前田 万葉(まえだ まんよう、Thomas Aquinas … 前田 万葉(まえだ まんよう、Thomas Aquinas Manyo Maeda、1949年3月3日 - )は、日本のカトリック高位聖職者、俳人。被爆2世。第3代広島司教、第8代大阪大司教を経て、初代大阪高松大司教兼枢機卿。洗礼名は「トマス・アクィナス」。 長崎県南松浦郡北魚目村(現・新上五島町)仲知にて、11人兄弟の長男として生まれる。1967年に長崎南山中学校・高等学校卒業後、1975年3月19日、聖スルピス大神学院を卒業し司祭叙階。その後、久賀島の教会に勤めていたものの、1979年頃に異動命令を受ける。2006年4月、カトリック中央協議会事務局長。 2011年6月13日、教皇ベネディクト16世より広島司教に任じられ、同年9月23日に司教叙階。
馬場 昭徳(ばば あきのり、1948年〈昭和23年〉7月17… 馬場 昭徳(ばば あきのり、1948年〈昭和23年〉7月17日 - )は、短歌結社竹柏会「心の花」の歌人。長崎市出身で、同人誌「場」を主宰。 馬場は米屋の次男として長崎市内で生まれた。九州大学法学部を卒業後、サラリーマンとして働いていたが、30歳で家業の米屋を継ぐ。38歳の頃から短歌を作り始め、40歳の時に長崎県時津町に住む歌人竹山広を訪ね、師事することを決める。それと同時に師と同じ竹柏会「心の花」に入会した。歌人としてのスタートは決して早いものではなかったが、2015年現在までに4冊の歌集を上梓している。その作品は自分自身などをユーモラスに描いたものも多いが、家族や人間一般に対する優しさ・愛情に満ちており、読む者を飽きさせない。
長澤 ちづ(ながさわ ちづ、1946年7月15日 - )は、… 長澤 ちづ(ながさわ ちづ、1946年7月15日 - )は、歌人。長崎県佐世保市出身。歌誌「ぷりずむ」創刊、主宰。日本歌人クラブ、会誌「風」編集並びに広報担当、中国ブロック担当。NHK学園講師、朝日カルチャーセンター講師、曹洞歌壇選者。 佐世保港を見下ろす母の実家で生まれたが、暮らしたことはない。種々の理由で、熊本・東京(九段)・松本・天草・市川・東京(渋谷)・茅ヶ崎と転居しつつ育つ。東京都立新宿高等学校卒業後、国立図書館短期大学(現筑波大学図書館情報学群)を経て法政大学文学部卒業。20代は養父長澤規矩也に従い、漢和辞典(三省堂『明解漢和辞典』)および和刻本漢籍目録編纂の助手を務める。1976年氷原短歌会入会、石本隆一に師事。
前川 明人(まえかわ あきと、1928年3月28日 - 20… 前川 明人(まえかわ あきと、1928年3月28日 - 2025年2月10日)は、長崎原爆を体験した被爆者、歌人。長崎県長崎市出身・在住。2025年2月死去。享年96。 短歌会「未来」「幻桃」に所属。「幻桃」では顧問を務める。長崎県文芸協会常任委員。長崎歌人会相談役。長崎原爆忌文芸大会選者。歌集『褐色山脈』は長崎県文学奨励賞、『空間』は第18回長崎県文学賞を受賞した。 1928年、長崎市に生まれる。山里国民学校を卒業後長崎逓信講習所(長崎市麹屋町)に入学。1944年4月、長崎本博多郵便局に勤務。1945年6月、通信書記補に任官。空襲警報が鳴ると夜中でも鉄かぶとを頭にかぶり、足にはゲートルを巻いて、大浦・日の出町の自宅から同局まで走った。
竹山 広(たけやま ひろし、1920年〈大正9年〉2月29日… 竹山 広(たけやま ひろし、1920年〈大正9年〉2月29日 - 2010年〈平成22年〉3月30日)は、日本の歌人。本名は竹山 廣(たけやま ひろし)。 原爆歌人として名高いが、格調高い自然詠、エスプリの効いた社会詠、身の周りのことを題材にしたユーモラスな日常詠も数多く詠んでいる。また、詠んだ短歌を基にした合唱曲がつくられたことでも知られている。第一歌集を出版したのが61歳というかなり遅咲きの歌人である。本名は旧字体の「竹山廣」だが、筆名としては新字体の「竹山広」名義を用いることが多かった。 1920年、長崎県北松浦郡南田平村(現、平戸市田平町)にて生まれた。隠れキリシタンの家柄であったという。
原田 謙次(はらだ けんじ、1893年8月8日 - 1971… 原田 謙次(はらだ けんじ、1893年8月8日 - 1971年2月3日)は、日本の歌人、小説家。 長崎県生まれ、大村中学校卒業、第一高等学校中退、東京外国語学校イタリア語専修を経て、1920年早稲田大学英文科卒。吉江喬松、島崎藤村に師事し、歌人、詩人となる。近代琵琶作詞、小説一編のほかイタリア文学の翻訳もある。
真鍋 儀十(眞鍋 儀十、まなべ ぎじゅう、1891年(明治2… 真鍋 儀十(眞鍋 儀十、まなべ ぎじゅう、1891年(明治24年)9月16日 - 1982年(昭和57年)4月29日)は日本の政治家、俳人、文学研究家。松尾芭蕉の研究家として知られ、そのコレクションは江東区芭蕉記念館に寄付された。高浜虚子に師事、「ホトトギス」同人。俳号は蟻十。 長崎県壱岐郡箱崎村(現壱岐市芦辺町)生まれ。長崎師範学校(現・長崎大学教育学部)を卒業後明治大学法学部に入学し、雄弁部に所属する。在学中から普選運動にかかわり、1920年(大正9年)1月18日の学生普選促進大会(日比谷公園)で検挙された。 明大中退後憲政会に入党。六十数回の拘禁を受けながら1930年(昭和5年)旧東京4区から立憲民政党公認で第17回衆議院議員総選挙に立候補し初当選、戦前は通算5回の当選を果たす。
渋川 玄耳(しぶかわ げんじ、1872年6月3日(明治5年4… 渋川 玄耳(しぶかわ げんじ、1872年6月3日(明治5年4月28日) - 1926年(大正15年)4月9日)は、明治期に活躍したジャーナリスト、随筆家、俳人。佐賀県出身。本名渋川柳次郎。ほかに薮野椋十(やぶの むくじゅう)の筆名を用いる。 佐賀県杵島郡西川登村小田志(現武雄市西川登町小田志)出身。長崎商業を卒業後、法律家を志し上京。獨逸学協会中学校および國學院で学び、東京法学院(現中央大学)に進み卒業。高等文官試験に合格し、福島県いわき市平区裁判所の裁判官となる。その後、陸軍法務官として熊本県の第六師団に勤務。熊本時代には、夏目漱石を主宰に寺田寅彦、厨川千江らがおこした俳句結社紫溟吟社(しめいぎんしゃ)に参加。
五島 高資 は、俳人、医師(博士 )、地域学者。別号、篁風(… 五島 高資 は、俳人、医師(博士 )、地域学者。別号、篁風(こうふう)。栃木県宇都宮市在住。なお五島高資というのは本名ではなく俳人名。