小柳 卯三郎(おやなぎ / こやなぎ うさぶろう、1843年… 小柳 卯三郎(おやなぎ / こやなぎ うさぶろう、1843年(天保14年3月)- 1915年9月6日)は、幕末の庄屋、明治期の政治家。衆議院議員、新潟県西蒲原郡小吉村長。大河津分水路建設の功労者。 越後国蒲原郡東中村(現:新潟市西蒲区東中)で庄屋の家に生まれる。長善館で漢学を学び、京阪地方を遊学。15歳で家督を相続した。 明治2年(1969年)大河津分水路工事用弁掛に就任。その後、新潟県会議員、小吉村長などを歴任。1880年、国会開設懇望協議会で国会開設懇望上申書の起草委員、同本部長に就任。西蒲原郡自由党を組織し、北辰自由党理事、越佐同盟会評議員などを務め、山際七司を補佐して県内の自由民権運動などを推進した。
高橋 竹之助(たかはし たけのすけ、1842年2月14日(天… 高橋 竹之助(たかはし たけのすけ、1842年2月14日(天保13年1月5日) - 1909年(明治42年)11月7日)は、江戸時代幕末の尊攘運動家。明治時代の教育者、治水家。名は竹之介とも書き、「ちくかい」とも読む。諱は三寅、字は誠仲。変名として北山信や芳賀喜之七がある。号は蘇門。 越後国南蒲原郡中之島村杉之森(現在の新潟県長岡市)の名主の高橋家に次男として生まれる。生家跡には生誕地の碑が建つ。与板の斎藤赤城の塾に学び、20歳で漢学者・鈴木文臺の私塾・長善館に入門した。1863年(文久3年)、西国遊学に出発し、湊川神社の楠木正成の墓前で尊王を誓う。京都で播磨国林田藩の儒学者の河野鉄兜の門下となり、森田節斎や日柳燕石にも学ぶ。
池田 謙斎(いけだ けんさい、1841年12月22日〈天保1… 池田 謙斎(いけだ けんさい、1841年12月22日〈天保12年11月10日〉- 1918年〈大正7年〉4月30日)は、明治時代の医者。日本の近代医学の礎を築いた人物。学位は、医学博士。華族(男爵)、宮中顧問官、錦鶏間祗候。諱・秀之、幼名・圭助。通称・桂太郎または謙輔(けんすけ)で謙斎に改めた。 1841年、入沢健蔵の次男として越後国蒲原郡中之島村(現長岡市)に生まれる。幼名は圭助。安政5年3月(1858年1月 - 2月)に江戸に出、伯父の入澤貞意宅に寄宿する。漢学を瀬川道元に、剣術を心形刀流伊庭軍兵衛、オランダ語を竹垣龍太郎に学ぶ。 竹垣の紹介を経て適塾に入門し、1862年に西洋医学所へ入学した。
鈴木 昌司(すずき しょうじ、1841年11月1日(天保12… 鈴木 昌司(すずき しょうじ、1841年11月1日(天保12年9月18日)- 1895年(明治28年)4月30日)は、明治期の政治家。衆議院議員、新潟県会議長。幼名・保逸郎(ほいちろう)、号・竹外。 越後国頸城郡、のちの新潟県中頸城郡代石村(大出口村、吉川村代石、吉川町代石を経て現上越市吉川区代石)で、庄屋・鈴木三郎右衛門の長男として生まれる。同村の高島道隆に師事し漢学を修めた。 父の死去により家督を相続し戸長、副大区長を務めた。地租改正反対運動に加わった。1877年(明治10年)八木原繁祉らと高田町(現上越市)士族らを中心に新潟県初の民権結社・明十社を結成した。1879年(明治12年)府県会規則による新潟県会が開設され、初の県会議員に当選。
遠藤 吉平(えんどう きっぺい、1841年5月5日(天保12… 遠藤 吉平(えんどう きっぺい、1841年5月5日(天保12年3月15日) - 1932年(昭和7年)8月12日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・佐藤、初名・富次郎。 越後国蒲原郡笹口浜(新潟県東蒲原郡築地村、中条町を経て現胎内市)で、廻船業・佐藤六右衛門の二男として生まれる。安政2年(1855年)商船に乗組み蝦夷地、樺太の航海に従事し、その後、箱館の漁業家・中川勇助のもとで5年間働いて帰郷。慶応元年3月(1865年)先代・遠藤吉平の養子となる。養父の死後に家督を相続し吉平と改名した。 1877年(明治10年)、一家で函館に移住し、海陸物産商を開業。函館商業会議所特別議員、函館共立 (株) 社長、北海道セメント監査役、百十三銀行監査役、函館船渠監査役、北海道馬車鉄道取締役などを務めた。
磯部 八五郎(いそべ はちごろう、1841年(天保12年2月… 磯部 八五郎(いそべ はちごろう、1841年(天保12年2月) - 1911年(明治44年)10月25日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 佐渡国雑太郡、のちの新潟県雑太郡国中村(佐渡郡国中村などを経て現佐渡市)出身。郷学校を設立し、教導職試補、訓導、雑太郡書記、皆川、国中各村会議員、新潟県会議員、佐渡郡参事会員、同郡徴兵参事員、佐渡養蚕伝習所長となる。 1898年(明治31年)8月の第6回衆議院議員総選挙において新潟9区から憲政本党公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1902年(明治35年)第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1911年に死去した。
岡田 龍松(おかだ りゅうまつ、1841年(天保10年10月… 岡田 龍松(おかだ りゅうまつ、1841年(天保10年10月) - 1913年(大正2年)7月2日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 越後国魚沼郡中条村(のち新潟県中魚沼郡中条村、現・十日町市)出身。1872年、柏崎県第5区副戸長、1875年、新潟県第12大区長、1879年、中魚沼郡長、1881年、新潟県会議員、徴兵参事員、1897年、中魚沼郡会議員となり、議長代理となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において新潟7区から進歩党公認で立候補して初当選する。8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党公認で立候補して再選する。1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1913年に死去した。
室 孝次郎(むろ こうじろう、天保10年9月14日(1839… 室 孝次郎(むろ こうじろう、天保10年9月14日(1839年10月20日) - 明治36年(1903年)6月21日)は、日本の政治家。衆議院議員(立憲改進党→進歩党→憲政党→憲政本党)、愛媛県知事。名は方義、字は子成、号は桜蔭。 越後国高田本誓寺町(現在の新潟県上越市)の商人市郎右衛門の長男として生まれる。倉石侗窩の私塾・文武済美堂に学ぶ。塾生には前島密がいた。慶応2年(1866年)、京都に上って勤王の志士たちと交わった。戊辰戦争中の明治元年(1868年)7月、新政府軍が高田城下に入ると、新政府軍に入り北陸道官軍御用掛を務め、さらに親兵隊の方義隊(後に居之隊)を組織し戦闘に参加した。 明治3年(1870年)には高田藩の民政属吏聴訟断獄掛、ついで藩校修道館助教授を務めた。
松村 文次郎(まつむら ぶんじろう、1839年4月15日(天… 松村 文次郎(まつむら ぶんじろう、1839年4月15日(天保10年3月2日) - 1913年(大正2年)9月23日)は、明治時代の政治家、実業家。自由民権運動家。衆議院議員(2期)。 越後国刈羽郡柏崎村(現新潟県柏崎市)の町年寄の家に生まれた。原修斎に学び漢学を修めた。町年寄を務め、その後、柏崎県に出仕し学区取締に就任。1879年(明治12年)新潟県会議員に当選し、初代議長となった。ほか自由民権を唱え、北辰自由党に加わった。実業家としては柏崎活版印刷社長などを歴任した。1889年(明治22年)鈴木昌司、西潟為蔵、山際七司らと越佐同盟会を結成し評議員に就任。1890年(明治23年)6月に県会議員を辞職し、同年7月の第1回衆議院議員総選挙では新潟県第6区から出馬し当選。
司馬 凌海(しば りょうかい、天保10年2月28日(1839… 司馬 凌海(しば りょうかい、天保10年2月28日(1839年4月11日) - 明治12年(1879年)3月11日)は、医学者・言語学者。愛知医学校校長。佐渡島新町(現:新潟県佐渡市真野新町)生まれ。日本初の独和辞典を刊行した。 諱は盈之(みつゆき)、凌海は通称。他に、号に「揖軒」「無影樹下」「船楼」があった。本名は「司馬津」。 幼名、島倉伊之助(なお「島倉亥之助」の表記もある。弟に島倉家を譲り、司馬と改姓した。 語学の天才と言われ、独・英・蘭・仏・露・中の6か国語に通じていた。松本良順、ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトに師事していたことから、特に医学用語の日本語訳を多く作っている。
田辺 久蔵(田邊 久藏、たなべ きゅうぞう、1839年(天保… 田辺 久蔵(田邊 久藏、たなべ きゅうぞう、1839年(天保10年9月)- 1909年(明治42年)9月19日)は、幕末の村役人、明治期の政治家、実業家。衆議院議員。号・晴雲。 越後国蒲原郡大野地村(新潟県蒲原郡大野地村、北蒲原郡大野地村、堀越村大野地、水原町を経て現阿賀野市大野地)で、庄屋を務める田辺家に生まれた。大野地村庄屋を務めた。 明治維新後、新潟県地券下掛、第二大区小二区戸長、副大区長、地租改正実地検査顧問などを務めた。 政治活動に熱心で立憲改進党に所属し、1888年(明治21年)新潟県会議員に選出され、同常置委員、同副議長を務めた。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(新潟県第2区、立憲改進党)で当選し、その後、進歩党に所属し衆議院議員に1期在任した。
松本 八十八(まつもと やそはち、1838年(天保9年4月)… 松本 八十八(まつもと やそはち、1838年(天保9年4月)- 1915年(大正4年)2月21日)は、幕末の村役人、明治期の政治家。衆議院議員、新潟県佐渡郡恋ヶ浦村長。 佐渡国雑太郡真野村背合(新潟県雑太郡真野村、佐渡郡真野村、真野町を経て現佐渡市背合)で、松本与三兵衛の息子として生まれた。圓山溟北に漢学を、堀口松庵に書法を学んだ。 相川奉行所教導職事務掛、浦役人を務めた。明治維新後、滝脇背合村戸長、大小外6ケ村戸長、小学区学務委員、恋ヶ浦村長などを務めた。1893年(明治26年)新潟県会議員に選出された。また、真野村会議員にも在任した。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(新潟県第9区、立憲改進党)で当選し、衆議院議員に1期在任した。
笠原 克太郎(かさはら こくたろう、1838年(天保9年11… 笠原 克太郎(かさはら こくたろう、1838年(天保9年11月) - 1898年(明治31年)11月7日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 越後国頸城郡潟町村(のち新潟県中頸城郡潟町村→大潟町、現・上越市)生まれ。農業を営み、郷長、第七大区長、新潟県会議員、第百三十九国立銀行取締役となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において新潟8区から立憲自由党公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙で憲政党から立候補して落選した。落選から間もない11月に死去した。
大倉 喜八郎(おおくら きはちろう、天保8年9月24日(18… 大倉 喜八郎(おおくら きはちろう、天保8年9月24日(1837年10月23日) - 昭和3年(1928年)4月22日)は、日本の武器商人、実業家。 明治・大正期に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品などの企業を数多く興した。中堅財閥である大倉財閥の設立者。渋沢栄一らと共に、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立。東京経済大学の前身である大倉商業学校の創設者でもある。従三位男爵。号は鶴彦。 天保8年(1837年)9月24日、越後国蒲原郡新発田町(現新潟県新発田市)の下町に父・千之助、母・千勢子の三男として生まれる。幼名は鶴吉。23歳の時に尊敬していた祖父の通称・喜八郎から名を取り、喜八郎と改名。 大倉家は喜八郎の高祖父の代より新発田の聖籠山麓の別業村で農業を営むが、曽祖父・宇一郎(初代定七)の時、兄に田地を返し、商いで生計を立てる。
大崎 彦助(おおさき げんすけ、天保7年〈1836〉5月27… 大崎 彦助(おおさき げんすけ、天保7年〈1836〉5月27日 - 明治28年〈1895〉11月23日)は、旧長岡藩家老・河井継之助の従者。長岡藩領来伝村の割元(大庄屋)。大崎家十三代当主。幕末に河井継之助に取り立てられ、以後、継之助が没するまで公私共に深く関わった。名の読み方として「ひこすけ」と読み仮名を振っている文献もある。実名は邦敬である。 大崎彦助は、天保7年5月27日に長岡藩領来伝村(現、新潟県長岡市来伝)に、割元(大庄屋)であった大崎家12代目当主・大崎津右衛門邦常の長男として生まれた。彦助の号は通休(つうきゅう)と称した。父・大崎津右衛門邦常は、学問の重要さを知り、子供の彦助を長岡藩の佐野家(河井継之助の姉の縁家)に、11歳から13歳まで寄宿して句読を学ばせ、その後、彦助を江戸の古賀塾で学ばせた。
岡村 貢(おかむら みつぎ、1836年5月25日(天保7年4… 岡村 貢(おかむら みつぎ、1836年5月25日(天保7年4月11日) - 1922年(大正11年)1月7日)は、明治期の政治家、実業家。第十三大区長、南魚沼郡長、衆議院議員。法師温泉創業者。その生涯から「上越線の父」と言われている。田中角栄が最も尊敬した郷土の先達と言われる。幼名は大次郎。 昭和6年には、以下のような歌が小学校で合唱されたという。 光り輝く文化の花は 上越線をば開通せしむ 花も蒔かずば咲かれもすまい 蒔いた父こそ岡村貢 明治十余のその昔より 清水、三国の草踏みわけて 一生涯と全財産を 捧げて祈る涙の跡よ
大橋 佐平(おおはし さへい、1836年2月8日〈天保6年1… 大橋 佐平(おおはし さへい、1836年2月8日〈天保6年12月22日〉 - 1901年〈明治34年〉11月3日)は、明治時代の実業家で、博文館創業者。 妻の弟は東京堂創業者の高橋新一郎。三男(長男と次男は早逝)は博文館第2代館主の大橋新太郎、四男は東京堂第2代主人の大橋省吾。長女の婿は博文館支配人で小説家の大橋乙羽、三女の婿は共同印刷創業者の大橋光吉。 越後長岡の商家に生まれ、幼時より行動力と賢明さをそなえて期待された。また母の薫陶を受けて、仏教の信仰に厚く、僧にすることも親族の間で話し合われたという。 15歳のとき、真言宗の僧籍にある叔父を頼って上京し、九州から江戸を回る大旅行を経験して見聞を広め、長岡藩御用達の家業を守りつつ、幕末激動の時代を過ごした。
滋野 七郎(しげの しちろう、1836年2月5日(天保6年1… 滋野 七郎(しげの しちろう、1836年2月5日(天保6年12月19日)- 1886年(明治19年)3月16日)は、江戸時代の幕末から明治時代の尊攘運動家、僧侶、神職。 越後国糸魚川寺町に生まれる。18歳のとき、糸魚川藩の祈願所である持明院の院主となった。院は近郷近在の修験院の頭で、天津神社の祭りにはこの院主が先導しなければ巡行ができないほどの格があった。同郷の田村弥平や小川長秋、銀林綱男などと親交を結び、国学を修め、勤皇の大義を論じた。1868年、戊辰戦争が起こると院を捨て、親兵隊の方義隊を組織して官軍のために斥侯を務めた。また京都で暗殺された大村益次郎の襲撃犯を隠匿したとして投獄された。維新後は神職となり、筑波山神社を最初に、天津神社祭祠、弥彦神社の宮司、皇典講究所などを歴任した。
七里 恒順(しちり こうじゅん、1835年8月5日(天保6年… 七里 恒順(しちり こうじゅん、1835年8月5日(天保6年7月11日) - 1900年(明治33年)1月29日)は幕末・明治時代の浄土真宗の僧侶である。号は松花子。 1835年(天保6年)、現在の越後国三島郡(現新潟県長岡市)飯塚にある浄土真宗本願寺派明鏡寺第13代住職井上宗鏡の次男として生まれる。このころは「天保の大飢饉」によって全国で多くの餓死者が出て、百姓一揆、打ちこわし、大塩平八郎の乱とその影響による生田万の乱、能勢騒動が起こり、世の中は騒然としていた。 1845年(弘化2年)11歳で得度、14歳で僧朗勧学の門に入り、15歳から宣界司教の德水社に入り修学。20歳から九州に移り、豊前の月珠勧学について宗学を研鑽。
前島 密(まえじま ひそか、1835年2月4日〈天保6年1月… 前島 密(まえじま ひそか、1835年2月4日〈天保6年1月7日〉- 1919年〈大正8年〉4月27日)は、日本の官僚、政治家、教育者。位階勲等爵位は正二位勲二等男爵。本姓は上野。幼名は房吾郎。名(諱)は巻退蔵、密。通称は来輔。号は如々山翁鴻爪。 越後国出身。日本の近代郵便制度の主要な創設者の一人であり「日本近代郵便の父」と呼ばれ、大蔵省駅逓頭(後の郵政大臣・現総務大臣)、逓信省次官を務めた。今も使われる「郵便」「切手」「葉書」という名称を定めたほか、1円切手の肖像で知られる。また、東京専門学校及び早稲田大学の建学に深く関わり、早稲田大学第2代校長を務め、校賓の名誉を受けている。早稲田大学正門横にある「早稲田大学教旨」の碑文は、前島密が1915年(大正4年)に揮毫した自筆が元であり、原本は大学に保存されている。
初代 相馬 哲平(そうま てっぺい、1833年6月22日〈天… 初代 相馬 哲平(そうま てっぺい、1833年6月22日〈天保4年5月5日〉 - 1921年〈大正10年〉6月6日)は、日本の政治家・貴族院議員・北海道多額納税者・資産家・実業家・慈善家。函館貯蓄銀行頭取。相馬合名代表社員。族籍は北海道平民。北海道屈指の豪商だった。多くの公共施設や神社仏閣、凶作救済資金などに多額の私財を寄付した。 越後国蒲原郡荒井浜(のち新潟県北蒲原郡乙村大字荒井浜、現胎内市)で、相馬熊次郎の二男として生まれる。生家は木造和船を一艘所有した回漕業と綿屋の兼業で生計を立てていた。家計が豊かでなかったので、少年時代から「何か腕に芸を覚えよう」と考えていた。 文久元年(1861年)、28歳で箱館に移り、岩船屋春蔵宅で奉公(住み込み労働)。
松尾 与十郎(松尾 與十郎、まつお よじゅうろう、天保3年7… 松尾 与十郎(松尾 與十郎、まつお よじゅうろう、天保3年7月3日(1832年7月29日) — 1886年(明治19年)3月15日)は、日本の篤志家である。明治時代に五十嵐川の治水・築堤に尽力した。 越後国蒲原郡片口村の里正(庄屋)・松尾與右衛門の長男として出生した。松尾家には北越戦争の際、村山半牧を匿った。 明治5年8月1日(1872年9月3日)に、五十嵐川が氾濫し、片口村をはじめ五十嵐川左岸(嵐南)が浸水する八朔の洪水が発生した。与十郎はこの洪水被害を受けて、右岸(三条町側)より堤防が低い左岸にしっかりとした堤防の必要性を村々に訴え、新潟県令平松時厚の視察に際して陳情したが、左岸堤防の築堤は許可されなかった。
入沢 恭平(いりさわ きょうへい、旧字体: 入澤 恭平 18… 入沢 恭平(いりさわ きょうへい、旧字体: 入澤 恭平 1831年7月18日(天保2年6月10日) - 1874年(明治7年)1月10日)は、幕末・明治初期の在野の洋方医教育者、陸軍軍医。 幼名は恭助、字は尊典、号は松塢。初代東京帝国大学医学部綜理(初代の東京大学医学部長に相当)である池田謙齊の兄。入沢達吉は息子。 越後国蒲原郡中之島村西野(現・新潟県長岡市)に生まれる。蘭方医学者が縁戚に複数いたことで医学を志した(弟の池田謙斎も同様)。江戸に出て蘭医学者の戸塚静海と土生玄昌に教えを受ける。その後、万延元年(1860年)に長崎に赴いて、ポンペから医学を教授された。この長崎滞在中に記した日記が残されている。
松田 秀次郎(まつだ ひでじろう、1831年(天保2年)- … 松田 秀次郎(まつだ ひでじろう、1831年(天保2年)- 1896年(明治29年)8月30日)は、幕末の尊攘運動家、明治時代の神職。諱は義昌。号は胖仙、良知。 越後国南蒲原郡狭口村(現在の新潟県加茂市)の庄屋である笠原家に生まれた。親戚で安田興野村 (現在の見附市今町)の庄屋である笠原勘之助の養嗣子となった。兄の笠原新吾も活動に参加した。松田姓は笠原氏の遠祖の姓で、尊攘活動で家族に難が及がことを恐れ、この変名を名乗っている。 慶応3年(1867年)杉之村(現在の長岡市中之島町)の名主の高橋竹之助と共に京都に向かった。朝廷に参内し、北越の鎮定と御親兵の取り立てを建白した。松田は帰郷したが、高橋は京に止まり、北陸道鎮撫使の公家・高倉永祜から「同志を糾合し先鋒たるべし」との沙汰書を明治元年(1868年)1月18日に受け取り帰郷した。同年2月中旬、越後国三島郡坂谷村(現在の長岡市和島村)の池浦広太郎の宅に高橋をはじめ、新発田藩領中之島組安田興野村名主松田秀次郎、中之島村の医師・二階堂保則、糸魚川藩領魚沼郡並柳村(現在の魚沼市広神村)の大割元である関谷孫左衛門などが集まった。
後藤 五郎治(ごとう ごろうじ、1827年(文政10年1月)… 後藤 五郎治(ごとう ごろうじ、1827年(文政10年1月)- 1897年(明治30年)10月9日)は、明治期の政治家。衆議院議員。名・畯、字・士喜、号・稼亭。五郎次の表記有り。 佐渡国加茂郡、のちの新潟県加茂郡新穂村(佐渡郡新穂村舟下を経て現佐渡市)で生まれた。北君養、圓山溟北に師事し漢学を修めた。 戸長、学区取締兼衛生取締、村長、新潟県会議員、佐渡中学校(現新潟県立佐渡高等学校)監事などを務めた。教育振興、相川鉱山開発などに尽力した。 1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(新潟県第9区、大手倶楽部)で当選し、その後、進歩党に所属して、衆議院議員に1期在任した。議員在任中の1897年10月に死去した。
丸岡 南陔(まるおか なんがい、文政8年6月6日(1825年… 丸岡 南陔(まるおか なんがい、文政8年6月6日(1825年7月21日) - 明治19年(1886年)1月8日)は江戸時代から明治にかけての学者、漢詩人。佐渡国雑太郡折戸村名主、佐渡奉行所修教館教授を務め、明治維新後も相川県漢学局、雑太郡学区、公立佐渡中学校で教育に携わった。 文政8年(1825年)6月6日に生まれた。家は代々佐渡国雑太郡折戸町名主、佐渡奉行所官庫出納掾を兼ね、醤油醸造を行っていた。幼少より書を好み、特定の師は持たなかったものの、甲賀達斎等に兄事し、詩を藤木竹窓に学び、間もなく天野恥堂兄弟、万歳東所、西村滄州、大平菰塘、岡崎棟庵、謙亭、棟斎等と交流を持ち、廉社を結び毎月詩筵を開いた。
長谷川 鉄之進(はせがわ てつのしん、1822年(文政5年)… 長谷川 鉄之進(はせがわ てつのしん、1822年(文政5年) - 1871年12月14日(明治4年11月3日))は、幕末の勤皇家、志士。名は世傑、字は公輿、号は強庵。1907年(明治40年)贈従四位。 越後長岡藩粟生津村出身。家は代々庄屋であった。15歳のとき私塾長善館に入門。26歳で江戸に遊学し、朝川善庵に師事する。ペリー来航後は尊皇攘夷を唱え志士活動に身を投じ、各地を巡る。讃岐では小橋安蔵や日柳燕石と親交を結ぶ。攘夷実行の動きに呼応して京都に上るが、文久3年(1863年)の七卿落ちに伴い長州藩へ向かう。「忠正公勤王事績」によると、長谷川と大楽源太郎が佐久間象山の殺害を久坂玄瑞に提案したところ却下されたことが長谷川の日記に書かれているという。
城月 れい(きづき れい、12月8日 - )は、OSK日本歌… 城月 れい(きづき れい、12月8日 - )は、OSK日本歌劇団の娘役スター。新潟県上越市出身。O型 2007年、NewOSK日本歌劇団研修所(当時)入学。85期生。同期に華月奏(男役スター)がいる。 2008年、大阪松竹座で上演された『第五回 レビュー春のおどり』に、舞台実習生として出演。 2009年、OSK日本歌劇団に入団、大阪松竹座『春のおどり』で初舞台。以降、娘役として活動。2012年4月にチェリーガールズ第3期〜第4期メンバーに選出されたほか、8月の『レディレインの肖像 〜フランツその愛〜』では桐生麻耶の相手役であるアンネリーゼ(レディレイン)に抜擢された。 2017年の『Precious Stones』をはじめ、2018年の『巴里のアメリカ人』、第39回・40回たけふレビューなど、ライブから中・大劇場公演のヒロインや娘役筆頭をつとめている。
Hánna(はんな、生年不詳、12月7日生)は、日本国外生ま… Hánna(はんな、生年不詳、12月7日生)は、日本国外生まれ、新潟県在住のシンガーソングライター。血液型はB型。アーティスト名は「Hanna」と表記されることも多い。
さとちん(10月12日生まれ)は新潟県を拠点に活動しているラ… さとちん(10月12日生まれ)は新潟県を拠点に活動しているラジオパーソナリティ・ローカルタレントである。新潟県見附市出身。年齢は非公表で、永遠の28才と自称している。キャッチコピーは「ほうれい線は恋の落とし穴」。現在はLGBTQであることを公表している。 サラリーマン家庭の長男として生まれ、郷ひろみに憧れて幼い頃からアイドル歌手を夢見ていた。高校卒業後に反対する両親を1年かけて説得して上京する。 平尾昌晃ミュージックスクール・東京アナウンスアカデミーに通い、アルバイトをしながらオーディションを受けていた。バラエティタレントへの誘いもあったがアイドル歌手を目指し続ける。 FMヨコハマやテレビ東京などのCMナレーションを担当したのち、オールディーズバンドを結成しボーカルを勤める。
ジミー桜井(Jimmy SAKURAI、10月4日 - )は… ジミー桜井(Jimmy SAKURAI、10月4日 - )は、アメリカ・ロサンゼルスを拠点に活動している日本人のロックギタリスト。新潟県十日町市 出身。 LED ZEPPELINのギタリストであるジミー・ペイジを敬愛しており、コピーの域を超えたペイジの再現・継承を生業としている。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
葛西 レオ(かさい れお、Reo Kasai、8月7日 - … 葛西 レオ(かさい れお、Reo Kasai、8月7日 - )は、日本のトランペット奏者・作曲家・編曲家。 東京都生まれ。幼少期からピアノとエレクトーン、作曲を学ぶ。また、15歳以下の子供たちが参加するヤマハ音楽教室主催の「ジュニアオリジナルコンサート」(JOC)に出演。その後父親が実家の家業である温泉旅館を継ぐこととなり新潟県長岡市へ移住。。新潟大学教育人間科学部附属長岡中学校で吹奏楽部に入部しトランペットを小池伸幸に習い始める。長岡高等学校入学後、同氏の勧めにより元NHK交響楽団首席奏者の津堅直弘に師事し東京へレッスンに通うようになる。その後、東京音楽大学へ進学しトランペットと作曲を学ぶ。在学中から多数のコンテストにて優勝を重ね、これまでに「YAMAHA管楽器プレイヤーズコンテスト」グランプリ受賞「浅草ジャズコンテスト」ベストプレイヤー賞(大会MVP)を2度受賞、第4回新潟ジャズコンテスト ソロプレイヤー部門」優勝、 「MXTVゼベックスオンラインバトル」優勝、「Art for Life 20th ADLIB CONTEST」 BEST PRODUCTION賞、「NOTHIN'BUT JAZZ ADLIB CONTEST」 準優勝など多くの賞を受賞している。
小見山 沙空(こみやま さら、7月27日 - )は、日本のア… 小見山 沙空(こみやま さら、7月27日 - )は、日本のアイドルであり、女性アイドルグループ東京CuteCute、RedRadianceのメンバーである。東京CuteCuteでのメンバーカラーは緑。新潟県小千谷市出身。元NGT48メンバー。 株式会社グッドチョイスエンタテインメント所属。
小方 恵子(おがた けいこ、6月16日 - )は、日本のフリ… 小方 恵子(おがた けいこ、6月16日 - )は、日本のフリーアナウンサー(元千葉テレビ、新潟総合テレビ、FM新潟アナウンサー)。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
カトウ コトノ(6月15日 - )は、日本の漫画家。女性。新… カトウ コトノ(6月15日 - )は、日本の漫画家。女性。新潟県見附市出身、新潟県在住。血液型はO型。日本アニメ・マンガ専門学校マンガクリエイト科出身。2007年に『月刊少年シリウス』(講談社)に掲載された『アナスタシアの親衛隊長』でデビュー。同年から同誌にて『将国のアルタイル』を連載した。 幼少期は『オバケのQ太郎』『ドラえもん』などのテレビアニメが好きだった。漫画を描き始めたのは幼稚園のころで、アニメの真似をして、絵本のような感覚で画用紙1枚に1コマを描いていたという。母親が手塚治虫のファンで、家に漫画があったことが描き始めたきっかけである。幼稚園のころはとにかく「姫キャラに憧れていた」のだという。
古俣 麻弥(こまた まや、5月27日 - )は日本の女性声優… 古俣 麻弥(こまた まや、5月27日 - )は日本の女性声優。ラディウス所属。以前はキャロットハウスに所属していた。埼玉県出身。 新潟県立新潟西高等学校、新潟中央短期大学卒業。
中村 ちひろ(なかむら ちひろ、5月23日-)は、ラジオパー… 中村 ちひろ(なかむら ちひろ、5月23日-)は、ラジオパーソナリティ、『SKY's THE LIMIT JAPAN』代表。新潟県長岡市出身。 新潟県立長岡高等学校、中央大学文学部哲学科卒業。大手生命保険会社の法人営業を経験後、FM新潟にて、パーソナリティ・ディレクター、プロデューサーに従事。その後、ハワイ・オーストラリアにてラジオ番組の制作やコーチング技法を学び、『SKY's THE LIMIT JAPAN』を設立した。その後は企業や行政を対象としたセミナー・研修を行いながら、新潟県民エフエム放送のアナウンサー・ラジオパーソナリティとして活躍していた。
壱弥 ゆう(いちや ゆう、5月3日 - )は、OSK日本歌劇… 壱弥 ゆう(いちや ゆう、5月3日 - )は、OSK日本歌劇団の男役スター。新潟県糸魚川市出身。AB型
高橋 佳奈子(たかはし かなこ、3月31日生)は、日本のDJ… 高橋 佳奈子(たかはし かなこ、3月31日生)は、日本のDJ。血液型はB型。愛称はかなちゃん。
古塩 篤代(こしお あつよ、3月12日-)は、日本の女性フリ… 古塩 篤代(こしお あつよ、3月12日-)は、日本の女性フリーアナウンサー、ニュースキャスターである。サン放送アカデミー所属。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
佐藤 亜紀(さとう あき、2月25日 -)は、フリーアナウン… 佐藤 亜紀(さとう あき、2月25日 -)は、フリーアナウンサー、レポーター、MC、ナレーター。元新潟県民エフエム放送(FM PORT)のラジオパーソナリティ。血液型はB型。 小学校5~6年生くらいの時にポンキッキーズの地方ロケに出演し、メディアとの接点を持つ。18歳でテレビ業界に入り、新潟の情報番組にレギュラーで出演した。その後、FM PORTにレポーターとして参加。 村上市の祭りで新潟三大高市の一つとされている村上大祭では、2014年からインターネット生中継の司会を務める。
安蒜 幸紀(あんびる さき、1月28日 - )は、日本のフリ… 安蒜 幸紀(あんびる さき、1月28日 - )は、日本のフリーアナウンサーである。ジョイスタッフ所属。 新潟県魚沼市出身。フェリス女学院大学卒業。 旅行会社勤務、客室乗務員を経て2013年、NHK沖縄放送局にキャスターとして入局した。NHK沖縄放送局を退局後の2015年、群馬テレビにアナウンサーとして入社し、2018年まで在籍した。 現在は、ジョイスタッフ所属のフリーアナウンサーとして活動している。
TSUNEI(つねい、1月26日 - )は、日本のシンガーソ… TSUNEI(つねい、1月26日 - )は、日本のシンガーソングライター。南魚沼市の交流大使。新潟県南魚沼市出身。 名の由来は亡くなった祖父(つねいち)から名付けた。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
湯木 のじん(ゆき のじん、1月22日 - )は、日本の漫画… 湯木 のじん(ゆき のじん、1月22日 - )は、日本の漫画家。新潟県村上市出身。東京都在住。血液型O型。デビュー作は『ちょいっとな』。 全て集英社、マーガレットコミックスから刊行されている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
柑野 夏希(かんの なつき、1月21日 - )は、日本の女優… 柑野 夏希(かんの なつき、1月21日 - )は、日本の女優。新潟県五泉市出身。加川事務所所属。 新潟県五泉市(旧村松町出身)。地元新潟でデビューし、その後活動の拠点を東京に移す。女優として舞台、映画、CM、ドラマ等に出演。声優やナレーターや司会者としても活動を行っている。 加川事務所 所属タレント。 ニコプロ女性MC自己PR動画。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
Emi(えみ、1月19日生)は、新潟県魚沼市出身の女性シンガ… Emi(えみ、1月19日生)は、新潟県魚沼市出身の女性シンガーソングライター。 2006年に行われた全国オーディション「BRIGHTEST NEW STARS」グランプリ獲得と同時に本格的に音楽活動を始める。2007年にCrescent moon labelより1枚目のアルバム『虹色兼美〜music pocket〜』を発売後、現在までに3枚のアルバムと2枚のシングルをリリースしている。ダンスを取り入れたダンスナンバーでの"魅せる"ステージと、ピアノ弾き語りでの"聴かせる"ステージの両方でライブ活動を行う。 地元である新潟での活動も幅広く、ラジオなどにも不定期で出演しているほか、南魚沼市のイベントにも毎年ゲスト出演している。
小野寺 一歩(おのでら いっぽ、1月14日 - )は、日本の… 小野寺 一歩(おのでら いっぽ、1月14日 - )は、日本の男性ナレーター、パフォーマー、歌手。アトゥプロダクションに所属。新潟県村上市出身。
益田 詩歩 は、日本の元女子プロ野球選手。
江口 歩(えぐち あゆむ)は、新潟市を本拠地とするお笑い集団… 江口 歩(えぐち あゆむ)は、新潟市を本拠地とするお笑い集団NAMARAの代表。お笑い芸人を束ねるかたわら、講演会、執筆活動なども。障碍者をタブー視することをタブーとしていてかつてNAMARAに所属していた脳性マヒブラザーズを講演会やお笑いライブにおいて障害ネタを操り徹底的にいじくり倒した事がある。また江口本人もある出来事の後遺症により身体障害者5級の手帳を取得している。
DOUBLE(ダブル)は、日本の女性R&B歌手・ソングライタ… DOUBLE(ダブル)は、日本の女性R&B歌手・ソングライター、TAKAKOによるソロ・プロジェクト。