大浦 彩瑛(おおうら さえ、1995年10月8日 - )は、… 大浦 彩瑛(おおうら さえ、1995年10月8日 - )は、女子競輪選手。京都府京田辺市出身。日本競輪選手会神奈川支部所属、ホームバンクは川崎競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第126期生。師匠は福田知也(88期)。既婚。 きょうだいは、6歳上の姉と、4歳上の兄。幼い頃から水泳や体操で体を動かし、小学生の頃はハンドボールをやっていたが、走るのが速かったこともあり、中学生になると陸上競技を始める。高校は陸上競技の強豪であった西城陽高校に進学、その時栄養学に興味を持ったことから大学は武庫川女子大学に進学し、食物栄養学を専攻。卒業後は上京し航空関連(機内食製造)の企業に就職。社会人を3年経験し、今の夫と結婚する。
山本 レナ(やまもと れな、1995年3月24日 - )は、… 山本 レナ(やまもと れな、1995年3月24日 - )は、京都府出身の元女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第106期生。師匠は岩崎稔(競輪学校81期生)、梶田舞(同104期生)。現役時代のホームバンクは京都向日町競輪場。 同じく元競輪選手である山本真矢(65期)の三女。 京都府立北桑田高等学校出身。現役時代の晩年は身長158.4cm、体重52.2kg。 2012年、全国高等学校選抜自転車競技大会のスクラッチで優勝。 競輪学校の在校競走成績は18位(0勝)。 2014年5月3日、地元の京都向日町競輪場でデビュー(6着)。初勝利は同年8月9日の玉野競輪場。 2015年5月6日、富山競輪場第6レースで勝利したレースは、ガールズケイリン史上、三連単の最高配当金額となった。
野口 正則(のぐち まさのり、1990年8月28日 - )は… 野口 正則(のぐち まさのり、1990年8月28日 - )は、京都府出身の競輪選手。
三谷 将太(みたに しょうた、1985年10月24日 - )… 三谷 将太(みたに しょうた、1985年10月24日 - )は、競輪選手。京都府出身、日本競輪選手会奈良支部(当初は滋賀支部)所属。ホームバンクは奈良競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第92期生。 元競輪選手の三谷典正(49期)は実父であり師匠。兄の政史(93期)、弟の竜生(101期)も競輪選手で、『三谷三兄弟』の二男。 滋賀県立東大津高等学校時代に、全国都道府県対抗自転車競技大会の1kmタイムトライアルで優勝。 競輪学校時代の在校競走成績は第2位(46勝)。2007年5月1日、競輪選手として登録され、同年7月4日の大津びわこ競輪場でデビューし2着。初勝利は同年7月24日の松阪競輪場。
村上 博幸(むらかみ ひろゆき、1979年4月15日 - )… 村上 博幸(むらかみ ひろゆき、1979年4月15日 - )は、日本の競輪選手。 京都府京都市出身。宇治市育ち。日本競輪選手会京都支部所属、ホームバンクは京都向日町競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第86期生。師匠は兄の村上義弘(73期)。 花園高等学校在学中からインターハイや国民体育大会等で活躍し、競輪学校に86期生として入学する。同期には井上昌己、稲垣裕之らがおり、在校競走成績第10位で卒業した。 デビュー戦は2001年8月8日、奈良競輪場で迎え、初勝利も同日。またこの開催では完全優勝も果たす。2003年7月3日に、S級戦で初勝利(S級初優勝は同年11月10日の富山競輪場)。 2004年の寬仁親王牌(前橋競輪場)でGI・GII通じての初出場を果たす。
稲垣 裕之(いながき ひろゆき、1977年7月28日 - )… 稲垣 裕之(いながき ひろゆき、1977年7月28日 - )は、競輪選手。京都府舞鶴市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第86期生。日本競輪選手会京都支部所属、ホームバンクは京都向日町競輪場。師匠は八倉伊佐夫。 京都府立西舞鶴高等学校在学中から競輪選手を目指し、高校3年生のときに競輪学校を受験するも不合格となる。卒業後は海上自衛官となったが、館山航空基地のヘリコプター整備員としての勤務の傍ら、競輪選手になるためのトレーニングを積んだ結果、3回目の受験となった2000年に合格を果たし第86期生として競輪学校に入学。同期に井上昌己(長崎)、村上博幸(京都)らがいる中、在校競走成績14位で卒業した。
伊藤 保文(いとう やすふみ、1972年3月30日 - )は… 伊藤 保文(いとう やすふみ、1972年3月30日 - )は、京都府出身の元競輪選手、自転車競技選手。 日本競輪学校第71期卒業。現役時代は日本競輪選手会京都支部に所属していた。師匠は南昇(25期)。ホームバンクは向日町競輪場。初出走は1993年4月11日の岸和田競輪場(3着)で初勝利は翌日の同場。 夫人は競艇選手の水口由紀。 京都府立向陽高等学校を経て日本競輪学校に第71期生として入学し、同期在校競走成績は74勝とトップで卒業する。デビュー後は先行や捲りと中心とした自力の戦法で活躍し、1995年オールスター競輪(熊本競輪場)の決勝で9着、1997年のオールスター競輪(平塚競輪場)の決勝7着となる。
山本 真矢(やまもと しんや、1970年12月23日 - )… 山本 真矢(やまもと しんや、1970年12月23日 - )は、元競輪選手。京都府出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第65期卒業。現役時は日本競輪選手会京都支部所属。師匠は八瀬河昭二(51期)。 花園高校在学中の1988年に全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(明石自転車競技場)で1000mタイムトライアルを優勝し、これにより技能試験免除で競輪学校に第65期生として入学する。同期に吉岡稔真、海田和裕、後閑信一らがいる中で82勝を挙げて在校競走成績第1位で同校を卒業した。 1990年4月7日、伊東温泉競輪場でデビューし2着。初勝利は同年4月8日の同場。 1992年から1999年頃まで常時特別競輪(現在のGI)に参加実績があり、1994年の全日本選抜競輪(大垣競輪場)では決勝進出を果たした(9着)。
塚本 善之(つかもと よしゆき、1969年11月14日 - … 塚本 善之(つかもと よしゆき、1969年11月14日 - )は、京都府綴喜郡宇治田原町出身の元プロ野球選手(投手)、元競輪選手。 西城陽高時代、長身から繰り出す直球とフォークを武器に、1987年夏の京都府大会でベスト8に進出。 1987年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受け入団した。ニックネームは角張った顔や長身から「フランケン」だった。 現役中は肩を痛め、一軍登板のないまま、1990年オフに現役を引退した。二軍通算7試合登板、防御率10.00。「三軍みたいなところに、ずっといた」と振り返っている。 京都の実家へ帰り、鉄工所で働きながら新たな職を探していたが、「もう1度、自分の力で金を稼げる世界で勝負したかった。
松本 整(まつもと ひとし 1959年5月20日 - )は、… 松本 整(まつもと ひとし 1959年5月20日 - )は、元競輪選手、現在はスポーツトレーナー、実業家。京都市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第45期生。登録番号は9996。現役時は日本競輪選手会京都支部所属。師匠は木代隆治。初出走は1980年4月19日の門司競輪場で初勝利も同レース。血液型はA型。 松本は幼い頃に両親が離婚し、それからは母・光子により女手一つで育てられる。母親は理不尽なことについては断固として意志を曲げない人で、中学時代、髪型をリーゼントパーマにした松本に対し、初めて見た時は何も言わずも、翌日から「パーマ反対」と書いたカードを家の中で一週間にわたって掲げ続け、松本が根負けする形でパーマを辞めさせたこともあった。
八倉 伊佐夫(やくら いさお、1959年2月17日- )は、… 八倉 伊佐夫(やくら いさお、1959年2月17日- )は、元競輪選手。京都府京都市出身。日本競輪学校第42期卒業。現役時は日本競輪選手会京都支部所属。師匠は森島清太(京都・8期)。ホームバンクは京都向日町競輪場。 京都市立衣笠小学校、京都市立衣笠中学校を経て、京都商業高等学校(現・京都学園高校)在学中は相撲部に所属。1975年度インターハイ個人ベスト8(相撲)。1976年度京都相撲選手権個人優勝。 卒業時に日本競輪学校の適性試験を受験して合格し第42期生として入学。同期には中里光典、岡本新吾らがいる。初出走は1978年10月8日の甲子園競輪場で初勝利も同日。1980年代にはS級選手として数々の特別競輪に出場した。
荒木 実(あらき みのる、1949年2月9日- )は、京都市… 荒木 実(あらき みのる、1949年2月9日- )は、京都市右京区出身の元競輪選手。日本競輪学校第23期生。同期には阿部道らがいる。 京都府立桃山高等学校時代は野球部に在籍し、同部の主将を務めた。 1966年9月18日、和歌山競輪場でデビューするや、無傷の18連勝を達成。若い頃よりマーク型の選手としてトップスターへの道へと上りつめ、1974年に行われた高松宮杯競輪では、中を一気に割って伸び優勝。2年後の高松宮杯でも同じような形のレース内容で制した。ちなみに2回とも、雨が降りしきる中レースが行われたが、そのことにあやかって、雨男のニックネームがつけられた。 1988年、競輪発祥40周年を記念して、平塚競輪場で開催されたルビーカップのシニア杯に出走し優勝した。