青野 拓海(あおの たくみ、2005年7月26日 - )は、… 青野 拓海(あおの たくみ、2005年7月26日 - )は、富山県氷見市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学校3年生の時に野球を始め、中学校までのメインポジションは捕手だった。 富山県立氷見高等学校に進学後、部員不足により投手を務めるようになる。2年夏からエースと3番打者を務め、富山大会で決勝に進出。高岡商業を相手に9回二死、2ストライクまで追い詰めるも、自身の降板後にチームは逆転負けを喫した。3年春は第95回記念選抜高等学校野球大会に21世紀枠で出場。山梨学院との初戦(2回戦)では腰痛に苦しむ中、打撃で2安打を放つも投手としては4失点し、敗れた。その後も腰痛に苦しみ満足に練習ができず、同年夏は富山大会3回戦で高朋に敗れた。
中村 来生(なかむら らいせい、2003年5月6日 - )は… 中村 来生(なかむら らいせい、2003年5月6日 - )は、富山県高岡市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。 高岡市立志貴野中学校時代は軟式野球部に所属。 高岡第一高等学校では、2年生の秋季大会前に腰椎分離症を発症しベンチ入りメンバーから外れた。その年の冬は体力作りに励み、3年の春季県大会でエースとして復帰。1回戦で滑川を完封するなど県大会優勝に大きく貢献したが、続けて出場した春季北信越大会は初戦で新潟明訓にコールド負けを喫した。夏の県大会は決勝に進出し、40年ぶりの夏出場にあと1歩まで近づいたが、決勝で高岡商に敗れ甲子園出場はならなかった。 2021年10月11日に開催されたプロ野球ドラフト会議では、広島東洋カープから育成選手ドラフト3位指名を受け、支度金290万円・年俸250万円という条件で入団した(金額は推定)。
辻本 倫太郎(つじもと りんたろう、2001年8月11日 -… 辻本 倫太郎(つじもと りんたろう、2001年8月11日 - )は、富山県富山市生まれ、北海道札幌市白石区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 富山県富山市で生まれ、2歳の時に北海道札幌市へ引っ越した。札幌市立東札幌小学校で3年生の時に東札幌ジャイアンツで野球を始め、6年時には北海道日本ハムファイターズジュニアでプレーした。札幌市立日章中学校在学時は硬式野球のクラブチームである札幌南シニアでプレーし、3年春に全国大会に出場した。 北海高等学校では2年夏から遊撃手のレギュラーに定着し、同年秋から主将を務めた。3年夏は南北海道大会準々決勝で札幌国際情報に敗れた。その後、北海高校が阪神甲子園球場で行われた全国高等学校野球選手権大会で初めて勝利した高校であることから、令和初の第101回全国高等学校野球選手権大会にて、開会式の入場行進の先導役を務めた。
三浦 克也(みうら かつなり、2001年4月28日 - )は… 三浦 克也(みうら かつなり、2001年4月28日 - )は、富山県富山市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 高岡向陵高等学校では2番手投手で、3年間で甲子園大会出場はなかった。 高校卒業後は東京国際大学へ進学。3年春のリーグ戦で初ベンチ入りし、4年春のリーグ戦では8試合に登板し、12回2/3を無失点だった。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから育成1位指名を受けた。11月14日に支度金290万円、年俸400万円で仮契約した。背番号は012。 2024年は二軍での登板はなかった。オフに台湾で実施されたアジアウインターベースボールリーグに派遣された。
山田 龍聖(やまだ りゅうせい、2000年9月7日 - )は… 山田 龍聖(やまだ りゅうせい、2000年9月7日 - )は、富山県氷見市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 氷見市立窪小学校4年生のときに窪スポーツ少年団に入り軟式野球を始め、氷見市立西條中学校では軟式野球部でエースと4番を務めた。 富山県立高岡商業高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年春に出場した第89回選抜高等学校野球大会では登板がなく、チームも初戦敗退した。同年夏の第99回全国高等学校野球選手権大会にも出場し、東海大菅生との初戦(2回戦)で3点リードされた8回表から救援登板したが、1回1/3で6失点と乱れ、チームも敗れた。3年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会にエースとして出場。
川村 啓真(かわむら けいしん、1999年9月6日 - )は… 川村 啓真(かわむら けいしん、1999年9月6日 - )は、富山県黒部市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)。プロでは育成選手であった。 若栗小学校1年時に軟式野球チームに入団し、野球を始めた。桜井中学校軟式野球部では捕手を守り、主将にも選ばれ、中3春の全国大会16強に貢献した。 高校は新潟県の日本文理高校に進学。1年生から4番・捕手として公式戦に出場すると、3回戦白根高校戦で右翼へ公式戦第1号となる3点本塁打を放った。3年春には右翼手にコンバート。同年夏の新潟県予選決勝戦では3番打者として出場すると、逆方向に勝ち越し2点本塁打を放って夏の甲子園進出に大きく貢献した。甲子園では2試合で9打数4安打1打点(本塁打1本)、打率.444と活躍したが、2回戦の仙台育英高校戦で接戦の末敗退した。
松原 快(まつばら かい、1999年8月24日 - )は、富… 松原 快(まつばら かい、1999年8月24日 - )は、富山県黒部市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。阪神タイガース所属。 小学校3年生で野球を始め、黒部市立宇奈月中学校時代は富山東部ボーイズで捕手としてプレー。強豪の富山第一高等学校へ進学したが、チームになじめず1年の12月に退部。中学時代から熱心に誘ってくれた森崎直樹監督が指揮する高朋高等学校へ2年から転入し、投手に転向。高野連の規定で1年間は公式戦に出場できない中、球速が当初の130km/hから141km/hまで伸び、投手と一塁手を兼任した3年夏は富山大会決勝で敗れ甲子園には届かなかった。 高校卒業後は野球を辞め消防士を目指すつもりだったが、クラブチームのロキテクノベースボールクラブの投手兼任コーチの元阪神・藤田太陽から「プロを目指してやらないか」と声をかけられ入団。
森田 駿哉(もりた しゅんや、1997年2月11日 - )は… 森田 駿哉(もりた しゅんや、1997年2月11日 - )は、富山県富山市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 富山県立富山商業高等学校では3年夏の第96回全国高等学校野球選手権大会にエースとして出場。日大鶴ヶ丘との初戦で完封勝利、小郷裕哉、海野隆司擁する関西との2回戦で1失点完投勝利を記録した。日本文理との3回戦では飯塚悟史と投げ合ったが、自身の降板後にチームは逆転サヨナラ負けを喫した。 2014年のBFA U18アジア選手権大会では日本代表に選出され、決勝の韓国戦に先発し、9回2失点(自責点0)の投球を見せたものの、惜しくも準優勝だった。当時バッテリーを組んだ捕手の岸田行倫、内野手の岡本和真とは、後に巨人でチームメイトとなっている。
幸山 一大(こうやま かずひろ、1996年6月18日 - )… 幸山 一大(こうやま かずひろ、1996年6月18日 - )は、富山県中新川郡舟橋村出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 舟橋小学校2年時から「富山リトルリーグ」で野球を始めると、舟橋中学校では「富山リトルシニア」に所属していた。 富山第一高校への進学後は、1年時の秋から、レギュラーで4番打者を任された。2年時の夏に、第95回全国高等学校野球選手権全国大会へ出場。準々決勝で延長の末に延岡学園高校にサヨナラ負けで敗退。自身は全3試合に「4番・左翼手」として出場すると、打率.231(13打数3安打)、3打点という記録を残した。3年春の富山県大会で、打席からファウルを放った際に左手の有鈎骨を骨折。
西野 勇士(にしの ゆうじ、1991年3月6日 - )は、富… 西野 勇士(にしの ゆうじ、1991年3月6日 - )は、富山県高岡市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 兄の影響で5歳から野球を始め、高岡市立川原小学校では少年野球チーム「川原タイガース」、高岡市立高岡西部中学校時代は硬式野球クラブ「高岡ボーイズ」に所属。中学時代までは外野手兼三塁手としてプレーした。高岡ボーイズでは、当時2年間コーチをしていた橋本清からも教えを受けていた。 中学時代は学業成績も良かったため、進学校である富山県立高岡高等学校への進学を勧められたが、野球強豪校であった隣町の富山県立新湊高等学校に進学。自転車で1時間かけて通学した。1年夏に投手へ転向し、3年春の県大会ではベスト8入りし、野球専門誌で富山県の注目選手として紹介される存在となった。
藤井 翼(ふじい つばさ、1990年2月23日 - )は、富… 藤井 翼(ふじい つばさ、1990年2月23日 - )は、富山県黒部市出身の元プロ野球選手(内野手)、高校野球指導者。 2003年の日本シリーズがきっかけで、福岡ソフトバンクホークスと阪神タイガースのファンになった。富山県黒部市立桜井中学校3年時には全国中学軟式野球大会に出場し準優勝。 富山県立桜井高等学校3年時、第89回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の東福岡高校戦では敬遠気味の球を打ちにいく(結果は内野ゴロ)など気迫を見せたが、チームは延長戦の末敗退。 北信越屈指の強打者として活躍し、富山県新記録となる高校通算39本塁打を放った。 2007年のドラフトで福岡ソフトバンクホークスから4巡指名を受け、契約金3000万円、年俸500万円(ともに推定)で入団した。
竹嶋 祐貴(たけしま ゆうき、1989年10月12日 - )… 竹嶋 祐貴(たけしま ゆうき、1989年10月12日 - )は、富山県中新川郡舟橋村出身の元プロ野球選手・元社会人野球選手(投手)。 小学4年生から舟橋ビクトリーズで野球を始める。舟橋村立舟橋中学校を経て、富山県立滑川高等学校時代は、当初こそ中学時代から悩まされていた左足甲のガングリオン除去手術を1年秋に行なったため出遅れたものの、2年春から本格的に投手の練習を始め高校3年春には最速145km/hを記録し県を代表する投手に成長。最後の夏はベスト8で敗退したが、潜在能力は高く評価されプロ6球団から調査書が送られてきたという。現千葉ロッテマリーンズの石川歩は高校の1学年上の先輩。 2007年のドラフト会議において読売ジャイアンツに4巡目で指名され入団。
高森 勇気(たかもり ゆうき、1988年5月18日 - )は… 高森 勇気(たかもり ゆうき、1988年5月18日 - )は、富山県高岡市出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)。現在はエスプライド鉄腕硬式野球部に所属する社会人野球選手(捕手)。また、スポーツライター・タレントとしても活動。2012年より登録名を「高森 勇旗」としている。
石川 歩(いしかわ あゆむ、1988年4月11日 - )は、… 石川 歩(いしかわ あゆむ、1988年4月11日 - )は、富山県魚津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。ツインズ・オーステルハウト所属。 魚津市立本江小学校3年次から本江スポーツ少年団で野球を始める。魚津市立西部中学校では軟式野球部に所属した。 富山県立滑川高等学校では硬式野球部に所属。3年夏の県大会はエースとして3試合に先発するも3回戦で富山第一に3対6で敗れ、甲子園出場はならなかった。1学年下に竹嶋祐貴がいる。もともと高校で野球をやめ、服飾関係の専門学校に進むつもりだったが、周囲に勧められ大学のセレクションを受け合格した。 中部大学に進学後は1年春から公式戦に出場。2年次には春の大学選手権に出場し全国デビュー。
矢地 健人(やち けんと、1988年1月15日 - )は、 … 矢地 健人(やち けんと、1988年1月15日 - )は、 富山県新湊市(現在の射水市)出身の元プロ野球選手(投手)。 高岡第一高時代は、3年次の夏に県大会準優勝となる。在学中の甲子園出場は果たせなかった。 高校卒業後は、高岡法科大学に進学し北陸大学野球連盟に加盟している硬式野球部でプレー。4年次には、春季リーグ戦で防御率0.69で10年振りの優勝に貢献、秋はベストナインを受賞。 2009年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから育成1巡目で指名を受けたことを機に、育成選手として入団した。背番号は212。 2010年には、春季キャンプやオープン戦などで高い評価を受けたことから、公式戦開幕直後の4月5日に支配下選手登録へ移行。
荒木 貴裕(あらき たかひろ、1987年7月26日 - )は… 荒木 貴裕(あらき たかひろ、1987年7月26日 - )は、富山県小矢部市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。 津沢小学校のスポーツ少年団で、2年生の時に遊撃手兼投手として野球を始める。津沢中学校時代は高岡シニアに所属し、全国大会に出場した。 帝京第三高校では、1年秋から遊撃手のレギュラーとして活躍し、甲子園出場はならなかったものの、3年の2005年夏には県大会で4強の成績を残している。3年夏の大会前に、近畿大学の練習に参加した際に監督・榎本保の目に止まり、入学することになる。 近大進学後の関西学生リーグでは、1年春からベンチ入り、2年春から遊撃手のレギュラーを務めた。近大では、同期に後に阪神タイガースに入団する藤川俊介が、2学年先輩に小瀬浩之がいた。
高堀 和也(たかほり かずや、1987年6月11日 - )は… 高堀 和也(たかほり かずや、1987年6月11日 - )は、富山県南砺市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 富山県南砺市(井波)出身。砺波工業高校を卒業後、三菱自動車岡崎に入る。所属部署は試作部の試作工務課。 伸びしろと将来性を考慮され、2009年プロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから4位指名を受け、11月12日に契約金5000万円、年俸1000万円(いずれも推定)で仮契約した。 2012年、9月に一軍初登板。主に先発投手が早々に降板した時のロングリリーフや大量リード、ビハインド時などの起用となった。9月5日の北海道日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)で1点ビハインド時に登板し、無失点に抑えると直ぐ後の味方の攻撃で逆転、試合に勝利したためプロ初勝利を挙げた。
鈴木 将光(すずき まさみつ、1987年4月8日 - )は、… 鈴木 将光(すずき まさみつ、1987年4月8日 - )は、富山県富山市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
永森 大士(ながもり だいし、1985年3月28日 - )は… 永森 大士(ながもり だいし、1985年3月28日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。2026年より日本海リーグの富山GRNサンダーバーズで監督を務める。父は富山の球団社長を務める永森茂。 富山県高岡市出身。富山県立新湊高等学校在学中には第74回選抜高等学校野球大会に出場した。 高校卒業後はNOMOベースボールクラブ、次いで富山ベースボールクラブに所属した。 2006年、翌2007年から発足する北信越ベースボール・チャレンジ・リーグ(現・ベースボール・チャレンジ・リーグ)のドラフト会議で富山サンダーバーズ(現・富山GRNサンダーバーズ)から地元枠で指名を受け、入団後は「大士」の登録名でプレーした。
中澤 雅人(なかざわ まさと、1985年2月16日 - )は… 中澤 雅人(なかざわ まさと、1985年2月16日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。
紺田 敏正(こんた としまさ、1980年8月12日 - )は… 紺田 敏正(こんた としまさ、1980年8月12日 - )は、富山県砺波市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、コーチ。2013年シーズンより北海道日本ハムファイターズでコーチを務めている。
山本 栄二(やまもと えいじ、1972年9月12日 - )は… 山本 栄二(やまもと えいじ、1972年9月12日 - )は、日本の元プロ野球選手(捕手、内野手、外野手)。富山県富山市出身。
干場 崇永(ほしば たかひさ、1972年1月12日 - )は… 干場 崇永(ほしば たかひさ、1972年1月12日 - )は、富山県氷見市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
浅井 樹(あさい いつき 1971年12月14日 - )は、… 浅井 樹(あさい いつき 1971年12月14日 - )は、富山県富山市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、左投左打)、コーチ。2007年から広島東洋カープのコーチを務めている。
尾山 敦(おやま つとむ、1970年4月11日 - )は、富… 尾山 敦(おやま つとむ、1970年4月11日 - )は、富山県東砺波郡城端町(現:南砺市)出身の元プロ野球選手(投手)。
進藤 達哉(しんどう たつや、1970年1月14日 - )は… 進藤 達哉(しんどう たつや、1970年1月14日 - )は、富山県高岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。2014年から2016年まで横浜DeNAベイスターズコーチ。
田畑 一也(たばた かずや、1969年2月27日 - )は、… 田畑 一也(たばた かずや、1969年2月27日 - )は、富山県高岡市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。 プロ入り直前までは実家で大工として働いており、遊びでプロ球団の入団テストを受験したところ合格、入団したというプロ野球選手としては異色の経歴の持ち主。 高岡市西広上で、5人家族の末子として生まれる。両親はバレーボールやバスケットボールを嗜み、姉は陸上競技の五種競技、兄はバレーボール選手というスポーツ一家だったが、野球経験者はいなかった。少年時代から三角ベースの野球に夢中になっており、高岡市立二塚小学校、高岡市立芳野中学校を卒業した。中学時代には野手だったが、高校進学後に投手に転向した。 高岡第一高等学校では県内屈指の本格派として活躍。
湯上谷 竑志(ゆがみだに ひろし、本名:湯上谷 宏(読み同じ… 湯上谷 竑志(ゆがみだに ひろし、本名:湯上谷 宏(読み同じ)、1966年5月3日 - )は、富山県出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。愛称はガメ、ガメやん。
村本 忠秀(むらもと ただひで、1964年9月5日 - )は… 村本 忠秀(むらもと ただひで、1964年9月5日 - )は、元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは捕手。 高岡第一高校では2年生の時に1981年の夏の甲子園に出場した経験がある。卒業後には駒澤大学に入学する。同期に新谷博、2年下に野村謙二郎がいた。 大学卒業後は社会人野球のNTT関西チームに入団する。1998年から2年間、NTT関西の監督を務めた。チームの再編成により、NTT西日本のコーチを務めた後に、2001年から2006年までに同チームの監督を務め、脇谷亮太や岸田護らを指導した。 その後は、2008年から2016年まで日本放送協会で高校野球解説者を務めた。 2016年春からは母校の高岡第一高校の監督を務めており、2020年の富山県高野連主催の「TOYAMA2020高校野球大会」では優勝を果たした。
魚 満芳(うお みつよし、1953年1月2日 - )は富山… 魚 満芳(うお みつよし、1953年1月2日 - )は富山県出身の元プロ野球選手(捕手)。 富山県立新湊高等学校から1970年ドラフト7位で読売ジャイアンツに入団。1976年オフに自由契約となり、翌年大洋ホエールズに入団するが、一軍出場はないまま1979年に引退した。
藤田 賢治(ふじた けんじ、1952年1月4日 - )は富山… 藤田 賢治(ふじた けんじ、1952年1月4日 - )は富山県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。富山北部高校出身 富山北部高校では、2年生から八川康二とともに投手陣の二本柱となり活躍。1968年夏の甲子園県予選決勝に進むが、高岡商の前田四郎、土肥健二のバッテリーに抑えられ敗退。翌1969年には春夏の甲子園に連続出場、いずれもチーム初出場であった。春の選抜は1回戦で尼崎西高に惜敗。夏の選手権では東邦高、飯塚商を降す。準々決勝では八川のリリーフに回り、若狭高の東次男と投げ合うが敗退。 1969年のドラフト会議で大洋ホエールズに6位指名され入団する。プロ3年目の1972年に読売ジャイアンツに移籍するも、翌1973年に肩を故障。
土肥 健二(どい けんじ、1950年5月17日 - )は、富… 土肥 健二(どい けんじ、1950年5月17日 - )は、富山県新湊市(現:射水市)出身の元プロ野球選手(捕手)。
吉岡 悟(よしおか さとる、1949年4月14日 - )は、… 吉岡 悟(よしおか さとる、1949年4月14日 - )は、富山県中新川郡上市町出身の元プロ野球選手(内野手)・解説者。
村椿 輝雄(むらつばき てるお、1940年 - )は、元野球… 村椿 輝雄(むらつばき てるお、1940年 - )は、元野球選手(投手)。 富山県黒部市出身。富山県立魚津高等学校に進学し、野球部に入部。1958年、第40回全国高等学校野球選手権大会にエースとして出場。1回戦で優勝候補の浪華商を完封。2回戦で明治を、3回戦で桐生を破り、ベスト8に進んだ。準々決勝では徳島商業の板東英二と投げ合い、ともに得点を許さず延長18回引き分けとなり、翌日再試合となった。翌日魚津は1 - 3で敗れたものの、初出場でベスト8まで進出した活躍は「蜃気楼旋風」と呼ばれた。 高校卒業後は三菱重工業に入社し、社会人野球を続けた。また三菱重工業では横浜造船所や石川県金沢市の支社に勤務し、米国三菱重工業株式会社駐在員としてアメリカ合衆国に長期滞在していたこともある。
五島 道信(ごとう みちのぶ、1937年10月21日 - )… 五島 道信(ごとう みちのぶ、1937年10月21日 - )は、富山県魚津市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 富山県立魚津高等学校では同僚となる石黒誠作の2年後輩にあたる。卒業後日本カーバイドを経て1956年に近鉄パールスへ入団。翌年は開幕戦から12試合連続「1番・中堅手」でスタメン出場した。また、1959年にも開幕戦に「8番・左翼手」でスタメン出場しており、期待された選手だったが打撃が振るわず、この年限りで引退した。引退後は帰郷して、魚津国際カントリーに勤務。
石黒 誠作(いしぐろ せいさく、1935年4月9日 - )は… 石黒 誠作(いしぐろ せいさく、1935年4月9日 - )は、富山県魚津市出身の元プロ野球選手。 中学時代は県大会で4度の優勝を経験しており、魚津高校でも1年生からレギュラーとして活躍する。 1954年に近鉄パールスに投手で入団。1956年に外野手へ転向し、この年に1軍初出場。 1957年に現役引退。その後は地元で会社員となった。
河 文雄(かわ ふみお、1924年10月7日 - 1991年… 河 文雄(かわ ふみお、1924年10月7日 - 1991年1月30日)は、富山県高岡市出身の元プロ野球選手。 高岡中学校(現:富山県立高岡高等学校)では「富山球界一の投手」として話題になる。しかし、在籍中は高岡商業や富山商業の前に敗れ、甲子園には縁が無かった。最上級年においては、1941年の甲子園は戦争のために中断となり、富山県では予選すら行われなかった。高岡中時代は、「嘆きのエース」とも呼ばれていた。卒業後、満州に渡り、満鉄倶楽部に所属した。戦後は、母の故郷である北海道に住み小樽野球協会に所属。1948年には、第19回都市対抗野球大会に出場している。この都市対抗野球では、小樽野球協会は初戦となった対西日本鉄道戦で敗れ敗退した。