澤田 洋典(さわだ ひろのり、1956年 - )は、日本の外… 澤田 洋典(さわだ ひろのり、1956年 - )は、日本の外交官。アンゴラ国駐箚特命全権大使を経て、北マケドニア国駐箚特命全権大使。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校(第27回卒業)を経て、1980年東京外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科卒業、外務省入省。在ブラジル日本国大使館参事官を経て、2010年シカゴ領事。2015年外務省人事課調査官。2016年から駐アンゴラ特命全権大使を務めた。2020年駐北マケドニア特命全権大使。2023年1月依願免職。
原 聰(原 聡、はら さとし、1947年(昭和22年) - … 原 聰(原 聡、はら さとし、1947年(昭和22年) - )は、日本の外交官。ブルネイ駐箚特命全権大使、ポルトガル駐箚特命全権大使、関西担当特命全権大使を歴任した。 熊本県大津町出身。熊本県立熊本高等学校を経て、京都大学法学部を卒業。1970年(昭和45年)外務省に入省。イギリスに留学し、オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジを修了。外務省本省では中国課首席事務官、安全保障政策室室長、西欧第二課課長などを歴任。在外公館では、マレーシア、英国、クウェート、カナダ、南アフリカ共和国の各日本大使館に勤務。
股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 20… 股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 2007年7月17日)は、日本の外交官。公正取引委員会委員。京都ノートルダム女子大学大学院客員教授。従三位瑞宝重光章。
吉岡 範武(よしおか のりたけ、1899年10月15日 - … 吉岡 範武(よしおか のりたけ、1899年10月15日 - 1969年7月15日)は、日本の外交官。初代駐カンボジア特命全権大使。 熊本県熊本市出身。府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)、第三高等学校を経て、1923年東京帝国大学法学部政治学科卒業。1936年在中華民国大使館二等書記官。1940年外務省調査部第六課長。1945年在フランス大使館参事官。 同年から外務大臣官房儀典課長事務取扱を務め、帝国ホテルの犬丸徹三と相談し、連合国軍占領下の日本における連合軍将官宿舎の選定を進めた。 1946年終戦連絡京都事務局長。1948年京都連絡調整事務局長。1953年外務省参与。1954年駐カンボディア特命全権公使。
塚本 毅(つかもと たけし、1896年〈明治29年〉- 19… 塚本 毅(つかもと たけし、1896年〈明治29年〉- 1973年〈昭和43年〉12月7日)は、昭和期の日本の外交官。 熊本県玉名郡に生まれる。熊本県立玉名中学校(1916年卒業)を経て、1921年(大正10年)に東京高等商業学校(現一橋大学)本科を卒業した。1920年(大正9年)高等試験行政科試験に合格し、1921年に外務省に入省した。若手の頃から白鳥敏夫らとともに革新派官僚と呼ばれる。 外務省アメリカ局第二課長、スイス公使館書記官、外務省南洋局長心得、拓務省拓南局参与、ハルビン総領事や、スイス公使、外務省通商局勅任事務官、サイゴン公使、仏印総督府総務長官などを経て、1945年(昭和20年)から翌年にかけて最後の仏印大使を務めた。
谷 正之(たに まさゆき、1889年(明治22年)2月9日 … 谷 正之(たに まさゆき、1889年(明治22年)2月9日 - 1962年(昭和37年)10月26日)は、日本の外交官、外務大臣。妻・澄子は島津長丸の娘。 熊本県上益城郡島田村櫛島(飯野村を経て現・益城町)出身。熊本中学、第五高等学校を経て、1913年(大正2年)東京帝国大学法科政治学科卒業。同年 外務省に入る。1930年(昭和5年)アジア局長。1933年(昭和8年)満州国大使館参事官。1936年(昭和11年)オーストリア兼ハンガリー公使。 1939年(昭和14年) 外務次官。 1942年(昭和17年) 東条内閣の外務大臣兼情報局総裁。 1943年(昭和18年) 駐中華民国大使(終戦時まで)。 1945年(昭和20年)12月2日 連合国軍最高司令官総司令部による逮捕命令(第三次逮捕者59名中の1人)。
阿部 嘉八(あべ かはち、1884年(明治17年)2月 - … 阿部 嘉八(あべ かはち、1884年(明治17年)2月 - 1938年(昭和13年)5月18日)は、日本の外交官、実業家。在シカゴ帝国領事、在バンクーバー帝国領事、大阪鐵工所取締役等を歴任した。 熊本県熊本市生まれ。壷川小学校を経て、1900年(明治33年)熊本商業学校卒業。1904年(明治37年)東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業し、大阪商船に入社。1906年(明治39年)同校専攻部卒業。柔道部出身。1907年(明治40年)外交官試験に合格し、領事官補任官。1908年(明治41年)在ホノルル総領事代理。1909年(明治42年)在サンフランシスコ領事官補。 1910年(明治43年)在シアトル領事官補。
若杉 要(わかすぎ かなめ、1883年(明治16年)7月9日… 若杉 要(わかすぎ かなめ、1883年(明治16年)7月9日 - 1943年(昭和18年)12月9日)は、日本の外交官。駐アメリカ合衆国公使。 熊本県出身。1883年(明治16年)7月9日熊本市寺原町に生まれる。1900年(明治33年)熊本市立商業高校入学、1903年(明治36年)熊本市立商業高校(校名変更により熊本県立商業高校)7期生卒業。1906年(明治39年)、東亜同文書院を3期生卒業し、外務書記生試験に合格した。1911年(明治44年)、オレゴン州立大学を卒業し、さらに1914年(大正3年)にはニューヨーク大学を卒業した。1917年(大正6年)、外交官及領事官試験に合格し領事官補となった。
徳丸 作蔵(とくまる さくぞう、1861年1月20日(万延元… 徳丸 作蔵(とくまる さくぞう、1861年1月20日(万延元年12月10日) - 1913年(大正2年)12月10日)は、日本の外交官。在重慶領事、在汕頭領事などを務めた。 肥後国鹿本郡六郷村で、熊本藩士・徳丸庄三郎の子として生まれる。1867年(慶応3年)、7歳で鳩野茂庵の門に学ぶ。1874年(明治7年)、熊本県玉名郡肥猪町の福田義塾に入った。1880年(明治13年)、郷里の小学校で教鞭を執るが、1年余りで辞した。 1882年(明治15年)、22歳の時、中国大陸への志を抱き興亜会の会員となり、同会附属の支那語学校で学び、同年に同校が外国語学校に吸収されると、小田切万寿之助、宮島詠士、七里恭三郎らとともに移った。
竹添 進一郎(たけぞえ しんいちろう、1842年4月25日〈… 竹添 進一郎(たけぞえ しんいちろう、1842年4月25日〈天保13年3月15日〉- 1917年〈大正6年〉3月31日)は、日本の外交官、漢学者。名は漸、字は光鴻(こうこう、みつあき)、号は井井(せいせい)と称した。甲申政変時の朝鮮弁理公使であり、後に漢学者として活躍した。日本学士院賞受賞。熊本県近代文化功労者。 肥後国天草(現・熊本県上天草市大矢野町)生まれ。父である小田順左衛門(竹添筍園)は、肥前国島原出身の医者(熊本藩医)で、天草大矢野島に移り住み、上八幡宮の宮司二上出雲の娘である美加と結婚した。順左衛門は儒学者広瀬淡窓門下十八傑の一人でもあり、進一郎が幼い頃より儒学を教えた。 1855年(安政2年)15歳の時、天草より熊本に出て儒学者木下韡村の門下生となった。