海龍 元生(かいりゅう げんき、1990年3月1日 - )は… 海龍 元生(かいりゅう げんき、1990年3月1日 - )は、和歌山県海南市出身で、出羽海部屋(入門時は田子ノ浦部屋)に所属した元大相撲力士。本名は山田 元紀(やまだ げんき)。身長178.0cm、体重139.9kg、血液型はA型。最高位は東幕下2枚目(2016年1月場所)。現在は世話人を務める。好物は焼肉、ソップ炊きのチャンコ。趣味は漫画。 入門前の相撲経験は小学4年次の1年間であり、その頃は大会前に稽古する程度であった。当時から頭で当たることが苦手であったことで相撲に自信が無くなり5年次には見学だけに留まり、さらに6年次には道場通いそのものをやめてしまった。ところが、6年次に田子ノ浦が勧誘にやってきた際に山田は思わず入門を直訴。
木村山 守(きむらやま まもる、本名:木村 守(きむら まも… 木村山 守(きむらやま まもる、本名:木村 守(きむら まもる)、1981年7月13日 - )は、和歌山県御坊市出身で春日野部屋所属だった元大相撲力士。身長182cm、体重183kg、血液型はA型、星座は蟹座。得意は押し。最高位は西前頭7枚目(2010年11月場所)。愛称はマァマン、キム。2014年1月場所で現役引退、年寄・岩友を襲名。
床健(とこけん、1974年12月27日 - )は、大相撲の床… 床健(とこけん、1974年12月27日 - )は、大相撲の床山。本名は西崎健。和歌山県御坊市出身。現在武蔵川部屋所属(所属部屋履歴は武蔵川部屋→藤島部屋→武蔵川部屋)。現在一等床山を務めている。和歌乃山の弟。
和歌乃山 洋(わかのやま ひろし、1972年5月12日 - … 和歌乃山 洋(わかのやま ひろし、1972年5月12日 - )は、和歌山県御坊市出身で武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名は西崎 洋(にしざき ひろし)。現役時代の体格は身長178cm、体重166kg。得意技は突き押し、左四つ、寄り。最高位は西小結(2001年3月場所)。血液型はB型。 実弟は同じ武蔵川部屋所属の床山・床健、愛称は本名のニシザキ。家族は妻・長男・長女・次女(長女と次女は双子である)。 幼い頃から相撲を始め、5学年先輩である同郷の大輝煌と同じ相撲道場に通い、大相撲では和歌乃山の方が2年早く初土俵を踏んだ。御坊市立御坊中学校時代は相撲部に所属し全国大会に出場する活躍を見せ、武蔵川部屋の関係者から再三の勧誘があり武蔵川部屋に入門を決意した。
市場 孝之(いちば たかゆき、1970年9月8日 - )は、… 市場 孝之(いちば たかゆき、1970年9月8日 - )は、和歌山県田辺市出身の元大相撲力士、元プロ野球選手(外野手)。 大相撲廃業後にNPBに進んだという異色の経歴の持ち主。 田辺市立明洋中学校時代は野球部で4番を打つ傍らで相撲部でも活躍し、1986年3月の中学卒業と同時に佐渡ヶ嶽部屋に入門して同年3月場所に琴市場(こといちば)の四股名で初土俵を踏んだ。1987年3月場所では6勝1敗の好成績をおさめ、翌5月場所には自己最高位となる序二段42枚目まで昇格したが左膝捻挫のために途中休場し、同年9月場所限りで廃業した。 大相撲廃業後は、1988年4月に国際海洋高校へ入学するとともに、野球部に入部した。
大輝煌 正人(だいきこう まさと、1967年9月15日 - … 大輝煌 正人(だいきこう まさと、1967年9月15日 - 2009年6月6日)は、和歌山県御坊市出身で武蔵川部屋に所属した大相撲力士である。本名は林 正人(はやし まさと)。身長186cm、体重165kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭15枚目(1991年1月場所)。血液型A型、趣味はパチンコ。
久島海 啓太(くしまうみ けいた、1965年8月6日 - 2… 久島海 啓太(くしまうみ けいた、1965年8月6日 - 2012年2月13日)は、和歌山県新宮市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は久嶋 啓太(くしま けいた)。身長187cm、体重204kg。得意手は右四つ、寄り、極め出し、小手投げ。最高位は東前頭筆頭。愛称はネッシーにかけた怪物クッシー 新宮市で靴製造販売業を営む家に二男として生まれる。4歳の時に相撲好きである父親の指導で相撲を始めたが、小学校では卓球や陸上を、中学校ではバスケットボールをやっていた。 和歌山県立新宮高等学校へ進学した時は186cm・160kgと堂々たる体格で、1年生から3年生まで3年連続で全国高等学校相撲選手権大会で優勝を果たし、高校3年時には全日本相撲選手権大会でも優勝し、史上初となる高校生でのアマチュア横綱を獲得して、同年齢で中学生横綱を2年連続で獲得した秋本久雄とともに高校卒業後の進路が注目されたが、教員志望で高卒後のプロ入りはせず日本大学への進学を明言した。
栃乃和歌 清隆(とちのわか きよたか、1962年5月22日 … 栃乃和歌 清隆(とちのわか きよたか、1962年5月22日 - )は、和歌山県海南市(旧海草郡下津町)出身で、春日野部屋所属の元大相撲力士。本名は、綛田 清隆(かせだ きよたか)、身長190cm、体重162kg。最高位は東関脇(1987年11月場所、1992年5月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。
照の花 謙二(てるのはな けんじ、1941年10月26日 -… 照の花 謙二(てるのはな けんじ、1941年10月26日 - 没年不明 )は、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。本名は道脇 謙二(みちわき けんじ)。現在の和歌山県海南市出身。173cm、140kg。最高位は東十両6枚目。得意技は左四つ、上手出し投げ。 母の知人が横綱・照國を贔屓にしていて伊勢ヶ濱部屋が和歌山で泊まりつけにしている旅館「米栄楼」を経営していたのが縁で勧誘され、自身は遊びたい一心で相撲は嫌だったので入門を拒んだが、母に「絶対帰って来てはいかん」と言われて入門した。しかし、身長が足りなかったこともあって4年間も新弟子検査に合格できなかった。1956年9月場所に初土俵。明朗で素直な性格であったが、気の小ささから大事な一番を落とすことが多かったので出世は早くなかったが、1964年1月場所に十両昇進。
那智ノ山 公晴(なちのやま きみはる、1920年8月15日 … 那智ノ山 公晴(なちのやま きみはる、1920年8月15日 - 1994年12月22日)は、和歌山県日高郡日高川町(現役時代は、同郡矢田村)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は柏木 佐平(かしわぎ さひら)。最高位は西前頭19枚目(1950年9月場所・1951年1月場所)。現役時代の体格は182cm、99kg。得意手は右四つ、三所攻め、大股、小股掬い。 1937年5月、横綱・武蔵山の一行が巡業で和歌山市内を訪れた際に出羽海親方(元小結・両國)の熱心なスカウトを受け、それに応じて出羽海部屋へと入門。同年5月場所で初土俵を踏み、翌年5月、本名でもある「柏木」の四股名で序ノ口に付いた(その後、「那智ノ海」を経て「那智ノ山」へ改名している)。
和歌ノ海 忠次郎(わかのうみ ちゅうじろう、1919年2月1… 和歌ノ海 忠次郎(わかのうみ ちゅうじろう、1919年2月1日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。和歌山県田辺市出身。本名は峰 忠次郎(みね ただじろう)。身長180cm、体重92kg。最高位は東十両6枚目。得意技は左四つ、押し。 1937年1月場所に初土俵を踏む。1943年5月場所に十両に昇進。この場所は5勝10敗と大きく負け越し、1場所で幕下に陥落した。1945年6月場所に十両に復帰したが、3勝4敗と負け越した。翌11月場所は初日から全休、この場所限りで26歳で廃業した。左四つの相撲が得意だったが、押し相撲でも良く、組んでも離れても巧さが光る取り口であった。
和歌嶌 三郎(わかしま さぶろう、1906年9月22日 - … 和歌嶌 三郎(わかしま さぶろう、1906年9月22日 - 1961年3月4日)は、和歌山県日高郡川辺町(現:和歌山県日高郡日高川町)出身の元大相撲力士。本名は松井 三郎(まつい さぶろう)。 「和歌嶋」と表記する文献が多いが、番付上では「和歌嶌」の表記である。 1906年9月22日に和歌山県日高郡川辺町(現:和歌山県日高郡日高川町)で生まれる。和歌山県立田辺中学校に通っていたが、相撲の強さを同郷の高ノ山三郎に見出されたため、3年生で中途退学して入間川部屋へ入門、間もなく出羽海部屋へ転属した。四股名は郷里・和歌山県に因んで「和歌嶌」とした。 1923年1月場所で初土俵を踏むと、スピード出世で1928年5月場所で新十両昇進、その十両も僅か2場所で通過し、1929年1月場所で新入幕を果たした。
玉碇 佐太郎(たまいかり さたろう、1901年3月29日 -… 玉碇 佐太郎(たまいかり さたろう、1901年3月29日 - 1975年10月25日)は、和歌山県海南市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名山村 佐太郎(やまむら さたろう)。最高位は前頭筆頭。身長170cm、体重105kg。得意手は押し。 1920年1月場所初土俵、1925年1月に十両昇進、一時幕下に陥落したが、1928年3月新入幕をはたした。横綱・宮城山福松に強く、金星を3個獲得している。1932年1月、春秋園事件で脱退。1937年末の関西協会の解散まで現役を続けた。 徹底した押し相撲で、指が変形したほど稽古に打ち込んだ。生涯四つ相撲になったのが二番、打っ棄りを食らったことは一度もなく、「相撲の神様」と呼ばれた幡瀬川が絶賛していた。
高ノ山 三郎(たかのやま さぶろう、1896年11月15日 … 高ノ山 三郎(たかのやま さぶろう、1896年11月15日 - 没年不明)は、和歌山県和歌山市出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は宮尾 三郎。176cm、94kg。最高位は西前頭6枚目。得意技は右四つ、寄り、投げ。 早稲田実業高校に在学中、自ら角界に飛び込んだインテリ力士。 1912年5月初土俵、1919年5月十両昇進。1922年1月入幕を果たす。病気療養中に家族とともに関東大震災に遭遇し、本人以外の家族は全員死亡したため、悲嘆に暮れてしまい、1924年1月場所前に27歳の若さで廃業した。被災当時、義両親、二人の義姉、妻と二人の子供がいたが、妻は翌月に第三子の出産を控えていたという。 廃業後は家族の冥福を祈るため、高野山で出家得度を受け、満州にいる兄の元に身を寄せ、その後、四国巡礼のお遍路さんになったというが、その後の消息は不明。
相生 枩五郎(あいおい まつごろう、1882年12月11日 … 相生 枩五郎(あいおい まつごろう、1882年12月11日 - 1922年3月16日)は、現在の和歌山県和歌山市出身で朝日山部屋および高田川部屋(大阪)出羽海部屋(東京)に所属した力士。本名は川口 清一郎。身長166cm、体重109kg。最高位は東大関。 大阪相撲の朝日山部屋に入門し二瀬川 清二郎を名乗って1898年10月見習となる。1903年5月十両。1904年1月歌舞伎から取った放駒 長吉と改名。同年5月入幕。1907年1月新大関となりその場所9戦全勝を記録した。1910年2月7勝2分の土付かずで2度めの優勝相当成績を残すが場所後に脱走して東京相撲に移った。 東京では相生 枩五郎と名乗り1911年1月三役格付け出し。
大湊 徳枩(おおみなと とくまつ、1876年1月3日 - 1… 大湊 徳枩(おおみなと とくまつ、1876年1月3日 - 1937年1月9日)は、現在の和歌山県御坊市出身で小野川部屋(大坂相撲)、出羽海部屋に所属した元力士。本名は芝松次朗(旧姓阪本)。170cm、90kg。最高位は西前頭3枚目。 大坂相撲に属したが常陸山谷右エ門に憧れ東上し、1905年1月幕内格付出で初土俵入幕。1907年5月場所2日目には横綱・大砲万右エ門と引き分けた。1911年6月に廃業後は、電気器具の貸し出し業を営んだ。
千田川 熊藏(せんだがわ くまぞう、1792年 - 1828… 千田川 熊藏(せんだがわ くまぞう、1792年 - 1828年2月22日(文政11年1月8日))は、大坂相撲・朝日山部屋、真鶴部屋、玉垣部屋に所属した大相撲力士。第99代大関。のち千田川吉藏。本名は目良 熊吉(吉藏)。紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市)出身。188cm、体重不明。最高位は西大関。 大坂相撲を経て、1814年11月に関脇格で江戸相撲に加入、紀州藩の抱えであった。翌場所には大関に上がった。大関から陥落して2場所後に、四股名を千田川吉藏に改めた。以後も三役、上位で実力を発揮したが病に倒れ、1823年2月以降土俵を離れた。1828年に現役力士のまま死去した。 熊野潟(大坂相撲)→千田川熊藏(江戸相撲)→千田川吉藏(1816年3月場所-)