金平 桂一郎(かねひら けいいちろう、1965年11月3日 … 金平 桂一郎(かねひら けいいちろう、1965年11月3日 - )は、日本のプロボクシング・プロモーター。元協栄ボクシングジム会長。東京都渋谷区出身。 協栄ボクシングジム創始者金平正紀の長男として出生し、幼い頃からプロボクシングに親む。実父の側近が創設した山神ボクシングジムオープンにも参加。当時は赤坂の5階建てのマンションに住んでいたが、母親が厳格な人物で、常日頃から「誰のおかげでご飯を食べていると思ってるんだ」と言われ、食事は自室もしくは台所の隅で済ませる日々だった。ただし食事そのものはステーキやスッポンなどの豪華なものだったという。 明大中野高を卒業(元プロ野球選手の武田一浩は同級生、現三迫ボクシングジム会長三迫貴志は後輩)後、1990年にロシア・サンクトペテルブルクのレスガフト記念体育大学へ留学した。
大和田 正春(おおわだ まさはる、1961年1月12日 - … 大和田 正春(おおわだ まさはる、1961年1月12日 - )は、日本のプロボクサー。第37代日本ミドル級王者。東京都練馬区出身。 在日米軍兵士であったアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフで、褐色の肌にスキンヘッド、口髭というその風貌から和製ハグラーと呼ばれた。16勝中KO勝利が14との戦績が示す通りの強打者であったが、その反面、11敗中KO負けが9と打たれ弱くキャリアの前半は勝ち負けを繰り返していたが、キャリア後半にはその強打でビッグアップセットや逆転KOを演出し、スリリングな試合を繰り広げた。スーパーフェザー級でデビューの後、徐々に階級を上げ、ミドル級で日本チャンピオンに上り詰めた。
高城 正宏(たかぎ まさひろ、1960年8月10日 - )は… 高城 正宏(たかぎ まさひろ、1960年8月10日 - )は、日本の元プロボクサー。リングネームと本名は同一。東京都出身。元日本スーパーフェザー級王者(2度防衛)。現役時代は帝拳所属。 八王子高等学校卒業。 1978年7月4日、プロデビューも敗戦。2戦目で初勝利。 1988年2月16日、今井房男から日本スーパーフェザー級王座を奪取。 1989年1月9日、3度目の防衛戦で赤城武幸に敗れ陥落。 10月9日、赤城との再戦で敗戦、引退。 引退後はスポーツクラブインストラクター経て、2001年8月1日にクラブ会員だった元駒澤大学ボクシング部専属コーチの村野健とともにM.Tボクシングジム開業しオーナー兼マネージャーに。
大竹 重幸(おおたけ しげゆき、1957年12月16日 - … 大竹 重幸(おおたけ しげゆき、1957年12月16日 - )は、日本の男性元プロボクサーである。元協栄ボクシングジムのマネージャーで、会長代行やプロボクシングトレーナーを務めた。福島県白河市生まれ東京都新宿区出身。 西城正三に憧れ中学1年で協栄ジムの門を叩き、中央商業高校1年でインターハイ出場(当大会には興南高校3年だった後の同門具志堅用高も出場)。 卒業後の1978年にプロデビュー。最高位でジュニアライト級5位までランクを上げたが、怪我のため現役続行を断念。通算戦績3勝(1KO)5敗。 引退後は金平正紀会長(当時)の下でトレーナーに転向。後に高橋勝郎の後を受けてマネージャーも兼任。佐藤修、坂田健史を世界王者に育て上げ、第18回(2007年度)エディ・タウンゼント賞を受賞した。
鈴木 啓正(すずき ひろまさ、1957年9月24日 - )は… 鈴木 啓正(すずき ひろまさ、1957年9月24日 - )は、日本のアマチュアボクシング選手・プロボクシングトレーナー経験者。東京都新宿区出身。拓殖大学第一高等学校および拓殖大学出身の経済学士。帝拳所属。 高校、大学とアマチュア選手として活躍し、会社員を経て1981年プロボクシング・トレーナーとなる。1987年から1991年までプロボクシング界から離れていたが長野ハルマネージャーの要請で復帰し2010年春まで務めた。 川口力哉や三澤照夫、石本康隆を入門当初に指導。大和心のOPBFタイトル獲得当時、また松田直樹の最強後楽園優勝当時の担当トレーナー。本田明彦帝拳会長の決断により、木村鋭景担当の鈴木が大和を、大和担当の桑田勇が木村を、担当交換した時期がある。
小林 光二(こばやし こうじ、1957年8月27日 - )は… 小林 光二(こばやし こうじ、1957年8月27日 - )は、日本の元プロボクサー。角海老宝石ボクシングジム所属。元WBC世界フライ級王者。元リングマガジン世界フライ級王座。 子供のころは体育を苦手にしており、ボクシングを始めるまで腕相撲で女の子に負ける程の非力な青年であった。元々はデザイナー志望であり、健康維持のためにボクシングを始めた。 1978年12月12日、プロデビュー(3回KO勝ち)。 1979年12月23日、東日本フライ級新人王。全日本同級新人王決定戦への出場権を獲得。 1980年2月21日、全日本フライ級新人王決定戦に出場。渡辺二郎と対戦し、初回KO負け。プロ初黒星。 1984年1月18日、25戦目で世界王座に初挑戦。
イーグル佐藤(イーグルさとう、本名:佐藤 哲夫、 1949年… イーグル佐藤(イーグルさとう、本名:佐藤 哲夫、 1949年6月11日 - )は、東京都品川区出身の元プロボクサー。元日本スーパーライト級チャンピオン。野口ジム所属。アマのエリートからプロに転じ、強打とビッグマウスで知られた。 野口ジム主催のベビーボクシング出身。アマで活躍、59勝4敗の成績を残し、1969年6月プロデビュー。 デビュー戦は引分け、その後4連勝を飾るが、6戦目で初の黒星。8戦目では元日本王者の窪倉和嘉に5回KOで敗れる。その後は快進撃、1971年1月15日、開行憲を判定で破り日本スーパーライト級獲得。その後は開行憲との再戦で初防衛を果たし、ノンタイトルでフェル・ペトランザ、南久雄の両強豪を破るなど気を吐いたが、1972年2月13日、二度目の防衛戦で東海林博に判定で敗れ王座を失った。
青木 勝利(あおき かつとし、1942年11月28日 - )… 青木 勝利(あおき かつとし、1942年11月28日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都杉並区出身。三鷹ジム所属。元OPBF東洋太平洋バンタム級王者。 「メガトン・パンチ」と称された強打と抜群のセンスで、ファイティング原田、海老原博幸と並び「三羽烏」と呼ばれた。当時の日本記録である7試合連続KO勝ちを達成し、19歳で東洋王者になるなどの活躍を見せた。一方で、現役時代から酒好きと練習嫌いで知られており、上記3人の中で唯一世界王座に届かなかった。現役引退後、窃盗や無銭飲食などの刑事事件を何度も繰り返して世間を騒がせた。 少年時代は、家出を繰り返すなどの虞犯少年で、16歳で少年院に入れられた。入院中にテレビ中継でボクシングに出会い、退院直後の1960年4月に三鷹ジムの住み込みの練習生となる。
海老原 博幸(えびはら ひろゆき、1940年3月26日 - … 海老原 博幸(えびはら ひろゆき、1940年3月26日 - 1991年4月20日)は、日本の男性元プロボクサー。東京都福生市出身。本名は松田博幸。協栄ボクシングジム所属。元世界フライ級王者。東京都立第五商業高等学校中退。
伊東 靖倖(いとう やすゆき、1938年(昭和13年)8月2… 伊東 靖倖(いとう やすゆき、1938年(昭和13年)8月27日 - 2026年3月1日(87歳没))は、ローマ五輪日本代表のボクサー。 東京都立江北高等学校を経て、早稲田大学に入学。在学中に、1960年ローマオリンピックで男子ライト級に出場し、3回戦で敗退した。
大川 寛(おおかわ ひろし、1933年2月21日 - 201… 大川 寛(おおかわ ひろし、1933年2月21日 - 2011年3月22日)は、日本の元プロボクサー。本名は小川 寛(おがわ - )。戸籍上の出生地は千葉県山武郡片貝町であり、出身地は東京都台東区浅草。元日本フェザー級(2度獲得)・ライト級、OBF東洋ライト級・ジュニアライト級王者。現役時代は共栄ジム(後の極東ボクシングジム、現在の極東ボクシングクラブ)所属。大川ボクシングジムを開設し、その初代会長を務めた。 脚が長く均整のとれた体を持ち、左右のフックやスピードのある右ストレートを武器に3階級5王座を制覇した技巧派である。 極東ジムが秋山政司、大越利晴といった日本王者らを抱えて全盛期を迎えていた当時、後に精密機械と言われる世界王者沼田義明を育てた小高伊和夫会長の愛弟子であった大川が本名の小川を変えて戦ったのは、心臓が小さいのは名前からきていると小高会長が案じたためであった。
白井 義男(しらい よしお、1923年〈大正12年〉11月2… 白井 義男(しらい よしお、1923年〈大正12年〉11月23日 - 2003年〈平成15年〉12月26日)は、日本の元プロボクサー。東京市(現東京都)荒川区出身。元世界フライ級王者で、日本人として初めての世界王者となった。現代とは違い、世界王座までの距離が比べ物にならないほど遠かった時代のチャンピオンとして高い評価を得ている。最優秀選手賞に5度選ばれた記録を持つ。 小学6年生時の夜祭りの余興で行ったカンガルーとのボクシングに負けて以後、ボクシングにのめり込んだという。プロデビューは戦時下の1943年。8戦全勝の成績を残すが招集されて海軍に従軍し、整備士として終戦を迎える。復員後、ボクシング界へ復帰したものの海軍時代に特攻機を整備した際の労災により腰痛となり、引退寸前の危機に追い込まれた。
名取 芳夫(なとり よしお、1914年4月30日 - 197… 名取 芳夫(なとり よしお、1914年4月30日 - 1975年4月2日)は、日本の元プロボクサー。山梨県北巨摩郡保坂村出身。戦前における日本および東洋ウェルター級チャンピオン。東京拳闘協会所属。日本ボクシング草創期の強豪。 北巨摩郡保坂村に生まれる。上京して錦城中学から正則高校へ進学、東京拳闘協会に入門する。1932年1月11日、英国の強豪エス・ハリーを3回TKOに破ってデビュー。頭脳派のテクニシャンで、原靖、平川末男、熊谷二郎ら日本の強豪のほか、ジョー・サクラメント、ファイティング・アボルトら比国の名選手も破る。 1934年12月25日、日本拳闘連盟主催の選手権大会で強打者佐藤利一に7回反則勝ち、日本ウェルター級王者となる。
柴田 勝治(しばた かつじ、1911年〈明治44年〉1月26… 柴田 勝治(しばた かつじ、1911年〈明治44年〉1月26日 - 1994年〈平成6年〉8月20日)は、日本の元アマチュアボクシング選手・指導者であり、教育者であった人物である。 岩手県二戸郡鳥海村(現在の二戸郡一戸町月館)出身。幼年時代を故郷で過ごした後に旧制日本大学第二中学校へ進学。その後、日本大学高等師範部国語漢文科(現・日本大学文理学部)へ進学。大学時代にボクシング(拳闘)部へ入り、ライト級ボクサーとして活動。1931年(昭和6年)、日本大学2年次の時に日比谷公会堂にて明治大学の選手と公式試合を行った際に最終ラウンドに柴田と対戦相手が互いの強打でキャンパスに沈むダブルノックダウンを喫した。
青木 沙耶香 は、日本の元プロボクサーである。EBISU K… 青木 沙耶香 は、日本の元プロボクサーである。EBISU K's BOX所属。日本女子ボクシング協会(JWBC)にて女子高生ボクサー「サヤカ」として活動した経験がある。JWBC解散後は「なでしこファイト」(「ザ・おやじファイト」の姉妹イベント)で活躍していた。
小次郎(こじろう)は、日本の男性元キックボクサー。東京都出身… 小次郎(こじろう)は、日本の男性元キックボクサー。東京都出身。元WMC世界ウェルター級王者。
井原 良太郎 は、日本のアマチュアキックボクサー。初代Bre… 井原 良太郎 は、日本のアマチュアキックボクサー。初代BreakingDownバンタム級王者。東京都足立区出身。
桑田 勇 は、日本のプロボクサー及びプロボクシング・トレーナ… 桑田 勇 は、日本のプロボクサー及びプロボクシング・トレーナー経験者。東京都八王子市出身。本名は桒原 勇。
富樫 直美 は、日本の助産師で元プロボクサー。現姓・滝田。東… 富樫 直美 は、日本の助産師で元プロボクサー。現姓・滝田。東京都大田区池上出身(山形県鶴岡市生まれ)。血液型O型。右ボクサーファイター。元WBC女子世界ライトフライ級王者。ワタナベボクシングジム所属。ニックネームは「戦う助産師」。
小関 桃 は、日本の元女子プロボクサー。東京都三鷹市出身。青… 小関 桃 は、日本の元女子プロボクサー。東京都三鷹市出身。青木ボクシングジム所属。左ボクサーファイター。元WBC女子世界アトム級王者。元WBA女子世界ライトミニマム級王者。元WBC女子世界ミニフライ級王者。日本人初の女子世界統一王者。男女を通じて日本人最多の17連続世界王座防衛記録保持者(女子ではセシリア・ブレークフスの持つ25連続世界王座防衛が世界最多記録で、それに次ぐ世界2位)。父は三鷹市職員。入場曲はピンク・レディーの「サウスポー」。
大場 政夫 は、日本の男性プロボクサー。東京都墨田区出身。1… 大場 政夫 は、日本の男性プロボクサー。東京都墨田区出身。1970年にWBA世界フライ級王座を獲得し、5度防衛した。1973年に交通事故で死去。現役世界王者のまま事故死したことから「永遠のチャンプ」と称される。