烏谷 昌幸(からすだに まさゆき、1974年6月14日 - … 烏谷 昌幸(からすだに まさゆき、1974年6月14日 - )は、日本の政治学者、メディア研究者。慶應義塾大学法学部教授、同大学メディア・コミュニケーション研究所所長。専門は政治コミュニケーション研究、メディア社会論、ジャーナリズム論。 愛媛県新居浜市出身。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程を単位取得退学した。2016年、慶應義塾大学より博士(法学)を取得した。 武蔵野大学現代社会学部、政治経済学部准教授を経て、慶應義塾大学法学部政治学科教授となった。2024年から慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所所長を務める。 政治コミュニケーション研究、メディア社会論、ジャーナリズム論を専門とし、シンボル化の政治学や陰謀論政治などを研究している。
中野 知律(なかの ちづ、1959年 - )は、日本の仏文学… 中野 知律(なかの ちづ、1959年 - )は、日本の仏文学者、マルセル・プルースト研究者。一橋大学名誉教授。渋沢・クローデル賞、フランス大使館・エールフランス特別賞受賞。 愛媛県松山市生まれ。1981年東京大学教養学部教養学科卒業。モンペリエ第III大学留学を経て、1989年パリ第IV大学文学博士。1991年東京大学人文科学研究科仏語仏文学博士課程満期退学。1991年一橋大学社会学部専任講師。1993年一橋大学社会学部助教授。1999年に第16回渋沢・クローデル賞、フランス大使館・エールフランス特別賞受賞。2003年一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻社会文化研究分野(仏語圏文芸思想)教授。
菊川 智文(きくがわ ともふみ、1956年 - )は愛媛県今… 菊川 智文(きくがわ ともふみ、1956年 - )は愛媛県今治市出身、イギリス・ロンドン在住の英国政治研究者。
奥平 俊六(おくだいら しゅんろく、1953年 - )は、日… 奥平 俊六(おくだいら しゅんろく、1953年 - )は、日本美術の研究者、大阪大学教授。日本・東洋美術史専攻。 愛媛県生まれ。1977年東京大学文学部美術史科卒、83年同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。國華社研究員、1983年大阪府立大学総合科学部専任講師、1991年大阪大学文学部助教授、97年同文学研究科教授。京都国立博物館客員研究員、大和文華館評議員を務めた。
久米 雅雄(くめ まさお、1948年2月7日 - )は、日本… 久米 雅雄(くめ まさお、1948年2月7日 - )は、日本の考古学者・歴史研究者・印学家。学位は、博士(文学)(立命館大学)。アジア印章学、東洋文字学、貨幣学、キリシタン考古学等の分野で研究業績を重ねる。大阪府教育委員会文化財保護課主査を経て、大阪芸術大学客員教授となる。そのほか、錫安印章文化研究所所長、寧楽美術館評議員、西泠印社名誉社員、中国美術学院主管学術雑誌《中国篆刻》顧問なども併せつとめる。 愛媛県松山市生まれ(本籍:京都府)。1966年に愛媛県立松山東高等学校を卒業後、立命館大学文学部史学科(日本史学専攻)に進み、考古・古代史を北山茂夫らのもとで学ぶ。学園紛争のさなかの1970年に卒業。
真木 太一(まき たいち、1944年1月 - )は、日本の農… 真木 太一(まき たいち、1944年1月 - )は、日本の農業気象学・農業工学の研究者。学位は、農学博士(東京大学)。九州大学名誉教授。日本学術会議会員、日本農業工学会長、日本農業気象学会長、日本沙漠学会長などを歴任。専門は、農業気象学・農業環境工学・農業工学。 愛媛県立西条高等学校を経て東京農工大学農学部で学び1966年に卒業。1966年九州大学大学院農学研究科修士課程に進学し農業気象学を専攻・修了。1968〜1983年農林省(農林水産省)農業技術研究所、1969〜1971年南極地域越冬隊員、1983年農林水産省農業環境技術研究所、1985年四国農業試験場、1988年熱帯農業研究センター、1993年農業研究センター、1995年農業環境技術研究所を経て、1999年愛媛大学教授、2001年九州大学教授、2007年定年退職、九州大学名誉教授、2007年琉球大学教授、2009年筑波大学客員教授、2013年(独)国際農林水産業研究センター 特定研究主査として現在に至っている。
河東 義之(かわひがし よしゆき、1943年3月22日 - … 河東 義之(かわひがし よしゆき、1943年3月22日 - )は、日本の建築史研究者。小山工業高等専門学校名誉教授。専門は近代建築史。藤森照信、堀勇良らが結成した「東京建築探偵団」のメンバーの一人。 愛媛県大洲市出身。1967年東京工業大学工学部建築学科卒、同年東京工業大学工学部助手。1976年小山工業高等専門学校助教授、1989年教授。1999年名誉教授、千葉工業大学工学部建築都市環境学科教授。2008年退職。 1980年からは宇都宮大学工学部非常勤講師を併任。1985年栃木県文化財保護審議会委員。2011年日本大学芸術学部非常勤講師。2013年日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。 2025年4月瑞宝小綬章受章。
越智 道雄(おち みちお、1936年11月3日 - 2021… 越智 道雄(おち みちお、1936年11月3日 - 2021年5月26日)は、日本の英語圏政治/文化研究者、翻訳家。明治大学名誉教授。 愛媛県今治市出身。1965年広島大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、1966年玉川大学文学部助教授、1970年明治大学商学部助教授、1975年教授、2007年定年退職、名誉教授。 1983年にザヴィア・ハーバート「かわいそうな私の国」で日本翻訳出版文化賞、1987年にローズマリー・ハリス「遠い日の歌が聞こえる」翻訳で産経児童出版文化賞受賞。 多元文化国家アメリカ論で多数の著書がある。他にオーストラリアを中心にカナダ・ニュージーランド・南アを含めた「英語圏新世界諸国」をアメリカとエコーさせる視点での論考、アメリカを中心とする多数の翻訳に加えて、児童文学・ミステリ・SFの翻訳がある。
杉田 弘子(すぎた ひろこ、1935年〈昭和10年〉3月 -… 杉田 弘子(すぎた ひろこ、1935年〈昭和10年〉3月 - 2024年〈令和6年〉6月16日)は、日本の比較哲学研究者。武蔵大学名誉教授。 愛媛県松山市生まれ。愛知県立刈谷高等学校卒、1957年東京大学法学部卒業、文化放送勤務ののち1962年東大大学院比較文学比較文化修士課程入学、1968年同博士課程満期退学。1969年7月東大教養学部助手(ドイツ語)、1971年7月退任、西ドイツ・ハンブルク大学、1974年イタリア、米国で滞在研究。1976年帰国、武蔵大学人文学部教授、2000年定年退任、特任教授、2001年名誉教授。2011年『漱石の「猫」とニーチェ』で和辻哲郎文化賞受賞。 2024年6月16日に老衰のため死去。
重松 一義(しげまつ かずよし、1931年 - )は、日本の… 重松 一義(しげまつ かずよし、1931年 - )は、日本の法制史研究者、犯罪学者。 愛媛県松山市生まれ。中央大学法学部卒業。 矯正研修所教官(行刑史・少年保護史)、中央学院大学法学部教授(刑事政策・日本法制史・法学)、同比較文化研究所長、2002年定年退任。 犯罪と非行に関する全国協議会常任理事・福岡県警察史編纂顧問・網走監獄保存財団顧問・東京家庭裁判所調停委員。
重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年… 重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年6月19日)は、日本の日本近代文学研究者。
中平 解(なかひら さとる、1904年〈明治37年〉1月12… 中平 解(なかひら さとる、1904年〈明治37年〉1月12日 - 2001年〈平成13年〉11月12日)は、日本のフランス語学研究者。日本民俗語学者。 1904年(明治37年)1月12日、愛媛県南宇和郡一本松村広見(現・愛南町)に生まれる。父・中平幾男、母・栄。「わたしの家は三万石の〔伊予〕吉田藩〔宇和島藩の支藩〕の小船頭の役をしていて、祖父は殿様が参勤交代のときに大阪まで行ったようである」。「祖父は四万十川が氾濫したとき、政府(県かもしれない)が呉れた米を、御上のくれた物は食べないと言って頑張った、という話を聞いたこともあるが、わたしのアマノジャクも、この祖父の性質を受けているのかもしれない」。
小倉 ミチヨ(おぐら みちよ、1894年9月14日 - 19… 小倉 ミチヨ(おぐら みちよ、1894年9月14日 - 1967年7月10日)は、日本の性文化研究者。夫の小倉清三郎とともに性の研究雑誌『相対』を発行し、自らも記事を多数執筆した。猥褻文書出版販売違反で逮捕された際、阿部定の隣室になり、『阿部定隣室観察十日間』を執筆。晩年は精神異常者とみなされて収監され、精神病院で亡くなった。旧姓坂本、本名は道代。弟に作家の坂本石創がいる。 1894年に愛媛県西宇和郡川之石町(現・八幡浜市)の農家に生まれる。小学校を卒業すると従兄と結婚させられたが、5年後に離婚し、松山技芸女学校(現・済美高等学校)へ進学。1917年に小学校教員になる。翌年上京し、東京女子専門学校(現・東京家政大学)へ入学。
中野 義照(なかの ぎしょう、1891年10月5日 - 19… 中野 義照(なかの ぎしょう、1891年10月5日 - 1977年1月31日)は、真言宗の僧、インド哲学研究者。 1891年、愛媛県今治市生まれ。旧姓は白石。11歳で得度する。東京帝国大学文学部印度哲学科で学び、1921年に卒業。高楠順次郎に師事した。卒業後は九州帝国大学講師となり、1929年には高野山大学教授、1933年より中国天津日本図書館長、北京大学文学院教授。 戦後日本へ帰国し、1946年より高野山大学教授に復帰。同文学部長、1951年学長を務めた。1952年「ヤーヂユニヤワルキヤ法典の研究」を九州大学に提出して文学博士号を取得。1958年、密教文化研究所長となる。1964年には再度学長を務める。
小川 尚義(おがわ なおよし、明治2年2月9日(1869年3… 小川 尚義(おがわ なおよし、明治2年2月9日(1869年3月21日) - 昭和22年(1947年)11月20日)は明治から昭和前期の言語学者、台湾語と台湾諸語研究者、辞書編纂者。台北帝国大学名誉教授。 1869年(明治2年)2月9日(新暦では3月21日)、伊予国温泉郡(現在の愛媛県松山市勝山町)に士族・丹下尚逸・ムラの三男として生まれる。1872年(明治5年)5月、松山・御宝町77番地(現在の松山市一番町2丁目3番)の小川武一の養子になる。1883年(明治16年)、松山中学を卒業する。1887年(明治20年)9月、第一高等中学校予科に入学。正岡子規と親しくなる。しかし1889年には脚気のため一時休学、留年。