学校との初戦(2回戦)に救援で登板すると、1回を無失点に抑えてチームを初戦突破に導いた。
赤間 謙(あかま けん、1990年11月14日 - )は、福… 赤間 謙(あかま けん、1990年11月14日 - )は、福島県双葉郡楢葉町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校1年生の時に、楢葉イーグルファイターズで野球を始める。中学生時代には、1学年下の横山貴明と共に相双中央リトルシニアに所属。日本リトルシニア野球選手権大会に2度出場した。 東海大学山形高等学校への進学後は、3年時の春からエースに定着すると、山形県内の地区大会で寒河江工業高等学校打線を相手にノーヒットノーランを達成。複数のNPB球団のスカウトから注目された。しかし、3年夏の山形県大会に準決勝で惜敗すると、プロ志望届を日本高等学校野球連盟へ提出せずに東海大学へ入学。 東海大学では1年春から、主に救援投手として、首都大学野球のリーグ戦で通算20試合に登板。
根本 朋久(ねもと ともひさ、1986年3月21日 - )は… 根本 朋久(ねもと ともひさ、1986年3月21日 - )は、福島県本宮市出身の元プロ野球選手(投手)。
矢貫 俊之(やぬき としゆき、1983年12月15日 - )… 矢貫 俊之(やぬき としゆき、1983年12月15日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 5歳の時に父親の仕事の都合でフィリピンに移住する。フィリピンのマニラ日本人学校に通いつつ、現地の日本人の子供と共に野球と触れ合うようになる。小学校3年時に日本に帰国。小田倉小学校4年の時に小田倉スポーツ少年団でソフトボールを始め、エースで4番と活躍。その後西郷第二中学校1年から、軟式野球部で野球を始める。 中学2年時に本格的に投手へ転向したが、卒業後に進学した仙台育英高校では、公式戦に登板する機会がなかった。在学中にチームは2001年春の第73回選抜高等学校野球大会で準優勝するなど通算4度の甲子園大会に出場したが、矢貫自身はいずれの大会にも出場メンバーに入れず、甲子園球場のアルプススタンドで太鼓を担当するなど応援団の一員だった。
松崎 伸吾(まつざき しんご、1983年9月17日 - )は… 松崎 伸吾(まつざき しんご、1983年9月17日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学生時代に実兄の影響で少年野球チームに入ると、中学生時代には軟式野球部で本格的に投手を始めた。 中学校からの卒業後に、青森県の光星学院高等学校へ進学した。2年時の夏まで打撃投手を務めながら、外野手としてレギュラーの座を獲得すると、3年夏の第83回全国高等学校野球選手権大会では4番打者に起用。投手兼右翼手として、チームの準々決勝進出に貢献した(詳細後述)。 高校からの卒業後に進学した東北福祉大学では、1年時の秋からベンチ入りを果たすと、サイドスローの右投手である福田聡志と並んでエースとして活躍。
小松 聖(こまつ さとし、1981年10月29日 - )は、… 小松 聖(こまつ さとし、1981年10月29日 - )は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ、プロスカウト。 いわき市立小名浜第一中学校から福島県立勿来工業高等学校に入学。3年夏は福島大会ベスト16。その後、東都大学野球リーグの国士舘大学に進学し、下級生の頃からベンチ入りしたものの在学中は2部リーグで優勝もなく、1学年下の小島紳二郎らに隠れて通算4勝に留まったが、西武のスカウトにはマークされていた。 2004年に社会人野球のJR九州に入社。都市対抗野球大会九州地区二次予選準決勝の日産自動車九州戦で先発したが序盤で打ち込まれて降板。秋の社会人野球日本選手権大会九州地区
鈴木 尚広(すずき たかひろ、1978年4月27日 - )は… 鈴木 尚広(すずき たかひろ、1978年4月27日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ、野球解説者・YouTuber。愛称は「タカ」。 NPBにおける代走での通算盗塁数の日本記録保持者であり、現役時代は「代走のスペシャリスト」などと評された。 5歳頃から野球を始める。野球のセンスは人並だったが小学生の時から足は速かったという。中学では陸上部を兼部し、主に中距離を走る。この頃毎日30km近く走ったことで足腰が鍛えられた。相馬高校では野球部に入り遊撃手や控え投手を務めるが、甲子園出場はなく目立った活躍もなかった。1996年のドラフトで読売ジャイアンツから4位指名を受けて入団。
村上 真哉(むらかみ しんや、1976年3月27日 - )は… 村上 真哉(むらかみ しんや、1976年3月27日 - )は、福島県田村郡三春町出身の元プロ野球選手(投手)。現在は北海道日本ハムファイターズベースボールアカデミーの講師として活動している。 田村高では2年春に控え投手として県大会優勝、東北大会でも登板した。社会人野球のヨークベニマルでは公式戦で郡山市長杯で1回1/3を投げたのみ。1996年のドラフト会議にて日本ハムファイターズから6位指名を受け入団。 社会人時代も公式戦での登板は僅か。プロでは、故障のため一、二軍とも登板すること無く1998年に引退。
鈴木 郁洋(すずき ふみひろ、1975年5月23日 - )は… 鈴木 郁洋(すずき ふみひろ、1975年5月23日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。 仙台育英高校時代は、1992年の第64回選抜高等学校野球大会では遊撃手として、第74回全国高等学校野球選手権大会は捕手でそれぞれ出場。卒業後は東北福祉大学へ進学し、4年時は主将で春秋ベストナイン捕手。大学選手権ベスト8、持ち味の俊足を活かして4年秋は盗塁王も獲得している。1年上の捕手に小野公誠がいた、また中日でも先輩となる門倉健、山田貴志の球を受けていた。山岡洋之(オリックス打撃投手として同僚)とは同期でバッテリーを組んだ。1997年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズから4位指名を受けて入団。
平松 省二(ひらまつ しょうじ、1971年10月20日 - … 平松 省二(ひらまつ しょうじ、1971年10月20日 - )は、福島県河沼郡湯川村出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 会津農林高卒業後、1990年に社会人野球のヨークベニマルに入社。1994年の都市対抗野球は予選で3連投して出場に貢献、本大会は準々決勝で先発したが本塁打による1失点で敗れた。翌1995年の都市対抗野球は補強選手で出場。 1995年ドラフト5位で日本ハムファイターズに指名され入団した。同期の沼田浩、黒木純司と共に、『NHKトリオ』(沼田のN、平松のH、黒木のK)と呼ばれた。オーバースローで、SFFが武器の投手であった。 一軍未勝利のまま、2000年限りで現役を引退し日本ハムの打撃投手に転向した。
五十嵐 明(いがらし あきら、1969年10月11日 - )… 五十嵐 明(いがらし あきら、1969年10月11日 - )は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(投手)。
伊藤 博康(いとう ひろやす、1969年9月13日 - )は… 伊藤 博康(いとう ひろやす、1969年9月13日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(外野手)。 学法石川高時代は、2年夏、3年春の選抜と甲子園に出場。チームメイトに諸積兼司と作山和英がいた。 高校卒業後は、作山とともに東北福祉大学に進学。4年次は主将を務めて春に最多打点、最多本塁打、全日本大学野球選手権で初優勝する。秋はベストナイン。この年は日米大学野球でMVP。 1991年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け入団。 ルーキーイヤーの1992年、緒方耕一、川相昌弘、ロイド・モスビー、原辰徳が故障によりスタメンから外れるという緊急事態に急遽一軍昇格で即1番ライトでスタメンに抜擢されると、5打席で二塁打2本2四球という鮮烈デビューを飾る。
作山 和英(さくやま かずひで、1969年6月4日 - )は… 作山 和英(さくやま かずひで、1969年6月4日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(投手)。 学法石川高では、2年生時の1986年に夏の甲子園に控え投手として出場。2回戦(初戦)で東洋大姫路高の長谷川滋利、島尾康史の継投に抑えられ敗退。この試合ではリリーフとして起用され甲子園初登板を果たす。翌1987年には春の選抜にも出場。1回戦で先発するが池田高に敗れる。高校同期に伊藤博康、諸積兼司がいた。 高校卒業後は、高校同期の伊藤とともに東北福祉大学に進学。仙台六大学野球リーグでは在学中7回優勝。1991年の全日本大学野球選手権大会では決勝で関大と対戦。延長17回の熱戦を制し優勝投手となる。
諸積 兼司(もろづみ けんじ、1969年5月29日 - )は… 諸積 兼司(もろづみ けんじ、1969年5月29日 - )は、福島県会津若松市出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。右投左打。 学法石川高校時代に昭和61年夏、昭和62年春と甲子園大会に連続出場した。2年夏は長谷川滋利(東洋大姫路)と対戦するも敗れた。高校の同期に伊藤博康、作山和英がいる。その後、法政大学では4年春に首位打者、盗塁王となり、秋まで2季連続でベストナインを受賞。大学では同期に高村祐、3学年後輩に稲葉篤紀がいた。日立製作所では1年目の東京スポニチ大会で3本塁打するなど活躍して首位打者、新人賞、2年目は優勝に貢献してMVP、同年は都市対抗野球にも出場し、社会人野球・年間ベストナインとなった。
片平 哲也(かたひら てつや、1967年10月3日 - )は… 片平 哲也(かたひら てつや、1967年10月3日 - )は、福島県会津若松市 出身の元プロ野球選手(外野手、投手)。 銚子商業高では、3年次の1985年に同期の大川隆と投の二本柱を組み、春は関東大会で全イニングを投げてベスト4。続けて夏の甲子園に出場する。本戦の1回戦では、自身が先発を務め、大川は1番・中堅手として出場するが、この大会で準優勝した宇部商業高の田上昌徳(新日本製鐵光)に抑えられ敗退した。真上から投げ下ろす速球は威力があり、前評判は高かったが制球難が災いした。またこの試合で着用したキャップのサイズが全く合わず、投球のたびにマウンドに落下。これを見かねた球審の西大立目永から「ゴムひもでも付けときなさい!」と叱責される場面もあった。
松井 達徳(まつい たつのり、1965年6月25日 - )は… 松井 達徳(まつい たつのり、1965年6月25日 - )は、福島県白河市出身の元プロ野球選手(外野手)。 学法石川高では、一塁手として1983年に夏の甲子園出場。3回戦で横浜商業高の三浦将明投手に抑えられ、3-19の大差で敗退。この試合ではエース小椋政彦の後を受けリリーフとして甲子園初登板を果たした。 高校卒業後は、法政大学へ進学。東京六大学リーグで在学中4回の優勝を経験。1986年秋季リーグでは打率2位を記録し、ベストナイン(一塁手)を受賞。4年生時には1987年秋季リーグで優勝するが、直後の第18回明治神宮野球大会決勝で筑波大に延長10回の熱戦の末に敗れた。リーグ通算82試合出場、260打数75安打、打率.288、5本塁打、40打点。
長谷川 達栄(はせがわ たつえい、1964年11月15日 -… 長谷川 達栄(はせがわ たつえい、1964年11月15日 - )は、福島県南会津郡只見町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 学法石川高時代は、2本柱の投手陣で臨むが3年夏は準優勝で甲子園出場はなし。 1982年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズより6位指名され入団した(契約金1,500万円)。アンダースローからの速球で押してくるタイプの投手であり、変化球はカーブ・シュート・シンカーを持っていた。 一軍登板を果たすことなく、打者転向の話もあったというが1985年限りで現役を引退した。引退後は家業の農場を継いだ。 2016年の学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となった。
古溝 克之(ふるみぞ かつゆき、1963年11月14日 - … 古溝 克之(ふるみぞ かつゆき、1963年11月14日 - )は、福島県福島市出身の元プロ野球選手。 福島県福島市出身(ニックネームは「トラさん」)。 福島商業高3年生時の1981年に春夏連続で甲子園に出場。2年秋の東北大会決勝では秋田経大付高の松本豊と投げ合って延長15回日没引分け再試合となり、再度二人が完投するが1失点で惜敗。第53回選抜は1回戦で御坊商工高に敗れる。第63回選手権は清水雅治のいた浜田高を延長10回の熱戦で降し1回戦を突破するが、秋田経大付高の松本豊投手に抑えられ2回戦敗退。 高校卒業後は、社会人野球の専売公社東北に入社。早くから注目され、1983年夏の都市対抗野球に新日本製鐵釜石、1984年夏の同大会に岩手銀行に補強され出場。
斎藤 智也(さいとう ともや、1963年6月1日 - )は、… 斎藤 智也(さいとう ともや、1963年6月1日 - )は、福島県福島市出身の高校野球指導者。聖光学院高等学校副校長。 福島高時代は、投手兼外野手として活躍。後にプロ入りした鈴木哲と同期であった。 仙台大学を卒業後、1987年に聖光学院高の教諭、同校硬式野球部部長に就任。田村隆寿に師事した後、1999年9月に同校硬式野球部の監督に就任。 2001年夏に、聖光学院野球部監督として、監督としても聖光学院野球部としても春夏を通じて初の甲子園出場を果たす。 2004年夏には、聖光学院野球部を率いて2度目の甲子園出場。この2度目の甲子園となった第86回全国高等学校野球選手権大会では2勝してベスト16に入り、1995年から9年間続いていた、福島県代表の全国高等学校野球選手権大会での初戦敗退を止め、福島県の高校野球の歴史にも大きく貢献した。
宗像 忠典(むなかた ただのり、1962年3月13日 - )… 宗像 忠典(むなかた ただのり、1962年3月13日 - )は、福島県郡山市出身の元社会人野球選手(投手)。高校野球指導者。日本大学東北高等学校保健体育科教諭、同校硬式野球部元監督。 日大東北高時代は、エースとして吉田康夫とバッテリーを組み活躍したが甲子園出場はなし。 高校卒業後は、日本大学へ進学し硬式野球部に入部。東都大学1部リーグでは、通算27試合登板、2勝10敗の成績を残す。1学年下に和田豊がいた。 大学卒業後は、地元である福島県郡山市に本拠地を置く強豪社会人野球チームのヨークベニマルに入団。また、郡山ベースボールクラブというクラブチームで全国準優勝も果たしている。 現役引退後、1987年10月に母校である日大東北高の野球部監督に就任。
中居 謹蔵(なかい きんぞう、1961年10月6日 - )は… 中居 謹蔵(なかい きんぞう、1961年10月6日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
志賀 正浩(しが まさひろ、1961年9月25日 - )は、… 志賀 正浩(しが まさひろ、1961年9月25日 - )は、北海道生まれ、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 1980年から1981年までNPBの中日ドラゴンズに在籍した。 北海道で生まれたが、福島県いわき市の市立四倉中学校を卒業し、平工業高校へ進学した。中学時代は3年間、平泳ぎで校内ナンバーワンの座に居続けたという。 平工業高校時代は甲子園への出場歴はなく、中央球界では無名だったが、身長184 cmの高身長から投げ下ろす速球の威力を注目されていた。プロ入り時は1試合平均の奪三振が10と言われていた。高校3年生だった1979年夏の高校野球福島大会ではコントロールに苦しみ、初戦で福島高校に逆転負けしたが、9奪三振を記録していた。
吉田 康夫(よしだ やすお、1961年6月11日 - )は、… 吉田 康夫(よしだ やすお、1961年6月11日 - )は、福島県岩瀬郡鏡石町出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。 日大東北工業入学時の1977年は三塁手であったが、強肩であったために捕手に転向し、後に同校で監督を務める宗像忠典とのバッテリーで活躍。2年次の1978年に校名が日大東北高に変更し、3年次の1979年には夏の甲子園県予選で準決勝に進出するが安積商高に敗れる。 卒業後は1980年に三菱自動車川崎へ入社し、1981年・1983年の都市対抗で準々決勝進出に貢献。1984年にはロス五輪日本代表に選出され、正捕手として金メダルの獲得に貢献。同年の第28回アマチュア野球世界選手権でも日本代表となる。
三浦 広之(みうら ひろゆき、1959年6月5日 - )は、… 三浦 広之(みうら ひろゆき、1959年6月5日 - )は、福島県福島市出身の元プロ野球選手(投手)。 福島商ではエースとして活躍。1976年秋季県大会準決勝に進むが、学法石川高に敗退。翌1977年は夏の県大会で8回コールド参考記録ながら完全試合、続く試合で同7回ノーヒットノーランを達成して夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で九州産業高の梅津茂美と投げ合い完封勝利。九州産業高の一塁手は吉竹春樹であった。3回戦に進むが、プロで同僚となる山森雅文のいた熊本工に延長11回裏サヨナラ負けを喫する。この夏は県大会3回戦から甲子園を通じて55回連続無失点を記録した。 進学の話もあるなかで、1977年のドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。
島貫 省一(しまぬき しょういち、1957年7月24日 - … 島貫 省一(しまぬき しょういち、1957年7月24日 - )は、福島県福島市出身の元プロ野球選手(外野手)。 福島商業高では、2年次の1974年に夏の甲子園に出場も、初戦(2回戦)で大石大二郎や久保寺雄二らがいた静岡商に1-6で敗退している。 1976年に高校卒業後、早稲田大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、1978年秋季リーグ、1979年春季リーグで2回の優勝を経験。1978年秋の明治神宮大会は、準決勝で3年中本茂樹投手に抑えられ優勝した同大に1-4で敗退。1979年春の全日本大学選手権は、同期の向田佳元、2年下の三谷志郎(プリンスホテル)両投手の好投もあり決勝まで進んだが、中大の4年香坂英典投手から序盤に島貫が2ラン本塁打を放つものの後続を抑えられ3-7で敗れ準優勝に終わる。
遠藤 一彦(えんどう かずひこ、1955年4月19日 - )… 遠藤 一彦(えんどう かずひこ、1955年4月19日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者、野球評論家。現役時代は横浜大洋ホエールズのエースとして活躍した。元プロ野球選手の遠藤政隆とは従弟にあたる。マネジメント会社は株式会社レガシージャパン。 学法石川高校では1972年、2年生時に中堅手、控え投手として夏の甲子園予選東北大会決勝に進出。東北高と対戦し6回からリリーフに立つが3-6で敗退。翌1973年にはエース、四番打者として福島大会決勝に進むが双葉高に1-2で惜敗、甲子園には届かなかった。 卒業後は東海大学工学部に進学。原辰徳は野球部の3年後輩にあたり、在学中は共にプレーしている。
中畑 清(なかはた きよし、1954年1月6日 - )は、福… 中畑 清(なかはた きよし、1954年1月6日 - )は、福島県西白河郡矢吹町出身の元プロ野球選手(内野手)。労働組合日本プロ野球選手会初代会長。2004年アテネオリンピック野球日本代表ヘッドコーチ、監督代行を務め、銅メダルに導いた。また、2012年より初代横浜DeNAベイスターズ監督(大洋ホエールズからの通算では第29代)に就任し、2015年シーズン終了まで在任した。2016年から野球解説者、野球評論家、タレント司会者に復帰。
田村 隆寿(たむら たかとし、1952年6月3日 - )は、… 田村 隆寿(たむら たかとし、1952年6月3日 - )は、日本の高校野球指導者。1971年の第53回全国高等学校野球選手権大会準優勝投手。安積商業高校、磐城高校、聖光学院高校野球部元監督。 1952年、福島県に生まれた田村は、湯本第二中時代は投手として活躍。県大会で3位に輝いた。中学卒業後に1年浪人し、1969年に磐城高に入学。 入学当初は内野手であったが捕手に転向し、1970年には夏の甲子園に5番打者として出場した。1回戦で、準優勝したPL学園高に1-2とサヨナラ負けしたが、自身は2安打と奮闘した。秋になり新チーム結成後も捕手であったが、秋季大会でエースが打ち込まれたことを受け、田村が投手に転向することになった。
佐藤 龍一郎(さとう りゅういちろう、1950年9月19日 … 佐藤 龍一郎(さとう りゅういちろう、1950年9月19日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
矢部 徳美(やべ のりよし、1948年6月29日 - )は、… 矢部 徳美(やべ のりよし、1948年6月29日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 内郷高校では1年から遊撃手。1966年夏の甲子園県予選で準々決勝に進むが会津高に敗退。高校卒業後は常磐炭鉱に入社。同社の系列会社で構成する社会人野球チームであるオール常磐に入団、遊撃手として活躍する。 一番打者として1970年の都市対抗に出場。1回戦では電電東海を相手に逆転本塁打を放ち、勝利の立役者となる。2回戦で日本石油のエース三浦健二に完封を喫するが、小柄ながら好守好打の内野手として注目を浴びる。 1970年ドラフト会議で南海ホークスから2位指名を受け入団。1971年のジュニアオールスターに出場。
岡 正光(おか まさみつ、1947年6月30日 - )は福島… 岡 正光(おか まさみつ、1947年6月30日 - )は福島県出身の元プロ野球選手(投手)。