KAI NAKAMURA(1996年〈平成8年〉12月12日… KAI NAKAMURA(1996年〈平成8年〉12月12日 - )は、ソフトウェアエンジニア、UI/UXデザイナー、動画クリエイター、ゲームクリエイター、シンガーソングライター。作詞、作曲、デザインや映像制作、演出を全て自分でこなし、セルフプロデュースも手掛けるマルチメディアアーティスト。 大阪府東大阪市出身、東大阪市立西堤小学校、東大阪市立新喜多中学校、京都外国語大学卒業。また、16歳の時にニュージーランドに留学。Waiuku Collegeに在籍していた。 1996年12月12日、大阪府で生まれ、東大阪市で育つ。 2013年、母親が勝手に手続きをしたことをきっかけに、アルファベットすらまともに書けない状態で16歳の時に単身ニュージーランドへ留学。
HOKKIEE(ホキ、1994年 - )は、日本のファッショ… HOKKIEE(ホキ、1994年 - )は、日本のファッションデザイナー。ZSCの創業者。 大阪府枚方市に生まれる。幼少期より身につけるものに人一倍こだわりが強かった。7歳頃から数年間近所の絵画教室に通う。 11歳頃から『スター・ウォーズ』のフィギュアの収集を開始し、ほどなくしてインターネット上で売買を開始する。その後幼い頃から好きだったファッションに魅了され、古着屋に通い詰めるようになる。 自宅に収まりきれなくなったコレクションを放出する形でZSCをオープン。その後、それまで蓄えた見識をアウトプットするためのレーベル「HOKITA」を設立。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
KANAME HAMADA(かなめ はまだ、1989年5月3… KANAME HAMADA(かなめ はまだ、1989年5月30日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、レタッチャー、イラストレーター、コピーライター。缶バッジブランド0530ZeroGoSanZeroのデザイナー。LYOKALANET PROJECT(リオカラネットプロジェクト)のプロデューサー。
中西 和也(なかにし かずや、1985年2月28日- )は、… 中西 和也(なかにし かずや、1985年2月28日- )は、日本の社会起業家、コミュニティデザイナー。いえしま案内人。いえしまコンシェルジュ合同会社代表社員。 二級建築士。1級土木施工管理技士。宅地建物取引士。国内旅行業務取扱管理者。 建築・観光・コミュニティデザインの観点から人口減少地域におけるまちづくりに取り組む。 大阪市出身。熊本県立大学出身。 2011年より、兵庫県姫路市にある離島家島に移住し活動を開始。 2011年より、いえしまガイドを実施。 2015年より、男鹿島うみのいえのオーナー。 2017年より、二地域居住の新しいあり方「週末島活」を提唱。 2018年より、海がみえるカフェスコットの運営。
大野 新(おおの あらた、男性、1981年4月 - )は、大… 大野 新(おおの あらた、男性、1981年4月 - )は、大阪府出身のデザイナー。株式会社Borderlessの代表取締役。 大阪府立八尾高等学校卒業後、東京芸術大学美術学部デザイン科に進学・卒業。GK Dynamicsに入社。2012年に独立し、株式会社Borderlessを設立、同社代表取締役に就任。 GK Dynamics所属時、主に担当したデザインは以下のとおり。 http://red-dot.de/pd/online-exhibition/work/?lang=en&code=2013-16-8239&y=2013&c=166&a=1000 http://elecom-compe.jp/
角田 貴志(すみた たかし、1978年3月2日 - )は、日… 角田 貴志(すみた たかし、1978年3月2日 - )は、日本の俳優、デザイナー、脚本家である。大阪府出身。京都を拠点に活動する劇団「ヨーロッパ企画」に所属。 2004年の第16回公演「インテル入ってない」よりヨーロッパ企画に参加。ヨーロッパ企画の母体となった同志社大学の同志社小劇場出身ではなく、土佐和成、西村直子とともにオーディション入団1期生。オーディション合格にあたってはイラストが描けることが決め手となった。筋トレに励んでおり、ベンチプレスで100kgを上げることができる。 ヨーロッパ企画の舞台の出演については「ヨーロッパ企画#演劇公演」を参照 出演も兼ねる場合は出演項目参照。
ka-yu(カーユ、本名:松本 和之(まつもと かずゆき)、… ka-yu(カーユ、本名:松本 和之(まつもと かずゆき)、1975年1月21日 - )は、日本のベーシスト、デザイナー。ロックバンド・Janne Da Arcの元メンバー。大阪府枚方市出身。大阪府立城東工業高等学校中退。 1988年、エレキギターをたくさん持っていた親戚のおじさんに「1本ちょうだい」と言い、フェンダーの白いストラトキャスターを貰ったことから音楽人生が始まる。同時に小学校、中学校で一緒だったyasu、youとバンドを組み、Xのコピーに勤しむが、中学3年生のときに脱退。その後、BOØWYの松井常松に影響を受けてベースを始める。最初に使用したベースはレスポール・ジュニアでyasuの兄の友達に売ってもらった。
北山 友之(きたやま ともゆき、1974年10月12日 - … 北山 友之(きたやま ともゆき、1974年10月12日 - )は、大阪府出身のデザイナー。 「October Beast」代表、「XROSSCOUNTER」デザイナー、YouTubeチャンネル「ザ・ノイジーズ」メインパーソナリティ。 初芝高等学校卒業、1998年追手門学院大学経済学部経済学科を卒業しリコーに入社。1999年マーズ・コーポレーションにハンティングされ入社し、翌年代表取締役社長兼COOに就任。Tシャツブランド「マーズ・シックスティーン」を設立。ECCコンピュータ専門学校臨時講師、宮城県ベンチャー評議委員、映画秘宝、ゲームラボでライターとしても活動開始。 2009年、映画・ゲーム・アニメ・漫画・音楽から精神世界まで、あらゆるキーワードで自分が好きなことだけノンストップで語りつくすネットラジオ「ザ・ノイジーズ」放送開始。
カッサイマサト(かっさいまさと、1972年7月17日 - )… カッサイマサト(かっさいまさと、1972年7月17日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、アートディレクター。グラフィックデザインチーム「McLangur」代表。日本のバンド「CURIO」の元ベーシスト。CDジャケット・ウェブサイト・ロゴデザイン・ツアーグッズなどのデザイン制作をメインに活動中。 大阪府堺市出身。1995年、ベーシストとしてバンド「CURIO」に参加。大阪にて精力的な活動を続け動員を増やし、1997年上京、EPICソニーからデビュー。2000年、CURIOの活動休止期間中より独学でグラフィックデザインを始め、自身のデザインチームを設立。2006年活動拠点を東京から沖縄に移し、およそ3年間の沖縄での制作活動を経た後、再び活動拠点を東京に移す。
小篠 ゆま(こしの ゆま、出生名同じ、本名:米田 由実〔ゆま… 小篠 ゆま(こしの ゆま、出生名同じ、本名:米田 由実〔ゆま〕、1968年5月17日 - )は、日本のファッションデザイナー。 「ユマコシノ (YUMA KOSHINO)」のブランドを持つ(株式会社ユマコシノ アソシエイツ代表取締役)。 コシノヒロコの次女。大阪府大阪市出身。 神戸の私立松蔭中学校・高等学校を卒業。 1987年(昭和62年)4月、文化女子短期大学(現・文化学園大学短期大学部)服飾学科に入学。 2年間学んだ後、(母の出身校である)文化服装学院服飾研究科に進学。 1990年(平成2年)の卒業後に渡仏。母のパリ事務所の派遣社員として1991年(平成3年)、高田賢三のパリのアトリエで1年半修業。
嘉名 光市(かな こういち、1968年5月3日 - )は日本… 嘉名 光市(かな こういち、1968年5月3日 - )は日本の都市計画家、アーバンデザイナー、都市計画研究者、景観研究者である。 一級建築士、技術士建設部門(都市及び地方計画)、博士(工学)。大阪公立大学大学院工学研究科都市系専攻教授(都市計画研究室)。都市計画、都市デザイン、景観論、都市計画・デザイン史、都市再生論、エリアマネジメント。京阪神を中心に多くの都市再生プロジェクトに携わる。 大阪府河内長野市に生まれる。大阪府立生野高等学校を経て、1992年3月に東京工業大学工学部社会工学科を卒業(在学中は中村良夫の研究室に所属)。卒業後の1992年4月より、三和総合研究所研究開発本部の研究員となる。
森田 恭通(もりた やすみち、1967年12月19日 - )… 森田 恭通(もりた やすみち、1967年12月19日 - )は、日本のインテリアデザイナー。日本国内のみならず、ニューヨークや香港など、海外でも多くのプロジェクトを手がけている。 大阪府茨木市生まれ。10代の頃から、ウィンドウディスプレイのアルバイトなど内装の仕事に関わると共に、1989年、八代学院大学(現・神戸国際大学)に在学中、神戸・三宮のバー「COOL」のインテリアを手がけ、専門誌で脚光を浴びる。これが本格的なデビュー作となる。大学卒業後、大阪のデザイン会社(株)イマジンに就職。チーフデザイナーを務める。1996年、森田恭通デザインオフィス設立。1990年代には、岡田賢一郎が代表をつとめる外食産業、ちゃんととタッグを組んで、大阪市内で「新中華菜々 熱烈食堂」や「Ken's Dining(ケンズダイニング)」などの内装を手掛け、時代の寵児となる。
安井 重哉(やすい しげや、1967年 - )は、日本の研究… 安井 重哉(やすい しげや、1967年 - )は、日本の研究者、デザイナー、大学教員。ソニーのパーソナルコンピュータVAIOなどのUIデザイン、UXデザインを開発、グッドデザイン賞やドイツiFデザイン賞などを受賞。人間の五感に基づくハプティクスハプティックデザイン(触覚デザイン)を研究している。 大阪府八尾市出身。1985年大阪府立清水谷高等学校卒業。1991年筑波大学芸術専門学群卒業。1993年筑波大学大学院芸術研究科修了、修士(デザイン学)の学位を取得後、ソニー入社。パーソナルコンピュータVAIOをはじめAV機器のGUI、UIデザイン、UXデザインを開発。2012年から公立はこだて未来大学教授(情報アーキテクチャ学科)。
沖浦 啓之(おきうら ひろゆき、1966年10月13日 - … 沖浦 啓之(おきうら ひろゆき、1966年10月13日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメーション監督。大阪府交野市出身。妻は俳優・声優の武藤寿美。民俗学者の沖浦和光は叔父にあたる。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。スタジオカラー所属。 幼少の頃から漫画家になりたくて、小学生時代はずっとマンガを描いていた。その頃にアニメーションの仕組みに興味を持ち、小学校を卒業した春に友人と二人で初めてアニメを制作する。中学生になってからは、2人で学校にアニメーション同好会を作らせてもらい、毎年文化祭に向けて1年かけて作品を作るという事を3年間続けた。 1982年、当時テレビアニメ『太陽の牙ダグラム』で突出した作画を披露していた谷口守泰が主宰するアニメ制作会社アニメアールが大阪にあると知り、高校を休学して16歳で入社する。
有村 淳(ありむら じゅん、1966年4月6日 - )は、日… 有村 淳(ありむら じゅん、1966年4月6日 - )は、日本の衣裳デザイナー。宝塚歌劇団所属。 1966年、大阪府大阪市に生まれる。 1988年、マロニエファッションデザイン専門学校ファッションデザイン学科を卒業し、アパレルメーカー・ライカに入社。 1991年、宝塚歌劇団に入団。衣装補として活動を始める。 1993年、雪組公演『TAKE OFF』で衣装デザイナーとしてデビューする。 1996年、雪組公演『エリザベート -愛と死の輪舞-』の衣装を手掛け、注目を集める。 『モーツァルト!』『マリー・アントワネット』など外部の公演においても衣裳デザイナーとして活動する。 2014年、第21回読売演劇大賞・優秀スタッフ賞を受賞。
吉松 孝博(よしまつ たかひろ、1965年8月27日 - )… 吉松 孝博(よしまつ たかひろ、1965年8月27日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。大阪府出身。大阪府立東豊中高等学校卒業。スタジオ・ライブ所属。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。サムシング吉松のペンネームで、漫画家としても活動している。 中学時代は美術部に所属し、アニメーションを製作、高校に入り、ダイコンフィルムの影響を受け、本格的にセルアニメを作り始める。この時のメンバーには椎名高志がいる。なお、椎名は大阪府立箕面高等学校卒業。後に椎名は吉松がキャラクターデザインを担当した『大江戸ロケット』にゲストデザインとして参加したほか、椎名の漫画を原作としたアニメ版『絶対可憐チルドレン』では、吉松がオープニングの原画を担当している。
逢坂 浩司(おうさか ひろし、1963年6月20日 - 20… 逢坂 浩司(おうさか ひろし、1963年6月20日 - 2007年9月24日)は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、イラストレーター。株式会社ボンズ取締役。大阪府寝屋川市出身。嵯峨美術短期大学卒業。 別名義として、才谷梅太郎や大阪太郎がある。 谷口守泰に師事。1983年、短大生の頃からアルバイトで、谷口が主宰する作画スタジオ「アニメアール」においてサンライズ製作のアニメに参加。 毛利和昭、加瀬政広、貴志夫美子、吉田徹、柳沢まさひで、沖浦啓之、黄瀬和哉らとアニメアール黄金期を彩ったスター・アニメーターの1人。またアール時代の後輩、木村貴宏は逢坂を師匠と仰いでいた。 1991年にアニメアールを退社。
季里(きり、1961年 - )は、CGアーティスト、アニメー… 季里(きり、1961年 - )は、CGアーティスト、アニメーター、キャラクターデザイナー。ビジュアルプロデューサーという肩書きで活動するクリエーターである。 大阪府立大手前高等学校を経て、1984年に大阪教育大学美術学科卒業。大学4年生の時に黎明期のCGを牽引していた大村皓一率いる大阪大学工学部電子工学科CGグループに研究生として参加し作品制作を開始。 NICOGRAPH'83で優秀賞を受賞後、松浦雅也とコラボレーションを始める。CGアーティストとして「ひらけ!ポンキッキ」「ひとりでできるもん!」「音楽ファンタジー・ゆめ」「みんなのうた」などの子供向け番組にキャラクターやアニメーションを多数提供。
山形 季央(やまがた としお、1953年2月25日 - )は… 山形 季央(やまがた としお、1953年2月25日 - )は日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー。 元資生堂宣伝制作室長・部長。元多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授(〜2020)、大阪芸術大学グラフィックデザイン学科客員教授。 1953年、大阪府大阪市生まれ。 1976年、大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業。同年、株式会社資生堂にグラフィックデザイナーとして入社。 1982年、宣伝部初代アートディレクターとしてパリに駐在。セルジュ・ルタンスと資生堂のグローバル・イメージ・キャンペーンを共創。( - 1986年) 1987年、アートディレクターとして、イプサや資生堂ホワイテスの立ち上げ、資生堂の国内外ブランドの広告やコミュニケーションデザインを担当。
中村 史郎(なかむら しろう、1950年10月17日 - )… 中村 史郎(なかむら しろう、1950年10月17日 - )は、日本のカーデザイナー、工業デザイナー。 大阪府出身。武蔵野美術大学工業デザイン専攻卒業。 ジェミニ(3代目)、ビークロス(ただし1993年発表のコンセプトカーのみ。)、ウィザード/ミュー(2代目)のチーフデザイナーとして参画。 いすゞ自動車時代より、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインでの派遣留学、ゼネラルモーターズアドバンスデザインスタジオやいすゞヨーロッパエンジニアリング時代の経験や人脈を評価され、海外のヘッドハンティング会社を通じて日産自動車に移籍した。なお、この日産自動車への移籍に当たっては、1999年10月に行われたが、実際にヘッドハンティングの会社から打診があったのは同年6月末と本人が語っている。
宮後 浩(みやご ひろし、1946年1月 - )は、日本のデ… 宮後 浩(みやご ひろし、1946年1月 - )は、日本のデザイナー。芸術学博士。株式会社コラムデザインセンターならびに株式会社コラムデザインスクール代表取締役。 建築パースを中心に、店舗、工場などのデザインから企業CI(コーポレートアイデンティティ)のデザインコンサルティングなど幅広く手がける。 関西での手描き建築パース制作の第一人者として、建築デザインの実践的教育をめざし教育業務にも力を入れている。 現在、デザイン業務の傍ら、近畿大学理工学部建築学科、スペースデザインカレッジ京都校など各種学校等で講師、講演を勤める。 建築図面製作技能検定の大阪府技能検定委員 インテリア産業協会インテリアコーディネートコンテスト審査員 自分の作品に押印するために趣味として始めた篆刻で、2003年には日展(日本美術展覧会)の入選を果たす。
野井 成正(のい しげまさ、1944年11月17日 - 20… 野井 成正(のい しげまさ、1944年11月17日 - 2022年8月17日)は日本のインテリアデザイナー。インテルナ・カガヤ、インテリアデザインオフィス・ノブ、ジーベックを経て1982年に個人アトリエ設立。以後、関西圏を中心に主に飲食、物販店舗など商業空間のインテリアデザインを手がける。 1944年11月17日に疎開先の大阪府東大阪市で生まれる。1960年に大阪府立西野田工業高校(現・大阪府立西野田工科高等学校)デザイン課に入学。1963年頃から中之島 (大阪府)のグタイピナコテカに通い、向井修二の制作などを手伝いながら具体美術の活動に触れる。1965年に展示会、ウィンドウディスプレイの制作を手がけはじめ、1967年からはインテルナ・カガヤで店舗のインテリアデザインやディスプレイデザインに携わる。
西角 友宏(にしかど ともひろ、1944年3月31日 - )… 西角 友宏(にしかど ともひろ、1944年3月31日 - )は、日本のゲームデザイナー・ゲームクリエイター。株式会社タイトー アミューズメント開発部アドバイザー。株式会社ドリームス創業者・元会長。ゲーム保存協会名誉会員。 『スペースインベーダー』の生みの親として知られる。 大阪府岸和田市出身。東京電機大学工学部電気通信工学科卒業後、音響メーカーに就職。後に1969年にタイトーの子会社であるパシフィック工業に入社、吸収によりタイトーに移籍となっている。 元々、エレメカのエンジニアを務めていたが、『ポン』やCPUの存在を知った時「これからはゲームの度に部品を全て作り直すのでなく、集積回路のデータを書き換えるだけで、ゲームバランスの調整や新ゲームの作成が楽になる」というメリットを見抜いており、日本のアーケードビデオゲーム黎明期において、後述する傑作を何作も手がけた。
コシノ ジュンコ(1939年〈昭和14年〉8月25日 - )… コシノ ジュンコ(1939年〈昭和14年〉8月25日 - )は、日本のデザイナー。JUNKO KOSHINO株式会社所属、BiS終身名誉メンバー、文化功労者。文化勲章受章者。本名は鈴木 順子(すずき じゅんこ)。旧姓は小篠(こしの)。 大阪府岸和田市出身のデザイナーである。京都美術工芸大学客員教授を兼任し、アイドルグループ「BiS」の終身名誉メンバーでもある。 母の小篠綾子のほか、姉コシノヒロコ(小篠弘子)と妹コシノミチコ(小篠美智子)も同じくファッションデザイナーであり、「コシノ三姉妹」として知られる。姪の小篠ゆま(ヒロコの娘)も同じくファッションデザイナーである。夫の鈴木弘之は「JUNKO KOSHINO株式会社」の代表取締役も務める一方で写真家としても活躍。
長友 啓典(ながとも けいすけ、1939年4月8日 - 20… 長友 啓典(ながとも けいすけ、1939年4月8日 - 2017年3月4日)は、日本のグラフィックデザイナー。東京造形大学客員教授。 大阪府大阪市阿倍野区に生まれる。大阪府立天王寺高等学校卒業後、浜松市に本社を置く鉄工所に旋盤工としての勤務を経て上京し、倉庫番、機械の修理工など職を転々とする。 20歳の時、当時勤務していた会社の社長の息子がアメリカ帰りのグラフィックデザイナーだったことから、当時桑沢デザイン研究所を紹介され、ここで恩師・田中一光に出会うと共に、田中からエディトリアルデザインを学ぶ。日宣美の入選を経て、田中に早川良雄を紹介され、早川の下で色彩感覚を身につける。またここでのちにK2を設立することになる黒田征太郎と出会う(のちに黒田は武者修行として一年半の間、ニューヨークへ渡る)。
中辻悦子 (なかつじえつこ、本名:元永悦子、1937年2月1… 中辻悦子 (なかつじえつこ、本名:元永悦子、1937年2月12日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、造形作家、絵本作家。 大阪府生まれ。大阪府立三国丘高等学校卒業。夫は元永定正で、夫の作品にグラフィックデザイナーとして協力することもあり、ふたりの作品展「元永定正 中辻悦子 絵本原画展」も開催。 1991年、『もけら もけら』(山下洋輔:文、元永定正:絵、中辻悦子:構成)で第14回絵本にっぽん賞(現・日本絵本賞)を受賞。 1999年、『よるのようちえん』(谷川俊太郎:文、中辻悦子:絵・写真)で第17回ブラティスラヴァ世界絵本原画展のグランプリを受賞。 2001年には神戸市なぎさ公園のモニュメント「夢きずな」、2005年には明石市民夏まつり事故の碑「いれぶんはーと」を元永定正と合作。
コシノ ヒロコ(本名:小篠 弘子(読み同じ)、1937年〈昭… コシノ ヒロコ(本名:小篠 弘子(読み同じ)、1937年〈昭和12年〉1月15日 - )は、日本のファッションデザイナー。大阪府岸和田市五軒屋町出身。関西大学客員教授、神戸芸術工科大学客員教授、神戸松蔭女子学院大学客員教授。血液型A型。 父は小篠家に婿入りした紳士服職人の川崎武一(かわさき たけいち)(1912 - 1945)。母は同じくファッションデザイナーの小篠綾子。同じくファッションデザイナーの妹コシノジュンコ(小篠順子)、コシノミチコ(小篠美智子)とともに「コシノ三姉妹」として知られる。娘(次女)の小篠ゆまもファッションデザイナーである。長女の小篠由佳は株式会社ヒロココシノの代表取締役社長。
宮本 貞雄(みやもと さだお、1937年 - 2024年1月… 宮本 貞雄(みやもと さだお、1937年 - 2024年1月9日)は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アートデザイナー。 1957年、コマーシャル制作会社一光社に入社する。その後大阪コマーシャルフィルム、クレア工房、ムービースタジオ、グラフィック社のプロダクションで、ナショナル冷蔵庫、シャープテレビ、仁丹、カネボウ、レナウン、タイガー魔法瓶、ロート目薬、礒自慢など7年間で約200本のコマーシャルフィルムを制作する。 1964年、虫プロダクションにアニメーターとして入社する。『鉄腕アトム』、『悟空の大冒険』、『リボンの騎士』、『アニマル1』、長篇アニメ『千夜一夜物語』、アメリカ合作『フロスティ・ザ・スノーマン〜温かい雪だるま』の原画や作画監督を務めた。
和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 … 和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 - 2019年〈令和元年〉10月7日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督。大阪府生まれ。 実父は築地小劇場の創立者メンバーの1人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精。日劇レビューで演出家を担った山本紫朗は伯父にあたる。 妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。長男はロックバンド・TRICERATOPSの和田唱で、その妻は上野樹里。次男の和田率は元電通勤務で、現在は母・平野レミの料理サイト「remy」のクリエイティブ・ディレクター。率の妻は和田明日香。 父である精が勤務していたJOBK(現在のNHK大阪放送局)の当時の赴任地である大阪市東住吉区で生まれる。
安斉 敦子(あんざい あつこ、1936年 - )は、日本のデ… 安斉 敦子(あんざい あつこ、1936年 - )は、日本のデザイナー。 大阪市立工芸高等学校(現:大阪府立工芸高等学校)の図案科で、グラフィックデザインを学ぶ。 1955年、上京して亀倉雄策に師事し、亀倉らが設立した日本デザインセンターにグラフィックデザイナーとして入社する。 1964年東京オリンピックでは、デザイン・ガイド・シート作成の一員となった。 この年の5月には渡仏し、パリでファッションデザイナーの高田賢三と友人になる。
森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日… 森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日本の服飾デザイナー、エッセイスト。日本に「リフォーム」という言葉を根付かせたとされ、また布の蒐集家としても知られる。 大阪府大阪市出身。大阪府立北野高等学校卒。本名は松村南海子。戦後まもなく、南海子が小学6年生のとき父が死去し、母と二人で生活する。母・しまは甘粕の出身で甘粕正彦と甘粕重太郎とは従兄弟の関係であり、甘粕石介は母の弟で、南海子の叔父にあたる。 1958年に、大阪の阪神百貨店の洋服売り場で当時「お直し」や「修繕」と言われていた洋服のリフォームの店を出した。「手縫い塾」を主宰し、ホテル阪神の地下にも店を持った。 また、確実な収入源として、1959年にリフォームの店と同じ阪神百貨店の地下に食堂「天ぷら森」を開いた。
永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20… 永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20日 - 2026年〈令和8年〉2月23日)は、日本のグラフィックデザイナー。大阪府大阪市出身。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)二代目会長。息子はHAKUHODO DESIGN(博報堂デザイン)代表取締役社長の永井一史。 日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員。
木村 恒久(きむら つねひさ、1928年5月30日 - 20… 木村 恒久(きむら つねひさ、1928年5月30日 - 2008年12月27日)は、日本のグラフィックデザイナー。東京造形大学客員教授。 大阪市出身。1946年に大阪市立工芸学校(現・市立工芸高校)図案科卒。1950年代にかけて大阪で精力的にデザイン制作や批評活動を展開、永井一正、片山利弘、田中一光らとともに「若手四天王」と称された。 1960年に上京し日本デザインセンターに入社、1964年に独立する。この間の1962年、日本建築家協会主催の「モデュール展」で原弘と共同制作を行い、ADC銅賞を受賞している。1964年の東京オリンピックではピクトグラムの制作に携わっている。 1966年には、前年に宇野亜喜良、永井一正、和田誠らとともに開催した展覧会「ペルソナ」で毎日産業デザイン賞を受賞している。
鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日… 鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日 - 1991年3月18日)は、日本の下着デザイナー。 スキャンティーの命名者とされる。洋画家の鴨居玲は弟。 大阪府豊中市生まれ。父はジャーナリストの鴨居悠。 幼少期から子供時代の大半を石川県金沢市で過ごす。 豊中高等女学校(現・大阪府立桜塚高等学校)卒業。 旧制大阪府女子専門学校(大阪女子大学)国文科卒業。 新関西(夕刊紙)の校正係・家庭欄記者や、大阪読売新聞の学芸課記者を経て、独立。 3万円の退職金を元手に、下着デザイン・製造販売に着手。 1956年(昭和31年)1月、大阪市内に「チュニック制作室」という下着メーカーを設立(1958年に株式会社化)。
早川 良雄(はやかわ よしお、1917年2月13日 - 20… 早川 良雄(はやかわ よしお、1917年2月13日 - 2009年3月28日)は、昭和期の日本を代表するグラフィックデザイナー。それぞれに違う色彩と描かれ方の違うパーツからなる『女の顔』シリーズ(1985年 - )や、独特の形態、配置から構成されるポスター作品などが特徴とされる。 1917年大阪府に生まれる。大阪市立工芸学校(現・大阪市立工芸高校)図案科(現在はビジュアルデザイン科・プロダクトデザイン科・インテリアデザイン科に分科)卒(1936年卒)。敗戦後、百貨店の三越などの広告部のデザイナーを経てグラフィックデザイナーとして独立、以後海外の国際的なデザインプロジェクトなどに精力的に関わる。 デザイナーとして、今日では伝説的ともいえる斬新なポスター・広告を多数製作、戦後日本のモダニズムを表現し、一躍注目を集めた。
小篠 綾子(こしの あやこ、1913年(大正2年)6月15日… 小篠 綾子(こしの あやこ、1913年(大正2年)6月15日 - 2006年(平成18年)3月26日)は、日本のファッションデザイナーである。同じくファッションデザイナーとなったコシノ三姉妹(コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコ)の母親としても知られる。
西田 亜沙子(にしだ あさこ、12月2日 - )は、日本のア… 西田 亜沙子(にしだ あさこ、12月2日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。大阪府出身。 大阪市立工芸高等学校図案科(現・ビジュアルデザイン科)卒業。夫は同じくアニメーターの中谷誠一。AS(アズ)、中谷 亜沙子(なかたに あさこ)という別名義を使うこともある。
中井 久実代(なかい くみよ、7月8日 - )は、日本のグラ… 中井 久実代(なかい くみよ、7月8日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。 大阪府八尾市出身。同志社女子中学校、同志社女子高等学校を経て京都芸術短期大学(前京都造形芸術大学・現京都芸術大学)に入学。 卒業後、大阪の広告制作プロダクションにグラフィックデザイナーとして入社するも、一年足らずで退社しフリーランサーに転向。 1994年漫画家デビューし、上京。 2004年に結婚、女児を出産。 「中井久実代」はクリエイター屋号となる。 コミュニケーションデザインを得意とし、クリエイティビティをPTA活動に生かして教育シーンにも還元。 2016年東京都地域の底力再生事業助成対象事業として、「地域をあげてこどもたちの夢を応援!こどもたちの夢をかなえるまち」を企画運営。
堀畑 裕之(ほりはた ひろゆき)は日本のファッションデザイナ… 堀畑 裕之(ほりはた ひろゆき)は日本のファッションデザイナー。大阪府堺市出身。現在は東京都在住。 浪速高校卒業後、同志社大学文学部に進み、同大学院でドイツ哲学を専攻。大学院時に、KCI主催の「モードのジャポニスム展」でモードに強い興味を抱き、また、哲学者鷲田清一のモード関連の著作にも影響を受けた。 1995年、文化服装学院アパレルデザイン科に入学。後にパートナーとなる関口真希子と出会う。 1998年、株式会社コム・デ・ギャルソン入社、パタンナーとして川久保玲によるレディースのパリコレクションラインを担当。 2003年、コム・デ・ギャルソンを退社し、ロンドンに移住。トルコ人デザイナーBora Aksuのロンドンコレクションに携わる。
井川 啓(いかわ けい)は、日本のアートディレクター、グラフ… 井川 啓(いかわ けい)は、日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー。ブランディング、宣伝・広告、Web、書籍、空間ディスプレイ、ユニバーサルデザインの商品開発などに携わる。 大阪ガスネットワーク株式会社 エネルギー・文化研究所 客員研究員 京都市みやこユニバーサルデザイン審議会 会長などを歴任 現在、IKAWA INTER DESIGN DIRECTION 代表 大阪府池田市生まれ。兵庫県立川西緑台高等学校、愛知県立芸術大学美術学部デザイン専攻卒業。株式会社資生堂宣伝部に入社。 その後独立し、株式会社井川啓デザイン室設立 ・東京アートディレクターズクラブ賞 ・朝日広告賞、電通広告賞、読売広告大賞 各入賞 ・日本ディスプレイデザイン協会 優秀賞 ・日本印刷産業連合会会長賞 ・文化庁著作権制度100周年シンボルマークコンペ 優勝 など
一森育郎 Ikuo Ichimoriはジュエリーデザイナー。… 一森育郎 Ikuo Ichimoriはジュエリーデザイナー。アクセサリーブランド『IKUO』をヨーロッパ、日本で展開している。日本人唯一のフランス工芸家協会正会員。1968年よりフランス パリに在住し、春夏、秋冬の毎シーズン、アクセサリーコレクションを発表している。アトリエはパリ(Paris France)と、フランス中部のメイエ(Meillers France)。日仏、日欧の文化活動、アーティストの交流にも尽力を注いでいる。 1946年に大阪府堺市に生まれる。関東学院大学経済学部、1年在学。東京日本デザイナー学院、立体彫刻を専攻。 1968年に渡仏し、フランス中部の町・ツールの語学学校に入学。