木村 敦志(きむら あつし、1984年5月1日 - )は、大… 木村 敦志(きむら あつし、1984年5月1日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。 小学4年生の頃に地元茨木市の太田JFCでサッカーを始める。当時から長身だったため最初からポジションはGKだった。中学時代からガンバ大阪の下部組織でプレーし、2003年にトップチームに昇格。若い頃から各年代の日本代表にも選出され、2001年にはU-17日本代表としてU-17世界選手権、2005年にはU-21日本代表として第33回トゥーロン国際大会に出場した。 G大阪では松代直樹や藤ヶ谷陽介といった先輩GKたちの後塵を拝し、長らく出場機会を得られなかったが、入団7年目の2009年12月29日、天皇杯準決勝・ベガルタ仙台戦で公式戦初出場を果たした。
片山 真人(かたやま まさと、1984年4月19日 - )は… 片山 真人(かたやま まさと、1984年4月19日 - )は、大阪府出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 ガンバ大阪の下部組織出身。ジュニアユース時代に年代別日本代表に選出された経験を持つ。ユースチームでは、JユースカップのMVPや得点王を獲得するなど活躍を見せたが、トップチーム昇格は叶わなかった。 近畿大学でも関西学生リーグ1部の優秀選手に選ばれるなど活躍。複数のクラブからのオファーを受けたが、J参入を明言している松本山雅FCへの加入を決めた。 2008年からはJ2へ昇格したFC岐阜へ移籍。地域リーグ(4部)からJ2(2部)へのステップアップとして注目された。2008年は開幕戦(第1節)から片桐淳至との2トップで先発出場するなど、J2リーグ戦全42試合中36試合に出場し8ゴールを挙げ、9ゴールの片桐に次ぐチーム内2位の得点数を記録したが、2009年は無得点に終わり、同シーズン限りでFC岐阜との契約が終了する事になった。
高畑 愛美(たかはた まなみ、1983年11月2日 - )は… 高畑 愛美(たかはた まなみ、1983年11月2日 - )は、大阪府堺市出身の元女子サッカー選手。 ポジションは、DF。
塚本 翔平(つかもと しょうへい、1983年10月25日 -… 塚本 翔平(つかもと しょうへい、1983年10月25日 - )は、大阪府生まれ奈良県育ちの元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは、MF。
石櫃 洋祐(いしびつ ようすけ、1983年7月23日 - )… 石櫃 洋祐(いしびつ ようすけ、1983年7月23日 - )は、大阪府摂津市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 元々はフォワードであったが、大学時代に、監督であった加茂周からディフェンダーへのコンバートを受けた。 入団1年目は入れ替え戦第2戦でベンチ入りしたのみであったが、2年目の2007年にリーグ戦初出場を果たした(当初は右SBを茂木弘人が、左SBを石櫃が務めていた)。 2009年1月の日本代表候補の合宿に初招集を受けたが、自身が招集されるとは予想していなかったため挙式を予定しており、それが合宿期間に重なっていたことで話題となった。岡田監督や協会に許可を得たうえで合宿を一時離脱し、鹿児島から挙式の行なわれる神戸に向かい、挙式後に合宿に再合流した。
小原 昇(こはら のぼる、1983年7月22日 - )は、静… 小原 昇(こはら のぼる、1983年7月22日 - )は、静岡県生まれで大阪府富田林市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。愛称はノボ。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
泉谷 光紀(いずたに みつのり、1983年6月27日 - )… 泉谷 光紀(いずたに みつのり、1983年6月27日 - )は、元サッカー選手。鹿児島ユナイテッドFCフューチャーズ監督。inasサッカー世界選手権2022(知的障がい者サッカー)日本代表コーチ。 大阪府出身、ポジションはディフェンダー。
浅野 大地(あさの だいち、1983年5月25日 - )は、… 浅野 大地(あさの だいち、1983年5月25日 - )は、大阪府堺市出身のサッカー選手。
田中 淳也(たなか じゅんや、1983年4月24日 - )は… 田中 淳也(たなか じゅんや、1983年4月24日 - )は、大阪府出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。
吉田 康幸(よしだ やすゆき、1982年12月19日 - )… 吉田 康幸(よしだ やすゆき、1982年12月19日 - )は、大阪府高槻市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。 滋賀FC(後のレイジェンド滋賀FC)に入団し、正ゴールキーパーを務めるが、2005年限りで退団。その後は各クラブでプレイを続けていたが、両膝前十字靭帯損傷のために2年間はなでしこリーグ、スペランツァFC大阪高槻でGKコーチを務める。 怪我も癒えた2013年よりカンボジア・リーグのナショナルポリスに入団。同リーグ初の日本人ゴールキーパーとしてキーパーコーチ兼任でプレイしている。 2014年3月、ナショナルポリスでの2シーズン目、カンボジア国内のカップ戦、フンセンカップ(日本では天皇杯に相当)にて、日本人初のコーチとして優勝。
安東 利典(あんどう としのり、1982年11月6日 - )… 安東 利典(あんどう としのり、1982年11月6日 - )は、大阪府大阪市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
児玉 新(こだま あらた、1982年10月8日 - )は、大… 児玉 新(こだま あらた、1982年10月8日 - )は、大阪府高槻市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 ガンバ大阪ユースから2001年にトップチームに昇格(ユースからの同時昇格は井川祐輔、日野優)。新井場徹の後継者と目されたが、レギュラー定着には至らなかった。 2006年は京都パープルサンガにレンタル移籍。京都では左サイドバック、センターバックのレギュラーとして出場しチームに貢献した。 その活躍が認められ2007年はG大阪から清水エスパルスにレンタル移籍で加入し、左サイドバックのレギュラーとして定着。2008年にフェルナンジーニョとともに完全移籍した。 2009年と2010年は副キャプテンを務め、兵働昭弘がピッチ上に居ない場合はキャプテンマークを巻いてプレーした。
林 卓人(はやし たくと、1982年8月9日 - )は、大阪… 林 卓人(はやし たくと、1982年8月9日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。金光大阪高等学校卒業。 茨木小学校FC、市立養精中出身。中学までは全国的には無名な存在で、金光大阪高等学校へ進学後頭角を現す。高校の2年先輩に斉藤大介、 1年後輩に中田洋平・田中淳也がいる。2000年高校3年時インターハイ出場、同年セレッソ大阪に強化指定選手として登録された。 2001年、サンフレッチェ広島とプロ契約する。同期入団に河野淳吾・田中マルクス闘莉王・西嶋弘之・梅田直哉・李漢宰がいた。2002年から下田崇の控え、2ndGKとなる。J1最終節対コンサドーレ札幌戦にて相手FW相川進也と接触した下田の負傷により途中出場(なおその後に相川も林と接触し交代している)、これが林のJリーグ初出場となった。
日野 優(ひの すぐる、1982年7月29日 - )は、大阪… 日野 優(ひの すぐる、1982年7月29日 - )は、大阪府吹田市出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 ガンバ大阪の下部組織で育ち、2001年にトップチームへ昇格(同期昇格は井川祐輔と児玉新)。 昇格時は既に都築龍太が守護神として君臨しており、長らく出場機会が訪れなかったが、2005年は正GK争いをする松代直樹と藤ヶ谷陽介の二人の欠場時などに巡ってきたチャンスを掴み、デビュー戦を含むリーグ戦4試合に出場し、G大阪のJリーグ初制覇に貢献した。 2006年終盤に期限付き移籍で加入したFC岐阜では、地域リーグ決勝大会予選3試合、決勝3試合と、JFL入替戦2試合でゴールマウスを守り、チームのJFL昇格に貢献した。
松下 和磨(まつした かずま、1982年6月25日 - )は… 松下 和磨(まつした かずま、1982年6月25日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW。大阪府大阪市出身。 初芝橋本高校時代に和歌山県代表で天皇杯に出場し、平島崇、金明輝、八柄堅一、前田和哉、室拓哉、狩野新らとプレーした。 静岡産業大学サッカー部時代に2002年W杯直前の日本代表と静岡で練習試合を行った際、競り合った日本代表のDF宮本恒靖の顔に右ひじが入り鼻骨を骨折させている(その結果、宮本は顔面を保護するフェイスガードを付けることになった)。 アローズ北陸を経て、2008年にカターレ富山の初代9番を背負ったが、2009年6月にカターレを退団。Jリーグ出場は通算2試合に終わった。
佐藤 淳(さとう じゅん、1982年5月23日 - )は、大… 佐藤 淳(さとう じゅん、1982年5月23日 - )は、大阪府出身のサッカー指導者。 豊中市立新田南小学校の時に吹田千里FCでサッカーを始め、大阪セントラルFCジュニアユース、大阪府立刀根山高等学校を経て、立命館大学に進学。大学卒業後は一般企業に就職したがサッカーに関わる仕事に携わる為、24歳の時に平成医療学園専門学校に入学。朝はアルバイト、夕方は少年サッカーのコーチ、そして夜は学業という毎日を送った。 専門学校卒業後の2011年、ガンバ大阪ジュニアユースのトレーナーに就任。その後2018年までG大阪各部門に携わり、2016年にはトップチームのフィジカルトレーナーも務めた。 2019年、大分トリニータのフィジカルコーチに就任。
嵜本 晋輔(さきもと しんすけ、1982年4月14日 - )… 嵜本 晋輔(さきもと しんすけ、1982年4月14日 - )は、大阪府出身の実業家で、元サッカー選手(ミッドフィルダー)。 Jリーグのガンバ大阪などでのプレーを経て、現役引退後に株式会社SOU(現:バリュエンスホールディングス株式会社)を設立。同社が2018年3月22日付で株式上場(東証マザーズへの新規上場)を果たしたことによって、Jリーグの選手経験者では初めて上場企業の社長(代表取締役)になった。2021年7月14日からは南葛SC(東京都葛飾区を拠点に活動する社会人サッカークラブ)の取締役を兼務。 不動産会社や飲食店を営む実業家・嵜本政司の三男として大阪で生まれる。父方の曾祖父に蘭学者の寺地強平がいる。
平島 崇(ひらじま たかし、1982年2月3日 - )は、大… 平島 崇(ひらじま たかし、1982年2月3日 - )は、大阪府堺市出身の元サッカー選手。ポジションはサイドバック。 初芝橋本高校卒業後の2000年、アビスパ福岡と契約し1年目からレギュラーとして出場する。U-19代表にも選ばれ、将来を嘱望されていた。 しかし2001年11月、18歳未満の少女との違法な交際により児童買春禁止法違反容疑で逮捕され、保護観察処分を受けた。アビスパ福岡は平島の選手契約を解除したものの、当時19歳という若さを考慮し、翌年2月に福岡ブルックス(アビスパ福岡の運営会社)の臨時職員という形で平島を雇い直した。2002年は臨時職員として働きながら社会福祉施設でのボランティア活動に励んだ。
梁 勇基(リャン ヨンギ、朝: 량 용기、1982年1月7日… 梁 勇基(リャン ヨンギ、朝: 량 용기、1982年1月7日 - )は、大阪府泉北郡忠岡町出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。在日朝鮮人で元北朝鮮代表。2025年現在はベガルタ仙台のクラブコーディネーターを務める。 高卒でのJリーグ入りを目指したが、外国籍枠の制限によって断念。「外国籍扱いしない選手」(いわゆる「在日枠」)選手としての認定を受けるために日本の大学への進学を決め、2000年に阪南大学へ進学、サッカー部に所属した。 大学での活躍が認められ、ジェフユナイテッド市原への内定が見込まれていたが、市原は在日枠選手として金位漫を登録していたため破談。その後、2004年2月に川崎フロンターレのキャンプに参加したが、契約には至らなかった。
森本 圭太(もりもと けいた、1981年6月19日 - )は… 森本 圭太(もりもと けいた、1981年6月19日 - )は、大阪府堺市出身で、サッカー選手、サッカー指導者。
籾谷 真弘(もみたに まさひろ、1981年6月2日 - )は… 籾谷 真弘(もみたに まさひろ、1981年6月2日 - )は、元サッカー選手。ポジションはDF。 自身のブログによれば、小学3年生のときに河内長野市の加賀田SCでサッカーを始め、美加の台中学校を経て、高校時代は堺市立工業高校に通いながらセレッソ大阪のユースチームに所属。2000年にセレッソ大阪のトップチームに昇格。10代のころにはU-18、U-19日本代表にも選出された。C大阪では、2シーズン在籍したが公式戦への出場がないまま、戦力外通告を受けた。 2002年、当時群馬県リーグ1部のザスパ草津に移籍。草津では2004年までは地元の温泉街で働きながらプレーを続け、2003年に関東リーグ2部、2004年にJFL、2005年にJ2に昇格。
中村 元(なかむら げん、1981年1月14日 - )は、大… 中村 元(なかむら げん、1981年1月14日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW、MF。 指導者ライセンスはJFA Aジェネラルを所持。 近畿大学附属高校から法政大学進学し、入学早々に主力選手となり2年時の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント準優勝や3年時の東京都サッカートーナメント優勝に貢献。 2003年にJFLの佐川急便大阪SCに加入。主にMFとして途中出場を中心に経験を積み、2005年以降は前線で起用されるようになるとツートップの一角として、小柄ながらテクニックを生かしてチームの上位進出に貢献した。 2007年、佐川大阪が佐川急便東京SCと合併して新たに発足した佐川急便SC(後のSAGAWA SHIGA FC)に加入。
中村 元(なかむら げん、1981年1月14日 - )は、大… 中村 元(なかむら げん、1981年1月14日 - )は、大阪府出身のサッカー選手。ポジションはFW、MF。
斉藤 大介(さいとう だいすけ、1980年8月29日 - )… 斉藤 大介(さいとう だいすけ、1980年8月29日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(ボランチ)、DF(センターバック)。 高校時代、大阪選抜で稲本潤一とダブルボランチを組んでいたことがある。林卓人は金光大阪高等学校の2年後輩にあたる。 1999年、京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に入団。3年目の2001年までは出場機会に恵まれなかった。 2002年も序盤は途中出場の1試合のみの出場(その試合も本来はベンチ外で、当日に他の選手の負傷によって急遽ベンチ入りしたもの)にとどまっていたが、転機が訪れたのはリーグ戦中断中に行われたこの年のナビスコカップ予選リーグであった。
二川 孝広(ふたがわ たかひろ、1980年6月27日 - )… 二川 孝広(ふたがわ たかひろ、1980年6月27日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元日本代表。 小中学生時代は地元高槻市である高槻FCに所属した。小学生時代は大阪でもベスト4が最高成績だったが、中学生時代には3年時にクラブユース選手権関西大会でJリーグクラブの下部組織を抑え優勝し、自身もMVPを受賞した。[要出典] 1996年にガンバ大阪ユースに入団。主にボランチで活躍。3年時はキャプテンとしてチームを牽引[要出典]し、クラブユース選手権にて優勝、高円宮杯にて準優勝という成績を収めた。 1999年にトップチームに昇格。同期昇格の大黒将志とはユース時代からのコンビで、大黒が札幌にレンタル移籍した1年間を除いて、2005年まで同じチームでプレーしていた。
西 紀寛(にし のりひろ、1980年5月9日 - )は、大阪… 西 紀寛(にし のりひろ、1980年5月9日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 元サッカー選手の西望実は実弟である。 本人によればサッカーを始めたのは保育園時代。中学校までは地元でプレーしていたが、高校は地元を離れて船橋市立船橋高等学校に入学し、サッカー部で活躍。サッカー部の同期に松田正俊がいる。他にも岩佐潤(バスケットボール部)・高橋美佳子(吹奏楽部)・佐藤章晶(硬式野球部)がいる。高校3年次の1998年にはインターハイを制するが、同年の全国高等学校サッカー選手権大会は千葉県予選で玉田圭司を擁した習志野高校に敗れ、出場はならなかった。
大黒 将志(おおぐろ まさし、1980年5月4日 - )は、… 大黒 将志(おおぐろ まさし、1980年5月4日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロサッカー選手。J3リーグ・奈良クラブの監督。現役時代のポジションはフォワード(FW)である。元日本代表。 5歳の時に 兄の影響でサッカーを始める。小学1年次より豊中SSに所属し、3年次からは元日本代表FWの釜本邦茂が代表を務めていた釜本FC(ガンバ大阪ジュニアの前身)でもプレー。4年次からは、釜本FCより移管されたG大阪ジュニアでのプレーに専念。 中学校入学と同時にG大阪ジュニアユースに昇格。当時はセレクションが無く、100人以上の選手を抱える大所帯だったが、Aチーム(1軍)入りを続け、中学卒業後はG大阪ユースに昇格。
米津 美和(よねつ みわ、1979年12月4日 - )は、大… 米津 美和(よねつ みわ、1979年12月4日 - )は、大阪府出身の元女子サッカー選手、サッカー指導者。元サッカー日本女子代表。現役時代のポジションはフォワード。 中学1年次に大阪府内所在のサッカークラブ、豊津女子フットボールクラブに入団した。1995年入学の茨木西高校女子サッカー部では山崎静代の1年後輩にあたる。卒業後は姫路学院女子短期大学に進学、全日本大学女子サッカー選手権大会にも出場した。この時のチームメイトのひとりに三浦香子がいる。 短大卒業後大阪に戻り、地元のクラブチーム、豊津女子フットボールクラブを経て、2004年に当時関西女子リーグ所属のINACレオネッサに入団。小林未央・平野回梨佳・保手濱理恵らとともに攻撃の中核を担った。
辻本 茂輝(つじもと しげき、1979年6月23日 - )は… 辻本 茂輝(つじもと しげき、1979年6月23日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。 小学5年生からサッカーを始め、吹田市立第六中学校時代からディフェンダーとしてプレーするようになる。近畿大学付属高校を経て、1998年に横浜フリューゲルスに加入。 加入初年度に横浜マリノスとの合併によりクラブが消滅したため、他の新人選手らとともに1999年より京都パープルサンガに移籍。京都には7シーズン在籍し、J1・J2合わせてリーグ戦73試合に出場した。2005年シーズン終了後、契約満了に伴い退団。 U-20日本代表の一員として1999 FIFAワールドユース選手権で準優勝の経験を持つ。
橋本 英郎(はしもと ひでお、1979年5月21日 - )は… 橋本 英郎(はしもと ひでお、1979年5月21日 - )は、大阪府大阪市阿倍野区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、実業家。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。大阪市立大学経済学部卒業。 株式会社BorderLeSS代表取締役兼CCO。 3人きょうだいの末っ子として生まれ、6歳年上の兄がサッカーをしていた影響で幼稚園の頃から公園で一緒にボールを蹴っていた。小学校1年から自身も地元の街クラブ・大阪スポーツマンクラブ(大阪SC)に入団してサッカーを始める。9番をつけた攻撃の選手で主将でもあり、チームではお山の大将だった。小学6年の時点で進学する中学にサッカー部がないことが分かっていたため、兄も中学時にプレーした釜本邦茂のチーム「釜本FC」に入ることにした。
奈須 伸也(なす しんや、1978年12月29日 - )は大… 奈須 伸也(なす しんや、1978年12月29日 - )は大阪府大阪市出身の元サッカー選手。 三人兄弟の末っ子として奈須家に誕生。歳の離れた兄姉がいる。小さい頃から運動神経は抜群であったが、あまり勉強をしないため両親が心配することもあった。『僕は運動で一番になるから、勉強しろとは言わんといて。』と宣言し、両親を唖然とさせたという。母親が営む飲食店『奈須亭』(現在は閉店)は彼の憩いの場であったが、奈須が甲府で活躍しはじめると、山梨から甲府サポが訪れ、奈須の両親とサッカー談義に花を咲かせた。コアサポのみが知る伝説の聖地となっている。 小学生のときは野球少年であったが、6年生の時に地元にサッカーチームができたため入部。
羽地 登志晃(はじ としあき、1978年8月28日 - )は… 羽地 登志晃(はじ としあき、1978年8月28日 - )は、大阪府堺市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはFW。 天理大学在学中にセレッソ大阪へ加入するも2シーズンに渡り出場機会に恵まれなかった。 2002年9月にJFLに所属していた佐川急便大阪へレンタル移籍。公式戦6戦で4得点、天皇杯でも1得点を挙げるなど活躍するも、同年限りでセレッソ大阪との契約が満了となる。 その後モンテディオ山形、ジェフユナイテッド市原、柏レイソルと渡り歩き、2005年よりJリーグ(J2)へ参入したばかりの徳島ヴォルティスへ移籍。徳島では2005年に12得点、2006年に9得点を挙げるなどエースストライカーとして充分な成績を残した。
関本 恒一(せきもと こういち、1978年5月23日 - 2… 関本 恒一(せきもと こういち、1978年5月23日 - 2016年1月23日)は、大阪府交野市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 三重県立四日市中央工業高校を卒業後、1997年からサガン鳥栖で6年間プレーして2002年に引退。引退後は四日市中央工業高校、四日市大学などでコーチを務めた。また、伊賀市のFCアヴェニーダソルでは監督を務め町野修斗らを指導した。 2013年にFC.ISE-SHIMAで現役に復帰したが、2014年8月に骨肉腫が見つかり入院した。 2016年1月23日、大阪府内の病院で平滑筋肉腫により死去した。
川北 裕介(かわきた ゆうすけ、1978年5月13日 - )… 川北 裕介(かわきた ゆうすけ、1978年5月13日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 2001年にヴァンフォーレ甲府に入団するものの、吾妻弘将や鶴田達也の前に出場機会には恵まれず、2003年よりJFLの大塚製薬(現徳島ヴォルティス)に移籍。大塚製薬では正GKとして活躍し、J2昇格に貢献した。一見派手なスーパーセーブこそ少ないが、的確な判断とミスの少ない安定したプレーが特徴の堅実な選手で、素早く正確なスローによるフィードも特徴のひとつであった。 2004年11月5日に行われたJFL後期第12節(対ザスパ草津:群馬陸)の前半7分において、草津のFW佐藤正美と左のこめかみあたりから衝突した。
喜多 靖(きた やすし、1978年4月25日 - )は、大阪… 喜多 靖(きた やすし、1978年4月25日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手。現役時のポジションはディフェンダー。
吉原 宏太(よしはら こうた、1978年2月2日 - )は、… 吉原 宏太(よしはら こうた、1978年2月2日 - )は、大阪府藤井寺市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。元日本代表。 初芝橋本高校のエースとして、第74回全国高校サッカー選手権に出場。同大会開幕前までにどのチームとも契約に至っておらず、本人はこの大会を「就職活動の場」と語っていた。結果的にこの大会でチームをベスト4に導き、自身も得点王に輝いたことで卒業後、1996年当時ジャパンフットボールリーグでJリーグ昇格を争っていたコンサドーレ札幌に入団。同期入団に吉成大がいる。プロ入りできた褒美として、大阪の会社社長の実父から赤いポルシェをプレゼントしてもらった。 1997年、出場試合数こそ15試合にとどまったが、5月18日の大塚製薬(現・徳島ヴォルティス)戦で自身初のハットトリックを達成するなど札幌のJリーグ昇格に貢献。
海本 幸治郎(かいもと こうじろう、1977年10月14日 … 海本 幸治郎(かいもと こうじろう、1977年10月14日 - )は、大阪府吹田市出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF。兄の海本慶治も元プロサッカー選手。 Kリーグ時代の登録名は海本(ハングル: 가이모토)。 1996年にガンバ大阪に入団。年代別日本代表にも招集される期待の若手選手だったが、1997年末以降は骨折を繰り返し、2000年にクラブから戦力外通告を受けた。 2001年にKリーグの城南一和に移籍して日本人初のKリーガーとなる。1997年末から数えて計8回の骨折とリハビリの末に2001年10月にKリーグでのデビュー戦に出場した。この試合は自身3年ぶりの公式戦であると同時に、城南がリーグ優勝を決めた試合でもあった。
根引 謙介(ねびき けんすけ、1977年9月7日 - )は、… 根引 謙介(ねびき けんすけ、1977年9月7日 - )は、大阪府出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 1996年に柏レイソルに入団。2004年途中からベガルタ仙台に期限付き移籍していたが、2006年に柏レイソルへ復帰。しかし、2006年シーズン終了後に戦力外通告を受け、現役引退。柏レイソルの育成・普及部の普及コーチに就任した。
中島 浩司(なかじま こうじ、1977年8月20日 - )は… 中島 浩司(なかじま こうじ、1977年8月20日 - )は、日本の実業家、元サッカー選手。大阪府堺市南区赤坂台出身。仙台育英学園高等学校卒業。 株式会社ベアフット 執行役員スポーツ事業アドバイザー。 実兄の影響で小学5年生から地元赤坂台JSCでサッカーを始め、赤坂台中学時代は一学年下の岡山一成らとプレーした。高校時代は仙台育英高校へ越境入学、高校3年時に東北代表として高円宮杯出場。 1996年、当時JFLのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に入団。同期に千葉直樹などがいる。チームは1999年から始まったJ2に加盟、中島は背番号10番を背負った時期もあったが、その後出場機会が激減。2002年限りで戦力外通告を受けた。
轟 奈都子 (とどろき なつこ、1977年8月17日 - )… 轟 奈都子 (とどろき なつこ、1977年8月17日 - )は、大阪府出身の元女子サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。 東海大学付属仰星高在学中は交野FCに所属。1996年に卒業後は松下電器パナソニックバンビーナ(→スペランツァF.C.高槻)に入団。2002年7月には日本女子代表候補トレーニングキャンプメンバーに選ばれたが、代表での試合出場はない。 2004年にアルビレックス新潟レディースに移籍。レギュラーとして活躍し、2006年にはディビジョン2優勝と翌2007年のディビジョン1昇格に貢献。引退後も同チームでゴールキーパーコーチを務めていた。 好きな食べ物にはバナナを挙げており、1日に2本は食べているほか食べ過ぎておなかを壊したこともある。
金川 幸司(かながわ こうじ 、1977年7月4日 - )は… 金川 幸司(かながわ こうじ 、1977年7月4日 - )は、大阪府東大阪市出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。ポジションはフォワード。日本サッカー協会公認C級コーチ。 阪南大学では関西学生サッカーリーグで2年連続得点王を獲得。2000年に大宮アルディージャに加入。しかし大宮では出番に恵まれず、2001年6月にJFLのNTT西日本熊本に期限付き移籍し、中心選手として活躍したが同年末に所属元の大宮から戦力外通告を受ける。NTT西日本熊本などから移籍のオファーがあったものの、海外に新天地を求めオーストラリア・クイーンズランド州のパインリバース(英語版)に移籍し、2005年までプレーした。 2006年よりセレッソ大阪のサッカースクールコーチを務め、2016年より大宮のジュニアコーチを務めている。
影山 貴志(かげやま たかし、1977年5月27日 - )は… 影山 貴志(かげやま たかし、1977年5月27日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手。 マンマークと空中戦に強さを見せるDF。 1996年にサンフレッチェ広島へ入団。その年の開幕戦にいきなり抜擢され、その後4試合連続で先発出場。その後は主力の怪我が回復したためポジションを失う。 1997年の終わりに本人の希望で大学進学への道を選択する。1998年に阪南大学へ入学、1999年ユニバーシアード代表、2000年全日本学生選抜にも選出された。 2001年に地元セレッソ大阪に加入。即戦力として期待されながらも出場はなし。翌2002年からは佐川急便大阪SCに、2007年から合併に伴い佐川急便SC(現SAGAWA SHIGA FC)に所属。
宮本 恒靖(みやもと つねやす、1977年2月7日 - )は… 宮本 恒靖(みやもと つねやす、1977年2月7日 - )は、大阪府富田林市出身の元サッカー日本代表選手。FIFA Master修了。日本サッカー協会・第15代会長。 現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 2002年と2006年にはFIFAワールドカップに出場し、キャプテンを務めた。 2013年7月19日、第13期FIFAマスターを卒業し、元プロ選手としては2人目、日本人元プロ選手としては初めてのFIFAマスター卒業生となった。 日本サッカー協会(JFA)の専務理事を経て、現在は日本サッカー協会(JFA)の第15代会長を務める。 大阪府富田林市出身。サッカーを始めたのは富田林市立伏山台小学校5年生。
狩野 倫久(かのう みちひさ、1976年7月6日 - )は、… 狩野 倫久(かのう みちひさ、1976年7月6日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。JFA 公認S級コーチ。大阪府立枚方津田高等学校卒業。 現役時代のポジションは、ボランチ、サイドバック。フットサル選手の狩野新は弟。 枚方FCユース時代はMF、チームのキャプテンとして活動した。卒業後はブラジルへ留学し、1996年7月SEパルメイラスU-20に入団し、カンピオナート・パウリスタ(サンパウロ州選手権)U-20に出場した。1997年3月、SEパルメイラス・アスピランチに所属。その後、1998年3月オザスコFCとプロ契約を結び、右サイドバックでカンピオナート・パウリスタに出場した。
吉道 公一朗(よしみち こういちろう、1976年4月17日 … 吉道 公一朗(よしみち こういちろう、1976年4月17日 - )は、大阪府貝塚市出身のサッカー指導者(フィジカルコーチ)。 Jリーグ・ガンバ大阪と業務提携を結ぶ平成医療学園専門学校柔道整復師科の卒業生。2005年、大阪市内の治療院でマッサージ師として働く傍ら、ガンバ大阪のユースチームのトレーナー、マッサーとして活躍。2006年には上野山信行が監督を務めるU-15 Jリーグ選抜チームのマッサーとして、第9回ブラジル‐日本友好カップに参加するチームに帯同した。 2008年はトップチームのトレーナーに就任。2009年からはガンバ大阪のフィジカルトレーナーを務める。2012年、成績不振による人事異動によりフィジカルコーチに昇格。
高橋 彩子(たかはし さいこ、1976年4月11日 - )は… 高橋 彩子(たかはし さいこ、1976年4月11日 - )は、大阪府出身の元女子サッカー選手。西山高校卒。ポジションはミッドフィールダー。 10歳ごろからサッカーを始める。中学校には女子サッカー部がなかったため中断したが、皇后杯全日本女子サッカー選手権大会に出場したこともある西山高校を選択し、プレーを再開する。 1995年、日興證券女子サッカー部ドリームレディース入団。廃部により1999年にOKI FC Windsに移籍するも1年で廃部となり、2000年に浦和レイナスFC(現・浦和レッドダイヤモンズ・レディース)へ移籍した。 豊富な運動量を誇る中盤の選手として活躍。リーグきってのプレースキッカーとして知られ、 2005年のなでしこスーパーカップで見せた、ゴール右上への曲がって落ちる技巧的な直接フリーキックによるゴールは大きな話題となった。
廣長 優志(ひろなが ゆうじ、1975年7月25日 - )は… 廣長 優志(ひろなが ゆうじ、1975年7月25日 - )は、大阪府枚方市出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ボランチ)、DF(センターバック)。 小学校1年生の時に地元の枚方FCでサッカーを始める。 桐蔭学園高校に進学後、1年生からスタメンを獲得。2年生の時にはドイツ遠征で活躍し、ブンデスリーガの強豪VfBシュトゥットガルトから年俸2000万円にものぼる獲得オファーもあった。 自身はVfBシュトゥットガルトへの入団に前向きだったが、同校サッカー部の監督であった李国秀のもとにオファーが来ていたヴェルディ川崎へ入団することとなった。 ヴェルディでは初年度から出場機会を掴むと活躍が認められ、同年にU-23日本代表に選出。
吉田 宗弘(よしだ もとひろ、1974年8月25日-)は、大… 吉田 宗弘(よしだ もとひろ、1974年8月25日-)は、大阪府吹田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。 吹田市立千里新田小学校の4年生からサッカー部に入部し、本格的にサッカーをはじめた。その後、大阪府立茨木高等学校を経て、慶應義塾大学へ入学してソッカー部に所属した。 1997年に柏レイソルへ入団。1999年と2000年はリーグ戦で約10試合ほど出場機会を得たものの同時期に南雄太が土肥洋一に代わって正GKに定着したためレギュラー獲得には至らず、2003年に柏時代の恩師である西野朗を頼って、地元のガンバ大阪へ完全移籍。だが、都築龍太の退団によってポジションを掴んだ松代直樹の後塵を拝して正GKを掴めなかった。
中村 伸(なかむら しん、1974年5月6日 - )は、大阪… 中村 伸(なかむら しん、1974年5月6日 - )は、大阪府出身の元プロサッカー選手(MF)、サッカー指導者。 交野FC、東海大学付属仰星高等学校、同志社大学出身。 1997年、当時旧JFL所属のサガン鳥栖へ入団する。サガン鳥栖は鳥栖フューチャーズを解散後この年から新しく編成されたチームであり、中村はその中で中心選手として活躍した。1999年、旧JFLは新しくJFLとJリーグ ディビジョン2に再編、鳥栖はJ2初期メンバーとなる。引き続き中心選手として活躍、同年3月21日J2第2節対ヴァンフォーレ甲府戦では自身Jリーグ初ゴールを記録しサガン鳥栖としてのJリーグ初勝利に貢献した。 2001年、当時J2のベガルタ仙台へ移籍すると、同年度末のJリーグ ディビジョン1昇格に貢献した。
柴 暢彦(しば のぶひろ、1974年4月18日 - )は、大… 柴 暢彦(しば のぶひろ、1974年4月18日 - )は、大阪府出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 福岡大学時代にはユニバーシアード日本代表に選ばれ、1995年ユニバーシアード福岡大会に優勝した。1997年に当時JFLの大分トリニティに加入。J2が新たに発足した1999年からはアルビレックス新潟に4シーズン所属し、J2リーグで65試合に出場した。2003年の関東2部のザスパ草津でプレーを最後に一時引退した。 引退後は街クラブで小中学生の指導にあたっていたが、2008年に将来的なJリーグ入りを目指す関西2部のアルテリーヴォ和歌山の選手兼任監督に就任した。