岡田由佳子(おかだ ゆかこ、1986年3月17日 - )は、… 岡田由佳子(おかだ ゆかこ、1986年3月17日 - )は、日本のスポーツジャーナリスト、元女子自転車競技選手。 愛知県豊橋市出身。桜丘高等学校自転車競技部に所属し、キャリアを積み始める。 2003年3月に行なわれた全国高等学校選抜自転車競技大会500mTTで優勝、7月に開催されたジュニアオリンピックカップ(JOC)でも優勝する。 高校卒業後、順天堂大学に入学し自転車競技部に所属。マネージャーに転向後、大学のインターンシップを通じて日本最大の国際自転車ロードレース、ツアー・オブ・ジャパンに広報スタッフとして参加する。ツアー・オブ・ジャパンで自転車専門のスポーツジャーナリスト、山口和幸と出会い弟子入り。
西尾 典文(にしお のりふみ、1979年 - )は、愛知県出… 西尾 典文(にしお のりふみ、1979年 - )は、愛知県出身のスポーツジャーナリスト。 主にアマチュア野球、プロ野球を中心に取材を行っている。 1979年生まれ(1976年とするものもある)。野球は7歳からはじめ、大学まで野球部に所属し選手としてプレーをした。 三重大学教育学部を卒業後、筑波大学大学院に進学。進学した体育研究科(現在の人間科学研究科体育学専攻)ではコーチ学を専攻し、野球の動作についての研究を行う。そのかたわらで、アマチュア野球のスポーツライターとしての活動を開始する。 2004年、新卒で株式会社ネクスト(現在の株式会社LIFULL)に入社。「Home's」などの不動産関係の仕事に従事する。
富川 悠太(とみかわ ゆうた、1976年9月3日 - )は、… 富川 悠太(とみかわ ゆうた、1976年9月3日 - )は、日本のジャーナリスト、トヨタ自動車社員。元テレビ朝日アナウンサー。 愛知県名古屋市生まれ。 東京都立国立高等学校、横浜国立大学教育学部小学校教員養成課程体育専攻を卒業。 子供の頃はプロ野球選手に憧れ、高校時代は野球部に所属。副主将でポジションはショート。当時はいわゆる「牛乳瓶の瓶底」のような黒縁眼鏡をかけていた。大学でも体育を専攻。小学校の教員免許も取得した。大学生時代には、母校・国立高野球部の助監督も務めていた。 1999年4月、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして入社した時には、スポーツを志望。最終面接で「報道だけはやりたくない」と言ったほど、最初は報道には消極的だった。
畠山 理仁(はたけやま みちよし、1973年2月20日 - … 畠山 理仁(はたけやま みちよし、1973年2月20日 - )は、日本のジャーナリスト、フリーランスライター。第15回「開高健ノンフィクション賞」受賞作家。 愛知県東海市に生まれる。愛知県立横須賀高等学校卒業。名古屋市の河合塾で1年浪人し、早稲田大学第一文学部(日本文学専修)に入学。同大学在学中の1993年(平成5年)から雑誌を中心に取材、執筆活動を開始。1998年(平成10年)フリーランスライターとして独立する。早稲田大学には4年間在籍したものの卒業はせずに除籍。大学時代、編集プロダクションの紹介から「1日1万5000円もらえるぞ」と誘われ、選挙カーの運転手をアルバイトした経験から選挙が好きになる。
中西 哲生(なかにし てつお、1969年9月8日 - )は、… 中西 哲生(なかにし てつお、1969年9月8日 - )は、愛知県名古屋市出身の元サッカー選手、サッカー解説者、スポーツジャーナリスト。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。引退後は芸能事務所の三桂所属。父は大阪大学名誉教授(分子生物学)の中西康夫
大西 康之(おおにし やすゆき、1965年 - )は、日本の… 大西 康之(おおにし やすゆき、1965年 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。元日本経済新聞社編集委員。 愛知県名古屋市出身。1984年愛知県立瑞陵高等学校卒業。1988年早稲田大学法学部卒業、日本経済新聞入社。1998年欧州総局(ロンドン駐在)、日本経済新聞編集員、日経ビジネス編集委員などを歴任。2016年4月に独立し、フリーランスのジャーナリストとなる。 2014年『会社が消えた日』で新潮ドキュメント賞候補、2021年『起業の天才!』で講談社ノンフィクション賞候補。 著書『起業の天才!』において、リクルート創業者の江副浩正が52歳で逮捕されたことに対し、「もっと前、52歳のときに日本という国に殺されていたのかもしれない」と評している。
佐藤 千矢子(さとう ちやこ、1965年 - )は、日本のジ… 佐藤 千矢子(さとう ちやこ、1965年 - )は、日本のジャーナリスト、フェミニスト、毎日新聞論説委員。 愛知県生まれ。愛知県立岡崎高等学校、名古屋大学文学部卒業後、1987年毎日新聞社入社。長野支局、政治部(1990年)、大阪社会部、外信部を経て、2001年10月から3年半ワシントン特派員を務め、アフガニスタン紛争、イラク戦争、2004年アメリカ合衆国大統領選挙などを取材した。 帰国後は首相官邸キャップ(第一次安倍政権時)、政治部副部長、編集委員などを経て、2013年から論説委員として平和安全法制などを担当。2017年4月には全国紙で女性初の政治部長に就任し、以後大阪本社編集局次長、論説副委員長、東京本社編集編成局総務を経て、2022年4月からは再び論説委員を務めている。
大島 宇一郎(おおしま ういちろう、1964年4月22日 -… 大島 宇一郎(おおしま ういちろう、1964年4月22日 - )は、日本の実業家、ジャーナリスト。愛知県名古屋市出身。 株式会社中日新聞社代表取締役社長、株式会社中日ドラゴンズ代表取締役オーナー、東海ラジオ放送株式会社代表取締役、東海テレビ放送株式会社代表取締役。 このほか、株式会社ナゴヤドーム代表取締役社長、一般社団法人共同通信社理事会長(2019年 - 2025年)、株式会社ジブリパーク代表取締役社長、株式会社共同テレビジョン非常勤取締役などを務めている。 1964年、愛知県名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高等学校を経て、1987年3月早稲田大学政治経済学部卒業。 同年4月、中日新聞社に入社。編集局政治部や経済部、管理局人事部、管理局次長などを経て、2013年6月24日付で取締役管理局長に就任。
石田 雄太(いしだ ゆうた、1964年 - )は、日本のスポ… 石田 雄太(いしだ ゆうた、1964年 - )は、日本のスポーツジャーナリスト。 愛知県名古屋市出身。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大学文学部卒業後、NHK入局。NHKではサンデースポーツなどのディレクターをつとめる。1992年にNHKを退職し独立。現在はフリーのスポーツジャーナリストとしてテレビ・ラジオのスポーツ番組の構成・演出や執筆活動を行っている。単行本にはイチロー、桑田真澄、松坂大輔らへの取材によるルポルタージュ作品が多い。妻はフリーアナウンサーの宮田佳代子。
松山 香織(まつやま かおり、1961年〈昭和36年〉8月1… 松山 香織(まつやま かおり、1961年〈昭和36年〉8月10日 - )は、日本のジャーナリスト。愛知県名古屋市出身。明治大学農学部在学中にオールナイターズ第1期生として、『オールナイトフジ』に出演。大学を卒業後、1985年アナウンサーとして中部日本放送(CBC)入社(同期に重盛啓之、水分貴雅、福島敦子)。「ザ・ベストテン」で東海3県内の中継リポーター(追っかけウーマン)を担当。1991年退社後はフリーアナウンサーとなり、セント・フォースへ所属。テロリズムや都市交通問題、セクシャリティーなどの取材、講演を続けた。現在はマネジメント業務を解消したため、セント・フォースの公式サイトからプロフィールが削除されており、近年メディアへの出演はしていない。
奥山 文弥(おくやま ふみや、1960年8月24日 - )は… 奥山 文弥(おくやま ふみや、1960年8月24日 - )は、釣りを魚類学するお魚ジャーナリスト、コンサルタント、魚類研究家。愛知県岡崎市出身。 北里大学海洋生命科学部(旧水産学部)卒業。釣具メーカー、出版社、旅行会社勤務を経て独立。現在は多摩川上流の東京都羽村市在住。 カツオ 1kg (2Lb) 1.90kg 神奈川県相模湾 1999-10-16 クロダイ 2kg(4Lb) 2.40kg 神奈川県扇島 2013-04-23 クロダイ 8kg(16Lb) 2.75kg 神奈川県横浜沖2013-04-10 クロマグロ 8kg (16Lb) 36.80kg 神奈川県相模湾 2007-06-18 クロマグロ 15kg (30Lb) 34.20kg 神奈川県相模灘 2009-06-15 シイラ 1kg (2Lb) 9.80kg 沖縄県宜野座沖 2003-01-20 シイラ 8kg (16Lb) 18.20kg 沖縄県宜野座沖 2000-12-26 シイラ 10kg (20Lb) 17.15kg 沖縄県宜野座沖 2000-12-27 ロウニンアジ 2kg (4Lb) 2.85kg 神奈川県川崎港 1993-08-17 キチヌ 3kg (6Lb) 1.20kg 静岡県宇久須港 2006-08-25 クロメジナ 3kg (6Lb) 1.30kg 東京都三宅島 2006-05-23 メジナ 8kg (16Lb) 1.70kg 東京都三宅島 2006-11-29 キハダ 1kg (2Lb) 1.40kg 沖縄県宜野座沖 2004-03-27 シイラ 3kg (6Lb) 10.55kg 沖縄県石垣島沖 2004-05-11 メバチ 2kg (4Lb) 7.20kg 沖縄県宜野座沖 2003-11-07 (IGFA世界記録) メバチ 3kg (6Lb) 4.62kg 沖縄県宜野座沖 2003-11-07 (IGFA世界記録)
青木 康晋(あおき やすゆき、1959年3月3日 - )は、… 青木 康晋(あおき やすゆき、1959年3月3日 - )は、日本の出版社経営者、ジャーナリスト、大学教員。元朝日新聞出版社長・会長、元週刊朝日編集長、元朝日新聞記者。その後、日本大学林真理子理事長サポートスタッフ、東日本国際大学副学長・教授、BS朝日放送番組審議会委員、朝日カルチャーセンター講師。 愛知県豊橋市生まれ。1977年愛知県立豊橋南高等学校卒業、1981年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。 1981年朝日新聞社入社。岐阜、伊勢両支局、名古屋本社社会部、東京本社政治部で記者、アエラ副編集長、政治部次長、アエラ編集長代理のあと、2004年週刊朝日編集長、2006年土曜版be編集長、2008年オピニオン編集長。
白井 康彦(しらい やすひこ、1958年 - )は、日本のフ… 白井 康彦(しらい やすひこ、1958年 - )は、日本のフリージャーナリスト、社会運動家。元中日新聞社社員。 愛知県名古屋市に生まれる。私立東海高等学校卒。一橋大学在学中の1980年、日本将棋連盟大学将棋において学生名人となる。 大学卒業後、中日新聞社に入社。消費者問題や貧困問題の取材に注力した。東京本社経済部、名古屋本社経済部、名古屋本社生活部、岐阜支社報道部などを経て、2010年8月より名古屋本社生活部編集委員となった。2018年に退社。 その後はフリージャーナリストとして、社会保障政策に関する執筆を行っている。また社会運動家として、2013年の生活扶助基準引き下げの取り消しを求める集団訴訟いのちのとりで裁判に深くかかわり、厚生労働省が提示した「生活扶助相当CPIに含まれる不適切な計算の実態を解明して社会の関心を高める活動を行っている。
石塚 元章(いしづか もとあき、1957年9月23日 - )… 石塚 元章(いしづか もとあき、1957年9月23日 - )は、日本のニュースキャスター、ジャーナリスト。中京地区のTBS系列局・CBCテレビの特別論説委員(元・報道・番組総局論説室長)。愛知県名古屋市出身。妻は元CBCアナウンサーの古木淑恵。 名古屋市立向陽高等学校、同志社大学法学部卒業。 子供の頃にボーイスカウト名古屋第22団(千種区)に所属していた。 1981年4月、中部日本放送(CBC)に入社。報道局記者として、愛知県警察記者クラブや行政・経済などの取材を担当。 1992年から1995年まで『CBCニュースワイド』のメインキャスターを務めた。 1996年から3年間、JNN ウィーン支局長を務め、NATO軍ユーゴスラビア空爆、コソボ紛争で現地取材を行う。
秋尾 沙戸子(あきお さとこ、1957年8月10日 - )は… 秋尾 沙戸子(あきお さとこ、1957年8月10日 - )は、日本のジャーナリスト、放送コメンテーター、女優(ウズベキスタン)、作詞家。慶應義塾大学非常勤講師。 愛知県名古屋市出身。東京都立新宿高校を経て、東京女子大学英米文学科卒業。上智大学大学院アジア地域研究博士課程後期単位取得満期退学。 サントリー宣伝部に勤めた後、テレビの報道番組キャスターとしてテレビ朝日「CNNデイウォッチ」、NHK総合「ナイトジャーナル」(93年2月、関口宏のサンデーモーニングに出演した際にNHKのプロデューサーからナイトジャーナルのキャスターのオファーを受けた)、関西テレビ「ワンダラーズ」などに出演した。2001年にはウズベキスタンで製作された映画「オイジョン」に女優として主演、キノショック映画祭審査員賞を受賞した。
丸山 昌宏(まるやま まさひろ、1953年(昭和28年)5月… 丸山 昌宏(まるやま まさひろ、1953年(昭和28年)5月5日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。毎日新聞グループホールディングス相談役。 愛知県豊橋市出身。1979年(昭和54年)に早稲田大学法学部を卒業後、毎日新聞社に入社した。 2012年(平成24年)取締役に選任され、常務を経て、16年に社長に昇格。 2022年(令和4年)2月21日に毎日新聞が創刊150年を迎えるのを機に、経営陣の世代交代を図るべく、4月1日付けで会長に退いた。毎日新聞グループホールディングス社長は続投する。 2021年(令和3年)からは山口寿一の後任として、日本新聞協会会長を務める。 2023年6月27日、毎日新聞グループホールディングス代表取締役会長就任。
清水 美和(しみず よしかず、1953年 - 2012年4月… 清水 美和(しみず よしかず、1953年 - 2012年4月10日)は、日本のジャーナリスト。東京新聞・中日新聞論説主幹。愛知県名古屋市出身。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
徳田 耕一(とくだ こういち、1952年(昭和27年)11月… 徳田 耕一(とくだ こういち、1952年(昭和27年)11月1日 - )は、日本の交通ジャーナリスト、作家、評論家。 鉄道に関する時事評論や紀行文、旅行ガイドを数多く発表している。特に中京圏(東海3県)の鉄道に関しては、自らの出身・在住地であるためか多くの著作がある。 北海道函館市の「はこだて観光大使」に任命されている。また台湾鉄路管理局の台鉄之友でもある。 愛知県名古屋市出身。名城大学附属高等学校、名城大学法学部卒業。名古屋市在住で中部地方の交通ジャーナリストとして活動。叔父の経営するパナソニックショップ徳田ラジオ商会の手伝いの傍ら、鉄道をメインに交通全般と旅、観光をテーマに執筆活動を続ける。
濱本 良一(はまもと りょういち、1952年9月19日 - … 濱本 良一(はまもと りょういち、1952年9月19日 - )は、日本の中国問題専門家兼ジャーナリスト。国際教養大学国際教養学部教授。専門は中国を中心とした東アジアの国際政治・経済の分析。 愛知県名古屋市出身。1976年、東京外国語大学外国語学部中国語科卒業。同年、読売新聞東京本社編集局採用、青森支局を経て1982年、同東京本社外報部(現・国際部)配属。1985年~1987年、ジャカルタ支局特派員、1987年~1988年、上海支局特派員、1988年~1990年、北京支局特派員。1993年~1997年、香港支局長、2001年~2004年、中国総局長(北京)。2004年~2005年、讀賣新聞調査研究本部管理部長兼出版部長、2006年~2007年同調査研究本部主任研究員。
樋田 毅(ひだ つよし、1952年 - )は、日本のジャーナ… 樋田 毅(ひだ つよし、1952年 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 愛知県出身。1968年4月、愛知県立旭丘高等学校に入学。1972年4月、早稲田大学第一文学部に入学。同年11月、川口大三郎事件に遭遇、自治会再建運動の先頭に立ち、1年生ながら第一文学部学生自治会臨時執行部委員長、同執行委員長を務める。運動終息後は革マル派の妨害で登校困難ながら早稲田大学第一文学部社会学専修を卒業した。 1978年、朝日新聞社に入社。高知支局、阪神支局を経て大阪社会部へ移る。大阪府警察担当となり、朝日新聞阪神支局襲撃事件取材班キャップを務めたのち、和歌山総局長などを歴任した。 2012年から17年まで朝日新聞社社主村山美知子の大阪秘書役。
小島 正美(こじま まさみ、1951年- )は、日本の科学ジ… 小島 正美(こじま まさみ、1951年- )は、日本の科学ジャーナリスト。主に食の安全、健康、環境問題をテーマに執筆・発信している。毎日新聞社の元編集委員で、「食生活ジャーナリストの会」前代表。現在はメディアチェック集団「食品安全情報ネットワーク」共同代表を務める。 著書に『フェイクを見抜く』『メディア・バイアスの正体を明かす』『正しいリスクの伝え方』『誤解だらけの遺伝子組み換え作物』『みんなで考えるトリチウム水問題』などがある。 1951年、愛知県犬山市生まれ。愛知県立大学英米学科卒業後、1974年に毎日新聞社へ入社。松本支局や長野支局などでの勤務を経て、1987年に東京本社・生活報道部に配属される。
浅井 久仁臣(あさい くにおみ、1947年9月17日 - )… 浅井 久仁臣(あさい くにおみ、1947年9月17日 - )は、日本のジャーナリスト。中近東情勢、災害対策・防災などを専門とする。 愛知県岡崎市生まれ。1歳のとき、職業軍人だった父親を結核で亡くす。母親は西三河で最初の女性校長に就任した浅井千代子。岡崎市立男川小学校、岡崎市立美川中学校、愛知県立岡崎高等学校卒業。1浪後の1967年、獨協大学外国語学部英語学科に入学するが、半年で退学。 1970年に渡英。同年9月、皿洗いとして働いていたホテルのテレビでPFLP旅客機同時ハイジャック事件のニュースを見たことがきっかけで、パレスチナ問題に興味を抱く。1971年にヨルダンやシリアに入り、パレスチナ難民キャンプなどの取材を始めた。
木村 太郎(きむら たろう、1938年〈昭和13年〉2月12… 木村 太郎(きむら たろう、1938年〈昭和13年〉2月12日 - )は、日本のフリージャーナリスト、ニュースキャスター。逗子・葉山コミュニティ放送(通称名・湘南ビーチFM)代表取締役、(有)木村太郎事務所代表取締役。 NHK記者、キャスターを経て、退局後はフジテレビと専属契約を結び、キャスター、コメンテーターを務めた。現在はフリー。 木村喜八郎(木村順太郎の八男、横浜正金銀行元監査役)・敏子(菅原電気創業者・菅原稠の長女)夫妻の長男として生まれる。父・喜八郎の兄弟に西日本鉄道社長の木村重吉が、母・敏子の兄弟に菅原電気社長の菅原浩(妻はにんべん創業家・10代目高津伊兵衛の三女)、劇作家の菅原卓と内村直也(妻は安川財閥創始者・安川敬一郎の孫)がいる。
日高 義樹(ひだか よしき、1935年6月22日 - )は、… 日高 義樹(ひだか よしき、1935年6月22日 - )は、日本のジャーナリストである。アメリカ合衆国在住。ハドソン研究所客員上級研究員、全米商工会議所会長首席顧問、ハーバード大学ケネディスクールタウブマンセンター諮問委員。 1935年(昭和10年)名古屋市生まれ。愛知県知多郡東浦町出身。愛知県立刈谷高等学校を経て、東京大学文学部英文科卒業。 親米派の論客として改憲論、特に日本国憲法第9条改訂の立場をとるジャーナリストとして知られる。2010年代後半以降はメディア登場がない。 1959年(昭和34年)、NHK入局。福岡放送局、佐世保放送局(現・支局)、1965年(昭和40年)外信部、1970年(昭和45年)ワシントン特派員、1972年(昭和47年)外信部、1975年(昭和50年)ニューヨーク特派員、1980年(昭和55年)ニューヨーク支局長、1982年(昭和57年)ワシントン支局長、1985年(昭和60年)特報部、1987年(昭和62年)NHKエンタープライズアメリカ会長、理事待遇アメリカ総局長を歴任した。
坂田 佳代(さかた かよ、1931年1月 - )は、愛知県碧… 坂田 佳代(さかた かよ、1931年1月 - )は、愛知県碧海郡新川町(現在の碧南市)出身の実業家・ジャーナリスト。『中部新報』を発行する中部新報社代表取締役社長。1992年(平成4年)に日本地方新聞協会の風雪賞を受賞。 「ローカル新聞の発行者としてはおそらく全国でもただ一人の女性」とされることがある。坂田は赤い原付で取材に走り回り、地元住民からは(「坂田記者」などではなく)「お佳代」「お佳代さん」「佳代さん」「佳代ちゃん」などと呼ばれた。 1931年(昭和6年)1月、愛知県碧海郡新川町(現在の碧南市)に生まれた。坂田家は安政年間(1855年~1860年)からこの地に住んでおり、三州瓦を伊勢国や志摩国に運搬して薪炭を持ち帰る入船問屋をしていた。
堀 古蝶(ほり こちょう、1921年5月23日 - 1997… 堀 古蝶(ほり こちょう、1921年5月23日 - 1997年10月6日)は、ジャーナリスト、俳人。 愛知県名古屋市生まれ。本名・堀健三。名古屋高等商業学校卒、神戸大学卒。1948年中部日本新聞に入社、ニューデリー特派員、モスクワ特派員、論説委員、1972年「東京新聞」の「筆洗」欄を担当。モスクワ滞在の際「フルシチョフ」をもじって古蝶(ふるしてふ)の俳号をつける。東京新聞客員論説委員。1993年『俳人松瀬青々』で俳人協会評論賞受賞。
柴田 秀利(しばた ひでとし、1917年7月 - 1986年… 柴田 秀利(しばた ひでとし、1917年7月 - 1986年11月)は、日本のジャーナリスト、実業家。日米にまたがる広い人脈を駆使して、日本へのテレビ導入と日本テレビ設立、原子力利用、ゴルフブームに重要な役割を果たした。正力松太郎とも深く関係している。
佐藤 観次郎(さとう かんじろう、1901年8月19日 - … 佐藤 観次郎(さとう かんじろう、1901年8月19日 - 1970年3月3日 )は、愛知県出身の日本の政治家、ジャーナリストである。衆議院議員8期(日本社会党所属)、中央公論編集長を務めた。愛称はサトカン。
塚本 三(つかもと ぞう、1889年4月21日 - 1952… 塚本 三(つかもと ぞう、1889年4月21日 - 1952年8月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家。公選初の名古屋市長(2期)。戦前は衆議院議員(1期)、名古屋市会議員などを務めた。旧姓は井箟。 岐阜県土岐郡稲津村(現・瑞浪市稲津町)出身。幼くして塚本竜三郎の養子となる。稲津小学校、瑞浪高等小学校卒業。1907年、旧制名古屋中学校卒業。 日本陶器、森村組を経て、1920年2月に名古屋新聞政治記者となる。 1921年10月、名古屋市会議員に就任。1922年3月、名古屋新聞編集長となる。1928年2月、名古屋新聞を退社。 1937年、第20回衆議院議員総選挙で当選し、立憲民政党の衆議院議員となる。
加藤 鯛一(かとう ちょういち、1888年(明治21年)6月… 加藤 鯛一(かとう ちょういち、1888年(明治21年)6月1日 - 1943年(昭和18年)10月5日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党→国民同盟→立憲民政党)、ジャーナリスト。衆議院議員・労働大臣を務めた加藤勘十は実弟。 愛知県丹羽郡岩倉町(現在の岩倉市)出身。雑誌「実業帝国」を創刊し、社長兼主筆となる。また東京政治通信社社長も務めた。他に社団法人大日本国防義会の創設にも加わり、評議員となった。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、7回の当選回数を重ねた。その間、阿部内閣で内務政務次官を務めた。 1943年(昭和18年)、翼賛政治会、農林省、内務省共同の満鮮食糧事情調査団に一員として参加することとなり、助川啓四郎代議士や随行者とともに満州へ向けて出発。
石黒 磐(いしぐろ いわお、嘉永5年8月21日(1852年1… 石黒 磐(いしぐろ いわお、嘉永5年8月21日(1852年10月4日) - 昭和2年(1927年)4月13日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 尾張国中島郡、のちの愛知県中島郡長岡村(祖父江町を経て現在の稲沢市)出身。漢学・英学・法学を学ぶ。東京市で家塾を開き、英学・漢学を講義するかたわら、翻訳業に従事した。のち愛岐日報、愛知新聞の記者となった。愛知県会議員、同副議長、名古屋市会議員、同参事会員に選ばれた。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。