黒川 弘務(くろかわ ひろむ、1957年2月8日 - )は、… 黒川 弘務(くろかわ ひろむ、1957年2月8日 - )は、日本の弁護士(第一東京弁護士会)、元検察官、元法務官僚。法務省大臣官房長や、法務事務次官、東京高等検察庁検事長を歴任した。退官後の2021年、賭博罪で東京地方検察庁特捜部から略式起訴を受けた。 東京都出身。早稲田高等学校を経て、1981年 東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。司法修習35期。1983年 検事任官、東京地方検察庁検事。新潟地方検察庁、名古屋地方検察庁、青森地方検察庁等の地方検察庁に勤務。のち法務省に異動、司法制度改革で中枢的な役割を担った。 2001年12月 法務省大臣官房司法法制部司法法制課長、2005年1月 刑事局総務課長、2006年7月 大臣官房秘書課長、2008年1月 大臣官房審議官、2010年8月松山地方検察庁検事正。
大野 恒太郎(おおの こうたろう、1952年4月1日 - )… 大野 恒太郎(おおの こうたろう、1952年4月1日 - )は、日本の検察官、弁護士、実業家。法務事務次官、東京高等検察庁検事長、検事総長等を歴任。またイオン取締役兼指名委員、小松製作所や伊藤忠商事の監査役を務める。 東京都生まれ。1970年、東京都立富士高等学校卒業。1974年 東京大学法学部卒業、司法修習、(1978年ハーバード・ロー・スクールLL.M(法学修士))。 1976年検事任官、東京地方検察庁検事。ハーバード大学留学を経て、1982年法務省刑事局付、1987年大阪地方検察庁検事、1989年東京地方検察庁検事、1994年法務省刑事局参事官、1996年法務省大臣官房参事官、1998年法務省刑事局総務課長、2000年東京地方検察庁総務部長、2001年内閣官房司法制度改革推進本部事務局次長、2004年宇都宮地方検察庁検事正、2005年最高検察庁総務部長、2007年法務省刑事局長、2009年法務事務次官等を経て、2011年8月仙台高等検察庁検事長。
柳 俊夫(やなぎ としお、1949年 - )は、日本の検察官… 柳 俊夫(やなぎ としお、1949年 - )は、日本の検察官。公安調査庁長官や大阪高等検察庁検事長を歴任。 東京都出身。桐朋中学・高等学校を経て、1972年一橋大学法学部卒業。中学・高校では柔道部に所属。司法修習を経て、1974年検事任官。 法務省公安課長、公安調査庁次長等を経て、2006年公安調査庁長官就任。 2007年6月13日に自由民主党法務部会において、緒方重威(元公安調査庁長官、2007年逮捕)が代表取締役を務める投資顧問会社が、在日本朝鮮人総連合会との間で在日本朝鮮人総連合会所有の総連中央本部の土地・建物に関する売買契約を締結していた問題につき陳謝した。 2008年にはオウム真理教事件を起こしたオウム真理教から名前を変えたAleph及びひかりの輪につき、依然として元代表の麻原彰晃の影響下にあり、殺人を勧める綱領を保持するなど危険な本質に変わりがないとし、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(団体規制法)に基づく観察処分の更新を公安審査委員会に申請した。
福島 啓充(ふくしま ひろみつ、1944年〈昭和19年〉 -… 福島 啓充(ふくしま ひろみつ、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の元検察官、弁護士。創価学会では、副会長などの役職を務めた。 明治大学付属明治高等学校を経て東京大学法学部を卒業。1965年に司法試験合格し、検察官(検事)に任官し、検察官を退官後に、1975年に弁護士となる。東京弁護士会会長、法律扶助協会理事などを歴任。新麹町法律事務所所長。 創価学会では、副会長などの役職を務めた。
河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 - 20… 河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 - 2015年2月7日)は、日本の検察官・弁護士・法学者。 東京地検特捜部長、法務省矯正局長などを歴任し、最高検公判部長を最後に退官し、弁護士となった。駿河台大学名誉教授。位階は従三位。 検察官時代は刑法、刑事訴訟法に渡って多くの論文を執筆した。有名なものに、放火罪の既遂時期における新効用消失説がある。判例は、当該物が独立して燃焼に至った場合に既遂になるという独立燃焼説を採用しているが、これを現代の不燃性建造物の増加に対応できないと批判した上で、目的物の燃焼を必要とせず、火力によって効用を失うに至った場合に既遂になるとの説を提唱した。 テレビ番組は、日テレ系の番組に限って出演している。
藤島 昭(ふじしま あきら、1924年〈大正13年〉1月2日… 藤島 昭(ふじしま あきら、1924年〈大正13年〉1月2日 - 2010年〈平成22年〉11月21日)は、日本の検察官。弁護士。次長検事。最高裁判所判事。五鬼上堅磐最高裁判事は岳父。 東京府出身。都立高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。第七二一海軍航空隊に配属。同年6月、海軍主計少尉に任官。九州海軍航空隊富岡基地勤務で終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1948年(昭和23年)東京大学法学部法律学科を卒業。1950年(昭和25年)検事任官。造船疑獄では捜査から公判までを通して担当した。東京高検次席検事、東京地検検事正等を経て、1981年(昭和56年)法務事務次官。
横井 大三(よこい たいぞう、1914年6月11日 - 20… 横井 大三(よこい たいぞう、1914年6月11日 - 2006年7月22日)は、日本の検察官。最高裁判所判事。本籍は神奈川県だが、生まれたのは朝鮮平安北道。 旧制府立高等学校を経て1937年(昭和12年)に東京帝国大学法科を卒業。司法官試補となり、1938年(昭和13年)から裁判官として法曹キャリアをスタートさせ、東京・新潟地裁などに勤務したが、1945年(昭和20年)4月に司法省に転じ、以降は検察官となる。現行刑事訴訟の「証拠」の項目をGHQと折衝しながらつくりあげた。その後、刑事局参事官、刑事局刑事課長、ついで東京地検、東京高検、最高検それぞれの公判部長を務めた。 仙台高検検事長、名古屋高検検事長を務めた後、1977年(昭和52年)6月に定年退官し、約1年間専修大学の教授をしていた。
吉河 光貞(よしかわ みつさだ、1907年1月16日 - 1… 吉河 光貞(よしかわ みつさだ、1907年1月16日 - 1988年4月17日)は、日本の検察官、司法・法務官僚。 東京府生まれ。京華中学、第一高等学校 (旧制)(一高)を経て、東京帝国大学法学部に入学。在学中は新人会に属し田中清玄らと並び称され、日本共産党にも入党した。1930年(昭和5年)大学卒業、直後に離党。 1932年司法官試補となり、各地の裁判所で検事を務める。東京地方裁判所時代には主任検事(思想検事)として1941年のゾルゲ事件の捜査に参加、リヒャルト・ゾルゲを取り調べた。 戦後は公職追放を免れ、法務庁事務官を経て1948年(昭和23年)に設置された法務庁特別審査局(後の公安調査庁)の初代局長、翌1949年に改称された法務府でも局長などを務めた。
本間 喜一(ほんま きいち、1891年(明治24年)7月15… 本間 喜一(ほんま きいち、1891年(明治24年)7月15日 - 1987年(昭和62年)5月9日)は、日本の商法学者、教育者、検察官、裁判官、弁護士、司法官僚。愛知大学名誉学長、東亜同文書院大学学長、一橋大学名誉教授。初代最高裁判所事務総長。正四位勲二等旭日重光章、勲二等瑞宝章。妻は磯辺弥一郎の娘。 東京帝国大学法科大学法律学科卒業。判事検事登用試験二次試験首席合格。検事、判事を経て東京商科大学教授となるが白票事件によって辞職し、弁護士に転じた。1940年、中華民国・上海の東亜同文書院大学教授となる。1943年辞職し帰国するが1944年、東亜同文書院大学に復帰して学長となり、同地で終戦を迎えた。
李 仁(イ・イン、朝鮮語: 이인、1886年または1890年… 李 仁(イ・イン、朝鮮語: 이인、1886年または1890年9月20日または1896年10月26日 - 1979年4月5日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、弁護士、検察官、裁判官、政治家。米軍政庁大法院長代理、第4代米軍政庁検事局検事総長、過渡政府大検察庁検察総長、初代法務部長官、制憲・第3・5代韓国国会議員(第5代は参議員)を歴任した。 本貫は慶州李氏、号は愛山。李益斎の子孫で、性理学者の李寛俊は祖父、自彊会と大韓協会の中心人物だった李宗栄は父、独立運動家の李始栄(朝鮮語版)は叔父。元国会議員の李泰九(朝鮮語版)は娘婿。 慶尚道大邱都護府(現・韓国大邱広域市)出身だが、先祖代々は慶州に在住。