黒瀬 珂瀾(くろせ からん、1977年7月22日 - )は、… 黒瀬 珂瀾(くろせ からん、1977年7月22日 - )は、日本の歌人・僧侶。 大阪府豊中市生まれ。大阪星光学院高等学校卒業後、大阪大学文学部比較文学専攻卒、同大学院文学研究科修士課程修了。在学中は京都大学短歌会に参加した。 師・春日井建の影響を強く受けた耽美的世界観が特徴的だった初期の歌風から、岡井隆の影響が濃い修辞主体の写生的な作風に変貌しつつある。また、オタク文化を始めとするサブカルチャーに造詣が深いことでも知られる。映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』の俳句監修を担当した。第五回まで開催された文学フリマ金沢の実行委員も務めていた。浄土真宗本願寺派の僧籍を持ち、富山県富山市の寺院願念寺の住職。
道野 真弘(みちの まさひろ、1967年 - )は、日本の商… 道野 真弘(みちの まさひろ、1967年 - )は、日本の商法学者、浄土真宗の僧侶。専門は商法、会社法。大阪の超願寺の住職も務める。 大阪市出身。大阪市立大学法学部卒業、立命館大学大学院法学研究科民事法専攻博士課程後期課程単位取得退学。1997年から2008年まで小樽商科大学助教授(准教授)を務めたのち、2008年に近畿大学法学部准教授、2009年より教授を務める。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
添田 隆昭(そえだ りゅうしょう 1947年 - )は、日本… 添田 隆昭(そえだ りゅうしょう 1947年 - )は、日本の高野山真言宗の僧(同派元宗務総長)、高野山大学教授・学長・理事長。母は日本宿坊ビジネスの元祖添田清美。 和歌山大学学芸学部附属中学校卒業、大阪府立北野高等学校卒業、京都大学文学部卒業、高野山大学大学院博士課程単位取得退学。 1961年蓮華定院で剃髪、度牒。1987年蓮華定院住職に就任。2007年権大僧正に補任。 2013年6月25日に金剛峯寺で宗務総長であった庄野光昭の後任を決める選挙会が行われ、添田隆昭が選ばれた。任期は7月5日から4年間。2017年には宗務総長に再任され、2021年まで務める。 高野山大学教授。高野山高等学校校長、学校法人高野山学園理事長を歴任。
上場 顕雄(うえば あきお、けんゆう1946年6月20日 -… 上場 顕雄(うえば あきお、けんゆう1946年6月20日 - )は、浄土真宗の僧侶。 大阪市生まれ。大阪市生野区の真宗大谷派圓徳寺前住職。(第18代目) 大阪市立巽小学校、大阪市立天王寺中学校、夕陽丘高校卒業後、大谷大学文学部へ進学。 1970年 大谷大学文学部史学科卒、75年同大学院博士課程満期退学。 2004年 「近世真宗教団と地域社会」で大谷大学文学博士の学位を取得。 近畿大学講師、大谷大学講師を経て、元東本願寺教学研究所嘱託研究員。 大阪教区教化センター歴史研究班元主任研究員。 自身には著書6冊、共同著書は約20冊ある。 1986年 (昭和61年)第18代圓徳寺住職に就任。 2019年 (令和元年)に、第19代に住職を継職した。
田中 典彦(たなか のりひこ、1944年4月24日 - )は… 田中 典彦(たなか のりひこ、1944年4月24日 - )は、日本の仏教学者、浄土宗僧侶(孝恩寺住職)。佛教大学学長を務めた。専門はインド哲学のバラモン六派哲学、原始仏教研究。 大阪府貝塚市出身。インド国立ヴィシュバ・バーラティ大学哲学科PhDコース単位取得満期退学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤田 徹文(ふじた てつぶん、1941年-2024年)は、浄… 藤田 徹文(ふじた てつぶん、1941年-2024年)は、浄土真宗の僧。 大阪市生まれ。龍谷大学大学院(真宗学専攻)修了。本願寺派基幹運動本部事務室部長、浄土真宗本願寺派伝道院部長・主任講師を経て、備後教区光徳寺前住職、本願寺派布教使。
山田 龍真(やまだ りゅうしん、1941年 -)は、大阪府出… 山田 龍真(やまだ りゅうしん、1941年 -)は、大阪府出身の修験道行者、僧侶。求菩堤山奥之院住職。求菩提山千日回峰行者(大行満)。 1941年、大阪府布施市(現・東大阪市)生まれ。1960年、19歳で父親の経営する鮮魚店を継ぎ、店舗拡大、結婚、3人の子宝に恵まれながら順風満帆な人生を送る。 27歳の時、全身に激痛を伴う原因不明の病に倒れ、やむなく店舗と住居を捨てて福岡県行橋市に移住。その地で生涯の師・丸塚法現との出会い、亡母の供養を行ったところ、一晩で病が完治するという奇跡を体験。この一件をきっかけに、30歳で出家得度。教学を8年間学ぶ。 1976年、39歳で伝法灌頂を受け、阿闍梨となる。 1980年4月、求菩提山頂七日間断食般若心経一万巻転読。
松尾 心空(まつお しんくう、1928年11月29日 - 2… 松尾 心空(まつお しんくう、1928年11月29日 - 2021年7月17日)は、真言宗の僧侶。西国三十三所観音霊場29番札所・真言宗醍醐派に属する青葉山松尾寺の名誉住職。舞鶴文化教育財団理事。 放送界、種々講演会、出版で活躍。徒歩巡礼の会「アリの会」主宰で西国三十三所の古道巡礼道を徒歩で何度も巡っている。「徒歩で札所を巡ることは、『心の田を耕すことだ』」という。 特定非営利活動法人西国古道ウォーキングサポート顧問も務めた。大阪府堺市生まれ。 現代に生きる CD全12巻の第11巻『人生往来手形』ユーキャン 「『苦』とは、はなはだしいこと 縁あって得た人生の往来手形 この世の間借り人として」ほか全9話 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。
松島 茂雄(まつしま しげお、1924年(大正13年)4月1… 松島 茂雄(まつしま しげお、1924年(大正13年)4月14日 -1982年(昭和57年)11月2日)は、日本の実業家、美容指導者、和装教育者、ヨガ指導者、文学士、美容師、僧侶。本名 松嶌茂雄。 関西学院大学卒業後、東宝撮影所・美粧部に勤務。退職後、美容研究会・日本尚美会を発会、会長に就任。和装教育団体・全日本和装協会、ヨガ健康法普及団体・国際ヨガ協会を創立。連合会会長として各会の指導・運営に当たる。株式会社尚美会・代表取締役。宗教法人神通山千光院・院主。 1924年〈大正13年〉4月14日、大阪府豊中市に松嶌伊左衛門の長男として誕生。旧制豊中中学・剣道部で全国制覇するなど活躍。関西学院大学・文学部在学中からスポーツ新聞や美術写真集、雑誌 「文芸復興」などの出版事業を手掛ける。
松浦 行真(まつうら こうしん、1923年1月24日 - 1… 松浦 行真(まつうら こうしん、1923年1月24日 - 1991年4月25日)は、大阪市出身の日本の作家、産経新聞記者、浄土宗の僧侶。 大阪市生まれ。大正大学二年修了。1946年産経新聞入社、のちフリー。『風が燃えた』『熱い嵐』は、1978-79年にテレビドラマ化された。
高橋 勇夫(たかはし いさお、1920年3月11日 - 19… 高橋 勇夫(たかはし いさお、1920年3月11日 - 1998年)は、日蓮宗の僧、仏教学者。 大阪市西成区生まれ。大阪府立住吉中学校(現大阪府立住吉高等学校)卒業、東洋大学文学部仏教学科卒業。兵役をへて、1948年大谷学園教諭。1964年から1977年東大谷高等学校副校長、大谷女子短期大学教授などを務めた。日蓮本宗正福寺住職。個人誌『菩提樹』主宰。
雲井 昭善(くもい しょうぜん/あきよし、1915年12月2… 雲井 昭善(くもい しょうぜん/あきよし、1915年12月24日 - 2017年12月5日)は、日本の僧侶、仏教学者。大谷大学名誉教授。インド学・仏教学専攻。 大阪府和泉市出身。1941年大谷大学文学部仏教学科卒。1961年「佛教と社会的基盤の研究」で東京大学文学博士。1956年大谷大学助教授、61年教授、86年定年、名誉教授、佛教大学教授。75-81年日本学術会議会員。2000年仏教伝道文化賞受賞。享年101。
西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月… 西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月4日 - 2003年(平成15年)12月2日)は、日本の仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授。勲三等瑞宝章。前名:西村利作。位階は従四位。 大正4年(1915年)6月4日、大阪府三島郡富田村(現・高槻市富田町2丁目)に、父・利兵衛と母・ミツの長男として生まれた。 1935年、東京美術学校(現東京芸術大学)に入学。彫刻科木彫部で現代彫刻家を志す。4年生の時に同校の古美術研究旅行で京都・奈良をまわり、法隆寺・夢殿の救世観音に感激。1940年に卒業し、いったんは私立大阪工科学校(旧制)の図画教師となる。 1940年頃、学生時代の縁で法隆寺に通っていた際、偶然日本美術院(第二部)初代院長である新納忠之介も同寺を訪ねており、後進の明珍恒男が亡くなったばかりで、「美大出で誰か仏像の好きなやつはおらんか」と法隆寺の僧に尋ねると、「丁度相応しい者が金堂におります」と紹介され、新納から美術院への入所の誘いを受けた。
藤井 龍心(ふじい りゅうしん、1903年7月21日 - 1… 藤井 龍心(ふじい りゅうしん、1903年7月21日 - 1998年4月13日)は、日本の仏教学者、僧侶。種智院大学教授。真言宗智山派管長。智積院65世能化。専門は密教学。真言宗清和院住職。義父に、智積院55世能化の高井観海。
行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年〈668年〉 - 天平… 行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年〈668年〉 - 天平21年2月2日〈749年2月23日〉)は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日本の仏教僧。 朝廷が寺や僧の行動を規定し、民衆へ仏教を直接布教することを禁止していた当時、その禁を破って行基集団を形成し、畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に仏教を説いた。併せて困窮者の救済や社会事業を指導した。布施屋9所、道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を各地に整備した。 当初、朝廷から度々弾圧や禁圧を受けたが、民衆の圧倒的な支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返した。その後、大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。