石川 賢治(いしかわ けんじ、1945年1月2日 - )は、… 石川 賢治(いしかわ けんじ、1945年1月2日 - )は、福岡県出身の写真家。月光写真家。月明かりのみを用いて撮影する「月光写真」を撮り続けている。 1945年福岡県に生まれる。 1967年日本大学芸術学部写真学科を卒業。同年、ライトパブリシティ写真部入社。 1976年フリーの写真家としてコマーシャルフィルム及びスチルを数多く手掛ける。 1984年から1985年まで日本とサイパンにおいて月光写真の露出テストを繰り返す。 1986年サイパンで本格的に月光写真の撮影を開始、『月光浴』を発表。 以後、月光写真家として世界各地を巡り作品を撮り続け、写真集を多数発表。写真集と個展による発表を中心に活動を続けている。
原田 康子(はらだ やすこ、1945年 - )は、日本の画… 原田 康子(はらだ やすこ、1945年 - )は、日本の画家。福岡県出身。千葉県美術会理事を務める。 1945年福岡県行橋市生まれ。1964年福岡県立京都高等学校卒業。福岡女子大学文学部国文学科卒業。光風会会員。千葉県美術会理事。
山見 博康(やまみ ひろやす、1945年 - )は、日本の実… 山見 博康(やまみ ひろやす、1945年 - )は、日本の実業家。山見インテグレーター株式会社代表取締役、広報PR・危機対応コンサルタント。九州大学・名古屋文理大学非常勤講師。 米国ダートマス大学エイモスタック経営大学院マネジメントプログラム修了。日本PR協会、日本広報学会、東京商工会議所などの会員。 1945年、福岡県飯塚市生まれ。1965年、福岡県立嘉穂高等学校卒業。1968年、九州大学経済学部卒業、(株)神戸製鋼所に入社。人事部、鉄鋼販売部及び輸出部、カタール製鉄建設プロジェクトに従事しドーハ駐在を経て、1979年から一貫して広報に携わる。1985年より日豪政府協力事業褐炭液化プロジェクトに従事しメルボルンに駐在、日豪のマスコミに対応。
弓野 憲一(ゆみの けんいち、1945年- )は、日本の教育… 弓野 憲一(ゆみの けんいち、1945年- )は、日本の教育心理学者、静岡大学名誉教授。弓野教育研究所主宰。専攻は教育心理学、創造心理学。 福岡県築上郡椎田町(現築上町)生まれ。福岡県立小倉工業高等学校卒、1年半大阪の工場で働いたのち、福岡教育大学技術科卒業。1977年九州大学大学院教育学研究科博士課程満期退学、1985年「記憶の構造と検索に関する研究」で九大教育学博士。九大教育学部助手、1979年静岡大学教育学部講師、81年助教授、90年教授。2011年定年退任、名誉教授。
小島 英記(こじま ひでき、1945年 ‐ )は、日本の作家… 小島 英記(こじま ひでき、1945年 ‐ )は、日本の作家、元新聞記者。 作家・小島直記の長男。福岡県八女市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本経済新聞のパリ特派員、文化部編集委員などを経て、作家となる。はじめ小島英煕の筆名を用いた。 幼少期から一刀流中西派の高野弘正に師事し、大学在学中に全日本剣道連盟五段を取得。1977年、七段を允許された。
梅本 龍平(うめもと りゅうへい、1945年 - 1998年… 梅本 龍平(うめもと りゅうへい、1945年 - 1998年1月2日)は、元西日本新聞論説委員。 中国・大連に生まれる。福岡市に育ち、福岡県立福岡高等学校を経て西南学院大学を卒業後、1970年(昭和45年)西日本新聞社に入社。社会部、スポーツ部、東京支社報道部などを経て、1994年(平成6年)論説委員。1998年(平成10年)1月2日没、享年52。
天本 光(あまもと ひかる、1944年11月12日 - )は… 天本 光(あまもと ひかる、1944年11月12日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。
黒田 東彦(くろだ はるひこ、1944年(昭和19年)10月… 黒田 東彦(くろだ はるひこ、1944年(昭和19年)10月25日 - )は、日本の銀行家、元財務官僚。第31代日本銀行総裁。財務官を最後に退官し、一橋大学大学院教授、アジア開発銀行総裁を経て現職。財務省内での愛称は「クロトン」である。
原田 義昭(はらだ よしあき、1944年〈昭和19年〉10月… 原田 義昭(はらだ よしあき、1944年〈昭和19年〉10月1日 - )は、日本の政治家、通産官僚、弁護士、実業家。船井電機代表取締役会長。日韓トンネル実現九州連絡協議会会長代行、原田国際法律事務所代表。 環境大臣(第26代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)(第4次安倍第1次改造内閣)、文部科学副大臣(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、厚生政務次官(第2次橋本改造内閣)、衆議院議員(8期)、衆議院消費者問題に関する特別委員長・財務金融委員長・外務委員長、自由民主党総務会長代理・国際情報検討委員長・外交経済連携本部幹事長・競争政策調査会長・衆議院議員総会副会長・道州制推進本部長・人事委員長・筆頭副幹事長・福岡県支部連合会長・総務会副会長、中小企業庁参事官、通商産業大臣秘書官、関東通産局総務課長を歴任した。
弘友 和夫(ひろとも かずお、1944年8月17日 - )は… 弘友 和夫(ひろとも かずお、1944年8月17日 - )は、日本の政治家。公明党所属の元参議院議員(2期)、元衆議院議員。 姉は元宝塚歌劇団の小文字まり(44期。上田睦子)。剣道教士七段、居合道二段。全日本剣道連盟顧問、武道議員連盟副会長、日本武道館理事。
井上 孝代(いのうえ たかよ、1944年8月14日 - )は… 井上 孝代(いのうえ たかよ、1944年8月14日 - )は、日本の心理学者。明治学院大学名誉教授。 臨床心理士。学校心理士。認定カウンセラー。マクロ・カウンセリング研究会主宰。 現在の韓国・ソウルで生まれ、1歳の時に釜山から愛媛県八幡浜市へ引き揚げ。2歳から福岡県福岡市で育つ。 福岡市立簀子小学校、福岡市立当仁中学校、福岡県立修猷館高等学校、九州大学文学部哲学科心理学専攻卒業。同大学院文学研究科心理学専攻博士後期課程単位取得満期退学。1991年東京外国語大学留学生日本語センター助教授、1997年同教授、1998年明治学院大学文学部心理学科教授、2004年同心理学部教授。 2000年 九州大学より博士(教育心理学)の学位を取得。
中島 三千男(なかじま みちお、1944年7月19日 - )… 中島 三千男(なかじま みちお、1944年7月19日 - )は、日本の歴史学者。神奈川大学名誉教授、元同学長。専門は日本近代思想史。近代天皇制を近代日本における国家と宗教の関りから研究。 個別的には①国家神道研究、②天皇の代替わり研究、③海外神社研究、④大山崎(京都府)地域史研究の四つの分野を手掛けている。 1944年7月 福岡県に生まれる 1963年3月 福岡県立小倉高等学校卒業 1967年3月 京都大学文学部史学科国史学専攻 卒業 1969年3月 京都大学大学院文学研究科国史学専攻修士課程修了 文学修士 1973年3月 同上 博士課程 単位取得満期退学 1976年4月 奈良大学文学部専任講師 1980年4月 神奈川大学外国語学部助教授 1988年4月 神奈川大学日本常民文化研究所所員 1992年4月 神奈川大学外国語学部教授 1993年4月 神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科教授 1995年4月 神奈川大学外国語学部長(~1999年3月) 1996年9月 学校法人神奈川大学理事(~1999年3月、2002年9月~2013年9月) 2003年7月 神奈川大学副学長(学術研究担当)(~2007年3月) 2007年4月 神奈川大学学長・神奈川大学大学院委員長(~2013年3月) 2015年3月 神奈川大学定年退職 2015年4月 神奈川大学名誉教授(~現在に至る) 2015年4月 神奈川大学日本常民文化研究所客員研究員(~現在に至る) 2015年4月 同上 非文字資料研究センター客員研究員(~現在に至る) 天理大学文学部、立命館大学文学部、橘女子大学文学部、千葉大学教養部、静岡大学人文学部、北海道教育大学旭川分校、横浜国立大学教育学部、岡山大学文学部、大阪市立大学文学部、一橋大学社会学部、千葉大学文学部、東京商船大学商船学部 (国外、招待講演を含む) カナダ・ブリティシュコロンビア大学(2003年10月)、中国・上海師範大学(2009年3月)、同・復旦大学(2009年3月)、韓国・慶南大学校(2009年5月)、アメリカ・カンザス大学(2010年8月)、台湾・国立台湾大学(2012年5月)、同・国立台湾師範大学(2012年5月)、同・国立成功大学(2012年5月)、中国・清華大学(2012年8月) 1968年8月 歴史科学協議会全国委員(~1971年8月、1977年7月~1980年7月)
北村 英一(きたむら ひでかず、1944年7月8日 - 20… 北村 英一(きたむら ひでかず、1944年7月8日 - 2022年6月25日)は、日本のテレビプロデューサー。クリエイティブハウストップキャット代表取締役。 福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校、青山学院大学卒業。 少年時代は画家に憧れ、中学・高校と美術部に所属。しかし、大学時代に自身の画家としての力量不足を感じ断念。 その後、絵画では難しいが映像なら自分の世界を表現できるのではと思い、映像業界を志望し、1968年に日本教育テレビ(1977年よりテレビ朝日)に入社。以降、バラエティ番組・情報番組を中心に様々な番組の制作を手掛けた。 また同社の事業局統括役員を2000年2月から2009年6月まで務め、その間、常務取締役まで昇進した。
新海 征治(しんかい せいじ、1944年7月5日 - )は、… 新海 征治(しんかい せいじ、1944年7月5日 - )は、日本の化学者、工学博士。九州大学名誉教授。現九州大学高等研究院特別主幹教授、崇城大学教授、九州先端科学技術研究所所長。 専門は多岐に渡るが、分子認識メカニズムの解明と、それらの知見を応用した分子機械システムの構築などを行っている。Wiley社が発行する世界的に著名な化学雑誌であるAngewandte Chemie 誌のアドバイザリー・ボード(顧問委員会)の委員を2000年から2009年まで務めた。 科学系の技術情報を網羅するトムソン・ロイター社のトムソン・ロイター・サイエンテフィックが行うトムソン・ロイター引用栄誉賞をジョージ・M・ホワイトサイズ(ハーバード大学)、フレイザー・ストッダート(ノースウェスタン大学)らと共に2003年から3年連続で受賞。
伊藤 久敏(いとう ひさとし、1944年6月19日 - )は… 伊藤 久敏(いとう ひさとし、1944年6月19日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手。左投右打で、ポジションは投手。
鳥越 碧(とりごえ みどり、1944年5月17日 - )は、… 鳥越 碧(とりごえ みどり、1944年5月17日 - )は、日本の小説家。女性。 福岡県北九州市生まれ。1967年、同志社女子大学学芸学部英文学科(英文学専攻)卒業。商社勤務を経て、1990年、尾形光琳の生涯を描いた『雁金屋草紙』により、第1回時代小説大賞(株式会社講談社主催)を受賞、小説家デビューを果たす。以降、多数の時代小説を上梓している。横浜市青葉区在住。 2013年10月14日、同志社同窓会の120周年記念講演会で、講演を行い、『めぐり逢い 新島八重回想記』の執筆に関して、「当初は、執筆する意欲があまりなかったが、新島襄と八重が、群馬と会津にいながら、どのように出会ったかを考えたときに興味が湧き、執筆の過程では、襄の熱意に感動した」と語った。
三田村 統之(みたむら つねゆき、1944年(昭和19年)5… 三田村 統之(みたむら つねゆき、1944年(昭和19年)5月8日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。元福岡県八女市長(4期)。 福岡県議会副議長(第67代)、福岡県議会議員(5期)、八女市議会議員(2期)等を歴任。 福岡県八女市生まれ。早稲田大学卒業。 1975年、八女市議会議員選挙に出馬し、初当選。八女市議は2期務める。1991年、福岡県議会議員選挙に八女市選挙区から無所属で出馬し、当選。以後、福岡県議会議員に5期連続で当選し、県議会副議長も務める。 2008年、福岡県議会議員を5期目の任期途中で辞職。野田国義八女市長の第45回衆議院議員総選挙出馬に伴う、八女市長選挙に無所属で出馬し初当選。
佐藤 征一(さとう せいいち、1944年4月28日 - )は… 佐藤 征一(さとう せいいち、1944年4月28日 - )は、福岡県北九州市出身のフリーアナウンサー。 小倉高校時代の同級生には漫画家・イラストレーターのわたせせいぞうがいる。法政大学卒業後の1967年にテレビ西日本へ入社し、主にプロ野球・公営競技などのスポーツ中継を担当。特に競馬中継→エキサイティング競馬→ドリーム競馬の小倉開催分のメインキャスターを務め、退職までの数年間はプロデューサーも兼務。これは後輩の川﨑聡にも引き継がれた。プロ野球ニュースでは福岡からのコーナーキャスターも担当し、時間終わりの「佐藤アナ・今日の一句」は番組名物となった。TVQ開局前の1990年まで小倉競輪場・飯塚オートレース場の特別競走を実況し、特に小倉の競輪祭はテレビ東京系列でも放送された。
進 千賀子(しん ちかこ、1944年3月6日 - )は、日本… 進 千賀子(しん ちかこ、1944年3月6日 - )は、日本の女優。 本名は同じ。中国・上海出身。福岡県福岡市育ち。福岡市立博多第二中学校、博多高等学校卒業。丹波プロに所属していた。 父親は共同通信社の記者で、第二次世界大戦後、家族とともに福岡県に引き揚げる。高校3年時に日活撮影所を見学した時にスカウトされる。1962年、高校卒業とともに日活に入社する。劇団民藝での養成期間を経て、同年、映画『若くて、悪くて、凄いこいつら』でデビューし、青春スターとして活躍する。1967年、東宝テレビ部に移籍するが、のちにフリーとなりテレビドラマで活躍した。 1978年、日高 千賀子名義で、海外ドラマ『チャーリーズ・エンジェル』の声優を担当する。
末安 堅二(すえやす けんじ、1944年2月23日 - )は… 末安 堅二(すえやす けんじ、1944年2月23日 - )は日本の銀行家。中京銀行代表取締役頭取や、同行取締役会長、学校法人名古屋学院大学理事長を務めた。 福岡県大牟田市生まれ。東海高等学校を経て、1967年横浜市立大学商学部卒業、東海銀行(現三菱UFJ銀行)入行。1994年取締役。1996年常務。1998年常務執行役員。1999年専務執行役員。2002年中京銀行代表取締役頭取。2011年中京銀行取締役会長。2012年タキヒヨー監査役。2015年名港海運監査役。2015年からは学校法人名古屋学院大学理事長を務め、瀬戸信用金庫との間で産学連携協定を締結するなどした。
小江 紘司(おえ こうじ、1944年2月23日 - )は、日… 小江 紘司(おえ こうじ、1944年2月23日 - )は、日本の経営者、工学博士。DIC社長、会長を務めた。福岡県北九州市出身。 1969年に九州大学大学院工学研究科を修了し、1970年に九州大学生産科学研究所に入所。1981年3月に大日本インキ化学工業に転じ、2000年6月に取締役に就任し、2002年6月に常務、2003年6月に専務を経て、2004年6月に社長に就任。2009年4月には会長に就任。
松下 俊男(まつした としお、1944年(昭和19年)2月2… 松下 俊男(まつした としお、1944年(昭和19年)2月22日 - 2017年(平成29年)5月2日)は、日本の政治家。福岡県中間市出身で、同市市長を3期務めた。位階は従五位。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小田原 智一(おだはら ともかず、1944年2月12日 - … 小田原 智一(おだはら ともかず、1944年2月12日 - )は、日本の実業家。福岡空港ビルディング代表取締役社長や、九州大学学術研究都市推進機構理事長を経て、福岡証券取引所理事長。 福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校を経て、1966年九州大学法学部卒業、九州電力入社。九州電力理事人事労務部長、九州電力執行役員鹿児島支店長などを経て、2003年九州電力取締役。2004年九州電力常務取締役。2007年から福岡空港ビルディング代表取締役社長を務め、利便性の向上などにあたった。2009年九州大学学術研究都市推進機構理事長。2016年福岡空港ビルディング顧問。2017年福岡証券取引所理事長。
山田 勝国(やまだ かつくに、1944年2月9日 - )は、… 山田 勝国(やまだ かつくに、1944年2月9日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 博多工業高校では春季九州大会県予選南部決勝に進むが、福岡工に惜敗。東洋高圧大牟田を経て、1963年に近鉄バファローズへ入団。 翌1964年から一軍に定着。主に代打や守備要員として起用されるが、その後は徐々に力を付け、控え外野手として出場機会を増やす。1969年には開幕から中堅手、二番打者として起用され、俊足のチャンスメーカーとして65試合に先発出場した。翌年も13本塁打を放つなど活躍を続けるが、打率が今一つ上がらず、1972年に溜池敏隆とのトレードでヤクルトアトムズへ移籍。ここではあまり出場機会がなく、同年限りで引退した。
不老 安正(ふろう やすまさ、1944年(昭和19年)1月2… 不老 安正(ふろう やすまさ、1944年(昭和19年)1月26日 - )は、日本の実業家。福岡県太宰府市で和菓子店・飲食店を展開する「かさの家」代表取締役。太宰府梅ケ枝餅協同組合理事長、福岡県物産振興会会長、太宰府市観光協会会長などの公職を務める。また、射撃競技(クレー射撃)でオリンピック出場経験もある。 福岡県太宰府市出身。博多高等学校卒業。「松月庵」に務め、のち代表。1977年(昭和52年)に「笠の家」が屋号を「かさの家」に改めた際に代表。のち2005年(平成17年)に「かさの家」を法人化(株式会社かさの家)し、代表取締役。 射撃選手としては、1983年(昭和58年)に群馬国体で優勝。1986年アジア競技大会(ソウル)出場・団体銅メダル。
川野 一成(かわの かずなり、1944年1月25日 - )は… 川野 一成(かわの かずなり、1944年1月25日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。段位は七段。 柔道は中学3年の時に始めた。常磐高校から国士舘大学へ進学するが、この当時大きな実績はあげていない。大学時代には指導者の上野孫吉から「オマエはもう柔道やめてくれ、邪魔だ!」と言われたこともあった。大学を卒業すると、地元に帰らずもう少し東京に留まっていたかったことから国士舘高校の教員になると、先輩から頼まれて柔道部監督にも就任した。最初はそれほど乗り気でなかったものの、柔道部を指導していくうちに勝てない悔しさからどんどん指導にのめりこんでいった。 後のロサンゼルスオリンピック及びソウルオリンピック95kg超級金メダリストの斎藤仁をスカウトした際には、直前に柔道部の寮が火事になってしまったことから着る物もなくて、やむを得ずペラペラのヤッケを重ね着して斉藤の住む青森県まで赴いた。
吉田 浩己(よしだ ひろき、1944年1月18日 - )は、… 吉田 浩己(よしだ ひろき、1944年1月18日 - )は、日本の医学者、病理学者。鹿児島大学第11代学長・名誉教授。医学博士。専門は乳癌病理学、毒性病理学。 福岡県久留米市生まれ。1969年に鹿児島大学医学部医学科を卒業。1971年から1973年の間、シカゴ大学ベン・メイ癌研究所に留学。1974年、鹿児島大学大学院医学研究科単位修得し、愛媛大学医学部助手に就く。「新生児期男性ホルモンの雌性ラット性腺分化に与える影響についての研究」の論文により、1976年2月17日に医学博士の学位を鹿児島大学から授与される。愛媛大学医学部助教授を経て、1983年9月、鹿児島大学医学部教授に就任。鹿児島大学教授の間、医学部附属動物実験施設長(1991年4月就任)、医学部医学科長(2000年10月就任)、医学部長(2003年2月就任)、医歯学総合研究科長(20003年4月就任)などを歴任。
宮地 正人(みやち まさと、1944年1月17日 - )は、… 宮地 正人(みやち まさと、1944年1月17日 - )は、日本の歴史家。東京大学名誉教授。前国立歴史民俗博物館館長。専門は日本近代史。福岡県久留米市出身。
野口 竜(のぐち りゅう、1944年〈昭和19年〉1月1日 … 野口 竜(のぐち りゅう、1944年〈昭和19年〉1月1日 - 2012年〈平成24年〉1月2日、本名:野口 勝)は日本の漫画家、デザイナー、イラストレーター。別名:野口まさる、久留米東、野口太陽。福岡県久留米市東町出身。 学生時代から絵を描いており、県展に入賞するなどしていた。美術大学を志望していた時期もあったが金銭面から断念し、高校卒業後に上京。 石森章太郎の漫画『世界まんがる記』を読んで漫画家を志す。石森を訪ね弟子入りを志願し断られるが、代わりに紹介されたスタジオ・ゼロに入社し、漫画『オバケのQ太郎』の背景を担当した。その後、多忙となった石森の専属アシスタントとなり、『おかしなおかしなおかしなあの子』や『サイボーグ009』に参加。
坂本 紘二(さかもと こうじ、1944年 - )は、日本の環… 坂本 紘二(さかもと こうじ、1944年 - )は、日本の環境学者。元下関市立大学学長、元山口大学監事。 日本統治時代の朝鮮京城(現:韓国ソウル)生まれ、福岡県福岡市育ち。 1973年3月、九州大学大学院工学研究科博士課程単位取得満期退学後、同大学工学部助手。1995年4月、下関市立大学教授。2007年4月、同学長(-2010年3月)。2010年4月 山口大学監事に就任。 環境学、土木技術論を専攻する観点から、市や県の施策や市民活動に参加。また、筑後川流域の水利や、「もたせ」にみられる治水システムに関する研究を行っている。下関市新市庁舎建設候補地検討委員会の委員長やごみ減量等推進審議会員、NPO法人「環境みらい」の理事長も務めている。
中島 昭彦(なかしま あきひこ、1944年 - )は、日本の… 中島 昭彦(なかしま あきひこ、1944年 - )は、日本の歯科医師・歯学者。九州大学大学院歯学研究院口腔保健推進学講座咬合再建制御学分野名誉教授。歯科矯正学の分野で知られる。 福岡県福岡市生まれ。1969年に九州歯科大学を卒業、同大学院進学後、1971年より九州大学助手、講師を務め、1992年より教授に就任。 1976年 九州歯科大学より 歯学博士号を与えられた。論文の題は 「咀嚼機能に関与する二、三の生理学的要因の分析 」。 この項目は、歯学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:歯学/Portal:医学と医療)。
横倉 義武(よこくら よしたけ、1944年-)は、日本の医師… 横倉 義武(よこくら よしたけ、1944年-)は、日本の医師。第19代日本医師会会長。日本医師連盟委員長。元古賀誠自由民主党衆議院議員後援会長。
岡﨑 彬(おかざき あきら、1943年12月17日 - )は… 岡﨑 彬(おかざき あきら、1943年12月17日 - )は、日本の実業家。 福岡県に生まれ、岡山市の岡﨑真一郎の養子となる。1962年福岡県立修猷館高等学校を経て、1968年慶應義塾大学経済学部を卒業。 1973年岡山ガスに入社。1975年取締役となり、1977年常務を経て、1980年11月代表取締役社長に就任。39年間社長を務め、2019年3月長男の岡﨑達也に社長を引き継ぎ、代表権のある会長となる。 1992年4月岡山商工会議所副会頭となり、1998年4月同会頭に就任。岡山市の政令指定都市移行などに尽力し、2019年3月に退任するまで、7期21年間会頭を務めた。 サンステーションテラス岡山、両備ホールディングスの取締役、岡山商科大学社会総合研究所後援会代表理事(2023年現在)なども務めている。
古賀 義弥(こが よしや、1943年12月8日 - )は、日… 古賀 義弥(こが よしや、1943年12月8日 - )は、日本の作曲家、ギタリスト、演出家、ボイストレーナー。旧芸名:古賀 修。 福岡県福岡市出身。福岡大学法学部法律学科卒業。 音楽大学を志すも家族(特に姉)の反対により断念し、法学部に進学。地元の福岡でカントリーバンド「シュガーフット・ブラザース」を結成しボーカルを担当。1966年に渡辺プロダクションにスカウトされて上京、GSグループの「レオ・ビーツ」を結成し、ギター・ボーカルを担当。キングレコードから『霧の中のマリアンヌ』でデビュー。 1973年に渡辺プロから独立し、レオ・ビーツ6名のうち3名に新しいメンバー1名を加えて「ブルー・ジャッカス」結成。
古賀 道雄(こが みちお、1943年(昭和18年)11月25… 古賀 道雄(こが みちお、1943年(昭和18年)11月25日 - )は、日本の政治家。元福岡県大牟田市長(第25・26・27代)、元大牟田市議会議員(3期)。旭日小綬章。 1943年(昭和18年)福岡県生まれ。福岡県立伝習館高等学校を卒業後、早稲田大学第一政治経済学部政治学科に進学。1966年(昭和41年)3月に卒業し、同年4月、三井金属鉱業株式会社に就職。1989年(平成元年)10月、同社三池事務所の所長に就任。 1991年(平成3年)5月2日、大牟田市議会議員に就任。同市議会議員を3期12年務める。2002年(平成14年)9月には、三井金属鉱業株式会社を退職。 2003年(平成15年)5月1日、任期満了により市議を辞職。
是永 駿(これなが しゅん、1943年9月23日 - 202… 是永 駿(これなが しゅん、1943年9月23日 - 2024年1月27日)は、日本の文学者(中国語・中国文学)。専門は中国現代文学、なかでも茅盾、中国現代詩。 勲等は瑞宝中綬章。学位は博士(言語文化学)(大阪大学・2012年)。大阪外国語大学名誉教授、立命館アジア太平洋大学名誉教授。 鹿児島経済大学講師、大分大学経済学部助教授、大阪外国語大学外国語学部教授、大阪外国語大学附属図書館館長、大阪外国語大学学長、立命館アジア太平洋大学教授、立命館アジア太平洋大学学長、学校法人立命館副総長などを歴任した。 福岡県生まれ。父は新聞記者で、4人兄弟の長男。文学好きで詩も書いていた父の影響で現代文学全集を読みふけり、魯迅をきっかけに中国文学を志す。
松田 博文(まつだ ひろふみ、1943年8月31日 - )は… 松田 博文(まつだ ひろふみ、1943年8月31日 - )は福岡県出身の日本の柔道家。身長162cm。得意技は背負投、内股。 嘉穂高校から関西大学進学後、1964年東京オリンピックの軽量級代表候補になるも今一歩のところで代表にはなれなかった。しかし1965年の世界選手権軽量級では優勝を果たした。その後フランス柔道連盟に招聘されて、一時期フランスで柔道を教えていた。帰国後は東レデュポンに所属していた。1967年の世界選手権中量級で優勝した丸木英二とは大学時代に同級生だった。
楢崎 欣弥(ならざき きんや、1943年8月19日 - 20… 楢崎 欣弥(ならざき きんや、1943年8月19日 - 2019年3月15日)は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(2期)。 衆議院議員、社会民主連合書記長・副代表を務めた楢崎弥之助は父。母は、部落解放同盟執行委員長の松本治一郎の姪の長女である。名前は泉鏡花の『瀧の白糸』に登場する検事・村越欣弥に由来。 福岡県福岡市生まれ。東福岡高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。大学卒業後、農用地開発機械公団(現森林整備センター)勤務を経て、父・楢崎弥之助の秘書を務める。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で福岡3区から立候補したが、自由民主党の太田誠一に敗れ、落選した。福岡3区は、父・弥之助の選出選挙区であった旧福岡1区に含まれる。
長尾 亜夫(ながお つぐお、1943年6月1日 - )は、日… 長尾 亜夫(ながお つぐお、1943年6月1日 - )は、日本の実業家。元・西日本鉄道代表取締役社長。前・西日本鉄道代表取締役会長。現・西日本鉄道相談役。 福岡県出身。福岡県立田川高等学校を経て、九州大学法学部卒業。 2003年6月から2008年6月まで約5年間にわたり代表取締役社長を務め、この間、宮地岳線の一部廃止及び貝塚線への改称、天神大牟田線のスピードアップ、非接触型ICカード乗車券「nimoca」の導入などを行った。 2008年6月には、代表取締役社長を竹島和幸に譲り、代表権を有する会長に就任した。 2013年6月27日、会長を退任し、相談役に就任。
田中 清士(たなか きよし、1943年5月16日 - )は、… 田中 清士(たなか きよし、1943年5月16日 - )は、日本のジャーナリスト。元日本放送協会職員。 1943年5月16日、福岡市生まれ。修猷館高等学校、慶應義塾大学卒。1968年NHK入局、青森局赴任。その後、東京社会部、九州沖縄報道統括、列島リレーニュース編集長、宮内庁キャップ、科学文化部長、水戸放送局長。退職後、NHK放送研修所教官。いのちを語り継ぐ美術館館長。特定非営利活動法人インファクト アドバイザー。 社会部記者としてロッキード事件の取材に従事。真山仁のノンフィクション書籍『ロッキード』の取材に応じ、1976年2月、チャーチ委員会証言の第一報を受けた直後に東京地検特捜部を取材した様子を回想している。
屏 道夫(へい みちお、1943年4月5日 - )は、福岡県… 屏 道夫(へい みちお、1943年4月5日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。 福岡県立京都高等学校卒業後、1962年に読売ジャイアンツに入団。しかし、1964年に1試合出場しただけで、同年末に自由契約になった。シーズン終了後、東映フライヤーズの入団テストを受けたが、不合格になり、そのまま現役引退した。
亀崎 英敏(かめざき ひでとし、1943年4月1日 - )は… 亀崎 英敏(かめざき ひでとし、1943年4月1日 - )は、日本の実業家。台湾三菱商事会社代表取締役社長、三菱商事代表取締役副社長、日本銀行政策委員会審議委員などを務めた。 福岡県みやま市山川町出身。1962年福岡県立山門高等学校卒業。1966年横浜国立大学経済学部卒業、三菱商事入社。1990年ハーバード大学ハーバード・ビジネス・スクールAMP修了。東ベルリン駐在首席を経て、1991年早稲田大学教育学部非常勤講師。1992年海外業務第二部長、1995年米欧業務部長、1996年企画業務部長、1998年米国三菱商事会社エグゼクティブヴァイスプレジデント、2001年台湾三菱商事会社代表取締役社長、2002年三菱商事常務執行役員(地域戦略担当)。
八田 達夫(はった たつお、1943年3月23日 - )は、… 八田 達夫(はった たつお、1943年3月23日 - )は、日本の経済学者。専門は、応用ミクロ経済学・公共経済学・都市経済学・法と経済学など。アジア成長研究所理事長。大阪大学名誉教授、政策研究大学院大学名誉教授、東京財団政策研究所名誉研究員。 大阪大学社会経済研究所所長、アジア成長研究所所長・経済同友会政策分析センター所長・政策研究大学院大学学長・経済産業研究所ファカルティフェロー・電力・ガス取引監視等委員会委員長を歴任。Ph.D.(ジョンズ・ホプキンス大学、1973年)。北九州市小倉北区出身。
籾井 勝人(もみい かつと、1943年3月4日 - )は、日… 籾井 勝人(もみい かつと、1943年3月4日 - )は、日本の実業家。元三井物産副社長、元日本放送協会(NHK)会長。日本小学生バドミントン連盟名誉会長。 三井物産米州監督兼米国三井物産社長、三井物産本社専務取締役、副社長を経て、日本ユニシス代表取締役社長、相談役・特別顧問。のち日本放送協会(NHK)会長(第21代)。他にアジアバドミントン連盟会長、日本バドミントン協会副会長、日本小学生バドミントン連盟会長を歴任した。 福岡県嘉穂郡山田町(後の山田市、現:嘉麻市)出身。実家は筑豊炭田周辺の「籾井鉱業」。血液型はB型。家族は妻と2女。娘の一人は文科省官僚の籾井圭子(2022年11月現在日本オリンピック委員会(JOC)常務理事、元東京五輪大会組織委員会常務理事)。
組坂 繁之(くみさか しげゆき、1943年(昭和18年)2月… 組坂 繁之(くみさか しげゆき、1943年(昭和18年)2月25日 - )は、日本の部落解放・社会運動家。九州大谷短期大学ならびに折尾女子経済短期大学の各講師。 部落解放同盟中央書記長、同中央執行委員長などを歴任。 1943年、福岡県小郡市に生まれる。1962年に福岡県立三井高等学校を卒業し拓殖大学へ進学、部落解放同盟福岡県連筑後地区協議会書記長、同県連書記長等を歴任。その後1970年に部落解放同盟福岡県連合会小郡市連絡協議会において青年部長に就任。のち、1989年に部落解放同盟福岡県連合会書記長および中央文化対策部長、1990年に部落解放同盟中央執行委員(環境対策部長)、1996年に中央書記長、1998年に中央執行委員長に就任。
大前 研一(おおまえ けんいち、1943年2月21日 - )… 大前 研一(おおまえ けんいち、1943年2月21日 - )は、日本の経営コンサルタント、起業家。 マサチューセッツ工科大学博士。マッキンゼー日本支社長を経て、カリフォルニア大学ロサンゼルス校公共政策大学院教授やスタンフォード大学経営大学院客員教授を歴任。 現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長、韓国梨花女子大学国際大学院名誉教授、高麗大学名誉客員教授、(株)大前・アンド・アソシエーツ創業者兼取締役、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役社長等を務める。 「ボーダレス経済学と地域国家論」提唱者。 福岡県若松市(現北九州市若松区)出身、ただし幼少期。父・忠男は長崎県対馬の漁師の家に生まれた三男で、博多の百貨店に勤めていた時に陸軍に召集された陸軍大尉。
谷 正明(たに まさあき、1943年1月23日 - )は、日… 谷 正明(たに まさあき、1943年1月23日 - )は、日本の銀行家・実業家。国際医療福祉大学理事。ふくおかフィナンシャルグループ代表取締役社長兼会長や福岡銀行頭取、全国地方銀行協会会長、西部瓦斯やRKB毎日放送の社外取締役、西日本鉄道の監査等委員などを務めた。 福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校、早稲田大学第一法学部卒業。福岡銀行に入行後に同行の取締役や総合企画部長、常務、専務、副頭取などを経て、2005年に寺本清の後任として同行の頭取に就任する。頭取を日本銀行出身者が長く占めてきた福岡銀行では、50年ぶりの生え抜き頭取となった。2007年に福岡銀行と熊本ファミリー銀行との株式移転により金融持株会社としてふくおかフィナンシャルグループが設立されると、同社の会長兼社長に就任する。
服部 征夫(はっとり ゆくお、1943年〈昭和18年〉1月8… 服部 征夫(はっとり ゆくお、1943年〈昭和18年〉1月8日 ‐ )は、日本の政治家。東京都台東区長(3期)。元東京都議会議員(5期)、元台東区議会議員(5期)。父親は福岡県八女市長を務めた服部寅雄。 東京市杉並区荻窪で五人兄弟の末っ子として生まれる。生後、母親の出身地であり、疎開先の埼玉県羽生市で疎開する。戦後、荻窪に戻り、杉並区立桃井第二小学校に入学し、卒業。卒業後に、父親の出身地である、福岡県八女市に転居し、高校卒業まで当市で育った。八女市立岡山中学校、福岡県立八女高等学校、日本大学法学部管理行政学科卒業。日大在学中に、鵜沢義行(政治学)のゼミで副総長をつとめる。 大学卒業後はブリヂストンタイヤ東京販売に勤務。
宮本 又郎(みやもと またお、1943年 - )は、日本の経… 宮本 又郎(みやもと またお、1943年 - )は、日本の経済学者・歴史学者。大阪大学名誉教授。学位は、経済学博士(大阪大学)。専攻は日本経済史。 福岡市生まれ。大阪府立池田高等学校を経て神戸大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程中退。神戸大学経済学部助手、大阪大学経済学部教授、同大学経済学部長、関西学院大学大学院経営戦略研究科教授を歴任。経営史学会会長、放送大学客員教授も務める。日本学術会議会員。企業家研究フォーラム会長。 父親の宮本又次も日本経済史の研究者。
田中 萬年(たなか かずとし、1943年 - )は、日本の職… 田中 萬年(たなか かずとし、1943年 - )は、日本の職業訓練学者、職業訓練大学校名誉教授。 満州国大連市生まれ。北九州市門司区で印刷見習工として働く。福岡県立小倉高等学校定時制卒業。中央職業訓練所入所、1965年職業訓練大学校と改称、同卒業。長崎総合職業訓練所(現ポリテクセンター長崎)指導員、職業訓練大学校助教授、1994年教授、2007年退職、名誉教授。95年「わが国における公的職業訓練とそのカリキュラムの歴史的展開に関する研究」で東京工業大学学術博士。職業訓練・職業能力開発に取り組む。