塩士 暖(しおじ だん、2006年5月18日 - )は、石川… 塩士 暖(しおじ だん、2006年5月18日 - )は、石川県輪島市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 輪島市立大屋小学校では陸上部に所属し、輪島市立輪島中学校で本格的に野球を始め、軟式野球部に所属して外野手であった。 門前高校へ入学すると、1年春からベンチ入り。1年夏の石川大会は中堅手として2試合に先発出場して2回戦敗退であった。1年秋は県大会初戦(小松大谷との2回戦)で敗退。2年春の県大会では初戦(金沢龍谷との2回戦)に2番手で登板したが、チームは敗退した。2年夏からエースナンバーを背負い、石川大会では初戦(石川高専との2回戦)に先発、2年秋の県大会は初戦(羽咋工業との1回戦)に3番手で登板したが、いずれも初戦敗退であった。
谷端 将伍(たにはた しょうご、2004年3月17日 - )… 谷端 将伍(たにはた しょうご、2004年3月17日 - )は、石川県白山市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 白山市立東明小学校1年から松任ブルーウイングスで野球を始める。星稜中学校時代は軟式野球部に所属。 星稜高等学校時代は2年秋から三塁手のレギュラー。3年夏の石川県大会では部員のコロナ感染により出場辞退を経験、甲子園には縁がなかった。高校の2学年先輩に奥川恭伸、山瀬慎之助、1学年先輩に内山壮真、寺西成騎、2学年後輩に武内涼太がいる。 日本大学では1年時からベンチ入り。東都大学野球連盟1部リーグで首位打者2回、ベストナイン3回を受賞した。4年時には第45回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され、第4戦で先発し3安打3打点を記録した。
東出 直也(ひがしで なおや、2003年5月24日 - )は… 東出 直也(ひがしで なおや、2003年5月24日 - )は、石川県加賀市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 加賀市立片山津中学校時代は加賀ボーイズでプレーし、主将を務めた。小松大谷高等学校では、1年夏からベンチ入りを果たし、石川県大会で負傷した正捕手に代わりマスクを被るが、決勝戦で奥川恭伸をエースに有する星稜高校に9回同点の場面から満塁本塁打を打たれて敗れる。この頃から、「名捕手への道のりノート」と題するノートを作り、野球に関することを書き記すようになる。 3年夏の第103回全国高等学校野球選手権大会では、同校36年ぶりの甲子園出場に貢献した。1回戦で高川学園にサヨナラ負けをしたが、3番捕手として3安打2打点の活躍を見せた。
寺西 成騎(てらにし なるき、2002年10月18日 - )… 寺西 成騎(てらにし なるき、2002年10月18日 - )は、石川県能美郡根上町(現:能美市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 能美市立浜小学校で3年生の時に根上学童野球クラブで野球を始める。能美市立根上中学校では軟式野球部に所属し、3年時にはBFA U-15アジア選手権の日本代表に選出された。その時のチームメイトには内山壮真(東京ヤクルトスワローズ)、根本悠楓、山城航太郎(ともに北海道日本ハムファイターズ)、平尾柊翔(くふうハヤテベンチャーズ静岡)がいる。 星稜高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。同年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会、2年春の第91回選抜高等学校野球大会、夏の第101回全国高等学校野球選手権大会に控え投手として出場した。
山瀬 慎之助(やませ しんのすけ、2001年5月4日 - )… 山瀬 慎之助(やませ しんのすけ、2001年5月4日 - )は、石川県かほく市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 読売ジャイアンツで強打の捕手として長らく活躍した阿部慎之助にちなんで、出生時に「慎之助」と命名された。かほく市立宇ノ気小学校2年時に「宇ノ気ブルーサンダー」で軟式野球を始めると、4年時からかほく市立宇ノ気中学校・星稜高校時代を通じて、チームメイトの奥川恭伸とバッテリーを組んでいた。中学生時代には、奥川と共に全国中学校軟式野球大会の優勝を経験している。 星稜高校への進学を機に硬式野球部へ入部すると、1年時の秋から正捕手としてチームの石川県大会優勝と北信越大会準優勝に貢献。
川﨑 俊哲(かわさき としあき、2001年5月2日 - )は… 川﨑 俊哲(かわさき としあき、2001年5月2日 - )は、石川県輪島市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。阪神タイガース所属。 輪島市立大屋小学校1年から大屋クラブで野球を始め、輪島市立輪島中学校では軟式野球部に所属。 石川県立輪島高等学校では内野手と投手を兼任し、3年夏の県大会では主将としてチームのベスト8進出に貢献した。 高校卒業後はNPB入りを目指し、地元の石川ミリオンスターズ(当時はルートインBCリーグ、2022年は日本海オセアンリーグ、2023年から日本海リーグ所属)に入団。主に遊撃手としてプレーした。4年目までは調査書が届かない状況が続くも、5年目に阪神タイガースから派遣されてきた岡崎太一監督の指導を受け成績を向上させた。
奥川 恭伸(おくがわ やすのぶ、2001年4月16日 - )… 奥川 恭伸(おくがわ やすのぶ、2001年4月16日 - )は、石川県かほく市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学校2年生の時に、宇ノ気ブルーサンダーで野球を始めた。チームメイトの山瀬慎之助と高校までバッテリーを組む。かほく市立宇ノ気中学校では軟式野球部に所属し、3年夏の全国中学校軟式野球大会では投手として全国制覇に貢献した。その後星稜高等学校に進み、1年の春からベンチ入りを果たす。その後、2年春の選抜から4期連続で甲子園の出場を果たした。特に3年の夏の甲子園では準優勝投手となった。2018年の明治神宮大会でも準優勝投手になっている。同学年に山瀬慎之助、1学年下に内山壮真がいる。
大谷 輝龍(おおたに ひかる、2000年7月11日 - )は… 大谷 輝龍(おおたに ひかる、2000年7月11日 - )は、石川県小松市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 野球経験者の父親の下に生まれ、友人に誘われる形で小学1年生のときに『月津ヶ丘少年野球クラブ』で野球を始め、外野手としてプレー。野球と同時に水泳もやっていたが、3年生のときにやめ、以降は野球一筋になる。小松市立南部中学校では軟式野球部に所属した。肩が強かったものの試合では主に外野手や捕手を守り、投手未経験であったが、「石川県の中学校のチームがいっぱい集まる大会に、3年生のときに出たんです。球速や遠投、足の速さを測ったりして、それを競う大会でした」という大会の球速部門で2位の128km/hを計測すると、小松大谷高校の野球部部長に素質を見込まれ、小松大谷高校へ進学した。
松井 友飛(まつい ともたか、1999年10月11日 - )… 松井 友飛(まつい ともたか、1999年10月11日 - )は、石川県鳳珠郡穴水町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 穴水町立穴水小学校では穴水学童野球クラブに所属し、穴水町立穴水中学校では軟式野球部に所属。 石川県立穴水高等学校に進学後、部員が9人に満たない時期もあり、公式戦では1勝も挙げることなく3年間を終えた。 金沢学院大学進学後、五島裕二、長谷川潤コーチらの指導でフォームを改良。1年秋から先発の柱として、リーグ戦に登板し、1年秋に最優秀防御率、ベストナイン、2年春に最優秀投手、2季連続ベストナインに選ばれた。2年秋には第50回明治神宮野球大会に19年ぶりに出場に貢献。九州産業大学との初戦は先発として、福森耀真と投げ合うも2回途中4失点で降板。
松田 康甫(まつだ こうすけ、1998年10月14日 - )… 松田 康甫(まつだ こうすけ、1998年10月14日 - )は、石川県白山市出身のプロ野球選手(投手)。 白山市立松陽小学校、白山市立笠間中学校で野球に取り組み、金沢高等学校3年生時はチームで主戦投手となったが、全国高等学校野球選手権石川大会はベスト8で敗退した。拓殖大学に進学した後は、1年生の冬に肩の手術を受けた影響もありほとんど公式戦登板の機会がなく、4年生の最後にリーグ戦で投げたときには3者連続四球の結果だった。 2020年11月のベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)ドラフト会議で茨城アストロプラネッツから指名を受け、入団した。茨城が指名したのは、最大で球速146km/hという能力に将来性を見たからと報じられている。
喜多 隆介(きた りゅうすけ、1998年8月25日 - )は… 喜多 隆介(きた りゅうすけ、1998年8月25日 - )は、石川県小松市出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 小松市立矢田野小2年時に軟式野球を始め、小松市立南部中学校時代は硬式の小松ボーイズに所属し、当時はサイドスローの投手であった。 小松大谷高等学校では1年秋に一塁手の控えとしてベンチ入りし、2年秋から正捕手。3年夏の県大会は準決勝の星稜高等学校戦に2番手投手として登板するも4-8で敗れ敗退。 高校卒業後は京都学園大学人文学部心理学科に入学し硬式野球部に入部する。校名が京都先端科学大学となった3年春から正捕手となり、3年時の1月から監督を務める元プロ野球選手の中島輝士の指導を受け強肩を磨きドラフト候補に浮上した。
山﨑 颯一郎(やまざき そういちろう、1998年6月15日 … 山﨑 颯一郎(やまざき そういちろう、1998年6月15日 - )は、石川県加賀市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 読売ジャイアンツファンであった祖父の勧めで保育園児の頃からキャッチボールなどに親しみ、加賀市立山代小学校3年時から山代少年クラブで野球を始めた。加賀ボーイズ所属の加賀市立山代中学校3年時には身長が180cmを超え、2013年世界少年野球大会の日本代表に選出され優勝を経験した。 高校は敦賀気比高等学校に進学し、同校が平沼翔太を擁して福井県勢初の甲子園制覇を達成した第87回選抜高等学校野球大会では、2年生で背番号18を着けてベンチ入りしたものの登板機会は無かった。
泉 圭輔(いずみ けいすけ、1997年3月2日 - )は、石… 泉 圭輔(いずみ けいすけ、1997年3月2日 - )は、石川県金沢市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 金沢市立三馬小学校3年生の時に「三馬クラブ」で軟式野球を始め、金沢市立清泉中学校では同校の軟式野球部に所属する。 高校は石川県立金沢西高等学校に進学。1年生の夏からベンチ入りを果たす。エースピッチャーとなった2年生の夏の第95回選手権石川大会、2年生の秋の秋季石川大会のともに3回戦進出が最高で、甲子園出場の経験なし。3年生の夏の第96回選手権石川大会は、2回戦で遊学館高校に3対4で敗れる。 大学は金沢星稜大学に進学。1年生の秋季リーグからベンチ入りし3勝を挙げる。3年生の秋季リーグでは5勝を記録し、最多勝と敢闘賞を獲得する。
岩下 大輝(いわした だいき、1996年10月2日 - )は… 岩下 大輝(いわした だいき、1996年10月2日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。
山下 亜文(やました あもん、1996年4月5日 - )は、… 山下 亜文(やました あもん、1996年4月5日 - )は、石川県加賀市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 小学校1年生から「片山津少年野球クラブ」4年生から「金沢リトルリーグ」に所属、中学生時代は「小松加賀リトルシニア」に所属していた。 小松大谷高校3年生時の6月に行われた北信越大会の1回戦に登板、7回2失点の成績で打席では適時三塁打を放った。夏の甲子園・石川大会では決勝戦で先発登板、8回まで岩下大輝を擁する星稜高校を2安打無得点に抑え、チームは9回の表終了時に8点をリードしていたが、裏の守備で足がつり2失点したところで降板、交代した投手も星稜打線に失点を重ね、チームはこの回9失点でサヨナラ負けを喫し敗退した。
京田 陽太(きょうだ ようた、1994年4月20日 - )は… 京田 陽太(きょうだ ようた、1994年4月20日 - )は、石川県能美郡寺井町(現:能美市)出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 寺井町小杉の家庭で長男として出生。生後11か月から歩き出し、1歳を迎えたころには上手に歩けるようになっており、また好き嫌いもせず何でも食べていた。能美市立寺井小学校の2年時に、寺井学童野球クラブで軟式野球を始めた。小学校卒業後の2007年4月、能美市が主催した同市出身の松井秀喜(当時、ニューヨーク・ヤンキース)応援ツアーに応募し、当選。旧ヤンキー・スタジアムにて松井と握手をした(試合は雨で中止)。能美市立寺井中学校への進学後に白山能美ボーイズへ所属すると、日本少年野球選手権大会全国大会での準々決勝進出を経験した。
釜田 佳直(かまた よしなお、1993年10月26日 - )… 釜田 佳直(かまた よしなお、1993年10月26日 - )は、石川県小松市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。
西川 健太郎(にしかわ けんたろう、1993年4月18日 -… 西川 健太郎(にしかわ けんたろう、1993年4月18日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(投手)。血液型はA型。
大工谷 真波(だいくや まなみ、1991年10月28日 - … 大工谷 真波(だいくや まなみ、1991年10月28日 - )は、大阪府出身の女子ソフトボール選手(外野手)。元ソフトボール日本代表。 14歳の時にソフトボールを始める。石川県立門前高等学校を卒業後、2010年に日本リーグ1部のルネサス高崎に入団。 当初は投手であったが、社会人4年目から本格的に野手に転向した。2015年には打率.362の成績を残し、日本リーグのベストナイン賞(外野手)を受賞した。 2022年、JDリーグの発足と同時にホンダリヴェルタに移籍。2024年のシーズン終了後に引退。 日本代表には2015年に初選出され、同年のジャパンカップ、2016年のUSAワールドカップ、2017年のジャパンカップ、2018年のUSAインターナショナルカップ、世界選手権などの国際大会に出場している。
谷内 亮太(やち りょうた、1991年2月3日 - )は、石… 谷内 亮太(やち りょうた、1991年2月3日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 金沢西高時代は、遊撃手兼控え投手として活躍。2年時までプロどころか大学野球でプレーすることすら考えていなかったが、主将となり挑んだ3年時春の石川大会で初優勝を達成したことが自信に繋がったと語っている。 國學院大學に進学すると東都大学野球連盟に所属する野球部に入部し、1年時から三塁手のレギュラーに定着。第41回明治神宮野球大会では、同年のドラフト会議で指名を受けていた九州産業大学の榎下陽大から3安打を放つ。これが自信となり、プロ入りを目指すきっかけとなったと語っている。
島内 宏明(しまうち ひろあき、1990年2月2日 - )は… 島内 宏明(しまうち ひろあき、1990年2月2日 - )は、石川県小松市出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。愛称は「ウナギイヌ」。
豊島 明好(とよしま あきよし、1990年1月16日 - )… 豊島 明好(とよしま あきよし、1990年1月16日 - )は、石川県加賀市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は横浜DeNAベイスターズのファームマネージャー兼打撃投手を務めている。 中学1年生で父を急性心筋梗塞で、2年生で母を乳がんで相次いで亡くし、13歳年上の姉に面倒を見てもらっていた。北陸大谷高等学校時代は野球部監督の自宅で下宿し、毎朝5時に起床し午後9時頃まで野球に没頭する生活を送っていた。北海道日本ハムファイターズの入団テストを受け合格し、2007年の高校生ドラフト会議で日本ハムに6巡目で指名され、契約金1500万円、年俸450万円で入団。 2008年、オープン戦で好投し、セ・パ両リーグの高卒新人で唯一、日本ハムの高卒新人投手では工藤幹夫以来29年ぶりとなる開幕一軍に選ばれると、同年3月26日の開幕5戦目・対埼玉西武ライオンズ戦(札幌ドーム)で0-8とリードされた8回に初登板を果たし、1回を三者凡退に抑えた。
高木 京介(たかぎ きょうすけ、1989年9月5日 - )は… 高木 京介(たかぎ きょうすけ、1989年9月5日 - )は、読売ジャイアンツに所属する石川県能美市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。
山口 嵩之 (やまぐち たかゆき、1989年7月29日 - … 山口 嵩之 (やまぐち たかゆき、1989年7月29日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 金沢市立兼六中学校では軟式野球部に所属。石川県立工業高等学校では甲子園出場経験はなし。 高校卒業後にトヨタ自動車に入社するが、高校時代以来の肘痛の再発や腰痛の影響で4年後の2011年に退部。 2012年は同社の貞宝工場で社業に就きながら自主トレーニングを重ね、2013年1月にトヨタ自動車東日本に転籍した。9月に行われた第50回JABA毎日旗争奪秋季大会では最高殊勲選手賞を受賞した。 2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに5巡目で指名され、契約金3,500万円、年俸1,000万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
北 篤(きた あつし、1988年11月26日 - )は、石川… 北 篤(きた あつし、1988年11月26日 - )は、石川県小松市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 石川県立小松工業高校では1年秋からエースを務めた。最速145km/hのストレートにスライダー、カーブを投げる。投手でありながら高校通算32本塁打を記録した。 2006年のNPB高校生ドラフト会議で、横浜ベイスターズから投手として1巡目で指名。田中将大への重複指名に伴う抽選で交渉権を逃した末の再指名であったが、契約金7,000万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は43。 2007年、当時「湘南シーレックス」と称していた二軍で、イースタン・リーグ公式戦17試合に登板。
田中 靖洋(たなか やすひろ、1987年6月21日 - )は… 田中 靖洋(たなか やすひろ、1987年6月21日 - )は、石川県小松市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 実兄の田中良平も元プロ野球選手で、靖洋の前に投手としてロッテに所属していた。 高校生までは捕手を中心に内外野すべてをこなしていたが、高校2年生の時に本格的に投手に転向した。3年生時に石川県選抜チームのメンバーに選ばれ、日米親善試合に出場した。夏の甲子園・石川大会の1回戦に県立加賀高校の五番・投手として出場したが、同校はこの試合で敗退した。 2005年10月3日に行われたプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから高校生ドラフト4位指名を受け入団。 2006年、ルーキーイヤーの一軍登板は無く、イースタン・リーグでも1試合に登板したのみであった。
角中 勝也(かくなか かつや、1987年5月25日 - )は… 角中 勝也(かくなか かつや、1987年5月25日 - )は、石川県七尾市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。
丸木 唯(まるき ゆい、1986年7月30日 - )は、石川… 丸木 唯(まるき ゆい、1986年7月30日 - )は、石川県輪島市出身の元プロ野球選手(投手)。 輪島実高では高校通算1勝と特筆すべき実績こそないものの、140キロを超える直球とフォークを投げるなど潜在能力の高さは早くから注目されていた。 2004年のドラフト4巡目で広島東洋カープに入団。ドラフトで指名されたことはパソコンの授業中にインターネットの速報を見て知ったという。 プロ入り後の4年間、実戦登板の機会すら得られず2008年10月10日に球団より戦力外通告を受け引退。 2009年から広島東洋カープの球団職員(経理)になる。バスの免許を取るために大型免許を取得。 2013年4月20日に吉田圭(カープOB)からの誘いで共に「鉄板焼 まるよし」を広島市にオープン。
山田 裕司(やまだ ゆうじ、1985年7月9日 - )は、石… 山田 裕司(やまだ ゆうじ、1985年7月9日 - )は、石川県小松市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校3年生の時に野球を始める。当初は捕手と投手を兼任していた。 小松市立高時代は甲子園出場は無かったものの、2年秋の石川県大会では優勝し、北信越大会でベスト8。ドラフト会議前は11球団から調査書が届くなど、プロからの評価が非常に高かった(野手としても評価する球団もあった)。 2003年度のドラフト会議で、ヤクルトスワローズから2巡目で指名を受け入団。 1年目の2004年は一軍どころか二軍でも登板機会はなく体力作りのシーズンとなった。 2年目の2005年は春先に左膝半月板の手術に踏み切るなど、度重なる故障に悩まされた。
中林 佑輔(なかばやし ゆうすけ、本名:中林 祐介(読みは同… 中林 佑輔(なかばやし ゆうすけ、本名:中林 祐介(読みは同じ)、1983年8月25日 - )は、石川県羽咋郡志賀町出身の元プロ野球選手(投手)。
森 大輔(もり だいすけ、1982年8月31日 - )は、石… 森 大輔(もり だいすけ、1982年8月31日 - )は、石川県七尾市出身の元プロ野球選手(投手)。石川ミリオンスターズでの登録名は「大輔」。 実家はコメ農家で、幼いころから家業を手伝っており、1俵の米を運んでいたという。七尾工業高3年生になった2000年春の県大会では腰を痛め、夏の県大会までマッサージに通い続けていた。同年7月16日に金沢市民球場で開催された夏の県大会1回戦の輪島実業戦では、最高球速146 km/hを記録し、相手打線を無安打、1四球に抑え、23奪三振を記録、ノーヒットノーランを達成した。それまでの同大会における1試合最多奪三振記録は1962年に泉丘高校の山下莞爾が1回戦の対輪島高校戦で記録した19奪三振であり、またノーヒットノーランは1979年に飯田高校の川原伊佐雄が記録して以来、21年ぶり4人目(5度目)だった。
多幡 雄一(たばた ゆういち、1982年7月2日 - )は、… 多幡 雄一(たばた ゆういち、1982年7月2日 - )は、石川県七尾市出身の元社会人野球選手(内野手)、野球指導者。 七尾市立有磯小学校3年の時に野球を始め、七尾市立涛南中学校までは捕手。星稜高等学校2年時に内野手に転向した。 高校卒業後は立教大学に入学。東京六大学野球リーグでは3度のベストナインを獲得し、4年時の2004年には第2回世界大学野球選手権と第33回日米大学野球選手権大会の日本代表に選ばれた。 大学卒業後の2005年に社会人野球のHondaに入社。2009年の都市対抗野球では長野久義・西郷泰之らとともにチームを優勝に導き、大会優秀選手に選ばれた。 2012年から3年間は日本代表の主将を務めるなど社会人野球屈指の内野手として活躍。
大松 尚逸(おおまつ しょういつ、1982年6月16日 - … 大松 尚逸(おおまつ しょういつ、1982年6月16日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属する石川県金沢市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。左投左打。
由田 慎太郎(よしだ しんたろう、1981年7月20日 - … 由田 慎太郎(よしだ しんたろう、1981年7月20日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(外野手)。
谷口 邦幸(たにぐち くにゆき、1979年6月29日 - )… 谷口 邦幸(たにぐち くにゆき、1979年6月29日 - )は、石川県輪島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 輪島市立町野中学校では県大会3位となり、そのまま地元の石川県立町野高等学校(輪島市・現在は2度の統廃合により石川県立能登高等学校と名前を変えている。)へ進学する。2年秋の県大会ベスト8で金沢高校を相手に8回まで無安打に抑えるが、延長11回サヨナラで敗れた。無名校ながら石川県内では屈指の本格派の投手として有名であった。 1997年のドラフト会議でドラフト1位を受けて横浜ベイスターズに入団。 ややスリー・クォーター気味の投球フォームから繰り出す速球が武器で、将来の右の先発候補として期待された。
辻 武史(つじ たけし、1979年6月12日 - )は、石川… 辻 武史(つじ たけし、1979年6月12日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(外野手)。
上野 裕平(うえの ゆうへい、1978年12月25日 - )… 上野 裕平(うえの ゆうへい、1978年12月25日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手。現在は、読売ジャイアンツの広報を務める。 小学5年生で捕手として野球を始め、中学では三塁手。金沢辰巳丘高校でエースとなり、卒業後は立教大学へ進学。県内でも甲子園準優勝投手であった星稜高校の山本省吾(慶大-近鉄等)らとともに注目され高校卒業時はドラフト1位候補と言われ、巨人がドラフト2位で獲得を狙っていたという噂もあったがプロ入りを拒否。 東京六大学野球では通算12勝13敗。大学3年の1999年秋、4勝をあげ1年多田野数人とともに17季ぶりの優勝に貢献してベストナインとなる。大学4年の2000年には通算20勝を期待されていたが、春に肩を故障し出遅れ、結局3勝にとどまった。
山本 省吾(やまもと しょうご、1978年5月28日 - )… 山本 省吾(やまもと しょうご、1978年5月28日 - )は、石川県七尾市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は福岡ソフトバンクホークスで選手スカウトを担当している。
中野 真博(なかの まさひろ、1976年6月8日 - )は、… 中野 真博(なかの まさひろ、1976年6月8日 - )は、石川県出身の元野球選手(投手、右投右打)、野球指導者。
林 和成(はやし かずなり、1975年7月23日 - )は、… 林 和成(はやし かずなり、1975年7月23日 - )は、石川県金沢市出身の日本の高校野球指導者。星稜高等学校地歴公民科教諭。 高校時代は星稜高校でプレーした。松井秀喜の一年後輩で甲子園に三度出場している。 日本大学に進学後は、準硬式野球部に所属し、主将を務め、全国大会での優勝経験もある。 大学卒業後の1998年からは母校・星稜高校のコーチに就任し、2011年4月からは監督に就任。2019年夏には、奥川恭伸、山瀬慎之助、内山壮真らを擁して甲子園で準優勝の成績を収める。石川県から優秀部活動指導者表彰を受けた。在任中には春に3度、夏に5度甲子園に出場している。2022年3月31日付で監督を退任することを2021年9月3日に発表。
松井 秀喜(まつい ひでき、1974年6月12日 - )は、… 松井 秀喜(まつい ひでき、1974年6月12日 - )は、石川県能美郡根上町(現:能美市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。現役引退後はニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザーを務める。血液型はO型。
藤井 優志(ふじい まさし、1974年1月14日 - )は、… 藤井 優志(ふじい まさし、1974年1月14日 - )は、石川県七尾市出身の元プロ野球選手(捕手)。
西 芳弘(にし よしひろ、1973年5月4日 - )は、石川… 西 芳弘(にし よしひろ、1973年5月4日 - )は、石川県小松市出身の元プロ野球選手(外野手)。 寺井高では投手も務めた。1991年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから6位指名を受け入団。俊足と強肩が持ち味、イチローと同期入団の外野手で選手名鑑でも並んで掲載されていたほか練習パートナーでもあった。 一軍出場がないまま、1998年限りで現役を引退。
村松 有人(むらまつ ありひと、1972年12月12日 - … 村松 有人(むらまつ ありひと、1972年12月12日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。
中居 殉也(なかい じゅんや、1972年5月14日 - )は… 中居 殉也(なかい じゅんや、1972年5月14日 - )は、石川県出身の元プロ野球選手(捕手)。
村田 勝喜(むらた かつよし、1969年9月18日 - )は… 村田 勝喜(むらた かつよし、1969年9月18日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(投手)。
谷下 和人(たにした かずひと、1968年1月5日 - 20… 谷下 和人(たにした かずひと、1968年1月5日 - 2008年11月)は、石川県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小松商業高では1年秋、2年春に県大会ベスト4、3年春は県大会準優勝で北信越大会も初戦先発で勝利。1985年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから4位指名を受け入団。背番号38。 高校通算52勝を挙げた本格派左腕との前評判だったが、プロ1年目の1986年に基礎体力の無さを露呈、以降怪我に悩まされることとなる。1987年、1988年の米国教育リーグにて持ち球であるカーブを駆使し好成績を残すが、1989年は故障のため惨憺たる成績に終わり、結局一軍デビューには至らず1990年に現役引退した。
寺西 秀人(てらにし ひでと、1964年12月11日 - )… 寺西 秀人(てらにし ひでと、1964年12月11日 - )は、石川県出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。
音 重鎮(おと しげき、1963年11月18日 - )は、石… 音 重鎮(おと しげき、1963年11月18日 - )は、石川県松任市(現:白山市)出身の元プロ野球選手(外野手)。
若狭徹(わかさとおる、1963年3月19日-)は、石川県出身… 若狭徹(わかさとおる、1963年3月19日-)は、石川県出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手。星稜高校出身。中日ドラゴンズに1981年から1983年までの3年間在籍し、現在は同球団の職員。群馬県出身の考古学者の若狭徹(1962年生)とは別人物。