谷澤 幸生(たにざわ ゆきお、1958年 - )は、日本の医… 谷澤 幸生(たにざわ ゆきお、1958年 - )は、日本の医学者、教育者。山口大学学長。医学博士。和歌山県の出身。専門は糖尿病学。 1958年和歌山県の生まれ。1977年和歌山県立橋本高等学校を卒業。1983年山口大学医学部医学科を卒業。1987年同大学院医学研究科(内科系内科学専攻)修了し、医学博士となる。労働福祉事業団愛媛労災病院内科を経て、1989年同大学医学部附属病院(第3内科)助手になる。1990年にワシントン大学(米国ミズーリ州、セントルイス市)内科内分泌代謝糖尿病部門 (M. Alan Permutt教授) の研究員として勤務。1993年山口県に戻り、山口大学医学部附属病院(第3内科)医員、1995年同病院助手、1997年同病院講師、2002年に同大学院医学系研究科応用医工学系独立専攻生体シグナル解析医学講座分子病態解析学(旧内科学第3講座)教授、同大医学部附属病院第3内科科長を併任。
宮本 久也(みやもと ひさや、1957年 - )は、日本の教… 宮本 久也(みやもと ひさや、1957年 - )は、日本の教育者。全国高等学校長協会事務局長。元東京都立八王子東高等学校統括校長(第13代、2018年-2022年)、元東京都立西高等学校統括校長(第19代、2012年-2017年)、元全国高等学校長協会会長・現顧問。 和歌山県出身、和歌山県立那賀高等学校卒業。1980年に筑波大学第一学群人文学類(現:筑波大学人文・文化学群人文学類)卒業後、日本史の教員として都立高校の教壇に立つ。東京都教育庁指導部指導主事、同主任指導主事(高校改革担当)、都立学校教育部入学選抜担当副参事、指導部高等学校教育指導課長、指導企画課長などを経て、 2012年4月に東京都立西高等学校統括校長、2015年に全国高等学校長協会会長に就任(〜2018年3月)。
辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月… 辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月23日 - 1985年(昭和60年)10月19日)は、日本の教育者、政治家。日本社会党衆議院議員(8期)。日本武道館常任理事。 和歌山県出身。1940年(昭和15年)和歌山県立田辺中学校(現和歌山県立田辺中学校・高等学校)を卒業。朝鮮窒素肥料に入社し研究部に配属された。1943年(昭和18年)和歌山師範学校本科を卒業。和歌山県内の小中学校の教諭を務め、和歌山県教職員組合書記長、日本教職員組合中央執行委員、日本労働組合総評議会常任幹事などを歴任。 1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で和歌山2区から日本社会党左派公認で立候補して初当選する。
山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月2… 山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月23日 - 1983年(昭和58年)6月2日)は、昭和期の教育者、地方公務員、政治家。衆議院議員。 和歌山県伊都郡名倉村(高野口町を経て現橋本市高野口町)出身。1933年(昭和8年)東京高等師範学校文科を卒業した。 山形県立山形中学校(現山形県立山形東高等学校)教諭、三重県師範学校教諭、京都府師範学校教諭などを歴任。1943年(昭和18年)7月、高等試験行政科試験に合格。1945年(昭和20年)岩手県庁に入庁。学務課長兼厚生課長、労働部長、教育部長を歴任し、1948年(昭和23年)岩手県教育委員会教育長に就任。その後、公共企業体等労働委員会地方調停委員、岩手大学講師、私立修紅短期大学助教授などを務めた。
石田 アヤ(いしだ アヤ、1908年9月4日 - 1988年… 石田 アヤ(いしだ アヤ、1908年9月4日 - 1988年2月18日)は、昭和期の教育者。文化学院の創立者である西村伊作の長女。英文学を専攻し、1931年に母校文化学院の教授となり、1963年から父の後を継ぎ、校長になる。 1908年(明治41年)、父・西村伊作、母・光恵の長女として和歌山県新宮市に生まれる。9歳の頃に父が英訳本から訳し聞かせた『ピノキオ』を文章化、絵を描いて1920年(大正9年)に『ピノチヨ』として出版される。1921年(大正10年)に父がアヤのために設立し校長を務める文化学院に入学。やがて文化学院を卒業すると、追加創設された本科(大学部)に進学する。1928年(昭和3年)文学科を終えると卒業式をまたず渡米し、アメリカのマウントホリヨーク大学に入学する。
古田 誠一郎(ふるた せいいちろう、1897年6月27日 -… 古田 誠一郎(ふるた せいいちろう、1897年6月27日 - 1992年12月3日)は日本の社会事業家、教育者、ラジオ・テレビタレント、政治家。日本におけるボーイスカウト草創期の指導者の一人。初代の公選高槻市長、ボーイスカウト日本連盟理事、日本キャンピング連盟常任理事を歴任した。 1897年(明治30年)6月27日、和歌山市に古田吉兵衛の長男として出生。1914年(大正3年)、和歌山商業学校を卒業。 1919年(大正8年)、和歌山の聖救世主教会で受洗し日本聖公会に入信。同年神戸に移住する。 1921年(大正10年)12月1日、神戸聖ミカエル教会でボーイスカウト神戸第1隊(ウォーカー隊)を指導していたフレデリック・ウォーカー宣教師、竹内宗六神父の援助を受け、平井哲夫と共に神戸ボーイスカウト山手隊を結成。
澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889… 澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889年(明治22年)5月17日 - 1949年(昭和24年)4月15日)は日本の声楽家、音楽教育者、合唱指揮者、作曲家。日本の洋楽界のパイオニアとして重要な役割を果たした。 和歌山県有田市出身。1912年(明治45年)東京音楽学校声楽科卒。アウグスト・ユンケル、ハンカ・ペツォルトに師事。同年の卒業生には、声楽:中島かね・梁田貞、ピアノ:中山晋平・服部駟郎次、ヴァイオリン:多基永などがいる。 テノール歌手として、日本で最初の四重唱団「澤崎クヮルテット」名義の演奏記録もある(ソプラノ:武岡鶴代、アルト:柳兼子、テノール:澤崎、バス:矢田部勁吉)。
西村 伊作(にしむら いさく、1884年(明治17年)9月6… 西村 伊作(にしむら いさく、1884年(明治17年)9月6日 - 1963年(昭和38年)2月11日)は、日本の教育者、実業家。文化学院の創立者としても知られる。大正、昭和を代表する、建築家、画家、陶芸家、詩人、生活文化研究家。奈良県吉野郡下北山村で山林業、材木商を営む資産家で北山銀行の大株主兼取締役、紀和索道会社取締役。 和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)出身。豪商の父・大石余平、母・ふゆのあいだに長男として誕生。弟に大石眞子(次男)、大石七分(三男)がおり、三兄弟の名は敬虔なクリスチャンであった父親が、聖書に登場するイサク(伊作)、マルコ(眞子)、スティーブン(七分)にちなんで名付けた(伊作自身は生涯無宗教であった)。
東 基吉(ひがし もときち、明治5年3月15日(1872年4… 東 基吉(ひがし もときち、明治5年3月15日(1872年4月22日) - 昭和33年(1958年)4月20日)は、日本の教育者。 和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)出身。須川家に生まれ、東家の養子となった。1894年(明治27年)、和歌山県師範学校を卒業し、小学校訓導を務めた。その後東京高等師範学校に入り、1899年(明治32年)に卒業した。同年、岩手県師範学校教諭・附属小学校主事となる。1900年(明治33年)に東京女子師範学校助教授に転じて幼稚園教育研究に従事し、1903年(明治36年)に教授に昇進した。 1908年(明治41年)から宮崎県師範学校校長、栃木県女子師範学校校長、三重県女子師範学校校長、大阪府池田師範学校校長、宮城県師範学校校長を歴任し、1925年(大正14年)に退官した。
鳥山 啓(とりやま ひらく、天保8年3月25日(1837年4… 鳥山 啓(とりやま ひらく、天保8年3月25日(1837年4月29日) - 大正3年(1914年)2月28日)は、紀伊田辺藩(現和歌山県田辺市)出身の博物学者、教育者、作詞家。南方熊楠の恩師であり、「軍艦(軍艦行進曲)」の作詞者としても知られる。 天保8年3月25日(1837年4月29日)、田辺の大庄屋田所佐平の次男として生まれる。幼名は象次郎。名を為助、字を明郷とした。田辺藩士鳥山純昭の養子となり、藩主安藤直裕の近従として召し出される。8歳の頃から真砂丈平から漢学を、医師石田三郎から本草学を学び、15歳からは和歌山に出て本居内遠と熊代瑞穂に就き国学を修め、その傍らで天文学や科学、地理学、英学なども幅広く学んだ。