柿沼 康二(かきぬま こうじ、1970年7月16日 - )は… 柿沼 康二(かきぬま こうじ、1970年7月16日 - )は、日本の書家。栃木県矢板市出身。 5歳より筆を持ち、父・柿沼翠流をはじめ、手島右卿、上松一條に師事。栃木県立矢板東高等学校、東京学芸大学教育学部芸術科(書道)卒業。2006年 - 2007年、プリンストン大学特別研究員(客員書家)を務めた。 受賞歴としては、第4回手島右卿賞、第6回国井誠海賞、独立書展特選、独立書人団50周年記念賞、毎日書道展 毎日賞(2回)などがある。 NHK「トップランナー」、毎日放送「情熱大陸」、テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」、NHK「課外授業 ようこそ先輩」などに出演。また、2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」や、2008年の映画「アキレスと亀」(北野武監督)で題字等を揮毫した。
鈴木 昌道(すずき まさみち(しょうどう)、1935年 - … 鈴木 昌道(すずき まさみち(しょうどう)、1935年 - 2016年)は、日本の造園家、書家、ランドスケープアーキテクト、墨象家。栃木県生まれ。 1960年、千葉大学園芸学部を卒業後、東京工業大学工学部建築学科清家清研究室を経て1961年に東京オリンピック大会組織委員会に入会。1964年、芦原義信の建築設計事務所に入所し、芦原作品の外部空間設計をサポート。その後独立。1974年鈴木昌道研究所設立。以降、栃木県まちづくりアドバイザーも歴任。 1970年、日本工業大学建築学科 非常勤講師(~1985年)1982年、千葉大学造園学科 非常勤講師(~1989年)1993年、東京芸術大学美術学部非常勤講師。
丸山 暁鶴(まるやま ぎょうかく、1934年2月13日 - … 丸山 暁鶴(まるやま ぎょうかく、1934年2月13日 - 2014年8月6日)は、昭和・平成期の日本の書家・篆刻家。
相田 みつを(あいだ みつを、雅号:貪不安(ドンフアン)、1… 相田 みつを(あいだ みつを、雅号:貪不安(ドンフアン)、1924年〈大正13年〉5月20日 - 1991年〈平成3年〉12月17日)は、日本の詩人、書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人、いのちの詩人とも称される。栃木県足利市出身。本名は相田 光男(あいだ みつお)。 1924年、栃木県足利市に6兄弟の三男として生まれた。生家は名刹、鑁阿寺(ばんなじ)の東に位置していた。旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しんだが、喫煙の濡れ衣をきせられ軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念。卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。1942年、歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学んだ。
木村 卜堂(きむら ぼくどう、1905年12月19日 - 1… 木村 卜堂(きむら ぼくどう、1905年12月19日 - 1975年8月9日)は、日本の書家。本名は信太郎、卜堂は号。木村東道は長男。栃木県足利市出身。 自ら日本書作家協会(1973年社団法人化)を興し、戦後書壇の隆盛の一翼を担いつつ、文人書家として多彩な創作活動を展開した。 戦前の旧東方書道会展で頭角を顕わし、戦後は新日本書道展、日本書作院、東方書道展などに創立から参画し、審査員を歴任、毎日書道展では初代グランプリ(準大賞)を受賞した。 1959年には同志を糾合、純正書道を標榜して日本書作家協会、新興書道展を創設し、書道の啓蒙と普及、後進作家の育成に尽力、会派を超えた指導力を発揮し、書芸術及び書壇の発展に寄与した。
半田 神来(はんだ しんらい、1882年〈明治15年〉10月… 半田 神来(はんだ しんらい、1882年〈明治15年〉10月15日 - 1956年〈昭和31年〉)は日本の書家。本名は半田時之進。 半田丑松とチイの長男として[独自研究?]、栃木県河内郡野澤村(現・宇都宮市野沢)に生まれる。旧制宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)を卒業。 旧制宇都宮商業、佐野中学校、花巻高等女学校に在職。1926年(大正15年)群馬師範学校に転任し1932年(昭和7年)まで勤務。退職後は桐生に在住し、晩年に郷里宇都宮に戻った。叙従七位。 書は岩田鶴皐、近藤雪竹、比田井天来に学ぶ。天来の書学院教授も務めた。天来の死去の際は、葬儀委員長を仰せつかっている。月刊誌『大成』を刊行して後進を指導した。
豊道 春海(ぶんどう しゅんかい、1878年〈明治11年〉9… 豊道 春海(ぶんどう しゅんかい、1878年〈明治11年〉9月1日 - 1970年〈昭和45年〉9月26日)は、大正から昭和に活躍した天台宗の僧、書家。幼名は川上 寅吉(かわかみ とらきち)、得度後の僧名は慶中(けいちゅう)。別号に龍渓(りゅうこく)、谷門道人(こくもんどうじん)、天門海翁(てんもんかいおう)がある。栃木県佐久山町(現:大田原市)の出身。子に天台僧で書道家の印南溪龍、孫に天台僧で書道家の印南溪峻がいる。 6歳で僧籍に入り、13歳のときに叔父・篠原守慶から得度を受け、慶中と称した。1891年(明治24年)より書を西川春洞に学んで、六朝風の楷書に独自の書風を作り出した。1900年(明治33年)から東京浅草の天台宗華徳院の住職を務め、戦後に行元寺へ移った。
飯塚 雲擧(いいづか うんきょ、1865年3月31日 - 没… 飯塚 雲擧(いいづか うんきょ、1865年3月31日 - 没年不明)は、日本の書家。通称は勘藏。字は偆子。雲擧は号。別号は夕立庵晋湖。明治時代に東京で活躍した。 元治元年4月4日(1865年3月31日)、飯塚長次郎の長男として、下野国都賀郡のうち現在の栃木県栃木市三鴨地区にあたる地域に生まれる。小学校卒業後、漢学を修め、小学校で教鞭もとる。その後上京して教導団に入り、卒業後近衛軍曹となる。明治22年(1889年)除隊となると漢学の私塾を東京に開き、そのかたわら書法を尾形雲海に、詩文を石川文莊に学び、大師流の書法を究めた。 また俳諧を好み、老鼠堂永機に就いて研究し、奥義を極めた。夕立庵晋湖と号して撰者の資格も得て、有聲吟社を創設して書道、俳諧の教授に従事した。