坂本 則美(さかもと のりみ、または のりよし、1848年1… 坂本 則美(さかもと のりみ、または のりよし、1848年1月2日(弘化4年11月26日) - 1913年9月15日)は、明治時代の日本の実業家、政治家。土佐藩出身。貧困児童救育事業で明治初頭に活躍し、高知県会議員を務めた。その後、琵琶湖疏水建設事業に携わり、さらに衆議院議員を務めた。さらにその後、実業界に転身し、総武鉄道社長、夕張炭鉱社長などを務めた。 1848年1月2日(弘化4年11月26日)、高知県土佐郡一宮村(現在の高知市)に生まれる。高知藩士坂本覚次郎の三男。明治7、8年ごろから貧児救育事業を始め、貧児救育事業団体の詵々社の社長となり、高知慈善協会の設立にも関わった。1879年に高知県会議員に当選し、議会副議長などに選ばれ、1882年まで議員を務めた。
武市 安哉(たけち あんさい/やすや、弘化4年4月1日(18… 武市 安哉(たけち あんさい/やすや、弘化4年4月1日(1847年5月15日) - 明治27年(1894年)12月2日)は、土佐藩出身の明治時代の日本の政治家であり、北海道を開拓した人物の一人である。 土佐勤王党を結成した武市半平太や、亀山社中(後の海援隊)を結成した坂本龍馬の親戚である。 土佐国長岡郡大埇村住吉野(現・高知県南国市大埇)で、土佐藩郷士の武市家の分家に武市才次の長男として生まれた。1862年に15歳で本家の武市善之助より武市本家を相続する。1868年(慶応4年)には、土佐藩士として鳥羽・伏見の戦いに参加する。明治維新を迎え、1872年(明治5年)に小学校の教師となるが、1876年には小学校を辞して、立志学舎の学生とになる。
阪井 重季(さかい しげすえ/しげき、1847年1月10日(… 阪井 重季(さかい しげすえ/しげき、1847年1月10日(弘化3年11月24日) - 1922年(大正11年)3月1日)は、明治から大正期の日本陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。旧名・元助(二川元助、二川元助重遠)。家紋は四つ星。 土佐国土佐郡(高知藩)高知城下の高知中島町において、土佐藩士(馬廻役、300石。)・二川周五郎の長男として生まれ、後に阪井に改姓した。生家の中島町は板垣退助、片岡健吉の出身地であり、家が近所であった。 戊辰戦争に従軍し、1870年、大坂兵営予備生徒となる。翌年、御親兵として上京、陸軍大尉に任官し8番大隊副官となる。近衛6番大隊副官、広島鎮台地方司令官心得などを経て、1874年2月から翌月にかけて佐賀の乱に出征。
中島 信行(なかじま のぶゆき、旧名:中島 作太郎〈なかじま… 中島 信行(なかじま のぶゆき、旧名:中島 作太郎〈なかじま さくたろう〉、1846年10月5日〈弘化3年8月15日〉 - 1899年〈明治32年〉3月27日)は、明治時代の官僚、政治家。号は長城。元土佐脱藩浪士(海援隊士)。初代衆議院議長。先妻は陸奥宗光の妹初穂で長男は中島久万吉。後妻は男女同権論者の岸田俊子(中島湘煙)。 明治維新後、外国官及び兵庫県に徴され、通商正・出納正、紙幣権頭、横浜税関長、神奈川県令、元老院議官(国憲取調委員)を歴任後、野に下って民選議院開設・自由民権運動に加わり自由党副総理・立憲政党総理を兼任。民権派の大同団結の立場を堅持し、第1回衆議院議員選挙で当選、初代衆議院議長を務めた。
片岡 健吉(かたおか けんきち、1844年2月14日〈天保1… 片岡 健吉(かたおか けんきち、1844年2月14日〈天保14年12月26日〉- 1903年〈明治36年〉10月31日)は、日本の政治家。 ※日付は明治5年までは旧暦 天保14年12月26日(1844年2月14日)、土佐藩上士(馬廻格・250石)片岡篤光(俊平)の嫡男として高知城下中島町に生まれる。母は渋谷次兵衛篤輝の妹(幸)。嘉永2年(1849年)7月7日、藩主への御目見えを許される。 万延元年(1860年)8月18日、前年に乾退助らと相諮り南川原相撲場へ立ち入って不作法に及んだ事を咎められ謹慎処分を受けた。 文久元年(1861年)3月17日、御扈従に就任。文久2年(1862年)11月27日、御側小性を免じられ、御馬廻りへ転任。
林 有造(はやし ゆうぞう、1842年9月21日〈天保13年… 林 有造(はやし ゆうぞう、1842年9月21日〈天保13年8月17日〉- 1921年〈大正10年〉12月29日)は、日本の政治家、自由民権運動家。逓信大臣、農商務大臣などを歴任。位階勲等は従二位勲四等。幼名を助次。実名は包直。梅渓と号した。 天保13年8月17日(1842年9月21日)、土佐国宿毛に土佐藩安東家(のち伊賀家)の家臣・岩村英俊・嘉乃の次男として出生。兄は岩村通俊、弟は岩村高俊。幼年期に林茂次平の養子となる。戊辰戦争では板垣退助の配下につき、越後国に転戦し、明治維新後は初代の高知県令(参事)をつとめる。藩の債務処理や在任中に発生した膏取り一揆の鎮圧を図るが、板垣が参議を辞任したのに合わせて辞職。
岡内 重俊(おかうち しげとし、天保13年4月2日〈1842… 岡内 重俊(おかうち しげとし、天保13年4月2日〈1842年5月11日〉 - 1915年〈大正4年〉9月20日)は、幕末の土佐藩士、明治期の司法官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、男爵、錦鶏間祗候。通称・俊太郎。 土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市)で、土佐藩士・岡内清胤、鹿子夫妻の長男として生まれる。土佐藩の横目職を務めた。その後、海援隊に加わり坂本龍馬の秘書役を務め、土佐藩の武器調達に尽力。 明治維新後、新政府に出仕し、明治2年2月15日(1869年3月27日)刑法官鞫獄判司事に任じられた。以後、鞫獄副知判司事、徴士・鞫獄司知事、刑部大解部、刑部少判事、刑部中判事、司法少判事、司法権中判事を歴任。
岩村 通俊(いわむら みちとし、1840年7月8日〈天保11… 岩村 通俊(いわむら みちとし、1840年7月8日〈天保11年6月10日〉- 1915年〈大正4年〉2月20日)は、日本の武士、官僚、政治家。鹿児島県令や初代北海道庁長官などを務めた。貫堂と号し、素水を俳号とする。栄典は正二位勲一等男爵。 明治時代に農商務大臣、宮中顧問官、北海道庁長官を務める。開拓官僚として赴任した北海道を調査し、北海道庁設置の必要性を政府に働き掛け、初代北海道庁長官となる。 土佐藩陪臣・岩村英俊を父に、長男として土佐国(現在の高知県)宿毛で生まれた通俊は、酒井南嶺の下で学問を学び岡田以蔵の下で剣術を学んだ。1869年(明治2年)には政府に出仕し聴訟司判事、箱館府権判事開拓判官を務める。
竹内 綱(たけうち(たけのうち) つな、1840年1月30日… 竹内 綱(たけうち(たけのうち) つな、1840年1月30日〈天保10年12月26日〉 - 1922年〈大正11年〉1月9日)は、日本の実業家、政治家。内閣総理大臣を務めた吉田茂は五男、麻生太郎と寬仁親王妃信子は外曾孫。 天保10年(1840年)、土佐藩家老・山内氏(伊賀氏、宿毛領主)の家臣竹内庄右衛門吉管の子として土佐国宿毛に生まれる。 目付役として大坂に宿毛蔵屋敷を建てるなど、主家の財政再建に尽力した。 慶応2年7月(1866年8月)、宿毛から16kmほど離れた阿満地浦(現在の安満地浦)にイギリス軍艦が停泊したことがあった。対応に苦慮した宿毛領主・山内氏理は、竹内に小銃200丁を備えた歩兵2個小隊を付けて接触させた。
4代 桜木 嘉右衛門(櫻木、さくらぎ かえもん、1838年8… 4代 桜木 嘉右衛門(櫻木、さくらぎ かえもん、1838年8月20日〈天保9年7月1日〉 - 1914年〈大正3年〉1月8日)は、幕末から明治時代の醸造家、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。名は正義。前名は馬之助。族籍は高知県平民。 3代目桜木嘉右衛門正利、鹿の二男として高知城下種崎町(現・高知市はりまや町)に生まれ、のち前名を改めて襲名する。藩政下、町内総組頭を務め、廃藩後は町内取締役となる。本業は酒造業で「葉柳」の醸造元。 1877年(明治10年)第七国立銀行が設立すると同取締役に就任。1881年(明治14年)帆走船運漕営業会社天佑社を設立し、相談役を経て社長に就任。1886年(明治19年)土佐郡酒造家連合会を設立し同会長に就任。
後藤 象二郎(ごとう しょうじろう、1838年4月13日〈天… 後藤 象二郎(ごとう しょうじろう、1838年4月13日〈天保9年3月19日〉 - 1897年〈明治30年〉8月4日)は、日本の政治家、実業家。名は象次郎とも表記される。栄典は正二位勲一等伯爵。土佐三伯の1人(他に板垣退助、佐佐木高行)。 土佐藩士・後藤正晴(馬廻格・150石)の長男として高知城下片町に生まれる。母は大塚勝従の長女。幼名は保弥太(やすやた)。通称は良輔(りょうすけ)だったが、後に象二郎と改名。諱は正本(まさもと)、後に元曄(もとはる)。字は日曄、暢谷、雲濤、不倒翁など。雅号に暘谷、雲濤、光海、鷗公など。 板垣退助とは竹馬の友で互いに「いのす(猪之助=板垣の幼名)」と「やす(保弥太=後藤の幼名)」と呼び会う仲であった。
川田 小一郎(かわだ こいちろう、1836年10月4日(天保… 川田 小一郎(かわだ こいちろう、1836年10月4日(天保7年8月24日) - 1896年(明治29年)11月7日)は、日本の実業家、政治家。男爵。創業期の三菱の幹部であり、貴族院議員、第3代日本銀行総裁。 天保7年(1836年)8月24日 、土佐国土佐郡旭村(現在の高知県高知市)にて土佐藩の郷士・川田家に生まれた。正規の教育はまったく受けていないが、その理財の才を認められ、藩の会計方に登用される。藩営土佐商会で勧業・鉱山・通商の事務を担当。明治維新に際しては、難題であった伊予松山藩所有の別子銅山接収を平和裡に収拾している。 明治3年(1870年)、藩営の海運業社九十九商会の民営化に伴い、高級幹部(管事)として、石川七財と共に社主の岩崎弥太郎を補佐した。
尾崎 忠治(おざき ただはる、天保2年2月2日(1831年3… 尾崎 忠治(おざき ただはる、天保2年2月2日(1831年3月15日) - 1905年(明治38年)10月16日)は、日本の武士、政治家。正二位勲一等男爵。 土佐国土佐郡高知城下(現高知県高知市)で土佐藩士・尾崎源之丞の次男として生まれ、奥宮慥斎に学ぶ。 維新後の明治3年(1870年)12月、刑部大解部に就任。翌年7月に刑部省が司法省と名を変え、司法大解部、同年10月に司法少判事、同8年(1875年)5月に長崎上等裁判所長心得、同17年(1884年)12月に東京控訴院長、同19年(1886年)8月には大審院長などの司法ポストを歴任した。同23年(1890年)8月に枢密顧問官。同33年(1900年)5月、男爵を授爵。
佐々木 高行(ささき たかゆき、1830年11月26日〈文政… 佐々木 高行(ささき たかゆき、1830年11月26日〈文政13年10月12日〉- 1910年〈明治43年〉3月2日)は、江戸時代末期(幕末)から明治期の日本の政治家。爵位は侯爵。幼名は万之助、通称は三四郎。初名は高喜(たかあつ)、高春(たかはる)と称し、高行(たかのり)に改名した後に、現在の名称に改名した。佐佐木高行とも表記される。土佐三伯の1人(他に板垣退助・後藤象二郎)。著作である日記『保古飛呂比』は幕末・維新期の第一級資料として知られる。 藩士と郷士の身分が確立されている土佐藩の中で上士の板垣退助や谷干城と同じく、郷士に対し寛大だった人物として有名。明治政府高官の中でも保守派を代表する1人であり、明治天皇の信任を楯に政治体制を巡り伊藤博文らと争った。
小畑 美稲(おばた うましね、1829年10月22日(文政1… 小畑 美稲(おばた うましね、1829年10月22日(文政12年9月25日) - 1912年11月12日)は、幕末から明治の武士(土佐藩士)、裁判官、政治家。元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候、正二位、男爵。幼名・孫二郎または孫次郎。 土佐国土佐郡一宮村(高知県土佐郡一宮村を経て現高知市)で、土佐藩士・小畑美穂の長男として生まれる。奥宮慥斎から陽明学を学ぶ。土佐勤王党に加わり尊王攘夷運動を推進。文久3年(1863年)、土佐勤王党の獄により入獄した。 明治維新後に赦免され新政府に出仕。明治2年7月(1869年)、弾正大巡察に就任。以後、弾正権少忠、司法大解部、司法少判事を歴任。 明治5年8月(1872年)、茨城裁判所長に就任。
神山 郡廉(こうやま くにきよ、文政12年1月13日〈182… 神山 郡廉(こうやま くにきよ、文政12年1月13日〈1829年2月16日〉 - 1909年〈明治42年〉8月20日)は、幕末の土佐藩士、明治期の内務官僚・政治家。県令、元老院議官、貴族院男爵議員、錦鶏間祗候。通称・左多衛。雅号・郡風、君風。 土佐国高知城下中島町で、土佐藩士・神山久左衛の五男として生まれ、神山左平の養子となる。吉田東洋により藩の要職に抜擢された。慶応元年(1865年)、大目付に就任。慶応2年(1866年)、第二次長州征討に当たって、家老・福岡宮内と共に広島に赴き、幕府からの出兵督促を拒否した。慶応3年10月 (1867年)の大政奉還において、建白書に連署した。 王政復古後、慶応3年12月12日(1868年1月3日)、参与に就任。
山崎 正恭 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(… 山崎 正恭 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(3期)。高知県議会議員(1期)を務めた。
武内 則男 は、日本の政治家。高知県三原村長(1期)。
浜田 豪太 は、日本の政治家。高知県香南市長(2期)。元高知… 浜田 豪太 は、日本の政治家。高知県香南市長(2期)。元高知県議会議員(2期)。