雨宮 次生(あめみや つぎお、1937年(昭和12年) - … 雨宮 次生(あめみや つぎお、1937年(昭和12年) - 2020年(令和2年))は、日本の医学者。専門は眼科学。長崎大学医学部眼科学教室第11代教授。長崎大学名誉教授。 1956年(昭和31年)、静岡県立静岡高等学校卒業。京都大学医学部眼科学教室を経て、長崎大学助教授。1987年(昭和62年)長崎大学医学部眼科学教室第11代教授。長崎大学大学院医歯薬学総合研究科教授。退職して、長崎大学名誉教授。
青島 三郎(あおしま さぶろう、1937年-2001年)は、… 青島 三郎(あおしま さぶろう、1937年-2001年)は、日本の油彩画家。青島左門は息子。 2001年、フィンランドGALERIE NOVO、VIITASAARIのARTPORTにて遺作展。 ※フィンランド ヘルシンキ中央駅
鈴木 明徴(すずき あきよし、1937年(昭和12年) - … 鈴木 明徴(すずき あきよし、1937年(昭和12年) - 2020年(令和2年)4月27日)は、日本の高等学校教諭、学校長。 静岡市生まれ。1956年(昭和31年)、静岡県立静岡高等学校卒業。東京大学理学部卒業。 1961年(昭和36年)から私立雙葉学園教諭、1964年(昭和39年)から1977年(昭和52年)まで地方公務員である公立高校の教員に転身し、母校の静岡高校で教鞭を執り、同年4月から7年間、静岡西高校、その後、川根高校、焼津中央高校教頭、静岡県立横須賀高校校長、藤枝西高校校長、三島北高校校長を歴任した。 定年退職後、財団法人静岡県青少年会館事務局長を務めた。2004年(平成16年)から2008年(平成20年)まで八幡聖母幼稚園勤務。
喜多尾 道冬(きたお みちふゆ、1936年12月1日 - )… 喜多尾 道冬(きたお みちふゆ、1936年12月1日 - )は、日本のドイツ文学者、音楽評論家。中央大学名誉教授。 和歌山県出身。1955年、静岡県立静岡高等学校卒業。静岡大学文理学部独文科卒業。1962年、東京大学大学院修士課程修了。静岡大学講師、助教授、東京教育大学助教授、中央大学経済学部助教授、教授。2007年、定年退職。中央大学名誉教授。1990年ごろから『レコード芸術』などに音楽評論を執筆。クラシック音楽関係の翻訳多数。
里見 浩太朗(さとみ こうたろう、1936年11月28日 -… 里見 浩太朗(さとみ こうたろう、1936年11月28日 - )は、日本の俳優、声優、歌手。 旧芸名は鏡 小五郎・富士川 一夫・里見 浩太郎・風間 太郎を経て、1970年より今の芸名とする。本名は佐野 邦俊(さの くにとし)。東京市渋谷区道玄坂出身、静岡県富士宮市育ち。自らが社長を務める株式会社 里見プロモーション所属。 父・亀一は19歳で志願して近衛兵となり、帝国陸軍の麹町憲兵隊に転属したのち、秋葉原のパン屋で働いていた静岡県庵原郡松野村(現在の静岡県富士市)出身の木伏エツと結婚。里見が生後8ヶ月の時に、盧溝橋事件により支那駐屯憲兵隊に臨時増加配属を命じられ、その年の9月に中国大陸山西省の小塞村(平型関の入り口)にて平型関の戦いで戦没しており、静岡県富士宮市にある母・エツの実家を頼った母子家庭で兄・要とともに育った。
鈴木 章介(すずき しょうすけ、1936年11月11日 - … 鈴木 章介(すずき しょうすけ、1936年11月11日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は十種競技、棒高跳び。 1936年11月11日、静岡県浜松市鴨江にて生まれる。 中学校の時に陸上を始める。当初は走幅跳と三段跳を中心にやっていたが、中学校3年の時に陸上部顧問教師から「棒高跳をやれよ」と言われて、棒高跳に取り組む。中学3年次のベストは2m67cmであった。 1952年に静岡県立浜松商業高等学校へ進学。ここで本格的に棒高跳に取り組みつつも、中学時代にやっていた走幅跳、三段跳でも競技会に出場する。高校3年次の1954年に熊本県熊本市水前寺競技場で開催された第7回全国高等学校総合体育大会陸上競技大会男子棒高跳で当時の大会記録である3m71cmを跳び優勝、高校日本一となった。
白石 冬美(しらいし ふゆみ、1936年〈昭和11年〉10月… 白石 冬美(しらいし ふゆみ、1936年〈昭和11年〉10月14日 - 2019年〈平成31年〉3月26日)は、日本の声優、女優、ラジオパーソナリティ、タレント。 静岡県出身。生まれは中華民国北平市(現・北京市)。最終所属は賢プロダクション。 1936年、4人姉妹の長女として北平市(現・北京市)に生まれる。父は医師であった。家族と共に中国より引き揚げて静岡県に暮らす。幼い頃から読書好きであり、物語の世界に入り込んだり、空想を巡らせるのが楽しかったという。学校では放課後の演劇部に熱心なくらいだったという。ミッションスクールの静岡雙葉学園へと進み、在学中から中村錦之助の時代劇に憧れて育った。静岡雙葉高等学校中退後、松竹歌劇団の入団試験に応募して合格を果たし上京するが、自身の未熟さを痛感して入団から3か月後に、新たに基礎から学ぶべく東宝芸能学校の演技科へと席を移した。
有田 麻里(ありた まり、1936年9月13日 - 2009… 有田 麻里(ありた まり、1936年9月13日 - 2009年12月3日)は、日本の女優、声優。東京都出身。身長166cm、体重55kg。 静岡県立清水東高等学校卒業。現代演劇協会附属研究所を経て、劇団雲に入団し、深沢 英子(ふかざわ えいこ)の芸名で俳優活動をスタートする。1975年、演劇集団 円の結成に参加。有田麻里に改名し、舞台を中心にテレビドラマなどでも活躍する。2006年、夫である俳優・平野稔と共に円を退団し、LLC平野企画の創立に参加。 2009年12月3日、膵臓癌により死去。73歳没。
瀧 英男(たき ひでお、1936年8月17日 - )は、静岡… 瀧 英男(たき ひでお、1936年8月17日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(捕手)。
村上 豊(むらかみ ゆたか、1936年6月14日‐)は静岡県… 村上 豊(むらかみ ゆたか、1936年6月14日‐)は静岡県出身の画家。
太田 誠(おおた まこと、1936年5月20日 - )は、駒… 太田 誠(おおた まこと、1936年5月20日 - )は、駒澤大学硬式野球部OB会長。元駒澤大学硬式野球部監督。
興津 立雄(おきつ たつお、1936年5月19日 - )は、… 興津 立雄(おきつ たつお、1936年5月19日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(三塁手)。旧名は「達雄」。
栗田 子郎(くりた しろう、1936年5月16日 - 201… 栗田 子郎(くりた しろう、1936年5月16日 - 2019年8月22日)は、日本の植物学者。千葉大学名誉教授。理学博士(東京都立大学 (1949-2011))。日本植物学会、アメリカ植物学会、国際シダ学会他、会員。 静岡県掛川市に生まれた。1958年に東京教育大学理学部生物学科を卒業し、1962年に、千葉大学文理学部生物学科助手、1971年に理学部生物学科助教授、1992年に教授となった。シダ植物の染色体の構造を観察し、シダ植物の進化の道筋とその仕組みのを明らかにする研究などを行った。研究室の学生が種子を作らず球根の分裂で繁殖する日本産のヒガンバナを研究テーマに選び、日本各地の集団間の染色体の変異の有無を調べる研究を行うことになったことから、東アジアのヒガンバナ科の研究を行い、その経緯と成果を一般向けの科学書『ヒガンバナの博物誌』として発表した。
小原 芳春(おばら よしはる、1936年3月21日 - )は… 小原 芳春(おばら よしはる、1936年3月21日 - )は、日本の実業家。株式会社デニーズジャパン第3代代表取締役社長を務めた。 静岡県沼津市出身。小樽商科大学卒業後、1960年東レ入社。1971年イトーヨーカ堂入社。1993年からデニーズジャパン代表取締役社長を務め、業務改革を進め、サービス水準の向上にあたった。1998年沼津市ぬまづ大使。2001年緑丘会理事長。2002年デニーズジャパン相談役。2003年ヤギ監査役。
池田 啓一(いけだ けいいち、1936年3月3日 - )は、… 池田 啓一(いけだ けいいち、1936年3月3日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。 榛原高校から1954年に毎日オリオンズへ投手として入団。1956年から内野手に転向、同年は主に二塁手として19試合に先発出場。しかし1957年には出場機会が減少し、同年限りで引退。
小長谷 清実(こながや きよみ、男性、1936年2月16日 … 小長谷 清実(こながや きよみ、男性、1936年2月16日 - 2017年11月26日 )は、日本の詩人。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡高等学校を経て、上智大学文学部英文科在学中から詩誌「氾」同人となる。大学卒業後、電通に勤務。現代詩人会会員。1977年『小航海26』で第27回H氏賞受賞。1991年『抜けがら狩り』で第21回高見順賞受賞。2007年『わが友、泥ん人』で第25回現代詩人賞受賞。 跡見学園女子大学の教授で、元IBC岩手放送アナウンサーの小長谷悠紀は娘。その夫で同郷でもあるフジテレビアナウンサーの青嶋達也は義息子にあたる。
山口 幸洋(やまぐち ゆきひろ、1936年(昭和11年)1月… 山口 幸洋(やまぐち ゆきひろ、1936年(昭和11年)1月26日 - 2014年(平成26年)4月24日)は日本の方言学者。元・静岡大学教授。博士(文学)(大阪大学、1999年)。 静岡県新居町生まれ。1954年に静岡県立浜松商業高等学校を卒業した後、プロパンガス販売の自営業に従事する傍ら、日本全国の方言を調査研究する。1985年、「新居町の方言体系」(『新居町史』第3巻所収)で第4回新村出賞受賞。1992年、静岡大学人文学部講師。1998年、同大学を教授で退官。 日本語の方言、とりわけ静岡県の方言を専門としている。また、東京式アクセントの成立過程に関して、従来説とは異なる新たな見解を提唱している(東京式アクセント#歴史参照)。
小楠 和正(おぐす かずまさ。1936年(昭和11年) - … 小楠 和正(おぐす かずまさ。1936年(昭和11年) - )は、日本の歴史学者郷土史家。静岡大学教育学部卒、公立中学校教諭を経て、浜松市中央図書館非常勤職員。静岡県浜松市出身。徳川家康の研究家としては、浜松市の第一人者とされている。 浜松市周辺の郷土史を専門としており、複数の著作を発表し、講演も行っている。また、NHKの歴史番組制作にも資料調査の面から協力したことがある。
美尾 浩子(みお ひろこ、1936年 - 1991年11月1… 美尾 浩子(みお ひろこ、1936年 - 1991年11月15日)は、日本の言語学者(言語学・婦人問題)・随筆家。静岡女子短期大学英文科勤務を経て、静岡女子大学文学部教授、静岡県立大学国際関係学部教授、静岡県立大学国際関係学部学部長(第2代)を歴任。 静岡県出身の随筆家であり、言語学などを専攻する言語学者でもある。静岡女子短期大学、静岡女子大学、静岡県立大学、といった教育・研究機関で教鞭を執り、後進の育成に努めた。静岡県立大学では、評議員や国際関係学部の学部長など要職も務めた。自身の体験に基づいた女性の権利や地位に関する評論も展開し、『男無用の子育て』や『マッチャ・ウーマン——ふつうの女で終わりたくないあなたへ』と題した書籍を上梓した。
篠原 直(しのはら ただし、1936年(昭和11年) - 2… 篠原 直(しのはら ただし、1936年(昭和11年) - 2001年(平成13年)12月17日)は、日本の編集者、出版人。ごま書房共同創業者・元代表取締役社長。静岡市出身。 1936年(昭和11年)、静岡市に生まれる。1955年(昭和30年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1957年(昭和32年)、一橋大学社会学部入学。大学卒業後、光文社に入社。同社で編集者として実績を積み、1960年代のカッパ・ブックスを筆頭とする新書・実用書ブームの現場に携わる。 1971年(昭和46年)2月、光文社を退社。同僚の編集者であった福島茂喜と共に株式会社ごま書房を設立。設立に際して、ソニー創業者の井深大、心理学者の多湖輝、山種証券社長の山崎富治ら各界有力者からの出資および支援を取り付けた。
大石 千八(おおいし せんぱち、1935年(昭和10年)11… 大石 千八(おおいし せんぱち、1935年(昭和10年)11月21日 - 2011年(平成23年)9月26日)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(中曽根派)。静岡県吉田町出身。 1954年(昭和29年)静岡県立榛原高等学校卒業。1960年(昭和35年)早稲田大学第一商学部卒業、NHKにアナウンサーとして入局。徳島放送局、名古屋放送局、福岡放送局でスポーツ担当で12年間勤務した。 1972年(昭和47年)父八治の政界引退を受けて、その地盤を継承し、第33回衆議院議員総選挙に旧静岡1区から初当選。以後、1993年(平成5年)の第40回総選挙まで連続して再選され、衆議院議員に連続8期在任した。
高美 アリサ(たかみ ありさ、1935年10月12日 - )… 高美 アリサ(たかみ ありさ、1935年10月12日 - )は、日本の歌手、女優である。 静岡県出身。1951年4月に藤枝南女子高等学校(現藤枝順心中学校・高等学校) 普通科に入学し、2年後の1953年4月には松竹歌劇団に入学した。1956年に松竹歌劇団を卒業し、同年歌手デビューを果した。 歌い手の登竜門である日劇ミュージックホールを皮切りに、テレビやステージに多数出演した。なお、芸名の「高美アリサ」の名付け親は、フランス文学者の内村直也である。 歌手としては、1957年にポリドール・レコード(日本グラモフォン株式会社)に入社し、映画「太陽はひとりぼっち」主題歌「太陽はひとりぼっち」、映画「刑事」主題歌「死ぬほど愛して」、「夕焼けのトランペット」、「月光のノクターン」、「別れ」、「アモーレ・ミオ」などをレコーディングした。
大石 司朗(おおいし しろう、1935年(昭和10年)10月… 大石 司朗(おおいし しろう、1935年(昭和10年)10月8日 - 2020年(令和2年)11月25日)は、日本の実業家。元静岡ガス代表取締役会長。静岡市出身。 1958年(昭和33年)3月、早稲田大学政治経済学部卒業、1958年(昭和33年)3月、静岡ガス入社、1979年(昭和54年)1月、広報室長、1980年(昭和55年)3月、取締役、1994年(平成6年)3月、常務取締役、1997年(平成9年)3月、専務取締役、2000年(平成12年)3月、代表取締役専務取締役、2001年(平成13年)3月、同代表取締役社長、2006年(平成18年)3月、同代表取締役会長。2010年(平成22年)3月、同相談役。
伊藤 惣一(いとう そういち、1935年10月1日 - )は… 伊藤 惣一(いとう そういち、1935年10月1日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。フリー。 静岡県浜松市出身。早稲田大学卒業。大学時代は劇団自由舞台で活動。 1959年4月「ぶどうの会」に入団し、1964年9月の解散まで在籍。同年10月、「演劇集団・変身」にの創立に参加しし、1970年まで在籍。1971年に「劇団三十人会」に入団し、現在はフリー 太字はメインキャラクター。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
柳澤 伯夫(やなぎさわ はくお、1935年〈昭和10年〉8月… 柳澤 伯夫(やなぎさわ はくお、1935年〈昭和10年〉8月18日 - )は、日本の大蔵官僚、政治家。勲等は旭日大綬章。静岡県農業共済組合連合会会長理事、特定非営利活動法人日本茶インストラクター協会理事長。報道等では柳沢 伯夫とも表記される。 衆議院議員(8期)、国土庁長官(第31代)、金融再生担当大臣(小渕内閣)、金融再生委員会委員長(初・第7代)、金融担当大臣(初代)、自由民主党税制調査会会長、厚生労働大臣(第7代)、明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科特別招聘教授、城西国際大学学長、社団法人日本茶業中央会会長、静岡県土地改良事業団体連合会会長、全国土地改良事業団体連合会理事、河村電器産業株式会社監査役(非常勤)などを現任・歴任。
杉浦 健五(すぎうら けんご、1935年(昭和10年)8月1… 杉浦 健五(すぎうら けんご、1935年(昭和10年)8月12日 - 2006年(平成18年)5月7日)は、日本の空手家および実業家。静岡県浜松市出身。愛知大学出身。元全日本空手道連盟和道会理事長。政治活動家・田中清玄の秘書だった。
伊藤 聚(いとう あつむ、1935年6月30日 - 1999… 伊藤 聚(いとう あつむ、1935年6月30日 - 1999年1月6日)は、日本の詩人。東京都出身。 1935年、東京阿佐ヶ谷に生まれる。少年時代を静岡県で過ごした。1945年5月、磐田空襲の直撃を受け、多くの友人を失っている。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。早稲田大学文学部独文科を卒業後、松竹に入社。長く助監督・松竹シナリオ研究所校長を務めた。1951年頃から詩作を発表し始める。後、「氾」「鷭」「壱拾壱」「淼」「アサザ属」「飾粽」「NEW感情」などに所属した。美術への関心も強く、コラージュ・イラスト・オブジェ・写真など、言葉によらない作品も多く残している。
櫻井 規順(さくらい きじゅん、1935年6月29日 - )… 櫻井 規順(さくらい きじゅん、1935年6月29日 - )は、日本の政治家。社会民主党静岡県連合常任顧問。報道などでは新字体で桜井 規順(さくらい きじゅん)とも表記される。
酒井 シヅ(さかい しづ、1935年6月22日- )は、日本… 酒井 シヅ(さかい しづ、1935年6月22日- )は、日本の医史学者である。前日本医史学会理事長。順天堂大学名誉教授。静岡県静岡市出身。 三重県立大学医学部卒業、1967年東京大学大学院医学研究科博士課程修了、「サルの皮質視床線維の終止部位について 中心前回並に中心後回を中心にして」で医学博士。 1969年に順天堂大学助手、75年講師、助教授、第2代医史学教授となる。2001年客員教授となり2008年に同大学の特任・名誉教授となる。2014年に本郷キャンパス内に開館した「日本医学教育歴史館」の館長も併任し、医史学の研究を続けている。 NHK大河ドラマ「花神」「獅子の時代」「八重の桜」等、漫画「JIN-仁-」及びそのドラマ化作品(TBS)等で医学考証を担当した。
阿井 利治(あい としはる、1935年6月6日 - )は、静… 阿井 利治(あい としはる、1935年6月6日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。
影山 昇(かげやま のぼる、1935年6月5日 - )は、日… 影山 昇(かげやま のぼる、1935年6月5日 - )は、日本の教育学者、東京水産大学名誉教授。 1935年、静岡市生まれ。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。静岡大学教育学部小学校教員養成課程卒業、東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。群馬県、静岡県の中学校・高校教諭を経て、1979年、愛媛大学教授、1984年、東京水産大学教授。1996年、「人物による水産教育史研究」で東京水産大学博士(水産学)。1999年、定年退官、名誉教授。その後、成城大学文芸学部で非常勤講師を務めた。 2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。
吉田 政幸(よしだ まさゆき、1935年2月11日 - 20… 吉田 政幸(よしだ まさゆき、1935年2月11日 - 2003年9月24日)は、日本の化学者・図書館情報学者。 静岡市生まれ。1953年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1957年、東京大学理学部化学科卒業。1962年、同大学院博士課程修了、理学博士。東京大学理学部助教授を務めたのち、物理有機化学から図書館情報学に転じ、図書館情報大学教授となり、1991年、副学長、1995年、学長。再選、再々選され、7年間学長を務めた。2002年、定年退官、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
長尾 旬(ながお ひとし、1935年2月5日 - 2013年… 長尾 旬(ながお ひとし、1935年2月5日 - 2013年1月17日)は、静岡県出身のプロ野球選手(投手)。 池新田高から社会人野球の東洋レーヨンを経て、1953年に大阪タイガースにテスト生として入団。 1954年に一軍初登板初先発するもその後は登板がなく、1956年に近鉄パールスに移り、1957年には12試合に登板するものの同年オフに現役を引退した。武器はスライダー。 2013年1月17日、77歳で死去した。
渥美 東洋(あつみ とうよう、1935年〈昭和10年〉1月2… 渥美 東洋(あつみ とうよう、1935年〈昭和10年〉1月20日 - 2014年〈平成26年〉1月30日)は、日本の法学者(刑事訴訟法)。法学博士(中央大学・1978年)。中央大学名誉教授、警察大学校名誉教授。京都産業大学客員教授、学校法人常磐大学理事、司法試験考査委員を務めた。 1935年、満洲国新京(現:長春市)で高官の家庭に生まれ幼少時代を過ごし、敗戦後、浜松市に戻る。静岡県立浜松北高等学校卒業後、1955年、中央大学法学部3年生の時、司法試験に首席で合格。翌年、国家公務員六級職試験(後の上級甲種試験、Ⅰ種試験)に8位で合格。中央大学法学部助手兼務で司法修習修了。 刑事訴訟法学において、英米法の影響を大きく受けた学説を主張し、その独自の展開ゆえ「渥美刑訴」と呼ばれた。
岩崎 堅司(いわさき けんじ、1935年 - )は、日本の戦… 岩崎 堅司(いわさき けんじ、1935年 - )は、日本の戦後のデザイナー。 ‘64年東京オリンピック、‘70年大阪万博と、日本が産業の発達と生活の豊かさをめざしていた時代に、第一線で活躍した。'60年代に、作家の開高健らとともに「ベトナム戦争反対」を訴えるポスターを発表して脚光を浴びた。平和や自然環境、社会問題などを素材に、独特の力強さと優しさにユーモアを交えた作風で知られる。 静岡市紺屋町に誕生。少年時代に静岡大空襲を体験。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。1959年、東京芸術大学図案計画科卒業。同年、明治製菓入社。医薬品やキャラメルの包装デザインを手がけた。新人の登竜門と言われた日本宣伝美術会の公募展で2年連続入賞。
北條 博厚(ほうじょう ひろあつ、1935年(昭和10年) … 北條 博厚(ほうじょう ひろあつ、1935年(昭和10年) - )は、日本の医学者。専門は小児科学、特に小児神経学。静岡県立こども病院第3代院長、名誉院長。医学博士。静岡市出身。 1954年(昭和29年)、静岡県立静岡高等学校卒業。京都大学医学部卒業。医学博士(京都大学)。滋賀県立近江学園、京都大学医学部附属病院小児科を経て、静岡県立こども病院に1977年の開院とともに勤務。1994年、同病院第3代院長。2001年、同名誉院長、伊豆医療福祉センター施設長(〜2003年)。2010年、瑞宝小綬章受章。2014年まで診療を続け、その後、静岡県立北特別支援学校校医、幼稚園の園医。静岡英和学院大学非常勤講師。
村田 和雄(むらた かずお、1935年(昭和5年) - )は… 村田 和雄(むらた かずお、1935年(昭和5年) - )は、日本の実業家、ヨットマン。元ユアサコーポレーション代表取締役専務。2006年、自らの70歳の記念行事として太平洋単独横断に挑戦。処女航海で成功。静岡市出身。 1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。1959年、横浜国立大学工学部卒業、湯浅電池入社。1981年から1989年までイギリス駐在。ユアサコーポレーション代表取締役専務を経て、2000年退任。2005年までデルタ電子上級顧問。筑波大学ビジネススクール非常勤講師(2年間)。京都ヨットクラブ所属。 入社から14年で新製品の研究開発と商品開発、量産工場の建設を担当。ユミクロン電池を開発、アメリカの学会で発表した。
田宮 俊作(たみや しゅんさく、1934年〈昭和9年〉12月… 田宮 俊作(たみや しゅんさく、1934年〈昭和9年〉12月19日 - 2025年〈令和7年〉7月18日)は、日本の実業家。株式会社タミヤ代表取締役会長兼社長を務めた。ミニ四駆などのヒット商品を生み出した。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡高等学校を経て、1958年に早稲田大学法学部を卒業後、父・田宮義雄が経営する田宮商事合資会社に入社。 入社後は、木製模型の企画や設計に携わるが、欧米からのプラスチックモデルの流入といった危機が迫るなか、木製からプラスチックを素材とした模型製造への大転換を果たした。1968年には世界中の玩具メーカーが集まるニュルンベルク国際玩具見本市に初出展し、以来51年連続出展を続けている。
塚本 靖彦(つかもと やすひこ、1934年〈昭和9年〉12月… 塚本 靖彦(つかもと やすひこ、1934年〈昭和9年〉12月1日 - 2008年〈平成20年〉6月8日 )は、日本の作曲家。満州国・奉天市に生まれ四平市で育つ。 戦後、静岡の榛原町(現:牧之原市)に引揚げる。
岡本 教平(おかもと きょうへい、1934年11月21日 -… 岡本 教平(おかもと きょうへい、1934年11月21日 - 没年不明)は、静岡県掛川市出身のプロ野球選手。
原 秀三郎(はら ひでさぶろう、1934年10月26日- )… 原 秀三郎(はら ひでさぶろう、1934年10月26日- )は、日本の歴史学者。静岡大学名誉教授。日本古代史専攻。 1934年、静岡県下田市に生まれた。 1953年3月、静岡県立下田北高等学校を卒業。静岡大学文理学部史学専攻で学び、内藤晃に考古学や日本史を学んだ。1958年3月、同大学を卒業。京都大学大学院文学研究科に進み、岸俊男に師事。1965年3月に博士課程国史学専攻を満期退学した。 その後は奈良国立文化財研究所に研究員として勤務。1989年、学位論文『日本古代国家史研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。静岡大学人文学部助教授となり、後に教授昇格。1998年に静岡大学を退官し、名誉教授となった。
志太 勤(しだ つとむ、1934年〈昭和9年〉10月14日 … 志太 勤(しだ つとむ、1934年〈昭和9年〉10月14日 - 2025年〈令和7年〉7月9日)は、日本の実業家。シダックス創業者。 静岡県田方郡韮山町(現・伊豆の国市)出身。静岡県立韮山高等学校卒業。高校3年生の時に、義兄から譲り受けた大衆食堂「大炬燵(おおごたつ)」を経営。1960年(昭和35年)、東京都調布市に給食事業を運営する「富士食品工業」(現・シダックスフードサービス)を設立し、社長に就任。従来の定食からカフェテリア方式にしたことで急成長を遂げた。集団給食を主体としたフードサービス事業とレストランカラオケ事業で業界トップクラス。1997年(平成9年)、社長を長男・勤一に譲っている。2012年(平成24年)6月、代表取締役会長から取締役最高顧問となる。
大木 護(おおき まもる、1934年9月15日 - )は、静… 大木 護(おおき まもる、1934年9月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。 富士高校から1954年に高橋ユニオンズへ入団。 1957年に球団吸収合併のため大映ユニオンズへ移籍し、同年引退。 長打力に期待されながら公式戦では1本も本塁打を打てなかったが、ユニオンズが解散する直前の東映フライヤーズとのオープン戦では本塁打を打っている。と同時にこれが非公式ではあるが「ユニオンズ最後の本塁打」であった。
田村 満(たむら みつる、1934年8月28日 - )は、静… 田村 満(たむら みつる、1934年8月28日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 静岡県立富士高等学校から明治大学に進学するが、人間関係が原因で大学を中退。1954年に先輩の勧めで、新球団・高橋ユニオンズの春季キャンプにテスト生として参加し、実力を認められて高橋に入団した。 プロ2試合目の登板となった6月12日の対西鉄ライオンズ戦で8回表にプロ野球記録のイニング7与四球を記録した。この試合を最後に登板機会がないままシーズンを終了。シーズンオフに、球団から来期の契約を結ばない旨の通告を受けるが、投手コーチ・若林忠志の配慮により、2月にテストをするので、春季キャンプには参加するようにとの連絡を受ける。
鈴木 武樹(すずき たけじゅ、1934年8月11日 - 19… 鈴木 武樹(すずき たけじゅ、1934年8月11日 - 1978年3月27日)はドイツ文学者・評論家。静岡県磐田市出身。
長坂 衛(ながさか まもる、1934年8月8日 - )は、静… 長坂 衛(ながさか まもる、1934年8月8日 - )は、静岡県出身のプロ野球選手(投手)。 1954年に西鉄ライオンズに入団。2年目の1955年に公式戦の開幕投手を務め、8月3日の近鉄戦でプロ初勝利を挙げた。1957年限りで現役を引退した。
宮村 眞平(みやむら しんぺい、1934年〈昭和9年〉8月3… 宮村 眞平(みやむら しんぺい、1934年〈昭和9年〉8月3日 - 2022年 〈令和4年〉6月14日)は、日本の経営者。静岡県牧之原市出身。三井金属鉱業株式会社取締役相談役。日本商工会議所特別顧問。東京商工会議所副会頭。位階勲等は正四位旭日重光章。
田所 善治郎(たどころ ぜんじろう、1934年7月17日 -… 田所 善治郎(たどころ ぜんじろう、1934年7月17日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
榛村 純一(しんむら じゅんいち、1934年(昭和9年)7月… 榛村 純一(しんむら じゅんいち、1934年(昭和9年)7月12日 - 2018年(平成30年)3月7日)は、日本の政治家。旧掛川市長(第8〜14代)、社団法人大日本報徳社社長を歴任した。 早稲田大学卒業後、家業である林業と製材業の経営に携わり、掛川市森林組合の組合長や静岡県森林組合連合会の会長といった林業団体の役職を歴任した。静岡県監査委員などを経て、1977年に旧掛川市長選挙に立候補し、当選を果たした。以来、連続7期にわたって旧掛川市長を務めた。在任中は生涯学習の推進を提唱し、全国生涯学習市町村協議会や全国地域づくり推進協議会にて会長を務めた。また、東海道新幹線掛川駅や東名高速道路掛川インターチェンジの設置や、掛川城の復元などを推進した。
杭迫柏樹(くいせこ はくじゅ、本名:杭迫晴司(くいせこ せい… 杭迫柏樹(くいせこ はくじゅ、本名:杭迫晴司(くいせこ せいじ)、1934年6月28日 - )は京都在住の日本の書道家。王羲之書法を基礎として、宋代(尺牘)・空海(灌頂記)の書を研鑽し、独自の世界を展開している。