中村 優斗(なかむら ゆうと、2003年2月8日 - )は、… 中村 優斗(なかむら ゆうと、2003年2月8日 - )は、長崎県諫早市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 諫早市立長田小学校で2年生の時に野球を始め、諫早市立長田中学校では軟式野球部に所属していた。 「県庁で働いて地元に貢献したい」という思いから、公務員への就職実績が高かった長崎県立諫早農業高等学校へ進学。1年秋からエースを務めた。3年夏は新型コロナウイルスの影響で公式戦が中止となり、県で行われた独自大会では初戦敗退。思うような形で高校野球を終えられず、公務員よりも野球への思いが強くなった。 愛知工業大学監督を務める元プロ野球選手の平井光親に見出されて同校に進学し、1年春から先発を任された。
山﨑 照英(やまさき しょうえい、2002年12月1日 - … 山﨑 照英(やまさき しょうえい、2002年12月1日 - )は、長崎県佐世保市出身のプロ野球選手(内野手、外野手、育成選手)。阪神タイガース所属。右投左打。 佐世保市立港小学校2年時に兄の影響でソフトボールを始め、佐世保市立崎辺中学校では軟式野球部に所属した。九州文化学園高等学校では硬式野球部に所属するも、大舞台とは縁がなかった。食物調理科在学中に調理師免許を取得し、一時は調理師専門学校への進学を検討するほどであったが、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)・神戸三田ブレイバーズ(現・兵庫ブレイバーズ)からスカウトを受け翻意、入団を決めた。背番号は99。 2021年は29試合の出場ながらも.353の高打率をマークした。
浦田 俊輔(うらた しゅんすけ、2002年8月30日 - )… 浦田 俊輔(うらた しゅんすけ、2002年8月30日 - )は、長崎県西彼杵郡時津町出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 海星高等学校では2年夏の第101回全国高等学校野球選手権大会に遊撃手のレギュラーとして出場。3回戦で武岡龍世らを擁する八戸学院光星に敗れた。 高校卒業後は九州産業大学へ進学。遊撃手のレギュラーとして4季連続のリーグ優勝、2季連続の最優秀選手賞、5季連続のベストナインを受賞するなど活躍した。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから2位指名を受けた。11月18日、契約金7000万円、年俸1200万円で入団に合意した(金額は推定)。
椎葉 剛(しいば つよし、2002年3月18日 - )は、大… 椎葉 剛(しいば つよし、2002年3月18日 - )は、大阪府堺市南区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。 堺市立三原台小学校1年生のときに高倉台ポニーズで野球を始める。堺市立三原台中学校では富田林ボーイズで投手としてプレーした。小・中では捕手も経験していたが、富田林ボーイズで捕手の練習についていけず投手一本となった。 進学先は甲子園出場歴がある島根県内の私立高校を周囲から勧められたが、椎葉自身は納得がいかず悩んでいたところ、長崎県の島原中央高等学校の李崇史監督から声を掛けられ、「この人と野球がしたい」と決め進学。当初、島原中央は別の右投手が入学予定だったが急遽キャンセルとなり、李監督が中学2年の時にチェックしていた椎葉を思い出し勧誘したという。
山科 颯太郎(やましな そうたろう、2002年1月31日 -… 山科 颯太郎(やましな そうたろう、2002年1月31日 - )は、福岡県福岡市生まれ・長崎県佐々町出身の元プロ野球選手(投手)。 2歳の頃に長崎県佐々町に転居し、佐々小学校2年生の時に「サンボーイズ」で野球を始める。4年生から投手として試合に出るようになる。佐々中学校では軟式野球部に所属し、遊撃手を兼務しながら投手としてプレー。 九州文化学園高等学校では1年秋からベンチ入り。入学当初は122km/hだった球速を冬季のトレーニングで130km/h近くまで向上させた。2年生夏はベンチ入りから漏れたものの、秋からはエースになり、オフには最高球速を137km/hから146km/hへと約10km/hアップさせた。
川原 陸(かわはら りく、2000年12月12日 - )は、… 川原 陸(かわはら りく、2000年12月12日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 長崎市立三原小学校1年時にソフトボールを始める。その後、西山少年野球団へ。長崎県選抜チームに選出。長崎市立三川中学校時代は「長崎北シニア」に所属し、野手として日本代表にも選出された。 創成館高等学校入学後、1年時は打力を買われ外野手としてプレーし、ベンチ入りを果たした2年春からは投手としての起用が増加。新チームとなった2年秋からはエースとなり、明治神宮大会にてチームを準優勝に導いた。なお、この大会の準決勝では根尾昂、藤原恭大らを擁する大阪桐蔭と対戦し、2番手として4回2/3を無失点に抑える活躍を見せ7-4で勝利を収めた。
野口 恭佑(のぐち きょうすけ、2000年7月17日 - )… 野口 恭佑(のぐち きょうすけ、2000年7月17日 - )は、長崎県雲仙市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。ハヤテベンチャーズ静岡所属。 雲仙市立千々石第一小学校1年生から千々石アドバンスでソフトボールを始める。雲仙市立千々石中学校時代は軟式野球部に所属。当時の中学軟式野球部には部員が7名程度しかおらず、チーム事情で捕手、投手、三塁手など複数のポジションを経験した。 創成館高等学校では1年秋から外野手としてベンチ入り。2年秋の第48回明治神宮野球大会で準優勝。3年春の選抜大会では10打数7安打を記録してベスト8入りに貢献。準々決勝の智辯和歌山高等学校戦では5安打3打点を記録するも、チームは延長10回裏に黒川史陽からサヨナラ打を打たれ敗退。
隅田 知一郎(すみだ ちひろ、1999年8月20日 - )は… 隅田 知一郎(すみだ ちひろ、1999年8月20日 - )は、長崎県大村市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 大村市立西大村小学校2年生のときに大村クラブで軟式野球を始め、大村市立西大村中学校軟式野球部に所属。中学時代にはエースとして活躍した。 長崎県立波佐見高等学校に進学し、1年時からベンチ入り。2年秋にエースとなったが、左肘を疲労骨折し離脱した。復帰後は背番号10でベンチ入りし、3年夏の長崎大会で優勝した。第99回全国高等学校野球選手権大会に出場し、開幕戦となった彦根東との1回戦に先発登板。8回まで4失点の粘投を見せたが、1点リードの9回裏に同点に追い付かれ、なおもピンチを招いて降板した後に救援投手が打たれ、チームはサヨナラ負けを喫した。
増田 珠(ますだ しゅう、1999年5月21日 - )は、長… 増田 珠(ますだ しゅう、1999年5月21日 - )は、長崎県長崎市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 長崎市立稲佐小学校1年生から「稲佐青空」でソフトボールを始め、長崎市立淵中学校時代は「長崎シニア」で投手兼外野手としてプレーし全国大会出場を果たし、WBSC U-15ワールドカップにU-15野球日本代表に選出され、4番を務める。当時から目標はプロ野球選手になることで、中学卒業後はプロを目指すため長崎から遠く離れた神奈川県の横浜高校に進学することを決意する。 横浜高校では1年生の夏から1番センターとしてレギュラーを掴み、1年夏の神奈川県大会は小笠原慎之介、吉田凌擁する東海大相模高校に敗れた。
野元 浩輝(のもと ひろき、1998年5月16日 - )は、… 野元 浩輝(のもと ひろき、1998年5月16日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 同郷の佐世保市出身の城島健司の活躍をMLB中継で見て「俺もああなりたい」と野球を始めた。中学時代は軟式野球部で捕手と投手を兼任した。 佐世保工業高校時代の2016年7月の第64回NHK杯長崎県高校野球大会では1回戦の長崎北高校戦で10奪三振を奪うも、2回戦で敗れる。同年夏の長崎県大会では、大会が始まってから体調を崩していたこともあり3回戦の長崎商高校戦で5回までに4失点して敗退。 同年のプロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから7巡目で指名され、契約金2000万円、年俸500万円(金額は推定)で契約した。
中村 稔弥(なかむら としや、1996年7月8日 - )は、… 中村 稔弥(なかむら としや、1996年7月8日 - )は、長崎県佐世保市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 佐世保市立相浦西小学校1年生の頃にソフトボールを始め、3年生から硬式野球の「佐世保中央リトルリーグ」で投手としてプレーする。海星中学校時代は、硬式野球の「長崎海星リトルシニア」に所属し、2年生で日台国際野球大会(阿里山盃)に出場する。 高校は長崎県立清峰高等学校に進学。3年生の夏の第96回選手権長崎大会では、初戦の対島原工業高校戦において酒井圭一(元ヤクルトスワローズ投手)と並ぶ大会記録タイの18奪三振を記録する。続く3回戦は九州文化学園高校に2対5で敗れ、甲子園出場はならなかった。
松田 遼馬(まつだ りょうま、1994年2月8日 - )は、… 松田 遼馬(まつだ りょうま、1994年2月8日 - )は、長崎県島原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 島原市立第四小学校2年生の時から、杉谷トータスでソフトボールを始める。島原市立第一中学校で軟式野球部に所属すると、投手を務めるようになった。中学3年生の時には、硬式野球で県内屈指の強豪校である長崎県立清峰高等学校への進学を目指していた。しかし結局は、自力で甲子園での全国大会出場を実現すべく、同じ県立の波佐見高校を進学先に選択した。 波佐見高校への進学後は、1年生の夏から背番号「11」でベンチ登録。3年生春の第83回選抜高等学校野球大会で、全国大会への出場を果たした。この大会では、1回戦で横浜高校の柳裕也らとの投げ合いに制し5-1で勝利したが、2回戦で兵庫県立加古川北高に0-2で敗退。
森山 遥菜(もりやま はるな、1993年9月7日 - )は、… 森山 遥菜(もりやま はるな、1993年9月7日 - )は、長崎県佐世保市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。日立サンディーバ所属。 9歳でソフトボールを始める。佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校を卒業後、2012年にHondaに入団。2019年から2021年までキャプテンを務めた。2022年から日立サンディーバに所属。 日本リーグでは本塁打王(2017)と、一塁手でベストナインを2回(2017・2019)受賞している。2022年に開幕した新リーグ「JDリーグ」では初年度の東地区ベストナインに選出された。 日本代表には、Bチームが出場した2015年の第4回東アジアカップやカナダ代表との親善試合に出場。
釜元 豪(かまもと ごう、1993年9月3日 - )は、長崎… 釜元 豪(かまもと ごう、1993年9月3日 - )は、長崎県北高来郡森山町(現:諫早市)出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。右投左打。 諫早市立森山西小学校では2年生から森山西少年SBCでソフトボールを始め、4年生からレギュラーに座った。諫早市立森山中学校に進学し、軟式野球に転向。2年生の時には陸上競技の長崎県大会で短距離の障害種目にも出場した。 長崎日大高校からの誘いがあったが、『文武両道を貫く』と長崎県立西陵高校に進学し、1年夏から3番・中堅手で活躍した。主将となり臨んだ3年時の夏は、長崎県予選2回戦で春の第83回選抜高等学校野球大会に出場した波佐見高校と対戦。後にソフトバンクで同僚となる松田遼馬を打ち崩し、5-1で勝利した。
江越 大賀(えごし たいが、1993年3月12日 - )は、… 江越 大賀(えごし たいが、1993年3月12日 - )は、長崎県南島原市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 南島原市立慈恩寺小学校2年からソフトボールを始める。5歳から中学1年までは空手もやっており、大会で優勝するなど身体能力の高さを見せていた[要出典]。南島原市立西有家中学校時代は同校の軟式野球部に所属。海星高校時代には春夏共に阪神甲子園球場での全国大会に出場できなかったこともあり、プロ志望届は提出せず駒澤大学の法学部法律学科に進学した。 駒澤大学時代には、1年春からリーグ戦に出場。3年時には、日米大学野球で日本代表入り。4年秋のリーグ戦では.357と高い打率を記録するとともに、チームの2001年秋季以来の26季振り優勝および、1994年以来の勝ち点5による完全優勝に貢献した。
大瀬良 大地(おおせら だいち、1991年6月17日 - )… 大瀬良 大地(おおせら だいち、1991年6月17日 - )は、長崎県大村市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。広島東洋カープ所属。
今村 猛(いまむら たける、1991年4月17日 - )は、… 今村 猛(いまむら たける、1991年4月17日 - )は、長崎県佐世保市(旧北松浦郡小佐々町)出身の元プロ野球選手(投手)、YouTuber。右投右打。 小学3年生の時に楠栖クラブで一塁手として野球を始め、後に遊撃手と投手を兼任。佐世保市立小佐々中学校では遊撃・三塁手としてプレー。2年時に九州大会で優勝し、全国大会に出場。この年には城島健司や寺原隼人らがオフシーズンに開催した野球教室に参加して城島と対戦。今村は城島の内角を厳しくえぐった結果、脇腹に死球を当ててしまい、城島に笑いながら追いかけ回された。 清峰高校進学後は1年夏からベンチ入り。秋には球速が140km/hを超えるなど、徐々に成長する。
土田 瑞起(つちだ みずき、1990年1月1日 - )は、長… 土田 瑞起(つちだ みずき、1990年1月1日 - )は、長崎県南高来郡千々石町(現:雲仙市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 鎮西学院高校3年時に、春の県大会で準優勝。夏は、右肘痛の影響もありベスト8で敗退。打撃では、高校通算31本塁打を記録している。 高校卒業後は、地元球団である四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団。トライアウトに行く際、一人ではいやだったので一緒に来たのが、水口大地だったという。 長崎時代には、2年目の2009年に、リーグ戦33試合に登板。5勝4敗7セーブ、リーグ3位の防御率2.16を記録するとともに、球団の前期優勝に貢献した。しかし、2010年シーズン終了後に球団が解散したため、リーグ内の救済ドラフトで愛媛マンダリンパイレーツへ移籍した。
水口 大地(みずぐち だいち、1989年6月28日 - )は… 水口 大地(みずぐち だいち、1989年6月28日 - )は、長崎県諫早市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 長崎県立大村工業高等学校を卒業後の2008年、四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団。セインツに入ったのは、土田瑞起がトライアウトを受ける際に「一人はいやだ」という理由で一緒に行くことになったのがきっかけだったという。1年目は主に遊撃手として起用され、2009年はコーチの古屋剛に守備についての指導を受けたほか、二遊間を組んでいた二塁手の松井宏次の技術を参考にしていた。2010年限りでチームが経営難で解散、救済ドラフトにおいて香川オリーブガイナーズに指名され移籍した。香川のコーチだった前田忠節は長崎時代から水口を評価し、球団首脳に救済ドラフトでの獲得を要望したと述べている。
大平 成一(おおひら せいいち、1989年4月8日 - )は… 大平 成一(おおひら せいいち、1989年4月8日 - )は、長崎県東彼杵郡東彼杵町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 波佐見高時代は、高校通算31本塁打を記録。[要出典] 2007年のプロ野球高校生ドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから4位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、2011年11月10日に戦力外通告を受けた。 2012年1月25日、BCリーグの信濃グランセローズに入団した。2012年には最多本塁打のタイトルを獲得し、ベストナインにも2012年と2014年の二度選ばれた。なお2011年から6年連続で12球団合同トライアウトに参加している。 2017年のシーズン終了後、信濃を退団(任意引退)した。
野原 将志(のはら まさし、1988年4月4日 - )は、長… 野原 将志(のはら まさし、1988年4月4日 - )は、長崎県南島原市出身の元プロ野球選手(内野手)。
古川 秀一(ふるかわ しゅういち、1987年7月15日 - … 古川 秀一(ふるかわ しゅういち、1987年7月15日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 清峰高校時代はエースとして2年夏の県大会決勝で先発したが敗退、秋は県大会優勝も九州大会初戦で敗れた。2005年の第87回全国高校野球選手権大会に出場し、1回戦で十亀剣、柴田亮輔、堂上直倫擁する春のセンバツ覇者愛工大名電を下し、2回戦も福井優也擁する前年度選手権準優勝校・済美を下し旋風を巻き起こし(下剋上サウスポーと呼ばれた)3回戦に進出するも辻内崇伸、平田良介、中田翔擁する優勝候補筆頭の大阪桐蔭に1-4で敗れる。 卒業後は日本文理大学に進学し、野球部に入部。大学でも活躍し、2008年の第57回全日本大学野球選手権大会、2009年の第58回全日本大学野球選手権大会への出場に導いた。
グエン・トラン・フォク・アン(Nguyen Tran Phu… グエン・トラン・フォク・アン(Nguyen Tran Phuoc An , 阮陳福安、1985年4月24日 - )は、長崎県大村市出身の元野球選手(投手)。左投げ左打ち。在日ベトナム人。
藤原 紘通(ふじわら ひろみち、1985年1月15日 - )… 藤原 紘通(ふじわら ひろみち、1985年1月15日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 長崎市立小ヶ倉中学校、長崎南山高等学校では3年夏県大会準優勝。福岡大学では4年の大学選手権2回戦で白仁田寛和をリリーフしたが青学大に延長12回サヨナラ負け。 2007年にNTT西日本に入社。硬式野球部に入部すると、エースの笠木伸二、ベテランの徳留慶らとともに投手陣を支え、2007年、2008年ともに都市対抗野球大会・日本選手権出場に貢献。 2008年度ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスと阪神タイガースにそれぞれ野本圭・松本啓二朗の外れ1位で指名され、抽選で交渉権を獲得した楽天に入団。
森岡 良介(もりおか りょうすけ、1984年(昭和59年)7… 森岡 良介(もりおか りょうすけ、1984年(昭和59年)7月15日 - )は、大阪府大阪市城東区出身(長崎県佐世保市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)。現役時代は中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズに所属した。2017年からヤクルトの一軍野手コーチ補佐を務める。
松永 浩典(まつなが ひろのり、1984年2月24日 - )… 松永 浩典(まつなが ひろのり、1984年2月24日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 長崎市立蚊焼小学校、長崎市立三和中学校を経て長崎海星高等学校に進学した。 2000年秋季九州大会でエースで4番を務め、投打にわたって活躍し4強入り、注目を浴びるようになる。翌2001年春の第73回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦で仙台育英学園高等学校と対戦。試合は仙台育英の左腕エース・芳賀崇との投手戦となったが、延長10回の末に3-4でサヨナラ負けを喫した。なお、仙台育英はこの大会で準優勝している。夏は長崎大会3回戦で諫早高校に4-5のサヨナラ負けを喫し、春夏連続出場はならなかった。
川島 慶三(かわしま けいぞう、1983年10月5日 - )… 川島 慶三(かわしま けいぞう、1983年10月5日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)、プロ野球コーチ。右投右打。 佐世保市立戸尾小学校では1年生の時にソフトボールを始め、佐世保市立旭中学校1年生の時に軟式野球を始め、「1番・三塁手」として活躍した。 佐世保実業高校では遊撃手、二塁手として活躍し、4季連続九州大会に出場した。高校3年の夏の県大会ではベスト8に入ったが甲子園出場は叶わなかった。 九州国際大学法学部法律学科に進学した。九州六大学リーグでは、二塁手として早くから頭角を現し、2年秋と3年春に2期連続で首位打者となった。4年秋には本塁打王も獲得し、MVPに選出された。
加藤 隆行(かとう たかゆき、1983年3月2日 - )は、… 加藤 隆行(かとう たかゆき、1983年3月2日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(投手)。ピッチャー 長崎工高では3年夏の県大会2回戦で延長12回の末に敗退したが初戦から2試合で32奪三振。2000年のドラフト会議にて阪神タイガースから5位指名を受け入団。186cmの長身からのストレートが武器だった。最速147㌔で、スライダー、縦に割れるカーブが武器。 2004年10月6日に戦力外通告を受け、自由契約となり阪神を退団。 2008年より、同じく阪神タイガースの選手であった上坂太一郎の経営していた、もつ鍋店の店長を務めている。 2022年6月6日、神戸市内にラーメン店を開店させた。
石橋 尚登(いしばし なおと、1982年4月20日 - )は… 石橋 尚登(いしばし なおと、1982年4月20日 - )は、長崎県平戸市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。2005年の登録名は「石橋 尚至」、2006年から2007年の登録名は「石橋 尚到」(いずれも読み同じ)。 波佐見高では2年秋の九州大会でベスト8、3年夏の県大会で準優勝。無名に近い存在ではあったが、2000年のドラフト6位で広島東洋カープに入団。石橋の指名は波佐見高校出身者としては史上初であった。 高校通算打率.406、通算盗塁200以上と走攻守3拍子揃った内野手として期待され入団し、注目は高かった。ウエスタンリーグでは毎年好成績をマークし、打撃は評価が高いだけに若手の注目株として期待されたが、左膝を故障。
田中 敬人(たなか ひろと、1979年8月26日 - )は、… 田中 敬人(たなか ひろと、1979年8月26日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、広島東洋カープの球団職員。
城島 健司(じょうじま けんじ、1976年6月8日 - )は… 城島 健司(じょうじま けんじ、1976年6月8日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手・釣り師・タレントである。
林田 堅吾(はやしだ けんご、1975年8月25日 - )は… 林田 堅吾(はやしだ けんご、1975年8月25日 - )は、長崎県島原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 島原工高を卒業後、1994年に渡米し、フロリダ州のセントピーターズバーグ短期大学に留学する。 その後、アリゾナ・ウエスタン短期大学に転校。ここで、日本ハムファイターズのスカウトの目に留まり、1996年のドラフト会議で8位指名され入団。156km/hのストレートと大きく曲がるフォークが持ち球だった。 しかし、1年目に左肩を手術してリハビリ生活で一軍登板すること無く1998年に引退。 プロ入り直後、アリゾナ・ウエスタン短期大学の同級生であるビリー・ムニョスを球団に紹介し入団させたが、ムニョスも一軍出場することなく1年で退団した。
中村 隼人(なかむら はやと、1975年8月22日 - )は… 中村 隼人(なかむら はやと、1975年8月22日 - )は長崎県出身の元プロ野球選手(投手)、飲食店経営者。2002年から2004年6月1日までの登録名は隼人。弟はプロサッカー選手の中村北斗。
貝塚 政秀(かいづか まさひで、1974年12月25日 - … 貝塚 政秀(かいづか まさひで、1974年12月25日 - )は、長崎県諫早市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
村田 善則(むらた よしのり、 1974年4月24日 - )… 村田 善則(むらた よしのり、 1974年4月24日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、プロ野球コーチ。 現役時代は読売ジャイアンツ(巨人)でプレーした。引退後は同球団のスコアラー、コーチを務めているほか、2016年より野球日本代表のバッテリーコーチを務めている。 佐世保実業高等学校時代は、4番主将としてチームを率い、1992年の甲子園大会に出場。同年のドラフト5位で巨人に入団。背番号は92。同姓の村田真一がいたため、スコアボード等の表記は「村田善」となる。 1995年、一軍に初昇格。オフに背番号を56に変更した。 1996年、フレッシュオールスターゲーム出場。 1998年オフに背番号を12に変更した。
松田 和哉(まつだ かずや、1973年4月3日 - )は、長… 松田 和哉(まつだ かずや、1973年4月3日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 長崎南山高では2、3年夏の県大会ともにベスト4。1991年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団。 スライダー、カーブが武器の本格派投手だった。 高校時代からの腰痛に悩まされて一軍出場の無いまま、1999年限りで退団。 子息も同じ高校のエースとなった。
石本 努(いしもと つとむ、1973年2月4日 - )は、長… 石本 努(いしもと つとむ、1973年2月4日 - )は、長崎県諫早市小川町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。現役時代は北海道日本ハムファイターズに所属し、現在は同球団のスカウトを務めている。
藤田 宗一(ふじた そういち、1972年10月17日 - )… 藤田 宗一(ふじた そういち、1972年10月17日 - )は、京都府綴喜郡八幡町(現:八幡市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。左投左打。業務提携先は株式会社レガシージャパン。 中学校までを京都府八幡市で過ごし、長崎県の私立島原中央高等学校に野球留学した。2年秋にエースとして九州大会に出場。3年夏の県大会はベスト16。卒業後は社会人野球・西濃運輸硬式野球部に入部。抑えとして素質が開花し、1996年の日本選手権ではチームが準優勝した際に、5試合全てに救援登板し3勝、防御率1.00で敢闘賞を受賞した。翌年も都市対抗野球でのベスト8入りに貢献している。1997年のプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位で指名されて入団。
山口 信二(やまぐち しんじ、1970年8月18日 - )は… 山口 信二(やまぐち しんじ、1970年8月18日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 瓊浦高では2年秋に県大会優勝も九州大会では前田幸長がエースの福岡第一高に敗れた。3年春も県大会を制したが九州大会では平良幸一(沖縄水産高)に投げ負ける。夏は県大会ベスト4、社会人野球の新日本製鐵君津に進むが故障で主たる実績はない。社会人入りの際、高校で2年先輩にあたる下柳剛は大学を中退して地元に戻っていたところ高校の監督が推薦し、左腕ということで一緒に採用されることとなった。 1991年のプロ野球ドラフト会議で、下柳が前年に入団した福岡ダイエーホークスから5位指名を受け入団。 プロ入り後も故障に泣かされて一軍登板がないまま、1995年に現役を引退した。
柴原 浩(しばはら ひろし、1969年12月29日 - )は… 柴原 浩(しばはら ひろし、1969年12月29日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
堀 幸一(ほり こういち、1969年4月2日 - )は、長崎… 堀 幸一(ほり こういち、1969年4月2日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。現在は千葉ロッテマリーンズの二軍打撃コーチを務める。 海星高等学校では左翼手として1987年春の選抜に出場。1回戦で京都西高に敗退。夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが長崎商に敗れる。同年のドラフト会議でロッテオリオンズに3位指名され入団。 入団直後のキャンプでは、佐藤幸彦や大村巌のバッティングに圧倒され自信を喪失した。長崎にいる堀の両親も、3年ともたないだろうと周囲に漏らしていた。 1989年開幕当初より一軍に定着し、4月14日の対近鉄バファローズ戦で谷崎浩二からプロ初安打を放つ。
小島 善博(こじま よしひろ、1968年5月31日 - )は… 小島 善博(こじま よしひろ、1968年5月31日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 対馬高から、社会人野球のNTT九州へ入社するが、1990年夏に退部した。 1990年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから3位指名を受け入団。 プロ1年目の1991年から先発ローテーションの一角を担うも、以降は伸び悩み1998年限りで現役を引退。 引退後はゴルファーに転身し、ブリヂストンゴルフアカデミーのインストラクターを務めていたが2017年に退職。
山田 真実(やまだ まさみ、1967年9月8日 - )は、長… 山田 真実(やまだ まさみ、1967年9月8日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 和歌山県の高野山高から1985年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから2位指名を受け入団。 プロ4年目の1989年に一軍初登板を果たし、1991年にはウエスタン・リーグで最優秀防御率を獲得する。しかし、一軍での登板機会は少なく1995年限りで現役を引退。 引退後は、近鉄に残り打撃投手兼スコアラーを経て、球団合併後も2019年までオリックスの打撃投手を務めた。2020年に選手寮・青濤館の副寮長となり、翌2021年からは退職した宮田典計から寮長を引き継いだ。 ニックネームは「おじゃ」(『おじゃまんが山田くん』から)。
吉田 直喜(よしだ なおき、1967年6月14日 - )は、… 吉田 直喜(よしだ なおき、1967年6月14日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 佐世保実業高ではエースとして甲子園に2回出場。1年秋は九州大会決勝で都城高の田口竜二と投げ合って敗退。2年1984年春の選抜では、1回戦で湯上谷宏らのいた星稜高を完封するが、続く2回戦で明徳高に惜敗。夏の県大会はベスト4。2年秋は九州大会準々決勝で東筑高・桧山泰浩と投げ合うが敗退。翌1985年夏の選手権は、県大会で骨折したため決勝以降は登板できず、1回戦で立教高に敗退。 高校卒業後は、青山学院大に進学。東都大学野球リーグでは、1年生の1986年春季リーグ開幕戦から登板。3年時の1988年秋季リーグでは長谷川寿(本田技研)とバッテリーを組み8勝1敗を記録。
大久保 勝也(おおくぼ かつや、1967年6月4日 - )は… 大久保 勝也(おおくぼ かつや、1967年6月4日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(内野手)。 兄は九州産業大学野球部監督、大学野球日本代表監督の大久保哲也。 長崎・海星高から、1985年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから投手として6位指名を受け入団。 入団直後に野手としてのセンスを買われて内野手に転向する。プロ2年目の1987年は、MLBのテキサス・レンジャーズ傘下(当時)のルーキー級ビュート・カッパーキングスに野球留学した。しかし、全体的に非力で、ファームでもレギュラーがとれず、一軍出場のないまま1990年のオフに戦力外通告を受け、現役を引退。 引退後は横浜球団に残り、チームのマネージャーに転進。
古賀 豪紀(こが ひでとし、1966年11月8日 - )は、… 古賀 豪紀(こが ひでとし、1966年11月8日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(外野手)、政治家。 中学校までは経済的な事情でバレーボール部に所属しており、誘いがあった西海学園高では野球部に入部。社会人野球の九州三菱自動車に進み、1988年オフにドラフト外でオリックス・ブレーブスへ入団する。 しかし、壁は厚く内野手に転向するなどしたが、結局一度も一軍へ上がることなく1993年限りで現役を引退した。 引退後は、佐世保市で居酒屋を経営。また、社会人野球クラブの佐世保ドリームスターズ(長崎セインツの前身)で監督を務めた。 2007年に長崎国際大学を卒業し、高校野球指導者になるために教員免許を取得した。
香田 勲男(こうだ いさお、1965年5月29日 - )は、… 香田 勲男(こうだ いさお、1965年5月29日 - )は、長崎県東彼杵郡東彼杵町出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者・野球評論家。 現役時代には、読売ジャイアンツ(巨人)と近鉄バファローズに在籍。2001年に大阪近鉄バファローズで現役を引退してからは、日本プロ野球(NPB)の3球団(巨人・近鉄・阪神タイガース)や韓国プロ野球(KBO)・斗山ベアーズの投手コーチを経て、2022年1月4日から佐世保市の九州文化学園高等学校で硬式野球部の監督を務めている。 1982年、佐世保工業高校の2年生エースとして第64回全国高等学校野球選手権大会に出場。翌年の春夏まで3季連続で甲子園出場を果たし、3回とも初戦を突破。
小島 啓民(こじま ひろたみ、1964年3月3日 - )は、… 小島 啓民(こじま ひろたみ、1964年3月3日 - )は、日本の野球選手、野球指導者。第16回アジア大会日本代表チームなどの監督を務めた。 諫早高校では第61回全国高等学校野球選手権大会、第52回選抜高等学校野球大会に出場。2年春は一番・三塁手として、2回戦の対東海大三戦で決勝タイムリーを放つなどの活躍をしている。高校卒業後は早稲田大学に進み、2年時からレギュラーになった。 大学卒業後は社会人野球の三菱重工長崎に進み、1991年には四番打者として第62回都市対抗野球大会での準優勝に貢献。久慈賞を受賞し、同年は初の社会人ベストナインにも外野手として選ばれている。1992年はバルセロナオリンピック野球日本代表にも選ばれ、同五輪では8試合に全て指名打者として出場。
原田 賢治(はらだ けんじ、1963年7月5日 - )は、長… 原田 賢治(はらだ けんじ、1963年7月5日 - )は、長崎県対馬市出身の元プロ野球選手(投手)。 対馬高から社会人野球のあけぼの通商を経て、1985年オフにドラフト外で阪急ブレーブスに入団。 1年目の1986年後半からリリーフで登板機会を得ると、10月2日にプロ初セーブを挙げた。また翌3日にプロ初勝利を記録したが、その翌々日の5日に記録が訂正されて勝利投手の記録が取り消された。その後先発で初勝利、その後も先発リリーフの両方で貴重な役割を果たした。 1988年、門田博光との交換で内田強・白井孝幸らと共に福岡ダイエーホークスに移籍。1991年限りで現役を引退。 引退後は、1993年から2000年まで読売ジャイアンツの打撃投手を務めた。
大久保 哲也(おおくぼ てつや、1962年9月1日 - )は… 大久保 哲也(おおくぼ てつや、1962年9月1日 - )は、長崎県諫早市出身の元アマチュア野球選手(捕手)、野球指導者。 弟に元プロ野球選手の大久保勝也がいる。 海星高等学校卒業後に九州産業大学に進学して硬式野球部に所属し、福岡六大学野球リーグでは、捕手として活躍し、ベストナインに2度選ばれ、1984年の秋季リーグでは最優秀選手賞を受賞した。 大学卒業後は、社会人野球の三菱重工長崎のチームに入団し、コーチを兼任した時期も含めて14年間プレーした。 2002年秋からは母校の九州産業大学の監督に就任。2005年の明治神宮野球大会ではチームを日本一に導いた。大学日本代表のコーチを経て、2019年からは監督を務め、2023年に開催された第44回日米大学野球選手権大会ではアメリカ開催では16年ぶり2回目の優勝に導いた。