田中 清行(たなか きよゆき、1957年 - )は、出版社社… 田中 清行(たなか きよゆき、1957年 - )は、出版社社長、編集者、元日本有権者連盟会長。 山口県岩国市錦見出身。山口県立岩国高等学校、上智大学文学部卒業。会社勤務などを経て、1994年に出版社「四谷ラウンド」を設立。佐藤亜紀、兵頭二十八、松原隆一郎、潮匡人などの文芸出版や、『中学生の教科書』シリーズ『下町酒場巡礼』シリーズ、社会政治評論で『政治家の通信簿』などを80点近くの書目を刊行。四谷ラウンド文学賞を設け(第5回まで)、『モンスーン』『40's』などの雑誌を創刊した。2002年11月、四谷ラウンドは倒産し田中は自己破産した。 2004年に市井文学株式会社を設立した。2006年、岩国飛行場の縮小・撤去を掲げて岩国市長選に立候補し落選した。
水上 はるこ(みなかみ はるこ、1947年8月16日 - )… 水上 はるこ(みなかみ はるこ、1947年8月16日 - )は、元雑誌編集者、音楽評論家、翻訳家。本名非公開。 愛媛県生れ、山口県下関市で育つ。1966年、山口県立下関南高等学校卒業後、新興楽譜出版社(現シンコーミュージック・エンタテイメント )に入社。1966年5月、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」編集部に配属された。そのタイミングで来日したビートルズのコンサートをすべて見て、コンサート評を書いた。当時の編集長は星加ルミ子だったが、水上はボブ・ディランやジャニス・ジョプリンなどを好み、星加編集長の「そんな記事を書いても雑誌は売れない」というポリシーと対立し、3年後に一度、会社を辞めている。高校時代にはフォーク・ソングにも興味をもち、ギターを弾いて歌っていた。
ターザン 山本(ターザン やまもと、1946年4月26日 -… ターザン 山本(ターザン やまもと、1946年4月26日 - )は、日本の元プロレス編集者。山口県岩国市生まれ。 本名は山本 隆司(やまもと たかし)。身長178cm。愛称はターザン、ター山、落武者等。 山口県立岩国高等学校卒業、立命館大学文学部中国文学専攻中退ののち、映写技師を経て、1977年に新大阪新聞社に入社した。『週刊ファイト』のプロレス担当記者を務める。 1980年にベースボール・マガジン社へ移籍する。1987年、『週刊プロレス』の編集長に就任し、のちには『格闘技通信』の編集長も兼任、“活字プロレス”、“密航”などの流行語を生む。また、『週刊プロレス』の発行部数(公称40万部)を背景に、新興団体SWSに対するバッシング・四天王プロレスの評価・インディ団体FMWのプッシュなどを行い、プロレス界に大きな影響を与えた。
坂本 忠雄(さかもと ただお、1935年4月15日 - 20… 坂本 忠雄(さかもと ただお、1935年4月15日 - 2022年1月29日)は、日本の編集者。 月刊文芸誌『新潮』編集長を長年務めた。三田文学新人賞選考委員、開高健記念会会長。こども読書推進賞表彰選考委員。山口県下関市生まれ。
楢崎 勤(ならさき つとむ、1901年11月7日 - 197… 楢崎 勤(ならさき つとむ、1901年11月7日 - 1978年12月1日)は、昭和期の日本の編集者、小説家。 山口県萩市生まれ。同志社大学中退。1925年新潮社に入社、『新潮』の名編集者として鳴らし、太平洋戦争末期の1944-45年には、言論活動や出版が困難な時期に編集長として舵を取った。その一方で新興芸術派の小説家としても活動、戦後まもなくは、太宰治の担当だったことで知られる。のち読売新聞記者に移籍した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
仲木 貞一(なかぎ ていいち、1886年9月11日 - 19… 仲木 貞一(なかぎ ていいち、1886年9月11日 - 1954年4月28日)は、日本の劇作家、編集者である。 1886年(明治19年)9月11日、仲木之稙の子として、石川県に生まれる。山口県に転じ、旧制・山口県立徳山中学校(現在の山口県立徳山高等学校)を卒業後、上京し、早稲田大学英文科を卒業する。 1910年(明治43年)、24歳のころ、新聞『萬朝報』の懸賞戯曲に応募し、『世の終り』が1等当選した。読売新聞社に入社、同新聞の記者をつとめる傍ら、秋田雨雀らと『劇と詩』を創刊している。その後、芸術座に入るが、1919年(大正8年)には同劇団は島村抱月と松井須磨子の死により解散した。のちに新国劇に参加し、座付作家として『飛行曲』、女優・伊沢蘭奢の当たり役『マダムX』などの戯曲を発表、劇場運営にも関わった。
阿武 天風(あぶ てんぷう、1882年〈明治15年〉9月8日… 阿武 天風(あぶ てんぷう、1882年〈明治15年〉9月8日 - 1928年〈昭和3年〉6月22日)は、日本の海軍軍人、小説家、編集者。雑誌『冒険世界』の主筆を務めるなどして、冒険小説を多く発表した。代表作に『太陽は勝てり』など。 本名は阿武 信一(あんの しんいち)。別名義に「髭の少尉」、「虎髯大尉(こぜんたいい)」、「阿武激浪庵」、「怒濤庵少尉」、「黒面中尉」、「黒面魔人」などがある。ただし、これら別名義に関しては、河岡潮風など阿武の周囲の人物が用いていた場合もあり、これらの名義で執筆された文章の全てが阿武のものであるというわけではない。1928年(昭和3年)6月に、松野に改姓し松野 信一となる。
林 滝野(はやし たきの、1877年(明治10年) - 19… 林 滝野(はやし たきの、1877年(明治10年) - 1966年(昭和41年)4月3日)は、山口県佐波郡徳地町(現在の山口市徳地)出身の雑誌編集者。雑誌「明星」の初期の編集発行人。与謝野鉄幹、正富汪洋の妻。 1877年(明治10年)、山口県佐波郡徳地町(現在の山口市徳地伊賀地新田)にある旧家に生まれた。父親は林小太郎。私立徳山女学校の在学中には教員だった与謝野鉄幹に処女を捧げ、教師と女生徒の間の恋愛関係に陥った。年配者が多かった徳山女学校の教員の中で、鉄幹は数少ない若手教員だった。滝野は16歳だった1893年(明治26年)に徳山女学校を卒業している。 林小太郎は鉄幹が林家の養子になるなら結婚を認めるつもりだったが、田舎住まいなどまっぴらごめんの鉄幹は小太郎の申し出を拒否。