毛塚 勝利(けづか かつとし、1945年 - )は、日本の法… 毛塚 勝利(けづか かつとし、1945年 - )は、日本の法学者。専門は労働法。元中央大学法学部教授。元日本労働法学会代表理事。 栃木県栃木市出身。栃木県立栃木高等学校を経て、一橋大学法学部卒業後、1972年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。指導教官は杉原泰雄。1976年同博士課程単位取得退学。蓼沼謙一門下であり、労働契約論に早くから着目。 静岡大学専任講師、同助教授、同教授、専修大学教授、フランクフルト大学客員教授などを経て、2004年から中央大学法学部教授。2002年から2003年まで日本労働法学会代表理事。
君島 和彦 (きみしま かずひこ、1945年(昭和20年)-… 君島 和彦 (きみしま かずひこ、1945年(昭和20年)- )は、日本の歴史学者。東京学芸大学名誉教授。元ソウル大学教授。専門は日本近代史。 監訳 秋岡あや,野木香里,山口公一訳 明石書店, 2010
梶 克之(かじ かつゆき、1944年(昭和19年)12月22… 梶 克之(かじ かつゆき、1944年(昭和19年)12月22日 - 2023年(令和5年)5月7日)は、日本の政治家。栃木県宇都宮市旭町出身。元栃木県議会議長で、元県議会議員(宇都宮市・上三川町選挙区選出、8期)。
八木沢 荘六(八木澤 荘六、やぎさわ そうろく、1944年(… 八木沢 荘六(八木澤 荘六、やぎさわ そうろく、1944年(昭和19年)12月1日 - )は、栃木県今市市(現・日光市)出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・監督、解説者。現・公益社団法人全国野球振興会理事長。史上13人目の完全試合達成者。 実家は製材所を経営し、父親の善吉は今市市の市長も務めた。祖父が明治期の陸軍参謀総長・川上操六を尊敬していたため、「荘六」の名になった。作新学院では2年次の1961年に春の選抜で初出場を果たすと、1回戦に先発して柏原高を完封するが、2回戦はリリーフに回って高松商に敗退。3年次の1962年には春の選抜にエースとして出場し、準々決勝では八幡商を延長18回引き分け再試合の末に降す。
小林 守(こばやし まもる、1944年10月26日 - 20… 小林 守(こばやし まもる、1944年10月26日 - 2023年1月17日)は、日本の政治家。位階は従四位。 衆議院議員(4期)、栃木県議会議員(2期)、自治政務次官(村山内閣)、衆議院環境委員長、市教育委員会教育長、立憲民主党栃木県連常任顧問を歴任した。 栃木県鹿沼市出身。1969年、東京教育大学文学部史学科卒業。卒業後、鹿沼市役所に奉職。人事係長などを務める。 1984年に市役所を退職し、栃木県議会議員選挙に立候補して初当選。以後2期連続当選。 1990年に行われた第38回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧栃木1区より立候補し当選。以後4期連続当選を果たす。 1994年に成立した村山内閣では自治政務次官を務めた。
大塚 吉兵衛(おおつか きちべえ、1944年(昭和19年)6… 大塚 吉兵衛(おおつか きちべえ、1944年(昭和19年)6月19日 - )は、日本の医学者(歯科医師)、歯学博士。第13代日本大学総長、元日本大学歯学部生化学講座教授。硬組織再生生物学会理事長。
中野 孝征(なかの たかゆき、1944年6月14日 - )は… 中野 孝征(なかの たかゆき、1944年6月14日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(内野手)。 中学時代は遊撃手兼リリーフ投手だった。作新学院高では1年からレギュラー遊撃手となり、1961年、2年生の時に春の選抜に出場。2回戦で高松商業高に敗れる。1年上のチームメートに島野育夫がいた。翌1962年には主将、一番打者として春の選抜に連続出場。エース八木沢荘六を擁して勝ち進み、決勝で日大三高を降し優勝。 同年夏の選手権では八木沢の急病により、控えの加藤斌を主戦投手に立て勝ち進む。決勝では加藤が久留米商業高のエース伊藤久敏と投げ合い1-0で辛勝、史上初の甲子園春夏連覇を果たす。高校同期に八木沢、加藤の他、中堅手、四番打者の高山忠克がいた。
とっこねぇ(本名:井上 時子(いのうえ ときこ)、1944年… とっこねぇ(本名:井上 時子(いのうえ ときこ)、1944年6月5日 - )は、日本の女性ピン芸人。所属事務所は山中企画。血液型はO型。栃木県那須塩原市出身。 特技は栃木弁丸出しのしゃべりである。公式ブログも栃木弁で更新されている。 鉄道弘済会に勤務ののち、23歳で離婚。 2005年、矢板のぞみ(旧名・井上のぞみ)とお笑いコンビ「時子とのぞみ」を結成。ツッコミを担当していた。 結成直後からライブを中心に活動。テレビには『エンタの神様』に一度だけ出演した。 2007年、相方である矢板がお笑い学校を退団したため、コンビは解散。 その後は「とっこねぇ」と改名し、ピン芸人として活動している。
加藤 斌(かとう たけし、1944年5月21日 - 1965… 加藤 斌(かとう たけし、1944年5月21日 - 1965年1月4日)は、中国上海生まれ、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)。 作新学院高ではエース・八木沢荘六の控え投手として、主にリリーフを担当していた。 1962年、作新学院は八木沢などの活躍もあって春の選抜に優勝、続く夏の甲子園予選北関東大会も勝ち上がり、春夏連覇に期待をかけられた。春の優勝後、加藤は野球部長の勧めで投法をオーバースローからアンダースローに転向している。 大会直前、エースの八木沢が赤痢にかかり、チームは急遽加藤を主戦投手として戦うこととなった。甲子園では1回戦で気仙沼高に苦戦したものの勝ち上がり、準決勝では林俊彦、木俣達彦の強力バッテリーを擁する中京商を2-0で完封。
高山 忠克(たかやま ただかつ、1944年5月18日 - )… 高山 忠克(たかやま ただかつ、1944年5月18日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(外野手)。 作新学院高校への在学中は「4番・中堅手」で、1学年先輩に外野手の島野育夫、同期生に八木沢荘六・加藤斌の両投手と遊撃手の中野孝征がいた。 2年時(1961年)と3年時(1962年)の春に選抜高等学校野球大会へ出場。3年時の第34回大会では、エース八木沢の下で優勝を経験した。チームは夏の第44回全国高等学校野球選手権大会にも出場したが、大会中に八木沢が赤痢を発症した影響で隔離療養を余儀なくされたため、控え投手の加藤が先発に回った。加藤が中京商業との準決勝で林俊彦と投げ合った末に完封勝利を収めると、チームは久留米商業との決勝で伊藤久敏を相手に1対0で勝利。
久保伸太郎(くぼ しんたろう、1944年(昭和19年)4月2… 久保伸太郎(くぼ しんたろう、1944年(昭和19年)4月22日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。日本テレビ放送網社長を務めた。栃木県出身。
島野 育夫(しまの いくお、1944年3月30日 - 200… 島野 育夫(しまの いくお、1944年3月30日 - 2007年12月15日)は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(外野手)、コーチ、監督、野球解説者。 コーチ時代は相手の癖を盗む特技を生かし、 三宅博は著書で、センスを持ったクセ盗みの名人と記している。特に星野仙一との監督・コーチコンビでは中日ドラゴンズ・阪神タイガースで優勝を経験しており、低迷期の長かった阪神にあって、島野が在籍していた時期は最下位になったことは一度もなかった。 長男は元競輪選手で現在は柔道整復師の島野敦識。 作新学院高校時代の1961年、中堅手として1学年下の八木沢荘六、高山忠克らとともに第33回選抜高等学校野球大会に出場した。
栗川 仁(くりかわ じん、1944年(昭和19年)1月9日 … 栗川 仁(くりかわ じん、1944年(昭和19年)1月9日 - 2011年(平成23年)12月4日)は、日本の政治家。黒磯市長を1期、那須塩原市長を2期務めた。 1962年(昭和37年)3月、栃木県立那須農業高等学校(現栃木県立那須拓陽高等学校)卒業。1983年(昭和58年)4月の黒磯市議会議員選挙で初当選し、2003年(平成15年)まで市議会議員を5期務めた。この間、1995年(平成7年)5月から1997年(平成9年)5月まで、2001年(平成13年)4月から2002年(平成14年)12月まで市議会議長を務めた。 2003年(平成15年)2月9日に実施された黒磯市長選挙では無所属で立候補し渡辺喜美衆議院議員の黒磯後援会長で自民党の推薦を受けた候補者などを破り初当選を果たした。
井上 安正(いのうえ やすまさ、1944年 - )は、日本の… 井上 安正(いのうえ やすまさ、1944年 - )は、日本のジャーナリスト。栃木県矢板市生まれ。 栃木県立矢板高等学校普通科(現栃木県立矢板東高等学校)卒業。1967年(昭和42年)中央大学法学部卒業。下野新聞を経て、1970年(昭和45年)、読売新聞社入社。1977年(昭和52年)、弘前大学教授夫人殺人事件再審の取材・報道で、日本新聞協会賞および菊池寛賞を受賞。読売新聞東京本社社会部長、同西部本社編集局長、報知新聞社専務取締役から同社顧問を歴任した。
稲田 雅洋(いなだ まさひろ、1943年9月16日 - )は… 稲田 雅洋(いなだ まさひろ、1943年9月16日 - )は、日本近代史学者、東京外国語大学名誉教授。 栃木県芳賀郡茂木町生まれ。一橋大学卒、1972年一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。指導教官は佐々木潤之介。1992年「日本近代社会成立期の民衆運動 困民党研究序説」で博士(社会学)。1972年一橋大学助手、1975年愛知教育大学助教授、1987年教授、1994年東京外国語大学教授、2007年定年退職、名誉教授。 自由民権運動を中心に研究した。
松本 哲男(まつもと てつお、1943年(昭和18年)7月2… 松本 哲男(まつもと てつお、1943年(昭和18年)7月29日 - 2012年(平成24年)11月15日)は日本画家、教育者。栃木県佐野市生まれ。日本美術院理事。 宇都宮大学教育学部美術科卒業。高等学校美術教諭を経て、今野忠一に師事。宇都宮文星短期大学特任教授を経て、1999年(平成11年)から2002年(平成14年)まで文星芸術大学教授。後、特任教授。1993年(平成5年)4月から東北芸術工科大学芸術学部美術科助教授、1996年(平成8年)4月から同教授。2006年(平成18年)4月から2011年(平成23年)3月まで同学長。同年4月から名誉学長となっていた。 2012年(平成24年)11月15日に呼吸不全のため死去。
谷田貝 公昭(やたがい まさあき、1943年6月10日 - … 谷田貝 公昭(やたがい まさあき、1943年6月10日 - )は、日本の保育学者、目白大学名誉教授。保育学・教育学専攻。子どもの生活科学研究会代表。 栃木県小山市生まれ。1967年玉川大学文学部教育学科卒。栄光保育研究所、京浜女子大学助教授、校名変更で鎌倉女子大学教授、1990年目白学園女子短期大学教授、1994年目白大学教授、生涯福祉研究科・人間学部子ども学科教授。2014年名誉教授。
阿部 昭(あべ あきら、1943年〈昭和18年〉5月1日 -… 阿部 昭(あべ あきら、1943年〈昭和18年〉5月1日 - 2021年〈令和3年〉11月16日)は、日本近世史の研究者。 1943年、栃木県足利市に生まれる。1966年に東京教育大学文学部史学科日本史学専攻を卒業後、黒磯高等学校や宇都宮女子高等学校で県立高等学校教諭を務める。栃木県立文書館(wikidata)の1986年設立に際しては、指導主事として尽力し、1987年4月に国士舘大学文学部国史学専攻助教授に就任した。 1992年4月に同学の教授に就任し、学部長(2000年4月 - 2004年4月)、2004年からは法人常任理事を歴任したが、2013年3月をもって法人理事および教授職から退いた。
松本 照夫(まつもと てるお、1943年3月23日 - 19… 松本 照夫(まつもと てるお、1943年3月23日 - 1992年7月1日)は栃木県出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 栃木商業高等学校では甲子園には出場できなかった。高校同期に宮下陽吾投手(国鉄)がいる。卒業後は立教大学へ進学。エースとして活躍するが、東京六大学野球リーグでは当時法大、慶大が二強として争い、優勝には届かなかった。リーグ通算43試合登板、20勝12敗、防御率1.27、99奪三振。大学同期に土井正三、山口富士雄(中退)、森本潔(中退)がいる。 大学を中退し1964年に阪急に入団。大型右腕投手として期待され、1965年には6試合に先発するが結果を残せず、その後は中継ぎとして起用される。
中村 剛(なかむら たけし、1943年3月18日 - )は、… 中村 剛(なかむら たけし、1943年3月18日 - )は、日本の元プロボクサー、実業家。栃木県真岡市出身。元OBF東洋フライ級チャンピオン。 1959年にデビュー。 1963年6月7日、ノンタイトルでOBF東洋フライ級王者チャチャイ・ラエムファバー(チャチャイ・チオノイ)を破る金星を挙げる。同年7月7日、チャチャイのOBF東洋王座に挑み、体格に勝るチャチャイにインファイトを仕掛けて巧みに左右フックをヒット、僅差の判定勝ちでタイトルを獲得した。弱冠20歳であった。 その後は粘り強いファイトを身上に、約6年の在位期間で10度の防衛に成功した。その中には後に世界チャンピオンとなるエルビト・サラバリア、バーナベ・ビラカンポら強豪も含まれる。
阿久津 憲二(あくつ けんじ、1943年(昭和18年)3月1… 阿久津 憲二(あくつ けんじ、1943年(昭和18年)3月12日 - )は、日本の政治家。 栃木県那須塩原市長(1期)、栃木県議会議長(第94代)、栃木県議会議員(6期)、黒磯市議会議員(2期)を務めた。 栃木県出身。栃木県立黒磯高等学校卒業。黒磯市議会議員を2期務めた後、1991年の栃木県議会議員選挙に黒磯市選挙区(定数1)から出馬し、当選。以後、2012年1月まで県議を6期21年間務める(2007年の県議選以降は那須塩原市・那須町選挙区(定数4)から出馬)。2006年3月から第94代栃木県議会議長(~2007年4月)、2008年3月から栃木県議会会派の自由民主党議員会の会長を務めた(2010年6月に自由民主党離党(後述)に伴い退任)。
石原 敬士(いしはら けいし、1943年3月7日 - )は、… 石原 敬士(いしはら けいし、1943年3月7日 - )は、日本の射撃競技(クレー射撃)選手、神職。栃木県鹿沼市に鎮座する古峯神社の第84代宮司。 射撃競技のオリンピック日本代表選手に2度(1968年メキシコシティー・1980年モスクワ)選ばれながら、2度とも本人には非のない状況で参加できなかったことから、「幻の五輪選手(オリンピアン)」「最もついてない男」などとも呼ばれる。次女の石原奈央子(英語版)もクレー射撃選手で、2016年リオデジャネイロオリンピックに父と同じスキート種目での出場を果たした。 栃木県鹿沼市生まれ。生家の古峯神社(鹿沼市草久)は1300年以上の歴史があるとされる神社で、現役時代の石原は「鉄砲神主」と呼ばれたという。
前場 文夫(ぜんば ふみお、1943年(昭和18年)3月3日… 前場 文夫(ぜんば ふみお、1943年(昭和18年)3月3日 - )は、日本の政治家。前・茨城県結城市長(2期)、元・結城市議会議員(7期)。 出身地は不明(茨城県か栃木県)。栃木県立栃木高等学校卒業。日本大学経済学部中退。1983年(昭和58年)4月に結城市議会議員に就任。以後市議を7期務める。 2000年(平成12年)8月から2003年(平成15年)4月までの間、結城市議会議長を務めた。 2011年(平成23年)8月7日に行われた結城市長選挙に無所属で立候補。自由民主党とみんなの党の推薦を受けた司法書士の小林栄を128票差で破り初当選した(前場:10,817票、小林:10,689票)。投票率は51.21%。
磯辺 建臣(いそべ たておみ、1943年2月16日 - )は… 磯辺 建臣(いそべ たておみ、1943年2月16日 - )は元栃木放送、テレビ東京、テレビ大阪のアナウンサー。 栃木県下都賀郡大平町出身。栃木高校・國學院大學卒。栃木放送入社後、1971年に東京12チャンネル移籍。テレビ東京時代は『国際プロレスアワー』の実況などを担当。 1984年、開局3年目のテレビ大阪へ出向(テレビ大阪開局とともに出向していた杉浦滋男アナと入れ替わり、後に正式にテレビ大阪へ移籍)、『NEWSほっとライン』などのキャスターを務めた。 現在、大阪市内で建設業、不動産業、介護事業を運営する法人の顧問である。一年のほとんどはタイに在住で、現地の人たちの為の就労支援、子供たちの語学教育等のボランテイアで、忙しい日々をおくっている。
澤村 博(さわむら ひろし、1943年 - )は、日本の体育… 澤村 博(さわむら ひろし、1943年 - )は、日本の体育学者、陸上競技選手、陸上競技指導者。元日本大学陸上競技部監督、日本大学名誉教授。栃木県出身、東京都八王子市在住。 日本大学経済学部卒業。日本大学在学中は陸上競技部に在籍し、関東学生陸上競技対校選手権大会(以下、関東インカレ)、日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)等で活躍。大学4年次には陸上部の主将を務め、関東インカレ、日本インカレ、箱根駅伝で総合優勝した。日本大学卒業後は渡米し、オレゴン大学に入学、陸上部に所属した。当時の監督は後にナイキの創業者となるビル・バウアーマンであった。また当時のキャプテンは東京オリンピック100m3位のハリー・ジェロームだった。
谷田貝 光克(やたがい みつよし、1943年 - ) は、日… 谷田貝 光克(やたがい みつよし、1943年 - ) は、日本の化学者。東京大学名誉教授。元秋田県立大学木材高度加工研究所所長。元フレグランスジャーナル社香りの図書館館長。木質炭化学会名誉会長。 栃木県宇都宮市生まれ。1966年東北大学理学部化学科卒業。1971年東北大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。1972年バージニア州立大学化学科博士研究員。1974年メイン州立大学化学科博士研究員。1976年農林水産省林業試験場林産化学部研究員。1985年農林水産省林業試験場炭化研究室長。同年第25回日本木材学会賞受賞。1988年農林水産省森林総合研究所生物機能開発部生物活性物質研究室長。1992年農林水産省森林総合研究所森林化学科長。
須藤 正彦(すどう まさひこ、1942年(昭和17年)12月… 須藤 正彦(すどう まさひこ、1942年(昭和17年)12月27日 - 2016年(平成28年)11月5日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事を経て、東京電力ホールディングス取締役。 栃木県足利市出身。栃木県立足利高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。1970年4月に弁護士登録後、みなと協和法律事務所に所属。法学博士。 東京弁護士会副会長、財団法人法律扶助協会常務理事、最高裁判所司法研修所教官(民事弁護)、日本弁護士連合会綱紀委員会委員長、東京都労働委員会公益委員、国際医療福祉大学客員教授を歴任。そごうグループ民事再生申立代理人、日本長期信用銀行内部調査委員を務める。 2009年(平成21年)12月28日に最高裁判所判事に67歳で就任。
西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月… 西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月26日 - )は、日本の政治家。 栃木県議会議員(5期)、栃木県議会議長(第81代)、衆議院議員(6期)。内閣府副大臣、衆議院農林水産委員長、農林水産大臣(第55・56代)、衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員長(初代)、自民党たばこ議員連盟副会長、自由民主党幹事長特別参与、内閣官房参与を歴任した。 栃木県塩谷郡氏家町(現・さくら市)生まれ。栃木県立宇都宮高等学校、東京農工大学農学部農業生産工学科卒業。東京農工大学大学院修士課程修了。1967年、栃木県庁に入庁。 1979年、栃木県議会議員選挙に出馬し、初当選した。 1993年から1994年まで県議会議長を務めた。
小野田 隆雄(おのだ たかお、1942年7月25日 - )は… 小野田 隆雄(おのだ たかお、1942年7月25日 - )は日本のコピーライター。栃木県足利市出身。旧東京都立大学人文学部卒業。 父を住職に持つ家庭の五人兄弟の末っ子として生まれる。都立大学人文学部卒業後の1966年に資生堂に入社。宣伝文化部に配属される。 1969年に資生堂スペシャル化粧品のコピー「効果的なシャドウは眼をふせても美しい」でTCC新人賞を受賞。その後も1972年には自身の代表作となる資生堂シフォネットのコピーならびに、同社が刊行する月刊誌『花椿』の特集タイトルにも起用された「ほほ ほんのり染めて」を送り出し、一躍注目される。その後も「海岸通りのぶどう色」「レンガ通りの白い肌」「うれしくて、バラ色」など、資生堂から発売される製品や企業コピーを書き続けてゆく。
石田 二宣(いしだ つぐのぶ、1942年4月16日 - )は… 石田 二宣(いしだ つぐのぶ、1942年4月16日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手。 宇都宮学園高校では同期のエース高山勲とバッテリーを組み活躍。1959年秋季関東大会県予選準決勝に進出するが、石橋高に惜敗。翌1960年夏の甲子園予選北関東大会でも準決勝に進むが、桐生工に敗れた。卒業後は高山とともに東黎工業に入社。1962年には産業対抗に出場し、準決勝まで進む。同年の都市対抗にも熊谷組に補強され出場。 1963年に毎日大映オリオンズへ入団。醍醐猛夫らの壁を破れず、出場機会は少なかった。1970年には17試合に出場するが、うち13試合は偵察要員であり、同年限りで引退した。
高山 勲(たかやま いさお、1942年4月8日 - 1978… 高山 勲(たかやま いさお、1942年4月8日 - 1978年3月21日)は、栃木県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、二塁手、外野手。 宇都宮学園高等学校(現・文星芸術大学附属高等学校)在学中は、作新学院の加藤斌(のち中日。現役中に交通事故死)と共に栃木県を代表する投手と言われた。甲子園出場はなかったが、高校卒業後は社会人野球の東黎工業に入社し、1962年の日本産業対抗野球大会に出場した。宇都宮学園,東黎工業時代のチームメイトに石田二宣(のち毎日大映,東京,ロッテオリオンズ)がいる。 1963年に大洋ホエールズに入団。当時の大洋の投手層は厚く、なかなか一軍出場の機会に恵まれなかったが、1964年4月25日の中日戦(中日球場)で一軍デビューを果たした。
工藤 隆(くどう たかし、1942年4月7日 - )は、日本… 工藤 隆(くどう たかし、1942年4月7日 - )は、日本の日本文学研究者・演劇研究者、大東文化大学名誉教授。 栃木県宇都宮市生まれ。東京大学経済学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科演劇専修修士課程修了、同博士課程単位取得退学。はじめ劇作家・演劇評論家、のち上代口承文芸の研究に移り、大東文化大学文学部教授。2013年退任。『歌垣の世界 歌垣文化圏の中の日本』で2015年度志田延義賞受賞。
福田 武隼(ふくだ たけとし、1942年(昭和17年)3月1… 福田 武隼(ふくだ たけとし、1942年(昭和17年)3月11日 - 2016年(平成28年)9月16日)は、日本の政治家。医師。栃木県真岡市長(2期)。 東京府東京市板橋区生まれ。栃木県立真岡高等学校、千葉大学医学部卒。1975年に真岡市に福田胃腸科医院を開院。翌年、真岡胃腸病院と名称を変更。1989年に福田記念病院と改称した。2001年に真岡市長に当選。2005年に再選。2009年に退任した。2013年、旭日双光章を受章。2016年死去。叙従五位。
斎藤 克男(さいとう かつお、1942年1月28日 - )は… 斎藤 克男(さいとう かつお、1942年1月28日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 作新学院高等部時代は1958年の夏の大会で初出場を4強・国体では初出場を優勝に導いた古口典央が引退した栃木県大会から正捕手となった。 1958年秋の栃木県大会でチームは1回戦に宮下陽吾と松本照夫の両投手が控える栃木商業、準決勝ではエース大井道夫率いる宇都宮工業を破り勝ち進んだ。そして決勝の矢板高戦では先制点となるタイムリー二塁打を放って勝利を呼び込み、4番・捕手として作新学院の秋季県大会初優勝の一端を担った。 秋の関東大会でも土田伸三投手とのバッテリーを務めながら4番に座り、作新は優勝の成績を収めた。
松本 育夫(まつもと いくお、1941年11月3日 - )は… 松本 育夫(まつもと いくお、1941年11月3日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー後援会現理事長。現役時代のポジションはFW。1968年メキシコシティーオリンピックのサッカー競技で銅メダルを獲得したサッカー日本代表の一人。 栃木県立宇都宮工業高等学校時代は、清水東の杉山隆一、広大附属高の桑田隆幸とともに"高校三羽烏"と言われ将来を嘱望された。川淵三郎に憧れ早稲田大学第二政治経済学部経済学科に入学 し、ア式蹴球部に入部。1960年に日本代表として初選出された。野村尊敬、桑田隆幸、二村昭雄、森孝慈、釜本邦茂、大野毅らとア式蹴球部の黄金期を創った。1963年には日立(現柏レイソル)を3-0で破り、早稲田26年ぶりの天皇杯制覇に貢献。
チアキ・イシイ(Chiaki Ishii、石井 千秋、194… チアキ・イシイ(Chiaki Ishii、石井 千秋、1941年10月1日- )は、栃木県足利市出身の柔道家。男性。1969年にブラジルに帰化した。得意技は大内刈。彼の2人の娘、タニア・イシイ(ポーランド語版)、バニア・イシイも柔道家である。 生家は天神真楊流柔術の流れを汲む柔道の足利造士館石井道場。五男の末っ子として生まれる。 祖父は慶応2年生まれの天神真楊流柔術の石井清吉柳喜斎源正義こと石井清吉。清吉は大正に入って嘉納治五郎から請われ道場の看板を柔道に変える。それ以来、父親の石井勇吉(1970年現在、柔道七段)は清吉に講道館の寒稽古・暑中稽古に送られみっちり鍛えられる。チアキはこのころ講道館六段が清吉に贈られたと述べている。
大井 道夫(おおい みちお、1941年9月30日 - )は、… 大井 道夫(おおい みちお、1941年9月30日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(投手)、高校野球指導者で、元日本文理高等学校(新潟)野球部監督。 栃木県出身。栃木県立宇都宮工業高等学校、早稲田大学第二商学部卒。 宇都宮工の左腕エースとして活躍。2年生時の1958年夏の甲子園県予選決勝に進むが、作新学院に敗退。翌1959年夏は北関東大会決勝で前橋高に延長15回サヨナラ勝ち、夏の甲子園出場を決める。大会では順調に勝ち進み、準決勝は東北高の嶺岸征男(後に大毎)、波山次郎(後に大洋)との投手戦となるが、延長10回2-1でサヨナラ勝ち。決勝では西条高のエース金子哲夫(後に阪神)と投げ合い、延長15回の末2-8で敗れ準優勝にとどまった。
殿岡 昭郎(とのおか てるお、1941年7月7日 - )は、… 殿岡 昭郎(とのおか てるお、1941年7月7日 - )は、日本の政治学者、政治運動家。 栃木県足利市出身。1966年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、1971年同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。駒澤大学法学部講師(1971-74年)、東京学芸大学助教授(1974-1983年)を務めた[要出典]。 チベット(チベット自治区)、東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴル(内モンゴル)の中国からの独立を主張しており、これらの地域の亡命政府と連携し独立運動を積極的に行っている。同時に中国によるこれら少数民族に対する大量虐殺、迫害などの人権侵害を紹介し、日本も中国を警戒すべしと主張している[要出典]。 維新政党・新風講師、日本戦略フォーラム政策提言委員などを務める[要出典]。
江連 卓(えづれ たかし、1941年6月2日 - 2024年… 江連 卓(えづれ たかし、1941年6月2日 - 2024年1月22日)は、日本の脚本家。別名義に龍達彦、海野朗、遠野海彦、水沢又三郎などがある。栃木県出身。 早稲田大学文学部演劇科卒業。在学中はシナリオ研究会に所属しており、先輩に阿部征司がいた。 当初は映画監督を志望していたが、当時は映画部門の採用があまりなかった。1964年、大学卒業後に東宝に入社するが、演出部での採用ではなかったため3日ほどで退社し、助監督として契約した。並行して東宝の演劇部に所属し舞台の脚本・演出を手がける。 30歳の時に実験劇場を立ち上げ、芸術座で自作の戯曲を上演するが、内容が難解だとする東宝側との対立や俳優とのトラブルなどにより実験劇場は解散。
神田 厚(かんだ あつし、1941年5月11日 - 2008… 神田 厚(かんだ あつし、1941年5月11日 - 2008年2月22日)は、日本の政治家。勲章は正四位旭日重光章。防衛庁長官(第55代)、民社党国会対策委員長、衆議院議員(8期)を歴任した。父は衆議院議員を務めた神田大作。 1941年(昭和16年)栃木県芳賀郡益子町生まれ。栃木県立真岡高等学校、1966年(昭和41年)早稲田大学文学部を卒業した。早大を卒業した後に、駒込学園高等学校教諭、栃木自動車整備専門学校教員、父・神田大作衆議院議員秘書を経て、1976年(昭和51年)12月の第34回衆議院議員総選挙に旧栃木県第2区から民社党公認で出馬し、初当選を果たした。民社党の同期当選に大内啓伍、中野寛成、米沢隆がいる。
渡辺 宏(わたなべ ひろし、Hiroshi Watanabe… 渡辺 宏(わたなべ ひろし、Hiroshi Watanabe、1941年(昭和16年) - )は、日本の実業家。持田製薬監査役。元三菱東京フィナンシャルグループ専務取締役。元旭硝子監査役。
安蘇谷 正彦(あそや まさひこ、1940年11月30日 - … 安蘇谷 正彦(あそや まさひこ、1940年11月30日 - 2025年2月7日)は、日本の神道学者。國學院大學元学長。栃木県佐野市出身。 栃木県佐野市田沼町(生誕時は単独町制)にある一瓶塚稲荷神社の宮司の家系に生まれ、國學院大學文学部神道学科に進学。同大学大学院の修士課程修了後にフルブライト・プログラムにより渡米し、米国でも修士号を取得。帰国後には國學院大學に戻って博士課程に進み、満期退学後はそのまま専任講師から教授へと進んだ。この間、1990年(平成2年)には学位論文『神道の生死観 : 神道思想と「死」』により同大学より文学博士号を授与されている。 2002年(平成14年)、同大学が文学部神道学科を改組し全国初の「神道文化学部」を設置した際には、安蘇谷が初代学部長として選任された。
大島 富五郎(おおしま とみごろう、1940年9月13日 -… 大島 富五郎(おおしま とみごろう、1940年9月13日 - 2026年1月9日)は、栃木県塩谷郡藤原町(現・日光市)出身のプロゴルファー。 今市高校では野球部の主将としてチームをまとめ、8つ先輩には作曲家の船村徹がいる。 卒業後は生まれ故郷にオープンした鬼怒川カントリークラブに就職し、所属プロであった中村寅吉の弟子・藤井正五に習ったため、中村の孫弟子を自認している。 その後は静岡・御殿場の富士小山ゴルフ倶楽部で修業を重ね、1964年12月にプロ入りする。 1966年の日本オープンに直近のブロック大会の優勝者として出場権を得て初出場を果たし、2日目には同郷の先輩小針春芳、石井朝夫と回り、イーグルもあって69で回って首位に立った。
入倉 孝次郎(いりくら こうじろう、1940年8月22日 -… 入倉 孝次郎(いりくら こうじろう、1940年8月22日 - )は、日本の地震学者・地球科学者。京都大学名誉教授。理学博士(京都大学・論文博士・1983年)。山梨県出身の両親が移住後、中華民国青島市にて生まれた。 小さな地震で観測された地震波の記録を用いて大地震の際の揺れを数値計算により再現する経験的グリーン関数法を開発した。将来の大地震の揺れを予測するための「強震動予測レシピ」(入倉レシピ)を考案し、政府や地方自治体などにおけるハザードマップ作成で活用されている。
池田 典義(いけだ のりよし、1940年8月14日 - 20… 池田 典義(いけだ のりよし、1940年8月14日 - 2023年10月24日)は、株式会社アイネットの取締役会長。 栃木県足利市出身。1963年3月、埼玉大学文理学部卒業。同年4月、モービル株式会社入社。1971年4月、ガソリンスタンドの事務合理化支援を目的にフジコンサルトを設立。1991年4月、日本コンピュータ開発と合併し、アイネットに商号変更。1997年9月、アイネットが東京証券取引所二部上場。 2001年4月、ソフトサイエンスと合併し、新生アイネットとなる。2006年3月、アイネットが東京証券取引所一部上場。同年6月、アイネット代表取締役会長に就任。2011年11月、藍綬褒章受章。2015年6月、アイネット取締役会長に就任。
有富 慶二(ありとみ けいじ、1940年7月25日 - )は… 有富 慶二(ありとみ けいじ、1940年7月25日 - )は、日本の実業家。ヤマトホールディングス前会長。栃木県出身。
金子 正明(かねこ まさあき、1940年7月8日 - )は、… 金子 正明(かねこ まさあき、1940年7月8日 - )は、栃木県足利市出身の元レスリング選手、元陸上自衛官1968年メキシコシティーオリンピックレスリング競技男子63kg級金メダリスト。 足利工業大学附属高等学校でレスリングを始める。専修大学卒業後、自衛隊に入隊、陸上自衛官として自衛隊体育学校に在籍。バンタム級で第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)を目指すが、代表選考会の最終予選で上武洋次郎に敗れて出場を逃す。 東京大会の後に階級をフェザー級に上げ、1968年第19回夏季オリンピックメキシコシティ大会に挑むことを決意、その当時には普及されていなかったウェイトトレーニングで体を作る。またその当時の日本レスリングの主流だった八田一朗(日本アマチュアレスリング協会会長)が提唱した攻撃重視スタイルにあえて背を向け、防御と巧みな試合運びで後半に勝負するという自己流カウンター型スタイルを確立、世界選手権を2連覇し、メキシコシティ大会では男子フリースタイルフェザー級において金メダルを獲得した。
牛久 崇司(うしく たかし、1940年6月12日 - 201… 牛久 崇司(うしく たかし、1940年6月12日 - 2010年8月29日)は、日本の実業家。キッコーマン元社長(11代目)兼COO。創業家以外から初めてトップに就任。栃木県栃木市出身。
城山 昇(しろやま のぼる、1940年6月5日 - )は、日… 城山 昇(しろやま のぼる、1940年6月5日 - )は、日本の脚本家。栃木県宇都宮市出身。早稲田大学演劇科卒。日本放送作家協会会員。 テレビアニメ『サザエさん』など、主にアニメの脚本家として活動している。 三人兄弟の長男として、東京都に生まれる。実家は商家で、栃木県宇都宮市で育つ。 少年時代から学芸会の劇で脚本・演出・主演を全て務めるなど活躍。大学生の頃から脚本の仕事に惹かれ、アメリカ製アニメの脚本の翻訳のアルバイトをしていた。 早稲田大学演劇科卒業後、日本テレビジョン株式会社(TCJ)に入社し、テレビアニメの企画書制作に従事。退社後に、フリーの脚本家へ転身した。 2014年、東京アニメアワード2014にて功労賞を受賞。
森戸 祐幸(もりと ゆうこう、1940年5月29日 - 20… 森戸 祐幸(もりと ゆうこう、1940年5月29日 - 2020年11月20日)は、日本の実業家。モリテックスの創業者。学位は、博士(工学)(東京理科大学・論文博士・2003年)。東京理科大学名誉博士。 1940年、栃木県塩谷郡泉村(現・矢板市)の造り酒屋に生まれる。泉中学校2年の頃に父が他界。栃木県立矢板高等学校を経て東京理科大学理学部応用物理学科に入学。医師を志し、東北大学医学部を受験したが1年浪人しても合格することはなく理科大は滑り止めだったという。卒業後は、1964年に丸紅飯田(現・丸紅)に入社。1968年からは海外出張を経験し、当時の日本では知られていなかった光ファイバーの普及に努めた。