元亀 進之介(げんき しんのすけ、1993年10月22日 … 元亀 進之介(げんき しんのすけ、1993年10月22日 - )は、高知県土佐清水市出身で、阿武松部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。身長168.5cm、体重115.1kg、血液型はB型。最高位は西幕下8枚目(2017年7月場所)。 公務員の家庭に生まれる。兄が土佐清水少年相撲団に通っていたことに影響を受けて、3歳の時に相撲を始めた。小学生の時は厳しい稽古に耐えられず休みがちだったが、土佐清水市立清水中学校に進学すると、相撲部の雰囲気に馴染むことが出来たため、2年次に全国中学校相撲選手権大会(全中)で個人ベスト32、3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会で団体3位の成績を残した。3年次に出場した全中の会場で埼玉栄高校の勧誘を受けたため、中学校卒業後は同高校に進学した。
栃煌山 雄一郎(とちおうざん ゆういちろう、1987年3月9… 栃煌山 雄一郎(とちおうざん ゆういちろう、1987年3月9日 - )は、高知県安芸市出身(「相撲レファレンス」において須崎市出身とされているのは明徳義塾高校の所在地と混同されたため)で春日野部屋所属の現役大相撲力士。本名は影山雄一郎(かげやま ゆういちろう)、愛称はカゲ。身長188cm、体重157kg、血液型はA型。得意手は右四つ・寄り・もろ差し・押し。最高位は東関脇(2010年11月場所、2015年7月場所)。好物はとんかつ。趣味は読書、寝ること。
土佐豊 祐哉(とさゆたか ゆうや、1985年3月10日 - … 土佐豊 祐哉(とさゆたか ゆうや、1985年3月10日 - )は、高知県土佐市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は森下 祐哉(もりした ゆうや)、愛称はゴリ。現役時代の体格は身長178cm、体重144kg、血液型はO型。得意手は右四つ、投げ。最高位は東前頭筆頭(2011年7月場所)。趣味は銭湯巡り。 現在は時津風部屋師匠として後進の指導に当たっている。 高知県立高知工業高等学校時代に高校横綱のタイトルを獲得し、東京農業大学に進学した。学生相撲でも活躍して4冠を達成するが、幕下付出対象のタイトル獲得は果たせなかった。 2007年3月場所にて前相撲で初土俵を踏み、一番出世を果たした。高知工高卒業者の角界入りは、増健亘志以来。
豊ノ島 大樹(とよのしま だいき、1983年〈昭和58年〉6… 豊ノ島 大樹(とよのしま だいき、1983年〈昭和58年〉6月26日 - )は、高知県宿毛市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士、タレント、YouTuber。本名は梶原 大樹(かじわら だいき)、愛称はカジ、いきちゃん。身長168cm、体重154kg、血液型はA型、星座は蟹座。得意技は左四つ・下手投げ。嫌いなものはグリーンピース、レーズン、溶けていないチーズ。趣味は音楽鑑賞、カラオケ、釣り、ボウリングなどと多種多様である。最高位は東関脇(2012年5月場所)。 座右の銘は「三年先の稽古」。小学生のときに相撲を教わった恩師の言葉だという。その言葉は自身のブログのタイトルにもなっている。また、自身と同じブログ力士である、雅山、普天王らとも仲が良い。
増健 亘志(ますつよし のぶゆき、1974年1月22日 - … 増健 亘志(ますつよし のぶゆき、1974年1月22日 - )は、高知県高知市出身で三保ヶ関部屋所属の元大相撲力士。本名は柳川 信行(やながわ のぶゆき)。最高位は西十両6枚目(2003年9月場所)。得意手は左四つ、寄り。身長178cm、体重190kg、愛称は本名に因んで「ノブ」。趣味は漫画を読むこと。好物は焼肉。水瓶座。血液型B型。干支は寅年。 1974年1月22日、高知県に生まれる。奇しくも、後に入門することになる三保ヶ関部屋の大先輩にあたる北の湖敏満は、同月の大相撲本場所にて幕内初優勝を果たし、柳川の誕生日の翌日にあたる23日には、大関昇進伝達式が執り行われた。 相撲は小学校4年から始め、それまでは野球をやっていた。
土佐ノ海 敏生(とさのうみ としお、1972年2月16日 -… 土佐ノ海 敏生(とさのうみ としお、1972年2月16日 - )は、高知県安芸市出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は山本 敏生(やまもと としお)。現在は年寄・立川。得意手は突き・押し・右四つ・上手投げで、最高位は東関脇(1997年7月場所・同年9月場所、2004年1月場所)。安芸市立安芸中学校、高知高校、同志社大学商学部卒業。趣味は映画鑑賞、愛称は「トシオ」、好物はケーキ、星座はみずがめ座、血液型はB型、干支は子年。 漁師の長男に生まれる。小学校の低学年の時は野球少年だったが高学年より相撲に転向する。野球部で球拾いばかりだったが、相撲部のコーチから「大きい体をしているなぁ。相撲ならすぐに試合に出られるぞ。
琴藤沢 和穂(ことふじさわ かずのり、1956年10月15日… 琴藤沢 和穂(ことふじさわ かずのり、1956年10月15日 - )は、高知県高知市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤沢 和穂(ふじさわ かずのり)。最高位は西幕下2枚目(1980年1月場所)。 1974年、高知高等学校3年時に高校横綱に輝き、翌1975年に同志社大学へ入学。大学時代は1学年上である近畿大学の長岡末広(後の大関朝潮太郎)が最大のライバルとなり、長岡が大学を卒業して角界入りした1978年に第56代学生横綱となる。藤沢を巡っては当然ながら各相撲部屋のスカウト合戦も激しかったが、最終的には佐渡ヶ嶽部屋への入門が決まり、同時に佐渡ヶ嶽部屋に入門した日本大学出身の元高校横綱である花田安(はなだ やすし、四股名は琴花田安、最高位東幕下21枚目)と共に1979年3月場所にて幕下付出デビューを飾るはずであった。
荒勢 永英(あらせ ながひで、1949年6月20日 - 20… 荒勢 永英(あらせ ながひで、1949年6月20日 - 2008年8月11日)は、高知県吾川郡伊野町(現在のいの町)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士、エイビープロモーションに所属していたタレント。本名は荒瀬 英生(あらせ ひでお)。芸名は荒勢(あらせ)、最高位は東関脇(1976年5月・7月場所、1977年3月場所、9月場所〜1978年3月場所、1980年3月・5月場所)。大相撲時代の体格は身長177cm、体重151kg。得意手は右四つ、寄り。公認候補者として所属した自由連合では、組織委員会文化スポーツ局次長を務めた。 実家は農家。高知中学校在学時より相撲を始め高知高校、日本大学と相撲部で活躍し、大学3年時には全日本相撲選手権大会で3位に入賞している。
照ノ海 照光(てるのうみ てるみつ、1922年1月18日 -… 照ノ海 照光(てるのうみ てるみつ、1922年1月18日 - 没年不明)は、高知県南国市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は北村 照光(きたむら てるみつ)。171cm、99kg。最高位は西十両筆頭。得意技は左四つ、寄り。 1936年1月場所に初土俵。入門してしばらくは全く勝ち越すことができかったが、1939年1月場所に入門して初めての勝ち越しを決めると、逆に勝ち越しを続けていき、1941年5月場所に十両昇進。1943年5月場所には西十両筆頭まで躍進するも入幕ならず、1947年11月場所に25歳で廃業した。
八幡野 平八郎(やはたの へいはちろう、1917年9月29日… 八幡野 平八郎(やはたの へいはちろう、1917年9月29日 - 1994年5月9日)は、伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。9代谷川。本名は西内 平八郎(にしうち へいはちろう)。現在の高知県須崎市(当時は高岡郡須崎町)出身。182cm、86kg。最高位は西十両5枚目。得意技は右四つ、上手投げ、うっちゃり。 米穀・肥料を商う「西亀」の八男として生まれ、生家は裕福な家庭だった。実父は須崎町議を6期努める有力者で、長兄が神戸高等商業(現神戸大学経済学部)、本人を除く他の7人が京都帝国大学卒という家系で、本人も子供の頃から体格よく頭脳明晰だった。県立城東中学に進学すると柔道部に籍を置き、部員不足の相撲部の試合にも参加し、堺の大浜相撲場で行われた全国中等学校相撲大会にも出場したのを機に、親友の父から強く勧められたため、学業を続けるのを条件として1935年3月に伊勢ヶ濱部屋に入門、5月場所に八幡野の四股名で初土俵を踏んだ。
鏡川 四郎(かがみかわ しろう、1911年7月1日 - 没年… 鏡川 四郎(かがみかわ しろう、1911年7月1日 - 没年不明)は、高知県香美郡野市町(現香美市)出身で、二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は西山 四郎。最高位は十両12枚目。 同郷の元前頭の土州山役太郎の二子山部屋に入門。1928年10月に初土俵を踏む。1941年1月十両に昇進。十両は3場所つとめたが、いずれも大負けして勝ち越すことができなかった。1945年11月で廃業した。
土州灘 浪五郎(としゅうなだ なみごろう、1909年10月3… 土州灘 浪五郎(としゅうなだ なみごろう、1909年10月31日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。二子山部屋→二所ノ関部屋所属。本名は石川 久治(いしかわ ひさじ)。高知県香美郡香我美町(現香美市)出身。最高位は西十両14枚目。得意技は左四つ、下手投げ。 同郷の前頭・土州山役太郎の二子山部屋に入門。1928年1月場所に初土俵を踏む。1936年5月場所に十両に昇進。この場所は1勝10敗と大きく負け越し、1場所で幕下に落ちた。幕下から三段目に落ち、1942年5月場所で廃業した。
土州山 好一郎(としゅうざん こういちろう、1904年1月1… 土州山 好一郎(としゅうざん こういちろう、1904年1月1日 - 1977年5月4日)は、高知県香美郡赤岡町(現香南市)出身で二子山部屋に所属した大相撲力士。本名は武内 好春。最高位は東前頭4枚目(1934年5月場所)。 現役時代の体格は179cm、112kg。得意手は上突っ張り、出し投げ。 同郷の土州山役太郎の経営していた二子山部屋に入門、1922年5月場所に初土俵を踏む。三段目から幕下で苦労していたが、土佐ノ海から師名の土州山に四股名を改めた直後の1932年1月に起きた春秋園事件で大量の脱退者が出たので、繰り上がって同年2月の改正番付で新十両を果たした。その機会を生かして1933年1月場所に入幕、以後6年にわたって幕内中堅力士として活躍した。
晴ノ海 弥太郎(はれのうみ やたろう、1898年12月6日 … 晴ノ海 弥太郎(はれのうみ やたろう、1898年12月6日 - 1970年12月23日)は、現在の高知県土佐市出身で友綱部屋に所属した元大相撲力士。本名は中西 弥太郎(なかにし やたろう)。176cm、86kg。最高位は東前頭12枚目。得意技は突っ張り、右四つ、下手投げ。 祖父や父の影響を受けて子供の時から土地相撲で活躍した。1915年5月場所で初土俵を踏む。順調に番付を上げていき、1923年1月場所で十両昇進。7代友綱の部屋継承以降新しい力士が中々育たなかった友綱部屋からの待望の関取であった。十両昇進後は苦戦していたが、1928年5月場所に新入幕を果たした。しかし、幕内は2場所しか務められず、現役晩年は十両で相撲を取り続けた。
加勝山 鹿治(かしょうざん しかじ、1889年(明治22年)… 加勝山 鹿治(かしょうざん しかじ、1889年(明治22年)10月9日 - 1914年(大正3年)9月20日)は、高知県安芸市出身で友綱部屋に所属した大相撲力士。本名は寺尾 鹿治(てらお しかじ)。最高位は東前頭14枚目。 1889年10月9日に高知県安芸市で生まれる。旧制安芸中学2年生のとき、相撲が強かったことで高知市の商家に引き取られて相撲に専念し、ここで腕を上げて1907年5月場所で初土俵を踏み、1912年1月場所で新十両昇進、1913年5月場所では十両優勝を果たした。小柄な力士の多かった当時としても体格は恵まれていなかったが、相撲巧者で、いつも前髪がすり切れているほどの稽古熱心が実って1914年1月場所で新入幕を果たしたが、幕内では在位2場所で各場所1勝ずつしか挙げられず、巡業中だった同年9月20日に、新潟県南蒲原郡三条町(現:三条市)にて心臓脚気により死去、24歳没。
土州山 役太郎(どしゅうざん やくたろう、1888年10月5… 土州山 役太郎(どしゅうざん やくたろう、1888年10月5日 - 1960年3月26日)は、高知県香美郡赤岡町(現在の香南市)出身で友綱部屋に所属した大相撲力士。本名は永森 役太郎(ながもり やくたろう、旧姓は岡本)。身長164cm、体重94kg。得意手は左四つ、寄り、掬い投げ、波離間投げ。最高位は前頭筆頭。 1907年(明治40年)1月場所に幕下付出で初土俵を踏むと、1908年(明治41年)5月場所に新十両、1910年(明治43年)1月場所に新入幕した。黒髪豊か、大銀杏が似合う好男子で、二字口(徳俵)いっぱいまで下がって仕切り、相手の懐に飛び込んで攻め立てる取り口だった。また技を多く持ち、奇手で相手を苦しめた。
國見山 悦吉(くにみやま えつきち、1876年(明治9年)3… 國見山 悦吉(くにみやま えつきち、1876年(明治9年)3月28日 - 1924年(大正13年)9月25日)は、高知県土佐郡(現:高知県高知市)出身で友綱部屋に所属した大相撲力士。本名は松下 悦吉(まつした えいきち)で、一時期は河野 悦吉(こうの えいきち)。最高位は東大関。 1876年3月28日に高知県土佐郡(現:高知県高知市)で生まれる。愛媛県の炭鉱へ出稼ぎに行った際にその巨体と怪力を知った板垣退助から勧誘され、 友綱部屋へ入門、1894年1月場所で「鏡川」の四股名で初土俵を踏む。1899年1月場所で新十両昇進、1900年1月場所で新入幕を果たした。その後も順調に出世していき、1901年5月場所では7勝2敗の好成績で小結昇進、1903年1月場所では関脇で8勝1敗の好成績を残し、1905年1月場所ではついに9戦全勝(当時の幕内力士は千秋楽を休場する慣習があった)の最優秀成績を挙げ、荒岩亀之助と共に大関へ昇進した。
海山 太郎(かいざん たろう、1869年10月14日(明治2… 海山 太郎(かいざん たろう、1869年10月14日(明治2年9月10日) - 1931年(昭和6年)6月6日)は、土佐国土佐郡比島(現在の高知県高知市比島)出身で友綱部屋(入門は大坂相撲の猪名川部屋)に所属した大相撲力士。本名は笠井 兎之助(かさい とのすけ、外之助とも)。身長173cm、体重99kg。怪力で知られ、得意手は、小手投げ、すくい投げ、合掌捻り。最高位は関脇。二所ノ関一門の源流を創り上げた。 板垣退助の知遇を得て、高知市潮江新田の板垣邸内の角力場で稽古を積む。大坂相撲の猪名川部屋に入門し、鏡川の四股名を名乗る。1890年(明治23年)5月、板垣退助の推薦により同郷の初代海山太郎が師匠を務める東京の友綱部屋へ移籍、序二段付出となる。
海山 太郎(かいざん たろう、1854年7月8日(嘉永7年6… 海山 太郎(かいざん たろう、1854年7月8日(嘉永7年6月14日) - 1926年(昭和元年)12月30日)は、高知県香南市香我美町岸本出身の大相撲力士。本名は河野 貞太郎(こうの(かわの) さだたろう)。 1854年(嘉永7年)7月8日(旧暦6月14日)に高知県香南市香我美町岸本の武士の家に生まれる。子供の時から板垣退助の相撲道場に入り、脇の磯と名乗って土地相撲で活躍する。あまりに強すぎて歯の立つ相手がいないので、「当たるもの皆散る」という意味の「皆散」というニックネームを同僚から呈上されていた。1877年(明治10年)に仲間と共に大坂相撲猪名川部屋へ加入して「皆散」を「海山」と書き換え、1879年9月場所に「海山貞吉」の四股名で新入幕を果たした。