犬飼 俊久(いぬかい としひさ 1944年1月7日 - )は… 犬飼 俊久(いぬかい としひさ 1944年1月7日 - )は、日本のアナウンサー、実業家。愛知県名古屋市瑞穂区生まれ。 東海高等学校卒業。1967年(昭和42年)に中央大学商学部会計学科を卒業後、東海ラジオ放送へ入社。主にプロ野球の中日ドラゴンズ戦(『ガッツナイター』)などスポーツ中継を担当し、1974年・1982年・1988年のセントラル・リーグ優勝や1994年(平成6年)の「10.8決戦」など多くの名試合の実況を担当してきた。また、東海地方の有名企業のトップ・財界人にインタビューする番組を担当していた。 2004年12月に報道制作局長兼放送技術局長(役員待遇)となった後、2005年6月に取締役報道制作局長となりアナウンサーとしての一線から退くも、スペシャルウィーク(聴取率調査週間)時の『ガッツナイター』には特別に実況を担当することもあった。
山中 巽(やまなか たつみ、1944年1月4日 - )は、日… 山中 巽(やまなか たつみ、1944年1月4日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。
角南 攻(すなみ おさむ、1944年1月1日 - 2014年… 角南 攻(すなみ おさむ、1944年1月1日 - 2014年8月7日)は、漫画編集者。愛知県名古屋市出身。早稲田大学卒業。『週刊ヤングジャンプ』2代目編集長、『ビジネスジャンプ』初代編集長。『トイレット博士』のスナミ先生のモデルとして知られる。 生家は古くから続く医者の家系で、9代前の先祖は杉田玄白とも面識があったという。叔父は長崎大学医学部で形成外科として名を馳せた。母親は岡山県鏡野町の豪農の家系で6世紀からたたら製鉄と薬師の秘宝が伝わっていた。父親の先祖は同県の児島の出身で、材木屋と塩田経営を行う豪商であったという。[要出典]また父親は京都帝国大学経済学部を卒業するが就職難に遭い、倉敷市役所に勤めていた際に先輩から誘われて名古屋市役所に務め、定年になるまで出世していった。
近藤 徹(こんどう とおる、1944年 - )は、愛知県出身… 近藤 徹(こんどう とおる、1944年 - )は、愛知県出身の元アマチュア野球選手(内野手)。 岡崎北高等学校では3年生の時に、1962年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、豊田西高に敗退。高校卒業後に法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中2回優勝。三番打者、三塁手として活躍し、1966年秋季リーグではベストナイン(三塁手)に選出されている。 大学同期に二塁手の中村之保、投手の里見忠志がいる。同年の第二次ドラフトでサンケイアトムズに4位指名されるが入団を拒否。 卒業後は社会人野球の日本コロムビアに進む。1967年の都市対抗に四番打者として出場、エース近藤重雄を擁し準々決勝に進出する。この試合の先発を任された永淵洋三(東芝から補強)が好投するが、6回に逆転を許し電電東京に惜敗。
加藤 康宏(かとう やすひろ、1944年(昭和19年) - … 加藤 康宏(かとう やすひろ、1944年(昭和19年) - )は、日本の科学技術官僚。愛知県瀬戸市出身。 独立行政法人海洋研究開発機構理事長、科学技術事務次官(第21代)などを歴任。 東海高等学校、東京大学工学部原子力工学科卒業。1967年(昭和42年)科学技術庁入庁。原子力局長、科学技術政策局長、科学審議官を経て、1999年(平成11年)7月 科学技術事務次官。2001年(平成13年)1月に退官後は天下りとなり、日本原子力研究所、科学技術振興事業団を経て、2004年(平成16年)から2012年(平成24年)3月まで独立行政法人海洋研究開発機構理事長を務める。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
井上 忠佳(いのうえ ただよし、1944年- )は、日本のラ… 井上 忠佳(いのうえ ただよし、1944年- )は、日本のランドスケープアーキテクト・都市計画家。愛知県名古屋市生まれ。技術士、登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。建設省でインハウスランドスケープアーキテクトとして行政・研究に従事した後、CLA(ランドスケープコンサルタンツ協会)専務理事、株式会社創建取締役副社長を歴任。 蓑茂寿太郎らと1971年に「Design With Nature」を刊行したイアン・マクハーグらの取り組みを扱った同人誌を発行し、ランドスケープアーキテクチュアの一つであるエコロジカル・プランニングの理念を紹介した人物。 このほか、花と緑と健康のまちづくりフォーラム理事。
原田 武彦(はらだ たけひこ、1944年〈昭和19年〉 - … 原田 武彦(はらだ たけひこ、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の自動車技術者、実業家。中央発條代表取締役社長や、八戸市八戸特派大使を務めた。 愛知県刈谷市生まれ。父は、豊田自動織機専務を務めた原田梅治。1968年東北大学工学部卒業、トヨタ自動車工業入社。機械部長、生産調査部主査、本社工務部長、國瑞汽車総経理、トヨタ自動車アジア本部アジア部主査、トヨタ自動車理事等を歴任し、2005年から中央発條代表取締役社長を務め、2007年には八戸市に中発テクノを設立。翌2008年八戸特派大使に任命された。2010年中央発條顧問。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
榊原 喜三(さかきばら きぞう、1944年 - )は、日本の… 榊原 喜三(さかきばら きぞう、1944年 - )は、日本のマンドリン奏者。愛知県半田市出身。 名古屋大学在学中、同大学ギターマンドリンクラブのコンサートマスターを務める。マンドリンを中野二郎に師事。1966年大学卒業。1972年第3回日本マンドリン独奏コンクール第1位。日本マンドリン連盟理事。 1980年名古屋市芸術奨励賞受賞。1984年及び1988年、名古屋マンドリン合奏団と共にコンサートマスターとしてソ連(当時)公演。同合奏団の1992年の中国公演と1996年のオーストラリア公演にコンサートマスターとして参加。NHK-FM「午後のリサイタル」、NHK教育テレビ「青少年音楽祭」にソリストとして出演。
市村 卓彦(いちむら たくひこ、1944年 - 2020年)… 市村 卓彦(いちむら たくひこ、1944年 - 2020年)は、日本の精神分析学者、フランス・アルザス地方史家、龍谷大学名誉教授。専攻はフランス哲学、フロイト=ラカン精神分析。 名古屋市生まれ。1967年南山大学文学部仏文科卒、1975年同大学院博士課程満期退学、龍谷大学文学部教授。2013年退任、名誉教授。 『アルザス文化史』人文書院 2002
黒川 祐次(くろかわ ゆうじ、1944年〈昭和19年〉 - … 黒川 祐次(くろかわ ゆうじ、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の外交官。ウクライナ駐箚特命全権大使、コートジボワール駐箚特命全権大使などを歴任した。 愛知県出身。愛知県立旭丘高等学校を経て、1967年に東京大学教養学部国際関係論分科卒業、外務省入省。1986年から1989年まで、在モントリオール総領事。1990年から1994年まで、国際交流基金総務部長。1996年から1999年まで、在ウクライナ特命全権大使。1999年から2001年まで衆議院外務調査室長、常任委員会専門員、外務委員会専門員。2002年から在コートジボワール特命全権大使。退官後、日本大学国際関係学部国際関係学科教授。2008年「コートジボワールの紛争と日本の対応」で日本大学博士(国際関係)。
横井 久美子(よこい くみこ、1944年 - 2021年1月… 横井 久美子(よこい くみこ、1944年 - 2021年1月14日)は、日本のフォークシンガーであり、シンガーソングライターでもある。事務所は東京都国立市。「ノーモア・スモンの歌」など、公害や差別をテーマにした歌で知られる。 愛知県名古屋市出身。名古屋市立菊里高等学校、国立音楽大学声楽科卒業。大学在学中よりコーラスグループ「ボーチェ・アンジェリカ」に入団。1969年よりソロシンガーとして活動開始。創造集団「麦笛の会」を結成して全国を回る[要出典]。1998年、文化庁新進芸術家派遣研究員としてアイルランドのリムリック大学に留学した。1972年、ベトナムのハノイを訪れ、反戦歌を歌う。2005年、ベトナム政府よりベトナム戦争を勝利に導いた国際的友人として「国際平和友好勲章」を受けた。
堀田 知光(ほった ともみつ、1944年 - )は、日本の医… 堀田 知光(ほった ともみつ、1944年 - )は、日本の医学者。専門は血液内科。医学博士。国立がんセンター名誉総長。愛知県出身。 愛知県立半田高等学校を経て、名古屋大学医学部へ進学。同大学卒業後、名古屋大学医学部第一内科講師等を経て、1996年に教授として東海大学に赴任。医学部の医局制度改革を成功させ、2002年から医学部長を務める。2006年からは独立行政法人国立病院機構名古屋医療センター院長として独立行政法人化後の組織改革を進めた。その後、国立がん研究センターの理事長(総長)公募に応じ、3名の候補者の中から理事長に選任された。2012年4月1日、国立がんセンター理事長に就任。就任後は、「最先端のがん研究やがん医療に挑む」ことに加えて、がん患者の人生そのものを見据えた治療に取り組むとの方針を掲げ、「がんサバイバーシップ支援研究部」を発足させた。
谷田 武彦(たにだ たけひこ、1943年12月16日 - )… 谷田 武彦(たにだ たけひこ、1943年12月16日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、名古屋市議会議員(6期)を務めた。自由民主党所属。 愛知県名古屋市出身。1970年、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。江﨑真澄の秘書を務める。1975年、名古屋市議に当選。6期務めた。 2000年の第42回衆議院議員総選挙に自由民主党公認として愛知1区からの出馬を予定していたが、公明党現職平田米男との選挙区調整のため比例東海ブロック候補(名簿登載順位第5位)となり初当選。なお、谷田の比例転出に反発した自民党名古屋市議の宮田正之が離党し無所属で出馬した。(結果は落選) 2003年の第43回衆議院議員総選挙では、愛知1区から立候補したが、民主党の河村たかし(現名古屋市長)に敗れ落選。
貝谷 久宣(かいや ひさのぶ、1943年12月8日 - )は… 貝谷 久宣(かいや ひさのぶ、1943年12月8日 - )は、日本の精神科医。学位は、医学博士。京都府立医科大学客員教授。医療法人「和楽会」理事長。NPO「不安・抑うつ臨床研究会」代表。一般社団法人「日本筋ジストロフィー協会」代表理事。愛知県名古屋市出身。 愛知県立明和高等学校、名古屋市立大学を卒業後、岐阜大学医学部神経精神医学教室にて神経病理学、生物学的精神医学の研究に従事。1972年よりドイツ・マックスプランク精神医学研究所に留学。帰国後、助教授を務める。1991年より2年間、自衛隊中央病院神経科部長(一等空佐)を務める。1993年、「なごやメンタルクリニック」を開院。以後、「心療内科・神経科 赤坂クリニック」(1997年)、「横浜クリニック」(2003年)、「心療内科・神経科 鎌倉山クリニック安心堂」(2006年)を開院。
相羽 欣厚(あいば よしひろ、1943年12月8日 - 19… 相羽 欣厚(あいば よしひろ、1943年12月8日 - 1988年1月29日)は愛知県大府市出身のプロ野球選手(外野手)。
夫馬 基彦(ふま もとひこ、1943年12月2日 - )は、… 夫馬 基彦(ふま もとひこ、1943年12月2日 - )は、日本の小説家、連句人(俳号南斎)、元日本大学教授。妻はノンフィクション作家の田村志津枝。
本田 憲子(ほんだ のりこ、1943年11月21日 - )は… 本田 憲子(ほんだ のりこ、1943年11月21日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。金メダリスト。 愛知県春日井市出身。母親は元バスケットボール選手、長兄はバレーボール選手、次弟は野球選手というスポーツ一家に生まれる。 名古屋市立桜台高校在学中、1960年全国高校バレーボール大会(徳島県)でベスト8を経験し、1964年東京オリンピック強化選手に選ばれる。卒業後、日紡貝塚に入社し、大松博文の指導を受ける。 1962年世界選手権( ソビエト連邦:モスクワ開催)で金メダルを獲得した。1964年東京オリンピック後の「新生ニチボー」で活動。1965年ブラジルバレーボール連盟主催 南米大会(サンパウロ開催)に全日本チームとして招待され優勝。
栗木 達介(くりき たつすけ、1943年11月20日 - 2… 栗木 達介(くりき たつすけ、1943年11月20日 - 2013年10月12日)は日本の陶芸家。 愛知県瀬戸市出身。京都市立美術大学卒業。大学卒業後は瀬戸で作陶を続けていたが、1983年京都市立芸術大学美術部専任講師となり、京都に移転。1986年に助教授、1993年に教授。2007年退官。朝日陶芸展大賞受賞3回。「現代陶芸の鬼才」と呼ばれた。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
鈴木 克昌(すずき かつまさ、1943年(昭和18年)11月… 鈴木 克昌(すずき かつまさ、1943年(昭和18年)11月14日 - )は、日本の政治家。社団法人蒲郡青年会議所理事長、愛知県議会議員(4期)、蒲郡市長(第11・12代)、衆議院議員(5期)、総務副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、民主党幹事長代理、国民の生活が第一国会対策委員長、生活の党代表代行・幹事長などを歴任した。 愛知県蒲郡市生まれ。蒲郡市立蒲郡中学校、愛知県立蒲郡高等学校、日本大学経済学部卒業。蒲郡青年会議所理事長等を歴任した。 1982年、愛知県議会議員補欠選挙に立候補し初当選。県議を4期務めた。県議時代は自由民主党に所属。 1993年12月20日、県議を辞職。1994年の蒲郡市長選挙に立候補し初当選した。
芦沢 孝子(あしざわ たかこ〔本名同じ〕、1943年11月8… 芦沢 孝子(あしざわ たかこ〔本名同じ〕、1943年11月8日 - )は、愛知県名古屋市出身の日本の女優。身長158 cm。体重60 kg。血液型はA型。 名古屋市立西陵商業高等学校を卒業。NHK名古屋放送劇団研究所に入団したことがきっかけでデビュー。劇団雲、舞プロモーション、プロダクション・エムスリーを経て希楽星所属。 特技は名古屋弁。趣味は一人旅、ドライブ。
江坂 君子(えざか きみこ、1943年11月6日 - )は、… 江坂 君子(えざか きみこ、1943年11月6日 - )は、日本の元競泳選手。愛知県出身。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピック日本代表。自由形・個人メドレーの元日本記録保持者。 椙山女学園中学校・高等学校、中京大学卒。 1960年ローマオリンピック日本代表に初選出され、400m自由形と400mフリーリレーに出場した。結果はともに予選落ちとなった。 1962年、アジア競技大会の400mフリーリレーで金メダルを獲得した。 1964年東京オリンピック日本代表に選出された。400m個人メドレーに出場し、予選落ちだった。
伊藤 圭祐(いとう けいすけ、1943年10月29日 - 2… 伊藤 圭祐(いとう けいすけ、1943年10月29日 - 2006年12月5日)は、日本の競泳選手。愛知県名古屋市出身。 1962年アジア競技大会の200m背泳ぎで金メダルを獲得した。 1964年の東京オリンピックに出場、準決勝で敗退している。 日本選手権水泳競技大会の100m背泳ぎで1965年に優勝している。 イトマンスイミングスクールの理事を務めた。 2006年12月5日、神奈川県川崎市多摩区の病院で多臓器不全のため63歳で亡くなった。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
田中 真人(たなか まさと、1943年10月16日 - 20… 田中 真人(たなか まさと、1943年10月16日 - 2007年4月4日)は、日本史研究者。日本近代史、日本近代思想史を専攻。とくに、近代日本における社会主義や日本共産党に関する研究で知られる。文学博士。愛知県名古屋市出身。 京都大学文学部卒。同志社大学人文科学研究所の教授を務めた。初期社会主義研究会会員。平和憲法の会・京都の呼びかけ賛同人。 在職中にクロウ・フカセ症候群という難病を発症、病と闘いながらの研究生活を自身のウェブページ上にて公開。2007年4月4日15時12分、多臓器不全のため、京都市左京区の京都大学医学部附属病院にて死去。63歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
冨田 務(とみた つとむ、1943年10月14日 - )は、… 冨田 務(とみた つとむ、1943年10月14日 - )は、日本の自動車技術者。愛知県出身。愛知県立岡崎高等学校卒業、東北大学大学院工学研究科修了。 トヨタ・モータースポーツ(TMG、後のトヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ)会長、トヨタF1チーム代表、富士スピードウェイ代表取締役会長などを歴任した。
杉田 成道(すぎた しげみち、1943年〈昭和18年〉10月… 杉田 成道(すぎた しげみち、1943年〈昭和18年〉10月5日 - )は、日本の演出家、映画監督。フジテレビ役員待遇エグゼクティブディレクター、日本映画放送社長を務めた。 『北の国から』シリーズなどの演出家として知られる。日本映画テレビプロデューサー協会会長(2003年 - 2015年)。 「すぎた せいどう」と呼ぶ者もある。 愛知県豊橋市新本町 で3人兄弟の末っ子として出生。生家は江戸時代から300年続く老舗の酒問屋。成道という名は、父と親交のあった陸軍大将の宇垣一成から1字をとって名付けられた。兄はピアニストの杉田谷道。 1962年(昭和37年)愛知県立時習館高等学校を卒業し、慶應義塾大学文学部へ進学。
高木 剛(たかぎ つよし、1943年10月1日 - 2024… 高木 剛(たかぎ つよし、1943年10月1日 - 2024年9月2日)は日本の労働運動家。2005年から2009年まで、日本最大の労働組合団体、日本労働組合総連合会(連合)の会長を務めた。元国家公安委員会委員。 三重県生まれ、愛知県育ち。愛知県立旭丘高等学校を経て、1967年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に旭化成工業へ入社。以後、労働組合運動に関わり、1973年には全旭化成労働組合連合会書記長となり、1977年には宮崎地方同盟(全日本労働総同盟(同盟)の宮崎県組織)会長となった。 1981年に外務省へ出向し、1982年からは在タイ日本国大使館一等書記官として勤務した。1984年に旭化成労組の上部組織であるゼンセン同盟の常任執行委員となり、1988年9月には同書記長、1996年9月には同会長に就任した。
佐藤 泰介(さとう たいすけ、1943年9月27日 - )は… 佐藤 泰介(さとう たいすけ、1943年9月27日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、衆議院議員(2期)、文部政務次官(村山改造内閣)、参議院内閣委員長・総務委員長を歴任。 愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校卒業。高校時代は野球部に所属。愛知教育大学教育学部社会科卒業。1967年4月から小中学校教員を務める。1986年4月、愛知県教員組合(愛教組)執行委員長を務める。 1990年2月、第39回衆議院議員総選挙に旧愛知1区から日本社会党公認で立候補し初当選。1993年に再選。同年、山花貞夫委員長を首班とする社会党シャドーキャビネット文相、1995年8月に村山改造内閣の文部政務次官に就任。
江﨑 鐵磨(えさき てつま、1943年〈昭和18年〉9月17… 江﨑 鐵磨(えさき てつま、1943年〈昭和18年〉9月17日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(8期)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、海洋政策)、領土問題担当大臣、自由民主党総務会長代理を歴任した。姓は「江崎」とも、名は「鉄磨」とも表記される。 父は元通商産業大臣の江﨑真澄。異母弟は元衆議院議員の江﨑洋一郎。 愛知県一宮市に生まれる(現在は一宮市時之島に在住)。一宮市立向山小学校、一宮市立南部中学校、愛知県立一宮高等学校卒業。1967年3月、立教大学文学部教育学科卒業。同年4月、少林寺拳法の開祖である宗道臣の秘書となる。1971年1月から衆議院議員の父・江﨑真澄の秘書を務める。
江崎 鉄磨(えさき てつま、1943年9月17日 - )は、… 江崎 鉄磨(えさき てつま、1943年9月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)。父は元衆議院議員の江崎真澄[要出典]。元衆議院議員の江崎洋一郎は異母弟[要出典]。
野村 彰彦(のむら あきひこ 1943年9月13日 - 20… 野村 彰彦(のむら あきひこ 1943年9月13日 - 2021年9月13日)は、愛知県一宮市出身の元騎手・元調教師。 父は馬車による運送業を営み、競馬関連の資材も取り扱っており、野村も幼い頃から馬に親しみ将来の目標に騎手を志していた。当初は公営・笠松で騎手になることを考え、研修にも入っていたが、「カツラ」の冠名で知られた馬主の牧市太郎に中央で騎手になることを勧められ、1960年に紹介を受けた京都・橋本正晴厩舎に騎手見習として入門 。 1962年に橋本厩舎からデビューし、3月17日の阪神第9競走5歳以上50万下・カツラオーザ(5頭中4着)で初騎乗を果たし、同24日の阪神第2競走4歳以上オープンで見習時代に厩務員も兼ねていたアングロアラブのカツラバラッケーに騎乗して初勝利を挙げる。
千賀 修一(せんが しゅういち、1943年9月6日 - )は… 千賀 修一(せんが しゅういち、1943年9月6日 - )は、弁護士・税理士。弁護士法人TLEO虎ノ門法律経済事務所代表弁護士、公益財団法人千賀法曹育英会理事長、公益財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団監事、公益社団法人シニア総合サポートセンター理事長。公益財団法人公益事業支援協会理事長。 愛知県愛西市出身。不動産取引・建築・都市再開発を得意としている。中央大学の真法会で同会の理事長(後に会長)であった弁護士向江璋悦氏(当時司法試験受験指導の神様といわれていた)から学問に国境はない、先輩から受けた恩は後輩に返せという指導を受け、司法試験に合格。1973年赤坂1丁目再開発事業のとりまとめを受任し望外の報酬が入ったので後進のため虎ノ門司法研究室を設立し、ボランティアで司法試験受験生の指導を開始(。
藪野 健(やぶの けん、1943年9月1日 - )は、日本の… 藪野 健(やぶの けん、1943年9月1日 - )は、日本の洋画家、日本藝術院会員、二紀会副理事長。早稲田大学栄誉フェロー、名誉教授、維持員。広島大学名誉博士。府中市美術館館長。
朝日 俊弘(あさひ としひろ、1943年〈昭和18年〉7月2… 朝日 俊弘(あさひ としひろ、1943年〈昭和18年〉7月26日 ‐ )は、日本の政治家、精神科医。参議院議員(2期)を歴任。
淺見敏彦(あさみ としひこ、1943年7月12日 - )は、… 淺見敏彦(あさみ としひこ、1943年7月12日 - )は、日本の大蔵官僚。血液型はB型。東京都世田谷区経堂2丁目在住。大阪国税局長、大臣官房審議官(関税局担当)、印刷局長、日本酒造組合中央会副会長などを務めた。 愛知県豊橋市出身(父母も愛知県)。大阪府立天王寺高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1966年 大蔵省に入省(国有財産局総務課)。1971年7月 伊勢税務署長。 主計局法規課長補佐、主計局主計官補佐(総理府第二係主査)などを経て、1982年1月 大蔵大臣秘書官(事務担当)。1984年6月 主計局調査課長。1985年6月 主計局主計官(総理府、司法・警察担当)。1987年7月 銀行局特別金融課長。
天野 彰(あまの あきら、1943年(昭和18年)7月3日 … 天野 彰(あまの あきら、1943年(昭和18年)7月3日 - )は日本の建築家。株式会社アトリエ・フォア・エイ(アトリエ4A)主宰。一般社団法人 シニア社会学会理事、一般社団法人 緑の循環認証会議(SGEC/PEFC-J) 評議委員 愛知県岡崎市生まれ。 日本大学理工学部卒業後に一級建築士として事務所のアトリエ4Aを設立した。通商産業省(後の経済産業省)の産業構造審議会や厚生労働省の大規模災害救助研究会などの専門委員を歴任した。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
伊藤 勝康(いとう かつやす、1943年6月28日 - )は… 伊藤 勝康(いとう かつやす、1943年6月28日 - )は日本の実業家、公認会計士。リゾートトラスト株式会社創業者、同社代表取締役社長。
山田 満知子(やまだ まちこ、旧姓:木下、1943年6月26… 山田 満知子(やまだ まちこ、旧姓:木下、1943年6月26日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手のちコーチ。橋口高次とパートナーを組み、ペア種目で活動した。引退後はコーチに転身し、伊藤みどり、浅田真央、宇野昌磨らを育てた。 名古屋市出身。「堅い家」の4人きょうだいの末っ子で、好き勝手に育った。7歳からスケートを始める。選手としては国体少年の部、インターハイで優勝経験があるほか、全日本選手権やインカレで入賞するなど国内で活躍する。金城学院高校を経て金城学院大学家政学部を卒業後、愛知県スケート連盟の手伝いに駆り出されているうちに「これが一生の仕事になるとも思わず(中略)軽い気持ちで」コーチの道へ進んだ。
竹内 敏信(たけうち としのぶ、1943年〈昭和18年〉6月… 竹内 敏信(たけうち としのぶ、1943年〈昭和18年〉6月21日 - 2022年〈令和4年〉2月27日)は、日本の写真家。日本写真芸術専門学校校長。日本写真家協会名誉会員。一般財団法人 竹内敏信記念財団 名誉理事。TAギャラリー館長。 愛知県額田郡宮崎村(現・岡崎市)出身。写真との出会いは中学2年生のとき。カメラを欲しがっていた姉に「買ってみては」と言われ、新聞配達のアルバイトで貯めたお金でカメラを買った。家業の建築業を継ぐために愛知県立岡崎工業高等学校土木科に入学。高校生のときから写真雑誌に投稿する。 1962年(昭和37年)、名城大学理工学部に入学。富士フイルムの全国学生コンクールで銀賞を受賞。
二村 雄次(にむら ゆうじ、1943年6月13日 - )は、… 二村 雄次(にむら ゆうじ、1943年6月13日 - )は、日本の医師・外科医。学位は、医学博士。名古屋大学名誉教授。愛知県がんセンター総長。元日本外科学会会長。 専門は、肝胆膵疾患の外科治療。特に肝門部胆管癌を中心とする胆道癌外科治療に関しては、難度の高い症例への対応、手術数、治療成績ともに世界有数の実績であり、高い評価を受けている。また、柔道家としても有名で、名大柔道部長兼師範も務め、元柔道全日本マスターズ無差別級チャンピオン。
岡田 康彦(おかだ やすひこ、1943年6月1日 - )は、… 岡田 康彦(おかだ やすひこ、1943年6月1日 - )は、日本の大蔵・環境官僚、弁護士。環境事務次官などを歴任した。 愛知県宝飯郡出身。愛知県立時習館高等学校、東京大学法学部卒業。大学在学中に国家公務員上級試験で1位を取り(長野庬士と同点)、司法試験にも合格する。1966年に大蔵省に入省する。配属先は大臣官房財務参事官付。同期には長野のほか、武藤敏郎(東京五輪・パラリン競技大会組織委員会事務総長、日銀副総裁、初代財務事務次官、主計局長)、中島義雄(Kエナジー代表取締役、財政金融研究所長、主計局次長)、佐藤謙(世界平和研究所理事長、防衛事務次官)、中山成彬(国土交通大臣、文部科学大臣、初代経済産業副大臣)、中山恭子(拉致問題担当大臣、首相補佐官〈北朝鮮による拉致問題担当〉)らがいる。
久野 知英(くの ともひで、1943年(昭和18年)2月20… 久野 知英(くの ともひで、1943年(昭和18年)2月20日 - )は、日本の政治家、元愛知県みよし市長(1期)。元愛知県議会議員(2期)。 愛知県出身。愛知県立猿投農林高等学校卒。西加茂郡三好町議会議員、同議長を経て、1995年、愛知県議会議員(西加茂郡選挙区)に無所属で立候補し、初当選する。1999年、自民党公認で立候補し、無投票で再選する。県議を2期務める。2001年、三好町長に初当選。3期務める。2010年、三好町は市制施行により「みよし市」となり、初代市長に就任する。2013年に市長を退任した。このほか社会福祉法人あゆみ会理事長、愛知用水土地改良区理事長を務める。
鈴木 まな美(すずき まなみ、1943年1月18日 - 20… 鈴木 まな美(すずき まなみ、1943年1月18日 - 2019年10月15日)は、日本の女優。本名、鈴木 和子(すずき かずこ)。 愛知県津島市出身。ブリッジプロモーション所属。 愛知県立津島高等学校を1961年(昭和36年)に卒業。津島文化会館大ホールで2度、一人芝居を演じた。 一人芝居で国際芸術文化賞受賞。「七色の声が出て、どんな役柄もこなす自信がある」とプロフィールに記されている。名古屋弁が得意、書道九段。
牧 勝彦(まき かつひこ、1943年1月3日 - )は、愛知… 牧 勝彦(まき かつひこ、1943年1月3日 - )は、愛知県豊橋市出身の元プロ野球選手(投手)。 豊橋工業高校では、エースとして1960年夏の甲子園県予選決勝に進むが、吉山智久(中日)、辻恭彦のバッテリーを擁する享栄商に敗れ甲子園出場を逸する。高校同期に右翼手、控え投手の鈴木宇成(広島カープ)がいた。 1961年に阪神タイガースに入団。同年は速球とスライダー、ドロップ、シュートを武器に、ルーキーながら23試合に登板し防御率2.00を記録、5月には初先発を果たした。1962年の東映フライヤーズとの日本シリーズでも2試合に登板。1963年には36試合に登板し8勝、防御率2.33を記録。しかし翌1964年は成績が落ち、オフに谷本稔とのトレードで東京オリオンズに移籍。
芦田 信(あしだ しん、1943年1月2日 - )は、日本の… 芦田 信(あしだ しん、1943年1月2日 - )は、日本の実業家。JCRファーマ株式会社創業者で、同社代表取締役会長兼社長兼CEO兼COOを経て、取締役ファウンダー。新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受け、日本初となるCOVID-19ワクチンの製造拠点整備を行った。 東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺生まれ。神戸市東灘区御影の旧乾邸の向いの洋館で育つ。神戸大学附属住吉小学校を経て、愛知県安城市に転居し、1958年愛知学芸大学附属岡崎中学校(現愛知教育大学附属岡崎中学校)卒業。1961年愛知県立岡崎高等学校卒業。 西宮市からYMCA予備校に通って浪人生活を送ったのち、1962年甲南大学文学部に進学。
浅野 直人(あさの なおひと、1943年 - )は、日本の法… 浅野 直人(あさの なおひと、1943年 - )は、日本の法学者。専門は民法、環境法。福岡大学名誉教授。環境省中央環境審議会会長、環境科学会会長、環境アセスメント学会会長等を歴任した。 愛知県名古屋市生まれ。山口県立宇部高等学校在学中は生徒会長を務め、1962年に卒業。1966年九州大学法学部卒業。1968年九州大学大学院法学研究科修士課程修了。1972年九州大学大学院法学研究科博士課程中退。九州大学法学部助手を経て、1972年から福岡大学法学部専任講師(民法)。1980年福岡大学法学部教授。1987年福岡大学大学院法学研究科教授併任。 1991年太宰府市環境審議会会長。1993年中央環境審議会委員。
小出 浩之(こいで ひろゆき、1943年 - )は、日本の精… 小出 浩之(こいで ひろゆき、1943年 - )は、日本の精神科医、精神分析学者(ラカン派)。愛知県名古屋市生まれ。
高山 路爛(たかやま ろらん、本名は大鐘 稔彦。1943年 … 高山 路爛(たかやま ろらん、本名は大鐘 稔彦。1943年 - )は、日本の医師であり、作家。愛知県名古屋市出身。兵庫県南あわじ市立阿那賀診療所長。
鈴木 宣之(すずき のぶゆき、1942年12月8日 - )は… 鈴木 宣之(すずき のぶゆき、1942年12月8日 - )は、日本の実業家、作家、アマチュア野球指導者。愛知県名古屋市熱田区出身。東海中学校・高等学校、芝浦工業大学工学部二部卒業。 高校在学中は外野手として野球部で活動。3年生のとき、夏の愛知県大会ベスト4進出。大学卒業後は、東京都品川区西中延の伯父の会社に勤務。1970年、愛知県西春日井郡にて実兄の世話で、機械部品製造の自営を始める。 イチローの実父で、イチローの個人事務所「オフィス・イチロー」の代表も務める。イチローの父親であることから、「チチロー」と呼ばれることもある。また、元ファッションモデルの鈴木来海は孫に当たる。 イチローが小学校の3年生の時から中学に入るまで、学校から帰宅して日が沈むまで毎日、野球の練習に付き添い、また練習後は毎晩イチロー選手の足の裏をマッサージをしていた。
近藤 詔治(こんどう しょうじ、1942年12月6日 - )… 近藤 詔治(こんどう しょうじ、1942年12月6日 - )は、日本の経営者。日野自動車社長、会長を務めた。愛知県名古屋市出身。 東海高等学校を経て、1965年に東京大学法学部を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。 1997年6月に取締役に就任し、2001年6月には常務に就任。2003年6月に日野自動車副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格し、2008年6月から2011年6月までに会長を務めた。 2015年4月に旭日中綬章を受章。
吉田 節子(よしだ せつこ、1942年11月4日 - 201… 吉田 節子(よしだ せつこ、1942年11月4日 - 2014年10月26日)は、日本の元バレーボール選手。1968年メキシコオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。 愛知県出身。両親と6人兄姉妹のスポーツ一家に生まれ、中学1年次よりバレーボールを始める。 強豪校の豊橋東高等学校を経て、実業団の鐘紡四日市に入部。 1962年に全日本メンバーに選出され、アジア大会に出場した。1965年に再び全日本メンバーとなり主将を担う。同年、世界の最優秀選手に選出された。1967年の世界選手権金メダル、1968年のメキシコオリンピックではコーチ兼主将として銀メダル獲得に貢献した。 2014年10月26日、卵巣がんのため死去。