河内山 一夫(かわちやま かずお、1936年8月3日 - 1… 河内山 一夫(かわちやま かずお、1936年8月3日 - 1975年8月19日)は、大阪府堺市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は植田 一夫(うえた かずお)。179cm、118kg。最高位は西十両7枚目。得意手は左四つ、吊り。 1954年5月場所で初土俵、1961年9月場所では西幕下3枚目の地位で6勝1敗と好成績を残し、十両昇進が濃厚と思われたが、十両からの陥落者が少なかったため、翌11月場所では西幕下筆頭に据え置かれる不運に遭った。その場所では2勝5敗と負け越し十両昇進はならなかった。それでも腐らず精進し1963年7月場所にて十両昇進。十両には11場所連続で在位したが、右膝を負傷してからは不振が続き、幕下へ陥落の後、1965年7月場所限りで廃業した。
三ツ矢 歌子(みつや うたこ、1936年8月1日 − 200… 三ツ矢 歌子(みつや うたこ、1936年8月1日 − 2004年3月24日)は、日本の女優。 大阪府堺市東区出身。プール学院高等学校卒業。血液型A型。本名は小野田 宇汰子。夫は小野田嘉幹。平田昭彦は義弟(夫の実弟)、音羽美子は義妹(夫の妹)、久我美子は義妹(義弟の妻)、野平ゆきは義子(息子の妻)。 学生時代の同級生には坂本スミ子がいた。 1955年、学生時代の女友達が内緒で新東宝の新人募集に応募書類を送ったところ、合格。第4期スターレットとして入社(同期は北沢典子、原知佐子、万里昌代、朝倉彩子など)。 1956年の『君ひとすじに』で銀幕デビューを果たし、池内淳子、久保菜穂子と「新東宝現代劇の女優三羽烏」と呼ばれ、1961年の倒産まで出演を続けた。
ひろさちや(本名:増原 良彦(ますはら よしひこ)、1936… ひろさちや(本名:増原 良彦(ますはら よしひこ)、1936年〈昭和11年〉7月27日 - 2022年〈令和4年〉4月7日)は、日本の宗教評論家。仏教思想家。 自称「仏教原理主義者」。多数の一般向けの解説書を執筆。 大阪府大阪市に生まれ、大阪府立北野高等学校を経て、東京大学で印度哲学、仏教学を学び、気象大学校で20年間教鞭を執る。教員生活の傍ら、「ひろさちや」のペンネームで平易な言葉で多数の入門書を執筆し、一般の人々に仏教を身近な物として再認識させた。自身は浄土宗の信者だった。
藤田 栄一(藤田 榮一、ふじた えいいち、1936年7月18… 藤田 栄一(藤田 榮一、ふじた えいいち、1936年7月18日 - )は、日本の英文学者、ビジネス英語教育者。 大阪府大阪市出身。1959年大阪府立大学経済学部卒、藤田鉄工所入社。1963年早川電機工業(シャープ)貿易部入社、大阪市立大学文学部英文科卒。1965年神戸大学大学院修士課程修了。1969年関西外国語大学専任講師となる。1972年助教授。1990年神戸女学院大学短期大学教授、神戸学院大学教授。専攻分野、英米文学(特にヘンリー・ジェイムズ)、英米文化、国際ビジネス、国際交渉・説得、国際普及学。
岩國 哲人(いわくに てつんど、1936年(昭和11年)7月… 岩國 哲人(いわくに てつんど、1936年(昭和11年)7月11日 - 2023年(令和5年)10月6日)は、日本の政治家。 衆議院議員(4期)、島根県出雲市長(2期)、民主党副代表、同国際局長、衆議院懲罰委員長、自由民主党政務調査会顧問などを歴任。 大阪府大阪市生まれ。大阪市立曽根崎小学校(後の大阪市立大阪北小学校。現在廃校)1年生の時に父が他界し、母の故郷である島根県簸川郡西浜村(後の湖陵町、現出雲市)に転居。小学校、中学校の頃は野球部に入っていた。長男の岩國は母を助けて、高校3年の春まで畑仕事を手伝った。島根県立出雲高等学校を経て1959年、東京大学法学部卒業。大学時代は政治学を学んだ。 1959年、日興證券入社。
片岡 宏雄(かたおか ひろお、1936年6月15日 - 20… 片岡 宏雄(かたおか ひろお、1936年6月15日 - 2021年12月6日)は、大阪府出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ。 ヤクルトスワローズ元取締役編成部長。 浪華商業高校では捕手として甲子園に3回出場。2年生時の1953年、エース中下悟(法大 - 日本石油)を擁し第25回選抜高等学校野球大会決勝に進むが、加藤昌利のいた洲本高に敗れ準優勝。同年夏の第35回全国高等学校野球選手権大会では準々決勝に進むが、この大会準優勝の土佐高に敗退。翌1954年の第26回選抜高等学校野球大会は藤田徳男(全鐘紡)とバッテリーを組み、1回戦は中京商のエース中山俊丈を攻略して辛勝。しかし2回戦では藤田と飯田長姫高の光沢毅との投げ合いとなり、0-1で完封負けを喫した。
江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月1… 江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月12日 - 2013年(平成25年)2月8日)は、株式会社リクルートの創業者として知られる日本の実業家。「昭和最大の起業家」「東京大学が生んだ最大のベンチャー起業家」とも評されるが、「リクルート事件」の贈賄側人物としても知られる。また奨学金財団として江副育英会を創設し理事長を務めた。 東京大学在学中に就職斡旋の事業に着手してリクルートを創業し、大企業に成長させた。情報をビジネス化するという発想がなかった時代に、就職、転職、住宅などの情報を提供にはじまり、情報産業の旗手となった。「自ら機会をつくり、機会によって自らを変えよ」は江副の遺した社訓として知られ、江副の作ったリクルートは起業家集団としても知られ、日本最大のビジネスモデルとして現在も影響を与え続けている。
別府 恵子(べっぷ けいこ、1936年6月3日 - )は、日… 別府 恵子(べっぷ けいこ、1936年6月3日 - )は、日本のアメリカ文学者、神戸女学院大学・松山東雲女子大学名誉教授。 大阪府豊中市生まれ。神戸女学院高等部卒、神戸女学院大学文学部英文学科卒業、ミシガン大学大学院で文学修士、教育学博士号取得。1970年神戸女学院大学英文学科専任講師。留学のため3年ほど休職。1974年助教授、1982年教授、1999年定年退任、名誉教授、松山東雲女子大学学長。2007年退任、名誉教授。2015年春、瑞宝中綬章受勲。
木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は… 木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は 日本の版画家・彫刻家・作家・画家。京都工芸繊維大学名誉教授(第9代学長)。 大阪府大阪市生まれ。日本経済の高度成長と同時に美術の大衆化が顕著となる中、木村光佑は30歳を超えた1968年に作家としてデビューを果たした。シルクスクリーンや写真製版をはじめ多様な製版・印刷の最新技術を駆使し、現在社会の虚像と実像入り交じる様々なイメージを重ね合わせることで、情報過剰な同時代人の視覚的経験を作品化し、デビューと同時に「時代の申し子」として立て続けに国際コンクールでの受賞を重ねていく。一方で、自由な版表現への挑戦は、当時の日本版画界においては異色であり、版画の範疇や概念に対する議論を巻き起こした。
切畑 健(きりはた けん、1936年5月7日- )は、日本の… 切畑 健(きりはた けん、1936年5月7日- )は、日本の伝統服飾の研究者、京都国立博物館名誉館員。 大阪市生まれ。京都市立美術大学日本画科卒業。京都国立博物館に入り、京都文化資料研究センター調査資料室長、普及室長を経て、大手前女子大学文学部教授。2007年退職。
稲葉 一郎(いなば いちろう、1936年5月3日 - 201… 稲葉 一郎(いなば いちろう、1936年5月3日 - 2017年9月23日)は、日本の歴史学者である。関西学院大学名誉教授。文学博士。専門は東洋史学思想史。 1936年、大阪市生まれ。京都大学文学部卒、1966年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。学部・大学院では宮崎市定に師事した。 1967年より立命館大学文学部助手。その後、同助教授・教授。1980年に関西学院大学文学部教授となる。1989年、「中国史学史研究」を京都大学に提出して文学博士号を取得。2005年に関西学院大学を退職して名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
西村 宗(にしむら そう、1936年4月28日 - )は、日… 西村 宗(にしむら そう、1936年4月28日 - )は、日本の漫画家。代表作は産経新聞朝刊に連載されていた4コマ漫画『サラリ君』。 大阪府泉大津市出身。手塚治虫の漫画に親しみ、中学生時代から雑誌『漫画少年』の懸賞投稿の常連となる。泉州地域で漫画が得意な少年として著名になり、大阪市立工芸高等学校在学中の1951年、『阪南新聞』に4コマ漫画『トンマ君』の連載を開始しデビュー。そのころ中学時代の恩師が、その同級生のサトウサンペイを西村に紹介する。当時サトウは大丸本社の宣伝部に勤務しながら漫画の連載をおこなっており、西村は週に1度サトウの職場をたずねて原稿の添削を受けた。『トンマ君』は新聞の廃刊にともない、1年半で終了している。
和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 … 和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 - 2019年〈令和元年〉10月7日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督。大阪府生まれ。 実父は築地小劇場の創立者メンバーの1人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精。日劇レビューで演出家を担った山本紫朗は伯父にあたる。 妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。長男はロックバンド・TRICERATOPSの和田唱で、その妻は上野樹里。次男の和田率は元電通勤務で、現在は母・平野レミの料理サイト「remy」のクリエイティブ・ディレクター。率の妻は和田明日香。 父である精が勤務していたJOBK(現在のNHK大阪放送局)の当時の赴任地である大阪市東住吉区で生まれる。
加地 伸行(かじ のぶゆき、1936年〈昭和11年〉4月10… 加地 伸行(かじ のぶゆき、1936年〈昭和11年〉4月10日 - )は、日本の中国哲学者。 大阪大学名誉教授、Z会顧問。号は孤剣楼。筆名は二畳庵主人。『漢文法基礎』の著者としても知られる。 大阪市出身。大阪府立北野高等学校を経て、1960年京都大学文学部卒業。卒業論文では『孝経』を扱う。1963年京都大学大学院修士課程修了。修士論文では『史記』を扱う。大学院在学中は重澤俊郎の指導を受ける。 1963年、高野山大学文学部講師。1968年、同助教授。1969年、名古屋大学文学部助教授。1972年から翌年まで、台湾淡江文理学院副教授を兼任。 1982年、大阪大学文学部助教授。同年、博士論文「『公孫龍子』の研究」で東北大学文学博士(主査は金谷治)。
大輪 靖宏(おおわ やすひろ、1936年(昭和11年)4月6… 大輪 靖宏(おおわ やすひろ、1936年(昭和11年)4月6日 - )は、日本の俳人・日本文学研究者。専門は日本近世文学。上智大学名誉教授。公益社団法人日本伝統俳句協会副会長、国際俳句交流協会常務理事、慶大俳句丘の会会長、横浜俳和会顧問、和の句会主宰。 東京府東京市蒲田区生まれ。山梨県、福岡県、大阪府で育ち、大阪府立豊中高等学校を経て、1960年、慶應義塾大学文学部国文学科卒業。同年、日本テレビに入社するも退職し、1961年、慶應大学大学院文学研究科国文学専攻に進学。1968年、博士課程単位取得満期退学。1970年、同大学附属研究所国際センター専任講師、1973年、上智大学文学部専任講師、1974年、助教授、1981年、教授。
毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 … 毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 - )は、日本の俳優、タレント、ラジオパーソナリティ。まむしプロダクション所属。本名及び旧芸名:石井 伊吉(いしい いよし)。。愛称は「まむちゃん」「まむし(さん)」。 江戸弁の要素がみられる話し方が特徴的な東京・浅草育ちの俳優で、1969年から開始した『ミュージックプレゼント』(TBSラジオ)の中継先レポーターとして長年活躍し、聴衆一人一人に語りかける際の愛のある悪口が人気を呼び、長寿番組となった。 関東地方では高い知名度を誇るラジオスターの一人である。 聖徳大学短期大学部客員教授も務める。 大工の息子として大阪市住吉区に生まれたが、生後3カ月で東京市荏原区中延(現:東京都品川区中延)に転居。
吉田 輝雄(よしだ てるお、1936年3月23日 - )は、… 吉田 輝雄(よしだ てるお、1936年3月23日 - )は、大阪府高槻市出身の俳優、歌手。 高槻市立第一中学校時代は野球部に属していた。北陽高等学校、立命館大学経済学部卒業後、1958年湯浅電池に入社(営業部に配属)。翌1959年、新東宝の大蔵貢社長にスカウトされ、湯浅電池を退職後、新東宝に入社。菅原文太、高宮敬二、寺島達夫ら長身の若手二枚目スターと共に「ハンサムタワーズ」として売り出し、主演スターとして活躍。代表作『地帯(ライン)シリーズ』(監督・石井輝男)では、天知茂、三原葉子らと共演。このシリーズは5部作にも及ぶ人気シリーズになった。 1961年、新東宝の倒産に伴い、ハンサムタワーズのメンバーと共に松竹へ移籍。
釜屋修(かまや おさむ、1936年3月18日 -2013年2… 釜屋修(かまや おさむ、1936年3月18日 -2013年2月2日)は、中国現代文学研究家。研究対象は趙樹理はじめ幅広い。 大阪府堺市生まれ。大阪外国語大学卒業。在学中から中国語を学び、卒業後は商社に勤務。1961年、日中貿易促進会関西事務所に転職。1966年、文化大革命の影響で同会は解散、職員は解雇され失業する。1970年、自己の中国理解の点検と新たな勉強のため大阪外国語大学大学院入学、在学中に山田敬三らと中国文芸研究会を創立する。1973年、静岡大学教養部助教授、1979年、同教授となる。1981年、和光大学人文学部に転じ、1987年まで勤務。1987年より駒澤大学外国語学部に勤務し、2006年定年退職。
牧 昭男(まき あきお、1936年3月14日 - 2014年… 牧 昭男(まき あきお、1936年3月14日 - 2014年4月26日)は、日本の元プロボクサー。元OBF東洋スーパーバンタム級王者。アマチュアの強豪からプロに転じ、東洋王座を獲得したテクニシャン。 大阪府大阪市大淀区(現:北区)に生まれる。浪華商業高等学校(現:大阪体育大学浪商高等学校)から関西大学に進み、アマチュアボクシングで活躍。1958年(昭和33年)に全日本チャンピオンとなった後、同年に開催された第三回アジア大会にも出場、またメキシコで開催されたダイヤモンド・ベルト大会で銅メダルを獲得するなど、アマで通算82勝10敗と輝かしい成績を残す。 1959年(昭和34年)にプロに転向。3戦目で後の強豪関光徳と対戦、6回を引き分けている。
近藤 和彦(こんどう かずひこ、 1936年3月2日 - 2… 近藤 和彦(こんどう かずひこ、 1936年3月2日 - 2002年6月10日)は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(外野手)。
今西 幹一(いまにし かんいち、1936年2月26日 - 2… 今西 幹一(いまにし かんいち、1936年2月26日 - 2009年5月1日)は、日本の国文学者。近代文学、とりわけ近代詩歌・短歌研究を専門とし、佐藤佐太郎・正岡子規など歌人研究に業績をあげた。元二松学舎大学学長・名誉教授。『佐藤佐太郎短歌の研究―佐藤佐太郎と昭和期の短歌』により、第6回日本歌人クラブ評論賞を受賞。 大阪市出身。大阪府立高津高等学校を経て、1967年に関西学院大学大学院文学研究科修士課程日本文学専攻を修了、1970年に同博士課程単位取得満期退学。大阪府立箕面高等学校教諭などのかたわら、研究に従事。1976年より山梨英和短期大学助教授、1982年同教授、1988年より二松学舍大学の教授。
播磨 良承(はりま よしつぐ、1936年2月14日 - 19… 播磨 良承(はりま よしつぐ、1936年2月14日 - 1991年10月29日)は、日本の法学者。 大阪府堺市生まれ。1958年中央大学法学部卒、1960年同大学院法学研究科修士課程修了。1963年大阪電気通信大学講師、1968年助教授、1970年近畿大学法学部助教授、1978年教授。在任中に55歳で死去。工業所有権法を中心とした知的所有権が専門。
野村 明雄(のむら あきお、1936年(昭和11年)2月8日… 野村 明雄(のむら あきお、1936年(昭和11年)2月8日 - )は、日本の実業家。元大阪ガス社長・会長。元大阪商工会議所会頭。元日本ガス協会会長。大阪府出身。
雀部 幸隆(ささべ ゆきたか、1936年2月6日 - 201… 雀部 幸隆(ささべ ゆきたか、1936年2月6日 - 2013年12月25日)は、日本の政治学者。名古屋大学名誉教授。大阪市出身。位階は従四位。瑞宝小綬章受章。 1960年名古屋大学法学部卒業。1965年同大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。大学では守本順一郎に師事した。1978年法学博士の学位を名古屋大学から取得。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中島 章夫(なかじま あきお、1936年1月27日 - 20… 中島 章夫(なかじま あきお、1936年1月27日 - 2024年6月8日)は、日本の文部官僚、政治家。衆議院議員、参議院議員。大阪府枚方市出身。
野原 明(のばら あきら、1936年1月17日 - )は、日… 野原 明(のばら あきら、1936年1月17日 - )は、日本の教育者。文化学園大学名誉教授、日本教育文化研究所所長。 大阪府大阪市出身。大阪府立吹田高等学校卒業、1958年に京都大学経済学部卒業後、朝日放送記者、NHK社会部記者を務める。教育問題を専門とする。 1983年から2001年までNHK解説委員。2000年より学校法人文化学園の運営に関わり、2001年から2012年まで文化学園大学総合教養系教授兼文化学園大学附属杉並中学校・高等学校校長を務めた。 日本教育社会学会、日本カリキュラム学会、日本国際理解教育学会所属。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡本 日出士(おかもと ひでし、1936年(昭和11年)1月… 岡本 日出士(おかもと ひでし、1936年(昭和11年)1月1日 - )は、日本の政治家。元大阪府大東市長(3期)。旭日小綬章受章。 大阪府出身。1954年大阪市立都島工業高等学校(現・大阪府立都島工業高等学校)卒。同年盛工務店に勤務。のち岡本建設を設立、社長となる。ほか四条保育園理事長なども務める。 政治面では1976年に大東市議会議員に当選し、2期務め、市議会副議長を務めた。2000年大東市長選挙に立候補し、現職の近藤松次を破って初当選。2004年に再選。2008年に三選。2012年に退任した。
安斉 敦子(あんざい あつこ、1936年 - )は、日本のデ… 安斉 敦子(あんざい あつこ、1936年 - )は、日本のデザイナー。 大阪市立工芸高等学校(現:大阪府立工芸高等学校)の図案科で、グラフィックデザインを学ぶ。 1955年、上京して亀倉雄策に師事し、亀倉らが設立した日本デザインセンターにグラフィックデザイナーとして入社する。 1964年東京オリンピックでは、デザイン・ガイド・シート作成の一員となった。 この年の5月には渡仏し、パリでファッションデザイナーの高田賢三と友人になる。
仕田原 猛(しだはら たけし、1936年〈昭和11年〉 - … 仕田原 猛(しだはら たけし、1936年〈昭和11年〉 - 2020年〈令和2年〉2月23日)は大和言葉の研究家。京大の野球部OB会(京都大学野球倶楽部)の会長を務めた。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立清水谷高等学校、京都大学法学部卒業。1960年(昭和35年)住友金属工業(現・日本製鉄)入社。 1999年(平成11年)ベストセラー『もう一つの万葉集』のある韓国人作家、李寧煕の後援会の発足に伴い会員となる。以後、日本各地の古代遺跡や古社・古地名を調査し、後援会の会報『まなほ』に寄稿。2018年には、万葉集は古代韓国語で書かれていたとする李寧煕の説を基にして、日本語と古代韓国語を比較し共通点を解説した『やまと言葉を遡る 李寧煕の解読を基に』を出版している。
熊谷 富夫(くまがい とみお、1936年 - 2014年6月… 熊谷 富夫(くまがい とみお、1936年 - 2014年6月22日)は、NHK大阪放送局演芸番組プロデューサー。大阪府枚方市出身。 実子は同じ「上方演芸会」を手がける熊谷岳志。 大阪府立住吉高等学校、関西学院大学経済学部卒。日本放送協会(NHK)入局後は、主に演芸番組、特に上方演芸の番組制作に携わり、「浪速→上方演芸会」、「お父さんはお人好し」「東西浪曲大会・浪曲特選」などの番組ディレクター・プロデューサーとして活躍した。晩期はNHK大阪の関連法人であるNHKきんきメディアプラン(現・NHKプラネット近畿支社)に移る。 その他日本笑い学会副会長、大阪21世紀協会「大阪文化祭」審査委員、文化庁芸術祭審査委員などを歴任。
高橋 憲明(たかはし のりあき、1936年 - )は、日本の… 高橋 憲明(たかはし のりあき、1936年 - )は、日本の物理学者。 専門は原子核物理学、理科教育。物理学が育まれた大阪の地と、理科離れの克服に関心を寄せている。2003年4月から大阪市立科学館の館長を務めていた。大阪府茨木市出身。 高槻高等学校を経て、大阪大学理学部物理学科を卒業。大阪大学大学院理学研究科修士課程、同博士課程修了。(理学博士) 大阪大学理学部助手、ボン大学客員教授、大阪大学教養部助教授を経て同理学部教授に就任。退職後は同名誉教授、大阪学院大学流通科学部名誉教授、大阪市立科学館館長。
豊田 義夫(とよだ よしお、1935年12月25日- )は、… 豊田 義夫(とよだ よしお、1935年12月25日- )は、元アマチュア野球選手、監督である。 大阪府八尾市出身。左利き。 会社勤務を経て、1956年から母校の近大附属高校でコーチを務めた後1965年から1984年まで同校の監督を務めた。1967年、1971年、1975年の3度の春のセンバツへの出場を果たした。厳しい練習から「キンコー(近高)の鬼」と呼ばれ、部員や他校から恐れられていた。 その手腕を買われ、近大附属福山高校(1990年~2000年)、近大附属新宮高校(2005年4月~2006年8月1日)、八尾ベースボールクラブ(2009年2月~2010年1月)、近大泉州高校(2010年1月~2013年7月15日)の監督を歴任した。
池田 幾三(いけだ いくぞう、1935年12月10日 - 、… 池田 幾三(いけだ いくぞう、1935年12月10日 - 、本名同じ)は、大阪府堺市出身の放送作家・ラジオパーソナリティー。新野新と「ペン企画」主宰。B型。既婚、1男1女あり。兵庫県西宮市在住。 滋賀県近江八幡市生まれ。父は菓子屋でパンを売っていた。大阪府堺市浜寺公園の海辺で1歳から約40年を暮らす。浜寺水練学校出身。浜寺昭和小学校、浜寺中学校、大阪府立三国丘高校(6期)卒業。1954年4月、早稲田大学文学部演劇科入学。印南高一ゼミに所属。1959年3月、卒業。映画の脚本家を目指し松竹大船撮影所での入社試験を受け、大島渚の助監督になる予定が、試験当日に寝過ごしてしまい映画を諦める。印南にテレビの構成放送作家を薦められ、1959年4月に東宝テレビ部入社。
水谷川 忠俊(みやがわ ただとし、1935年12月9日 - … 水谷川 忠俊(みやがわ ただとし、1935年12月9日 - )は、日本の作曲家、雅楽研究家。旧姓名・近衛俊健。 近衛秀麿の三男(非嫡出子)として大阪市東区久宝寺町に生まれる。母は坪井文子。1937年7月22日、父秀麿により、大阪市東区役所に出生届が出される。1939年10月19日、父の末弟である水谷川忠麿の養子となり、忠俊と改名。物心ついたときは東京千駄ヶ谷の忠麿のアトリエにおり、生母の記憶はないという。 学習院初等科在学中、奈良県に転居し、奈良女子高等師範学校附属小学校(現・奈良女子大学附属小学校)から同中学校・同高校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)を卒業。上京後、山本直純の助手を務めながら作曲を学ぶ。
椋本 彦之(むくもと ひこゆき、1935年〈昭和10年〉11… 椋本 彦之(むくもと ひこゆき、1935年〈昭和10年〉11月24日 - 2008年〈平成20年〉6月24日)は、日本の実業家。飲食店チェーン「グルメ杵屋」創業者。元学校法人大阪初芝学園理事長。 1935年(昭和10年)大阪府大阪市生まれ。1954年、大阪府立阿倍野高等学校卒業。 1957年、両国米穀販売店を創業。1967年、両国食品株式会社を設立(代表取締役)。1986年、両国食品と株式会社グルメを合併、株式会社グルメ杵屋を発足させ代表取締役社長に就任した。 1991年(平成3年)9月、学校法人大阪初芝学園理事長・学園長に就任。そのほか大阪木津市場(1999年)や元気寿司(2002年)の取締役なども務めた。
桂 音也(かつら おとや、1935年10月4日 - 1978… 桂 音也(かつら おとや、1935年10月4日 - 1978年3月28日)は、上方落語の落語家(上方噺家)で、フリーアナウンサー。本名は今井 清之。 大阪府箕面市に生まれる[要出典]。 神戸大学法学部卒業後、1960年に朝日放送にアナウンサーとして入社した。スポーツ番組や歌番組、演芸番組を担当する。後輩の道上洋三、乾浩明らと落語研究会を作り趣味で落語を始めた、この会には客として桂米朝一門の3代目桂米朝、2代目桂枝雀(当時は桂小米)や漫才作家の三田純市らが見に来ていた。会では主に古典落語を演じていた、これがきっかけで桂枝雀の教えを乞うようになる。[要出典] 1967年に朝日放送を退職してフリーの司会者となる。
近江 巳記夫(おおみ みきお、1935年〈昭和10年〉10月… 近江 巳記夫(おおみ みきお、1935年〈昭和10年〉10月1日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(10期)。元科学技術庁長官。 1954年 (昭和29年) 大阪市立都島工業高等学校建築科卒業。1962年(昭和37年)関西大学経済学部卒業。1963年(昭和38年)大阪市会議員(西成区選挙区)に当選。1967年(昭和42年)2月の第31回衆議院議員総選挙の大阪3区に公明党から立候補し初当選(通算10回)する。委員長の竹入義勝の下で中央執行委員を歴任。 1986年(昭和61年)12月の公明党大会で委員長選出された委員長の矢野絢也の下で中央統制委員長、国会対策副委員長を歴任。 1990年(平成2年)11月に委員長の石田幸四郎の下で筆頭・中央執行副委員長に就任。
森本 矗(もりもと なおみ、1935年9月28日 - 199… 森本 矗(もりもと なおみ、1935年9月28日 - 1997年1月30日)は、日本の西洋経済史学者。 大阪府大阪市生まれ。1958年同志社大学経済学部卒、関西大学商学部大学院、1976年「14世紀イングランド北東部における商業の展開とダラム司教座聖堂付属修道院の経済との関係について」で商学博士。名古屋学院大学助教授、1974年教授、1989年帝塚山大学経済学部教授。 1997年、多臓器不全のため死去。
吉森 章夫(よしもり あきお、1935年〈昭和10年〉9月2… 吉森 章夫(よしもり あきお、1935年〈昭和10年〉9月21日 - 2025年〈令和7年〉3月5日)は、日本の教育学者。合唱指揮者。声楽家。徳島大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。徳島大学学芸学部卒業。東京芸術大学音楽学部卒業。 大阪府大阪市出身。父親の転勤により中学校のときに徳島県徳島市へ移る。 徳島大学学芸学部に入学し、当時の文部省の制度で東京芸術大学音楽学部に委託留学。卒業後、東京都内で中学校の教諭となり、1961年(昭和36年)に徳島大学学芸学部助手に就任する。その後、同学部教授、同大学総合政策学部学部長を経て2001年(平成13年)に退官、同大学名誉教授に就任。 また1965年(昭和40年)には徳島合唱団を設立し、全日本合唱コンクールで金、銀、銅賞を計19回受賞するなど数々の賞に導いてきた。
福井 俊彦(ふくい としひこ、1935年9月7日 - )は、… 福井 俊彦(ふくい としひこ、1935年9月7日 - )は、日本の銀行家。一般財団法人キヤノングローバル戦略研究所理事長。 日本銀行副総裁、株式会社富士通総研理事長、社団法人経済同友会副代表幹事、第29代日本銀行総裁などを歴任した。 大阪府大阪市出身。東京大学法学部を卒業後、日本銀行プロパーの中で頭角を現し、早くから将来の総裁候補として嘱望されていた。1994年の副総裁就任によって、当時の大蔵省・日銀間のたすきがけ人事の慣行では次期総裁の座がほぼ約束されていたが、大蔵省接待汚職事件との関連で、日銀職員のノーパンしゃぶしゃぶ接待問題が明らかになり、日銀にも逮捕者が出たこと等から1998年辞職。その際、松下康雄総裁も同時に監督責任を問われ、辞任することとなった。
田宮 二郎(たみや じろう、1935年〈昭和10年〉8月25… 田宮 二郎(たみや じろう、1935年〈昭和10年〉8月25日 - 1978年〈昭和53年〉12月28日)は、日本の俳優・司会者。 1960年代から1970年代にかけて俳優として活躍、代表作は映画『悪名』シリーズ、映画『白い巨塔』、テレビドラマ『高原へいらっしゃい』など。ほかにクイズ番組『クイズタイムショック』の司会としても長らく親しまれた(1969年1月9日 - 1978年9月28日)。 大阪府大阪市北区出身。本名、柴田 吾郎(しばた ごろう)。生後4日で父を事故で失ったため幼少から高校時代にかけては京都市にて母方の祖父の家で育つ。祖父の柴田永三郎は金融業を営む資産家で、田宮の母は永三郎の養女で、父の栄吾(旧姓南川)はその入り婿だった。
關 淳一(せき じゅんいち、關の字は新字体で「関 淳一」とも… 關 淳一(せき じゅんいち、關の字は新字体で「関 淳一」とも表記される、1935年(昭和10年)8月13日 - 2024年(令和6年)6月9日)は、第17代大阪市長。医学博士。 大阪府大阪市出身。祖父は社会政策学者で第7代大阪市長の關一(ただし、出生前に一が死去したため、直接の面識はない)。 医師から行政職に転じた経歴を持つ。 2期8年にわたって市長をつとめた磯村隆文の下で助役を務め、磯村の後継候補として2003年の市長選挙に日本共産党を除く各政党の相乗り推薦を得て出馬、元大阪城天守閣館長の渡辺武(日本共産党推薦)らを破り当選。就任当初、助役に弁護士の大平光代を起用し、異例の市役所外部からの人事として話題となった。
高橋 悦史(たかはし えつし、1935年〈昭和10年〉8月2… 高橋 悦史(たかはし えつし、1935年〈昭和10年〉8月2日 - 1996年〈平成8年〉5月19日)は、日本の俳優。 宮大工の息子として大阪府岸和田市宮本町に一人息子として生まれた。幼くして父を亡くし、母の手一つで育てられた。大阪府立岸和田高等学校では野球部に在籍し、甲子園にあと一歩まで迫った。視力の減退で野球は断念した。高校時代に観劇した文学座の芝居に魅せられ、演劇への興味が沸く。大学受験と一緒に俳優座養成所のテストも受けたが不合格。 1954年立教大学文学部英米文学科に入学(野際陽子は同学科の同期であり、大沢啓二は同校の3年先輩。長嶋茂雄と杉浦忠も立教大の同期)。在学中から演劇に関わり、演出も手がける。
富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月… 富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月28日 - 2023年〈令和5年〉4月8日)は、日本の詩人・小説家・文芸評論家。日本芸術院会員。上方お笑い大賞選考委員。静岡県伊東市在住。本名は菅多 恵子、夫は現代美術家の菅木志雄。 1935年(昭和10年)大阪府大阪市出身。大阪府立桜塚高等学校、大阪女子大学文学部英文科卒業。 池田満寿夫と同棲していたことがあり、当初は詩人として出発。卒業後は高校教師を務めたが、上京して多くの詩集を出し、『物語の明くる日』(1961年)以降は小説に転じた。多数の詩・小説・評論・エッセイがある。また映画のシナリオも書いている。 1969年6月、菅木志雄と結婚。
堀田 満(ほった みつる、1935年7月23日 - 2015… 堀田 満(ほった みつる、1935年7月23日 - 2015年7月8日)は、日本の植物学者。植物分類学の分野の研究で知られる。理学博士、鹿児島大学名誉教授、鹿児島県立短期大学名誉教授。京都大学教養部助教授、鹿児島大学理学部教授、鹿児島県立短期大学学長を歴任した。 大阪府高槻市生まれ。1935年、芥川の門前橋近くの小作百姓の家に生まれ、そのままなら農民になっていたはずだが、農地改革があり小作も土地を持てたので、その土地を売って大学に行くことができた。中学生のころから週に1度高槻の山を歩き回っていた。高校生のころ、前川文夫の植物地理学の本に出会い、のちに植物地理学の総説『植物の分布と分化』出版に結びつく。
中村 大成(なかむら たいせい、1935年7月18日 - 2… 中村 大成(なかむら たいせい、1935年7月18日 - 2013年5月11日)は、大阪府出身のプロ野球選手(投手)。 大阪府立泉陽高等学校から1953年に南海ホークスへ入団。同年の日本シリーズでは第2戦で先発したが読売ジャイアンツに敗れた。これが高卒新人投手として初めての日本シリーズ先発だった。 1955年は23勝4敗、防御率2.13(リーグ3位)の好成績をあげる。特に8月から閉幕まで11連勝するなど、後半は抜群の活躍で南海のリーグ優勝に貢献。パ・リーグの最高勝率、ベストナイン、最優秀投手に選ばれた。また、同年の日本シリーズでは全7試合中の6試合に登板、勝ち星は挙げられなかったが、防御率0.72と好投した。
堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 20… 堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 2019年2月8日)は、日本の政治家、通産官僚、小説家、評論家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 経済企画庁長官(第55・56・57代)、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任した。また、株式会社堺屋太一事務所および株式会社堺屋太一研究所の代表取締役社長であり、様々な博覧会のプロデューサーとしても活動していた。 本名は池口 小太郎(いけぐち こたろう)であり、ペンネームの由来は、先祖の商人が安土桃山時代に堺から谷町に移住した際の名前である「堺屋太一」から採ったものである(堺屋は屋号にあたる)。 谷町に近い大阪市東区岡山町(現:中央区玉造)生まれ。
新谷 功(しんたに いさお、1935年7月5日 - )は、日… 新谷 功(しんたに いさお、1935年7月5日 - )は、日本の経営者。川崎汽船社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 1958年に大阪大学経済学部を卒業し、同年に川崎汽船に入社。1986年6月に取締役に就任し、1988年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1994年6月に社長に就任。2000年6月に会長に就任。 1997年11月に藍綬褒章を受章し、2005年11月に旭日重光章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
長谷 景治(はせ けいじ、1935年7月3日- 2024年1… 長谷 景治(はせ けいじ、1935年7月3日- 2024年11月13日)は、日本の競泳選手。早稲田大学商学部卒業。日本マスターズ水泳協会の副会長を務めている。 大阪市立高倉中学校、大阪市立都島工業高等学校普通科卒業。早稲田大学商学部在学中の1956年のメルボルンオリンピックの100m背泳ぎに出場、準決勝で敗退した。 1954年、1958年のアジア競技大会の100m背泳ぎでともに金メダルを獲得している。 1954年9月17日、田中守・長沢二郎・谷訯との400mメドレーリレーで4分17秒2の世界新記録、1955年8月13日、古川勝・石本隆・古賀学との400mメドレーリレーで4分15秒7の世界新記録をつくり、1954年度、1955年度の朝日スポーツ賞に選ばれている。
辰巳 ヨシヒロ(たつみ ヨシヒロ、1935年6月10日 - … 辰巳 ヨシヒロ(たつみ ヨシヒロ、1935年6月10日 - 2015年3月7日)は、日本の漫画家、古書店経営者。大阪府大阪市天王寺区出身。本名:辰巳 嘉裕(たつみ よしひろ)。兄は、漫画家・漫画出版社経営者の桜井昌一。 貸本漫画家として活躍しながら、「劇画」という名称を提唱、「劇画」誕生にあたって重要な役割を果たした。貸本漫画家時代の別明記に、マイク浜、あさひ昇、江戸五郎などがある。 1970年代以降は、社会の底辺に位置する人々の悲哀や屈折を陰鬱なタッチで描いた作品を『ガロ』などに多数発表する。それらの作品群は海外を中心に高く評価され、日本におけるオルタナティヴ・コミックの第一人者として広く認知されている。