佐藤 恒雄(さとう つねお、1941年2月 - 2025年1… 佐藤 恒雄(さとう つねお、1941年2月 - 2025年10月8日)は、日本の国文学者、香川大学名誉教授、広島女学院大学教授。 愛媛県四国中央市出身。 1965年東京教育大学国文科卒。1971年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 香川大学にて助手、教育学部講師を経て1973年に助教授、1981年に教授となる。 2004年香川大学を定年退職し、名誉教授となり、その後は2005年に広島女学院大学文学部教授を務める。 2002年に『藤原定家研究』で角川源義賞を受賞し、2004年同書で筑波大学から文学博士を贈られる。 2025年10月8日死去。85歳没。没後に正四位に叙された。
一色 浩一郎(いっしき こういちろう、1941年 - )は、… 一色 浩一郎(いっしき こういちろう、1941年 - )は、日本の経営学者、経営学博士(UCLA)。 愛媛県松山市出身。松山南高等学校、松山商科大学(現松山大学)卒業。百十四銀行勤務を経て渡米、UCLA博士後期課程修了、博士号取得。 現在カリフォルニア州立理工大学ポモナ校教授(コンピュータ情報学)。 米国のNCCでは委員長、講演者として著名。朝日新聞、日本経済新聞、日刊工業新聞などが主催する日本における講演も多数。 著書の1つである「Small Business Computer」は、米国・欧州の約200の大学でテキストになっている。
松田 利之(まつだ としゆき、1940年12月22日 - 2… 松田 利之(まつだ としゆき、1940年12月22日 - 2020年5月6日)は、日本の実業家。公益財団法人小田急財団顧問。小田急電鉄では代表取締役社長・顧問を歴任した。 1940年(昭和15年)12月22日、愛媛県松山市生まれ。1965年(昭和40年)、法政大学経済学部を卒業し、小田急電鉄入社。 2005年(平成17年)6月、小田急グループによる有価証券報告書虚偽記載問題の責任をとって引責辞任した。文化シヤッター、西松建設、ビックカメラの社外監査役を務めた。 2020年 (令和2年) 5月6日午前3時、虚血性心不全のため自宅で死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
渡辺 修(わたなべ おさむ、1940年12月6日 - )は、… 渡辺 修(わたなべ おさむ、1940年12月6日 - )は、日本の官僚。元通商産業事務次官。元日本貿易振興機構理事長。2024年まで石油資源開発会長(2007年6月25日付で同社副社長、2008年6月25日付で社長。同時に棚橋祐治社長が会長に)。2016年から2020年まで石油鉱業連盟会長を務めた。ニックネームはナベシュウ。 愛媛県新居浜市出身。香川県立高松高等学校から東京大学法学部第2類(公法コース)を経て、1964年に通商産業省入省。同期には細川恒(通商産業審議官)、熊谷弘、中田哲雄、大角恒生(人事院公平局長)、横田捷宏、山口務(九州通産局長、地域振興整備公団副総裁)、高津義典(四国通産局長、香川大学工学部教授)などがいる。
石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - … 石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - )は、愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身の元プロ野球選手(投手)。
蒲田 耕二(かまた こうじ、1940年9月15日 - )は音… 蒲田 耕二(かまた こうじ、1940年9月15日 - )は音楽評論家。本名、鎌田紘次。 愛媛県今治市出身。1964年、東京外国語大学フランス語科卒。同年、音楽之友社に入社。1969年、日本リーダーズダイジェスト社に転じる。1976年に独立しフリーとなる。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
松岡 紀雄(まつおか としお、1940年9月14日 - )は… 松岡 紀雄(まつおか としお、1940年9月14日 - )は、日本の経営学者。神奈川大学名誉教授。専門は、海外広報論、企業市民論、英文出版・編集、アメリカ社会事情、ボランティア論、市民協働。「企業市民」の提唱者。英文国際比較統計集「Japan 1980」シリーズの生みの親。「松岡紀雄の公式YouTube」に、本人が80歳を超えて作成したスライド471枚、4時間24分のナレーションで構成するユニークな自分史、「自分勝手な記憶で綴るスライド自叙伝-松岡紀雄の80年の歩み」を公開。 愛媛県松山市出身。1964年京都大学法学部卒業後、松下電器産業(株)(現パナソニック)入社。松下幸之助の下でアメリカPHP研究所初代代表や英文国際版PHP編集長等を歴任。
西田 孝之(にしだ たかゆき、1940年8月2日 - )は、… 西田 孝之(にしだ たかゆき、1940年8月2日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(外野手)。
山本 武利(やまもと たけとし、1940年7月29日 - … 山本 武利(やまもと たけとし、1940年7月29日 - )は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。NPO法人インテリジェンス研究所理事長。専門は、近代日本メディア史・インテリジェンス史・プロパガンダ。愛媛県出身。 1959年愛媛県立八幡浜高等学校卒業、1964年一橋大学商学部卒業、1969年一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。指導教官は南博。1996年「占領期メディア分析」で博士(社会学)の学位を取得。 1985年、日本出版学会賞と日本広告学会賞を受賞した。 2001年より20世紀メディア研究所を主宰する。2002年、『Intelligence』(紀伊國屋書店刊)を創刊する。
玉井 清弘(たまい きよひろ、1940年7月21日 - )は… 玉井 清弘(たまい きよひろ、1940年7月21日 - )は、日本の歌人。歌誌「音」選者・編集運営委員会。香川県高松市在住。令和6年6月3日現在。 愛媛県西条市生まれ。國學院大学文学部日本文学科卒業。元香川県立高等学校教諭。 1965年、窪田章一郎の「まひる野」に入会。1982年、武川忠一の「音」に参加。四国を拠点とし、自らの住む所を詠み続ける地方歌人の代表的存在である。四国新聞、愛媛新聞、朝日新聞四国版の歌壇選者。
矢野 清(やの きよし、1940年7月3日 - 2014年1… 矢野 清(やの きよし、1940年7月3日 - 2014年11月20日)は、愛媛県出身のプロ野球選手(外野手)。 愛媛・八幡浜高校では1958年の夏の甲子園に中堅手として出場。1回戦で清水東高に敗退。 1959年に阪急ブレーブスに入団。長距離打者として期待され、1962年には外野手として18試合に先発出場。7月1日には四番打者としても起用された。翌1963年も28試合に先発するが、打撃面で低迷が続き出場機会が減少。1967年オフには自由契約選手の候補となる。しかし1968年は6月から先発として起用され、右翼手、四番打者に定着。規定打席には達しなかったが打率.301、本塁打27本の好成績をあげ、「10年目の新人」と呼ばれた。
丸平 峯子(まるひら みねこ、1940年6月16日 - )は… 丸平 峯子(まるひら みねこ、1940年6月16日 - )は、愛媛県宇和島市出身の日本の女優。 愛媛県立宇和島東高等学校卒業。
大沢一彦(おおざわ かずひこ、1940年5月10日 - )は… 大沢一彦(おおざわ かずひこ、1940年5月10日 - )は、日本の実業家。日本食研創業者・会長で、同社を含む日本食研グループ16社の最高経営責任者。 1940年、愛媛県今治市出身。愛媛県立今治南高等学校を経て、1963年東京農業大学卒業。 1971年10月、大沢一彦ら6名で、高松市にて畜産加工研究所として創業。1973年2月13日、株式会社畜産加工研究所設立。1975年2月、日本食研株式会社に商号変更。 異業種交流等も主宰。焼肉のたれ 宮殿のCMに出演。 2010年4月、藍綬褒章を受章。 2020年4月、今治市名誉市民の称号を授与される。 2023年4月、旭日小綬章受章。同年5月、食料産業特別貢献大賞受賞。
三瀬 顕(みせ けん、1940年1月19日 - )は、日本の… 三瀬 顕(みせ けん、1940年1月19日 - )は、日本の弁護士。愛媛県大洲市出身。本名は三瀬顕(みせあきら)。
重松 省三(しげまつ しょうぞう、1940年1月5日 - )… 重松 省三(しげまつ しょうぞう、1940年1月5日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。
市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 20… 市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 2021年11月21日)は、日本の実業家、情報技術者。株式会社デジタル・インフォメーション・テクノロジー創業者・名誉会長。 愛媛県大洲市出身。1968年東京理科大学理学部二部数学科卒業後、日本電信電話公社入社。プログラマーの資格を取得し、1976年データ通信システム(のちのDTS)入社。1996年東洋インフォネットを設立し、同社代表取締役社長に就任。2002年東洋アイティーホールディングスを設立し、同社代表取締役社長に就任。2006年にはデジタル・インフォメーション・テクノロジーへ社名を変更し、2015年には東京証券取引所JASDAQに上場させ、2017年に東京証券取引所一部への市場変更を果たした。
木本 建治(きもと けんじ、1940年 - 1996年12月… 木本 建治(きもと けんじ、1940年 - 1996年12月29日)は、日本の元ラグビー選手、同指導者。
青野 修三(あおの しゅうぞう、1939年10月13日 - … 青野 修三(あおの しゅうぞう、1939年10月13日 - )は、愛媛県今治市(現役当時は、同県越智郡朝倉村)出身の元プロ野球選手(内野手)。
宇都宮 基師(うつのみや もとし、1939年(昭和14年)9… 宇都宮 基師(うつのみや もとし、1939年(昭和14年)9月27日 - )は日本のアナウンサー。南海放送で長くアナウンサーを務めた。愛媛県八幡浜市出身。通称「よもだのもっくん」。
福井 清計(ふくい きよかず、1939年9月17日 - )は… 福井 清計(ふくい きよかず、1939年9月17日 - )は、日本の経営者、極洋代表取締役社長。愛媛県伊予市生まれ。2013年春の叙勲で旭日中綬章受章。
鴨田 勝雄(かもだ かつお、1939年8月27日 - 200… 鴨田 勝雄(かもだ かつお、1939年8月27日 - 2002年10月27日)は日本の野球監督。新居浜商高や法政大学で監督を務め、1980年代の法政全盛期を支えた。
井手 順二(いで じゅんじ、1939年〈昭和14年〉8月16… 井手 順二(いで じゅんじ、1939年〈昭和14年〉8月16日 - )は、日本の政治家。愛媛県北条市長を2期務め、平成の大合併により2005年(平成17年)1月1日を以って北条市は松山市に編入されたため、最後の市長となった。 愛媛県出身。愛媛県立松山北高等学校卒業。民間企業勤務を経て温泉郡北条町役場に入る。同町は1958年(昭和33年)11月1日市制施行し北条市となったため、北条市役所勤務となる。市役所では議会事務局長、市長公室長、総務課長を経て、収入役を歴任。2000年(平成12年)1月31日前任の菅朝照が急逝したのを受けて請われて北条市長選挙に立候補し、無投票で当選する。2004年(平成16年)は無投票で再選。
服藤収(はらふじ おさむ、1939年8月8日 - )は日本の… 服藤収(はらふじ おさむ、1939年8月8日 - )は日本の大蔵官僚。総務庁人事局次長などを務めた。 愛媛県越智郡出身(両親も愛媛県)。愛媛県立今治西高等学校、京都大学経済学部経済学科卒業。1962年 大蔵省入省(主計局総務課)。この見習い時代に「日本経済の計量経済モデル」を作成した。1968年7月10日 高田税務署長。 東京国税局直税部次長、国税庁長官官房総務課長補佐、大臣官房企画官兼国税庁長官官房総務課、大臣官房企画官兼大臣官房調査企画課財政金融研究室総括主任研究官などを務めた後、1981年7月 北海道開発庁予算課長。1983年6月 経済企画庁調整局財政金融課長。1985年6月 経済企画庁総合計画局計画課長。
野口 恭(のぐち きょう、1939年6月14日 - 2009… 野口 恭(のぐち きょう、1939年6月14日 - 2009年1月1日)は、日本の元プロボクサー。元ボクシング日本フライ級王者。野口ボクシングジム名誉会長。愛媛県出身。プロボクサーであり、野口ボクシングジム創始者のライオン野口の次男。キックボクシング創始者の野口修は兄、自身の長女は野口ボクシングのジムマネージャー、長男は野口ボクシングジム3代目会長を務める。
工藤 治夫(くどう はるお、1939年6月1日 - )は、日… 工藤 治夫(くどう はるお、1939年6月1日 - )は、日本の実業家。サンスター代表取締役会長などを務めた。 愛媛県西条市出身。愛媛県立西条高等学校、大阪市立大学経済学部卒業後、1965年サンスター歯磨(現サンスター)入社。サンスターマーケティング代表取締役社長などを経て、2006年からサンスター取締役副会長を、2007年から同社代表取締役会長を務めるなどし、選択と集中による経営資源の配分を進めるなどした。
高見 成昭(たかみ しげあき、男性、1939年4月22日 -… 高見 成昭(たかみ しげあき、男性、1939年4月22日 - )は、愛媛県宇和島市出身の空手家。大山倍達の命により設立された極真会館愛媛県支部長・極真会館(松井派)四国本部長を歴任し、現在は空手道 高見空手の総師。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
奥島 孝康(おくしま たかやす、1939年4月16日 - 2… 奥島 孝康(おくしま たかやす、1939年4月16日 - 2024年5月1日)は、日本の法学者。位階は従三位、勲章は瑞宝大綬章。 専門は会社法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1976年、学位論文『現代会社法における支配と参加-現代フランス会社法研究』)。大野實雄(早稲田大学名誉教授)門下。 早稲田大学名誉教授、早稲田大学第14代総長(1994年11月 - 2002年11月)、白鷗大学第5代学長(2013年4月 - 2021年3月)、日本高等学校野球連盟第6代会長、ボーイスカウト日本連盟第10代理事長(2010年 - 2020年)、ボーイスカウト日本連盟第9代総長、元埼玉県公安委員会委員長を歴任した。
渡辺 弘之(わたなべ ひろゆき、1939年2月20日 - )… 渡辺 弘之(わたなべ ひろゆき、1939年2月20日 - )は、日本の森林生態学者。京都大学名誉教授。
山下 治広(やました はるひろ、1938年11月11日 - … 山下 治広(やました はるひろ、1938年11月11日 - )は、愛媛県宇和島市出身の元体操競技選手で、日本体育大学名誉教授。跳馬のスペシャリストとしてその名を世界に知らしめた人物でもある。結婚後に叔母の松田家に養子縁組したために、松田治広と姓名を改めた。なお名前は、旧字体の「治廣」表記も用いられる。 愛媛県立宇和島東高等学校、日本体育大学出身。 1961年に日本体育大学を卒業し、同大学助手となり選手としても活動する。日本体育大学の体操体育館に寝泊まりしながら猛練習に明け暮れる中、ある学生が高く飛んで屈伸させながら跳馬を飛ぶ姿にヒントを得て前転と屈伸での着地を組み込んだ「山下跳び」を編み出す。山下はこの新技を引っさげて1962年世界体操競技選手権(チェコスロバキア・プラハ)の種目別跳馬で銀メダルを獲得した。
津野 修(つの おさむ、1938年〈昭和13年〉10月20日… 津野 修(つの おさむ、1938年〈昭和13年〉10月20日 - )は、日本の大蔵官僚、弁護士。勲等は旭日大綬章。第一東京弁護士会所属。 大蔵省主税局税制第三課課長、内閣法制局総務主幹、内閣法制局第三部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官、最高裁判所判事などを歴任した。 愛媛県出身の大蔵官僚である。大蔵省においては、主税局の税制第三課長を務めた。のちに内閣法制局に出向し、総務主幹を経て、第三部や第一部にてそれぞれ部長を務めるなど、要職を歴任した。1996年には内閣法制次長に就任した。1999年には大森政輔の後任として内閣法制局長官に就任し、小渕第1次改造内閣から第1次小泉内閣にかけて同職を務めた。
野口 貴史(のぐち たかし、1938年10月18日 - 20… 野口 貴史(のぐち たかし、1938年10月18日 - 2020年)は、日本の俳優。 本名及び旧芸名は野口 泉(のぐち いずみ)。 愛媛県西条市出身。東宝芸能学校卒業後、鶴田浩二の付き人になる。 東映へ入社すると、本名で1963年より始まるヤクザ映画に多数出演。 1969年の後半より改名。 『仁義なき戦いシリーズ』では、第1作から第5作『仁義なき戦い 完結篇』までに出演し、第1作から『仁義なき戦い 頂上作戦』(第4作)までは広能昌三に仕える忠実な子分・岩見益夫役を演じた。 ピラニア軍団の一員でもあった。
福居 純(ふくい あつし、1938年9月5日 - )は、日本… 福居 純(ふくい あつし、1938年9月5日 - )は、日本の哲学者、文学部哲学科元教授(一橋大学・東京都立大学名誉教授)。
横田 弘之(よこた ひろゆき、1938年8月29日 - )は… 横田 弘之(よこた ひろゆき、1938年8月29日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。 愛媛県議会議員(8期)、愛媛県議会議長(第95代)、地域政党愛媛維新の会代表などを務めた。 愛媛県宇和島市生まれ。宇和島市立明倫小学校、南宇和郡緑僧郡村立緑小学校、松山市立石井中学校、愛媛県立松山東高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。 1964年に参議院議員の増原惠吉、1983年には衆議院議員の今井勇の秘書を務める。1991年に愛媛県議会議員選挙で立候補し、初当選した。 自由民主党に所属していたが、2010年の松山市長選挙では自民党推薦の新人候補を支持せず、野志克仁を応援したため、県連から除名処分を受ける(市長選では野志が当選)。
守谷 史男(もりや ふみお、1938年4月8日 - )は、日… 守谷 史男(もりや ふみお、1938年4月8日 - )は、日本の画家。行動美術協会会員、大阪芸術大学教授。大阪府茨木市在住。放送作家の守谷武己は実子。
篠原 重則(しのはら しげのり、1938年3月31日 - 2… 篠原 重則(しのはら しげのり、1938年3月31日 - 2010年7月16日)は、日本の地理学者。香川大学名誉教授。 愛媛県生まれ。1960年愛媛大学教育学部卒、愛媛県立津島高等学校教諭、愛媛県立宇和島南高等学校教諭、1977年愛媛県立松山北高等学校教諭、1988年愛媛県立東温高等学校教諭、1990年香川大学教育学部助教授、91年教授、2001年定年退官、松山大学教授。1990年「四国山地における集落の変貌過程に関する地理学的研究」で筑波大学理学博士。 2010年7月16日、急性腎盂腎炎により死去。72歳没。
植村 鞆音(うえむら ともね、1938年3月10日 - )は… 植村 鞆音(うえむら ともね、1938年3月10日 - )は、日本のテレビプロデューサー・会社役員、伝記作家。 愛媛県松山市に生まれる。父植村清二は東洋史学者で、作家直木三十五の実弟。新潟県立新潟高等学校を経て1962年早稲田大学第一文学部史学科卒業、東映入社。 1964年テレビ東京入社。1994年同局常務取締役。1999年テレビ東京制作代表取締役社長を経て、DACグループ顧問、一般社団法人STEP理事。 2005年『直木三十五伝』で第19回尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞受賞、2007年『歴史の教師植村清二』で第55回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年〈昭和13年〉3月6… 関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年〈昭和13年〉3月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党山崎派に所属。(財)愛媛県遺族会会長。 参議院議員(2期)、衆議院議員(8期)、郵政大臣(第53代)、建設大臣(第66代)、国土庁長官(第33代)などを歴任した。 愛媛県松山市三津浜出身。 愛媛大学教育学部附属小学校、愛媛大学教育学部附属中学校、愛媛県立松山北高等学校を経て、1960年、中央大学法学部政治学科卒業。カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学留学。 1964年4月、日本航空に入社。1967年10月、退社。1967年11月 関谷勝利議員秘書。1970年1月瀬戸内海放送取締役。1974年1月松山青年会議所理事長。
井関 清(いせき きよし、1938年2月11日 - 2015… 井関 清(いせき きよし、1938年2月11日 - 2015年11月6日)は、日本の実業家。ハウスメイト創業者。元日本賃貸住宅管理協会会長。元関東愛媛県人会会長。 愛媛県大洲市出身。2歳の時に父が死去し母子家庭に育つ。1956年愛媛県立松山東高等学校卒業。1961年中央大学法学部卒業。1974年井関商事を創業。1977年ハウスメイト設立。1999年日本賃貸住宅管理業協会会長。2001年日本賃貸住宅管理協会会長。2009年関東愛媛県人会会長。2015年11月6日、胆管癌のため死去。
宮ノ花 秀輝(みやのはな ひでてる、1938年1月30日 -… 宮ノ花 秀輝(みやのはな ひでてる、1938年1月30日 - 没年不明)は、愛媛県八幡浜市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は宮脇 邦義(みやわき くによし)。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭12枚目(1962年9月場所)。現役時代の体格は176cm、110kg。 中学校卒業後に二所ノ関部屋へ入門し、1953年5月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。 序ノ口に付いた時の四股名は、本名と同じ「宮脇」。その後、「宮ノ花」→「八幡濱(故郷の地名に因んだ)」→「宮ノ花」と3度改名している。 左四つからの寄りという正攻法を得意としたが、立ち合いの鋭さに欠け、取り口は地味であった。 また、極度の近視であったため、速攻相撲の力士に対しては苦戦した。
松山 容子(まつやま ようこ、1937年11月30日 - )… 松山 容子(まつやま ようこ、1937年11月30日 - )は、日本における昭和期に活躍した女優。本名・田中 曠子(旧姓・出井)。旧芸名は松山 清子。愛媛県松山市出身。 1968年の「ボンカレー」(大塚食品)発売以来、長らくパッケージモデルを務め、CM、ホーロー看板でも知られる。 愛媛県松山市で銀行を経営する名士の家に生まれる。愛媛県立松山南高等学校在学中、『アサヒグラフ』(1956年2月5日号)の表紙モデルを務めたのがきっかけで、松竹の役員の目にとまり、卒業と同時に松竹ニューフェイスとして入社する。 1957年6月4日公開の『勢揃い桃色御殿』に新人女優・松山清子として、端役デビューする。11月19日公開の『侍ニッポン』で本格デビューを飾る。
浜本 純逸(はまもと じゅんいつ、1937年(昭和12年)1… 浜本 純逸(はまもと じゅんいつ、1937年(昭和12年)11月28日 - )は、日本の教育学者、国語教育学者。神戸大学名誉教授。 愛媛県今治市生まれ。1960年広島大学教育学部卒業、1962年同大学大学院教育学研究科修士課程修了、1967年同大学院博士課程単位取得退学。1969年福岡教育大学講師、1971年同助教授、1979年神戸大学教育学部教授。1984年「ロシア・ソビエトにおける文学教育の成立と発展に関する研究」で広島大学教育学博士。2001年神戸大学を定年退官、名誉教授、鳥取大学教育学部教授。2003年早稲田大学教育学部特任教授。 1981年石井賞(全国大学国語教育学会)、1998年大村はま賞(大村はまの会)、2002年教育研究賞(日本教育研究連合会)をそれぞれ受賞した。
井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 201… 井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 2019年9月19日)は、日本の実業家・経営者である。大王製紙創業家2代目で、同社社長・会長等を歴任した。 大王製紙の創業者である父伊勢吉の社長時代に、倒産という修羅場を経験したが、父と力を合わせて大王製紙を再建。家庭用紙への参入など時代の先を読む経営手腕を発揮して、同社を王子製紙、日本製紙に次ぐ業界3位の総合紙パルプメーカーに育て上げた。 1937年(昭和12年)、当時愛媛県宇摩郡三島町(現在の四国中央市)で製紙原料商を営んでいた井川伊勢吉の長男として生まれた。 1943年(昭和18年)、父・伊勢吉は大王製紙を創立、社長に就任した。 大阪府立北野高等学校を経て、慶應義塾大学文学部英文学科を1年ずつ浪人留年して卒業。
一色 俊作(いっしき しゅんさく、1937年7月22日 - … 一色 俊作(いっしき しゅんさく、1937年7月22日 - 2013年4月24日)は、日本の高校野球指導者。元愛媛県立松山商業高等学校野球部員で、後に監督として愛媛の高校野球の基礎を作った。
安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1… 安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1937年4月18日 - )は、日本のマリンバ奏者、作曲家。東京都出身。世田谷区立代沢小学校を経て、中学2年生の時に山梨英和中学校から松山東雲中学校へ転校。松山東雲高等学校、東京学芸大学教育学部音楽専攻打楽器科を卒業。 山梨の中学生の頃には木琴を習っていたが、1950年に音楽を用いた布教で知られるアメリカのラクーア伝道団が学校に来て、メンバーが賛美歌を奏でた。この時にマリンバに出会う。 14歳でNHKの洋楽オーディションに合格し、演奏活動を始める。外国の音楽家の日本公演が難しい時代だったが、音楽史に残る世界的な演奏家が転校先の松山市の学校の体育館で演奏を見る機会があった。
松山 恵子(まつやま けいこ、1937年〈昭和12年〉4月1… 松山 恵子(まつやま けいこ、1937年〈昭和12年〉4月10日 - 2006年〈平成18年〉5月7日)は、日本の演歌歌手。本名:岡崎 恒好(おかざき つねこ)。庶民派で知られ、「お恵ちゃん」(おけいちゃん)の愛称で幅広いファンに親しまれた。裾の幅が広いフリフリのドレスにハンカチがトレードマーク。所属レコード会社は日本マーキュリーレコード⇒東芝レコード。 1937年、福岡県戸畑市(現在の福岡県北九州市戸畑区)で生まれる。生後すぐに父の仕事の関係から東京へ引っ越すが、終戦後の食糧難のため、父の故郷の愛媛県宇和島市へ引っ越す。 中学2年生で出場した「日本コロムビア全国歌謡コンクール」で10位入賞を果たし、関係者の注目を集めた。
明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は… 明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は、日本のアニメーション演出家、映画監督。 愛媛県松山市出身。9人兄弟の三男として生まれるが、兄弟は若くして全員亡くなったという。 日本大学芸術学部文芸学科卒業。同郷の佐伯清の伝手を頼り、1959年に東映に入社。東京撮影所にて佐伯清、渡辺祐介、石井輝男、今井正らの下で助監督(サード、フォース)を務める。 映画産業の斜陽化に伴い、1964年に東映動画(現:東映アニメーション)に転籍する。転籍組の同期に日大の先輩であった久岡敬史や京都撮影所から移ってきた田宮武、勝間田具治らがいる。 アニメ初仕事となった『狼少年ケン』では山本寛巳の助手に就くが、山本が組合運動のためにしばしば会社を抜け出していたため、明比が仕事を肩代わりするようになり、第46話「ジャングルの友情」で早くも演出として一本立ちする。
谷本 稔(たにもと みのる、1937年2月1日 - 2010… 谷本 稔(たにもと みのる、1937年2月1日 - 2010年)は、愛媛県八幡浜市出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。 八幡浜高校1年次の1952年に板前であった父親を亡くし、「母親を楽にするために」と大学進学を諦めてプロを志す。3年次の1954年に行われた夏の甲子園県予選では打率.660と打ちまくったが、準々決勝で宇和島東高に惜敗。1955年、高校の監督が藤本定義監督の兄であった事から大映スターズに入団。1年目の同年は3月27日の東映戦(駒澤)に捕手で開幕戦スタメンデビューを果たすが、これは日本プロ野球史上初の「高卒ルーキー捕手の開幕戦スタメンデビュー」であり、2006年の炭谷銀仁朗(西武)まで51年間なかったという非常に稀な出来事でもあった。
素 九鬼子(もと くきこ、本名:内藤 恵美子〈ないとう えみ… 素 九鬼子(もと くきこ、本名:内藤 恵美子〈ないとう えみこ〉、1937年1月28日 - 2020年4月5日)は、日本の小説家。 愛媛県西条市生まれ。愛媛県立西条高等学校を1年で中退。結婚後に起稿された処女作『旅の重さ』の原稿を由起しげ子に送るが、そのままになっていた。由紀の死後、筑摩書房が遺品を整理中に偶然、原稿が発見されて刊行され、ベストセラーとなり、刊行後に知人からの知らせで初めて自分の作品が出版されていることを知り、名乗りでたあと作家となる。作品は映画化もされた(監督:斎藤耕一)。 1974年『パーマネントブルー』で直木賞候補、同年『大地の子守歌』、1975年「ひまやきりしたん」で三度直木賞候補となる。
原島 秀毅(はらしま ひでき、1937年 - 2017年2月… 原島 秀毅(はらしま ひでき、1937年 - 2017年2月27日)は、日本の外交官。橋本内閣で初代沖縄担当特命全権大使兼政府代表として在日米軍基地問題などにあたった。駐マレーシア特命全権大使を経て、退官後、沖縄に移住し大学で琉球文学を講じたり、琉球民謡創作を行うなどした。琉球民謡新人賞受賞。 愛媛県今治市出身。1956年愛媛県立今治西高等学校卒業。1962年一橋大学法学部卒業、外務省入省。外務省中近東アフリカ局アフリカ課長、国際連合日本政府代表部参事官、外務省欧亜局西欧第一課長、外務大臣官房文書課長、国際連合日本政府代表部公使等を歴任。1983年から宮内庁御用掛として昭和天皇のフランス語通訳を務めた。
吉田 イサム(よしだ いさむ、1937年 - 2009年12… 吉田 イサム(よしだ いさむ、1937年 - 2009年12月19日)は、日本の建築家・カンツォーネ歌手。建築家吉田イサムとアーク・ハイを主宰し、建築作品を残す。東北ハウジングアカデミー副学院長のほか、宮城県建築士事務所協会副会長、仙台市景観条例検討委員会委員などを歴任。愛媛県西条市生まれ。 京都工芸繊維大学工芸学部建築工芸学科を卒業。1974年 吉田イサム事務所開設。のち名称変更。 中新田町文化会館(バッハホール)で、日本建築学会東北支部東北建築賞作品賞部門受賞。そのほか社団法人日本建築士事務所協会連合会建築賞受賞。 おもな作品に、すずき脳神経外科クリニック、ギャラリー杜の音、仙台市片平市民センター 、奥遠刈田温泉竹泉荘、八木山佳養亭、富谷松寿庵 など多数。