岡本 透(おかもと とおる、1965年6月13日 - )は、… 岡本 透(おかもと とおる、1965年6月13日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。
兵庫県:424人
岡本 透(おかもと とおる、1965年6月13日 - )は、… 岡本 透(おかもと とおる、1965年6月13日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。
青木 尚龍(あおき よしろう、1964年〈昭和39年〉9月1… 青木 尚龍(あおき よしろう、1964年〈昭和39年〉9月16日 - )は、日本の高校野球指導者。兵庫県神戸市長田区出身。神戸国際大学附属高等学校硬式野球部監督。 小学校3年次より野球を始める。 高校時代は八代学院高校(現:神戸国際大学附属高校)でプレー。当時は強豪ではなく、全国大会への出場はない。 愛知工業大学に進学。同期には、西崎幸広がいた。3年秋には神宮大会準優勝。4年には副キャプテンを務め、1986年の神宮大会で優勝。愛知工業大学卒業後は大阪体育大学で聴講生として在籍している。 1989年からは母校の八代学院高校でコーチ。翌年8月には監督に就任。1992年に現在の神戸国際大学附属高校に改名された頃から力を付けるようになる。
金沢 信彦(かなざわ のぶひこ、1964年9月14日 - )… 金沢 信彦(かなざわ のぶひこ、1964年9月14日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。
栗田 聡(くりた さとし、1964年8月3日 - )は、兵庫… 栗田 聡(くりた さとし、1964年8月3日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)、理学療法士。
狭間 善徳(はざま よしのり、1964年5月12日 - )は… 狭間 善徳(はざま よしのり、1964年5月12日 - )は、兵庫県明石市出身(熊本県生まれ)の日本の高校野球指導者。 明石市立花園小学校時代に長嶋茂雄に憧れ、野球を始める。その後は明石市立望海中学校に進学。 17歳の頃に高校野球の指導者を志したという。 明石南高校、日本体育大学では内野手として、プレー。大学時代には保健体育科の教員免許も取得している。 日体大卒業後の3年間は一般企業にてサラリーマンとして勤務。 その後は1988年に明石南高校、1989年に高砂南高校で講師や野球部のコーチを務める。 1993年からは明徳義塾中学校・高等学校のコーチや監督に就任する。中学校軟式野球部の指導者として、軟式野球の全国大会で4度優勝している。
村田 真一(むらた しんいち、1963年12月5日 - )は… 村田 真一(むらた しんいち、1963年12月5日 - )は、日本の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球指導者(コーチ)、野球解説者。兵庫県神戸市出身。
金村 義明(かねむら よしあき、1963年8月27日 - )… 金村 義明(かねむら よしあき、1963年8月27日 - )は、兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は野球解説者、タレント。
金城 信夫(かねしろ のぶお、1963年7月6日 - )は、… 金城 信夫(かねしろ のぶお、1963年7月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 兵庫県市川町の市川高では3年夏の県大会準決勝で全国制覇することとなる金村義明(報徳学園中学校・高等学校)と投げ合って敗退、1981年のNPBプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから1位指名を受け入団。甲子園には未出場のため無名だが各スカウト間ではドラフト1位の「隠し玉」的存在だったが、ヒジの使い方がうまいオーバースローで高卒ながら1~2年後には戦力になると期待されていた。 しかし、一軍登板のないまま1985年オフに退団。 1986年に韓国へ渡り、KBOの青宝ピントゥス(1988年より、太平洋ドルフィンズ)へ入団。
竹下 浩二(たけした こうじ、1963年6月18日 - )は… 竹下 浩二(たけした こうじ、1963年6月18日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。
横谷 彰将 (よこたに あきまさ、1963年4月7日 - )… 横谷 彰将 (よこたに あきまさ、1963年4月7日 - )は、兵庫県三木市宿原出身の元プロ野球選手。現在建築会社「(有)ツースリー」代表取締役、NPO横浜ベイスターズスポーツコミュニティのコーチングスタッフ。
金沢 幸彦(かなざわ ゆきひこ、1963年3月26日 - )… 金沢 幸彦(かなざわ ゆきひこ、1963年3月26日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
西村 基史(にしむら もとふみ、1962年11月17日 - … 西村 基史(にしむら もとふみ、1962年11月17日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 尼崎工業高から新日本製鐵広畑に進む。1981年から4年連続で都市対抗に出場(うち2回は補強選手としての出場)。1981年の第52回都市対抗では、藤高俊彦との投の二本柱で勝ち進むが、準決勝で東芝の菊地恭一に3ラン本塁打を浴び敗退。1983年の同大会でも準決勝に進み先発として起用されるが、この大会に優勝した東芝の黒紙義弘、池田親興(日産自動車から補強)、川端順の継投の前にまたもや苦杯を喫した。1982年アマチュア野球世界選手権日本代表、1983年ロサンゼルスオリンピック予選日本代表に選出されている。
藤本 貴久(ふじもと たかひさ、1962年4月16日 - )… 藤本 貴久(ふじもと たかひさ、1962年4月16日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
鍋屋 道夫(なべや みちお、1961年6月26日 - )は、… 鍋屋 道夫(なべや みちお、1961年6月26日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)。1988年から1989年までの登録名は鍋屋 道桜(読み同じ)。
田中 武宏(たなか たけひろ、1961年4月10日 - )は… 田中 武宏(たなか たけひろ、1961年4月10日 - )は、兵庫県神戸市出身の元野球選手(外野手)、野球指導者。 舞子高校卒業後の1980年、明治大学文学部に進学し東京六大学野球連盟所属の野球部に入部した。俊足の外野手として出場した。 大学卒業後の1984年、社会人野球の日産自動車に入社し、8年間プレーした。家庭の事情で故郷の関西に戻る必要から将来的な日産野球部指導者としての道もあったが固辞し、退部した。大阪での社業専念後、日産自動車販売会社の兵庫日産自動車に出向した。垂水営業所の営業担当となり、日産・ブルーバード等の日産車の販売業務に携わる。在籍期間の約3年間で約120台近くを販売した。 2011年からは、母校・明治大学野球部のコーチを務めた。
西 正文(にし まさふみ、1960年11月25日 - )は、… 西 正文(にし まさふみ、1960年11月25日 - )は、兵庫県出身の元アマチュア野球選手(二塁手)。 小柄ながら走攻守に優れた二塁手として活躍し、ソウルとバルセロナの両五輪の野球競技に、日本代表としては唯一連続で参加した。 浦風小学校で野球を始める。小田南中学校を経て尼崎小田高校に進むが、野球部は強豪ではなく、将来は公務員になる事を考えていたという。設備などの環境は必ずしも充実していなかったが、主体的に考えて練習に取り組む姿勢が身についたと語っている。3年生で迎えた1978年の夏の兵庫大会は4回戦で東洋大姫路と当たり、2-3で惜敗。この試合を観戦していた大阪ガスの関係者に勧められ、8月9日に同社野球部のセレクションを受けて合格した。
森脇 浩司(もりわき ひろし、1960年8月6日 - )は、… 森脇 浩司(もりわき ひろし、1960年8月6日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、監督、野球解説者。実兄の忠之は、かつて兵庫県立社高等学校の野球部で監督を務めていた。オリックス・バファローズ前監督。2017年現在、中日ドラゴンズ1軍内野守備走塁コーチを務めている。
廣岡 資生(ひろおか やすなり、1960年 4月2日 - )… 廣岡 資生(ひろおか やすなり、1960年 4月2日 - )は、元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは遊撃手。 ヤクルト、西武の監督を務めた広岡達朗の甥。姫路東高校卒業後には早稲田大学に入学する。東京六大学野球リーグでは内野手として活躍し、1982年秋季リーグでベストナインに選出され、45打数、16安打、打率3割5分6厘という成績で首位打者にも選出された。リーグ通算45試合に出場、140打数38安打、打率.271、3本塁打、10打点、6盗塁、ベストナイン1回を記録。 大学卒業後は社会人野球の松下電器に入団する。1985年の日本選手権では優秀選手に選ばれた。1989年の都市対抗野球では主将として準決勝で潮崎哲也の好投でこの大会優勝するプリンスホテルに延長13回の末に惜敗。
宮本 賢治(みやもと けんじ、1959年9月9日 - )は、… 宮本 賢治(みやもと けんじ、1959年9月9日 - )は、兵庫県神崎郡市川町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。
屋鋪 要(やしき かなめ、1959年6月11日 - )は、大… 屋鋪 要(やしき かなめ、1959年6月11日 - )は、大阪府生まれ兵庫県川西市出身の元プロ野球選手(外野手)で、現在は鉄道文化人・鉄道写真家、少年野球・大学野球のコーチである。
矢野 実(やの みのる、1959年4月21日 - )は、兵庫… 矢野 実(やの みのる、1959年4月21日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 1991年の登録名は矢野 實、1992年の登録名は矢野 未乘、1993年以降の登録名は矢野 未乗(いずれも読み同じ)。 芦屋高では3年夏の県大会ベスト8。社会人野球の神戸大丸・大丸では第52回都市対抗野球大会で岩切英司とのバッテリーで2/3回のみ登板、1981年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから3位指名を受け入団。 スライダーを武器に右の中継ぎとしてチームを支えた。 1988年にはリーグ最多登板を記録する。 1990年オフに今井雄太郎との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍。 1992年オフに金銭トレードでホークスに復帰。
福家 雅明(ふくや まさあき 1959年4月10日 - )は… 福家 雅明(ふくや まさあき 1959年4月10日 - )は日本のテレビディレクターで元プロ野球選手(投手。右投げ右打ち)。WES取締役社長。兵庫県津名郡一宮町(現:淡路市)出身。天理高等学校卒業。
松本 正志(まつもと しょうじ、1959年4月2日 - )は… 松本 正志(まつもと しょうじ、1959年4月2日 - )は、兵庫県赤穂郡上郡町出身の元プロ野球選手(投手)。1979年から1983年の登録名は松本 祥志(読み同じ)。
山本 真史(やまもと しんじ 、1959年 - )は、日本の… 山本 真史(やまもと しんじ 、1959年 - )は、日本の高校野球指導者。 兵庫県明石市出身、滝川高等学校卒業、日本体育大学卒業。 大学在学中より春日部共栄高等学校のコーチとなる。後に同校の部長となり、1991年には部長として春日部共栄高等学校野球部を春夏連続で甲子園に導く。1992年には滝川第二高等学校のコーチに就任、1996年には同校の監督に就任する。1999年には滝川第二高等学校を春夏連続で甲子園に導く。同年の秋に監督を辞任。 2014年12月には再び滝川第二高等学校の監督に就任。監督就任中であった2015年4月18日、部員が賭けトランプをしていたことが発覚した。賭けていたのは現金ではなくジュースや菓子であったが、その年の春季大会への出場を辞退した。
安田 尚弘(やすだ なおひろ、1958年10月17日 - )… 安田 尚弘(やすだ なおひろ、1958年10月17日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手・内野手)。左投げ左打ち。
上坂 嘉彦(うえさか よしひこ、1958年9月18日 - )… 上坂 嘉彦(うえさか よしひこ、1958年9月18日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)。 尼崎工業高から、社会人野球の三菱自動車京都を経て、1979年オフにドラフト外で南海ホークスにテスト入団。 右腕の本格派投手であったが、一軍公式戦に出場することはなく、1年間で退団した。
渋谷 卓弥(しぶたに たくや、1958年8月3日 - )は、… 渋谷 卓弥(しぶたに たくや、1958年8月3日 - )は、日本の元社会人野球選手、野球指導者。 滝川高等学校を卒業し、同志社大学商学部に入学。野球部では首位打者、ベストナイン各2回。主将となり明治神宮野球大会では中本茂樹とのバッテリーで優勝、4年生の時には第9回日米大学野球選手権大会日本代表に選ばれた。ポジションは捕手。高校、大学の1年先輩に島田芳明がいる。 大学卒業後は松下電器産業に入社し野球部に入部。現役6年間で都市対抗野球大会や日本選手権にも出場している。 引退後は社業に専念し、兵庫神戸ボーイズの監督を経て2010年より滝川第二高等学校野球部の監督を務め、第94回全国高等学校野球選手権大会に兵庫県代表として出場。
弓岡 敬二郎(ゆみおか けいじろう、1958年6月28日 -… 弓岡 敬二郎(ゆみおか けいじろう、1958年6月28日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。
筒井 大助(つつい だいすけ、1958年1月22日 - )は… 筒井 大助(つつい だいすけ、1958年1月22日 - )は日本の野球選手(外野手)、野球指導者、学者。ソウルオリンピック日本代表チームでは主将を務めた。2009年以降に改名して筒井 崇護(つつい たかもり)となり、2011年現在は日本体育大学の教授として運動方法論などに取り組んでいる。
斉藤 巧(さいとう こう、1957年11月25日 - )は、… 斉藤 巧(さいとう こう、1957年11月25日 - )は、兵庫県南あわじ市出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)・コーチ。 洲本実業高では2年次の1974年に秋季近畿大会県予選で準々決勝に進むが、弓岡敬二郎のいた東洋大姫路高に敗退。 1975年のドラフト4位で大洋ホエールズに入団。強打の大型内野手として期待された。 1981年には主に二塁手・三塁手として49試合に先発出場を果たすが、基満男・フェリックス・ミヤーン・田代富雄・山下大輔ら内野陣の選手層が厚かったためレギュラーには定着できなかった。 1983年にレオン・リーとのトレードでロッテオリオンズに移籍。 1985年に捕手へ転向。プロ野球で捕手から野手へのコンバート例は多いが、その逆は極めて珍しいケースである。
大川 章(おおかわ あきら、1957年9月27日 - )は、… 大川 章(おおかわ あきら、1957年9月27日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元プロ野球選手(投手)。
島田 芳明(しまだ よしあき、1957年8月2日 - )は、… 島田 芳明(しまだ よしあき、1957年8月2日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)。
花房 健(はなふさ たけし、1957年5月11日 - )は、… 花房 健(はなふさ たけし、1957年5月11日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 高砂高では3年夏、部員15名ながらエースで4番を打った。福岡大学に進学し九州六大学野球連盟加盟の野球部に入部。4年次に一気に頭角を現し、春季6勝1敗、秋季7勝無敗で連続ベストナイン、秋季は最高殊勲選手を獲得。九州六大学リーグ通算17勝。4年秋の明治神宮大会では初戦で完封、2回戦では亜大の宮本賢治と投げ合うが敗退。「九州の速球王」の異名を全国区にした。 1980年11月26日、プロ野球ドラフト会議において近鉄バファローズからドラフト3位指名を受け入団。 一軍公式戦の出場がないまま、1985年限りで現役を引退した。
藤田 明彦(ふじた あきひこ、1957年2月13日 - )は… 藤田 明彦(ふじた あきひこ、1957年2月13日 - )は、兵庫県西脇市出身の元野球指導者、元社会人野球選手。 東洋大姫路高校では左翼手、四番打者として活躍し、二年連続で夏の甲子園に出場。1973年夏の選手権は、2回戦(初戦)で旭川龍谷高に敗退。1974年夏の選手権は3回戦に進むが、平安高に惜敗。この時のチームメイトに遊撃手の弓岡敬二郎がいた。 系列校の東洋大学経営学部に進学。東都大学野球リーグでは、2年次に同期のエース松沼雅之と1学年上・達川光男のバッテリーを擁し1976年秋季リーグでチーム初優勝を経験。同年の明治神宮大会では準決勝で松本匡史、山倉和博、岡田彰布らを擁する早大に敗退。1978年秋季リーグでは2回目のリーグ優勝に貢献した。
菊村 徳用(きくむら とくよ、1956年11月7日 - )は… 菊村 徳用(きくむら とくよ、1956年11月7日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。
岡本 圭右(おかもと けいすけ、1956年8月16日 - 2… 岡本 圭右(おかもと けいすけ、1956年8月16日 - 2025年12月7日)は、兵庫県南あわじ市出身の元プロ野球選手(投手・内野手・外野手)。左投左打。 三原高2年の県大会で、9回二死までノーヒットノーランピッチングをした記録が残る。1974年ドラフト4位で投手として南海ホークスに入団。 南海入団後2シーズンの間一軍登板はなく、1977年シーズンから野手転向。1979年には外野手として一軍に定着する。 片平晋作が移籍した後の1982年には、開幕戦から一塁手として起用され52試合に実質先発出場、しかしこれら全ての試合で偵察要員が使われた。翌1983年も61試合に先発。その後も山本雅夫や池之上格らとの併用ながら一塁手として活躍し、また指名打者、外野手としても出場した。
貝塚 博次(かいづか ひろじ、1956年8月9日 - )は、… 貝塚 博次(かいづか ひろじ、1956年8月9日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。
中野 誠吾(なかの せいご、1956年7月11日 - )は、… 中野 誠吾(なかの せいご、1956年7月11日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)。
小山 正彦(こやま まさひこ、1956年4月9日 - )は、… 小山 正彦(こやま まさひこ、1956年4月9日 - )は、日本の実業家、社会人野球選手(内野手)。元株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイド代表取締役社長兼株式会社西武ホールディングス取締役。日本ハム株式会社取締役、学校法人立命館評議員。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立加古川西高等学校から1975年に立命館大学経済学部入学、立命館大学硬式野球部入部。1979年大学を卒業し、プリンスホテル入社、プリンスホテル硬式野球部員第1期。一塁手を守り、石毛宏典や中尾孝義、居郷肇などが同期だった。 選手やコーチを経て、第60回都市対抗野球大会で優勝したのを期に1989年に退部し、1990年から品川プリンスホテル総務課で新横浜プリンスホテル開業準備にあたり、同年総務部総務課長に昇格。
藤城 和明(ふじしろ かずあき、1956年4月5日 - )は… 藤城 和明(ふじしろ かずあき、1956年4月5日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。元歌手・タレント。 琴丘高校卒業後の1975年に新日鐵広畑へ入社し、2年目の1976年には都市対抗に出場。1回戦では大昭和製紙北海道を相手にリリーフで好投、延長13回の接戦を制し初勝利を記録する。2回戦では日本鉱業佐賀関を相手に先発し、藤沢公也・萩野友康の継投の前に惜敗したが、この試合で5連続三振を奪うなど各球団の注目を集める。 同年のドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。 1977年には新人ながら開幕5試合目に先発で登板。独特の二段モーションから繰り出す緩いカーブを武器に大いに期待されたが、伸び悩んだ。
山本 隆造(やまもと りゅうぞう、1956年(昭和31年)3… 山本 隆造(やまもと りゅうぞう、1956年(昭和31年)3月5日 - 2012年(平成24年)12月24日)は、兵庫県洲本市出身のプロ野球選手(内野手)、プロ野球審判員。 洲本実業高校から近畿大学に進学。関西六大学リーグでは在学中3度優勝。好守好打の遊撃手として知られ、1977年のドラフト2位でクラウンライターライオンズに指名され入団。大学同期に慶元秀章、丸川正充がおり、同じくクラウンに入団している。他の同期入団にパ・リーグ審判の良川昌美がいた。1年目の1978年は、遊撃手として5試合に先発出場し、マルチ安打を記録したこともあったが、その後は出場機会に恵まれず、1982年限りで引退。 その後、1983年からはパシフィック・リーグの審判員となる。
中尾 孝義(なかお たかよし、1956年2月16日 - )は… 中尾 孝義(なかお たかよし、1956年2月16日 - )は、兵庫県加西郡北条町(現:加西市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督・スカウト。愛称は「一休さん」。
三浦 道男(みうら みちお、1955年5月3日 - )は、兵… 三浦 道男(みうら みちお、1955年5月3日 - )は、兵庫県神戸市垂水区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 神戸村野工業高等学校(現:彩星工科高等学校)3年時の1973年に大洋ホエールズの入団テストを受け、同年のドラフト5位で当時の大洋ホエールズに入団。 1976年には主に対左打者用のワンポイント、ショートリリーフとして起用され26試合に登板。6月23日の読売ジャイアンツ(巨人)戦で根本隆をリリーフししプロ初勝利を挙げた。 1977年には先発左腕が間柴茂有のみだったチーム事情もあり、7月から先発に回る。8月31日に後楽園球場で行われた巨人戦で、1回裏に王貞治にハンク・アーロンに並ぶ世界タイ記録となる通算755号本塁打を打たれた。
山川 猛(やまかわ たけし、1955年2月24日 - )は、… 山川 猛(やまかわ たけし、1955年2月24日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)。西武ライオンズ、阪神タイガースに所属した。引退後は阪神のコーチを務め、現在は阪神の編成部に所属。
宮田 典計(みやた のりかず、1954年9月27日 - )は… 宮田 典計(みやた のりかず、1954年9月27日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。
松本 匡史(まつもと ただし、本名:松本 哲(さとし)、19… 松本 匡史(まつもと ただし、本名:松本 哲(さとし)、1954年8月8日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者として活動している。業務提携先はTCP-Artist。
平田 英之(ひらた ひでゆき、1954年7月10日 - 20… 平田 英之(ひらた ひでゆき、1954年7月10日 - 2013年4月2日)は、兵庫県宝塚市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 兵庫・宝塚高から立命館大へ進学。当時の立命大は関西六大学野球リーグ2部に低迷していたが、2年時の1974年春季リーグ入替戦で1部復帰を果たす。優勝には届かなかったが3位3回を記録し、好投手として注目された。リーグ通算成績は48試合登板、12勝19敗、防御率1.71。 1976年ドラフト3位で広島東洋カープ入団。1977年から一軍で起用されるが、あまり活躍の場はなかった。 1978年11月に望月卓也、劔持節雄と共に金田留広、渡辺秀武との3対2の交換トレードでロッテオリオンズに移籍。
中西 弘明(なかにし ひろあき、1953年9月10日 - )… 中西 弘明(なかにし ひろあき、1953年9月10日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。1976年から1979年までの登録名は中西 清治。
林 忠良(はやし ただよし、1953年9月2日 - )は、プ… 林 忠良(はやし ただよし、1953年9月2日 - )は、プロ野球審判員。パシフィック・リーグ審判部前副部長。兵庫県出身。 兵庫県立明石南高等学校~立命館大学経営学部卒業後、ムラカミ食品を経て1977年パ・リーグ審判部入局。現役時代の審判員袖番号は31。パ・リーグ袖番号初採用年度審判の一人。 オールスターゲームに5回出場(1985年、1988年、1992年、2004年、2007年。1988年第1戦で球審)、日本シリーズに6回出場(1990年、1993年、1996年、1997年、1999年、2001年)。うち日本シリーズは1997年と2001年の第1戦と、1990年の第4戦、1993年の第7戦でそれぞれ球審を務め、1987年5月23日柏崎市佐藤池野球場で行われた、ロッテ-南海戦(史上最後のサスペンデッドゲーム)でライト側外野審判を務めていた。
山本 雅夫(やまもと まさお、1953年8月12日 - )は… 山本 雅夫(やまもと まさお、1953年8月12日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。