平野 匠啓(ひらの しょうけい、2006年8月19日 - )… 平野 匠啓(ひらの しょうけい、2006年8月19日 - )は、静岡県出身の、日本の柔道選手。階級は100kg級。身長187cm。血液型B型。組み手は左組み。得意技は内股。 柔道は4歳の時に始めた。元世界チャンピオンの小川直也が運営する小川道場に所属していた小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会45kg超級の3回戦で敗れた。茅ヶ崎第一中学3年の時に全国中学校柔道大会の90kg超級で優勝した。埼玉栄高校へ進むと、1年の時に金鷲旗で優勝した。2年の時にはインターハイ100㎏級で優勝すると、全国高校選手権の団体戦でも優勝した。3年の時には金鷲旗で優勝すると、インターハイでも個人戦で2連覇、さらに団体戦でも優勝して、高校団体3冠(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した。
新井 道大(あらい どうた、2005年1月29日 - )は、… 新井 道大(あらい どうた、2005年1月29日 - )は、日本の柔道家。埼玉県富士見市出身。階級は100kg級。身長187cm。段位は三段。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は大内刈 柔道は7歳の時に祖父が開設した栄武館新井道場で始めた。埼玉栄中学3年の時に全国中学校柔道大会90kg級で5位にとどまったが、団体戦では優勝した。マルちゃん杯でも優勝した。 埼玉栄高校2年の時にはインターハイ100kg級で優勝すると、全日本ジュニアでも2位になった。3年の時には金鷲旗で優勝すると、インターハイでも2連覇を達成した。世界カデの90kg超級では3位に終わった。全日本ジュニアでは決勝で天理大学1年の平見陸を破って優勝した。
川田 歩実(かわだ あゆみ、2003年2月25日 - )は、… 川田 歩実(かわだ あゆみ、2003年2月25日 - )は、埼玉県草加市出身の、日本の柔道選手。階級は52kg級。身長159cm。バスト97cm。血液型はA型。組み手は右組み。握力は左右40kg。得意技は背負投。 父親が柔道整復師だったこともあって、柔道は4歳の時に兄2人と姉に続いて草加市柔道会で始めた。修徳中学3年の時に監督の松本まゆみに「もっと冷酷になれ」とアドバイスされたことがきっかけで、遠慮がちでマイナス思考だった性格も変化し始めた。修徳高校に入学すると、小学生の時から鍛え上げてきた「誰にも真似できない」と評される大の得意技である背負投を武器に結果を残すようになった。1年の時には全国高校選手権52kg級準決勝で富士学苑高校2年の藤城心に後袈裟固で敗れるも3位となった。
富沢 佳奈(とみざわ かな、1999年7月6日 - )は、埼… 富沢 佳奈(とみざわ かな、1999年7月6日 - )は、埼玉県さいたま市出身の日本人の女子柔道選手である。階級は57kg級。身長161cm。血液型はO型。段位は参段。組み手は右組み。得意技は内股。 柔道は5歳の時に弘道館新井道場で始めた。小学校5年生の時には全国小学生学年別柔道大会40kg級で5位になった。6年生の時には45kg級に出場して3位だった。田島中学2年の時には全国中学校柔道大会52kg級で決勝まで進むが、大成中学3年の武田亮子に技ありで敗れた。3年の時には全国中学校柔道大会の準決勝でバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦の娘である東橘中学2年の古賀ひよりを有効で破ると、決勝ではユースオリンピック66kg級金メダリストである阿部一二三の妹で夙川学院中学2年の阿部詩を合技で破って優勝した。
嶺井 美穂(みねい みほ、1997年9月16日 - )は、日… 嶺井 美穂(みねい みほ、1997年9月16日 - )は、日本の女子柔道選手。埼玉県三郷市出身。階級は70kg級。身長163cm。血液型はAB型。段位は弐段。組み手は右組み。得意技は大外刈。現在は綜合警備保障に在籍している。2023年には島田姓となった。憧れの選手は57kg級の宇高菜絵とフィギュアスケートの浅田真央。 父親はインターハイの砲丸投で3位、母親は国体のやり投で2位になるなどスポーツ一家の下に生まれた。柔道は5歳の時に祖父に柔道向きの骨格をしていると勧められたことがきっかけで、三郷少年柔道クラブで始めた。その一方で、柔道以外に水泳や陸上競技、バレーボールなどにも取り組んでいた。小学校5年生の時には全国小学生学年別柔道大会40kg超級に出場したが、決勝トーナメント1回戦で敗れた。
冨田 若春(とみた わかば、1997年4月9日 - )は、日… 冨田 若春(とみた わかば、1997年4月9日 - )は、日本の女子柔道選手。東京都出身。階級は78kg超級。身長166cm。体重103kg。血液型はA型。組み手は右組み。段位は5段。得意技は払腰。現在はコマツ女子柔道部に所属。 柔道は6歳の時に大阪で開催された世界選手権の48kg級で6連覇を果たした田村亮子の活躍に影響を受けて、松前柔道塾で始めた。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会40kg超級で優勝を飾った。6年の時には45kg超級で優勝して今大会2連覇を達成した。 中学になると神奈川県にある相武館吉田道場に入門して寮生活を送ることになった。相原中学1年の時にはマルちゃん杯で3位になった。
新井 千鶴(あらい ちづる、1993年〈平成5年〉11月1日… 新井 千鶴(あらい ちづる、1993年〈平成5年〉11月1日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身の日本の女子柔道家。階級は70kg級。身長172cm。握力は右40kg、左40kg。血液型はO型。段位は五段。組み手は左組み。得意技は内股、出足払。2021年開催の東京オリンピック 柔道 女子70kg級 金メダリスト。2012年から三井住友海上に所属している。 幼稚園の時は、サッカーに取り組んでいた。その一方で3歳年上の兄が周囲から柔道を勧められると、自分もやってみたいと言い出したことで近所にある男衾柔道クラブへ入門したが、年上の女子部員たちに囲まれたことを怖がってしまい、僅か一日で辞めてしまった。それでもクラブの指導者に再考を促されていたこともあって、小学校1年の時には勇気を出して再入門した。
小林 悠輔(こばやし ゆうすけ、1993年8月12日 - )… 小林 悠輔(こばやし ゆうすけ、1993年8月12日 - )は、埼玉県上尾市出身の日本の柔道選手である。階級は90 kg級。身長175 cm。血液型はB型。組み手は左組み。段位は参段。得意技は大内刈。現在は渡邉電設に所属。兄は100kg級の小林大輔。 柔道は6歳の時に上尾警察署ひまわり柔道教室で始めた。埼玉栄中学3年の時に全国中学校柔道大会の90kg級に出場するも3回戦で敗れた。埼玉栄高校1年の時には高校選手権の90kg級で3位になった。2年の時には金鷲旗で3位だった。3年の時にはインターハイの個人戦と団体戦でともに3位となった。 2012年には筑波大学へ進学した。同期には後に81kg級で世界チャンピオンになる永瀬貴規がいた。
烏帽子 美久(えぼし みく、1992年2月18日 - )は鹿… 烏帽子 美久(えぼし みく、1992年2月18日 - )は鹿児島県の種子島西之表市出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。身長は167cm。体重95kg。血液型はB型。組み手は左組み。得意技は内股。現在はJR東日本の所属。 柔道は6歳の時に黒潮柔友会で始めた。榕城中学2年の時に全国中学校柔道大会の70kg級で3位になった。3年の時には70kg超級に出場するが、決勝で中間南中学3年の佐藤瑠香に敗れて2位だった。 埼玉栄高校へ進むと、1年の時には金鷲旗で2位になると、インターハイ団体戦では決勝で小杉高校との代表戦となるが、田知本遥に大内刈で敗れた。2年の時には金鷲旗で同級生の前田奈恵子や馬場菜津美らとともに活躍して優勝した。
前田 奈恵子(まえだ なえこ、1991年7月12日 -)は青… 前田 奈恵子(まえだ なえこ、1991年7月12日 -)は青森県出身の日本の柔道家。70kg級の選手。身長は165cm。組み手は左組み。得意技は内股。 柔道は11歳の時に五所川原柔道少年団で始めた。五所川原第一中学3年の時に全国中学校柔道大会の70kg級で3位になった。埼玉栄高校へ進むと、2年の時には金鷲旗で同級生の烏帽子美久や馬場菜津美らとともに活躍して優勝した。インターハイの団体戦では決勝で阿蘇高校に敗れて2位だった。高校選手権の団体戦には出場しなかったが、チームは優勝を飾った。3年の時には金鷲旗の決勝で佐藤瑠香率いる八幡工業高校を破って2連覇を達成した。インターハイ個人戦では5位にとどまったが、団体戦では烏帽子や菅原歩巴とともに決勝で淑徳高校を破って優勝して、高校女子柔道史上初となる団体3冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した。
馬場 菜津美(ばば なつみ、1991年7月1日 -)は、埼玉… 馬場 菜津美(ばば なつみ、1991年7月1日 -)は、埼玉県出身の日本の柔道家及びレスリング選手。柔道では70kg級、レスリングでは75kg級の選手。身長は177cm。組み手は左組み。得意技は大内刈。 柔道は5歳の時に熊谷柔道愛好会で始めた。深谷南中学から埼玉栄高校へ進むと、2年の時には金鷲旗で同級生の烏帽子美久や前田奈恵子らとともに活躍して優勝した。インターハイの団体戦では決勝で阿蘇高校に敗れて2位だった。高校選手権の団体戦では烏帽子らとともに活躍して優勝を飾った。3年の時には金鷲旗の決勝で佐藤瑠香率いる八幡工業高校を破って2連覇を達成した。インターハイ個人戦の63kg級で優勝を飾った。団体戦では決勝のメンバーからは外れたが、チームは決勝で淑徳高校を破って優勝して、高校女子柔道史上初となる団体3冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した。
十田 美里(とだ みり、1991年3月28日 - )は、大阪… 十田 美里(とだ みり、1991年3月28日 - )は、大阪府出身の柔道選手。階級は48kg級。身長157cm。血液型はO型。組み手は左組み。段位は弐段。得意技は大外刈。現在は自衛隊体育学校に所属している。 6歳の時に柔道を始めた。高石中学から埼玉栄高校へ進むと、3年の時にインターハイ48kg級で5位となった。近畿大学に進学後、1年の時に全日本ジュニアで2位となった。2年の時も2位だったが世界ジュニア代表に選ばれて、その決勝では全日本ジュニアの決勝で敗れた藤村女子高校1年の玉置桃を判定(3-0)で破って優勝した。3年の時には講道館杯で3位となった。4年の時には講道館杯の準決勝で藤枝順心高校の岡本理帆を技ありで破るが、決勝では世界チャンピオンであるコマツの浅見八瑠奈に0-3の判定で敗れて2位となった。
岩尾 敬太(いわお けいた、1990年8月18日 - )は、… 岩尾 敬太(いわお けいた、1990年8月18日 - )は、埼玉県出身の日本の柔道選手。階級は100 kg超級。身長182 cm。体重125 kg。組み手は左組み。得意技は払腰。京葉ガスに所属していたが、現在は山口県萩市にある至誠館大学の講師及び、柔道部のコーチをしている。 柔道は10歳の時に関道場で始めた。 修徳中学から修徳高校へ進むと、1年の全国高校選手権団体戦では3位となった。2年のインターハイ団体戦では2位、全国高校選手権では3位だった。3年の時には金鷲旗で3位になると、インターハイの個人戦100kg級で決勝まで進むが、東海大相模高校の高木海帆に有効で敗れた。 国士舘大学に進むと100kg超級に階級を上げて、1年の時から団体戦のレギュラーになった。
小林 大輔(こばやし だいすけ、1988年3月17日 - )… 小林 大輔(こばやし だいすけ、1988年3月17日 - )は、埼玉県上尾市出身の日本の柔道選手。階級は100 kg級。身長176 cm。得意技は内股。現在は体育教諭。弟は90 kg級で活躍する小林悠輔。 柔道は10歳の時に上尾市柔道教室で始めた。 栄東中学校3年の時には全国中学校柔道大会90kg超級で優勝を飾った。 埼玉栄高校に進学すると、3年の時にはインターハイ100kg級で優勝を果たした。 日本大学に進学後、2年の時には嘉納杯を19歳にして制した。翌年の嘉納杯では決勝で天理大学職員の穴井隆将に合技で敗れて2位に終わった。2009年のユニバーシアードでは2位となった。続く講道館杯では初優勝を飾った。
白石 のどか(しらいし のどか、1988年2月18日 - )… 白石 のどか(しらいし のどか、1988年2月18日 - )は、愛媛県の松山市出身の、日本の女子柔道選手である。階級は78kg超級。身長170cm。体重110kg。血液型はA型。組み手は左組み。段位は参段。得意技は大腰。現在はJR東日本に所属。 柔道は松山市立西中学校1年の時に始めた。3年の時に全国中学校柔道大会70kg超級で2位となった。埼玉栄高校1年の時に高校選手権78kg超級で2位になると、2年の時には優勝を果たした。また、ジュニアながらシニアのブルガリア国際に出場して優勝を飾った。3年の時には埼玉栄高校の金鷲旗初優勝に貢献すると、インターハイでも個人戦と団体戦で2冠を達成した。さらには全日本ジュニアでも優勝した。
秋元 希星(あきもと きせい、1986年7月5日 - )は、… 秋元 希星(あきもと きせい、1986年7月5日 - )は、日本の柔道家。埼玉県出身。階級は60kg級。身長169cm。段位は四段。組み手は右組み。得意技は大内刈。 柔道は5歳の時に自宅で運営していた秋元道場で始めた。川口西中学から埼玉栄高校へ進むと、3年の時にインターハイ60kg級で優勝を飾った。アジアジュニアでは3位にとどまった。筑波大学へ進学すると、3年の時には学生体重別で優勝した。4年の時には学生体重別で連覇すると、講道館杯でも優勝を飾った。さらには、嘉納杯でも優勝を成し遂げた。2009年には了徳寺学園の職員となるとともに、筑波大学の大学院へ進んだ。選抜体重別とグランドスラム・リオデジャネイロでは3位になった。
長瀬 めぐみ(ながせ めぐみ、1982年10月8日 - )は… 長瀬 めぐみ(ながせ めぐみ、1982年10月8日 - )は岐阜県可児市出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長171cm。組み手は右組み。得意技は内股、大外刈。 柔道は11歳の時に始めた。蘇南中学時代は柔道部がなかったので陸上競技部に所属し、砲丸投では県の新記録を樹立した。一方、柔道では全国中学校柔道大会の56kg超級に出場するものの、決勝トーナメント一回戦で一本負けしたが、埼玉栄高校監督の本松好正にスカウトされて埼玉栄高校へ進むことになった。1年の時には金鷲旗とインターハイの3位に貢献した。全国高校選手権78kg級では3位となった。2年の時には金鷲旗で決勝まで進むが、土浦日大高校3年の塚田真希に崩袈裟固で敗れて2位にとどまった。
高松 正裕(たかまつ まさひろ、1982年2月27日 - )… 高松 正裕(たかまつ まさひろ、1982年2月27日 - )は、埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)出身の日本の元柔道家。身長170cm。階級は73kg級。得意技は左右どちらからでも繰り出せる背負投。現在は桐蔭学園高校の教員で柔道部監督を務める。 8歳の時に柔道を始め、上福岡第三中学3年の時には全国中学校柔道大会の65kg級を制した。 桐蔭学園高校に進むと、2年と3年の時にはインターハイを連覇した。さらに3年の時には講道館杯では勢いそのままに優勝を飾り、前年の鈴木桂治に次いで史上2人目の高校生チャンピオンになった。さらに世界ジュニアでも優勝して、若手のホープとして非常に期待される存在となった。 しかしながら、シニアではフランス国際で2連覇してアテネオリンピック代表に選ばれるも初戦で敗れた。
早川 憲幸(はやかわ のりゆき、1981年3月20日 - )… 早川 憲幸(はやかわ のりゆき、1981年3月20日 - )は、埼玉県出身の、日本の柔道家である。現役時代の階級は73kg級。身長175cm。コロンビアの柔道ナショナルチームの監督を務めていた。 実家が「武徳館 早川道場」を営んでいたこともあって、柔道は5歳の時に始めた。埼玉栄高校3年の時には金鷲旗とインターハイ81kg級で3位となった。明治大学政治経済学部進学後は階級を73kg級に下げて、学生体重別では3年から2年連続で3位にもなった。卒業すると「はっとり接骨院」や川口市体育協会所属となるものの、際立った活躍は見られなかった。 一方で、大学の先輩である吉田秀彦の愛弟子として吉田道場にも所属しながら、2003年にはオーストラリアのゴールドコーストで開催された総合格闘技の大会であるXFC 3 (Xtreme Fighting Championships 3)に出場して、地元オーストラリアの選手に三角絞で勝利を収めた。
栗原 美幸(くりはら みゆき、1979年7月4日 - )は埼… 栗原 美幸(くりはら みゆき、1979年7月4日 - )は埼玉県出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長は160cm。得意技は払腰。 柔道は10歳の時に始めた。埼玉栄高校2年の時にインターハイの団体戦準決勝で湊川女子高校と対戦すると、古賀幸恵に大外刈で敗れて3位にとどまった。高校選手権の72kg級では3位になった。 1998年にはコマツの所属となると、全日本ジュニアの78kg級で3位になった。2000年の全日本選手権では予想外の活躍で準決勝まで進むも、埼玉大学3年の古賀幸恵に内股で敗れたが3位入賞を果たした。実業個人選手権では決勝で住友海上の吉田亜沙美に敗れた。アメリカ国際の78kg級では2位だったが、無差別では優勝を飾った。
野瀬 英豪(のせ えいごう、1978年7月7日 -)は埼玉県… 野瀬 英豪(のせ えいごう、1978年7月7日 -)は埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の日本の柔道家。現役時代は81kg級の選手。身長は177cm。得意技は内股、腕挫十字固。 父親はロサンゼルスオリンピック86kg級銅メダリストである野瀬清喜。大久保中学から桐蔭学園高校へ進んだ。 2年の時にハワイでの合宿に参加した際に、ロサンゼルスオリンピック78kg級銀メダリストであるイギリスのニール・アダムスに十字固を伝授された。それまでは寝技を一切やってこなかったが、十字固を身に付けたことで技の幅が広がったという。 3年の時には井上康生率いる東海大相模高校を神奈川県予選で破ると、インターハイでも決勝で国士舘高校を破って優勝を果たした。
大塚 雅子(おおつか まさこ、1977年1月28日 -)は埼… 大塚 雅子(おおつか まさこ、1977年1月28日 -)は埼玉県出身の日本の柔道家。56kg級及び57kg級の選手。現役時代の身長は158cm。 柔道は6歳の時に2歳年上の麻子に続いて始めた。常盤中学3年の時に全国中学校柔道大会の56kg級で3位になった。埼玉栄高校へ進むと、1年の時には金鷲旗の準決勝で柳川高校の阿武教子に袈裟固で敗れて3位だった。高校選手権の決勝では湊川女子高校2年の植田庸子を破って優勝を果たして、61kg級の赤岡志保、66kg級の清原織恵とともに埼玉栄勢が3階級を制することとなった。2年の時には体重別と強化選手選考会で3位なった。高校選手権では決勝で土浦日大高校2年の西部幸代を破って2連覇を達成した。
関口 幸三(せきぐち こうぞう、1976年2月9日 - )は… 関口 幸三(せきぐち こうぞう、1976年2月9日 - )は、埼玉県出身の、日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長167cm。得意技は背負投。 安行東中学から八潮高校へ進むと、2年の時にはインターハイ軽量級の決勝トーナメント1回戦、3年の時には予選リーグでそれぞれ敗れた。日体大へ進学すると、2年の時には正力杯の60kg級で3位になった。正力国際では決勝で国士舘大学1年の堤時貞に敗れて2位だった。3年の時には正力杯の決勝で東海大学4年の徳野和彦に敗れて2位だった。世界学生では決勝でフランスのヤシヌ・ドゥマを豪快な袖釣込腰で破って優勝を飾った。4年の時にはアジア柔道選手権で優勝を飾った。正力杯でも決勝で大学の2年後輩である石井一行を破って優勝した。
長井 淳子(ながい あつこ、1974年1月14日 - )は、… 長井 淳子(ながい あつこ、1974年1月14日 - )は、日本の柔道家。埼玉県上尾市出身。身長155cm。階級は48kg級、得意技は大外刈、内股。婚姻後の氏名は中村 淳子。なお、66kg級と70kg級で活躍していた佐野奈津子とはいとこにあたる。 柔道は早稲田大学時代に全日本学生柔道優勝大会などで活躍していた父親が指導員を務めていた上尾市柔道教室で、2歳上の姉の亮子に次いで始めた。小学校2年の時だった。上尾市立東中学校時代は軟式テニスに夢中になった。高校では柔道とテニスどちらを選択するか迷ったものの、姉が全国大会で活躍していた事などにも触発されて柔道を選んだ。柔道の強豪校として知られる埼玉栄高校から熱心に勧誘されたものの、上尾高校に進学することを決めた。
浅子 覚(あさこ さとる、1971年3月2日 - )は、日本… 浅子 覚(あさこ さとる、1971年3月2日 - )は、日本の元男性プロレスラー、柔道整復師。 引退後は2017年まで、プロレスリング・ノア専属メディカルトレーナーとして活動した。 愛称は「リーダー」。 埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身。大宮市立春里中学校、埼玉県立浦和東高等学校出身で、新日本プロレス学校に入校した。 元々から全日本プロレスに憧れていたが、事情あって新日本プロレス学校に入学。浅子と一緒に練習していた西村修の話によると、浅子は非国民的な扱いを受けながらも黙々と練習に励んでいたそうである。1990年に全日本プロレスへ入門。背も低く、体も小さかったので、ジャイアント馬場は当初入団に難色を示していたが、丁度SWSへの選手の大量離脱があり、レスラー不足から入門を認められたと言われている。
鈴木若葉(すずき わかば、1970年6月13日 - )は、埼… 鈴木若葉(すずき わかば、1970年6月13日 - )は、埼玉県富士見市出身の日本の柔道家。 小学校2年の時に柔道を始める。中学の時から全日本体重別の48キロ級では上位に位置するも、一つ下のライバルである江崎史子に勝てず代表にはなれず。川越女子高等学校から埼玉大学に進学するが、オーバートレーニングの影響などもあって、52キロ級に階級を変更する。その後、埼玉大の大学院に入学した1993年に、バルセロナオリンピック銀メダリストで大学の1つ後輩である溝口紀子に見事な一本勝ちをして同年の世界選手権代表に選ばれる。世界選手権では前年のオリンピック覇者のアルムデナ・ムニョスに敗れるが、1987年世界選手権の覇者で試合巧者のシャロン・レンドルに競り勝ち3位となる。
山田 紀美子(やまだ きみこ、1970年4月6日 - )は、… 山田 紀美子(やまだ きみこ、1970年4月6日 - )は、埼玉県出身の、日本の柔道選手である。階級は61kg級。身長166cm。 児玉高校2年の時に全国高校選手権61kg級の2回戦で敗れた。日体大へ進学すると、1年の時に正力杯で3位となった。強化選手選考会では決勝で常磐高校3年の北爪弘子に敗れて2位だった。2年の時には体重別決勝で世界選手権3位である筑波大学4年の小林貴子に敗れて2位だったが、正力杯決勝では大学の同級生である小竹尚子を破って優勝した。グッドウィルゲームズで3位になると、福岡国際では決勝まで進むも、中国の金香蘭に効果で敗れて2位だった。3年の体重別では3位、正力杯では決勝で埼玉大学2年の北爪に敗れて2位だった。
賀持 道明(かもち みちあき、1970年1月16日‐)は、埼… 賀持 道明(かもち みちあき、1970年1月16日‐)は、埼玉県出身の柔道選手。現役時代は95kg級の選手。身長184cm。得意技は背負投。 小学生の時は相撲をやっていて全国大会に出場したこともある。柔道は中学の時に始めるが、大宮工高時代まではこれと言った実績を残せなかったが、日本大学進学後に頭角を現してきて、嘉納杯で2位になったり、世界学生や正力国際で優勝するなど実績を上げ、大学4年の時には世界選手権代表に選ばれるが5位に終わる。翌年は体重別で敗れてバルセロナオリンピックには出場できず。その後も上位で活躍するが再び代表に選出されることはなかった。 1997年にはロシア国際において日本選手として公式試合で初めてカラー柔道着を着用した(その試合は勝利するが結果は5位に終わる)。
岡泉 淳(おかいずみ じゅん、1966年8月21日 - )は… 岡泉 淳(おかいずみ じゅん、1966年8月21日 - )は埼玉県出身神川町在住の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長180cm。体重118kg。 柔道は小学校1年の時に後に1995年の世界選手権95kg級で3位となる弟の岡泉茂とともに始めた。児玉高校3年の時にインターハイの重量級で決勝まで進むが、東海大相模高校3年の多田隈和博に敗れて僅差判定で2位だった。1985年には筑波大学に進むと、2年の時には新人体重別の決勝で日本大学2年の金野潤に抑え込みで一本勝ちをして優勝する。。1989年には新日鉄広畑の所属となると、講道館杯では旭化成延岡の樋川純を破って優勝を飾った。1991年には講道館杯で2年ぶり2度目の優勝を果たした。
樗沢 憲昭(ぶなさわ のりあき、1947年11月3日 - )… 樗沢 憲昭(ぶなさわ のりあき、1947年11月3日 - )は、アメリカ在住の日本の柔道家 。9段を取得。海外ではノリ・ブナサワ(Nori Bunasawa)としても知られる。1972年ミュンヘンオリンピックの米国のテクニカルコーチ。1975年世界柔道選手権大会における米国チームのコーチ。柔道、柔術リサーチャー、武道の歴史研究家や作家、スポーツジャーナリスト、俳優、ファイトコリオグラファー、脚本コンサルタントとしても活動している。1996年アトランタオリンピックでは IJF (国際柔道連盟)の主席報道官(プレスチーフ)を務める。 1979年アメリカでJudo Journal社を立ち上げる。同年から2008年まで英語版武道専門紙『Judo Jiujitsu Profighting Journal』を発刊する。
曽根 康治(そね こうじ、1928年11月14日 - 198… 曽根 康治(そね こうじ、1928年11月14日 - 1981年4月27日)は、日本の柔道家(講道館8段)。 1958年の世界選手権で優勝。得意技は内股や大外刈など。 埼玉県大里郡寄居町出身。父親が柔道6段、叔父がのち柔道9段の曽根幸蔵、兄も有段者という柔道一家に生まれる。7歳の時に地元・寄居町にて、長谷吉重郎(講道館8段)が館主を務める明道館に入門。 県立熊谷商業高校を卒業後は明治大学に進学し、入学直後には当時まだ少なかった3段に昇段した。しかし1・2年生の頃の柔道部はGHQの圧力で武道は禁止されていたため稽古を大っぴらにはできず、“第2レスリング部”と称する柔道同好者の集いに過ぎなかった。当時は寮も無く寄居から駿河台の校舎まで電車に2時間半揺られて通学していたが、3年生になりようやく“柔道部”が創設されて葛飾区の堀切に白雲寮ができるとそちらに移り住んだ。
斉藤 武史(さいとう たけし)は、日本の柔道選手である。階級… 斉藤 武史(さいとう たけし)は、日本の柔道選手である。階級は65kg級。身長178cm。 大宮工業高校2年の時にインターハイ軽量級で2位になった。日体大2年の時には新人体重別65kg級で3位になった。また、正力杯で優勝すると、正力国際では初戦で世界チャンピオンであるドイツのウド・クエルマルツを判定で破るなどして決勝まで進むと、韓国の金相文も判定で破って優勝した。この際に、この階級では際立った長身から内股、払腰、大外刈などを展開するスケールの大きい柔道と評された。 (出典、JudoInside.com)。