石田 晃章(いしだ てるあき、1983年4月28日 - )は… 石田 晃章(いしだ てるあき、1983年4月28日 - )は、東京都出身のプロバスケットボール選手。ポジションはパワーフォワード。196cm、94kg。 世田谷学園1年次にウィンターカップ3位となる。 中央大学では、関東大学リーグ5位、インカレ5位の成績を残す。 卒業後の2006年、bjリーグに新規参入となった高松ファイブアローズよりドラフト1巡目指名を受け入団。 2008年6月に高松を退団する。2012年、東京海上日動ビッグブルーに加入。 2014年、横浜エクセレンスに入団
武井 修志(たけい しゅうじ、1982年12月8日 - )は… 武井 修志(たけい しゅうじ、1982年12月8日 - )は、東京都江東区出身のプロバスケットボール選手。ポジションはポイントガード・シューティングガード。身長は178cm、体重は75kg、血液型はO型。 小3でバスケを始め、深川クラブ(江東区立第三砂町中学校)、國學院高校、早稲田大学でバスケ部に所属する。 大学卒業後は東京都のアマチュアクラブチーム「エクセレンス」(東京エクセレンスの前身クラブ)に入団。また同年からサマープロリーグ(英語版)に参戦している。 2006年、bjリーグ・富山グラウジーズにドラフト外入団。 2007年にNBAを目指すため渡米し、IBLのサンタバーバラ・ブレイカーズ(英語版)でプレー。
水野 宏太(みずの こうた、1982年8月2日 - )は、日… 水野 宏太(みずの こうた、1982年8月2日 - )は、日本のプロバスケットボール指導者である。現在は男子B.LEAGUEに所属するレバンガ北海道のヘッドコーチ。
小原 匡博(おはら まさひろ、1982年4月3日 - )は、… 小原 匡博(おはら まさひろ、1982年4月3日 - )は、東京都調布市出身のプロバスケットボール選手、指導者である。ポジションはポイントガード。 11歳の時にバスケットボールを始める。東京農大一高校から東京農業大学を経て、2005年に横浜ギガスピリッツに入団。 2006年からは千葉ピアスアローバジャーズに所属した後、2008年にbjリーグの大分ヒートデビルズに練習生として入団。その後、プロ契約に至る。2009-10シーズンはレギュラーシーズン全52試合に出場。2011-12シーズンはヘッドコーチに就任した鈴木裕紀に代わり、チームのキャプテンを務める。大分には2012-2013シーズン終了まで在籍。
師玉 祐一(しだま ゆういち、1981年8月11日 - )は… 師玉 祐一(しだま ゆういち、1981年8月11日 - )は、バスケットボール選手である。ポジションはフォワード。東京八王子ビートレインズ所属。 世田谷区立弦巻小学校を卒業、世田谷区立駒沢中学校を卒業、東京農業大学第一高校を卒業後、総合学園ヒューマンアカデミー東京校に進学。 卒業後、自由が丘産能短期大学に進学。 卒業後、大分ヒートデビルズに入団。2012年、東京サンレーヴスに移籍。 2017年、埼玉ブロンコスに移籍。 2020年、東京八王子ビートレインズに移籍。 2021年、現役引退とともにサンロッカーズ渋谷U18アシスタントコーチ兼U18/U15/U12トレーニングコーチに就任。
板倉 令奈(いたくら れいな、1981年5月11日 - )は… 板倉 令奈(いたくら れいな、1981年5月11日 - )は、東京都出身の元バスケットボール選手。ポジションはF。男性。 和光中学校で2年次にジュニアオールスターに出場。 秋田県立能代工業高等学校では1年先輩である田臥勇太らとともに全国タイトルを6度獲得。2年次には世界青少年競技大会日本代表に選ばれる。 法政大学では澤岻直人とともに1年次から活躍。4年次の2003年全日本学生バスケットボール選手権大会(インカレ)でベスト4を経験。 卒業後の2004年、東芝ブレイブサンダースに加入。ルーキーシーズンからJBLスーパーリーグ優勝に貢献。その後も主力として東芝を支え全日本総合バスケットボール選手権大会(オールジャパン)でも2006年優勝に貢献した。
佐々木 クリス(ささき クリス、1980年12月24日 - … 佐々木 クリス(ささき クリス、1980年12月24日 - )は、日本のバスケットボールアナリスト・解説者で、元プロバスケットボール選手。アメリカ合衆国ニューヨーク生まれ、東京都出身。現役時代のポジションはガード。 2017-18シーズンからB.LEAGUE公認アナリストとして活動中。 所属事務所はボイスワークス。 元プロバスケットボール選手であり、bjリーグの千葉ジェッツや東京サンレーヴスに所属していた。 また、元ヒップホップミュージシャンでありDJ MASTERKEYが運営するレーベル「THE LIFE ENTERTAINMENT.」より2003年にavex traxでデビューした。 父は日本人、母はアメリカ人。
網野 友雄(あみの ともお、1980年9月25日 - )は、… 網野 友雄(あみの ともお、1980年9月25日 - )は、東京都あきる野市出身の元男子プロバスケットボール選手である。ポジションはフォワード。196cm、87kg。田臥世代の一人。 中学まではサッカー選手で、東海大菅生でバスケを始める。 その後、日本大学に進学し、2001年にはさいたま市で開催されたヤングメン世界選手権に出場。 2003年、トヨタ自動車に入社。 2005年、アイシンシーホースへ移籍し、プロ契約を結ぶ。 2006年には世界選手権の日本代表に選ばれる。 2007年にはスポーツマンNo.1決定戦にも参戦し、モンスターボックスでは南山真の持っていたバスケットボール選手記録18段を塗り替える19段(バスケットボール選手新記録)をクリアした。
紺野 麻里(こんの まり、1980年5月18日 - )は、東… 紺野 麻里(こんの まり、1980年5月18日 - )は、東京都西東京市(旧田無市)出身の女子バスケットボール選手。身長178cm。現・安齋(あんざい)麻里。田臥世代の一人。
小堺 みさき(こざかい みさき、1979年12月5日 - )… 小堺 みさき(こざかい みさき、1979年12月5日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手、現指導者。東京都出身。実践学園高等学校卒業。現役時代のポジションはガードフォワード。 実践学園高等学校ではウィンターカップに出場しベスト5にも選ばれる。 卒業後は富士通に進み、オールジャパン優勝を経験し、Wリーグではフリースロー賞も獲得。 2006年の引退後は立命館大学女子バスケットボール部ヘッドコーチに就任。 2015年、アイシン・エィ・ダブリュ ウィングスコーチに就任。 2017年、男子Bリーグに所属する茨城ロボッツのアシスタントコーチに就任。 2019年より茨城ロボッツU15育成コーチ兼ROBOTSバスケットボールスクールコーチを務める。
安藤 毅(あんどう たけし、1979年7月6日)は、東京都練… 安藤 毅(あんどう たけし、1979年7月6日)は、東京都練馬区出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはスモールフォワード。背番号9。190cm、82kg。 12歳の時に石神井中学校入学と同時にバスケ部に入部し、バスケットボールを始める。高校は都内の強豪高校國学院久我山高校に進学し。大学は國學院大學へと進む。 大学卒業後の2003年、さいたまブロンコスに入団。 2005年、チームがbjリーグを発足するのに伴い、ドラフト4巡目(全体18位)指名を受け、プロ契約を結んだ。 2009年引退。引退後、埼玉ブロンコスアカデミーのコーチスタッフとして小中学生の指導にあたっている。 2009年秋にフィールドジャパンが運営する"アンディ・テクニカルカレッジ"(埼玉県吉川市)にて小学生を指導。
小野 元(おの はじめ、1979年1月2日 - )は、東京都… 小野 元(おの はじめ、1979年1月2日 - )は、東京都出身の男子バスケットボール選手。190cm、82kg。 世田谷学園高、中央大学を経て東芝に入社。ユニバーシアード日本代表にも2度選出されている。 2012年に一旦引退したが、2013年に復帰して熊本ヴォルターズへ入団した。2014-15シーズンはライジング福岡に所属した後、シーズン終了後に現役を引退した。
斎藤 卓(さいとう たく、1979年1月1日 - )は、日本… 斎藤 卓(さいとう たく、1979年1月1日 - )は、日本のバスケットボール選手・指導者である。 都立駒場高校から東海大学を経て、卒業後はクラブチームの横浜ギガキャッツ、横浜ギガスピリッツ、TEAM-Sでプレー。 引退後は指導者に転じ、2013年のアースフレンズのヘッドコーチから始まり、2014年にアースフレンズ東京ZとしてNBDLに加入するとアシスタントコーチに就任し、2017年にヘッドコーチ昇格。 ヘッドコーチとしては1シーズン指揮した後、スポーツディレクター、育成部ディレクターとしてチームに関与するも、2021年退団。 2021年、レバンガ北海道アシスタントコーチ就任。 2023年、レバンガ北海道アシスタントコーチを退任。
米本 聡(よねもと さとし、1978年12月4日 - )は、… 米本 聡(よねもと さとし、1978年12月4日 - )は、東京都出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。177cm、76kg。
宮田 諭(みやた さとし、1978年〈昭和53年〉1月9日 … 宮田 諭(みやた さとし、1978年〈昭和53年〉1月9日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。東京都多摩市出身。ポジションはガード。B3リーグ・東京ユナイテッドバスケットボールクラブ所属。 多摩市立和田中学校でバスケを始め、東京都立国立高等学校から早稲田大学を経て、2002年にNECに入社。サラリーマンをしながらクラブチームのエクセレンスでプレーする。 2004年に退社し渡米。サマープロリーグに合格。11月にはABAのオンタリオ・ウォリアーズと契約。 2005年に帰国。トヨタ自動車アルバルク(現アルバルク東京)に入団。2010年退団。 同年、コーチ兼任としてエクセレンス復帰。 2013年よりNBDL→B.LEAGUEに参戦するプロチーム「東京エクセレンス(現横浜エクセレンス)」のアシスタントGMに就任。
石坂 秀一(いしざか ひでかず、1976年7月26日 - )… 石坂 秀一(いしざか ひでかず、1976年7月26日 - )は、日本の元男子バスケットボール選手である。東京都出身。パナソニックトライアンズ所属。198cm、94kg。ポジションはC/F。 國學院久我山高でウィンターカップ準優勝の原動力となり、中央大学を経て、松下電器に入社。 全日本にも選ばれ、2001年・2003年のアジア選手権、2002年のアジア競技大会に出場した。
小宮邦夫(こみや くにお、1975年1月10日 - )は、東… 小宮邦夫(こみや くにお、1975年1月10日 - )は、東京都出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはGF。 実父は、日本代表として活躍した小宮宗勝である。[要出典] 二葉中学校(広島)在学中、当時中国地区一位の戸坂中学校(広島)との試合で4人にマークされながらも50得点の大記録を残した。また広島市の各中学校にファンクラブが存在した。[要出典] 。東海大浦安高校在学中の1992年、第12回アジア・ジュニア選手権大会に出場し4位となる。[要出典] 青山学院大学時代の1996年にも第2回ヤングメンアジア選手権大会に出場。[要出典] 卒業後の1997年、大和証券に入社。休部後の2000年には新潟アルビレックスに在籍。
大山 妙子(おおやま たえこ、1974年6月18日 - )は… 大山 妙子(おおやま たえこ、1974年6月18日 - )は、東京都出身の元女子バスケットボール選手である。 中野区立第三中学校、東亜学園高校卒業後の1993年、日鉱共石(現・ENEOS)に入社。4年連続2冠達成などJOMO黄金時代に貢献。個人タイトルも獲得する。 また、全日本のメンバーとして、アトランタ・アテネ2回のオリンピックなどに出場。アテネ五輪では、主将を務めた。 現在は、JOMOクリニック専任コーチとして活動する一方で、日本バスケットボール協会広報部副部長も務めており、2012年には協会理事に就任した。
佐野 智郎(さの ともや、1972年 〈昭和47年〉8月22… 佐野 智郎(さの ともや、1972年 〈昭和47年〉8月22日 - )は、日本のプロバスケットボール指導者。東京都品川区出身。 役職はヘッドコーチ。B3リーグ・SHINAGAWA CITY BASKETBALL CLUB所属 。 1990年代前半には俳優として活躍し、脚光を浴びたはいすくーる落書2では楠和美役でバスケットボールのエースの役で出演した。 はいすくーる落書2でも共演した俳優時代の同期の萩原聖人とは公私共々、苦楽を共にした仲である。[要出典] その後も多数のドラマに出演したが23歳で芸能界から引退し、中学生のバスケットボールのコーチを務めながら大手進学塾の講師として活躍。 1999年3月、品川区に奨学舎という学習塾を立ち上げ、現在も講師として教壇に立ちながら、代表取締役を務める。
佐藤 信長(さとう のぶなが、1970年7月29日 - )は… 佐藤 信長(さとう のぶなが、1970年7月29日 - )は、東京都東久留米市出身のパナソニックトライアンズなどに所属していた元バスケットボール選手・指導者である。現役時代のポジションはPG。
神保 康広(じんぼ やすひろ、1970年6月16日 - )は… 神保 康広(じんぼ やすひろ、1970年6月16日 - )は、車椅子バスケットボール選手。東京都墨田区生まれ。 生活をおくった。18歳で車椅子バスケと出会い、1990年から車椅子バスケットチーム「千葉ホークス」に所属する。1992年~2004年と4期連続パラリンピック出場。2000年始めからダスキン奨学金を受け、1999年年末に千葉市役所を退職し、単身、アメリカアラバマ州レイクショア財団の研修生として1年間留学、「ストーム」の一員としてD2でNMBA(全米車椅子協会)へ参戦。2001年春にD2で優勝、ベスト5に選出。2001年~2002年シーズンは同チームでD1へ昇格。2002年~2003年はD1の強豪チーム「テンバー”ローリング”ナゲッツ」に移籍、最終成績は全米選手権ベスト4。
浜口 炎(はまぐち ほのお、1969年12月17日 - )は… 浜口 炎(はまぐち ほのお、1969年12月17日 - )は、東京都出身のプロバスケットボール指導者である。 東京都立向丘高等学校ではガードとして活躍。 愛知学泉大学に進学し、指導者の道へ。 卒業後、母校のコーチ、米国留学などを経て、2004年にトヨタ自動車アルバルクのアシスタントコーチに就任。 2005年、bjリーグに参戦する仙台89ERSの初代ヘッドコーチに就任。「熱血指揮官」として知られ、試合では、テクニカルファウルも恐れず、抗議をすることも少なくない。プロバスケ! bjリーグtvの特集では「選手がプレーでミスをした」場合は怒らないが、「選手が気持ちのこもったプレーをしていない」と、怒るという。
小野 壮二郎(おの そうじろう、1969年3月24日 - )… 小野 壮二郎(おの そうじろう、1969年3月24日 - )は、東京都出身の元バスケットボール選手である。現役時代のポジションはF。 小金井市立緑小学校、小金井市立緑中学校、日大明誠高校(同級生に木田優夫)から拓殖大学を経て、トヨタ自動車に入社。 1995年より全日本候補に選ばれ、1998年の東アジア大会出場を果たす。 2001年にはスーパーリーグ優勝に貢献。 2005年に発足された福岡レッドファルコンズに移籍しプロ契約をするが、シーズン途中で解散したため引退。母校である拓大に戻りアシスタントコーチを務める一方、2007年4月より、総合学園ヒューマンアカデミー横浜校のバスケットボールカレッジ開校に伴い、専任講師という立場でプロ養成の指導者として活動をしている。
金子 寛治(かねこ ひろはる、 (1967-11-22) 1… 金子 寛治(かねこ ひろはる、 (1967-11-22) 1967年11月22日(49歳) - )は、日本の元バスケットボール選手、指導者。東京都出身。身長193cm。
廣瀬昌也(ひろせ まさや、1967年5月4日 - )は、茨城… 廣瀬昌也(ひろせ まさや、1967年5月4日 - )は、茨城県出身のバスケットボール選手・指導者である。 明大中野高校から青山学院大学に進学。1989年にインカレで優秀選手に選出される。 卒業後は熊谷組に入社。1992年には2冠に貢献する。 休部に伴い、大和証券に移籍。 1998年に現役引退し、アシスタントコーチに就任。翌年にヘッドコーチに昇格。同年にはABSL日本代表のアシスタントコーチも務める。 2000年、大和証券休部により発足された新潟アルビレックスの初代ヘッドコーチに就任。なお、新潟スポーツプロモーションの社員として契約を行っていた。 2001年、日本リーグコーチオブザイヤー受賞。同年、日本代表アシスタントコーチ、同年と2003年にはユニバーシアード日本代表コーチも務める。
黒田 麻由美(くろだ まゆみ、1966年11月30日 - )… 黒田 麻由美(くろだ まゆみ、1966年11月30日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。東京都出身。東京成徳短大附高校卒業。現役時代は日立戸塚に所属していた。 全日本として1990年女子世界選手権に出場した。
山下 雄樹(やました ゆうき、1963年8月19日 - )は… 山下 雄樹(やました ゆうき、1963年8月19日 - )は、東京都出身のバスケットボール選手・指導者である。現在は三菱電機コアラーズゼネラルマネージャー、名古屋ダイヤモンドドルフィンズ常務取締役。 立川五中でバスケを始め、関東高、日本体育大を経て、三菱電機に入社。バスケットボール部に所属する。 1987年にはユニバーシアード日本代表に選出される。そのシーズンの日本リーグでも新人王を獲得。 その後も個人タイトルを次々と手にし、オールジャパン連覇にも貢献した。 引退後、社業に専念したのち、2008年に女子部のヘッドコーチに就任。Wリーグ復帰に導いた。2016年、ゼネラルマネージャーに就任。名古屋ダイヤモンドドルフィンズ常務も兼任。
塚本 清彦(つかもと きよひこ、1961年2月26日 - )… 塚本 清彦(つかもと きよひこ、1961年2月26日 - )は、兵庫県出身のバスケットボール選手・指導者、スポーツジャーナリストである。愛称は「ツカちゃん」。現役時代のポジションはポイントガード。明治大学ヘッドコーチ、法政大学ヘッドコーチ、バスケットボールカレッジ学園長などを歴任。 育英高校から明治大学を経て、日本鋼管に進む。日本リーグ優勝2回、オールジャパン優勝2回に貢献。1993-94シーズンのリーグではベスト5を受賞。 1996年現役引退。 さらに大阪ディノニクスを立ち上げ、bjリーグ参戦に当たり、トップチームを大阪エヴェッサに譲渡し、エヴェッサの親会社であるヒューマングループが運営する「バスケットボールカレッジ」の学園長に就任した。
鈴木貴美一(すずき きみかず、1959年9月26日 - )は… 鈴木貴美一(すずき きみかず、1959年9月26日 - )は、東京都渋谷区出身の元バスケットボール選手、バスケットボール指導者である。B.LEAGUEに所属するシーホース三河のヘッドコーチ。
河内敏光(かわち としみつ、1954年5月7日 - )は、東… 河内敏光(かわち としみつ、1954年5月7日 - )は、東京都足立区出身のバスケットボール選手・指導者・解説者。 1973年に京北高等学校から明治大学に進み、同期の北原憲彦らとともにインカレなどのタイトルを獲得。 卒業後は、1977年に三井生命保険バスケットボール部入部。日本リーグの主力選手の一人としてリーグ戦はもとより1977年から1970年まで全日本チームでも活躍し、1986年の現役引退後は、1988年に三井生命の監督に就任し、実業団選手権大会優勝、天皇杯準優勝、日本リーグ3位にチームを導いた。 1993年には全日本男子監督に就任し、アトランタオリンピック予選アジア選手権3位、ユニバーシアード福岡大会優勝、広島アジア大会で優勝している。
斎藤 文夫(さいとう ふみお、1953年8月22日 - 20… 斎藤 文夫(さいとう ふみお、1953年8月22日 - 2019年3月25日)は、東京都福生市出身の元バスケットボール選手である。ポジションはセンター。現役当時は205cmの長身プレイヤーであった。 高校1年で野球からバスケットボールに転向。中央大学在学中の1974年、全日本に選出され、アジア大会に出場。1975年アジア選手権で準優勝に貢献しモントリオール五輪にも出場。 卒業後の1977年、松下電器に入社。日本リーグでタイトル獲得。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
桑田 健秀(くわた きよひで、1953年1月3日 - )は、… 桑田 健秀(くわた きよひで、1953年1月3日 - )は、熊本県山鹿市生まれ東京都大田区馬込出身のバスケットボール選手・指導者である。現役時代はシューティングガードからセンターまでこなした。 熊本で生まれ、1歳で東京に移住。大田区立馬込東中学校でバスケを始め、慶應義塾高校に進み、能代工業高校監督加藤廣志が率いる全日本ジュニアに選出される。 その後慶應義塾大学では谷口正朋(中大)が持っていた得点記録を更新。1973年夏季ユニバーシアードにも出場。 1975年に慶應義塾大学商学部を卒業後、日本鋼管(NKK)に入社。1976年にはモントリオール五輪に出場するなど全日本で11年間プレーした。NKKでも日本リーグ1度、オールジャパン2度の優勝に貢献する。
荒 順一(あら じゅんいち、1951年7月28日 - )は、… 荒 順一(あら じゅんいち、1951年7月28日 - )は、茨城県出身のバスケットボール選手・指導者。 土浦日大高校から日本大学を経て、東芝に入社し、バスケットボール部で選手として活躍。 引退後はコーチに転じ、東芝男子、東芝名古屋女子コーチを務めた後、母校・日大コーチとなる。後にヘッド昇格。 1991年には香川県国体成年女子監督に就任。 1994年に東芝女子ヘッドとしてオールジャパンベスト4などに導いたが、1999年廃部。 その後は解説者を経て、2002年に日本航空のコーチに就任。オールジャパン優勝に貢献。 2005年、女子日本代表を内海知秀の代行として率いたが、世界選手権予選を兼ねたアジア選手権で敗退。
結城 昭二(ゆうき しょうじ、1950年8月27日 - )は… 結城 昭二(ゆうき しょうじ、1950年8月27日 - )は、日本の元バスケットボール選手である。ポジションはシューター。東京都出身。 バスケットボールの名門校として知られる京北高校で活躍後、中央大学に進学。在学中全日本に選出される。 卒業後は。住友金属に入社。1976年にはモントリオール五輪に出場した。住友でも日本リーグ優勝3回(1973・1974・1977)、オールジャパン 優勝3回(1974・1978・1980)に貢献する。 1981年現役引退。著書に、バスケットバイブル、マイケルジョーダンの最強のテクニック、他 現在はNBA解説者として活躍する一方、全国で普及活動も行っている。
谷口 正朋(たにぐち まさとも、1946年2月6日 - 20… 谷口 正朋(たにぐち まさとも、1946年2月6日 - 2021年5月3日)は、日本の元男子バスケットボール選手である。サウスポーシューター。ミュンヘンオリンピック日本代表。 中央大学杉並高等学校(現:中央大学附属高等学校)でバスケを始め、3年次に全日本に選ばれ、世界選手権に出場した。 その後中大に進み、4年次にはインカレ優勝に貢献する。 卒業後、日本鋼管に入社。チームの日本リーグ4連覇などタイトルに多大に貢献し同年の第4回日本リーグでは初代MVPなど個人タイトルも獲得。1970年のユニバーシアードでは旗手を務めた。 1972年ミュンヘンオリンピックに主将として出場。チームは14位の成績に終わったものの得点王を獲得した。
榎本 日出夫(えのもと ひでお、1941年7月7日 - )は… 榎本 日出夫(えのもと ひでお、1941年7月7日 - )は、東京都中野区出身のバスケットボール指導者。日本バスケットボール界初のプロコーチである。 武蔵中学校・高等学校・大学出身。 中3でバスケを始め、高校では3年連続でインターハイに出場。優勝も経験する。 大学卒業後、光文社に入社。そこで杉野女子短大の学生と出会い、これを機にバスケットボールのコーチに転じる。 後に日立戸塚女子バスケットボール部に移り、プロコーチ宣言。25年間指揮を執り、1976・77年の2年連続でオールジャパン・日本リーグ2冠に導く。 その間全日本女子のコーチとなり、1982年には監督を務める。 その後、日立本社男子(現・サンロッカーズ渋谷)のヘッドコーチに就任。
小浜 元孝(こはま もとたか、1932年10月17日 - 2… 小浜 元孝(こはま もとたか、1932年10月17日 - 2017年1月12日)は、東京都出身のバスケットボール選手・指導者。 墨田工業高校で選手権(現インターハイ)に出場、2年次には準優勝となり最優秀選手に選ばれる。 卒業後、日本鉱業に入社しバスケット部に所属。ガードとして活躍した。 1958年に現役引退し、指導者を目指すためケンタッキー大学に留学。 帰国後、昭和学院高でコーチキャリアをはじめ、安田生命、日立戸塚、法政大学で指導に当たる。 1979年、全日本男子の監督に就任。同年のアジア選手権準優勝に導いた。 1982年、秋田いすゞ自動車のヘッドコーチに就任。第59回オールジャパンで優勝を果たした。
鹿子木 健日子(かのこぎ たけひこ、かのこぎ ケーニヒ、男性… 鹿子木 健日子(かのこぎ たけひこ、かのこぎ ケーニヒ、男性、1914年6月17日 - 1992年2月19日)は、日本のバスケットボール選手、指導者。193cmの長身選手として1936年ベルリンオリンピックに日本代表として出場した。 1914年東京生まれ。東京府立五中、武蔵高校を経て、東京帝国大学経済学部に進学。在学中は籠球部レンジャースに所属して主将を務めた。1936年のベルリンオリンピックには、バスケットボール日本代表として出場した。 大学卒業後は日産自動車に勤務したが、戦後退社して陶器の輸出入を手掛ける茜商会を起業した。会社経営の一方で日本バスケットボール協会の理事として後進の育成にあたり、1957年5月には日本スポーツ界代表団の一員として中華人民共和国を訪問した。
田中 秀次郎(たなか ひでじろう、1910年1月1日 - 没… 田中 秀次郎(たなか ひでじろう、1910年1月1日 - 没年不詳)は、昭和戦前期に活動した日本のバスケットボール選手。1936年ベルリンオリンピックに出場し、バスケットボール日本代表チームの主将を務めた。 旧制成蹊高等学校(現在の成蹊中学校・高等学校)に学び、籠球部に所属。当時の成蹊高校籠球部は好調な成績を残しており、1929年(昭和4年)、1930年(昭和5年)と全国高校選手権を連覇した。1931年(昭和6年)には、第10回全日本選手権において、決勝で早稲田大学を破り、高校チームが全国制覇をするという快挙を成し遂げた。この際のメンバーに田中秀次郎が含まれる。当時のあだ名は「デンチュー」であったという。
李 相佰(イ・サンベク、1904年8月6日 - 1966年4… 李 相佰(イ・サンベク、1904年8月6日 - 1966年4月14日)は、朝鮮(大韓帝国)に生まれ、日本および大韓民国で活動した歴史学者・社会学者、バスケットボール選手・指導者。 早稲田大学に留学、日本における黎明期の大学バスケットボール選手となり、スポーツ理論・競技技術の普及や、スポーツ組織の結成・運営に大きな足跡を残した。戦後の韓国においてもスポーツ界の重鎮として活動、国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めた。学生バスケットボールの日韓対抗戦である李相佰盃に名を残している。また、学者としてはソウル大学校教授を務め、歴史学・社会学に業績を残している。号は想白(サンベク/상백、発音は本名と同じ)、百無一斎。
浅野 延秋(あさの のぶあき、1901年(明治34年)11月… 浅野 延秋(あさの のぶあき、1901年(明治34年)11月10日 - 1969年)は、日本のバスケットボール選手・指導者。早稲田大学で最初の学生バスケットボールチームを組織し、大日本バスケットボール協会の設立に尽力した。 山梨県中巨摩郡落合村(現在の南アルプス市)出身。郷里の小学校を卒業後、成城中学に入学。成城中学はいち早くバスケットボールを受容していた中等学校の一つで、浅野はバスケットボール部の主将を務めた。 1920年、早稲田大学高等学院(早高)に入学。浅野は陸上競技部で同好者を集めてバスケットボールの練習を行い、アメリカ人英語教師スペンサーの指導を受けた。その後、早高にはほかにいくつかのバスケットボールチームが現れた(中山克己は建築科で、冨田毅郎は機械科でチームを結成した)。
成田俊彦(なりた としひこ)は、元バスケットボール選手、現在… 成田俊彦(なりた としひこ)は、元バスケットボール選手、現在は山口パッツファイブ(旧山口ペイトリオッツ)代表取締役社長である。 聖徳学園関東高等学校から京都産業大学を経て、マツダオート東京で選手としてプレーし、後に広報に転じる。 1996年にアンフィニ東京が廃部になると、クラブチーム「所沢ブロンコス」を設立。GMに就任する。 1999年に日本リーグ昇格を果たしたが、当時の日本リーグは実業団のみで市民球団(クラブチーム)は例がなかったため、選手登録窓口だった実業団連盟と揉めるが、結局連盟は折れる事になり市民球団を認めさせた。 2005年、新潟アルビレックスの河内敏光GM(当時)とともにJBLを脱退。