魁渡 頌胆(かいと しょうた、1996年6月19日 - )は… 魁渡 頌胆(かいと しょうた、1996年6月19日 - )は、新潟県佐渡市出身で浅香山部屋(入門時は友綱部屋)所属の元大相撲力士。本名は萩原 頌胆(はぎわら しょうた)。身長181cm、体重166kg、血液型はA型。最高位は東幕下5枚目(2020年3月場所)。好物はアイス、メロン。 現在しょうタンという名前で【ピースオブケイク-Pice of Cake-】というグループでYouTube活動している。 母親はタイ人で、小学校4年までタイで生活した。小学校4年次に、未経験ながら出場した佐渡市の相撲大会で2位入賞したことをきっかけに地元の相撲道場(佐渡少年相撲教室)で本格的に相撲を始めた。佐渡市立金井中学校在学中は陸上部に所属し、砲丸投げで佐渡市の記録を更新しながら相撲も続けてきたが、3年生だった2011年に全国中学校体育大会の団体でベスト16、個人でも決勝トーナメント3回戦に進んだ。
朝前進 又一郎(あさぜんしん またいちろう、1995年6月2… 朝前進 又一郎(あさぜんしん またいちろう、1995年6月22日 - )は、新潟県佐渡市出身で、高砂部屋所属の現役大相撲力士。本名は寺沢 樹(てらさわ -)。身長183.2cm、体重133.4kg、血液型はA型。最高位は東十両4枚目(2022年3月場所、7月場所)。2025年7月場所以前の四股名は朝乃若 樹(あさのわか いつき)。 相撲は祖父に連れられて行った佐渡相撲教室で、佐渡市立金井小学校2年次から始めた。中学校からは石川県へ相撲留学。金沢市立鳴和中学校に進学して、3年次に全国中学校相撲選手権大会で個人準優勝。金沢市立工業高校では2年次に宇佐大会で団体優勝、金沢大会と高校総体で団体準優勝を経験。
飛燕力 敬介(ひえんりき けいすけ、1983年3月6日 - … 飛燕力 敬介(ひえんりき けいすけ、1983年3月6日 - )は、新潟県燕市出身で、押尾川部屋(一時、尾車部屋)所属の現役大相撲力士。本名は吉川 敬介(きっかわ けいすけ)。身長178.3cm、体重124.9kg、血液型はO型。得意は右四つ、出し投げ。最高位は西幕下29枚目(2014年9月場所)。 1998年3月場所で押尾川部屋から初土俵を踏む。同期生には追風海、玉乃島、北太樹、玉飛鳥らがいる。1999年7月場所は6勝1敗の好成績で、6人で争われる優勝決定戦に進出しているが、優勝は逃している(この時、序ノ口優勝した長谷川は翌場所限りで引退、その後テレビのスポーツバラエティの検証番組に出演したことがある)。
霜鳥 典雄(しもとり のりお、1978年3月18日 - )は… 霜鳥 典雄(しもとり のりお、1978年3月18日 - )は、新潟県新井市(現・妙高市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。身長188cm、体重152kg 、血液型はB型。得意技は右四つ、寄り。最高位は西小結(2004年3月場所)。2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。 小中学生の頃は、空手や柔道、水泳と様々なスポーツに親しむが、新潟県立高田農業高等学校で相撲部に勧誘され、才能を開花させる。3年生の時国体で5位に入賞。その後東京農業大学に進学して相撲部で活躍した後、時津風部屋に入門。2000年3月場所に幕下付出で初土俵を踏む予定であったが、知人の運転する車に同乗した際に事故に巻き込まれて全治5週間の怪我をしたため、初土俵は同年の5月場所にずれ込んだ。
床大(とこだい、1970年7月24日 - )は、大相撲の床山… 床大(とこだい、1970年7月24日 - )は、大相撲の床山。本名は大橋太司。新潟県三条市出身。陸奥部屋→音羽山部屋所属。現在一等床山を務めている。
豊富士 修(ゆたかふじ おさむ、1970年4月14日 - )… 豊富士 修(ゆたかふじ おさむ、1970年4月14日 - )は、新潟県十日町市出身で時津風部屋所属の元大相撲力士。本名は鈴木 修(すずき おさむ)。身長186cm、体重179kg。最高位は西十両5枚目(1993年5月場所)。得意技は突き、押し。血液型B型。 飲食店「ごっちゃん亭」の二男で、子供の時から野球やスキーか好きで、相撲も始めたが奉納相撲で取る程度だった。十日町市立南中学校では相撲部に所属し、新潟県大会では3年間連続の個人優勝を果たし、全国大会にも出場し活躍した。その活躍を聞いた同郷で元時津風部屋の凱皇から勧誘されたので、自分の力を試そうと考えて入門を決意した。中学卒業と同時に知人の紹介で時津風部屋に入門。
高見若 清一(たかみわか きよかず、1969年12月12日 … 高見若 清一(たかみわか きよかず、1969年12月12日 - 1996年10月23日)は、新潟県三条市出身で、東関部屋所属だった元大相撲力士。本名は星野 清(ほしの きよし)。身長188cm、体重127kg。 1969年12月12日、新潟県三条市に生まれる。1986年1月場所に高砂部屋に元関脇・高見山の内弟子として入門して初土俵を踏み、その後、高見山が独立して東関部屋を興すと移籍した。最高位は西幕下12枚目。 1995年9月場所、5勝を挙げた後に引退。 引退後は部屋の横綱曙のマネージャーをしていたが、引退した翌年の1996年10月23日十二指腸潰瘍のため死去。 弓取力士として有名だった。 通算成績:213勝178敗15休 (59場所) この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。
床好(とこよし、1964年11月29日 - )は、大相撲の床… 床好(とこよし、1964年11月29日 - )は、大相撲の床山。本名は涌井好三。新潟県十日町市出身。時津風部屋所属。現在特等床山を務めている。
凱皇 仁(かいおう ひとし、1957年4月14日- )は、新… 凱皇 仁(かいおう ひとし、1957年4月14日- )は、新潟県十日町市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は上村 仁(かみむら ひとし)。身長186cm、体重156kg。最高位は東十両7枚目。得意手は右四つ、寄り、突き。 1973年3月場所初土俵、順調に出世して20歳で幕下中堅まで番付を上げた1977年7月場所中に風呂場で倒れ、はずみでガラス戸を突き破った左腕に大怪我を負い、半年近いブランクを強いられた。復帰後は右腕一本で相撲を取るような形になりながら、約4年後の1982年3月場所に十両昇進。当時の十日町市の広報紙によると十両昇進を祝う激励会には500人が集まるなどかなりの期待があった様子であり、後援会長が紙上で「もし52年(1977年)7月の、左腕動脈切断という大怪我がなかったなら、この激励会は大関昇進祝いであったかも知れない」と語っていた。
大豊 昌央(おおゆたか まさちか、1955年3月29日 - … 大豊 昌央(おおゆたか まさちか、1955年3月29日 - )は、新潟県北魚沼郡堀之内町(現・同県魚沼市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 栄二(すずき えいじ)。現役時代の体格は187cm、165kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は西小結(1983年1月場所)。部屋公式プロフィールによると、好物は野菜、豆腐、納豆、梅干、甘くない辣韭、玄米、ネギ、ちりめんじゃこなどのヘルシー系。 中学時代はスキーや陸上競技を経験し、中学卒業後は実家の土建会社に就職した。18歳の時に知人から時津風親方(元大関・豊山)を紹介され上京し、時津風部屋に入門。1973年11月場所で初土俵を踏んだ。初土俵の同期には、後の前頭・栃剣がいる。
天剛山 隆清(てんごうやま たかきよ、1953年10月2日 … 天剛山 隆清(てんごうやま たかきよ、1953年10月2日 - )は、新潟県新潟市出身で木瀬部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 高志(さとう たかし)。182cm、145kg。最高位は東十両5枚目(1982年1月場所)。得意は右四つ、寄り。 新潟明訓高等学校では、初め柔道部に所属、高校1年生の秋にレスリングに転向した。日米親善高校レスリング大会の新潟代表に決まった際、取材に訪れたNHK記者から、相撲をやらないかと勧誘され、木瀬部屋を紹介された。小学2年生の時に父を交通事故で亡くしてからは母子家庭であったが、母の名が「キセ」であり、縁を感じて高校2年生の秋に入門した。1970年11月場所に天剛山 隆清(てんごうさん たかきよ)の四股名で初土俵、1981年11月場所に新十両、1982年7月場所に四股名の読みを「てんごうさん」から「てんごうやま」に改めた。
大錦 一徹(おおにしき いってつ、1953年9月11日 - … 大錦 一徹(おおにしき いってつ、1953年9月11日 - )は、新潟県佐渡郡羽茂町(現役当時、現・同県佐渡市羽茂)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾堀 盛夫(おほり もりお)。身長185cm、体重145kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。最高位は東小結(1973年11月場所)。 中学在学時に、実家近くの味噌製造会社の常務から勧誘され、「好きなだけ食べられる」という口説き文句が決め手となって出羽海部屋に入門。1968年5月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。本人は「テレビに映る幕内以上の力士になる」と入門に際して意気込んでいた。 「稽古していれば何も言わなかった」という9代出羽海の元で熱心に相撲に励み、9代出羽海に言われたことは二度と繰り返して言われないように心構えを持っていた。
黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 … 黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 - 2019年4月25日)は、新潟県西頸城郡青海町(現在の糸魚川市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は田中 秀男(たなか ひでお)。現役時代の体格は182cm、147kg。得意手は押し、右四つ、寄り。最高位は東関脇。四股名の由来は出身地旧青海町の黒姫山から。 幼少期はプロレスラーに憧れており、プロレスの新聞記事の切り抜きを集めたり、兄弟とプロレスごっこをして過ごしていた。出稼ぎに出た父親が戻ってこず、中学卒業後に家の家計を助けるために大相撲入りを決断し、1964年3月場所において初土俵を踏んだ。 入門前の田中にとってヒーローはとにかく力道山であり、相撲は全く好きではなかった。
豊山 広光(ゆたかやま ひろみつ、1947年10月22日 -… 豊山 広光(ゆたかやま ひろみつ、1947年10月22日 - 2020年9月19日)は、新潟県新発田市大字新保小路出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は長濱 廣光(ながはま ひろみつ)。現役時代の体格は186cm、133kg。得意手は右四つ、突っ張り、吊り、寄り。最高位は東小結(1972年9月場所・1977年11月場所)。 現役引退後は年寄・湊を襲名して、湊部屋を創設し、その師匠を長く務めた。 実家は農家。幼い頃から相撲を始め、新発田農業高校では全国大会で優勝し「高校横綱」になるなど、活躍を見せた。 1966年春、高校卒業と同時に東京農業大学に進学。スポーツ特待生での入学を希望したが、当時学内の不祥事により同大学では特待生制度を認めていなかったため、一般の学生として入学した。
キラー・カーン(Killer Khan、1947年3月6日 … キラー・カーン(Killer Khan、1947年3月6日 - )は、春日野部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。新潟県西蒲原郡吉田町(現:燕市)出身。本名は小澤 正志(おざわ まさし)。キラー・カンとも表記される。大相撲時代の四股名は越錦(こしにしき)で、最高位は幕下40枚目。
豊山 勝男(ゆたかやま かつお、1937年8月18日 - )… 豊山 勝男(ゆたかやま かつお、1937年8月18日 - )は、新潟県新発田市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は内田 勝男(うちだ かつお)。最高位は東大関。現役時代の体格は189cm、137kg。得意手は突っ張り、右四つ、吊り、寄り、上手投げ。元日本相撲協会理事長(第8代)。 母子家庭に育ち、苦学しながら文武両道に励んだ。新潟県立新発田商工高等学校定時制在学中は陸上(投擲競技)や野球で活躍。一時はプロ野球の有名球団からの誘いもあったが、OBである先生の勧めにより東京農業大学農学部農芸化学科に進学し、相撲部に入部。相撲の経験は無かったが4年次には学生横綱となり、その実績が認められて1961年3月場所に時津風部屋から、異例の幕下10枚目格付出という破格待遇で初土俵を踏んだ。
起雲山 世志介(きうんざん よしすけ、1932年1月2日 -… 起雲山 世志介(きうんざん よしすけ、1932年1月2日 - 1977年6月8日)は、新潟県古志郡宮内町(現・同県長岡市宮内町)出身で追手風部屋に所属した大相撲力士。本名は小川 美輔(おがわ よしすけ)。最高位は東前頭19枚目(1957年1月場所)。現役当時の体格は180cm、81kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げなど。 19歳の時、元大関・清水川が率いる追手風部屋へ入門し、1951年5月場所で初土俵。 同場所では番付外と新序でともに好成績を残したため、次の場所では序ノ口を飛び越して、いきなり序二段に付いた。なお、当初より四股名は、「起雲山」であった。 以来順調に番付を上げ、1955年1月場所で十両昇進、1956年3月場所で新入幕を果たした。
越後山 重正(えちごやま しげまさ、1919年9月12日 -… 越後山 重正(えちごやま しげまさ、1919年9月12日 - 1993年1月4日)は、高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は加藤 重正(旧姓柳)。現在の新潟県十日町市出身。182cm、98kg。最高位は東十両4枚目。 1938年5月初土俵、1945年11月十両昇進。勝ち越すも翌場所の1946年11月限り廃業した。
佐渡ヶ嶌 林蔵(さどがしま りんぞう、1909年10月5日 … 佐渡ヶ嶌 林蔵(さどがしま りんぞう、1909年10月5日 - 1955年3月17日)は、新潟県佐渡郡(現・佐渡市)出身で浅香山部屋、井筒部屋に所属した力士。本名は佐々木 林蔵。182cm、98kg。最高位は西前頭12枚目。 1933年1月初土俵。軍隊を終えた後だったため、23歳と遅い入門だった。入門した浅香山部屋が同年7月師匠(元横綱三代目西ノ海)の急逝により閉鎖されたため、井筒部屋に移籍した。左四つの吊り寄りが得意であったが、けたぐりの飛び道具もしばしば見せた。熱心な稽古の甲斐があって1939年1月十両昇進、1940年5月新入幕を果たし、翌1941年1月には最高位となる西前頭12枚目に昇進し、横綱男女ノ川と大関五ッ島を倒す殊勲を演じたものの4勝11敗と大きく負け越した。
番神山 政三郎(ばんしんざん せいざぶろう、1909年1月1… 番神山 政三郎(ばんしんざん せいざぶろう、1909年1月17日 - 1982年1月7日)は、新潟県刈羽郡(現:新潟県柏崎市)出身の元大相撲力士。本名は長谷川 政三郎(はせがわ せいざぶろう)。 1909年1月17日に新潟県刈羽郡(現:新潟県柏崎市)で生まれる。尋常高等小学校を卒業後に前橋の作り酒屋へ奉公に出たが、周囲から勧められて出場した宮相撲で優勝したところを雷部屋の元力士・群馬ヶ嶽に見出されて雷部屋に入門、1927年1月場所で初土俵を踏んだ。入門から僅か半年後に雷が死去すると、所属していた力士全員が白玉部屋へ転属、ところが白玉もまもなく没したことから八角部屋へ再転属するなど、いくつかの部屋を転々とする生活が続いた。
越ノ海 東治郎(こしのうみ とうじろう、1906年7月1日 … 越ノ海 東治郎(こしのうみ とうじろう、1906年7月1日 - 1973年1月24日)は、新潟県西頸城郡根知村(現:新潟県糸魚川市)出身の元大相撲力士。本名は渡邊 東治郎(わたなべ とうじろう)(旧姓:加藤)。 1906年7月1日に新潟県西頸城郡根知村(現:新潟県糸魚川市)で生まれる。1925年1月場所で若藤部屋から初土俵を踏んだ。1931年5月場所で新十両昇進を果たすも1場所で幕下に陥落したが、1932年1月6日に勃発した春秋園事件によって、2月場所の改正番付では十両に格上げされ、1932年5月場所で新入幕を果たした。右四つからの上手投げは豪快かつ強力だったが、連敗癖のために幕内上位へは上がれなかった。
常陽山 正治(じょうようざん まさじ、1903年1月25日 … 常陽山 正治(じょうようざん まさじ、1903年1月25日 - 1972年1月25日)は、新潟県中頸城郡(現妙高市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は楡井 正次。引退後は9代稲川を襲名し、後進の指導につとめた。身長174cm、体重88kg。最高位は東十両筆頭。 1919年1月初土俵、1932年2月十両昇進。東筆頭まで躍進するが入幕はならず、1938年5月に引退し9代稲川を襲名した。平年寄で役職には就けず、1968年1月定年退職。1972年心臓衰弱で死去。なお、生没同日である。
高ノ花 武也(たかのはな たけや、1902年12月7日 - … 高ノ花 武也(たかのはな たけや、1902年12月7日 - 1960年5月25日)は、現在の新潟県上越市出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は倉田 武也(旧姓藤田)。183cm、120kg。最高位は西前頭8枚目(ただし、春秋園事件に加担した為に番付が削除され、番付上の最高位は東前頭14枚目) 1921年5月場所に「高田川」の四股名で初土俵を踏む。着実に番付を上げていき、1929年1月場所で十両昇進。1931年5月新入幕、恵まれた体格で常陸山に後継者として期待されるが、その後春秋園事件に加担したことで大成できず、1933年1月に幕内格別席で復帰した場所を全休し、そのまま廃業した。廃業後は新宿で相撲料理店「つたや」を経営した。
開心 栄(かいしん さかえ / えい、1901年12月12日… 開心 栄(かいしん さかえ / えい、1901年12月12日 - 没年不明)は、新潟県燕市出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は野沢 国栄。最高位は十両8枚目。 宮城野部屋に入門し、1917年5月、初土俵を踏む。1924年5月、「弥彦山」の四股名で十両に昇進したが、1勝5敗と負け越し、幕下に落ちた。「開心」に改名後の1927年10月再十両、この場所も2勝5敗4休と負け越し、再び幕下に落ちた。1930年5月に十両復帰。この場所と翌10月場所も続けて負け越し、幕下に落ちた後の1933年5月に廃業した。
柏山 大五郎(かしわやま だいごろう、1901年4月12日 … 柏山 大五郎(かしわやま だいごろう、1901年4月12日 - 1979年1月20日)は、新潟県古志郡(現在の長岡市)出身で山科部屋に所属した大相撲力士。本名は青柳 政一。身長174cm、体重86kg。関脇まで昇進したが、現役引退後は廃業してしまった。 最盛期でも86キログラムという軽量だったので、最初は新弟子検査にも通らなかったが、増量して合格、山科部屋から1917年1月場所に初土俵を踏んだ。昇進は順調で、1921年5月場所には新十両、1922年5月に入幕した。出足を利用しての吊り技が得意であった。新入幕の場所に7勝2敗1預と健闘し、幕内上位に進出。新小結となった1924年5月場所には、横綱西ノ海と預りの熱戦を含め7勝3敗1預の好成績をあげ、翌1925年1月場所には関脇に昇進した。
浦ノ濱 栄治郎(うらのはま えいじろう、1889年2月20日… 浦ノ濱 栄治郎(うらのはま えいじろう、1889年2月20日 - 1945年10月30日)は、新潟県三島郡(現在の小千谷市)出身で浦風部屋に所属した大相撲力士。本名は滑川 丑五郎(なめりかわ うしごろう)、旧姓は丸山。身長171cm、体重101kg。得意手は左四つ、吊り。最高位は関脇。 新潟県出身。板前修業に上京するも県人の財閥より体格より勧められ、相撲界へ浦風部屋へ入門。1906年5月序ノ口。1911年2月十両に昇進、1913年1月新入幕。6勝2敗1分1預で優勝旗手となる。均整の取れた体格で、吊りをはじめとする派手な取り口は「浦さま」と呼ばれた美貌とあわせ、女性に人気が有った。大物食いとしても鳴らして花形力士。
藤ノ川 雷五郎(ふじのかわ らいごろう、1888年4月10日… 藤ノ川 雷五郎(ふじのかわ らいごろう、1888年4月10日 - 1966年2月22日)は、現在の新潟県上越市出身で伊勢ノ海部屋に所属した力士。本名は飯田 繁治。14代春日山。174cm、94kg。最高位は西関脇。 1908年1月初土俵、1913年5月十両昇進。1917年5月入幕し、前頭2枚目で迎えた1919年春場所において横綱栃木山に勝利、生涯唯一の金星を獲得した。この場所は5勝5敗の成績だったが、同年5月に関脇昇進。しかし10戦全敗に終わってこの関脇が現役唯一の三役経験となり、以降は三役に戻る事無く前頭の上位と下位を往来している。 1925年1月に引退し14代春日山を襲名。しかしこの頃辺りから伊勢ノ海一門の勢いに翳りが見られ、1946年に伊勢ノ海一門が消滅すると14代春日山は同年11月に部屋を閉じて弟子を全て立浪部屋に譲渡移籍。
桂山 勘五郎(かつらやま かんごろう、1882年5月8日 -… 桂山 勘五郎(かつらやま かんごろう、1882年5月8日 - 1926年8月5日)は、新潟県西頚城郡能生町(現在の糸魚川市)出身で尾車部屋、朝日山部屋、再度尾車部屋に所属した力士。本名は笠原 嘉三(舟三とも)。165cm、79kg。最高位は西前頭6枚目。 入門前は金融業に就いていたが、元大関大戸平廣吉の尾車門人となり、陣立の四股名で1900年5月初土俵。1909年6月十両昇進、1910年1月新入幕。その後1911年10月に大坂相撲に加入したが、復帰して桂山に改名、6枚目まで躍進する。再び陣立に改名したのち、1915年6月を以て廃業した。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
柏戸 宗五郎(かしわど そうごろう、1881年10月10日 … 柏戸 宗五郎(かしわど そうごろう、1881年10月10日 - 1946年8月13日)は、現在の新潟県上越市出身で伊勢ノ海部屋に所属した力士。本名は伊勢ノ海 富太郎(旧姓江口)。9代伊勢ノ海。189cm、116kg。最高位は東小結。 日露戦争で勲功があり、従軍中に知合った伊勢ノ海部屋の力士から角界入りを勧誘され、1907年1月幕下付出で初土俵。1909年6月十両昇進、1910年1月には入幕し、1914年1月に小結に昇進した。しかし心臓病の為に全休し、以後は振るわなかった。すでに師匠が亡くなり二枚鑑札となっており、1918年5月引退し年寄稼業に専念することになった。師匠としては藤ノ川雷五郎などを育てたが、1933年1月場所後錦島部屋に弟子を預け、一時部屋を閉じた。