石橋 通宏(いしばし みちひろ、1965年7月1日 - )は… 石橋 通宏(いしばし みちひろ、1965年7月1日 - )は、日本の労働運動家、政治家。立憲民主党所属の参議院議員(3期)。父は衆議院議員を務めた石橋大吉。情報労連組織内候補。 島根県安来市生まれ。幼少期を東京都武蔵野市で過ごす。1978年に松江市立内中原小学校卒業、1981年に松江市立第一中学校卒業。1984年に島根県立松江北高等学校卒業。1988年に中央大学法学部法律学科卒業後、アメリカ合衆国のアラバマ大学大学院に留学して1991年に修了して政治学修士号取得。現在は東京都在住。 1992年に帰国し全国電気通信労働組合中央本部入職(国際部職員)。 1994年に国際自由労働組合総連盟・アジア太平洋地域事務所(ICFTU-APRO、在シンガポール)へ出向。
石原 倫理(いしはら ともただ、1957年2月27日 - )… 石原 倫理(いしはら ともただ、1957年2月27日 - )は、日本の右派・保守系の政治運動家。 島根県安来市出身。日本大学法学部卒業。維新政党・新風福岡県幹事長。2004年の第20回参議院議員通常選挙に福岡県選挙区から立候補、落選して現在にいたる。松江市在住。北朝鮮に拉致された日本人を救う島根の会事務局長、特定非営利活動法人新風たすけあひ機構の理事でもある。 東アジア諸国に関心を持ち、学生時代から国際交流活動をおこなっていた。1996年に韓国国内で竹島問題を発端として反日感情が高まる中、日本国民はおろか、竹島を県土としてもつ島根県民さえもが、この問題に無関心であることに疑問を感じ竹島を考える会を発足する。
日野 雄策(ひの ゆうさく、1957年 - )は、日本の環境… 日野 雄策(ひの ゆうさく、1957年 - )は、日本の環境活動家。島根県出身、広島県育ち。 1957年、島根県邑智郡瑞穂町(現邑南町)に生まれ、幼少期に親の引越しで広島県に転居し、高校までを佐伯郡五日市町(現広島市佐伯区五日市)で過ごす。大学受験直前に理科系志望から方向転換し、東京芸大油絵科を受験。5年の浪人を経て実技試験で合格するも、辞退しアメリカに渡航。そこで絵画と心理学を学び、帰国後精神病院でのアートセラピーなどのボランティア活動を行う。ただ、斬新な彼のアートセラピーは病院側に受け入れられず、解雇される。その後、1年間の放浪を経て、フリーライターとなり学習研究社や講談社などで執筆活動を始める。
小田川 義和(おだがわ よしかず、1954年または1955年… 小田川 義和(おだがわ よしかず、1954年または1955年 - )は、日本の労働運動家、法務局職員。全法務中国地本書記長、国公労連書記長を経て全国労働組合総連合 (全労連) 議長。 島根県木次町 (現・雲南市) 生まれ。高校卒業後、広島法務局に採用され、三次支局に勤務。人権関係を長く担当。全法務省労働組合 (全法務) では、21歳で広島支部書記長、29歳から中国地方本部書記長を務めた。日本国家公務員労働組合連合会 (国公労連) では広島県国公事務局長を務め、県労連や広島地域労連の準備会の中心を担い、JRのローカル線存続など幅広く地域での運動に関わった。1991年 国公労連中央執行委員。同調査部長、同書記次長を経て同書記長。
斎藤まさし(さいとうまさし、1951年〈昭和26年〉 - )… 斎藤まさし(さいとうまさし、1951年〈昭和26年〉 - )は、日本の政治活動家、市民運動家。MPD・平和と民主運動(市民の党)代表。本名は酒井剛(さかいたける)。 島根県邇摩郡五十猛村生まれ。島根県立大田高等学校卒業。1970年、上智大学外国語学部ロシア語学科に進学し、在学中から学生運動に参加。1971年の学生訪中団にも加わる。1972年に上智大学から除籍処分を受けた。1974年に学生運動団体「日本学生戦線」を、1979年に「立志社」を設立した。 1983年、参議院議員の田英夫元社会民主連合代表や八代英太、宇都宮徳馬らと政治団体「MPD・平和と民主運動」を立ち上げ、1996年には、市民の党を結成。
金子 哲夫(かねこ てつお、旧姓:松浦(まつうら)、1948… 金子 哲夫(かねこ てつお、旧姓:松浦(まつうら)、1948年(昭和23年)7月18日 - )は、日本の政治家、労働運動家、市民活動家。全国電気通信労働組合役員、原水爆禁止広島県協議会代表委員、衆議院議員(1期)、社会民主党広島県連代表を務めた。退任後は原水禁共同議長に就任している。 2001年12月7日に、当時の社民党副党首である渕上貞雄参議院議員や朝鮮総連副議長らとともに警視庁を訪問し、「朝鮮総聯中央本部に対する強制捜査は不当な政治弾圧」という決議文を伝達した。警察庁の幹部は、朝鮮総連幹部に国会議員が同行したことに「経済事件でバッジ(国会議員)が来るとは何事だ」と激怒し、警察庁は抗議文を内容証明付きで送り返した。
青砥 恭(あおと やすし、1948年 - )は、日本の社会活… 青砥 恭(あおと やすし、1948年 - )は、日本の社会活動家。NPO法人さいたまユースサポートネット代表理事。 島根県松江市出身。明治大学法学部卒業。大学卒業後は、警備員のアルバイトに従事しており、教師になってからは20年間にわたり埼玉県の公立高校で教員として勤務した後、2019年3月まで関東学院大学、埼玉大学、明治大学などで教育学・教育法学・教育社会学などの分野で講師を務めた。主に「子ども・若者の貧困と格差」を研究テーマに教育と持続的な地域づくりという視点から研究をしている。2011年7月に友人らと特定非営利活動法人さいたまユースサポートネットを設立。その後は、さいたま市で学習支援、居場所づくり、就労支援など若者たちの包括的支援のネットワークと地域拠点をつくる活動をしている。
和田 好清(わだ よしきよ、1937年(昭和12年)- )は… 和田 好清(わだ よしきよ、1937年(昭和12年)- )は、日本のジャーナリスト、学者、政治活動家である。島根県大田市出身。早稲田大学卒業。産経新聞記者、藤田正明参議院議員政策担当秘書、新自由クラブ島根県連合代表、米アラスカ大学政治学客員教授、グアム大学政治学教授・総長顧問などを務めた。
神門 至馬夫(ごうど しまお、1922年(大正11年)3月1… 神門 至馬夫(ごうど しまお、1922年(大正11年)3月1日 - 1974年(昭和49年)12月11日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 島根県邑智郡川戸村(桜江村、桜江町を経て現江津市)で生まれる。江津町小学校高等科を卒業し、1937年(昭和12年)鉄道省に入省。1941年(昭和16年)広島鉄道教習所機関士科を卒業し機関士として乗務。 戦後、日本国有鉄道浜田機関区で勤務。1950年(昭和25年)国鉄労働組合の専従となり、国労米子地方本部書記長、同委員長、島根県労働組合協議会議長、同事務局長、島根県農民協議会副会長、島根県労働委員、島根県労働基準審議会委員などを務めた。 小瀧彬の死去に伴い1958年(昭和33年)7月に実施された第4回参議院議員通常選挙・島根県地方区補欠選挙に出馬して落選。
岡崎 功(おかざき いさお、1920年7月17日 - 200… 岡崎 功(おかざき いさお、1920年7月17日 - 2006年)は、日本の右翼活動家・教育者。島根県出身。昭和戦前期から占領期にかけて活動し、1945年に松江騒擾事件を起こした。別名岡崎允佐夫(おかざき いさお)。 松江騒擾事件とは島根県庁の焼き討ち事件で、1945年8月24日、終戦に不満をもった岡崎らが「聖戦続行、昭和維新政府樹立」を要求して皇国義勇軍と名乗り、島根県知事公舎、発電所、新聞社等を襲撃した。襲撃後、皇国義勇軍は罪を不問とする条件で投降したが、岡崎は戦時騒擾罪等で無期懲役となって服役した。1952年、サンフランシスコ平和条約発効等による恩赦で出所。その後、1961年に学校法人淞南学園、現立正大学淞南高等学校を創立して理事長となり、長く学校の経営にあたった。
木村 栄(きむら さかえ、1910年(明治43年)12月4日… 木村 栄(きむら さかえ、1910年(明治43年)12月4日 – 1991年(平成3年)12月31日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 島根県八束郡古江村(現松江市)で生まれた。松江中学校(現島根県立松江北高等学校)を3年で中退し、1929年(昭和4年)に文学を志して上京したが半年で帰郷。農民運動に加わり、全国農民組合島根県連青年部書記を務めた。1931年(昭和6年)治安維持法違反容疑で起訴された。また、若松汽船大阪出張所、山陰道産業にも勤め、のち陸上小運搬業も経営した。 戦後、日農島根県連の結成に参与し書記長に就任し、県農地委員となり農地改革を推進した。日本共産党に入党し、1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で島根県全県区から共産党公認で出馬して初当選。
中地 熊造(なかち くまぞう、1905年2月10日 - 19… 中地 熊造(なかち くまぞう、1905年2月10日 - 1982年11月7日)は、昭和時代の労働運動家。全日本労働総同盟(同盟)初代会長。全日本海員組合組合長。 島根県海士郡海士村(現隠岐郡海士町)生まれ。1918年布施小学校高等科中退。1920年大阪に出て町工場で働いた後、1921年万世丸水夫見習を皮切りに海員生活に入る。1928年社会民衆党に入党。1933年日本海員組合に加盟。1934年日本海員組合革正同盟に加わり、1935年新日本海員組合結成に参加、大阪支部長。1945年8月海員組合創立準備会の設立を経て、同年10月全日本海員組合結成に参加。1946年8月から9月の人員整理反対闘争で主流派(右派)と中央闘争委員会派(左派)が対立し、右派の一員として実力で左派を排除。
帯刀 貞代(たてわき さだよ、1904年6月7日 - 199… 帯刀 貞代(たてわき さだよ、1904年6月7日 - 1990年3月31日)は、日本の女性運動家、新日本婦人の会代表委員。 島根県飯石郡掛合村(現・雲南市)出身。松江高等女学校(現・島根県立松江北高等学校)卒業後の1924年に上京、織本利との結婚をきっかけに労働運動に関わる(1929年離婚)。昭和初め、全国婦人同盟や無産婦人同盟の結成に参加した。 1929年8月、東洋モスリン亀戸工場の女性労働者を主たる対象として「労働女塾」を開いた。労働者意識と女子教育を組み合わせた教育活動を行う。1930年同工場の閉鎖を巡る労働争議に参加、その後検挙と投獄を繰り返しながら執筆活動を行った。戦後も婦人解放運動に取り組んだ。
三原 スヱ(みはら スヱ、1903年〈明治36年〉9月1日 … 三原 スヱ(みはら スヱ、1903年〈明治36年〉9月1日 - 1986年〈昭和61年〉7月8日)は、日本の社会事業家。四国唯一の女子専門少年院「丸亀少女の家」(香川県丸亀市)の創設者にして初代院長である。終戦直後に戦災孤児の少女を引き取ったことを皮切りとして、私費を投じて更生施設として「少女の家」を開設、約800人の少女の保護と更生に尽くした。更生保護施設「和光園」により、出院後の少女たちのアフターケアにも努めた。晩年は研修宿泊施設「瀬戸青少年会館」を設立して、青少年育成のために尽力した。別表記は三原スエ、三原すゑ、三原寿恵など。 島根県益田町(現・益田市)で誕生した。幼少時に両親が離別して、母子家庭に育った。
松本 淳三(まつもと じゅんぞう、1895年(明治28年)1… 松本 淳三(まつもと じゅんぞう、1895年(明治28年)1月1日 - 1950年(昭和25年)10月9日)は、日本のプロレタリア詩人、無政府主義者、政治家。衆議院議員。本名・淳造。 島根県美濃郡高城村神田(現益田市)で、山口唯美、松本カノ夫妻の長男として生まれ、祖父養軒に養育された。1914年、島根県立浜田中学校を卒業し、慶應義塾大学部理財科に進んだが1916年に中退し、その後、西日本各地や東京などを放浪した。 1918年、久原鉱業佐賀関製錬所に作業員として就職。1920年、堺利彦の推薦で雑誌『中外』の記者となり、日本社会主義同盟に加盟。1921年、自由人連盟の演説会で右翼に刺された。同年9月、再刊された『種蒔く人』の同人となる。
福田 狂二(ふくだ きょうじ、1887年(明治20年)6月1… 福田 狂二(ふくだ きょうじ、1887年(明治20年)6月14日 - 1971年(昭和46年)11月13日)は、日本の明治から昭和にかけての社会運動家。大正末から昭和初年にかけての島根の社会主義運動の担い手の多くを育てる。別名福田素顕。 島根県簸川郡久多美村東福(現・出雲市)に生まれる。父・蓮之助は県会議員・県会議長を務めた県政界の有力者であった。1903年(明治36年)、上京して成城中学に入学。1904年(明治37年)11月、普通選挙実現や治安警察法改正を求める平民懇親会(於錦輝館)に参加する。1905年(明治38年)、早稲田大学政治科に入学。清国からの留学生と交流する中で社会主義を受容し、同大学を中退して社会運動に身を投じる。
大庭 政世(おおば まさよ、明治15年2月14日(1882年… 大庭 政世(おおば まさよ、明治15年2月14日(1882年) - 昭和14年5月19日(1939年)は、島根県津和野町出身の農民運動家。 日本初の産業組合病院の設立に尽力した。 明治15年(1882年)、鹿足郡須川村(現・津和野町)の小山家で生まれた。 明治35年(1902年)に京都府立農学校を卒業、明治36年(1903年)、愛知県立農事試験場技師に就任。 明治40年(1907年)、青原村(現・津和野町)の大庭家の養子となる。 明治41年(1908年)、帰郷。青年団運動に身を置き、養鶏、養蚕などの新しい技術を取り入れたことが青年団の人望を集める。 大正7年(1918年)、青年団に押された形で青原村産業組合長に就任。
若林 快三(わかばやし かいぞう、明治11年(1878)1月… 若林 快三(わかばやし かいぞう、明治11年(1878)1月24日 ~ 大正10年(1921)7月6日)は、満蒙独立運動に関わった活動家である。 明治29年(1896)9月22日に原田村(現・島根県隠岐郡 隠岐の島町 原田)の秋庭源太の養嗣子となるが、明治30年(1897)5月24日離縁、父親・彰信の戸籍に戻る。 明治31年(1898)1月31日に彰信の戸籍より分家届出。 明治34年(1901)1月に設立された黒龍会(国家主義団体)に所属。第一次満蒙独立運動(大正元年・1912年)、第二次満蒙独立運動(大正5年・1916年)に関り、殉難した。 現在のモンゴル国にはいった最初の島根県人とされている。
桑原 羊次郎(くわばら ようじろう、慶応4年4月18日(18… 桑原 羊次郎(くわばら ようじろう、慶応4年4月18日(1868年5月10日) - 昭和30年(1955年)7月21日)は、明治後期から昭和前期にかけての美術工芸研究家、社会事業家、政治家(衆議院議員)。号は双蛙(そうあ)。 肉筆浮世絵コレクター、装剣金工研究家として知られる。1910年の日英博覧会では日本美術部門委員を務めた。 慶応4年4月18日(1868年5月10日)、代々松江藩両替商を務めた「桑屋太助」本家の6代目・愛三郎の次男(第4子)として生まれた。明治9年(1876年)より内村友輔(鱸香)の私塾「相長舎」に通う。明治14年(1881年)5月、本町小学校上等科を卒業し、同年9月に松江中学校へ入学した。
加藤 公平(かとう こうへい、1865年3月4日(元治元年2… 加藤 公平(かとう こうへい、1865年3月4日(元治元年2月7日) - 1923年(大正12年)8月5日)は、戦前日本の政治活動家、実業家、教育者。 本名は加藤 正雄(かとう まさお)。石見国安濃郡(現・島根県大田市)出身。波根東村上川内本加藤家13代目当主。 明治期に石見地方で展開された自由民権運動において、明治自由党石陽部に加わり、小原鉄臣、堀哲三、米田和一らと活動を共にした。 波根八幡宮の偽党撲滅会は、社殿の中央に演台を設け壇上には緋毛布を敷き白地に赤文字で偽党撲滅怪社退治と記した幕を、社殿中は 一面に商燈を点じ聴衆数百人に演説を促がしたものであった。 『第一席には、多久礼造が偽党撹滅去の組合という題にて改進党が偽党であることを弁じ立憲改進党を撲滅するは今日の急務であると演じた。
佐野 文子 は、日本の社会運動家、社会事業家。北海道旭川市で… 佐野 文子 は、日本の社会運動家、社会事業家。北海道旭川市で明治時代から昭和時代にかけて活動した人物であり、日本キリスト教婦人矯風会(以下、矯風会と略)旭川支部における戦前の廃娼運動、戦中の内閣総理大臣・東條英機の秘書としての活動などの戦争協力、戦後の保護司としての刑余者の援助活動などで知られる。旧姓は水津(すいつ)。島根県那賀郡浜田町(後の浜田市)出身、島根県立高等女学校(後の島根県立浜田高等学校)卒業。