室賀 清徳(むろが きよのり、1975年〈昭和50年〉- )… 室賀 清徳(むろが きよのり、1975年〈昭和50年〉- )は日本の編集者、評論家、教育者。Webサイト『The Graphic Design Review』編集長。元『アイデア』編集長。デザイン、タイポグラフィ関連書籍を数多く手がけるほか、国内外で評論、講演、翻訳、キュレーション、教育活動などに幅広く関わる。東京藝術大学、武蔵野美術大学、MeMe Design School非常勤講師。 1975年、新潟県長岡市生まれ。1999年、東京大学文学部美学芸術学専修課程卒業。同年より誠文堂新光社にて雑誌『アイデア』をはじめ、デザイン、タイポグラフィ関連書籍を中心に編集。2002年から2018年まで『アイデア』編集長を務め、2010年、同誌の「2002年300号以降の特集形式による1冊で完結する充実した編集内容活動に対して」第8回竹尾賞審査員特別賞を受賞。
加藤 貞顕(かとう さだあき、1973年6月11日 - )は… 加藤 貞顕(かとう さだあき、1973年6月11日 - )は、日本の編集者、実業家。note株式会社代表取締役CEO。(2020年4月7日 株式会社ピースオブケイクより社名変更) 新潟県新潟市生まれ。1997年、横浜市立大学商学部経済学科卒業。2000年、大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。同年、アスキーに入社し雑誌編集を担当、2005年にダイヤモンド社に入社し、単行本の編集や電子書籍の開発などに携わる。 『英語耳』(松澤喜好)、『投資信託にだまされるな!』(竹川美奈子)、『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』(藤沢数希)、『スタバではグランデを買え! ―価格と生活の経済学』(吉本佳生)、累計発行部数は280万部を記録した『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海)、『マイ・ドリーム バラク・オバマ自伝』(バラク・オバマ)、『評価経済社会』(岡田斗司夫)など、ベストセラーを多数手がける。
佐藤 真由美(さとう まゆみ、1973年(昭和48年) - … 佐藤 真由美(さとう まゆみ、1973年(昭和48年) - )は、歌人、女性誌編集者。
斎藤 真理子(さいとう まりこ、1960年 - )は、日本の… 斎藤 真理子(さいとう まりこ、1960年 - )は、日本の韓国語翻訳者、著述家、編集者。 新潟県新潟市生まれ。明治大学文学部卒業。父は新潟大学名誉教授の物理学者で、宮沢賢治の研究者としても知られる斎藤文一。姉は文芸評論家の斎藤美奈子。 1980年から朝鮮語を学び始め、1991年からソウル延世大学語学堂に留学する。出版社勤務を経て、2015年にパク・ミンギュ『カステラ』で第1回日本翻訳大賞受賞。2020年に韓国文学翻訳院の第18回韓国文学翻訳賞文化体育観光部長官賞を受賞。2025年にハン・ガン『別れを告げない』で第76回読売文学賞(研究・翻訳部門)を受賞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
増井 修(ますい おさむ 1959年3月11日 - )は日本… 増井 修(ますい おさむ 1959年3月11日 - )は日本の編集者、音楽評論家、音楽ジャーナリスト、音楽エッセイスト。漫画に対する造詣も深く、漫画評論の著作も発表している。 新潟県柏崎市(旧西山町)出身。新潟県立柏崎高等学校卒業、新潟大学法学部中退。 『rockin'on』1979年10月号に投稿した原稿が初掲載される。1980年1月号の初の社員公募に応募、倍率200倍を突破しロッキング・オン入社。1985年、青山レコーディング・スクールにて講師を務める。1992年にロッキング・オン社取締役就任。 1990年5月号から1997年5月号まで『rockin'on』編集長。1997年3月には編集長として、雑誌『buzz』を創刊、vol.2で『rockin'on』と同時に編集長を引退。
遠藤 諭(えんどう さとし、1956年 - )は、サブカルや… 遠藤 諭(えんどう さとし、1956年 - )は、サブカルやコンピュータ関係を得意とするライター兼編集者である。他の名義にエンドウユイチ、ホーテンス・S・エンドウがある。役職等としては、『東京おとなクラブ』編集長、『月刊アスキー』ライター・編集長(1991年~)、アスキーCOO等を経て、角川アスキー総合研究所主席研究員(2013年〜)。 新潟県長岡市生まれ。プログラマ稼業などのかたわら、1980年代前半より「エンドウユイチ」名義でサブカル系ライターとして活動する。1982年に中森明夫らと発刊したミニコミ『東京おとなクラブ』では、執筆の他に発行人および編集長をつとめた。『東京おとなクラブ』は戸川純や少年ドラマシリーズなどと言った当時のサブカル文化の中心を行く特集内容と、村上知彦や米沢嘉博といった評論家、および岡崎京子や桜沢エリカといったニューウェーブ系漫画家の寄稿により、当時のサブカル界隈において「台風の目」とでもいうような存在だったと振り返られるミニコミとなった。
鳥嶋 和彦(とりしま かずひこ、1952年〈昭和27年〉10… 鳥嶋 和彦(とりしま かずひこ、1952年〈昭和27年〉10月19日 - )は、日本の編集者、実業家。元白泉社顧問。 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の編集に長らく携わっており、特に鳥山明を見出し、編集担当したことで知られる。 新潟県小千谷市出身。実家は小千谷駅前で洋品店を営んでいた。新潟県立小千谷高等学校を経て、慶應義塾大学法学部を卒業後、1976年(昭和51年)、集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部に配属され、以後一貫してジャンプ関連の雑誌・書籍の編集を担当。漫画以外にも、企画ページの『ジャンプ放送局』、『ファミコン神拳』などの編集や、連載漫画のメディアミックス化を手がけたり、さくまあきらや堀井雄二などの外部の人間を起用しゲームの世界に導いたり、『ドラゴンクエスト』(以下『ドラクエ』)誕生にも一役かっている。
斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は… 斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は、日本の児童文学作家、編集者。 1940年に新潟県新潟市に生まれる。小学校から高校卒業までを長岡市で過ごす。新潟大学教育学部附属長岡小学校、新潟県立長岡高等学校を卒業後、立教大学法学部法学科に進学。60年安保闘争に参加。同大卒業後、大手電機メーカーに勤務した。 その後、福音館書店編集部に勤務。長年にわたり児童書籍の編集に携わる。同社編集担当取締役となった。 1970年の処女作『グリックの冒険』で、翌年に日本児童文学者協会新人賞を受賞。 1972年の『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』で、国際児童年特別アンデルセン賞優良作品に選出。 1983年には、『ガンバとカワウソの冒険』で野間児童文芸賞を受賞した。
湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日… 湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日本の編集者、評論家、エッセイスト、元京都造形芸術大学教授。
石黒 清介(いしぐろ せいすけ、1916年3月17日 - 2… 石黒 清介(いしぐろ せいすけ、1916年3月17日 - 2013年1月27日)は、歌人、編集者、出版人。短歌新聞社元社長。 新潟県三条市生まれ、栃尾市育ち。本名は清作。1940年、同郷の詩人内藤鋠策と『抒情詩』を復刊する。1943年応召を受け、中国、仏領インドシナなどで従軍。戦後、郷里新潟県で「越後短歌」を創刊。 1953年東京で短歌新聞社を創立、月刊短歌情報誌『短歌新聞』を発刊。1977年に月刊短歌総合誌『短歌現代』を創刊した。以後、2011年12月の廃業まで一貫して社長を務めた。名歌集を安価で読める「短歌新聞社文庫」、新鋭歌人による「現代歌人叢書」「現代女流短歌全集」の創刊や、短歌現代新人賞の創設、『短歌現代』編集長に高瀬一誌を起用するなどの施策を打ち出し、戦後短歌に大きな影響を与えた。
石塚 友二(いしづか ともじ、1906年9月20日 – 19… 石塚 友二(いしづか ともじ、1906年9月20日 – 1986年2月8日)は、日本の俳人・小説家・編集者。俳誌「鶴」の二代目主宰。本名は友次。 新潟県北蒲原郡笹岡村(現阿賀野市)生まれ。笹岡尋常高等小学校高等科卒業。農業学校を出て家業の農業に従事したのち、1924年に叔父を頼って上京。 横浜の濾水工場で働いたのち、1932年まで神田の東京堂書店に勤める。この間、那珂公平の紹介で横光利一に師事したほか、多くの文人と交わる。1932年、保高徳蔵の「文学クオタリイ」に参加、同人となり発行事務を手伝う。1933年、書物展望社にて随筆誌『文体』の編集に携わる。1935年、沙羅書店を設立、横光利一の『日輪』『覚書』、水原秋桜子の『葛飾』復刻版、石橋辰之助の『山行』、石田波郷の『石田波郷句集』などを刊行する。
布川 角左衛門(ぬのかわ かくざえもん、1901年10月13… 布川 角左衛門(ぬのかわ かくざえもん、1901年10月13日 - 1996年1月29日)は日本の編集者、実業家。栗田出版販売会長、筑摩書房代表取締役、普連土学園理事長。 新潟県長岡市生まれ。父母の離婚後、父に引き取られ、小学校1年から静岡県沼津市にて義母に育てられる。 旧制沼津中学校(静岡県立沼津東高等学校)を経て法政大学文学部哲学科に進み、野上豊一郎や安倍能成に師事する。 1928年、岩波書店編集部に入社し、岩波文庫、岩波全書などの編集にあたる。1945年、終戦後、東京拘置所から三木清の遺体を東畑精一と引き取り、荷車を借りて東畑邸まで運ぶ。1956年、編集部長を最後に55歳で定年退職した後、63歳で栗田出版販売の社長に就任。
内藤 民治(ないとう たみじ、1885年10月28日 - 1… 内藤 民治(ないとう たみじ、1885年10月28日 - 1965年7月15日)は、日本のジャーナリスト、編集者である。 1885年(明治18年)10月28日、新潟県三条市に生まれる。上京し、東京府豊多摩郡渋谷村常磐松御料地(現在の東京都渋谷区渋谷4丁目)にあった東京農学校(現在の東京農業大学)に入学、同校を卒業する。 1906年(明治39年)、20歳のころにアメリカ合衆国に渡り、『ニューヨーク・ヘラルド』紙(現在の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙)の特派員となる。11年間の在米中に、東京市神田区駿河台袋町(現在の東京都千代田区神田駿河台)にあった瀬木博尚の主宰する日本風俗図絵刊行会から、『世界実観』シリーズ全12巻を上梓している。
安孫子 久太郎(あびこ きゅうたろう、1864年7月26日〈… 安孫子 久太郎(あびこ きゅうたろう、1864年7月26日〈元治元年6月23日〉 - 1936年〈昭和11年〉5月31日)は、アメリカ合衆国で活動した日本人起業家かつ新聞編集者である。日米新聞社長。 1864年(元治元年)に、のちの新潟県北蒲原郡水原町字外城(現阿賀野市)で、小林徳四郎、いし子の長男として生まれた。母が出産の際に死亡したため、母方の祖父(安孫子彦一郎)方に引き取られ、15歳年上の叔父安孫子石太郎の弟として養育される。家業の蝋燭、紙の販売を手伝わされ、荷車に品々を積んで、近隣の村々を売りに歩く。水原在町中に英人宣教師パームからキリスト教的薫陶を受けた。 1882年(明治15年)、宇尾野藤八、佐藤文二と新潟を出奔する。
坪谷 善四郎(つぼや ぜんしろう、文久2年2月26日(186… 坪谷 善四郎(つぼや ぜんしろう、文久2年2月26日(1862年3月26日) - 昭和24年(1949年)3月24日)は日本の出版人、編集者、政治家。号は水哉(すいさい)。 1862年、越後国南蒲原郡加茂(現・新潟県加茂市)に生まれる。東京専門学校(現・早稲田大学)邦語政治科在学中、博文館に入社。編集局長を経て1918年取締役就任。1895年には雑誌『太陽』の創刊にあたり初代主筆、編集主幹としてこれに従事した。政治家としては1901年以来7期にわたって東京市会議員を務め、1907年開館の東京市立図書館(現・日比谷図書文化館)建設につくした。1917年、大橋図書館(現・三康図書館)館長。1918年、日本図書館協会会長。
宇留間 和基(うるま かずもと)は、日本のジャーナリスト、編… 宇留間 和基(うるま かずもと)は、日本のジャーナリスト、編集者。AERA創刊時から編集部に入り、同誌編集長や、初代朝日新聞出版代表取締役社長等を経て、J-CASTニュース編集長。 新潟県相川町(現佐渡市)出身。新潟県立佐渡高等学校を経て、1979年一橋大学社会学部卒業、毎日新聞社入社。その後朝日新聞社に移り、1988年にAERAが創刊されると同誌編集部に入る。 1992年朝日新聞東京社会部。1995年AERA副編集長。2003年から2006年までAERA編集長。朝日新聞社出版本部雑誌編集センター長、図書編集センター長、出版本部長を経て、2008年に朝日新聞出版が設立されると、同社代表取締役社長に就任。