若林 正人(わかばやし まさと、1938年3月 - )は、日… 若林 正人(わかばやし まさと、1938年3月 - )は、日本のタレント。切手収集家でもある。神奈川県藤沢市在住。愛称は「若様」。
長野県:2,767人
若林 正人(わかばやし まさと、1938年3月 - )は、日… 若林 正人(わかばやし まさと、1938年3月 - )は、日本のタレント。切手収集家でもある。神奈川県藤沢市在住。愛称は「若様」。
池田 右二(いけだ ゆうじ、1938年2月19日 - )は、… 池田 右二(いけだ ゆうじ、1938年2月19日 - )は、日本の外交官。駐ヨルダン特命全権大使、北海道担当特命全権大使、在ウィーン国際機関日本政府代表部特命全権大使、外務省参与等を歴任した。 長野県出身。長野県松本深志高等学校を経て、1962年東京大学法学部卒業、外務省入省。在カナダ日本国大使館外交官補、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部一等書記官等を経て、1978年外務大臣官房領事移住部領事第一課長。1980年外務省経済局国際機関第一課長。1982年在ホノルル日本国総領事館領事。 1983年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1985年在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部参事官。1989年在ジュネーヴ日本国総領事館総領事、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部特命全権公使。
藤村 延魚(ふじむら えんぎょ、1938年2月11日 - )… 藤村 延魚(ふじむら えんぎょ、1938年2月11日 - )は、日本のホテルマン、国際観光ジャーナリスト。有限会社フジプラン代表取締役。元チョイスホテルズインターナショナル副社長兼日本支社長。現在は東京都杉並区在住。 長野県上田市小泉出身。長野県上田高等学校、1962年金沢大学文学部哲学科(人間学科)卒業。大学時代は馬術部に所属していた。 59歳まで約40年間、米国やマレーシア等世界各国のホテルで勤め、国際ホテルマンとして名が知られるようになる。東京のヒルトンホテルに勤務後、アメリカへ留学。フロリダ州立大学経営学部、サンフランシスコ市立大学ホテル経営学部卒業。 マレーシアのクアラルンプールに6年間滞在、リージェントホテル営業部長として勤務。
丸田 頼一(まるた よりかず、1938年2月4日 - 202… 丸田 頼一(まるた よりかず、1938年2月4日 - 2020年6月21日)は、日本の造園学者。位階は従四位。 千葉大学名誉教授。代表的業績に、都市空間の熱環境評価・対策技術の開発がある。 大分県生まれで、長野県長野市育ち。 1964年に、ルイジアナ州立大学大学院修士課程を修了する。翌年に東京大学大学院生物系研究科修士課程を、1969年に東京大学大学院農学系研究科博士課程をそれぞれ修了し、農学博士号を取得した。 1969年より日本大学農獣医学部講師となり、1972年に助教授に昇進する。1978年に千葉大学園芸学部に転じ、1988年に教授に就任した。 1997年に環境情報科学センター理事長、2000年に千葉大学評議員となる。
山崎 哲夫(やまざき てつお、1938年(昭和13年) - … 山崎 哲夫(やまざき てつお、1938年(昭和13年) - )は、日本の官僚。法務省入管法改正担当参事官、東京入国管理局長などを歴任した。 長野県東筑摩郡上川手村(現安曇野市)生まれ。1956年(昭和31年)長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業。1961年(昭和36年)早稲田大学政治経済学部を卒業。同年、法務省入省。 以降、法務省入管法改正担当参事官(現行改正入管法立法担当)、登録課長、入国在留課長、福岡入国管理局長、東京入国管理局長を歴任。この間、外務省にも出向し、在ニューヨーク日本国総領事館領事査証部長を務めている。1990年(平成2年)、出入国管理法の在留資格などの改正再編を担当した。 2002年(平成14年)10月、WEDOFY(国際企業人事サービス株式会社・新橋国際法務合同事務所)を創立した。
宮澤 政文(みやざわ まさふみ、1938年 - )は、日本の… 宮澤 政文(みやざわ まさふみ、1938年 - )は、日本の航空宇宙工学者。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1962年京都大学工学部航空工学科を卒業。 航空宇宙技術研究所入所。1969年ニューヨーク大学航空宇宙研究所助手となる。1973年、同大学大学院理工学研究科航空宇宙工学にて高速空気力学の研究に従事し、PhD(博士号)を取得。 帰国後宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)に入所。ロケット開発本部副本部長を経て、筑波宇宙センター所長となる。 1990年、日本航空宇宙学会理事に就任。静岡大学工学部教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮原 照夫(みやはら てるお、1938年 - 2018年)は… 宮原 照夫(みやはら てるお、1938年 - 2018年)は、日本の雑誌編集者。長野県伊那市出身。 講談社発行の漫画雑誌、『週刊少年マガジン』第4代編集長、ならびに『週刊ヤングマガジン』、『月刊少年マガジン』初代編集長。 高校卒業後の1956年に講談社に入社、『少年倶楽部』配属となる。1959年、『週刊少年マガジン』編集部に創刊スタッフとして異動、ちばてつやの担当編集者として「ちかいの魔球」、「紫電改のタカ」、「ハリスの旋風」の連載に携わる。その後、梶原一騎の担当編集者として「巨人の星」、「あしたのジョー」の連載を立ち上げ、1971年に『週刊少年マガジン』第4代編集長となる。1974年に『月刊少年マガジン』、1980年には『週刊ヤングマガジン』を創刊、初代編集長となる。
中澤 優子(なかざわ ゆうこ、1938年〈昭和13年〉 - … 中澤 優子(なかざわ ゆうこ、1938年〈昭和13年〉 - )は、日本の画家。 長野県諏訪市出身。 春陽会正会員。 20歳で故郷の諏訪市を離れ、絵画に精進し、現在は春陽会を中心に活動を展開している。 作品のテーマとして女性像を選ぶことを好み、画面にしばしば絹糸や絹布を描画して独特な色面を用い、人生を示すアレゴリーとして、あるいは繊細な女性の表情の演出として表現する画風である。 これは、中澤が絹糸・絹布産業が盛んであった諏訪市内で育ったため、幼少時から身近に絹糸や絹布に親しんだことによる。 2007年(平成19年)11月には諏訪市美術館において、大作を中心に約30点を展示して、諏訪離郷以来50年ぶりとなる大規模な個展を開催した。
浜 征彦(はま まさひこ、旧字体:濱 征彦、1938年 - … 浜 征彦(はま まさひこ、旧字体:濱 征彦、1938年 - 2018年)は、長野県諏訪市出身の洋画家。二科会長野県支部長。銀座の老舗画廊、「薔薇画廊」の専属画家だったため、作品は多くの政財界の応接間等に飾られた。明るく柔らかな色使いと、筆遣いが特徴。題材はフランス.イタリア.故郷の諏訪等の風景画が多く、薔薇の花と共に描かれた裸婦画は希少。晩年の作品はデフォルメされた道化師等の作風。美術名典、号125,000円 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
桑沢 清明(くわさわ きよあき、1938年 - 2014年6… 桑沢 清明(くわさわ きよあき、1938年 - 2014年6月27日)は、日本の生物学者。専門は、神経生物学。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1962年東京教育大学(現・筑波大学)理学部生物学科卒業。1967年同大学大学院理学研究科博士課程修了。東京都立大学理学部助手を経て、1975年同大学理学部助教授。1983年同大学理学部教授。同大学大学院理学研究科長。2001年同大学定年退官後、同大学大学院名誉教授。2003年岡山理科大学理学部教授。
高橋 靖夫(たかはし やすお、1938年 - 2021年4月… 高橋 靖夫(たかはし やすお、1938年 - 2021年4月29日)は、日本の洋画家。女子美術大学名誉教授。国画会会員。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京芸術大学美術学部油画科卒業。1962年国展初入選。女子美術大学教授。2004年定年退官後、同大学名誉教授。大学で後進の育成に尽力した。故郷の岡谷市にアトリエがあり、絵画教室を主宰した。
中島 啓雄(なかしま ひろお、1937年12月25日 - 2… 中島 啓雄(なかしま ひろお、1937年12月25日 - 2024年2月7日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。関東州大連生まれ。長野県育ち。 成蹊高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。JR貨物の役員を経て、1995年、第17回参議院議員通常選挙で自由民主党公認で比例区から立候補するも落選。その後、1999年8月に石川弘が死去したため、同月20日付で繰上補充となり、当選。その後2001年、再選を目指して立候補した第19回参議院議員通常選挙でも落選したが、その約3か月後に高祖憲治が辞職したため、同年10月3日付で再び繰上補充により当選となった。2回の当選はいずれも繰上当選であった。2007年の任期満了をもって、次期選挙には立候補しなかった。
小松 敏郎(こまつ としろう、1937年12月11日- 20… 小松 敏郎(こまつ としろう、1937年12月11日- 2010年9月20日)は、日本の実業家。学習研究社(現・学研ホールディングス)代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年に東京教育大学(現・筑波大学)文学部を卒業し、同年に学習研究社(現・学研ホールディングス)に入社。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1997年6月に代表取締役社長を務めた。2001年6月に相談役に就任。
中野 慶子(なかの けいこ、1937年12月8日 - )は、… 中野 慶子(なかの けいこ、1937年12月8日 - )は、日本の歌手。長野県松本市生まれ。テレビ番組『うたのえほん』(後の『おかあさんといっしょ』)にて、眞理ヨシコ(当時は真理ヨシコ)とともに初代「うたのおねえさん」を務めた。本名︰宮崎慶子。学習院大学文学部英米文学科卒業。 子どもの時には、NHK松本児童合唱団に所属していた。地元の長野県松本深志高等学校卒業後、学習院大学文学部英米文学科に進学し、在学中の1958年にNHK俳優養成所第1期生となった。養成所ではソプラノ歌手の関種子、坂本芳子に、大学卒業後は作曲家の磯部俶に師事した。養成所卒業後、卒業メンバーで「劇団三十人会」を設立。 1960年11月、ラジオドラマ『渦潮』の主演を務め、芸術祭奨励賞を受賞。
井石 広一(いいし ひろかず、1937年11月23日 - )… 井石 広一(いいし ひろかず、1937年11月23日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。 赤穂高校から1956年に広島カープへ入団。 1958年に一軍初出場も同年で引退。
宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は… 宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は、日本の俳人、国文学者。信州大学名誉教授。本名、敏夫。 長野県千曲市生まれ、松本市育ち。信州大学で近世文学を専攻。卒業後、1961年から長野県の公立高校教諭となり、1974年信州大学医学部保健学科助教授、教授を経て2001年定年退官、名誉教授。大学では近世および近現代国文学、日本人の死生観等を専門とした。 俳句は14歳から始め、18歳から「若葉」に投句、富安風生、加倉井秋をに師事。1962年、「龍膽」編集長となり同誌を小諸から発行。1968年、藤田湘子に会い「鷹」に入会、翌年に無鑑査同人となる(1995年に退会)。1978年俳誌「岳」(たけ)を創刊、主宰。
高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 20… 高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 2004年11月3日)は、日本のジャーナリスト、経済評論家、政治家。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学文学部卒、朝日新聞社に入り、論説副主幹。1995年立命館大学政策科学部教授となる。2002年脱ダムを唱えて長野県下諏訪町長に当選するが、在任中の2004年に急性心筋梗塞のため死去した。
横川 竟(よこかわ きわむ、1937年11月1日 - )は、… 横川 竟(よこかわ きわむ、1937年11月1日 - )は、日本の実業家。きわむ元気塾会長。高倉町珈琲会長。 すかいらーく創業者の一人であり、同社の元代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者や、日本フードサービス協会会長を務めた。 横川家の三男として長野県諏訪市に生まれた。3歳の頃、中国・満州に渡る。6歳の時、父が病死し、帰郷した。学制改革による新制諏訪市立四賀中学校を卒業し、後に兄弟で1962年(昭和37年)に当時の東京都北多摩郡保谷町(現西東京市)のひばりが丘団地内にことぶき食品有限会社を設立し、取締役となる。子会社の株式会社ジョナス(後にジョナサン)の代表取締役社長、会長、すかいらーくの取締役を経て、2003年(平成15年)には兄弟と共にすかいらーくの取締役から退いたが、2006年(平成18年)3月31日にすかいらーく代表取締役会長兼最高経営責任者に就任、しかし業績不振から退任を求められ、2008年8月12日に臨時株主総会と取締役会で退任が決定された。
堀内 敏宏(ほりうち としひろ、1937年10月26日 - … 堀内 敏宏(ほりうち としひろ、1937年10月26日 - )は、日本のジャーナリスト。 長野県諏訪郡原村出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年東京外国語大学英米科卒業、NHK入局。ニューヨーク特派員、ジュネーヴ支局長、ウイークエンド中部初代キャスター、外信部長、解説主幹を歴任。1994年退職後は小平市教育委員長を務めた。2014年から諏訪郷友会理事長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉川 共治(きっかわ きょうじ、1937年10月13日 - … 吉川 共治(きっかわ きょうじ、1937年10月13日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はA型。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。1962年 大蔵省入省(主税局総務課)。同年7月 主税局国際租税課。1964年6月 近畿財務局勤務。大臣官房調査企画課、理財局国債課勤務の後、1966年8月に運輸省航空局監理部総務課に企画係長として出向。1968年7月に松江税務署長。その後はカナダ大使館での勤務も経験。理財局国有財産総括課長、九州財務局長、大臣官房審議官(大臣官房担当)などを経て、1986年6月15日より理財局次長(国有担当)。1989年6月からは人事院の事務総局に出向。
塚越 寛(つかこし ひろし、1937年10月3日 - 202… 塚越 寛(つかこし ひろし、1937年10月3日 - 2026年6月29日)は、日本の経営者。伊那食品工業最高顧問を務めた。 現在の長野県駒ヶ根市で6人兄弟の次男として生まれた。長野県伊那北高等学校2年次在学中に肺結核に罹患し中途退学、貧しい家庭環境の中で闘病生活を送る。地元の製材会社を経て、21歳の時に伊那化学寒天(現在の伊那食品工業)に入社、1983年に社長、2019年に最高顧問に就任した。零細企業から日本国内における寒天のトップメーカーに育て上げ、独自の経営哲学『年輪経営』は、財界に多大な影響を与えた。1996年に黄綬褒章 、2011年に旭日小綬章を受章した。 2026年6月29日、老衰のため伊那市の自宅で死去した。
上野 矗(うえの ひとし、1937年9月26日 - 2022… 上野 矗(うえの ひとし、1937年9月26日 - 2022年6月13日)は、日本の心理学者。大阪教育大学名誉教授。 長野県長野市出身。東北大学文学部心理学科卒業、1967年、同大学院文学研究科心理学専攻博士課程単位取得退学、白梅学園短期大学講師。1969年、弘前大学養護教諭養成所助教授。1973年、大阪教育大学助教授。1983年、教授。1992年「病気との和解実現の方途を探って-体験学習におけるグループ受容体験をモデルとして」で久留米大学医学博士。2003年定年退官、名誉教授、大阪樟蔭女子大学教授。2008年退職。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
田中 登(たなか のぼる、1937年8月15日 - 2006… 田中 登(たなか のぼる、1937年8月15日 - 2006年10月4日)は、日本の映画監督。 長野県白馬村出身。長野県大町高等学校を経て明治大学文学部仏文科入学。在学中、黒澤明の『用心棒』にアルバイトとして参加する。 1961年、200倍以上の難関を勝ち抜いて日活演出部に入社。フランス映画狂いで、付けられたニックネームは「ムッシュ」。助監督会の幹事も務めた。 日活がロマンポルノ路線に転向すると、1972年『花弁のしずく』で監督デビュー。翌1973年に撮った『㊙女郎責め地獄』では美術の川崎軍二と組んだグロテスクかつサイケデリックな映像美が評価され、日本映画監督協会新人賞奨励賞を受賞した。その後も田中&川崎コンビで秀作を量産、1975~1978年に3本がキネマ旬報ベスト・テン入りを果たした。
栗谷川 虹(くりやがわ こう、1937年(昭和12年)7月1… 栗谷川 虹(くりやがわ こう、1937年(昭和12年)7月17日 - 2021年(令和3年)10月28日[要出典])は、日本の文芸評論家。本名は宇江 誠(うえ まこと)。 主として評伝、史伝を執筆。
石田 治一郎(いしだ じいちろう、1937年5月21日 - … 石田 治一郎(いしだ じいちろう、1937年5月21日 - 2014年10月12日)は日本の政治家。藍綬褒章、正五位、旭日中綬章。長野県長野市出身。早大教育卒。長野県議会議員(連続9期)。長野県議会議長、自由民主党県連幹事長、全国幹事長連絡協議会会長、政権構想会議メンバー。 長野県政に強い影響力をもち、“県政の重鎮、県政のドン”とよばれた。 1937年、長野市若穂綿内(当時は上高井郡綿内村)生まれ。 早稲田大学教育学部卒業。信濃毎日新聞社勤務を経て起業する。長野青年会議所理事長を経て、1979年の長野県議会議員選挙へ出馬(無所属、当選後は自民党)しトップで初当選した。 1985年、長野市長選挙へ出馬し、塚田佐と保守を二分する激戦の末敗れたが、1987年の長野県議会議員選挙ではトップ当選で返り咲いた。
柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は… 柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は、日本の小説家、随筆家。文学同人誌『播火』主宰・編集長。〈播磨の黒田武士顕彰会〉理事。日本ペンクラブ会員。日本文藝家協会会員。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪二葉高等学校を経て、1961年早稲田大学教育学部英語英文学科を卒業する。1987年、第1回神戸新聞文芸賞小説部門優秀賞を受賞する。1997年、『月柱』で第14回大阪女性文芸賞を、『藤村の海』で第3回小諸・藤村文学賞を受賞する。2009年、黒田官兵衛を主人公にしたNHK大河ドラマの実現を目指す運動の一環で、絵本『官兵衛さんの大きな夢』を執筆する。同作品は、「官兵衛の生き方を通して、子どもたちに夢や希望を抱いてほしい」という思いから、わかりやすい言葉を選んで文章を書いたという。
歌田 実(歌田 實、うただ みのる、1937年(昭和12年)… 歌田 実(歌田 實、うただ みのる、1937年(昭和12年)4月25日 - )は、日本の地質学者。 山梨県北巨摩郡小淵沢町(現・北杜市)出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学理学部卒業。1971年、東京大学から論文「本邦新第三紀凝灰岩類中の沸石帯」により理学博士を授与された。 1985年同大学理学部助教授。1986年東京大学総合研究資料館(現・東京大学総合研究博物館)助教授。1993年同資料館教授。1996年東京大学総合研究博物館教授[出典無効]。退官後、同大学名誉教授。
村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本… 村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本の通産官僚、政治家。
飯森 嘉助(いいもり かすけ、1937年3月14日 - 20… 飯森 嘉助(いいもり かすけ、1937年3月14日 - 2012年5月27日)は、日本の学者。専門はアラビア語、中東文化。拓殖大学名誉教授。 長野県佐久市出身。1960年信州大学教育学部卒業。大学卒業後に一旦中学校教諭となるが、その後アラビアの語学や文化などに関心を持ちエジプトのアル=アズハル大学に留学し、1968年同大アラビア語学部歴史文明学科を卒業。 1970年拓殖大学非常勤講師、74年拓殖大学専任講師、1976年4月拓殖大学助教授、1983年4月拓殖大学政経学部教授を務め、2003年3月退職は、同年7月に拓殖大学名誉教授の称号を受ける。 中東では一般的な野菜であるモロヘイヤを日本に紹介し、モロヘイヤ普及協会を設立してその普及に努めた。
小口 泰平(おぐち やすへい、1937年3月5日 - )は、… 小口 泰平(おぐち やすへい、1937年3月5日 - )は、日本の自動車工学者、芝浦工業大学名誉学長。専門は自動車工学、マンマシンシステム。日本自動車ジャーナリスト協会 (AJAJ) 顧問、日本自動車研究者ジャーナリスト会議 (RJC) 前会長。NPO法人「日本自動車殿堂」会長。工学博士。 長野県下諏訪町生まれ。1959年芝浦工業大学工学部機械工学科卒業。東京大学生産技術研究所を経て、1968年芝浦工業大学工学部助教授、1982年同教授。1991年システム工学部長を経て、1997年から2000年まで学長を務めた。名誉学長。2005年退官。中国の武漢工学院の客員教授も務めた。 マン・マシンシステムの立場から、自動車の運転性能の試験研究、4WSの基礎理論と開発、安全運転に関する研究に従事し、AJAJ議長を務め、日本の自動車殿堂の創設にも尽力した。
山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は… 山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は、日本の洋画家、筑波大学名誉教授、日本藝術院会員、美術団体の一般社団法人二紀会常任理事である。茨城県牛久市在住。 1937年に東京で生まれる。疎開によって約10年間、現在の長野県佐久市で過ごした。長野県野沢北高等学校を経て、1961年東京教育大学 (現在の筑波大学) 教育学専攻科芸術専攻修了。1961年千葉県立長生高等学校教諭となる。1969年山口大学助教授となる。1985年筑波大学芸術学系教授となる。1996年NHK教育テレビ 趣味百科「油絵を描く」の講師となる。2000年定年退官し、筑波大学名誉教授となる。2010年日本藝術院会員となる。
木次 文夫(きつぎ ふみお、1937年1月26日 - 197… 木次 文夫(きつぎ ふみお、1937年1月26日 - 1977年5月14日)は、日本のプロ野球選手(一塁手)。
山内 俊雄(やまうち としお、昭和12年(1937年)1月1… 山内 俊雄(やまうち としお、昭和12年(1937年)1月19日 - )は日本の医師。埼玉医科大学名誉学長。日本てんかん学会専門医。日本精神神経学会専門医。
林 道義(はやし みちよし、1937年1月12日 - ) は… 林 道義(はやし みちよし、1937年1月12日 - ) は、日本の経済学者・心理学研究者・評論家。日本ユング研究会会長。 1937年、長野県飯田市生まれ。東京大学法学部に進み、在学中は1958年から1961年まで学生運動に加わり、全学連組織部長として60年安保闘争に参加した。1962年に東京大学を卒業し、同大学大学院経済学研究科に進んだ。指導教官は大塚久雄であった。1968年に博士課程単位取得満期退学。 1970年、東京女子大学専任講師となった。1971年にマックス・ウェーバーについて論じた学位論文『ウェーバー社会学の方法と構想』で経済学博士号を取得。1975年から1976年までドイツ・テュービンゲン大学に留学し、帰国後にカール・グスタフ・ユングの研究に転じてユングの著作の翻訳を手がける。
齋藤 寛(さいとう ひろし、Hiroshi SAITO、19… 齋藤 寛(さいとう ひろし、Hiroshi SAITO、1937年1月5日 - 2019年8月14日)は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(東北大学大学院・1968年)。長崎大学 名誉教授。長崎大学 第13代学長。専門は衛生学。旧姓は林。 長野県上伊那郡朝日村(現 辰野町)出身。
有賀 誠門(あるが まこと、1937年1月5日 - )は、日… 有賀 誠門(あるが まこと、1937年1月5日 - )は、日本の打楽器奏者。元NHK交響楽団首席奏者、東京藝術大学名誉教授。 長野県東筑摩郡塩尻町(現塩尻市)出身。長野県桔梗ヶ原高等学校を卒業後、東京藝術大学音楽学部に入学しティンパニーを専攻。1958年NHK交響楽団に入団しパーカッションを担当、1960年東京パーカッションアンサンブル設立。1963年から翌年までニューイングランド音楽院に留学。1976年退団後、母校助教授。1993年同教授に就任。アメリカ・スタイルの日本を代表するティンパニ奏者といわれる。
竹内 邦光(たけうち くにみつ、1937年 - )は、日本の… 竹内 邦光(たけうち くにみつ、1937年 - )は、日本の作曲家。 東京都出身。長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)育ち。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。同大学在学中にNHK洋楽オーディションに合格しピアニストとして活動を始める。NHK学校放送番組「ことばと文学 浄瑠璃寺の春」の附帯音楽の作曲を手がけ作曲活動を始める。1968年信州大学教育学部教授。その後、昭和音楽大学音楽学部作曲学科(現・音楽芸術表現学科作曲・音楽デザインコース)教授として長年、ピアノ、楽曲分析、楽式論、対位法、和声等の講義を担当。「音楽旬報」の評論スタッフとして多くの演奏家評論を著した。門下生に、岩下哲也、横島浩、若林千春がいる。
小林 治人(こばやし はると、1937年 - )は、日本のラ… 小林 治人(こばやし はると、1937年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。長野県松本市出身。英国ラントスケープ学会名誉会員。東京ランドスケープ研究所創設者。 1960年に「国家公務員試験上級造園職に合格。1961年、東京農業大学農学部造園学科卒業。同年から1963年まで建設省に属し都市局人事で新潟県に出向、土木部技術吏員として、三条と長岡においての災害復旧直江津港背後地の土地区画整理事業に従事後、東京コンサルタントに籍をおきながら友人ら三人でLA規格制作事務所を創設。1968年に株式会社東京ランドスケープ研究所を設立し代表取締役社長就任。2016年、株式会社東京ランドスケープ研究所の代表取締役会長、2018年、株式会社東京ランドスケープ研究所会長(founder)。
田中 虔一(たなか けんいち、1937年 - 2018年3月… 田中 虔一(たなか けんいち、1937年 - 2018年3月18日)は、日本の化学者。専門は、触媒化学。 長野県塩尻市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1961年横浜国立大学工学部応用化学学科卒業。1972年北海道大学工学部助教授。1979年北海道大学触媒研究所(現・北海道大学触媒科学研究所)助教授。1984年東京大学物性研究所助教授。1987年同研究所教授。退官後、同大学名誉教授。1999年埼玉工業大学先端科学研究所教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月… 中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月13日 - )は、日本の経営者。三越社長・会長、相談役、特別顧問を歴任。長野県塩尻市生まれ。 名橋「日本橋」保存会会長、ECO EDO 日本橋 実行委員会 会長、慶應義塾大学評議員。
光沢 毅(みつざわ たけし、1936年9月13日 - )は、… 光沢 毅(みつざわ たけし、1936年9月13日 - )は、長野県飯田市出身の野球選手(投手、外野手)・監督・解説者、ブラインドゴルフ選手。 終戦翌年の1946年に小学4年生で野球を始め、中学時代は投手のほか、様々なポジションをこなした。 飯田長姫高時代は授業中もゴムまりで鍛えた握力で鋭いドロップを投げ、2年春に、3年生のエースが受験勉強のために退部し、代わりにエースとなった。 3年次の1954年、登録身長160cm、実際の身長は157cm、体重51kgの短躯ながら左腕エースとして春の選抜に初出場。1試合平均で12個の三振を奪うなど、剛球投手として注目されたが、完全な光沢のワンマンチームで、チーム自体はそれほど注目されていなかった。
茅野 充男(ちの みつお、1936年8月26日 - )は、日… 茅野 充男(ちの みつお、1936年8月26日 - )は、日本の農学者。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年東京大学農学部農芸化学科卒業、農林省(現・農林水産省)農業技術研究所技官。1965年茨城大学農学部助手。1970年新潟大学農学部助教授。1975年東京大学農学部助教授。1989年同大学農学部教授。1994年日本土壌肥料学会会長。1996年東京大学大学院農学生命科学研究科教授。1997年退官後、同大学名誉教授。1999年秋田県立大学生物資源科学部教授。微生物応用技術研究所会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
永田 恒治(ながた つねはる、1936年8月8日 - 201… 永田 恒治(ながた つねはる、1936年8月8日 - 2016年3月28日)は、日本の弁護士。松本サリン事件において、事件の第一通報者で、一時は事実上の容疑をかけられる状態にあった河野義行を、弁護士として支援したことで知られる。 長野県東筑摩郡山形村出身。 東京大学法学部卒業。当初は官僚を目指していたが、60年安保闘争の中で、向坂逸郎の指導下で政治運動に関わり、公安条例違反での逮捕も経験した。30歳を過ぎてから弁護士を志し、1972年に弁護士登録して、松本市で弁護士事務所を開業し、1991年から1992年にかけては長野県弁護士会の会長も務めた。 松本サリン事件の際には、警察が、被疑者不詳のまま河野宅を家宅捜索し、さらに河野に長時間の事情聴取を行なったこと、また、マスコミが河野を犯人同然に扱う報道を展開したことを厳しく批判し、河野の人権擁護と、後の名誉回復に尽力した。
巣山 靖司(すやま やすじ、1936年8月2日 -2025年… 巣山 靖司(すやま やすじ、1936年8月2日 -2025年10月16日 )は、日本の国際政治学者。大阪外国語大学名誉教授。 1936年(昭和11年)長野県北安曇郡池田町生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1961年(昭和36年)静岡大学文理学部法学科卒業。1967年(昭和42年)名古屋大学大学院法学研究科博士課程終了。守本順一郎に師事した。大阪外国語大学外国語学部助教授、教授を務めた後、定年退官。大阪外国語大学名誉教授。名古屋経済大学大学院教授。 その後、NPO法人新いちょう大学校理事長を務めた。 2016年11月、瑞宝中綬章を受章。 2025年10月16日、満89歳にて逝去。
小林 志郎(こばやし しろう、1936年8月 - )は、日本… 小林 志郎(こばやし しろう、1936年8月 - )は、日本の演劇研究者、演劇学者・演出家。東京学芸大学名誉教授・元副学長。有明教育芸術短期大学終身名誉学長。 高等教育におけるパーフォーミング・アーツ(演劇・舞踊・音楽)教育のフィロソフィの構築とその実際に尽力。 理論の中心は、日本の伝統芸術(能狂言と歌舞伎、日本舞踊、日本の伝統音楽)の基礎教育と西洋の芸術教育との融合におかれた。専門は演劇教育学、現代演出論。長野県下高井郡木島平村出身。「鬼島志郎」の筆名がある。
木之下 晃(きのした あきら、1936年7月16日 - 20… 木之下 晃(きのした あきら、1936年7月16日 - 2015年1月12日)は、日本の写真家。日本福祉大学客員教授。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)に生まれる。1955年長野県諏訪清陵高等学校卒業。日本福祉大学社会福祉学部を卒業後、中日新聞社、博報堂に勤務し、広告写真などに携わる。音楽好きで演奏会に通ううちに、勤務地の名古屋で開催される音楽演奏会の記録撮影の仕事を得る。これをきっかけに、音楽をめぐる写真を撮影するようになる。1970年『音と人との対話 音楽家 木之下晃写真集』を自費出版。これにより、1971年日本写真協会賞新人賞を受賞。1973年、フリーランスの写真家となる。初期は主としてポピュラー音楽の演奏会を対象に、広告写真での経験を生かし、ブレやゆがみなどの効果を駆使した「音の映像化」というテーマを追求したが、80年代にはクラシック音楽を対象に、音楽家の演奏中のポートレートに取り組む。
小町谷 照彦(こまちや てるひこ、1936年6月22日 - … 小町谷 照彦(こまちや てるひこ、1936年6月22日 - 2014年10月31日)は、日本の国文学者。東京学芸大学名誉教授。中古文学、特に和歌を専攻。叙従四位、瑞宝中綬章受章。 長野県駒ヶ根市生まれ。東京大学文学部国文学科卒業、同大学院博士課程単位取得退学。東京都立高等学校教諭を経て、成城大学短期大学助教授、東京学芸大学教授、2000年定年退官。東京経済大学教授。2014年、胃癌で死去。叙従四位、瑞宝中綬章受章。 妻・新子(1936-)は、瀧井孝作の娘で版画家、著書に『一生の春 父・瀧井孝作』(蝸牛社 1990)などがある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は… 奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」選者。 長野県飯田市生まれ。長野県飯田高等学校を経て、1962年東京大学経済学部卒業。三井物産に入社後、2年程で退職し学士入学して教員免許を取得。のち芝中学校・高等学校社会科教諭に着任。大学在学中に『コスモス』に入会、宮柊二に師事する。1967年、「荒涼たる風景」で第13回角川短歌賞候補。1985年には「コスモス」の仲間である桑原正紀や高野公彦らと同人誌『棧橋』を創刊。 橘曙覧などの近世和歌を消化し、現代短歌の一領域として「ただごと歌」を認知させた。教師時代の奥村に短歌の手引きを受け、後に『コスモス』に入会した教え子に、影山一男や大松達知がいる。
本間 基文(ほんま もとふみ、1936年6月13日 - 20… 本間 基文(ほんま もとふみ、1936年6月13日 - 2020年10月4日)は、日本の材料科学者。東北大学名誉教授。元東北職業能力開発大学校長。元日本金属学会会長。 長野県大町市出身。1959年東北大学工学部金属工学科卒業。1964年東北大学大学院工学研究科金属工学専攻博士課程単位取得退学、東北大学工学部助手。1966年東北大学工学博士。1968年東北大学工学部講師。1969年東北大学工学部助教授。1970年服部公報会服部賞受賞。1979年日本金属学会功績賞受賞、日本鉄鋼協会西山記念賞受賞。1980年東北大学工学部教授。同年アメリカ泌尿科学会 1st Prize Exibition Lab. Research。
内山 森彦(うちやま もりひこ、1936年5月27日 - )… 内山 森彦(うちやま もりひこ、1936年5月27日 - )は、日本の俳優、声優。長野県諏訪市出身。アンテーヌ所属。 長野県諏訪清陵高等学校卒業、法政大学文学部日本文学科卒業。 以前は劇団三十人会、プロダクション・エムスリーに所属していた。