北村 惣一郎(きたむら そういちろう、1941年〈昭和16年… 北村 惣一郎(きたむら そういちろう、1941年〈昭和16年〉1月8日 - )は、日本の医学者、医師。国立循環器病センター名誉総長。奈良県立医科大学名誉教授。堺市立病院機構理事。地方独立行政法人堺市立病院機構理事長。心臓血管外科専門医認定機構代表幹事、日本胸部外科学会会長。兵庫県西宮市出身。 川崎病外科治療の開発に貢献した。また、日本での心臓移植の再開に尽力し、脳死移植法下での国内第2例、第3例を執刀。(第1例は大阪大学第一外科の松田教授)
小山 靖憲 (こやま やすのり、1941年1月1日 - 20… 小山 靖憲 (こやま やすのり、1941年1月1日 - 2005年5月14日)は、日本の歴史学者。専攻は日本中世史。和歌山大学名誉教授。兵庫県出身。 1964年、東京教育大学文学部史学科を卒業。1971年、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 和歌山大学のちに帝塚山大学の教授として大学および大学院の指導にあたるほか、立命館大学(12ヵ年)、高野山大学(4ヵ年)、関西大学(3ヵ年)、大阪教育大学(2ヵ年)、大阪大学(2ヵ年)、大阪市立大学、新潟大学、岡山大学、関西学院大学、大阪樟蔭女子大学、堺女子短期大学、奈良女子大学、國學院大學(各1ヵ年)などに出講し、後進の研究者の多くに影響を与えた。 荘園絵図研究、熊野古道研究の第一人者として知られ、晩年は「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録に尽力した。
岸本 哲也(きしもと てつや、1941年 - )は、日本の経… 岸本 哲也(きしもと てつや、1941年 - )は、日本の経済学者。神戸大学大学院経済学研究科教授、早稲田大学政治経済学術院教授を経て、神戸大学名誉教授。 兵庫県立星陵高等学校を経て、1964年神戸大学経済学部卒業。1967年神戸市外国語大学助手。1969年神戸大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。1970年神戸大学教養部講師。1974年ロチェスター大学経済学研究科博士課程修了、Ph.D.。1977年神戸大学経済学部助教授。1982年神戸大学経済学部教授。1996年日本公共政策学会理事。1998年日本経済学会常任理事。2000年神戸大学大学院経済学研究科長・経済学部長、日本政策学会理事。2004年早稲田大学政治経済学術院教授。
広瀬 幸司(ひろせ こうじ、1941年 - )は、兵庫県出身… 広瀬 幸司(ひろせ こうじ、1941年 - )は、兵庫県出身の野球選手(捕手)。 芦屋高校では、同期のエース安藤敏雄とバッテリーを組む。2年次の1958年に秋季近畿大会準決勝へ進み、平安高の藤野隆司に抑えられ敗退するが、3年次の1959年春の選抜出場を決める。大会では1回戦で三浦和美のいた広陵高を降すが、2回戦で浪華商に敗れる。同年夏は県予選準々決勝で滝川高に敗退、甲子園には届かなかった。他の高校同期に一塁手の西岡浩史らがいる。 高校卒業後は1960年に法政大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは4回の優勝を経験。2年次の1961年から正捕手となり、2年上の新山彰忠、同期の山崎武昭・龍隆行らとバッテリーを組む。
小林 四郎(こばやし しろう、1941年 - )は、日本の化… 小林 四郎(こばやし しろう、1941年 - )は、日本の化学者。京都大学名誉教授。現在、京都工芸繊維大学バイオベースマテリアル研究センター特任教授。 兵庫県立姫路西高等学校卒業。京都大学工学部卒業。1986年東北大学工学部教授、1997年京都大学大学院工学研究科教授。有機化学に立脚した高分子合成手法の開拓と、それを利用する新高分子材料の創出に関する研究に携わる。特に、酵素触媒の特徴を活かした高分子合成反応(酵素触媒重合)は、それまで成功していなかったセルロース、キチン、ヒアルロン酸、コンドロイチンのような天然多糖の試験管内合成を可能ならしめた手法として有名である。
小嶋 博(こじま ひろし、1941年 - )は、日本の経営学… 小嶋 博(こじま ひろし、1941年 - )は、日本の経営学者。元名古屋学院大学学長。元日本経営財務研究学会会長。 兵庫県神戸市生まれ。福岡県立修猷館高校卒業。1968年神戸大学経営学部卒業。1974年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。1978年名古屋学院大学経済学部助教授。1982年ケルン大学客員教授。1985年名古屋学院大学経済学部教授。1992年名古屋学院大学商学部長。2005年名古屋学院大学学長。2011年名古屋学院大学商学部教授。2012年名古屋学院大学大学院特任教授。2013年日本経営財務研究学会会長。2014年名古屋学院大学名誉教授。2020年瑞宝中綬章受章。
石浜 みかる(いしはまみかる、女性、1941年 - )は、日… 石浜 みかる(いしはまみかる、女性、1941年 - )は、日本のノンフィクション作家、翻訳家。神奈川県藤沢市在住。 神戸市生まれ。戦時中、キリスト教を信仰していた父親が治安維持法違反で投獄された経験を持つ。 1965年神戸女学院大学卒。在学中イスラエルを訪れキブツに暮らす。卒業後は英語教師、専門学校教師などのかたわら文筆活動を行う。 1966年当時映画監督の高橋治と結婚、二児を儲ける。子は文月涼。
長谷川 俊英(はせがわ しゅんえい こと はせがわ としひで… 長谷川 俊英(はせがわ しゅんえい こと はせがわ としひで、1941年(昭和16年) - )は、京都府学連事件(京都地方裁判所昭和39年7月4日判決 昭和37年(わ)966号)・被告人(前科1犯)。堺市議会議員(8期)。「都市政治研究所」代表。 兵庫県明石市生まれ。大阪府立清水谷高等学校、立命館大学法学部卒業。前科1犯 被告人(当時)・長谷川俊英は、「立命館大学法学部の学生で、同大学1部学友会書記長であつたものであるが、昭和37年6月21日京都府学生自治会連合主催の大学管理制度改悪反対、憲法改悪反対を標榜する集団行進集団示威運動に参加し、同先頭集団である立命館大学学生集団先頭列外に位置し、京都市上京区所在立命館大学正門前から同市東山区円山公園に向う途中、同日午後5時26分頃、同市中京区木屋町通御池下る約30米の地点に差蒐つた際、折柄前記集団行進集団示威運動の過程における許可条件違反等の違法状況の視察採証の職務に従事していた京都府山科警察署勤務巡査Xが、京都府公安委員会が附した許可条件に違反するとして前記集団先頭の行進状況を写真撮影するや、「どこのカメラマンか」と難詰抗議し、同巡査が殊更にこれを無視する挙動に出たところから憤慨し、所携の旗竿を以て同巡査の下顎部を一突きし、よつて同人をして治療約1週間を要する下顎部挫創の傷害を蒙らしめ、以て同巡査の職務の執行を妨害したものである」(京都府学連事件第1審判決・「罪となるべき事実」)。
伊勢 功一(いせ こういち、1941年〈昭和16年〉-202… 伊勢 功一(いせ こういち、1941年〈昭和16年〉-2022年〈令和4年〉4月21日 - )は、日本の歌手。兵庫県神戸市出身。
橘 与四郎(たちばな よしろう、1941年 - 2016年7… 橘 与四郎(たちばな よしろう、1941年 - 2016年7月17日)は、兵庫県三田市出身の画家。スペインのガリシア州ア・コルーニャ県に居住して製作していた。 父は画家の橘央(たちばななかば)であり、父から美術を学んだ。 1962年(昭和37年)、美術学校で美術を学ぶため東京へ向かった。パウル・クレーの絵画に出会い傾倒した。1969年(昭和44年)、ヨーロッパを旅行することを計画し、スペインで数多くの町を歩きまわった。その後、ドイツのハンブルクやキールの町に定住し、ドイツの現代美術(ミュンヘン派)の動きを学んだ。1973年(昭和48年)までドイツに滞在した後、ノルウェーに滞在して風景画を描いた。
太田 紘一(おおた こういち、1940年12月23日 - )… 太田 紘一(おおた こういち、1940年12月23日 - )は兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 兵庫高では甲子園に出場できなかったが、コールドゲーム参考記録を含め3度のノーヒットノーランを記録した。卒業後は立教大学に進むが中退し、1960年11月に大阪タイガース入団。 翌1961年にリリーフで初登板、9月には初先発を果たす。1962年には中継ぎとして一軍に定着し、リーグ優勝に貢献した。同年の東映フライヤーズとの日本シリーズでも2試合に登板。その後も毎年20~30試合程度に登板し、防御率も2点台から3点代前半と安定していた。落ちるシュートとカーブが武器の投手だった。 1965年頃から登板数が減り始め、1967年には登板機会もなく自由契約になる。
鴻池 祥肇(こうのいけ よしただ、1940年11月28日 -… 鴻池 祥肇(こうのいけ よしただ、1940年11月28日 - 2018年12月25日)は、日本の政治家。位階は正三位。 内閣官房副長官(麻生内閣)、防災担当大臣兼構造改革特区担当大臣(第1次小泉第1次改造内閣)、沖縄開発政務次官(宮澤内閣・宮澤改造内閣)、参議院デフレ脱却・財政再建特別委員長、同平和安全法制特別委員長、同国家基本政策委員長、同予算委員長、同決算委員長、同国旗・国歌特別委員長、同建設委員長、参議院議員(4期)、衆議院議員(2期)、自由民主党参議院国会対策委員長、社団法人日本青年会議所会頭などを歴任。 兵庫県尼崎市出身。神戸大学附属住吉小・中学校、兵庫県立神戸高等学校を経て、早稲田大学教育学部卒業。
池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 20… 池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 2019年8月30日)は、日本のドイツ文学者、エッセイスト、翻訳家。 カフカを中心にドイツ文学の評論・翻訳が専門。旅行記や人物伝、大衆芸能と幅広く文筆活動を行う。著書に『ウィーンの世紀末』(1981年)、『海山のあいだ』(1994年)、『カント先生の散歩』(2016年)など。 兵庫県姫路市出身。姫路市立城北小学校卒業。兵庫県立姫路西高等学校卒業、東京外国語大学外国語学部卒業、1965年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。神戸大学講師、旧:東京都立大学助教授、1986年東京大学文学部助教授を経て、1990年に教授。定年前の1996年に早期退官。
植村 孝(うえむら たかし、1940年11月25日 - )は… 植村 孝(うえむら たかし、1940年11月25日 - )は、日本の詩人。兵庫県姫路市生まれ。
宇仁 貫三(うに かんぞう、1940年11月21日 - 20… 宇仁 貫三(うに かんぞう、1940年11月21日 - 2019年1月10日)は、日本の殺陣師、俳優である。兵庫県尼崎市出身。 高校を卒業後、宝塚映画製作所に入り、俳優として修行する。黒澤明監督作品などの映画出演を経て、殺陣師久世竜の弟子となる。三船プロダクションに籍を置いた後独立し、時代劇と現代劇の映画・舞台・テレビドラマを多く手掛ける。剣道2段、居合道2段の腕前を持つ。弟子に寺島進がいる。 長年東京の撮影所作品での担当が多かったが、東宝の作品を長年監督していた高瀬昌弘が松竹京都で鬼平を撮影するにあたり、「太陽にほえろ!」や「江戸シリーズ」などで共に仕事をした宇仁を東京から呼びよせ、以降「剣客商売」などの松竹撮影所の作品にも関与している。
葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2… 葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2022年5月25日)は、日本の実業家。東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役社長・代表取締役会長・代表取締役名誉会長、取締役名誉会長を歴任した。他に、学校法人海陽学園理事長を務めた。 兵庫県明石市生まれ、東京都杉並区育ち。井手正敬、松田昌士と共に「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。 1940年10月20日に、父・葛西順夫(のぶお)と、母・益世(旧姓:本庄)の間に兵庫県明石市で生まれた。 父は旧制明石中学校に勤務していた国語科(漢文)の教員で、敬之が生まれてほどなくして一家で上京。父からは『論語』や日本の古典の講義を高校終わりまで受けた。
大沢 辰美(おおさわ たつみ、女性、1940年9月20日 -… 大沢 辰美(おおさわ たつみ、女性、1940年9月20日 - )は日本の政治家。日本共産党参議院議員を1期務めた。日本共産党中央委員会委員、災害対策部会長。 兵庫県朝来郡朝来町(現朝来市)出身。兵庫県立有馬高等学校を経て、1962年岡山県川崎高等看護学院卒業。 国立療養所兵庫中央病院に13年間勤務した後、1972年より兵庫県三田市議を5期20年務める。1998年の第18回参議院議員通常選挙で兵庫県選挙区(定数2議席)から出馬し初当選を果たす。国政選挙挑戦4度目、兵庫の共産候補としては過去最多得票(582,244票)での当選であった。 しかし2004年の第20回参議院議員選挙に再選を期して同選挙区から出馬するも次点で落選。
小原 稚子(おはら わかこ、1940年(昭和15年) 9月3… 小原 稚子(おはら わかこ、1940年(昭和15年) 9月3日 - 2023年(令和5年)2月18日)は、大阪府出身の華道関係者である。いけばな小原流最高顧問。元家元代行。
長田 あつし(ながた あつし、1940年9月1日 - 201… 長田 あつし(ながた あつし、1940年9月1日 - 2014年8月2日)は、日本の演歌歌手。兵庫県津名郡北淡町(現:淡路市)出身。元殿さまキングスのリーダー。男女デュオ「オヨネーズ」としても成功を収めた。 1960年にコミックバンド「ファンキーガイズ」を結成。人気を得る。さらに1967年に「殿さまキングス」を結成。リーダーとして活躍。後に歌謡曲に転向。1973年にリリースされた「なみだの操」は、爆発的なヒットとなった。後に続く「夫婦鏡」「おんなの運命」などもヒットした。 殿さまキングスの解散前年の1989年に杏しのぶとオヨネーズを結成。1990年にリリースしたデュエット「麦畑」は、東北弁でコミカルに歌い上げ、大ヒットした。
高松 延次(たかまつ のぶつぐ、1940年8月26日 - )… 高松 延次(たかまつ のぶつぐ、1940年8月26日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(捕手)・野球指導者。
柴生 進(しばお すすむ、1940年(昭和15年)8月18日… 柴生 進(しばお すすむ、1940年(昭和15年)8月18日 - 2018年(平成30年)9月17日)は、津名郡津名町(現淡路市)出身の日本の政治家。元兵庫県川西市長(4期)。 1958年兵庫県立津名高等学校、1962年大阪教育大学卒業。川西市市議会議員2期、兵庫県議会議員(川西市川辺郡選挙区)2期務めた後、汚職事件などで混乱する川西市政を収拾し立て直すため1990年に市長選に立候補し当選。全国都市再開発サミットの会長を務めた。人徳の人と呼ばれ[要出典]、4期16年に渡り「穏やかな川西市作り」に励んだ。死没日をもって、従四位に叙された。
江渡 辰郎(えと たつお、1940年8月13日 - )は、兵… 江渡 辰郎(えと たつお、1940年8月13日 - )は、兵庫県出身のプロ野球選手(外野手)。
なかえよしを(1940年7月27日 - )は、日本の児童文学… なかえよしを(1940年7月27日 - )は、日本の児童文学作家、絵本作家。本名・中江嘉男。 兵庫県神戸市生まれ。日本大学芸術学部卒。広告デザイナーをへて、妻の上野紀子の絵、中江の文で「ねずみくん」シリーズのほか多くの絵本を刊行。1973年、国際青年美術家展外務大臣賞受賞。1974年『ねずみくんのチョッキ』で講談社出版文化賞、1987年『いたずらララちゃん』で絵本にっぽん賞、2005年上野とともに巖谷小波文芸賞受賞。 (上野との共著以外)
西牧 秀夫(にしまき ひでお、1940年7月25日 - )は… 西牧 秀夫(にしまき ひでお、1940年7月25日 - )は、日本のアニメーション監督、演出家。兵庫県尼崎市出身。京都市立芸術大学卒。 シバ・プロ、虫プロダクション、タツノコプロ、スタジオ古留美などに在籍。スタジオ古留美時代は椛島義夫とのコンビで上記の作品を多く担当した。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - … 継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - 1978年6月2日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。ポジションはMF。 神戸市出身で実家は材木商を営んでいて、裕福であったとされる。関西学院中学部サッカー部では3年次の1955年に主将を務めた。関学高等部でもサッカー部に所属して関学高等部の黄金時代の中心的な役割を担った。 1959年に関西学院大学に入学しサッカー部に所属し、この年に開催されたAFCユース選手権1959の日本代表に選出された。また、大学3年次の1961年8月15日にはインドネシア代表戦で日本代表として初出場した。大学4年次は主将を務めた他、1962年のアジア大会の代表に選出され出場も果たした。
高口恭行(正確には髙口恭行。たかぐち やすゆき(僧侶としては… 高口恭行(正確には髙口恭行。たかぐち やすゆき(僧侶としては"きょうぎょう")1940年6月13日 - )は、大阪にある浄土宗寺院一心寺の長老。工学博士。大阪を代表する建築家の一人であったが、現在は引退。元奈良女子大学家政学部教授。長男は現住職の高口恭典(元獣医)。次男は早稲田大学教授の高口洋人。三男は俳優の高口真寤。
勝呂 誉(すぐろ ほまれ、1940年6月1日 - 2026年… 勝呂 誉(すぐろ ほまれ、1940年6月1日 - 2026年1月23日)は、日本の俳優。兵庫県芦屋市出身。 兵庫県立芦屋高等学校卒。俳優座で演劇勉強中の1961年、テレビドラマ「青年の樹」でデビュー。 1962年に松竹に移籍、『下町の太陽』で倍賞千恵子と共演。公募で決まった「サニー・カップル」の愛称で青春スター路線で数本製作。歌手としてもキングレコードと契約し、倍賞とのデュエットで「二人で胸を張れ」(横井弘作詞・安部芳明作曲)を発売、他にもソロ曲「銀座浪漫」(結城忍作詞・伴謙介作曲)を発表。後年もディナーショーなどで歌い続けていた。1965年の日米合作映画『勇者のみ』では監督・主演のフランク・シナトラと共演した。
小野 了代(おの さとよ、1940年5月29日 - )は、日… 小野 了代(おの さとよ、1940年5月29日 - )は、日本の国際協力NGO 公益社団法人 日本国際民間協力会(NICCO)の前理事長である。兵庫県出身。
湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、… 湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、日本の植物学者、文筆家。前東京農業大学教授。 神戸市生まれ。1963年、兵庫農科大学(現・神戸大学)農学部農林生物学科卒業。1968年、東京農業大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。1968年、同大学育種学研究所所員、1975年、進化生物学研究所研究員、2000年、東京農業大学短期大学部教授、2005年、東京農業大学農学部バイオセラピー学科教授、2011年、退任。一般財団法人進化生物学研究所理事長・所長、生き物文化誌学会会長。1994年松下幸之助花の万博記念奨励賞受賞。村田源とともにベンケイソウ科のセトウチマンネングサをツシママンネングサの新変種 Sedum yabeanum var. setouchiense として記載した(後に大場秀章によるツシママンネングサに対応する学名の変更に伴い Sedum polytrichoides var. setouchiense と改められた)。
龍村 仁(たつむら じん、1940年4月23日 - 2023… 龍村 仁(たつむら じん、1940年4月23日 - 2023年1月2日)は、ドキュメンタリー監督、元NHKディレクター。有限会社龍村仁事務所代表。 兵庫県宝塚市出身。1963年、京都大学文学部美学科卒業後、NHKに入局。報道局を経て教育局でフィルムドキュメンタリーの演出に従事。 NHK 教養部のディレクターだった 1973年3月、龍村は、当時矢沢永吉などが所属していたロックバンド・キャロルに密着したドキュメンタリー番組を企画・製作したが、完成した作品にNHKの上層部が難色を示し、再編集した上で音楽番組として放送した。これに憤った龍村はその後、NHKを欠勤し、同じくNHK職員だった小野耕世(現マンガ評論家)と共に、ATGで龍村の監督によるドキュメンタリー映画『キャロル』を製作。
山根 秀夫(やまね ひでお、1940年4月19日 - 201… 山根 秀夫(やまね ひでお、1940年4月19日 - 2016年1月18日)は、日本の経営者。神戸新聞社、デイリースポーツ各社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1964年早稲田大学第一政治経済学部卒業後、神戸新聞社入社。1993年取締役、1995年常務を経て、1997年社長就任。2003年会長を経て、2005年相談役。1995年阪神淡路大震災の際には本社屋に大きな被害が出る中で、編集局長として京都新聞社の協力を得た上で新聞の発行を継続した。1997年から2003年までにデイリースポーツ社長も務めた。 2016年1月18日腎不全のために死去。75歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
尾崎 真義(おざき まさよし、1940年4月12日 - 20… 尾崎 真義(おざき まさよし、1940年4月12日 - 2004年11月9日 )は、日本の元ラグビー選手。 村野工業高校から法政大学へと進学。大学では1年目から活躍し、関東リーグ戦初優勝に貢献。 卒業後はトヨタ自動車に入社した。1963年のBCカナダ戦で初キャップを獲得。 1968年にオールブラックスジュニアを敵地で破った時の日本代表の主将であった。 元トヨタ自動車副部長。
藤本 達夫(ふじもと たつお、1940年3月29日 - )は… 藤本 達夫(ふじもと たつお、1940年3月29日 - )は、兵庫県赤穂市坂越の出身の元競泳選手。1960年ローマオリンピック競泳男子4×200mフリーリレー銀メダリスト。姫路工業大学附属高等学校(現・兵庫県立姫路工業高等学校)工芸科を経て、中央大学を1962年に卒業。1964年東京オリンピック競泳男子4×100m自由形リレーでは4位となった。
坂野 日出一(さかの ひでかず、1940年3月25日 - )… 坂野 日出一(さかの ひでかず、1940年3月25日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。 赤穂高校から播磨造船所を経て1961年に阪急ブレーブスへ入団。 1963年に国鉄スワローズへ移籍。同年に引退。
河口 龍夫(かわぐち たつお、1940年2月15日 - )は… 河口 龍夫(かわぐち たつお、1940年2月15日 - )は、日本の前衛美術、現代美術家。筑波大学名誉教授。 兵庫県神戸市出身。1958年に多摩美術大学(絵画科)に入学。卒業後は神戸を拠点に作家活動を開始。1965年にグループ<位>を結成。 1960年代から作品の発表を始める。関係をテーマに制作活動を実施。芸術表現を単にひとつのスタイルにすることや、視覚にのみ依存する芸術のあるように抗する芸術表現を模索し、作品を精力的に発表する。 1983年より筑波大学芸術学系助教授、1991年教授。2003年3月退官。筑波大学名誉教授。2003年4月より、京都造形芸術大学客員教授及び倉敷芸術科学大学教授。 2016年度毎日芸術賞受賞。
四方 八洲男(しかた やすお、1940年(昭和15年)2月1… 四方 八洲男(しかた やすお、1940年(昭和15年)2月10日 - )は、日本の政治家。元京都府綾部市長(3期)、元京都府議会議員(3期)、元綾部市議会議員(2期)。兄は元毎日新聞編集委員、元サンデー毎日編集長の四方洋、長男は京都府議会議員の四方源太郎。 兵庫県西宮市生まれ。終戦と共に、両親の郷里である綾部市(当時は何鹿郡綾部町)にUターンし、綾部市立綾部小学校、綾部市立綾部中学校、京都府立綾部高等学校、京都大学経済学部卒業。1963年(昭和38年)三菱重工業株式会社に入社。 1976年11月に「オールカラー版 世界の童話」(小学館)を自分の子供に読み聞かせていたところ、『ピノキオ』中の「びっこのキツネ」「めくらのネコ」という箇所に気づき、その点を指摘しながら「五体満足で利口な主人公を『期待される子供像』として描いている反面、他の障害を持つキャラクターを社会の落伍者として描いており、差別を拡大助長させる童話であり看過できない」と出版社に抗議する。
矢田 立郎(やだ たつお、1940年2月7日 - )は、日本… 矢田 立郎(やだ たつお、1940年2月7日 - )は、日本の政治家。兵庫県神戸市長(第15代)。
浅井 浄(あさい きよし、1940年2月6日 - )は、兵庫… 浅井 浄(あさい きよし、1940年2月6日 - )は、兵庫県出身の日本の元陸上競技選手。専門は短距離走。陸上競技引退後にプロ野球阪急ブレーブスでマネージャーやトレーニングコーチを務めた。 父は軍医で、終戦時には父が赴任していたベトナムにおり、フランス語の方が堪能だったという。日本への帰国まで長引いたため小学校には2年遅れて入り、日本語の拙さを周囲に揶揄されて母が通訳のために来たこともあった。明石市立衣川中学校から兵庫県立明石高等学校の時期に、短距離走で好成績を上げるようになる。兵庫県立明石高等学校から関西学院大学に進む。大学では小学生の時とは逆にフランス語の単位に苦しんだという。 在学中、関西学生対校選手権(関西インカレ)では1960年から1963年まで100メートル (m)で4連覇を達成。
明石海 秀昭(あかしうみ ひであき、1940年2月6日 - … 明石海 秀昭(あかしうみ ひであき、1940年2月6日 - 没年不明)は、兵庫県明石市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤本 秀昭(ふじもと ひであき)。176cm、84kg。最高位は東十両11枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 1956年5月場所初土俵、1962年5月場所十両昇進。連続4場所務めたが、幕下に陥落したのち、1967年1月場所限りで廃業した。
松原 新一(まつばら しんいち、1940年1月22日 - 2… 松原 新一(まつばら しんいち、1940年1月22日 - 2013年8月13日)は、文芸評論家。久留米大学文学部名誉教授。本名・江頭肇(えがしら はじめ)。 兵庫県神戸市出身。京都大学教育学部卒業。1964年、「亀井勝一郎論」で第7回群像新人文学賞評論部門受賞。1993年久留米大学教授。2010年定年、名誉教授。左翼的な立場にたち、内向の世代論争では内向の世代の自閉を批判した。 2013年8月13日、膵臓癌のため福岡県久留米市の病院で死去。73歳没。 長女は脚本家の江頭美智留。 大阪文学学校チューター、神戸大学教育学部助教授を経て、2010年まで久留米大学文学部教授。 1993年から96年まで読売新聞で文藝時評を担当した。
萩本 喜彦(はぎもと よしひこ、1940年〈昭和15年〉1月… 萩本 喜彦(はぎもと よしひこ、1940年〈昭和15年〉1月15日 - )は、兵庫県出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1975年(昭和50年)4月、兵庫県にて失踪した。失踪当時は35歳であった。彼については、朝鮮労働党連絡部幹部工作員だった金東赫が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)平壌市において非常によく似た人物を目撃したとの証言がある。 1940年〈昭和15年〉1月15日 生まれ。失踪当時は妻と子ども2人とともに兵庫県高砂市に居住し、製鉄会社の電気保全係として勤務していた。身長は165センチメートルで右眉に小さな傷跡があった。 失踪したのは1975年(昭和50年)4月4日のことである。
東 君平(ひがし くんぺい、1940年1月9日 - 1986… 東 君平(ひがし くんぺい、1940年1月9日 - 1986年12月3日)は、日本の絵本作家、童話作家。代表作に『のぼるはがんばる』、『くんぺい魔法ばなし』や『おはようどうわ』のシリーズがある。将棋観戦記者の東公平は兄であり、フリージャーナリストの東晋平は甥にあたる。また、妻の英子は、作家・ミュージシャンの辻仁成の母と従姉妹にあたる。娘・東菜奈も同じく絵本作家。 兵庫県神戸市出身。医師の子として生まれながらも、父の逝去と破産で家族は散り散りになり、不幸な子供時代を過ごす。秋山カメラ店の店員など職業を転々としながら御茶の水美術学院で絵の勉強を続け、谷内六郎と出会い、彼の後押しで童話のイラストレーターとしてデビュー。
丸山 完二(まるやま かんじ、1940年1月5日 - )は、… 丸山 完二(まるやま かんじ、1940年1月5日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ。 ファッションデザイナーの丸山敬太は実子。 西脇高校卒業後は1958年に立教大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは1年次の同年、2年次の1959年に3度の優勝を経験。3年次の1960年秋季リーグでは打率.365で首位打者となり、一塁手としてベストナインにも選出された。リーグ通算64試合出場、237打数68安打、打率.287、0本塁打、25打点を記録。大学同期に青野修三、寺本勇がいる。 1962年に国鉄スワローズへ入団。1年目の同年は開幕直後から一塁手、外野手として起用され、一番打者に定着。
島野 雅亘(しまの まさのぶ、1940年1月2日 - )は、… 島野 雅亘(しまの まさのぶ、1940年1月2日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 洲本高校では甲子園に出場できなかった。高校の1年上に鎌田実、蔦行雄がいる。1958年に大洋ホエールズへ入団。土井淳の控え捕手として1959年から一軍に定着。1961年には土井と併用され60試合に先発出場。1962年は正捕手として自己最多となる108試合に出場した。しかし翌年に土井にレギュラーの座を奪還され、その後は出場機会が減少。1965年オフに杉本公孝とのトレードでサンケイアトムズへ移籍するが、ここでは岡本凱孝の控えに回され、あまり活躍の場はなかった。1967年限りで引退した。引退後は夫人の経営する旅館を手伝う。
甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は… 甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は、検察官出身の元最高裁判所判事(2002年10月7日 - 2010年1月1日)。元東京高等検察庁検事長、元次長検事。弁護士。兵庫県豊岡市出身。
馬場 元子(ばば もとこ、1940年1月2日 - )は、ジャ… 馬場 元子(ばば もとこ、1940年1月2日 - )は、ジャイアント馬場夫人で元全日本プロレス社長、元全日本プロレスオーナー。兵庫県明石市出身。
藤 悟郎(ふじ ごろう、1940年 - )は、兵庫県出身の元… 藤 悟郎(ふじ ごろう、1940年 - )は、兵庫県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 芦屋高では、エースとして1958年秋季近畿大会県予選決勝に進み兵庫工と延長13回1-1の引き分け。再試合も延長20回0-0で引き分けとなり話題となる。翌1958年春の選抜に出場するが、1回戦で宇都宮工に敗退。同年夏の甲子園県予選は準決勝で兵庫工に敗退。高校の1年下に安藤敏雄がいた。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは、1年上に早慶六連戦で主軸となった清沢忠彦、角谷隆、三浦清(日本石油-大昭和製紙)、丹羽弘(全鐘紡)の4投手がおり、なかなか活躍の機会はなかった。しかし4年生時にはエースとして同期の大橋勲とバッテリーを組み、1962年秋季リーグで優勝、ベストナイン(投手)に選出された。
川上 元美(かわかみ もとみ、1940年 - )は日本のデザ… 川上 元美(かわかみ もとみ、1940年 - )は日本のデザイナー、川上デザインルーム代表。東京芸術大学、金沢美術工芸大学、神戸芸術工科大学などの客員教授を歴任。現在、多摩美術大学美術学部環境デザイン学科客員教授。GENOVA家具展金賞(イタリア)、アメリカ建築家協会主催インターナショナル・チェア・デザインコンペティション1席(USA)、iFデザイン賞(ドイツ)など国内外の賞を多数受賞。 1940年(昭和15年)、兵庫県に生まれる。兵庫県立芦屋高等学校、東京芸術大学美術学部工芸科(ID専攻)卒業。東京芸術大学院美術研究科(デザイン)修士課程終了。その間、作品集『アンジェロ・マンジャロッティ1955-64』(青銅社)に出会い、強く感銘する。
今井 功(いまい いさお、1939年12月26日 - )は、… 今井 功(いまい いさお、1939年12月26日 - )は、日本の弁護士(TMI総合法律事務所顧問)。元裁判官。東北大学法科大学院客員教授。最高裁判所判事を務めた。退官後は第一東京弁護士会に弁護士登録し、弁護士となる。兵庫県神戸市垂水区出身。 1958年(昭和33年)兵庫県立星陵高等学校、1962年(昭和37年)3月に京都大学法学部卒業。同年4月に第16期司法修習生、1964年(昭和39年)4月10日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
入川 保則(いりかわ やすのり、1939年〈昭和14年〉11… 入川 保則(いりかわ やすのり、1939年〈昭和14年〉11月10日 - 2011年〈平成23年〉12月24日)は、日本の俳優、司会者、声優、ナレーター、タレント。 兵庫県神戸市東灘区出身。関西学院高等部卒業。関西学院大学中退。身長は171cm。体重は70kg。 学生時代から俳優活動を在阪のテレビにて開始。数年後に活躍の場を広げるために上京した。現代劇と時代劇の両方で、主に脇役として活躍。刑事ドラマや時代劇の悪役、男性的な役どころが多かったが、喜劇的な役も洒脱にこなしていた。初期と中期は地元関西でのタレント・俳優活動が多かった。 3度の離婚歴があり、2度目の妻との間には娘が2人、3度目の妻であるホーン・ユキとの間には3人の息子がいる。